新セミナー「論語と経営・コンプライアンス」 こちら のレジュメが完成しつつある。パワポで200頁を超えます。
新セミナーの最初のパワポが200頁を超えるのは初めて。それだけコンテンツぎっしりのセミナーになります。
改めて言語化しておくと、冒頭画像の右上の「積極的道徳(公徳心)」の部分が、キモ。コンプライアンスでは補えない。
儒教、キリスト教、渋沢栄一、インテグリティはこの「積極的道徳」を補う。なぜなら、四者とも、「人格の完成」を目指すから。
1 儒教
(1) 儒教の目的は聖人になること。
(2) 義を見てせざるは勇なきなりとか、「仁」に「自分よりも人を立てる」って一節がある
2 キリスト教
(1) キリスト教の目標も、聖者になること。
(2) その博愛精神(己を愛するように人を愛せ)はこの積極的道徳を含む
3 渋沢栄一の「論語と算盤」
(1) 完(まった)き人=知情意を兼ね備えた人を渋沢栄一は理想にした。ようするにインテグリティ(=完全)ある人だ。
(2) 渋沢が論語で一番大事にした「博施済衆」(はくしさいしゅう、広く施し、大衆を救う)とか、「仁」に広く治国平天下を含む
4 インテグリティ
(1) インテグリティの原義は「完全」。完全を目指すってことは積極的道徳もする。
(2) インテグリティの定義に「人格者を人格者たらしめるもの」というのがあります。人格者はゴミを拾う積極的道徳を持つ
以上のとおり、儒教もキリスト教も渋沢論語もインテグリティも、聖人すなわち人格者を目指す過程で、「ゴミを拾う」に代表されるような積極的道徳を推奨する。
これが、消極的道徳にとどまるコンプライアンスとの違い。