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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

人はなぜ苦しむのか 第26回

2014年09月28日 | 日記

   

  人はなぜ苦しむのか 第26回

従って、たとえば病気が起きた場合、まず自分が神様の律法や自然法則の中で、どれを犯してしまったか慎重に調べ、過ちを犯したことを真実に悔い改めて、改革しなければなりません。このような態度こそ健全な常識であり、正しい信仰姿勢です。ここでの律法とは、神様と人に対する愛の道徳律であり、それは命の法則として、従えば生きて、破る者は死ぬことになる鉄則を意味します。

自然法則というのは、魚が水の中では生きられても、水の外に出ると死ぬことになると言うようなもので、昔からある健康の教えや、科学的な健康原則なども含まれます。高圧線に触れれば死ぬということを知っている人が、故意に高圧線に触って死んだ場合、私たちはその人の死に対する責任を神様に負わせることは出来ません。また、ある人が毒キノコを食べるなら、その人は自分の浅はかな行動の代価を支払うことになります。このような命の法則は私たちがそれを無視した場合には、必ず、その代価を支払うように要求されます。それと同じように、健康の原則を破った生活をし続けることも、やがてその結果を刈り取ることになるのです。

健康の原則を破ったからといって、すぐさま代価を支払うようになるわけではありません。しかし何年後かには必ずその結果を受けとるようになるのです。ある人が20代から不摂生をしていたならば、40代あるいは50代になってからその結果として、癌や心臓病、脳血管障害などの病気が起きることになります。多くの人々は、自分自身が悪い種を蒔いておきながら、自分だけは悪い結果が起きてこないだろうと、漠然とした期待を持っていますが、それは幻影です。この世が存在する限り、神様がこの世に立てられた自然法則は存在しており、人はその結果を自分自身で刈り取らなければなりません。

   絶望から希望へ 第28回

この聖句は、私たちが罪に負けて肉に従って生きるなら、聖霊様が私たちの中に入って私たちの心を変えようとしても出来ないことを表しています。私たちが自分の肉の心のままに行動するなら、聖霊様が私たちの王となって私たちを支配されることは出来ません。聖霊様と肉はいつも敵対するからです。しかし、私たちが意志をもって聖霊様を受け入れるなら、聖霊様が働いて、肉の情欲が私たちに力を振るうことが出来なくなります。肉の欲が私たちを倒すことは出来ません。

「もしあなた方が御霊に導かれるなら、律法の下にはいない。肉の働きは明白である。すなわち、不品行、汚れ、好色、偶像礼拝、まじない、敵意、争い、そねみ、怒り、党派心、分裂、分派、ねたみ、泥酔、宴楽、およびその類である。わたしは、以前も言ったように、今も前もって言っておく。この様なことを行うものは、神の国を継ぐことがない」(ガラテヤ5:18~21)。アーメン。


人はなぜ苦しむのか 第26回

2014年09月28日 | 日記

   

  人はなぜ苦しむのか 第26回

従って、たとえば病気が起きた場合、まず自分が神様の律法や自然法則の中で、どれを犯してしまったか慎重に調べ、過ちを犯したことを真実に悔い改めて、改革しなければなりません。このような態度こそ健全な常識であり、正しい信仰姿勢です。ここでの律法とは、神様と人に対する愛の道徳律であり、それは命の法則として、従えば生きて、破る者は死ぬことになる鉄則を意味します。

自然法則というのは、魚が水の中では生きられても、水の外に出ると死ぬことになると言うようなもので、昔からある健康の教えや、科学的な健康原則なども含まれます。高圧線に触れれば死ぬということを知っている人が、故意に高圧線に触って死んだ場合、私たちはその人の死に対する責任を神様に負わせることは出来ません。また、ある人が毒キノコを食べるなら、その人は自分の浅はかな行動の代価を支払うことになります。このような命の法則は私たちがそれを無視した場合には、必ず、その代価を支払うように要求されます。それと同じように、健康の原則を破った生活をし続けることも、やがてその結果を刈り取ることになるのです。

健康の原則を破ったからといって、すぐさま代価を支払うようになるわけではありません。しかし何年後かには必ずその結果を受けとるようになるのです。ある人が20代から不摂生をしていたならば、40代あるいは50代になってからその結果として、癌や心臓病、脳血管障害などの病気が起きることになります。多くの人々は、自分自身が悪い種を蒔いておきながら、自分だけは悪い結果が起きてこないだろうと、漠然とした期待を持っていますが、それは幻影です。この世が存在する限り、神様がこの世に立てられた自然法則は存在しており、人はその結果を自分自身で刈り取らなければなりません。

   絶望から希望へ 第28回

この聖句は、私たちが罪に負けて肉に従って生きるなら、聖霊様が私たちの中に入って私たちの心を変えようとしても出来ないことを表しています。私たちが自分の肉の心のままに行動するなら、聖霊様が私たちの王となって私たちを支配されることは出来ません。聖霊様と肉はいつも敵対するからです。しかし、私たちが意志をもって聖霊様を受け入れるなら、聖霊様が働いて、肉の情欲が私たちに力を振るうことが出来なくなります。肉の欲が私たちを倒すことは出来ません。

「もしあなた方が御霊に導かれるなら、律法の下にはいない。肉の働きは明白である。すなわち、不品行、汚れ、好色、偶像礼拝、まじない、敵意、争い、そねみ、怒り、党派心、分裂、分派、ねたみ、泥酔、宴楽、およびその類である。わたしは、以前も言ったように、今も前もって言っておく。この様なことを行うものは、神の国を継ぐことがない」(ガラテヤ5:18~21)。アーメン。


人はなぜ苦しむのか 第26回

2014年09月28日 | 日記

   

  人はなぜ苦しむのか 第26回

従って、たとえば病気が起きた場合、まず自分が神様の律法や自然法則の中で、どれを犯してしまったか慎重に調べ、過ちを犯したことを真実に悔い改めて、改革しなければなりません。このような態度こそ健全な常識であり、正しい信仰姿勢です。ここでの律法とは、神様と人に対する愛の道徳律であり、それは命の法則として、従えば生きて、破る者は死ぬことになる鉄則を意味します。

自然法則というのは、魚が水の中では生きられても、水の外に出ると死ぬことになると言うようなもので、昔からある健康の教えや、科学的な健康原則なども含まれます。高圧線に触れれば死ぬということを知っている人が、故意に高圧線に触って死んだ場合、私たちはその人の死に対する責任を神様に負わせることは出来ません。また、ある人が毒キノコを食べるなら、その人は自分の浅はかな行動の代価を支払うことになります。このような命の法則は私たちがそれを無視した場合には、必ず、その代価を支払うように要求されます。それと同じように、健康の原則を破った生活をし続けることも、やがてその結果を刈り取ることになるのです。

健康の原則を破ったからといって、すぐさま代価を支払うようになるわけではありません。しかし何年後かには必ずその結果を受けとるようになるのです。ある人が20代から不摂生をしていたならば、40代あるいは50代になってからその結果として、癌や心臓病、脳血管障害などの病気が起きることになります。多くの人々は、自分自身が悪い種を蒔いておきながら、自分だけは悪い結果が起きてこないだろうと、漠然とした期待を持っていますが、それは幻影です。この世が存在する限り、神様がこの世に立てられた自然法則は存在しており、人はその結果を自分自身で刈り取らなければなりません。

   絶望から希望へ 第28回

この聖句は、私たちが罪に負けて肉に従って生きるなら、聖霊様が私たちの中に入って私たちの心を変えようとしても出来ないことを表しています。私たちが自分の肉の心のままに行動するなら、聖霊様が私たちの王となって私たちを支配されることは出来ません。聖霊様と肉はいつも敵対するからです。しかし、私たちが意志をもって聖霊様を受け入れるなら、聖霊様が働いて、肉の情欲が私たちに力を振るうことが出来なくなります。肉の欲が私たちを倒すことは出来ません。

「もしあなた方が御霊に導かれるなら、律法の下にはいない。肉の働きは明白である。すなわち、不品行、汚れ、好色、偶像礼拝、まじない、敵意、争い、そねみ、怒り、党派心、分裂、分派、ねたみ、泥酔、宴楽、およびその類である。わたしは、以前も言ったように、今も前もって言っておく。この様なことを行うものは、神の国を継ぐことがない」(ガラテヤ5:18~21)。アーメン。