川塵録

『インテグリティ ーコンプライアンスを超える組織論』重版出来!

コンプラを変え,会社を変え,日本を変える!

渋沢栄一は後継者育成に失敗した

2024年09月06日 | 人物
渋沢栄一と岩崎弥太郎(三菱財閥の創始者)の比較の本。




渋沢が良くって、岩崎弥太郎が悪い、みたいな風潮。渋沢は新紙幣になったし。

本当にそうか。

渋沢は子育て・後継者育成に失敗しているじゃないか。

長男・篤二が遊び人になっちゃって、彼が40歳くらいのときに、廃嫡までしたじゃないか。

廃嫡ですよ。

「ワシの金はお前に相続させん」ってことです。思いっきり、ゼニカネの私物化じゃないですか。ちなみに相続権は篤二の長男の敬三に行った。

一方、岩崎小弥太は、しっかり後継者を育てた。

財閥総帥の二代目弥之助、久弥、小弥太まで、「岩崎家4代」として、150年後の今も、語り継がれている。

学生の時に清貧に躾け、若いうちに海外に送る、という方法で。


学生時代に住まわせていた寮みたいなところでは、お茶も飲ませない。水だけ。


この教育があったから、岩崎家4代が育った。

だから財閥が育った。

ーーーーーー

一方、渋沢は篤二を甘やかした。

渋沢栄一の前妻が病気で死んだ後(当時篤二は9歳)、すぐ後妻をもらって、篤二の教育を他人任せにした。

口では論語とか道学者臭のする偉そうなことを宣っておきながら、自分の下半身の暴走は疎かにして、愛人や女中に(!)手を出して、愛人を「友人」と言って誤魔化していた。

言行不一致の、インテグリティがない人間だった。

ーーーーーー

当時の人はみんなそうだったから、、明治天皇だって5人の側室がいたから、、、

って言い訳もありうる。

でもね。

福沢諭吉は下半身は素晴らしかった。愛人作ってない。おそらく一穴主義で、浮気していない。玄人さんのいる悪所に入り浸った的なエピソードもない。

性欲は旺盛だった。真昼間から奥さんとコトを致していた。

このように、当時でも、諭吉のように、下半身も立派に御していた人もいたのです。だから渋沢のだらしなさを「時代だから、、、」の一言で片付けるのはどうか。

ーーーーーー

渋沢が自らの財閥を創らず(それでも戦後にGHQからは財閥指定された)、岩崎が財閥を創ったのも、それを当初から渋沢が意図していたというよりも、「渋沢が自分の下半身のせいで後継者育成に失敗したため」とは言えないだろうか。

これが唯一の正解ではもちろんないが、これも理由の一つだろう。

岩崎弥太郎も派手に芸者遊びとかしていた。でも渋沢栄一みたいに偉そうに道学者的なことを(あまり)言わなかった。だから渋沢のように「言行不一致」の非難を受けることはなかった。

ーーーーーー

まとめます。

渋沢栄一は、「公」の観点から、財閥を作って氏族のために権益を私物化しなかった。

そう思われている。

うん、そういう部分が大きい。90%くらい。

でも、10%くらいは、渋沢栄一は、「偉そうなこと言っておきながら下半身はダメダメなので、篤二をグレさせチャったり、後継者育成に失敗したので、財閥を作れなかった」と言えないだろうか。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 自民党総裁選は… | トップ | アメリカ大統領選の行方 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

人物」カテゴリの最新記事