臨済宗南禅寺派圓通寺

Zazen 法話のページ

努力について 4 幸田露伴 『努力論』より

2022-01-25 | 坐禅研修
About Effort -Excerpts from Rohan Koda’s Doryoku-ron the Theory of Effort

23)何でも為すべきことを為し、為すべからざることを為さぬ。思うべきことを思い、思うべからざることを思わぬと決意実行する。
People must decide to carry out as follows; Do what you should do, don’t do what you shouldn't do. 
Think what you should think and don’t think what you shouldn’t think.

24)人もまた張る気で事を做(な)し務を執るのと、弛(ゆる)んだ気で事を做し務めを執るのとでは大いなる差異をその結果に生じる。
There is a huge difference between working with a focused mind and working with a loose mind.

25)美にして正しき情けの感情は張る気を生ぜしむる場合が多い
Beautiful and right thoughts can focus and accomplish things.

26)張る気は人の学才思慮を拡大する。
Concentration expands a person's ability to learn and think.

27)分福の工夫を能くするに至って人いよいよ尚ぶべし。
Those who are willing to share good fortune will be honored even more.

28)新に林檎の種を播きてこれを成木せしめんとするのも植福である。----一株の林檎の樹という勿れ、一株の樹も数顆数十顆乃至数百顆の実を結ぶ。
Planting an apple seed and cultivating it is planting good fortune. Don't think of it as just one apple tree. It produces several, dozens, hundreds of fruits.

29)能く福を植うるに至って、人真に敬愛すべき人たり。
Those who are willing to plant good fortune will be truly respected.

30)一株の樹を培養成長せしむるということは、瑣事には違いないが、自己に取りても他人に取りても幸福利益の源頭(みなもと)となる
Cultivating a single tree may be a trivial thing, however it is a source of happiness for you and for others.

31)植福の精神や作業によって世界は何程進歩するか知れず、また何程幸福となるか知れないのである。
The spirit and work of planting good fortune will bring great progress to the world. It will also bring great happiness.

あとがき
十数年前、ある信者さんが「幸田露伴の『努力論』は私の愛読書です。読んだことありますか」といわれました。本山の布教研修会で講師先生が「この本を読みなさい」といわれましたが、その後その努力もせずにいました。
信者さんにそのように言われてインターネットの古本ショップで探しましたら文庫本の初版本があって早速購入しました。読んでみると文語調で難しいので、なかなか読み進めませんでした。初版本は貴重なので、もう一冊新刊を買って、それに鉛筆で書き入れながら愛読書にしています。
この本から参考になる言葉をとって山門前の掲示伝道に引用しようとこころみ、更にこのような「壁掛」にしました。ご存知のとおり露伴は第一回文化勲章を受章した明治大正昭和期の小説家、随筆家です。
その思想背景は東洋思想全般で、仏典、老荘思想、東洋史など深い教養に裏付けられています。『努力論』の主題は分福(福を分かち合う)、借福(幸福を取りつくしてしまわない)、植福(福の種を植えよ)です。とくに植福はたいせつです。リンゴを食べたらその種を播きましょうといった人は露伴だけでしょう。露伴の言葉は、現代の私たちに響くと思って編集しました。ご鞭撻いただけましたら幸いに存じます。
2022年1月  編集吉富宜健 合掌

Postscript
One of my followers said to me more than ten years ago.
“Rohan Koda's 'Theory of Effort' is my favorite book. Have you ever read it?”
At a missionary training seminar at Myoshin-ji temple, the instructor told me to read this book, but I had not made any effort to do so.
Then I searched for this book in a used book store on the internet and found the first edition of the paperback book, which I immediately bought. When I tried to read it, I found it difficult to interpret because of its difficult literary style. Since first editions are precious, I bought another new book and have read it while writing some with a pencil.
I decided to take some words from this book and quote them on the bulletin board in front of the temple gate, and made it into this wall hanging. As you know, Rohan was a novelist and essayist of the period of Meiji, Taisho, and Showa who was awarded the first Order of Cultural Merit.
The background of his thought is based on his deep knowledge of Oriental philosophy in general, including Buddhist sutra, Lao Zhuang Philosophy; Taoism and Oriental history. The main themes of "The Theory of Effort" are "sharing good fortune", "borrowing good fortune", and "planting good fortune". Particularly, planting is very important. Rohan is probably the only person who said, "When you eat an apple, sow its seeds". I edited this book because I believe that Rohan's words will empower us today. I hope you will give me your encouragement.

Edited and translated by Giken Yoshitomi, with a deep bow  January 2022

坐禅会 毎週土曜日午前6:25~8:00
久留米市宮の陣町大杜1577-1圓通寺 
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努力について3 幸田露伴 『努力論』より

2022-01-18 | 研修
About Effort -Excerpts from Rohan Koda’s Doryoku-ron the Theory of Effort

14)儞、脚あり。儞、歩むべし。儞、手あり、儞、捉るべし。
You have legs, so you must walk. You have hands, so you should catch.

15)分福の工夫を疎かにして人の上に立つことは甚だ難い。
It is very difficult to stand above others without sharing the blessings.

16)努力は即ち生活の充実である。努力は即ち各人自己の発展である。努力は即ち生の意義である。
Effort is the fulfillment of life. Effort is the development of the individual. Effort is the meaning of life.

17)学問世界、事業世界のいずれに従うにしても深の一字を眼中に置かねばならぬ。
Regardless of whether you follow the field of study or the field of business, you must keep profundity in your mind.

18)人は心を存する。すべからく温なるべし。
People have a heart. Therefore, people should be warm.

19)人の心は一切を容れて余りあるものである
Even if the human heart receives it all, there is still room for more.

20)春来り風和らげば人もまた冬と同じではない。春になれば人の顔にも花は咲く。
When spring comes and the wind eases, people will not be in winter. When spring is come, flowers will bloom on people's faces too.

21)逃げ腰になって城を守れた例は聞かない。
No soldier has ever been able to defend a castle by running away from the fight.

22)病が吾人を啓発することは決して少なくない。
There is no small extent that illness can teach us.


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努力について・2 幸田露伴『努力論』より

2022-01-15 | 研修
About Effort -Excerpts from Rohan Koda’s Doryoku-ron the Theory of Effort

8)福を分かつの心は、実に春風の和らぎ、春日の暖かなるが如きもの。
The heart of sharing good fortune is like a warm spring day with a gentle spring breeze.

9)静かに定まった心の働きと、動いた乱れた心の働きとは大分に違う。
There is a big difference between the action of a calm, settled mind and the action of a moving, disordered mind.

10)あらゆる拙なること、愚かなること、好からぬことの原因を自己一個に帰して、決して部下を責めず、朋友を責めず、他人を咎めず、運命を咎め怨まず。
Blame yourself for every poor thing, every foolish thing, every unpleasant thing. Never blame your subordinates, your friends and others. Never blame fate, and never hold a grudge.

11)気の散るのは実に好ましからぬ事である。・・・散る気の習いが付いていては何事を為しても善く出来ぬはずである。
Distraction is really not a good thing. If you have the habit of distraction, you will not be able to do anything well.

12)気の張りは努力にも増して好ましいことである。
Focusing is preferable to effort.

13)花実を十分ならしむれば樹は疲れてしまう。七、八分ならしむれば花も大いに実も豊かにでき、そして樹も疲れぬ故、来年も花が咲き、実が成る。
The tree will get tired if it produces lots of flowers and fruit. If we limit the number of flowers to 70-80%, the flowers will be bigger and the fruits more abundant, and the tree will not get tired, so it will produce more flowers and fruits next year.


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努力について 1 幸田露伴 『努力論』より

2022-01-13 | 東洋思想

About Effort -Excerpts from Rohan Koda’s Doryoku-ron the Theory of Effort

1)努力して努力する、それは真のよいものではない。努力を忘れて努力する。それが真のよいものである。
Strive to strive, it is not truly good. Forget effort and strive. That is the true good.

2)我流で碁が強くなる事は甚だ望みが少ない。卓絶な先生に頼って学んだ方が
速やかに上達する。
It is very unlikely that you can become good at Go by yourself. You will improve more quickly if you learn from a good teacher.

3)文明ということは、すべてある人々が福を植えた結果なのである。災禍ということは、すべてある人々がこわした結果なのである。
All civilization is the result of some people planting fortune. All disasters are the result of some people destroying things.

4)人はなるべくやわらかみと、あたたかみとを有したいものである。
People should have as much softness and warmth as possible.

5)瓜の蔓に茄子を求むる如きは、努力の方向が誤っている。
Seeking an eggplant on a gourd vine is the wrong direction to strive.

6)天道は復すことを好むというが、実にその通りである。
It is said that Heaven likes to return the same thing. That’s exactly right.
If you give him a good fortune, he will return it to you. 

7)人の思想の方向は、食物によって体が変わり、体が変ると同時に変わってくる。
The direction of a person's thought depends on the food they eat, and as their body changes, so does their thought.

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ミュンヘン

2022-01-12 | Zazen
「ミュンヘン市役所」
2012年の6月、ミュンヘンを訪れた。ミュンヘンの市役所の玄関前に小さなドームがあって、そこの階段を降りたところに鉄砲を抱いて兵隊が寝た形のブロンズ像がある。右の壁に「第一次大戦ドイツ人兵士死者○○名」とあり、左の壁には「第二次大戦ドイツ人兵士死者○○名」とあった。それ以外の説明は書いてない。十字架もない。このドームをくぐると市役所の玄関前へ出る。もちろんこのドームをくぐらなくても市役所に入れる。だが初めて訪れる人は当然このドームをくぐるだろう。ミュンヘンは第二次大戦の折に72回の空爆があったそうだ。「歴史に学ぶ」ためにこのドームがあるのだと理解すべきだろう。私はこの時このドームが「煩悩の海」に思えた。これをくぐって歴史に眼を向ける。私のような戦後世代は、その歴史をあらためて学んで日常の世界に戻るべきであると教えられた。日本には忠霊塔はあるが、このような施設を見たことはない。



「ヒットラーの演説」
ミュンヘン市役所からほど近い商店街の一角に野外音楽堂のような施設がある。その前には黒の大理石でできた大きな狛犬のようなライオンが二頭、外に向かって吠えている。向かって右端の大理石でできた黒い壁にドイツ語で長い文章が刻んである。案内してくれた友人に「何と書いてあるのか」と尋ねると「ここはヒットラーが最初の演説をしたところであり、この文章はその演説内容である」と教えてくれた。これには驚いた。その善し悪しは文面に書いてない。「各々考えろ」というのだろう。これも「歴史に学ぶ施設」である。

市役所の北側にミュンヘン国立博物館がある。大きな石造りの建物は大戦中の空爆で半壊した。それを修理して現在の博物館があるのだが、空爆の前と全く同じように修理してある。建物を横から見るとそのつぎ目が大きなVの字に見える。修理をした上からペンキを塗っていない。その理由はおそらく「歴史に学ぶため」である。

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彼 岸 太 郎

2022-01-11 | Zazen

彼岸太郎という俳句の季語がある。彼岸の第一日目が晴天だとその年の稲の実りがよいのだという。擬人化した日本的な表現である。他にも「土用三郎」といって土用の三日目が晴天だと秋は豊作だという。異常気象の近年ではこれが当たるかどうかは定かではない。

戦前の宮中では彼岸の中日のころに皇霊祭といって皇室の先祖を祀った。これが戦後になって自然をたたえ生物を慈しむための国民の祝日になった。もともと神道において農事始めに神事を営むころであり、平安遷都以降に仏教が法会を営むようになって彼岸会が定着した。

彼岸会は日本仏教の習慣であって他の国にはない。彼岸会は摂津の四天王寺で始まった行事であるだとか、桓武天皇(在位781~806)の怨霊払いが始まりなど諸説あるのだが、先に述べたように農耕社会の日本だから仏教行事として受け入れられたといってよい。

彼岸とは、此岸(煩悩の世界)に対し「彼の岸」つまり「悟りの岸」という意味である。仏教では煩悩を「海」や「大河」に喩えるのでそのように呼ぶのである。ではどのようにして彼岸にわたればいいのか。坐禅、写経、念仏など色々あるが、日常生活の中で仏教徒として何をすべきか。

それは先ず合掌である。合掌の功徳は大きい。合掌をしながら他人の悪口は言えない。もちろん盗みもできるはずはない。合掌をすれば仏戒はいらないのではないか。合掌を生活習慣にしたい。そこに彼岸があると信じてやまない。


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六根清浄

2022-01-09 | 
富士山に登るとき「六根清浄」と声をかけて登るのだそうだ。「六根清浄」とは『般若心経』にでてくる「無眼耳鼻舌身意」のことである。五感を浄めて「意」つまりこころを浄める。富士登山はこころを浄める修行なのだ。

小学校六年生から三年間、静岡市清水区(旧清水市)に住んだ。郊外の丘陵地、日本平から眺める冬の富士山はきれいだ。「今日の富士山はきれいだね」と地元の方に言うと「そうだね」と言ってくれるのだが、見慣れているので特に感激の様子はないようだ。

実は「あたりまえ」になっているのが「清浄」の世界である。「六根清浄」とはそのように、特別ではなく生活の中で「あたりまえ」にとけ込んでいなければ「清浄」とはいえない。

2012年の6月にドイツ、アウグスブルグへ行った。ドイツ人は森を大切にする。国内のいたるところに森があって、平日でも休日でも彼らは森の中を散歩する。市街地でも鳥がよく鳴いている。数え切れないくらいの種類の鳴き声が聞こえる。「ドイツでは鳥の声がドイツ語にきこえる」と言うと、友人たちは信じてくれないが、これは本当である。

ウルム(バーデン・ヴュルテンベルク州)の市街地を流れるライン川に白鳥とアイガモがいた。すぐ近くまで寄っていっても逃げない。ライン川は筑後川より少し大きく、その水量は筑後川よりずっと多い。水はとてもきれいだ。だから白鳥がいる。23万都市の街中に白鳥がいるのをドイツ人は「あたりまえ」と思っている。もちろんゴミや空き缶などは落ちていない。「自然を大切にするのはあたりまえ」でなければいけない。



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焼 き 芋

2022-01-08 | 坐禅研修
戦前、東京の下町には一町内に一件の焼芋屋があって、夏にはそれが氷屋にかわったのだそうだ。江戸時代には焼芋屋の看板に「八里半」とあって「栗に近い」という意味だという。「くりよりうまい」という当て字で「九里四里うまい十三里」と書いた看板もあったのだそうだ。(『日本大歳時記』講談社)いずれにしても少年のころの焼き芋の思い出は良い思い出である。

甘藷(いも)焼けてゐる藁の日美しく 高浜虚子(1874~1959)

「おじちゃん、今年は焼き芋しないの」と次男のお友だちが言うので、境内の隅で「焼き芋」をした。7人ほど集まってくれた。焚き火をするのに皆、大騒ぎである。住宅地では焚き火はできないので珍しいのだろう。アルミ箔にサツマイモを包んで焚き火で焼けた落ち葉の中に入れると20分もすれば焼き芋ができる。ムラサキ芋をその中にまぜておく。これは当たりくじのようなもので、これが当たると「あ、むらさきや!」とおどろく声がする。皆、焼き芋をたくさんほおばって満足してくれたようだった。

「おじちゃん、母ちゃんと妹におみやげに焼き芋もっていっていいね」という子がいた。「いいよ」というとよろこんで帰っていった。やさしい子である。この子どもたちは私の焼き芋に何歳まで付き合ってくれるだろうか。受験生になったら来てくれないのだろう。

焼き芋は五感を満足させる。先に紹介した高浜虚子の句にあるように、焚き火は「眼」を楽しませる。ときには「パン。パン。パチパチ」という焚き火の音も「耳」に心地よい。子どもたちのはしゃぐ声が、また楽しい。焼き芋の焦げたにおいは「鼻」を満足させる。人は12歳のころ食べたものを一生食べるのだそうだ。少年のころの「舌」の思い出は一生涯つづく。もちろん焼き芋は「身」に良い。人の遺伝子に組み込まれた味なのかも知れない。

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J.S. Bach - Partita No. 5 in G major BWV 829 - Glenn Gould

2022-01-07 | アート・文化
J.S. Bach - Partita No. 5 in G major BWV 829 - Glenn Gould
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