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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

 人はなぜ苦しむのか 第16回

2014年09月17日 | 日記

 

  人はなぜ苦しむのか 第16回

それゆえ苦痛は、私たちに益を与えるためにやって来るものと言えます。高慢は私たちの魂に深い傷をもたらします。多くの場合において、高慢を治療するために神様が用いられる方法は、私たちの肉体にとげをお許しになることです。もちろんそうは言っても、肉体にとげが与えられることは、人にとって有益になることもあれば、そうでない場合もあります。ある人は、そのような経験を通して本当に謙遜な人格を築きますが、ある人は、肉体のとげをお許しになった神様のみ心を受け入れないまま、不平不満の歳月を送ってしまうこともあります。益となるかどうかは、その人の選択にかかっています。しかし、結果がどうであれ、神様は、私たちにとげをお許しになることによって、私たちが天のみ国に入るために必要な、最高のことをして下さったのです。

 絶望から希望へ  第18回

ローマ8章1節。「こういうわけで、今やキリスト・イエスにある者は罪に定められることがない」。日本語の聖書では、この後の『彼らは肉によらず、み霊によって歩むからである』(欽定訳)という言葉が抜けています。ここで、「キリスト・イエスにある者は、罪に定められることがない」と言われていますが、なぜ罪に定められないのでしょうか。その理由は肉に従って生きるのではなく、み霊に従って生きるからだと言っているのですね。これこそが救いの経験そのものです。

私たちの救いとは、イエス様が十字架の上で死んで下さったことによって全部終わったのではなく、その血潮が私の中に適応されて初めて、そのことが成し遂げられるのです。その適応はどのようにしてなされるのでしょうか。それはただ信じればいいというようなものではありません。私たちが、生まれつきの肉の性質に従って生きるのではなく、私のあるがままの感情や衝動に支配されるのではなく、み霊に従って、つまり聖書のみ言葉に従っている時こそ、私たちは罪から救われたということが出来るのです。