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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

 人はなぜ苦しむのか 第12回

2014年09月11日 | 日記

  

  人はなぜ苦しむのか 第12回

3、神の栄光を表すために来る苦難 

聖書の中に出てくる、生まれつき盲人であった人の話は、苦しみの意味について、別の面があることを私たちに教えてくれます(ヨハネ9:1~34)。この出来事が与える教訓は、罪の問題や悔い改めの問題ではありませんでした。ここでは、神様の摂理やご計画に基づいて苦しみが来る場合があり、苦しみにあっている本人は、信仰を通してその苦痛から解放されるという、驚くべき出来事が語られています。

弟子たちは、彼が盲人になった理由を罪の問題と結びつけました。「先生、この人が生まれつき盲人なのは、だれが罪を犯したためですか?本人ですか?それともその両親ですか?」。その質問に対して、「イエスは答えられた、『本人が罪を犯したのでもなく、また、その両親が犯したのでもない。ただ神のみわざが、彼の上に現れるためである』」(ヨハネ9:3)。その人は、病気で苦しむ者に対して、神様がどんな癒しの奇跡を与えられるのかを見せるために、盲人になることを許されていた人でした。そうして他の人々が、神様の驚くべきみ業を見て、神様の素晴らしさをほめたたえるようになるのでした。

   絶望から希望へ 第14回

流れる水に自分の体をゆだねて流されていくように罪を犯す、そういう姿ですね。7章24節。「わたしは、なんというみじめな人間なのだろう。だれが、この死のからだから、わたしを救ってくれるだろうか」。心は願いますが、この肉の体は罪に負けて、自分を苦しめて生きているという意味です。多くの牧師たちが、また神学者たちが、このローマ7章の経験以上になれずに、これが正常なクリスチャンの姿だよ、と慰めあっています。「人は新しく生まれても罪を犯さずには生きてはいけない、犯しながら生きるしかないと・・・」。「違います皆さん!」。

私たちは聖書が何を語っているか、体験的に知っていかなければなりません。福音の本当の力とは何であるかを、私たちは経験していかなければいけません。そしてこの力が何であるかを人々に教えていかなければなりません。この福音の力とは何の力でしょうか?出来ないことを出来るようにする、創造の力です。私たちはみんな悪の性質を持っていると言いましたね。しかし私たちには良心というものがあるので、悪の性質から逃れようと何とか頑張ってはいますが、この悪の性質に完全に捕らえられてしまう人がいます。その人はどんな状態になってしまいますか。盗んで、詐欺を行い、人を殺して、また姦淫を犯す。そういうことを全部やってしまうのではありませんか。それが私たちの内にある罪の性質ですね。

悪の性質は私たちの血の中に、細胞の中に、私たちの遺伝子のDNAの中にもあります。