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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

 人はなぜ苦しむのか 第3回

2014年09月02日 | 日記

  

   人はなぜ苦しむのか 第3回

純粋な動機と良心的な確信によって神様に仕えているのではなく、神様がヨブを繁栄させておられるから、それに対する応答として、ヨブは神様に仕え畏敬しているのであると主張しました。それだから、もし神様が、今までヨブに与えてこられた祝福を取り去ってしまうならば、その時すぐにヨブは神様に仕えなくなりますよ、とサタンは訴えたのです。「しかし今あなたの手を伸べて、彼のすべての所有物を撃ってごらんなさい。彼は必ずあなたの顔に向かって、あなたをのろうでしょう」(ヨブ1:11)。

神様はご自身の名誉にかけて、このようなサタンの挑戦を受けられました。神様はサタンに、ヨブの命だけは助け、他のことはすべてをサタンの手にゆだねることをお許しになりました。「主はサタンに言われた、『見よ、彼のすべての所有物をあなたの手にまかせる。ただ彼の身に手をつけてはならない』。サタンは主の前から出て行った」(ヨブ1:12)。サタンはヨブを試みようとして、直ちにヨブへ向かいました。

   絶望から希望へ 第5回

使徒パウロが、「わたしはなんというみじめな人間なのだろう」と、このように苦しんで書いた文章は、確かに現在形です。しかしギリシャ語の用法には、現在形でも、歴史的現在という用法があります。その意味は、過去に起きたことでも、これが今自分に起きたことのように生々しくなる時、その時制は過去形ではなく現在形を使うのです。

そのために、この経験を、新生前のことだと言っている学者も多いのです。皆さんジョン・ウエスレーを知っていますか。ジョン・ウエスレーは、使徒パウロのような改心の体験をした人です。ウエスレーには長い間、内面的な戦いがありました。彼は牧師であって福音を伝える者でした。しかし彼には罪があって、それを断ち切ることができなかったのですね。そして、34歳の時、真に新しく生まれる経験を経て、それによって、まことの主の僕として働くことができるようになったのです。ですから、だいたいウエスレーなどイギリスの神学者たちは、これは使徒パウロがまだ生まれ変わる前の証だといっているのですね。では私たちはどちらの神学者たちの言うことを受け入れるべきでしょうか。