「世直し」についてブログ書いて ↓
ひらめいた。
公徳心には2つある。
積極的な公徳心と、消極的な公徳心。
積極的な公徳心は、世の中を正そう、というもの。
例えば、落ちているゴミを拾う。
消極的な公徳心は、悪いことをしない、というもの。
例えば、ゴミを落とさない。
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ほとんどの人が、消極的な公徳心しか持っていない。
または、「公徳心」とは、消極的な公徳心として語られる。
人間には3種類いますね。
1:8:1か、2:6:2の法則に当てはめることができる。
積極的な公徳心を持っている人。
週末にゴミ拾いイベントに参加したりする人。
1割か2割。2割もいませんね。数%だけかもしれない。
積極的な公徳心は持っていないが、消極的な公徳心を持っている人。
ゴミ拾いイベントには参加しないが、ゴミを捨てない人。
6割か8割か。
消極的な公徳心すら持っていない人。
タバコの吸い殻などのゴミをポイ捨てする人。
1割か2割。
天理教とか家庭連合とかサイエントロジーとか、私が知る限り、多くの宗教が、一番上の、ゴミ拾いをして、積極的な公徳心を発揮している。
「宗教」というとどうしても日本では敬遠されますが、精神性の高さ。それが公徳心の高さに表れている。
教会では、教科書のように扱われた標準的なビデオ講義です。
そこでは、以下の例を陽(積極)、陰(消極)で同義と説明していました。
イエス:隣人の望むことをしなさい
孔子:他人の嫌がることをするな
私が韓国の教会員にそのことを話すと、
全く違う内容ではないかと言われました。
私がこの話をした相手は、
韓国に10年住んでいても、日本人は韓国人の心が分からない
といい、韓国語のニュアンスの違いを教えてくれた人です。
心の動きを洞察してみるとわかります。
積極的な公徳心を持って動こうとするときの心と、
消極的な公徳心を持って動こうとする心は全く違います。
統一運動の実体を理解しようとして、非難を甘受する人と、
非難こそしないが、黙って見過ごす人には、天地の差があると思います。