臨済宗南禅寺派圓通寺

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インダス文明は仏教の下地 The Indus civilization

2019-04-26 | zen lecture

 

現在、パキスタン南部にあるモヘンジョダロ(BC2500~1800)や同北東部にあるハラッパー(BC3300~1700)の遺跡は世界四大文明としてよく知られています。この二つの遺跡を建設した民族はドラビダ人で、現在インドやスリランカに住む人々の先祖です。この都市国家は旱魃によって滅びました。

この遺跡の大きな特徴は、戦争に関する施設や、神殿、宮殿がないということです。これは紀元前1500年ごろアーリア人が移住してくる前の文明です。そのころは戦争がなかった。神殿が無いということは、自然の山々や風を神としていたのではないか、つまり多神教だったのではないか。宮殿がないということは共和制だったのではないかと考えられます。

この都市国家はたいへん進んだ文明を持っていて、タイルを焼き、これで壁や道路を造り、遠くから水を引き、水洗トイレもありました。その様な文明があって、そこへアーリア人の侵入があって、時を経てアーリア人たちにもその文化が影響したのではないかと言われています。

ブッダが生まれた国は北部インドアーリア系国です。緑豊かな国に生まれた彼は多神教の中で育ち、共和制の中で教えられ、平和を求める人に育ち、道を求めて出家し、そして悟りを開いたのでした。ブッダは突然、悟りを開いたのではなく、先に述べたようにインド文化が彼を悟りへ導いたのです。ブッダも「自分より前に7人の仏陀がいた」と言っています。

後の時代、インドで仏教は独立した宗教として残りませんでした。しかしこの地スリランカでは2500年の永い灯を保っているのはインダス文明を生んだ末裔の人々の努力と言えるでしょう。自然を愛し、平等を愛し、人々を慈しむスリランカの伝統は、遠く離れた東洋の島国、日本の文化と共通します。

The Indus civilization

Nowadays, it is well known that Mohenjo-Daro in the Southern Pakistan and Harappa in the Northeast Pakistan were two of the great four advanced civilizations in the world. The founder of historic sites were Dravidian. They were the ancestor of people living in Sri Lanka and India. These historic civilizations were annihilated by a drought.

 The prime feature of this civilization is that the war-related facilities, temples, even a palace haven’t found in the remain. This civilizations is regarded to have been established around in 1500 B.C before the Aryan migration. There was no war at the period. The reason there was no temple there is supposed to have worshiped the mountain or wind as gods. Therefore they are supposed to have believed the polytheism. We can understand the reason there is no palace is that the republican government supposed to have reigned the country at that time.

 The city-states had an advanced civilization as follows; burnt ceramic tile, constructed a wall and a road by tiles as well as an irrigation canal from far place, even had a flush toilet. They had the civilization like that. After that the Aryan migrated here. As the years passed, it is said that the Aryan were maybe affected by this civilization.

 The Buddha’s birth-country was one of the Aryan countries in the northern India. He was born in rich natural environment and grew up in polytheism. Then he studied in the republican government and became a person who looked for peace. After that he become a monk asking the way of humanity, then finally got enlightenment. Buddha didn’t get enlightenment suddenly. As I said previously Indian culture guided him to the enlightenment. Buddha said there were seven Buddhas before me.

After that period, Buddhism could not remain as an independent religion in India. However we could say that the reason that Dharma lighting has kept long for 2500 years in Sri Lanka is through the effort of the descendant who brought the Indus civilization. The Sri Lankan tradition as loving nature and impartiality, giving mercy for each people, are common to the culture of Japan, a faraway island country in Oriental.  

 

●坐禅会 毎週土曜日午前6:25~8:00 

久留米市宮の陣町大杜1577-1圓通寺 

初心者歓迎 参加費無料 詳細は電話でお問い合わせください。℡0942-34-0350

初回参加のみ千円。二回目以降つづけていただければ無料です。

●学校やクラブなど団体研修 坐禅申し込み随時うけたまわります。出張も致します。

費用はご希望に応じます。宿泊はありません

都合により6月8日(土)の坐禅会はお休みします。

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アベイサンダラ夫妻を観世音寺へご案内して

2019-04-20 | zen lecture

 吉富

この寺は天台宗に属していて、創建以来約1300年の歴史があります。スリランカの仏教は2500年の歴史ですので、それから比べると新しいですが、この寺は日本で最も古いお寺の一つで、天智天皇の創建です。建物は16世紀の再建です。仏像はどれも5メートルもあり、平安時代、鎌倉時代の作で、国の重要文化財に指定されています。どれも一本の木でできています。スリランカの上座部仏教では仏像は釈迦如来だけですが、大乗仏教にはたくさんの仏像があります。その理由は、人にはいろいろな立場があり、職業があり、お国柄があり、それぞれ違った考えをもっています。その立場に応じてブッダの説法があるということです。観世音菩薩は大乗仏教ではブッダの慈悲を表しています。ブッダは「たとえば母親が命をかけて我が乳呑児をまもるように、周囲の人々にも愛情をそそぎなさい」(スッタニパータ)と言われました。その姿が観世音菩薩です。日本人は仏陀の教え、慈悲を母親の愛情に重ねて理解しようとます。それで日本の仏像はお母さんの顔に似ているといわれます。外国の仏像と比べると、そのことがよくわかります。ブッダの愛情は場合によって厳しいこともあります。それが隣の馬頭観音で、怖い顔をした仏像です。こちらは阿弥陀如来です。インドで1世紀ごろに起きた「阿弥陀信仰」を説く仏像です。周りの4体は仏教を護る神さまたちで、いきいきとしています。仏像の頭を見てください。髪の毛が二段になっています。体全体が流れるような衣の模様になっていて、ふくよかな女性のように丸みをおびています。これをグプタ様式と呼びます。4世紀から6世紀インドのグプタ時代にできた仏像様式です。それが中国へ伝わり、朝鮮から日本に伝わりました。日本の仏像はほとんどこの様式です。ガンダーラ様式はギリシャ風です。創建当時の屋根瓦を展示してあります。インドの「カパーラ」が日本語の「瓦」になりました。スリランカのシンハラ語でゴミのことを「ガラクタ」と言いますね。日本語でも役に立たない物を「ガラクタ」といいます。シンハラ語と日本語は全く違う言語ですが仏教用語はほとんど同じです。たとえば、菩提=ビディー、達磨=ダーマ、般若=パンニャ、舎利=スリー、雛(小さい)=ヒナ、などです。探せばまだたくさんあるでしょう。

●坐禅会 毎週土曜日午前6:25~8:00 

久留米市宮の陣町大杜1577-1圓通寺 

初心者歓迎 参加費無料 詳細は電話でお問い合わせください。℡0942-34-0350

初回参加のみ千円。二回目以降つづけていただければ無料です。

●学校やクラブなど団体研修 坐禅申し込み随時うけたまわります。出張も致します。

費用はご希望に応じます。宿泊はありません。

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スリランカ・仏歯寺参詣

2019-04-02 | zen lecture

2016年6月、スリランカ、キャンディー市の仏歯寺を訪れた。折しもこのときはポソンポヤデー、スリランカ国をあげてのお祭りの日であった。それは、ブッダ誕生、悟り、涅槃を祝う三日間である。スリランカでは国民の70パーセントが仏教徒であるが、その信仰心の篤いことに日本人は驚く。お寺に向かう道はどこもラッシュ状態だ。彼らは耕耘機の荷台にお年寄りや子供たちをのせて夜を徹して走る。私たちはやっとの思いで仏歯寺に着いた。

人ごみの中に押されて、仏歯を祀るお厨子の前にたどり着いた。仏殿に参拝し、その奥の部屋に17世紀に鉄筆で葦の皮に書かれた経典が書棚に積んである。それは手垢で黒ずんでいる。説明書を見ると『スッタニパータ』とあった。これには驚いた。有名なスリランカに伝えられた最も古い仏教経典の一つである。古くは師匠から弟子たちへと暗唱で伝えられ、17世紀に書き留められたのだそうだ。その一部には、仏陀が住んでおられたマガタ国の言葉も含まれているとう。 

仏道を修めるとは禅の終着点であり。慈悲に目覚めるとは、宗教を超えた人類の目標である。スリランカでは結婚式に僧侶たちを招き、皆でこの経の「慈しみ」の章を唱える。日本でも仏式結婚式でこれを唱えればよろこばれるのではないだろうか。若者が「仏道を修す」ことにつながると信じる。おのれの人格の学びを他所にして仏道はない。

 

●坐禅会 毎週土曜日午前6:25~8:00 ◯3月16日(土)の坐禅会はお休みします。

久留米市宮の陣町大杜1577-1圓通寺 

初心者歓迎 参加費無料 詳細は電話でお問い合わせください。℡0942-34-0350

初回参加のみ千円。二回目以降つづけていただければ無料です。

●学校やクラブなど団体研修 坐禅申し込み随時うけたまわります。出張も致します。

費用はご希望に応じます。宿泊はありません。出張講座もいたします。

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