『論語と経営・コンプライアンス』セミナー
こちら の準備をしている。
「論語と経営」の渋沢栄一も、陽明学を推している。
陽明学と言えば吉田松陰は外せまい。
※ 松陰と陽明学との関係は
こちら(レベル高い記事)
松陰が「狂」を重視したところなんか、とっても陽明学的。
しかし。
その吉田松陰は、
大小を問わず、着手した全てのことに失敗した
外国の研究者から、そうディスられている。
そうだろう。彼の試みで「成功した」といえるものはない。
下田渡海事件、間部要撃策、、、
それでも「志」を残した。二十一回猛士としての、無念さ、悔しさを残した。
時代が彼を後押しした。高杉などの後輩に恵まれた、というのもあろうか。
維新の三傑が死んで、棚ぼた的に成り上がった伊藤博文が、松下村塾の雷名を広げた、というのもあろう。
たとえば、伊藤の、先輩高杉を悼んだ碑文は名文だ。
動けば雷電の如く、発すれば風雨の如し。
衆目駭然として敢えて正視するものなし。
これ我が東行高杉君に非ずや
松蔭は「ダメな革命家」だった。二流か、三流の、革命家。ドン・キホーテ。
でも、その悔しさ、無念さを、後輩に伝える「言語化」が上手かったんだろう。
僕は忠義をするつもり、
諸友は功業をなすつもり。
「情熱がほとばしって、言語化は上手なダメ革命家が、後輩と時代に恵まれた」から、不朽の人となった。
これが松陰の本質では。
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こう考えると、吉田松陰って、三島由紀夫そっくり。
■ 情熱がほとばしっている。
三島のアツさは、暑苦しい。
こちら(勃起した男根を褌で晒している)
■ 言語化は上手。
『金閣寺』なんかは言語化の見本みたいな本?
■ ダメ革命家。
市ヶ谷のクーデター失敗で自決。
ここまでは、松陰と三島は同じ。
実際、三島が自決した11月25日は、旧暦10月27日。松陰が処刑された10月27日に合わせた、と信じられている。
しかし。
松陰は、後輩と時代に恵まれた。
一方、三島は、後輩と時代に恵まれなかった。誰も後に続かなかった。冷笑と嘲りと軽蔑に遭った。
松陰たらんとした三島は、松陰にはなれなかった。
イチ個人が、時代に負けた、ということでしょうか。