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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

人はなぜ苦しむのか 第4回

2014年09月03日 | 日記

 

  人はなぜ苦しむのか  第4回

災難が相次いでヨブにのぞみ始めました。突然、外敵が攻め寄せて来て、牛とろばを奪い取って僕たちが打ち殺される事件が起こりました。その報告を聞いている最中に、今度は、天から火が降って羊と僕たちを焼き滅ぼしてしまったという報告が来て、その災難の知らせがまだ言い終わらないうちに、「彼がなお語っているうちに、またひとりが来て言った、『あなたのむすこ、娘たちが第一の兄の家で食事をし、酒を飲んでいると、 荒野の方から大風が吹いてきて、家の四すみを撃ったので、あの若い人たちの上につぶれ落ちて、皆死にました。わたしはただひとりのがれて、あなたに告げるために来ました』。」(ヨブ1:18,19)。

この突然の、とてつもない災難の知らせを、次から次へと告げに来る僕たちの話を聞き続ける、ヨブの心境はどうであったことでしょうか。

   絶望から希望へ 第6回

私が神学校で学んだ時は、この姿は、使徒パウロが新しく生まれた後のことだと教えられました。イエス・キリストを知らない人が、どうして罪を深く自覚し、その罪から何とか逃れようと願うのか、そのように考えるからです。皆さんも、その通りであると思いますか。

しかし皆さん、よく考えていただきたいのです。このように徹底的に絶望している姿が、新しく生まれ変わった人の姿でしょうか。「私はイエス様を信じます。イエス様のうちに生きています」と言いながら、いつも罪に縛られて、罪に苦しみ泣いている姿が、新しく生まれた人なのでしょうか?それなら新しく生まれたというのはどういうことなのでしょうか。「私は信じます」と言ったら、それが新しく生まれたことで、しかし心は前と同じように、罪に負け続ける絶望的な状態なのでしょうか。『ローマ人への手紙』7章のこの姿が新しく生まれた人だと言うなら、神様の恵みは、罪に打ち勝つことに対して無力だということになるのではないでしょうか?