- 紀元前1世紀から4世紀にかけて中央アジアから北西インドを領有したイラン系民族のクシャン王朝がありました。2世紀にこの国にカニシカ王(在位144?~171?)が出て仏教をあつく保護しました。この国は、西のギリシャ、東の後漢の中間に当たりましたのでシルクロード貿易で多くの富を成しました。遺跡からはギリシャ金貨や、それを鋳つぶして鋳造なおした金貨がたくさん出土しています。
- 当初、カニシカ王は広い国土を治めるにあたり仏教を利用したといわれていますが、王自身はだんだん仏教に深く帰依し、ガンダーラのラニガト遺跡に見られるような大規模な仏教寺院や仏塔、仏像を建立するようになりました。仏像はギリシャ文化の影響を受け、この地で初めて作られるようになりました。
- この地方では多くの墓が発掘されています。仏教徒になる前のクシャン人は人が亡くなると口に金貨をふくませて埋葬しました。そうすれば亡き人は天国に行っていい生活ができると考えられていたのです。
- 仏教では、この世の富は来世にはもっていけないと説きます。この世で自ら正しい生活をし、お返しができない人に施しをするなどの功徳を積むことでブッダの悟りに近づけると説きます。カニシカ王はインドから来た僧侶のそのような説法に耳を傾けました。
- 仏像彫刻の経緯ガンダーラで仏像ができる前、仏教徒は法輪を拝んでいました。当時、戦いのときに戦車の上にのって兵士が投げる鉄製の武器がありました。仏教では煩悩を破壊し教えを広める象徴にこれを転用しました。あるいは戦車の車輪がその由来だとする説もあります。ラニガト遺跡からそのような法輪を拝む仏画が発掘されています。
- それまでは、それまで仏教ではブッダの像を作ることを禁止していました。クシャン人は王様や神、あるいはアレクサンダー大王を石に彫っていましたので、ブッダの像も掘ってみたいということになったのでしょう。そこにはきっとギリシャから来た職人がいたのです。ガンダーラにはギリシャ風の豊かな着物をきたブッダの像が残されていて、すがすがしく、凛々しい姿です。彼らは感動を以てブッダを拝んだでしょう。