臨済宗南禅寺派圓通寺

Zazen 法話のページ

仲家仏壇開眼

2024-05-26 | 坐禅研修
(仄起式 上平一東韻)
仲呂微風一路通
清和萬緑半空中
南無誓願慈悲佛
祀祖開壇報謝功



解説:仲呂=清和=四月

坐禅会 毎週土曜日午前6:25~8:00 
久留米市宮の陣町大杜1577-1 圓通寺 
初心者歓迎 参加費無料 詳細は電話でお問い合わせください。
℡0942-34-0350
初回参加のみ千円。二回目以降つづけていただければ無料です。
●学校やクラブなど団体研修 坐禅申し込み随時うけたまわります。
出張も致します。費用はご希望に応じます。宿泊はありません。
 
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神代家仏壇開眼

2024-05-13 | 坐禅研修

坐禅会 毎週土曜日午前6:25~8:00 
久留米市宮の陣町大杜1577-1 圓通寺 
初心者歓迎 参加費無料 詳細は電話でお問い合わせください。
℡0942-34-0350
初回参加のみ千円。二回目以降つづけていただければ無料です。
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インドの昔話 1

2024-01-16 | 坐禅研修
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昔、ある王様がゾウを前にして7人の小人にたずねました。
「ゾウはどんなすがたですか?」
ゾウのお腹をさわった小人が答えました。
「ゾウは壁です」
ゾウのシッポをさわった小人は言いました。
「ゾウは箒です」
ゾウの耳をさわった小人は答えました。
「ゾウはゴミ取りです」
ゾウの頭にのぼった小人は言いました。
「ゾウは岩です」
ゾウの後ろ足をさわった小人は答えました」
「ゾウは臼です」
ゾウの牙をさわった小人はいいました。
「ゾウはシャフト(長い棒)です」
ゾウの鼻をさわった小人は答えました。
「ぞうは長いものです」

この話は『華厳経』その他の経典に出てくるたとえ話です。これは何を伝えたいのでしょうか。物事を正しく見るには一点だけをとらえて判断してはいけないということです。それは人間でも同じです。たとえば小学校で「担任の先生はきびしい」と思うことがあるでしょう。本当はやさしい気持ちがあって、生徒に厳しいのです。お父さんやお母さんも同じです。
ではどうすれば物事を正しく見ることができるでしょうか。仏教には坐禅、念仏など体験を通して「正しく見る」ことを学ぶ方法があります。それにはまず合掌です。もとはインドの習慣だと思われます。おそらくはブッダ以前からあると思われます。合掌をして嘘はつけません。そのように合掌には不思議な力があります。
念仏は英語で「インボケイション・アミダブツ」といいます。「阿弥陀仏の呼び出し」という意味です。自分の中の阿弥陀仏を呼び出すのだから、悪いことはできません。物事を正しく理解するには「合掌」をする必要があります。「ありがとうございます」、「おせわになりました」という感謝のことばも「合掌」すると自然にでてきます。



坐禅会 毎週土曜日午前6:25~8:00 
久留米市宮の陣町大杜1577-1 圓通寺 
初心者歓迎 参加費無料 詳細は電話でお問い合わせください。
℡0942-34-0350
初回参加のみ千円。二回目以降つづけていただければ無料です。
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ラジオ深夜便 米長邦雄インタビューその2

2023-07-31 | 坐禅研修
ラジオ深夜便 米長邦雄インタビューその2
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God(s) and Buddha

2023-05-16 | 坐禅研修

When a foreign tourist in Kyoto asked, "What is the difference between kami (gods) and buddha?" I answered, "Kami are external entities, while Buddha resides within oneself." He said, "I'm surprised." My answer was unexpected.

Buddhism originated within the polytheistic culture of India and was influenced by the polytheistic traditions of China and Japan, developing within those contexts. Therefore, Buddhism does not negate gods, and Shinto shrines can be found within Japanese temples. Japanese Buddhism has coexisted with Shinto.

Buddhist temples and pagoda gates in Sri Lanka resemble Japanese Shinto torii gates. In Japan, torii gates have two horizontal bars, while in Sri Lanka, they have three. Interestingly, torii gates were originally gates of Buddhism, but at some point, they became gates of Shinto shrines.

Gods and Buddhas should coexist. It is said that Buddhism in India had its foundation in worshipping deities before the time of Buddha. Japanese Shinto also has various lineages, but shrines such as Tenmangu are based on the worship of deities.

翻訳: OpenAI ChatGPT

坐禅会 毎週土曜日午前6:25~8:00 
久留米市宮の陣町大杜1577-1 圓通寺 
初心者歓迎 参加費無料 詳細は電話でお問い合わせください。
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初回参加のみ千円。二回目以降つづけていただければ無料です。
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ブッダと商人

2023-04-09 | 坐禅研修
スダッタ長者
インドにおいてブッダ在世の時代に商業は大発展をしました。鉄器文化の流入(BC7Cごろ)発展により耕地が広がり、穀物の収穫量はそれ以前より20倍から30倍になったとされています。人口が増え、それまでの村は町、都会へと発展しました。大きな船をつくり、遠くの国と商業取引ができるようになりました。『遊行経』にバッシャリという都市の名前が何度も出てきます。「これはバビロンではないか」と友松圓諦先生は述べておられます。(浅草寺仏教文化講座1966)
そのような中、スダッタ長者が竹林精舎でブッダの説法を聞きました。スダッタ長者は、今で言えば金融資本家です。紀元前5世紀、インドにおいて金融資本家がいたとは驚きです。スダッタはブッダの説法に深く感激して「ブッダと弟子1200人を養える僧院をたてる」といって王子さまにかけ合い、森林公園を寄付してもらって広大な僧院をたてました。これが祇園精舎です。そのようにブッダは商人に支えられて発展しました。
 現在、日本の寺院で法要に際し、儀式を行う中心的な僧侶を「導師」と呼びます。導師はインドのことばで「サッタバーハ」で商業用語です。砂漠を行くキャラバンの先頭を行くリーダー役をサッタバーハと呼びました。そのように「仏教は商人と結びついて発達した」(オルテンベルヒ19C 独)といわれるところです。
.
 定価販売
 今日では定価販売は当たり前のように思われています。ところがブッダの時代は物の値段は定価ではなかったのです。たとえば市場に貴族の使いが来て「私のご主人さまはあなたの家の地主だから安くしなさい」といったらそうせざるを得なかったでしょう。当時はカーストで品物の値段は変わったのでした。それでは商売はできません。ブッダの教団では「平等」を説きましたので、仏教徒は品物の値段は身分によらず平等でした。これで多くの商人たちはブッダの信者になったのです。当時のインドにおいてブッダの教えは経済発展の礎になったのでした。ブッダの弟子は1,200人いたと先に述べました。次の世代になると弟子はその20倍ほどになりました。『弟子品』という経典に、ブッダの直弟子たちには何人の弟子がそれぞれ800人や1000人とあります。ということはその僧侶たちを支える経済的に豊かな商人たちがあったことになります。ブッダの在家信者の中には経済的に大成功をする人がありました。ある信者は大きな船を二艘もっていて、外国と貿易をしていました。あるとき水害で多くの人々が被災しました。その信者は自分の船を売って被災者たちに救援物資にあてました。ブッダは「あなたは商売ができなくなるだろう」といわれましたが、その信者は「船はまた造れる」とこたえたと伝えられています。

坐禅会 毎週土曜日午前6:25~8:00 
久留米市宮の陣町大杜1577-1 圓通寺 
初心者歓迎 参加費無料 詳細は電話でお問い合わせください。
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日本文化における仏教の影響

2022-07-08 | 坐禅研修
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ハンドルとブレーキ

2022-07-07 | 坐禅研修
ハンドルとブレーキ
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白隠禅師「坐禅和讃」その7

2022-06-07 | 坐禅研修
白隠禅師「坐禅和讃」その7
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白隠禅師「坐禅和讃」その6

2022-06-05 | 坐禅研修
白隠禅師「坐禅和讃」その6
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白隠禅師「坐禅和讃」その5

2022-05-29 | 坐禅研修
白隠禅師「坐禅和讃」その5


坐禅会 毎週土曜日午前6:25~8:00
久留米市宮の陣町大杜1577-1圓通寺 
初心者歓迎 参加費無料 
詳細は電話でお問い合わせください。0942-34-0350
初回参加者は6:15までに来てください。
●学校やクラブなど団体研修 坐禅申し込み随時うけたまわります。
出張も致します。費用はご希望に応じます。宿泊はありません。
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The Seed

2022-02-28 | 坐禅研修

In Buddhism, a seed is not only a plant seed but also a human action or thought. This is a distinctive feature of Buddhism. Good thoughts bring us good actions, good results, and even a good society. Rohan Koda (1867-1947), an essayist in the period of Meiji, Taisho, Showa in Japan, said.

People must decide to carry out as follows; Do what you should do, don‘t do what you shouldn’t do. Think what you should think and don‘t think what you shouldn’t think.
“The Theory of Effort” by Rohan Koda, Iwanami Bunko

Rohan said that our happiness, unlike that of other animals, is the result of good fortune planted by many people in the past. Needless to say, we are born from our parents. The Buddhist world teaches us that people are born from their parents with the Buddha’s heart. 

* タ ネ 
タネは植物の種だけではありません。仏教では人間の行いや思いもタネです。これは仏教の特徴です。善い思いは私たちの善い行動と善い結果をもたらし、ひいては善い社会をもたらします。明治大正昭和時代の随筆家、幸田露伴(1867~1947)は次のように述べています。

何でも為すべきことを為し、為すべからざることを為さぬ、思うべきことを思い、思うべからざることを思わぬと決意断行する。『努力論』岩波文庫183p.

露伴は、私たちの幸せは他の動物とは違って、多くの人々が過去に多くの福を植えてくれた結果なのであると述べています。いうまでもなく人は両親から生まれてきます。人は仏心をもって両親から生まれてくるのが仏の世界です。
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努力について 4 幸田露伴 『努力論』より

2022-01-25 | 坐禅研修
About Effort -Excerpts from Rohan Koda’s Doryoku-ron the Theory of Effort

23)何でも為すべきことを為し、為すべからざることを為さぬ。思うべきことを思い、思うべからざることを思わぬと決意実行する。
People must decide to carry out as follows; Do what you should do, don’t do what you shouldn't do. 
Think what you should think and don’t think what you shouldn’t think.

24)人もまた張る気で事を做(な)し務を執るのと、弛(ゆる)んだ気で事を做し務めを執るのとでは大いなる差異をその結果に生じる。
There is a huge difference between working with a focused mind and working with a loose mind.

25)美にして正しき情けの感情は張る気を生ぜしむる場合が多い
Beautiful and right thoughts can focus and accomplish things.

26)張る気は人の学才思慮を拡大する。
Concentration expands a person's ability to learn and think.

27)分福の工夫を能くするに至って人いよいよ尚ぶべし。
Those who are willing to share good fortune will be honored even more.

28)新に林檎の種を播きてこれを成木せしめんとするのも植福である。----一株の林檎の樹という勿れ、一株の樹も数顆数十顆乃至数百顆の実を結ぶ。
Planting an apple seed and cultivating it is planting good fortune. Don't think of it as just one apple tree. It produces several, dozens, hundreds of fruits.

29)能く福を植うるに至って、人真に敬愛すべき人たり。
Those who are willing to plant good fortune will be truly respected.

30)一株の樹を培養成長せしむるということは、瑣事には違いないが、自己に取りても他人に取りても幸福利益の源頭(みなもと)となる
Cultivating a single tree may be a trivial thing, however it is a source of happiness for you and for others.

31)植福の精神や作業によって世界は何程進歩するか知れず、また何程幸福となるか知れないのである。
The spirit and work of planting good fortune will bring great progress to the world. It will also bring great happiness.

あとがき
十数年前、ある信者さんが「幸田露伴の『努力論』は私の愛読書です。読んだことありますか」といわれました。本山の布教研修会で講師先生が「この本を読みなさい」といわれましたが、その後その努力もせずにいました。
信者さんにそのように言われてインターネットの古本ショップで探しましたら文庫本の初版本があって早速購入しました。読んでみると文語調で難しいので、なかなか読み進めませんでした。初版本は貴重なので、もう一冊新刊を買って、それに鉛筆で書き入れながら愛読書にしています。
この本から参考になる言葉をとって山門前の掲示伝道に引用しようとこころみ、更にこのような「壁掛」にしました。ご存知のとおり露伴は第一回文化勲章を受章した明治大正昭和期の小説家、随筆家です。
その思想背景は東洋思想全般で、仏典、老荘思想、東洋史など深い教養に裏付けられています。『努力論』の主題は分福(福を分かち合う)、借福(幸福を取りつくしてしまわない)、植福(福の種を植えよ)です。とくに植福はたいせつです。リンゴを食べたらその種を播きましょうといった人は露伴だけでしょう。露伴の言葉は、現代の私たちに響くと思って編集しました。ご鞭撻いただけましたら幸いに存じます。
2022年1月  編集吉富宜健 合掌

Postscript
One of my followers said to me more than ten years ago.
“Rohan Koda's 'Theory of Effort' is my favorite book. Have you ever read it?”
At a missionary training seminar at Myoshin-ji temple, the instructor told me to read this book, but I had not made any effort to do so.
Then I searched for this book in a used book store on the internet and found the first edition of the paperback book, which I immediately bought. When I tried to read it, I found it difficult to interpret because of its difficult literary style. Since first editions are precious, I bought another new book and have read it while writing some with a pencil.
I decided to take some words from this book and quote them on the bulletin board in front of the temple gate, and made it into this wall hanging. As you know, Rohan was a novelist and essayist of the period of Meiji, Taisho, and Showa who was awarded the first Order of Cultural Merit.
The background of his thought is based on his deep knowledge of Oriental philosophy in general, including Buddhist sutra, Lao Zhuang Philosophy; Taoism and Oriental history. The main themes of "The Theory of Effort" are "sharing good fortune", "borrowing good fortune", and "planting good fortune". Particularly, planting is very important. Rohan is probably the only person who said, "When you eat an apple, sow its seeds". I edited this book because I believe that Rohan's words will empower us today. I hope you will give me your encouragement.

Edited and translated by Giken Yoshitomi, with a deep bow  January 2022

坐禅会 毎週土曜日午前6:25~8:00
久留米市宮の陣町大杜1577-1圓通寺 
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初回参加者は6:15までに来てください。
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出張も致します。

費用はご希望に応じます。宿泊はありません。

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焼 き 芋

2022-01-08 | 坐禅研修
戦前、東京の下町には一町内に一件の焼芋屋があって、夏にはそれが氷屋にかわったのだそうだ。江戸時代には焼芋屋の看板に「八里半」とあって「栗に近い」という意味だという。「くりよりうまい」という当て字で「九里四里うまい十三里」と書いた看板もあったのだそうだ。(『日本大歳時記』講談社)いずれにしても少年のころの焼き芋の思い出は良い思い出である。

甘藷(いも)焼けてゐる藁の日美しく 高浜虚子(1874~1959)

「おじちゃん、今年は焼き芋しないの」と次男のお友だちが言うので、境内の隅で「焼き芋」をした。7人ほど集まってくれた。焚き火をするのに皆、大騒ぎである。住宅地では焚き火はできないので珍しいのだろう。アルミ箔にサツマイモを包んで焚き火で焼けた落ち葉の中に入れると20分もすれば焼き芋ができる。ムラサキ芋をその中にまぜておく。これは当たりくじのようなもので、これが当たると「あ、むらさきや!」とおどろく声がする。皆、焼き芋をたくさんほおばって満足してくれたようだった。

「おじちゃん、母ちゃんと妹におみやげに焼き芋もっていっていいね」という子がいた。「いいよ」というとよろこんで帰っていった。やさしい子である。この子どもたちは私の焼き芋に何歳まで付き合ってくれるだろうか。受験生になったら来てくれないのだろう。

焼き芋は五感を満足させる。先に紹介した高浜虚子の句にあるように、焚き火は「眼」を楽しませる。ときには「パン。パン。パチパチ」という焚き火の音も「耳」に心地よい。子どもたちのはしゃぐ声が、また楽しい。焼き芋の焦げたにおいは「鼻」を満足させる。人は12歳のころ食べたものを一生食べるのだそうだ。少年のころの「舌」の思い出は一生涯つづく。もちろん焼き芋は「身」に良い。人の遺伝子に組み込まれた味なのかも知れない。

坐禅会 毎週土曜日午前6:25~8:00
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幸田露伴「般若心経第二義注」その5

2021-12-14 | 坐禅研修
幸田露伴「般若心経第二義注」その5
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