臨済宗南禅寺派圓通寺

Zazen 法話のページ

About Zazen ・坐禅について

2020-07-10 | Zazen

*About Zazen

It seems to be some misunderstanding about Zazen.

If I mention to conclude about Zazen, it is not only to meditate on the cushion but also every daily living to be so.

Cleaning rooms and gardens, cooking at dining, serving a cup of tea to a visitor, we have to be one with things in a similar way to meditation time as well.

 

I made a visit to my follower’s home and was served a cup of tea at Bon several years ago.

I said like that because had to hurry up.

‘No thanks it because I am hurrying.’

 

Then my follower responded.

‘Osho-san, please drive a car after drinking a cup of tea. You will have a car accident in hasty driving.’

I was startled. It is true. If I hasty do, I will suffer for it in the end. It is important matter.

To serve a cup of tea is as well as practicing Zazen.

 

My master said, I can recognize how practiced Zazen of a monk by means of his walking or working sound.

If it will be that reason, we cannot omit for all job.

It is not well-known that we have detail manners how to take a bath and how to wash his back of visitor in a Zen hall.

It is not so difficult as the tea ceremony manners. However, it is detail and kindly methods.

 

◯坐禅について

 坐禅についていくつか誤解があるようです。

結論を先に申し上げますなら「座布団の上での坐禅のときばかりが坐禅ではなく、日常生活のすべてが坐禅である」ということです。

掃除をする、調理をする、お客さんにお茶をだす、すべて坐禅のときと同じように「相手と、ひとつになる」という気持ちで取り組むのです。

 

ある年のお盆に信者さんのお宅でお茶を出されました。私は急いでいましたのでこのように申し上げました。

「お茶はけっこうですよ、先を急ぎますので」

 

すると信者さんはこのようにおっしゃいました。

「和尚さん、お茶一杯飲んでから車の運転をしなさい。あわてると事故をするよ」と。

私はハットしました。その通りです。あわてるとろくなことはないでしょう。

これは大切なことです。一杯のお茶の接待は坐禅と同じです。

 

私の師匠はこのように言っていました。

 「歩き方や足音で、この雲水さんはどのくらい修行しているか分かる」と。

そうなると、一日中気を抜くことができません。

一般にはあまり知られてないことですが、禅堂ではお風呂の入り方やお客さんの背中の流し方の作法があります。

お茶席のような作法とまではいきませんが、細やかで親切な作法です。

●坐禅会 毎週土曜日午前6:25~8:00 久留米市宮の陣町大杜1577-1圓通寺 

初心者歓迎 参加費無料 詳細は電話でお問い合わせください。0942-34-0350

初回参加者は6:15までに来てください

●学校やクラブなど団体研修 坐禅申し込み随時うけたまわります。出張も致します。

費用はご希望に応じます。宿泊はありません。出張講座もいたします

 

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布施

2020-07-01 | Zazen

◯布施・ 1

『法句経』の翻訳で有名な友松圓諦(1885~1973)の幼名は春太郎で、名古屋の米屋の次男として生まれました。

名古屋には臨済宗妙心寺派の徳源僧堂があり、雲水さんたちが托鉢で友松コメ店を度々訪れました。

春太郎のお婆さんは、いろんなことを春太郎に教えてくれました。

お婆さん

「雲水さんにお米を差し上げる時は、平等に差し上げるのですよ。

春太郎、お布施を差し上げる方ともらうほうではどちらが嬉しいと思うかい?」

春太郎

「それはもらうほうに決まっているよ」

お婆さん

「ちがうよ、お布施は差し上げる方がうれしいのよ」

この話をすると、春太郎の方が正しいと思う方が多いかもしれません。

そのようなお婆さんの気持ちは宗教心から出てくるのです。

たとえば赤ちゃんにお乳をあげるお母さんは嬉しいはずです。

孫にお小遣いをあげるおじいさんは嬉しいはずです。そのような無償の施しが布施です。

日本語の「旦那さん」は、ご主人のこと。「ダーナ」はインドのことばで施しの意味で、

英語の「ドネイション」は寄付の意味です。どれも語源は「ダーナ」です。

お返しできない人に差し上げるのが「ダーナ」で、お返しを求めるのは「ダーナ」ではありません。

『心地観経』に三輪清浄の教えがあります。他人に対する奉仕の心構えを説いています。

奉仕する側と、それを受ける側と、奉仕の手段の物は、それぞれ清らかでなければならないという教えです。

布施・2

布施はお金や品物だけではありません。『雑法蔵経』に、お金がいらない布施、「無財の七施」が説かれています。

笑顔、まなざし、言葉、思いやり、坐るところ、宿の提供、身施(礼儀)、のことです。ここでは身施について考えてみます。

『雑法蔵経』には「師長を起(おこ)ち迎えて礼拝す・・・・」とあります。師長とは目上の人や僧侶です。

目上の人はそこ立っていて、その人の足元にひざまずいて合掌するという意味です。

これはスリランカで現在も行われている伝統的な礼法で、これが「身の布施」です。

身施を「ボランティアのこと」と説かれている資料もありますが、原典はこのようになっています。

当時の一般市民はお金をもっていないのが普通でしたでしょう。それでこのような教えが広まったのだと考えられます。

 

●坐禅会 毎週土曜日午前6:25~8:00 久留米市宮の陣町大杜1577-1圓通寺 

初心者歓迎 参加費無料 詳細は電話でお問い合わせください。0942-34-0350

初回参加者は6:15までに来てください。

●学校やクラブなど団体研修 坐禅申し込み随時うけたまわります。出張も致します。

費用はご希望に応じます。宿泊はありません。出張講座もいたします。

 

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