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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

人はなぜ苦しむのか 第18回

2014年09月19日 | 日記

 

 人はなぜ苦しむのか 第18回

5、より良い奉仕をもたらす苦難

苦しいことやつらいことを避けたいと願う人間性にとって、異常に聞こえるかも知れませんが、他の人々のために皆さんが苦痛や病を持つようになることがあります。それは苦痛の中でも、最も神聖な価値のある苦痛です。私たちはそのような苦痛を“代理苦痛 (Vicarious Suffering)”と名付けています。

使徒パウロはあらゆる面において、イエス様の足跡に従う僕でした。彼は弟子たちの中で、誰よりも多くの苦難と苦痛を味わい、そのことによって苦しみによってしか得られない価値と教訓を数多く見い出した人でした。

他の使徒たちは、悩みと苦痛に対して、「忍耐心を持ちなさい」《「忍耐力を十分に働かせるがよい」(ヤコブ1:4)》と勧告していますが、パウロはさらに進んで、苦しみを味合いなさいと言われました。「望みをいだいて喜び、患難に耐え、常に祈りなさい」(ローマ12:12)。「今わたしは、あなたがたのための苦難を喜んで受けており、キリストのからだなる教会のために、キリストの苦しみのなお足りないところを、わたしの肉体をもって補っている。」(コロサイ1:24)。

このような言葉を見る時、パウロは、イエス様と非常に類以した経験を持っていることが分かります。イエス様は言われました。「わたしのために人々があなたがたをののしり、また迫害し、あなたがたに対し偽って様々の悪口を言う時には、あなたがたは、さいわいである」(マタイ5:11)。また、「まことに彼はわれわれの病を負い、われわれの悲しみをになった」(イザヤ53:4)と言われています。

  絶望から希望へ 第20回

  罪に勝利されたキリスト

ローマ8章3節を見ると、「律法が肉により無力になっているためになし得なかった事を」とあります。これは何のことでしょうか。これは、私たちの堕落した性質、習慣的に私たちが積み上げてきた私たちの精神、これを持って、なんとか勝利して主のみ心に従ってやり遂げようとしたけれども出来なかったといいうことです。しかし、その次に何と言っていますか。「神はなし遂げて下さった。すなわち、御子を、罪の肉の様で罪のためにつかわし、肉において罪を罰せられたのである」。この言葉は何でしょうか。イエス様がこの世に来られた時、私たちのような堕落した肉体、皆さんの聖書にも「罪ある肉」と書いてありますか?日本語でもそうなっていますか?「罪ある肉」、これは何でしょうか。私たちのような体と言うことですね。子供が生まれた時、その体がその肉です。堕落したこの本質、それをイエス様はこの世にこられた時、そのまま持ってこられました。私たちと同じ立場で生きられました。しかしイエス様は、罪の肉に従われなかったのです。

イエス様は誘惑を受けられたでしょうか。試みにあわれたでしょうか。イエス様は私たちと同じ「罪の肉の様」で来られましたから、それらをすべて受けられました。しかしイエス様は罪の誘惑が来た時、それを罪と知ってその罪に従われなかったのです。誘惑を拒否されました。皆さん、イエス様は堕落した罪の性質を持っていながら、罪に勝利されました。

サタンはイエス様に罪を犯させようと、激しく試みました。荒野の試みだけではありません。幼い時から十字架の上で亡くなるまで、サタンはイエス様に何とか罪を犯させて彼を罪に定めようとしたのです。しかしイエス様は、罪を拒否し、罪を寄せ付けられませんでした。そのようにしてイエス様は、私たちも同じように罪に勝利できる道を備えて、私たちに提供して下さったのですね。