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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

  人はなぜ苦しむのか 第23回

2014年09月25日 | 日記

 

  人はなぜ苦しむのか 第23回

 人間は自分が理解し、体験した範囲の中で他人を助けることができます。闘病生活の経験がない人は、病人の感じるつらさや絶望に対して、同情は出来ても共感することは難しいのです。イエス様は「主はご自身、試練を受けて苦しまれたからこそ、試練の中にある者たちを助けることができるのである」(へブル2:18)。イエス様は人類の代表として、人間が直面するあらゆる苦難の頂点を経験された方ですから、他の誰よりも私たちを一番効果的に慰めて下さることの出来る方です。ですからイエス様は、苦難の王様であり、同時に慰めの王様でもあられます。

 パウロが熱望していたのは、まさしくこの経験でした。彼はキリストが経験されたその方法以外には、他の人々を慈悲深く、恩恵の内に育て上げることができないという事実を悟りました。また彼は苦難の経験を通して、キリストと共同の苦難を味わうことを望みました。「すなわち、キリストとその復活の力とを知り、その苦難にあずかって、その死のさまとひとしくなり」(ピリピ3:10)。このような理由のゆえに、パウロは苦痛の中にあっても喜ぶことが出来、取り去られなかった「肉体のとげ」に対しても、満足することが出来たのでした。

  絶望から希望へ 第25回

 皆さんの中で、今まで一回も自分の心を屈服させて、イエス様の前に差し出したことのない人おられますか?私たちのあるがままの罪を神様に差し出して、悔い改めたことのない人がおられますか?天のお父様は私たち一人ひとりを呼んで下さいます。「来なさい。時だよ。もうこの歴史は終わる。最後の艱難は近づき闇が来る。迫害はみんなに及び、獣の迫害は本当にみんなに及ぶ。だからそのままではいけない。私に来なさい」。皆さん、主のみ前に行くべきです。イエス様に近づくために、この場にいるのではないでしょうか。しかし、体は近づいていても、皆さんの心は近づいていないかもしれません。本当に主に近づいて下さい。そこに、まことの安らぎがあります。そこにだけ、本当の安らぎがあります。そこでまことの自由を得ることが出来ます。私たちは逃げ出す必要はないのです。私たちがあるがままに近づいていけば、神様は、聖霊様を私たちに注いで下さいます。  

 私たちはこれまで、主に栄光を帰すことが出来ませんでした。私たちは、主のお姿を反映することなく、時には隣人と争ったりして、その姿を見た人々に対して神の栄光を誤って伝えてきました。どれだけ神様を侮ってきたことでしょう。私たちが大声を出して子供たちを怒った時、サタンは拍手をして喜んだでしょう。子供たちを理解してあげずに、何とか権威で押さえようとしていた時、「ああ、うちのお母さんは神様を信じている。それなのにとっても怒っている。私、決して神なんか信じない」。そのように子供たちは思っていたはずです。