臨済宗南禅寺派圓通寺

Zazen 法話のページ

仏法僧

2020-05-25 | 

「仏とは何か」

 「仏とは何か」ときかれて「歴史上の人物である」と答える方は多いでしょう。この質問に日本人は「亡くなった人」と答える人が多いのです。「人は亡くなれば欲を離れる」という意味でそのようにいうのです。これは日本人の宗教観です。

実は「仏」とは私たち自身のことです。私たちは生きていますので欲をもっています。時々は我儘になることもあります。ところが「人の役に立ちたい」という気持ちももっています。他の人が何か困ったことがあって、自分がお手伝いしたら喜んでいただいたという経験を、みなさんもっておられるでしょう。お互いにそのような姿を見出していきましょうというのが仏(ブッダ)の教えです。

「法とは何か」

 ブッダはサールナートのミッダガーヤというところで5人の友人たちに最初の説法をされました。かつて5人の友人たちはブッダと6年間、共に苦行をしてきました。ブッダは苦行をやめて坐禅を始めたので、5人の友人たちは「彼と話をするのはやめよう」と申し合わせていました。ところがブッダが向こうの方から歩いてこられるとそのような申し合わせを忘れて、5人はブッダの説法を聞き、彼の歩く姿や声、その態度に皆、感動したのです。「教えの伝達方法は言葉だけによらない」これはたいへん重要なことです。禅教義の最も大切なところがブッダの最初の説法(初転法輪)にありました。このときブッダの応対をしたのは5人の一人、コンダンニャでした。彼は説法の座をこしらえて、ブッダにそこへ坐っていただいたのです。

ブッダ最初の説法が始まりました。「悟りを得るためには苦行を捨てることがたいせつである。体を痛めつけたのでは命が亡くなる。かといって欲におぼれると堕落する。中道でなければならない」と。

次に釈尊は「四つの真理」を説かれました。

(1)人生は思うようにならない(苦諦)

(2)欲を追いかけるのが苦の原因である(集諦)

(3)苦の原因は滅すことができる。(滅諦)

(4)それが道(修行)である(道諦)

 この説法の途中でコンダンニャの目の色が変わりました。ブッダは「アンニャータ、コンダンニャ」とおっしゃいました。アンニャータは「すぐに」。「コンダンニャ」は「悟る」という意味です。最初に悟り(ヨルカ)を得たのはコンダンニャでした。これ以降、彼はアンニャータ・コンダンニャと名乗るようになりました。その後、ほかの4人も次々に悟りを得て、立派な出家者になりました。ブッダから弟子たちへ受けつがれた。これが「法:ダンマ」です。

 「僧:サンガとは何か」

ブッダと彼ら5人が最初の教団です。これを「サンガ」と呼びます。彼らは3人ずつ2チームに分れて行動しました。3人ずつ別々の村を托鉢する。3人が遠方へ布教の旅行へ行くときはほかの3人は留守番をしました。その後にサンガは長老を含めて4人以上の比丘の集まりになりました。ブッダ以来の「法」はサンガで受け継がれていきます。

 「サンガ」は当時の商工組合の呼び名です。あるいは共和制を指していう言葉でした。ブッダは「会員は平等。みんなでその長を選ぶ。相互に協力し平等に義務と責任をはたす」などの制度を教団に取り入れたのでした。ブッダ(仏)とその教え(法)を学ぶ弟子たちの(僧)、これが「仏法僧」です。

●坐禅会 毎週土曜日午前6:25~8:00 久留米市宮の陣町大杜1577-1圓通寺 

初心者歓迎 参加費無料 詳細は電話でお問い合わせください。℡0942-34-0350

初回参加者は6:15までに来てください。

●学校やクラブなど団体研修 坐禅申し込み随時うけたまわります。出張も致します

費用はご希望に応じます。宿泊はありません。出張講座もいたします。

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授戒と戒名

2020-05-23 | Zazen

◯授戒の意義

 いずれの宗教でも入門の儀式があります。禅宗の場合、戒師はブッダ以来正しく伝えられた法を保っている老師:長老です。もう一人の長老は、声明師と呼ばれ、入門の信者に礼拝をすすめるために『三千仏名経』を唱えます。授戒の意義を説く役目は教授師、あるいは引請師とも呼びます。ブッダ以来、信者として入門するためはこれらの三師が必要とされています。

 『三千仏名経』には過去、現在、未来に現れる三千の仏さまの名前が書いてあります。入門の信者は声明師にしたがい、礼拝しながら「三千諸仏の名号」を唱えます。これを加行礼拝(けぎょうらいはい)と呼びます。一仏に一回礼拝とすれば三千回の礼拝です。これには7日間必要です。それで近年では「南無三世三千諸仏」と略して唱えています。その礼拝は頭が低いほど感動が大きいといわれます。

 『華厳経』に「初発心のとき、すなわち正覚を成ず」とあります。仏道に入門する決心をしたとき、すでにブッダの悟りの状態であるという意味です。仏教徒にとって授戒はそれほど意義深いとされます。

『三千仏名経』を見ると「南無人中光仏、南無見精進仏、南無名称幡仏、南無普悦仏・・・」とあります。これは人間を拝みなさいという意味です。あるいは「南無炎面仏」とあるのは真っ赤な顔の人という意味でしょうか。南無獅子吼仏というのは説法している僧侶のことでしょか。いずれにしても皆が仏さまです。そのように周りの人は皆さんが仏さまなのですというブッダのお諭しです。平和のための授戒会だといえます。

◯戒名について

 授戒会に参加すれば戒師より仏教徒としての証(あかし)として「戒脈」をいただきます。これには戒名が書いてあります。名前を改めるのではなく、仏の戒めとしての戒名、ブッダの弟子となった証としての戒名です。これがいわゆるこれが生前戒名です。人は亡くなるとき財宝はもっていけません。もっていけるのはこの戒名だけです。

 授戒会に参加する縁がなくて亡くなった方に代わって遺族がいただくのを「血脈(けちみゃく)」と呼びます。これにも戒名が書いてあります。実名はその人の人生の間、どんなに長くても100年でしょう。戒名を墓石に刻めば、あるいは位牌に彫れば末代まで残ります。そして末裔まで手を合わせて拝んでくれます。

 多くの場合、戒脈にある名前は二字です。長年、寺院の発展に功績があった方はその名前の上に二字が冠せられます。これを道号と呼びます。ブッダの時代、男性の信者をウパーサカ、女性はウパーシカー(upãsaka・upãsikã)と呼びました。これを漢訳して信士・信女です。禅宗では坐禅会に参加される方を居士・大師と呼びます。それで◯◯信士・信女、あるいは○○居士・大師という戒名になります。

 「名は自性をあらわす」という言葉があります。名はそのものの性質をあらわすのですから、仏の戒めとしての戒名は仏性を表すことになります。生前戒名の功徳はここにあります。授戒会で参加者は「自らすすんで世の中に善いことをしましょう」と誓います。これを「摂善法戒」と呼びます。少しでも世の中が明るくなるように努めたいと思います。

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神と仏・儒教と仏教

2020-05-20 | 東洋思想

◯神と仏

 京都、南禅寺でアメリカ人観光客に「神と仏の違いはなんですか」ときかれ、私は「神は自分の外にある存在で、仏は自分の中にある」と答えました。彼は「お―、おどろいた」といいました。彼は、私が、「神は自分の外にある」といった瞬間、うなずきました。そして「仏は自分の中に」といった瞬間、目を丸くしてそのように言いました。私の答えが意外だったのでしょう。

 仏教はインドの多神教文化の中で生まれ、中国や日本の多神教の影響を受け、その中で発展しました。したがって仏教は神を否定しませんし、日本の寺院の中には神道の祠があります。日本の仏教は神道と共存してきました。実は7世紀に大陸からの仏教を受けいれるにあったって大きな争いがありました。その後、江戸時代に「新仏集合」という言葉も生まれ、また明治初期に「神仏分離」という苦難の時代がありましたが、今日ではお互いに日本社会に共存しています。

 スリランカの仏教寺院やパゴダの門は日本の神社の鳥居にそっくりです。日本の鳥居は横が二本ですが、スリランカでは三本です。実は鳥居は仏教の門だったのが、いつの頃からか分かりませんが、神社の門になったのです。太宰府天満宮のような大きな神社の門は東西南北にそれぞれ鳥居が建っています。これも密教曼荼羅の「四門」つまり発心門、修行門、菩提門、涅槃門ではないかと思われます。

 いずれにせよお互いに影響しあってきたのですから、どちらが先というのではなく、共存していくべきです。仏教はインドにおいてブッダ以前の人格崇拝が基礎にあるといわれています。日本の神道もいくつか系統がありますが天満宮などは人格崇拝がその所以だといえますので、私たちは共通認識を持つべきでしょう。

◯儒教と仏教

 仏教はインドではじまり、チベットの山々をこえ、中国文化を吸収し、朝鮮半島を通って、あるいは東シナ海を渡って、ブッダの時代から1200年という年月を経て日本に伝えられました。したがって地域の文化を吸収しながら伝えられました。とりわけ中国思想の儒教と古い時代の道教の影響が大きいといわれています。ここでは仏教の慈悲と儒教の忠恕を考えてみます。

 もともと慈悲は慈と悲は別のことばでした。慈は友人を表すパーリー語ミッタ(mitta)からできた(『中村元仏教語大辞典』)とされ、真実の友情を表します。悲は、苦しみを表すカルナー(karunã)からできたとされています。したがってどちらも「あなたの苦しみは私の苦しみ、あなたの喜びは私の喜び」という平等の共感性があります。

 儒教の忠恕は「誠実で思いやりのあること」(『スーパー大辞林』です。孔子は周の時代の政治にあこがれていて、武力で国を治めるのではなく、伝統文化で国を治めることを理想としていました。孔子は旅から旅の人生でしたが、晩年は私塾の先生ですぐれた弟子たちができ、その後の時代にも立派な弟子がいて儒教は発展しました。

 ブッダ晩年の弟子は1200人をこえました。祇園精舎には1200人が寝泊まりできました。ブッダは旅の途中、クジナガラの城跡で涅槃に入りました。インドにおけるクジナガラの聖王の時代は徳による政治で平和な時代だったとい伝説がありました。ブッダは聖王を尊敬していました。儒教や仏教は弟子たちによって発展し、社会に受け入れられました。仏教と儒教の違いはたくさんあるにせよ、そのように共通するところは大切だと考えます。

 

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大乗仏教の戒律

2020-05-18 | 仏教

◯大乗仏教の戒律

当初の大乗仏教には戒律はなかったという研究者がありますが、それは違います。信者さんたちは自主的に六波羅蜜を実践し、出家者は上座部仏教と変わらない250の戒律を守ったのです。鑑真(688~763)は聖武天皇の要請を受けて唐から5回目の渡航でようやく来日し、日本に正式な授戒会を伝えたとして有名です。鑑真は『四分律』の専門家とされ、これは上座部の戒律と全く同じです。

日本の天台宗創始者、最澄(767~822)は出家者の守るべき戒律を48に定めました。これを菩薩戒と呼びます。その意図は「形式よりも、その目的は仏性の自覚にある」とされています。在家信者には「八斎戒」または五戒が説かれます。これは上座部仏教の信者と変わりありません。

禅の戒律は「十重禁戒」と呼ばれます。禅では、戒は本来、自分に備わっているというのがその趣旨です。たとえば「不殺生戒」では、生き物を殺さないだけではなく、生き物の命を活かす努力を求められます。その上に慈悲のこころに気付くことが大切です。日常生活において生き物を殺さずに生活するのは不可能です。私たちは生き物の恩恵の上に生かされています。そのことを理解しなければなりません。

信仰心の篤い方に「人の物を盗むな」という必要はありません。正しい生活を送っている人に「何々するな」という必要はありません。そのように正しい生活の全般が戒律であるといっていいでしょう。止悪修善、悪いことはしないで良い行いをする、口で言うのは簡単ですが、実行するのは難しいです。そのような生活でありたいです。

 

●坐禅会 毎週土曜日午前6:25~8:00 久留米市宮の陣町大杜1577-1圓通寺 

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観世音菩薩

2020-05-16 | 坐禅研修

先ず、菩薩について上座部仏教と大乗仏教では違いがあります。上座部仏教で特別な修行をした僧侶、あるいは仏陀の悟りを開く前を菩薩と呼びます。大乗仏教の時代になると、菩薩ということばの意味が広くなり、出家者だけでなく在家者を含めて「道を求める者」はみな菩薩と呼ぶようになりました。加えて自分の修行だけではなく、わが身を捨てて利他の心をもって他の苦を除き、楽を与える人を菩薩と呼びます。

観世音菩薩は「世の音を観じる菩薩」と書きます。その音とは「救いを求める声」です。国宝、奈良法隆寺の救世観音は有名です。救世も観世音の異なる訳です。世界仏教という立場では仏教者のみならず、衆生のためにわが身を捨てて利他の心で働く人たちはみな観世音菩薩です。宗教的立場は違っても1979年ノーベル平和賞を受賞したマザー・テレサ(1910~1997)も観世音菩薩とよべるでしょう。

 何年か前ですが、私が駐車場の掃除をしていると、小学生の女の子が自転車に乗って「おはようございますー」と通り過ぎました。春風に乗ってすがすがしい挨拶でした。サンスクリット語の観世音菩薩は「変身する菩薩」という意味があります。このときブッダは女の子に変身して私に説法をしました。「朝はさわやかにあいさつをしましょう」と。

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波羅蜜:パラミータ

2020-05-15 | 東洋思想

波羅蜜:パラミータとは「悟りの岸に到る」という意味です。ブッダが説法された寺院は、マガタ国の都ラージャガハの竹林精舎、コーサラ国の都シュラヴァスティの祇園精舎、マガタ国のクリドラクータ霊鷲精舎など5つが知られています。当時、竹林精舎などは、おそらく建物はなかったでしょう。『法華経』などの説法の舞台となった霊鷲精舎は小高い山の上で、ブッダや弟子たちは石窟の中で寝泊まりしていました。信者たちはブッダの説法を聴くために、川をわたり山の上まで登ってきました。その川が増水することもあったでしょう。信者たちは上流まで何十キロメートルも歩いて川をわたり、丘を登って精舎にたどり着いて仏陀の説法を聴きました。それで岸に渡る、パラミータという言葉が使われたと思われます。ブッダをこの目に見て説法を聴く彼らの態度は「柔和質直者」(心が温和で偽りのない人)であった」と『法華経』「如来寿量品」にあります。

前述の「仏陀の悟りに近づくために」で六波羅蜜の教えがあると述べました。これを大乗仏教が始まった当時、紀元前一世紀から二世紀ごろのインドの社会状況から考えてみましょう。当時は東西交易の発展していく時代で、盗賊に襲われた人も多かったのでしょう。『法句経』の翻訳で有名な仏教学者友松圓諦先生(1895~1973)は「当時の盗賊は軍隊並みの盗賊集団であった」と述べておられます。そこで仏教徒はどうしたか。これが「六波羅蜜」の原点です。これは私たちの本来そなわっているモラルで、規則ではありません。これに目覚めることが慈しみに目覚めることです。

六波羅蜜=悟りの岸に至る六つの徳目

*布施=お返しのできない者に施す

*持戒=他人の物を取らない

*忍辱=取られても怒らない

*精進=常に行う

*禅定=心が定まっていて疑わない

*智慧=心に自然に起きる

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般若心経と大般若経

2020-05-14 | 坐禅研修

◯『般若心経』の流布

 敦煌の石窟寺院から発見された、石板に彫られた般若心経があります。これに「この経は玄奘三蔵がインドへ行く途中、益州の空恵寺で天然痘にかかったインド僧から看病のお礼に教えてもらった」とあります。また「この経は旅に利益がある」と書いてあります。玄奘はインドへ旅立つとき十六人の仲間の僧侶がいましたが、中国へ帰ってきたのは彼ただ一人でした。艱難に出会ったときは般若心経を唱えて乗り切ったのです。だから「旅にご利益のある経文」です。当時に比べ、安全に旅ができる今日ではそのように考える人はないでしょう。

 禅の道場では般若心経を一日に6~7回、朝の勤行や食事のときなどで唱えます。この経文はどのような内容が書いてあるかというような講義はありません。その理由は「自我を捨てるための経典」だからです。理屈抜きに唱える、それが禅の立場です。

 法隆寺(現在東京国立博物館所蔵)にインドからもたらされた世界で最も古い写本の般若心経が残されています。これはインドの僧侶が6世紀の初めごろ書写し、インドから中国・梁に禅を伝えたボダイ・ダルマが中国にもたらし、その後、遣隋使船で7世紀初め日本にもたらされました。私たちが唱えている玄奘三蔵翻訳の般若心経は最初に題名があります。しかしこのサンスクリット本に題名はありません。題名すら省かれている経典です。それは何を意味するのか。「自我を捨てるための経典」だからです。

◯『大般若経』

 『大般若経』は600巻、20万頌、文字数にして数百万字にも及びます。その中の第578巻は「理趣文」と呼ばれ、密教の流れを汲む経典です。禅は800年前までは密教寺院の中にありましたので、現在も禅宗各寺院では正月に世界平和と檀信徒の健康、五穀豊穣を祈って「大般若祈祷会」を催しています。そのなかに次のような言葉があります。

諸法は皆これ因縁によって生ず。因縁によって生じるが故に自性なし。自性なきが故に去来なし。去来なきが故に畢竟空なり。畢竟空が故にこれを般若波羅蜜と名づける。

「ここに存在しているすべてのものは、因(たね)とそれをとりもつ縁によって生じる。それだから自分のものは何もない。自分というものはないので、去来するという事はない。去来する事はないので、究極の空である。究極の空だから般若波羅蜜と名付ける」

 「般若」は自我を捨てることだと、前項で述べました。そのことについて仏陀は度々、弟子たちにこのようなたとえを説かれました。

「川が増水していて向こう岸に渡れなかったとしよう。ある人は上手にイカダを作って、これで増水した川を渡ったのち、このイカダを担いで歩くだろうか。その人はそのイカダを捨てるであろう。たとえばそのように、正しく説かれた法も捨てなければならない。いうまでもなく非法はなおさらのことである」『中阿含経』55『大般若経』577より

『金剛経』に「ブッダは常に弟子たちにこの話をした」とあります。このたとえは「空」の教えとしてよく理解できます。ブッダは「これを信じなさい」などとは説かずに「捨てよ」と説かれました。これは仏教の大きな特徴であり、とりわけ禅宗の基本的な教えだといえます。

坐禅会 毎週土曜日午前6:25~8:00 久留米市宮の陣町大杜1577-1圓通寺 

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Nãgãrjuna(150~250)

2020-05-13 | Zazen

 

* Nãgãrjuna is praised that he who came from the southern India was the founder abbot of the eight Buddhist sect. Hajime Nakamura who was a famous Japanese Buddhist scholar said that he was not one person because of his writings extending over the large sphere of Indian Buddhism. Anyway, we have to remarkable mention that he was not only a great scholar in Mahayana Buddhism but also was well informed about Theravada Buddhism. And he opened the sect of Jodo sect: Pure Land sect. There is a teaching that we call to ‘The teaching of taking easy way by invocation of Amida Buddha’ is in Japanese Jodo Shin sect. It was taught by him.

 

Buddha taught innumerable teachings alike there are innumerable paths in the world. There are the difficulty paths or the easy them. The paths on the ground are felt difficulty and the path of water-surface is felt easy for us. The way of Bodhisattva is also as well as them.

The souse : “The doctrine of Zyu zyu Bibashya” ‘The fifth roll’.

 

Ordinary people, we entrust favorable matters to Amida Buddha. However, we will not entrust unfavorable matters to Amida Buddha. Entrusting whatever unfavorable matters to Amida Buddha means ‘The teaching of taking easy way’. Really, it is not easy practicing. Moreover, should not think about done it, so, we should be humble attitude.

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ナーガールジュナ(龍樹) Nãgãrjuna(150~250)の功績

2020-05-05 | Zazen

南インド出身ナーガールジュナは仏教八宗の祖師と称えられ、禅宗の祖師でもあります。彼の著書はインド仏教の広範囲にわたることから、この人物は一人ではないという学者があります(東大名誉教授中村元1912~1999)。いずれにしても特筆すべきことは、彼は大乗仏教の大学者でありながら上座部仏教にも明るいことです。そして浄土宗の道を開いたことです。日本浄土真宗の教えに「念仏易行道」があります。これは彼の説いた教えです。

仏陀には無数の教えがある。世間の道と同じである。難あり易ありである。陸道の歩行はすなわち苦であり、水道の乗船はすなわち楽である。菩薩の道もまた同じである。『十住ビバシャ論』「第五巻易行品」

阿弥陀仏にお任せするのに自分の都合のいいところはお任せするのですが、自分に都合の悪いところはお任せできないというのが一般人です。その都合の悪いところもすべて阿弥陀仏にお任せする、それが「易行」です。実は「易行」は、たやすい行ではないのです。しかも修行をしたと思ってはいけないのですから、これがまた謙虚にならなければいけません。

彼はインドにおける禅の祖師であり、浄土真宗の高僧であり、華厳宗、密教の祖師です。彼の説いた教えは時代を経て世界仏教になりました。

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寺院建築の大工さんを訪ねて

2020-05-03 | Zazen
 
寺院建築の大工さんを訪ねて
 アジス・アベイサンダ氏はスリランカで仏教寺院、パゴダや学校などを設計する建築デザイナーです。4月17日、来日の機会にアジス氏と某建設会社を訪れました。社長に会社内と製材工場を......
 

 

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