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夏目漱石『私の個人主義』その2

2025-05-12 | Zazen
夏目漱石『私の個人主義』その2
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夏目漱石『私の個人主義』 その1

2025-05-06 | Zazen
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『吾輩は猫である』の出来るまで

2025-05-06 | Zazen
『吾輩は猫である』の出来るまで
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夏目漱石と修行僧その2

2025-04-25 | Zazen
夏目漱石と修行僧その2
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夏目漱石と時鳥

2025-04-10 | Zazen
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夏目漱石と時鳥

2025-04-06 | Zazen
漱石は28句ほど時鳥の句を作っている。俳句では時鳥は初夏の季語である。今日では時鳥の鳴き声は山間に行かなければ聞けないが、明治20年頃は東京の街中でもその鳴き声はよく聞こえたのだろう。だから漱石には時鳥の句が多いのだ。
漱石の俳句は明治22年から記録がある(全集第12巻)。それが次の二句である。俳句のスタイルとしてはその後の「写生句」とは随分違う。どこか面白い雰囲気がある。時鳥は「不如帰」とも書くので最初の句はそれをもじったのだろう。「子規」も時鳥の異名である。

歸 ろ ふ と 泣 か ず に 笑 へ 時 鳥

聞 こ う と て 誰 も 待 た ぬ に 時 鳥

 漱石は明治24年から精力的に作句に励んだ。正岡子規の影響である。以前にも述べたが、その多くは子規が丁寧に漱石からの手紙を保管していたからだ。この句も明治22年5月に子規へ送った手紙にあるのだが、子規が添削をしたのではないようだ。ここでは時鳥はひらがなになっている。それも意味があるのかもしれない。明治25年に子規に宛てた手紙に次の句がある。これもどこか笑えるような句である。

鳴 く な ら ば 満 月 に な け ほ と と ぎ す

 明治40年6月、当時の総理大臣西園寺公望(1849—1940)から文学者たちを集めたパーティー「雨声会」の案内が来た。漱石は体の具合も良くなかったのだが、そもそも権威主義が嫌いなのである。その断りのハガキに次の句がある。総理大臣からの案内にハガキで返事を出したとは呆れた話だ。よくこんな句を書いて問題にならなかったものだ。

時 鳥 厠 半 ば に 出 か ね た り

この句は俳句とは言えない。ただ云っただけである。『全集』の解説者で漱石の弟子、小宮豊隆も「床屋俳諧(漫談)の域を出る事のない月並みに過ぎない」と述べている。では漱石のすぐれた句はどのようなものか。それは写生句である。そこで見た感動を詠った句が良い句である。明治27年の句に次の句がある。

菜 の 花 の 中 に 小 川 の う ね り か な

参考資料:岩波書店『漱石全集』第12巻

839-0803
久留米市宮ノ陣町大杜1577-1  編集:吉冨冝健


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夏目漱石と正岡子規の友情

2025-04-01 | Zazen
夏目漱石と正岡子規の友情

坐禅会 毎週土曜日午前6:25~8:00 
久留米市宮の陣町大杜1577-1 圓通寺 
初心者歓迎 参加費無料 詳細は電話でお問い合わせください。
℡0942-34-0350
初回参加のみ千円。二回目以降つづけていただければ無料です。
●学校やクラブなど団体研修 坐禅申し込み随時うけたまわります。
 
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夏目漱石の最後の漢詩その2

2025-03-24 | Zazen
夏目漱石の最後の漢詩その2
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夏目漱石と修行僧

2025-03-13 | Zazen
夏目漱石と修行僧
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夏目漱石の最後の俳句

2025-03-12 | Zazen
夏目漱石の最後の俳句
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夏目漱石と修行僧 

2025-03-10 | Zazen

漱石は最晩年、大正三年から五年にかけて神戸の祥福寺僧堂の雲水(修行僧)二人と付き合いがありました。そのきっかけは鬼村元成が漱石に『吾輩は猫である』を読んで手紙を書いたことからでした。そのときの漱石の返事にこのようにあります。
.
あなたが私の本をよんで下さるのは私にとって有難いことです。私はお礼を申し上げます。薮の中で猫をよんだという事は可笑しいです。あなた方の修行の方から見たら余計な小説などをよむと定めて叱られるでしょう。まあ叱られない程度で御やめなさい。私はあなたの手紙を下さるのを読みたいと思います。夫れから私はあなたが将来座禅を勉強して立派な師家になられん事を希望します。
. 
 漱石は修行僧鬼村元成に俳句の指導をしました。「まきを割るかはた祖を割るか秋の空」でこのように手紙を書きました。
.
 禅が鼻についているでしょう。禅を振り回したくなるものです。悪い癖ですね。
.
これは漱石のいい指導です。「味噌くさい味噌は上味噌にあらず」です。
漱石は漢詩の指導もしたようです。修行僧富沢敬道にこのように手紙を書きました。
.
 作務の間に試作をするのは風流です。然しあなたの詩は、まだ旨い所へ行っていませんね。昔の人の作例を読んで深い感興(かんきょう)が湧きさえすればもっと好い詩ができる筈だと思います。
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大正五年八月十四日の鬼村に宛てた手紙に久留米梅林寺僧堂の三生軒猷禅老師の書が欲しいと書いています。その努力をして貰ったけれど手に入らなかったようです。
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あなたは久留米の猷禅さんを知りませんか。あの人は墨梅と書がうまいと聞きました。書いて貰おうとおもうがツテがありませんので・・
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大正五年十月に二人の修行僧鬼村と富沢は神戸から東京見物に来ました。漱石は自宅に彼らを泊まらせ世話をしたようです。朝日新聞社印刷工場の見学を世話しました。彼らから禅の話を聴くのが楽しかったようです。漱石は修行僧たちの身のこなし、態度の爽やかさに感心したようです。大正五年十一月十五日の手紙に正直な気持ちを書きました。漱石の「禅」へのあこがれといえるでしょう。
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変な事をいいますが、私は五十になって始めて道に志す事に気がついた愚物です。其道がいつ手に入るだろうかと考えると大変な距離があるように思われて吃驚しています。あなた方は私には能く解らない禅の専門家ですが、道の修行に於いて骨を折っているのだから五十迄愚図愚図していた私よりどんなに幸福かしれません。又どんなに特勝な心掛けか知れません。私は貴方方の奇特な心得を礼拝しています。
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坐禅会 毎週土曜日午前6:25~8:00 
久留米市宮の陣町大杜1577-1 圓通寺 
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夏目漱石の心配

2025-03-09 | Zazen
夏目漱石の心配

坐禅会 毎週土曜日午前6:25~8:00 
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夏目漱石の最後の漢詩

2025-03-04 | Zazen
夏目漱石の最後の漢詩

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夏目漱石の最後の漢詩---ChatGPTとの対話学習

2025-02-22 | Zazen
       大正5年11月20日 作
       出典・岩波書店『漱石全集』第12巻昭和41年
       七言律詩・無題 (下平侵韻)
眞蹤寂寞杳難尋
欲抱虚懐歩古今
碧水碧山何有我
蓋天蓋地是無心
依稀暮色月離草
錯落秋聲風在林
眼耳雙忘身亦失
空中独唱白雲吟

眞蹤(まことのあしあと)は寂寞として杳(はる)かに尋ね難く
虚懐を抱いて古今に歩まんと欲す
碧水碧山 何んぞ我有らん
蓋天蓋地 是れ無心
依稀(いき=おぼろ)たる暮色 月は草を離れ
錯落(さくらく=いりみだれ)たる秋聲 風は林に在り
眼耳雙(ふたつながら)忘れて身も亦(また)失い
空中に独(ひと)り唱(うた)う白雲の吟(ぎん)

吉富
夏目漱石の漢詩についてお尋ねします。漱石は十代のころから漢詩を学びました。陶淵明や李白の詩は漱石の「則天去私」の考えに影響を及ぼしたと思いますが、いかがでしょうか。
ChatGPT:
おっしゃる通り、夏目漱石は十代のころから漢詩を学び、特に陶淵明や李白の詩に深い影響を受けました。そして、「則天去私」の境地へ至る過程においても、これらの詩人の思想が漱石に影響を与えたと考えられます。
陶淵明の影響
陶淵明(365–427)は、官職を捨てて田園生活を送り、自然の中で自己の本質に立ち返る生き方を詩に詠みました。彼の詩には、名利を超えた自由な精神が表れています。漱石もまた、晩年において功名や世俗的な価値観を超えた「則天去私」の境地を目指しました。この点で、陶淵明の「帰去来辞」や「飲酒」などの詩が、漱石の思想形成に影響を与えた可能性が高いです。
李白の影響
李白(701–762)は、自由奔放な詩風と仙人的な超然とした生き方で知られています。彼の詩には、天真爛漫な感性や自然との一体感が表れています。漱石の漢詩の中にも、李白のように「自然と一体となることへの憧れ」や「酒を媒介とした解脱の境地」が見られます。また、李白の「謫仙(たくせん)」と称される生き方は、漱石が求めた「私」を超越した生き方にも通じるものがあるでしょう。
「則天去私」との関係
「則天去私」は漱石晩年の思想であり、自己のエゴ(私)を捨て、自然の理(天)に従うという考え方です。陶淵明の「無為自然」の思想や、李白の自由な詩風は、漱石が「私」からの解放を模索する上で、大きな示唆を与えたと思われます。実際に、漱石の漢詩には陶淵明や李白を彷彿とさせる表現が見られますし、彼の文学的思想にもこれらの詩人の影響が色濃く残っています。
あなた:
夏目漱石の最後の漢詩は陶淵明や李白の影響が大です。いかがでしょうか。 
ChatGPT:
おっしゃる通り、夏目漱石の最後の漢詩(七言律詩)には、陶淵明や李白の影響が色濃く表れています。この詩を詳しく見ていくと、彼らの詩風や思想が漱石の「則天去私」とどのように結びついているかがわかります。
陶淵明の影響
陶淵明の詩の特徴として、「無為自然」の境地や、世俗を離れた静謐な生き方があります。本詩の前半にある以下の句には、その影響が読み取れます。
眞蹤寂寞杳難尋(真の道は寂しく、はるか遠く探し難い)
欲抱虚懐歩古今(虚心を抱き、古今を歩む)
これは、陶淵明の詩に見られる「自然に身を任せ、名利を超越する姿勢」に通じます。漱石は、人生の晩年に至って、自己を超越しようとする心境に達しており、陶淵明の「帰去来辞」にあるような「俗世を離れ、心を虚しくして生きる」境地を表現しているように見えます。
また、次の句も陶淵明の影響を強く感じさせます
碧水碧山何有我(青い水、青い山──そこに我はあるのか?)
蓋天蓋地是無心(天を覆い地を覆うもの、それは無心である)
この部分には「自己を自然の中に溶かし込む」思想があり、陶淵明の詩に見られる「自然との一体感」と一致します。

李白の影響
李白の詩の特徴として、「豪放さ」「自然との交感」「酒と共に生きる境地」があります。本詩の後半には、李白の影響が特に顕著に見られます。
依稀暮色月離草(夕暮れのかすかな色、月は草から離れ)
錯落秋聲風在林(秋の声が入り乱れ、風は林の中にある)
これは李白の詩に見られる「風景の中に心情を投影する」手法に通じます。李白はよく「月」や「風」「酒」を通じて、超越的な境地を表現しましたが、漱石もまた「風」や「月」を用いて、自身の心境を描写しています。
また、最後の二句も李白の影響を強く感じさせます。
眼耳雙忘身亦失(眼も耳も忘れ、身さえも失う)
空中独唱白雲吟(虚空に独り、白雲の詩を吟ず)
これは、李白がよく用いた「自己の消滅」「無我の境地」を思わせます。李白の詩には、「独酌」「独り天に語る」「白雲と語る」といった表現が多く、まさにこの句は李白の詩風を彷彿とさせます。
まとめ
この詩は、漱石が晩年に到達した「則天去私」の境地を示しつつ、陶淵明の「無為自然」と李白の「超越的な詩風」を融合させたものと考えられます。特に、陶淵明の「虚心」「自然との一体感」李白の「豪放な詩風」「自己の消滅」
これらが見事に合わさった詩であり、漱石が最終的に「天に則る」境地に達したことを示唆しているように思われます。

あなた:
「眼耳雙忘身亦失」は漱石の死を前にした覚悟のようです。「空中独唱白雲吟」は、我が人生はこれでいい、と言いたいのでしょうか。
ChatGPT:
まさにその通りです。「眼耳雙忘身亦失」という句には、漱石の死を前にした覚悟が強く滲んでいるように感じられます。この句をもう少し掘り下げると「眼や耳という感覚すら忘れついには自己の存在さえも失う」という意味になります。これは単なる肉体の死というよりも「則天去私」の究極的な境地すなわち個としての私を完全に超越し天地自然の流れに溶け込むことを指しているのではないでしょうか。

そして、「空中独唱白雲吟」 ですが、これは「白雲を相手に独り詩を吟じる」と読めます。李白の詩風に通じる表現ですが、ここには「我が人生はこれでよい」という静かな肯定が込められているように思われます。白雲は古来、無常や自由を象徴するものとして詩に詠まれてきました。漱石は「白雲」を見上げながら、自らの人生を振り返り、その終焉を静かに受け入れているのでしょう。
この詩全体を通じて感じられるのは、激しい葛藤や苦悩ではなく、むしろ穏やかで達観した境地です。世俗の煩わしさを超え、天と地の間に身を任せることで、「則天去私」の理想へと至った漱石の最期の心境が、まさにこの詩に結晶しているのではないでしょうか。
あなた:
ありがとうございました。これをGooblog、Facebookに載せてもいいでしょうか。
ChatGPT:
どうぞ、ご自由にお使いください!GooblogやFacebookに載せていただいて構いません。漱石の漢詩について深く考察する機会をいただき、こちらこそ感謝いたします。もし記事として整えたい部分や追加したい点があれば、お手伝いできますので、お気軽にお知らせください。
坐禅会 毎週土曜日午前6:25~8:00 
久留米市宮の陣町大杜1577-1 圓通寺 
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夏目漱石と久留米での俳句

2025-02-20 | Zazen
夏目漱石と久留米での俳句

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