臨済宗南禅寺派圓通寺

Zazen 法話のページ

主人公

2022-09-30 | 

〇 ドラマの主人公、中心人物の主人公ではない。禅では自分の中のもう一人の自分をみつけなさいという意味。

〇 『無門関』の瑞巖寺彦和尚の逸話
瑞巖の彦和尚は毎日、自分に向かって「主人公」とよび、またみずから「はい」といっていた。さらに「目をさましているか」、「はい」。「人にだまされるなよ」、「はい」と自問自答していた。瑞巖和尚はこれ以外に説法はしなかった。

〇 モスクワ大学空手道場での女子大生の質問

〇 もう一人の自分は苦難に遭ったときに出てくる。悩みの無いときには出てこない。これに気がつけば悪いことはできない。先生は自分の中にいます。
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Buddha and merchants

2022-09-30 | Buddhism
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看 脚 下

2022-09-26 | 

 看脚下 『碧巌集』二十二則
〇照顧脚下と同じ。自分を省みるということ。
  • 具体的には履物をそろえ、お掃除をすること。またそれらを通して自分を振り返ること。
  • 坐禅会の後、みなさんで掃除をする。箒を持つと日ごろ掃除をしているかどうかが分かる。
  • 椅子や机、座布団などをのけて掃く一手間が大切。
〇家に入って履物を脱ぐのは日本だけなのか?
  • 警察官が犯人を逮捕するときは靴を脱がせるのでドイツでは「靴を脱ぎなさい」は失礼になる

〇香夢室老師の入院

〇禅の修行は履物をそろえることからはじまり、履物をそろえて終わる
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一期一会

2022-09-22 | 

◯茶席のことばの中で「和敬清寂」と共に有名なことばの一つ。中国の禅語ではないが、それに匹敵する。一期は一生の間 一会は一度の出会い

〇法事も茶席と同じ。
  • 以外に気がつかない香炉の掃除。茶席でも釜灰の支度には手間かかる。
  • 履物の脱ぎ方、そろえ方。真中は次のお客さんのために空ける。
  • 子供さんやお孫さんに、お辞儀の仕方、挨拶などの家庭教育の絶好の機会
  • 座布団には前後ろがある。以外に気がつかない。
  • お茶の出し方。お茶碗に茶は多すぎないように。出すタイミング、茶碗をひくタイミングが難しい
〇一期一会はすべてのお付き合いについて心得るべき。人生は出会いで決まるといって差し支えない。
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天上天下唯我独尊

2022-09-19 | 

〇仏初めて生下す。大地の光明を放ち右手を挙げて曰く天上天下唯我独尊と。
 『瑞応経』

〇この言葉は「おれはこの世でいちばん偉い」の利己的な言葉だと誤解されることがある。それは真逆である。
一神教の影響を受けて大乗仏教初期にブッダは神格化されたが、その後の大乗仏教と禅の発展によりこの詩句は人間性の尊厳へのスローガンとなった。

〇過去七仏のヴィバッシン仏(ビバシ仏)の逸話がブッダの逸話に転用された。現代の仏教家は、この詩句は人間性の尊厳を言い表したものだと解する。
 『仏教語大辞典』中村元

〇博多崇福寺ご開山大応国師はこの詩句について「人々のために力をつくす」と言っておられる。すなわち利他の施しである。

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一日不作一日不食 出典『五灯会元』三

2022-09-15 | Zazen

〇 「一日なさざれば、一日食らわず」
百丈懐海禅師(?~814)の言葉。仏作仏行」九十五歳で天寿をまっとうされた。禅堂規則『百丈清規』の作者

八〇を過ぎても作務を怠らなかった。弟子たちが掃除道具や鎌などをかくしたら三日間食事をとらなかった。
弟子が「どうして食事をとられないのですか」と尋ねると
「一日なさざれば、一日食らわず」と

〇 これは他人を強制するのではない。百丈禅師は、その日働いていなかったので、このように自らを戒めた。禅師の徳により、禅の修行では毎日の労働を重んじるようになったといわれる。
「働かざる者は食べるべからず」は強制的である。
「一日なさざれば一日食らわず」自主的意思と謙虚な姿勢が仏行である。

〇 百丈禅師以降、作務は禅堂修行につながった。海外の日本庭園500カ所
  大徳寺で観光客「誰もいないのにいつ掃除をしてあるのですか」
  加藤造園に米国から庭師の研修に毎年来られている
  庭園は住んでいる人の毎日の努力で維持される。日常の作務が大切である。
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施餓鬼の経典『甘露門』

2022-09-12 | 

◯甘露(サンスクリット語amrta・パーリ語amata)
・ 「死なない」の意味、仏教以前は不老不死の薬ソーマ。
・ 転じて仏教ではブッダの教えの意味、最大の境地=涅槃・ニルバーナ
・ 禅ではすぐれた師家、又その指導方法 

 ◯施餓鬼とは
・ 三界萬霊の供養 供養にあずかれないあらゆる命に感謝。だから仏殿の外に向かってお参りする。
・ 聖徳太子時代に施餓鬼の功徳は知られていた(伊藤古鑑)。真言宗、天台宗、浄土宗でも行われる。
・ 江戸期初頭17世紀以降、禅宗で盛んになる。黄檗宗の影響か?

 ◯施餓鬼供養
・ 道場では施餓鬼は食事の度に行うもの
・ 大箴和尚のことば「足利紫山(0859~1959)老師の施餓鬼供養」
・ 極楽に行けたものに限らず、極楽に行けなかったものへの供養。おそらくは仏教以外にはない。 

〇「針供養」は日本文化、
・ 豆腐に古くなった針をたてて供養「今まで堅いものに刺してごめんなさい」と。
・ 各地の鳥供養や鯉供養、北海道には熊供養もある
・ 人類の犠牲になった生き物への感謝。お祀りされない人たちへの供養。これが最大の功徳。
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縫い目のない墓を建てる

2022-09-08 | 

◯お墓を買った、は間違い。墓所には法律上の所有権はない。寺院と檀信徒との行き違いの原因はこれが多い。
「墓所、寺院は欲を離れる修行の場」で寺院(霊園)は寄付をしてもらって方に祭礼権を貸し与える。だからやめるときに返金は無い。

◯僧侶の墓を「無縫塔」と呼ぶ。卵型なので「卵塔」とも呼ぶ。埋葬されている僧侶の名前のないこともある。なぜか。執着を離れることが仏道の目的であるためである。

◯「国師塔様」『従容録』第85則
粛宗帝(711~762・ 唐8世紀)が慧忠国師に問うた。
「百年の後。もとめるところは何か」
国師はいった。
「老僧のために縫い目のない塔(墓)をつくって欲しい」
皇帝がいった。
「どのような塔でしょうか」
国師は少し(黙って)間をおいてからいった。
「分かりましたか」
皇帝はいった。
「分かりません」
国師はいった。
「私の弟子に耽源(ちょうげん)というものがいて、このことをよく理解している」と。
後に帝が耽源を召して尋ねた。
「この意味はどういうことか」と。
耽源は云った・
「相の南、譚の北には黄金があり一国に満ちている。影のない樹下の合同舟。宝の殿閣に道理はない」。
(妄想分別の雲が晴れた世は捉われがなく素晴らしい。一つになったこの心境は理屈ではない、こだわりがなく、すがすがしい)

〇最近「こだわる」を良いこととして使っている。「材料にこだわって作りました」というように。 本当は「こだわる」とは執着心のことで悪い意味。こだわりを離れることが仏道の目的である。
「無縫塔を建てる」ことは「執着を離れる修行」の意味。それは合掌礼拝で解決する。合掌の功徳は大きい。
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仏壇開眼

2022-09-05 | 

〇大事なことは祀る側が慈悲の眼を開くことで、信仰の決心をすることである。

〇本来は「授戒会」に参加しての仏教徒だがその機会は少ないので、葬儀や仏壇開眼式をその機会とする

〇開眼法語
令日清空に廸を啓く晨(とき)、
和光快豁としてえ心新たに刻むべし。
南無玉座蓮華仏、
礼順の帰依は法身を護る。

〇あえて言えば仏壇は仏間に置くのだけれど、清空いっぱいが仏壇であり、我が心身が仏壇である。
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私の好きな論語の言葉 6 子曰仁遠乎哉、我欲仁斯仁至矣

2022-09-02 | 東洋思想

◯「仁」について
  • 樊遅仁を問う、子曰く、人を愛す。「願淵第十二」=やさしく答えた
  • 願淵仁を問う。子曰く、己に克ちて礼を復むを仁と為す。「願淵第十二」=きびしく答えた。
◯「仁」、「慈悲」、「愛」

◯『白隠禅師坐禅和讃』より「衆生本来仏なり、水と氷の如くにて水を離れて氷なく、衆生の外に仏なし。衆生近きを知らずして、遠く求むるはかなさよ」

◯江戸時代の儒者は坐禅をし、禅僧は儒教を学び寺子屋で『論語』の素読を子どもたちに教えた。このことが明治以降日本人の識字文化を高め、大戦後、戦後復興の支えとなった。「仁」と「慈悲」は社会への実行である。

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