日本人は、えも言われぬ、味わい深い、品のある、微笑みを湛(たた)えていた。
明治の西洋人には、理解不能なことがあった。
なんでいつでも笑っているのか。
笑うべき時ではないのに、なぜ笑っているのか。
その「不気味な笑顔」が、文化的な軋轢を生み、時には悲劇(馬鹿にされたと思った西洋人が日本人を迫害)も起こった。
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小泉八雲は、その日本人の微笑を、菩薩の微笑と同様だとして、
自己抑制と自己征服の賜物
としている。
東洋人が持つ、平静へ向けての無限の向上心が、
無上の自己征服の理想
であると喝破した。
つまり、究極の自己制御、自制心の表れである「自己征服」の行き着く姿として、日本人の微笑があるとした。
この段で行けば、不機嫌な面を晒している人は、「自己征服ができていない」半端者、自制心の弱い怯懦なアマチュア、ということになる。
笑顔を湛(たた)えよ。
それが自制と自己犠牲と自己征服の、究極のカタチである。