川塵録

『インテグリティ ーコンプライアンスを超える組織論』重版出来!

コンプラを変え,会社を変え,日本を変える!

Google mapの速度表示(スピードメーター)

2024年09月07日 | 社会・時事など
Google map (携帯のナビ)で「スピードメーター」(速度表示)された。

上記画像の左下の 72km  です。

ネット記事によれば、7月からiOS でも速度表示されるようになったらしい。
 
 
なのになぜ、今日初めて私のiPhoneで表示されたのかな、、 私は何も設定変えてないけど、、、 毎日高速乗って、しょっちゅう携帯でナビ使っているけど、、、 

その後、別の高速に乗ったら、速度表示されなくなった、、、

ちなみに、速度はかなり正確で、その正確さにびっくりしました。

____________

こうやって、GPSでこんなに正確に速度が把握されるなら、オービスとか覆面ネズミ捕りとか、必要なくなるのでは、、、

みんなGPSで速度違反を「自動的に」取り締まることができるようになるのでは、、、少なくとも技術的には。

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V.E.フランクルは天才だった

2024年09月07日 | 人間心理・心理学
アウシュビッツから生き延びた精神科医・V.E.フランクル。『夜と霧』で有名。

 
アドラー心理学カウンセラーになろうと、講座を受けている。

そこで学んでいるアドラー心理学の「人生に被害者はいない」って考えが、V.E.フランクルの考えとそっくり。

実際、フランクルは、若い頃、心理学を直接アドラーから学んでいた。

そこで、アドラー心理学の大家でありヒューマン・ギルド創業者の岩井俊憲さんに、ズバリ聞いてみた。

アドラー心理学とフランクルの考えはどういう関係ですか、と。

いい答えを頂いた!

  • フランクルは早熟の天才だった。高校生から、フロイトと文通していた。
  • 大学生になってアドラー心理学をアドラーから学び始めた。
  • 早熟ぶりを発揮して、大学生なのに学会とかで発表していた。
  • ただ、早熟すぎて、アドラーの弟子たちから、疎まれた。
  • だからフランクルはアドラーの元を去った。
  • 喧嘩別れとか破門とか言われているが、違う。
  • 実際、戦後50年、フランクルがアドラーについて講演した。そこでフランクルは「破門されたわけじゃない。アドラーからは、<君(フランクル)は、一流一派をなすべき。私から独立して一派を立ち上げてくれ>と言われた」と明かした。
  • なお、1933年にアドラーが最後に著した The meaning of life(人生の意味)は、弟子のフランクルの考えに近づいたもの。
以上のような親密な関係ですから、似ていて当たり前ですね。

なお、岩井先生も、先日私が感動してここにだいぶ引用した、NHKこころの時代の、フランクルについて書いた勝田茅生さんの本は、「すごくいい、必読」とおっしゃっていました。

 
たしかに、この勝田さんのフランクル本は、私が今まで読んだどのフランクル本よりもいいです!

フランクル入門本として、全力でオススメします。
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感性を磨くための「非日常」の例

2024年09月07日 | 経営・インテグリティ・エンゲージメント
組織不祥事では、感性を磨くことが、大事。

JTC(日本の大手会社)では、「会社のジョーシキ」に毒されて、「感性」が鈍るから。「正しさ」が歪むから。「ひっかかり」を感じなくなっちゃうから。

「ひっかかり」「違和感」を感じるために、「感性」を磨くことが大事。

会社の常識と、社会の常識との、すり合わせ。これが感性を磨くってこと。

____________

そのためには、「非日常」を味わうのがいい。ってか、それしかない。

具体的には、

  1. 場所
  2. モノ
でしか、非日常は味わえない。

より具体的には、例えばですが、

  1. 四半期に一度、小旅行に行く
  2. 月に一度、だれかと会食をする
  3. 月に一度、映画を観に行く
  4. 週に一度、本屋に入る

これだけやれば、十分「非日常」を味わえるので、「感性」が鈍って「正しさ」が歪むことはない。

と、思うのですが、いかがでしょうか。

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『先義後利の経営』 田中一弘

2024年09月07日 | 経営・インテグリティ・エンゲージメント
3000円の本。とてもレベルが高かったし、参考文献も多く、著者の費用対効果はとても低い(執筆に膨大な時間を掛けている)。

いくつか抜粋:

■ 積極的道徳はパーパスやミッションに関わる。

■ 渋沢は、「博施済衆」(博く施し、民衆を救う)が論語の中で最も大事だと考えていた

 まさに積極的道徳ですね。治国平天下というか。

 「博施於民而能済衆」(広く民に施してよく衆を救う)の扁額は こちら 

■ 渋沢の先義後利は、マイケル・ポーターのCSVやアダム・スミス『道徳感情論』の先を行っている。
 渋沢はアダム・スミスを認識して、以下のように言っていた。

 「利義合一は東西両洋に通ずる不易の原理であると信じます」

■ 先義後利は論語にはなく、荀子と孟子にある

■ 武士道の敵は、「功利主義者及び唯物主義者の損得哲学」(新渡戸稲造・菅野覚明)

■ 先義後利を貫くには強烈な「痩せ我慢」が要る。
 士道とは痩せ我慢のこと(小林秀雄)

■ 「義」とは、
  1.  公への奉仕
  2.  誠実
  3.  勇気  
 …この3要素はいい。セミナーでも使わせていただこう。

■ アリストテレスは、勇気を「臆病と向こう見ずの間にある中庸の徳」と位置づけた

■ 「100年前渋沢栄一が我々に教えたことがあるとすれば、それは『経営者には責任がある』という一つのことである」
 
 ドラッカー『マネジメント』(旧版、12頁)

■ ヘンリー・フォードも、キリスト教を経営に持ち込んでいた。

 「まづ神の国と神の義を求めよ。さらば凡てこれらの物は汝らに加へらるべし」という山上の垂訓など。

■ ヘンリー・フォードが掲げる奉仕の原則の第三条
  
 奉仕を利潤よりも優先させるべし

____________

渋沢栄一が、儒教的な「消極的」な道徳ではなく、キリスト教的な「積極的」な道徳まで掲げていたことがよく分かる本でした。

渋沢栄一、偉大なり!
 
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論語・儒教の「仁」とは

2024年09月07日 | 古典・漢籍
論語などの儒教で言う「仁」って、わかりにくい。

いろんな意味で使われている。









でも、「小仁」と「大仁」の2つに分けると分かりやすい。

小仁は、思いやり。

大仁は、人の道。治国平天下。

以下の本にも、似たようなことが書いていました。


 
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「正しい」だけでは不十分

2024年09月07日 | 経営・インテグリティ・エンゲージメント
「正しい」だけでは不十分。
「美しく」あれ。
「カッコよく」あれ。

最近の日本の大手車会社などの不祥事は、歪んだ「正しさ」から起こっている。

 

だから、「正しい」だけでは不十分。



その振る舞いが「美しい」のか?
それって「カッコいい」のか?

そんな問いを持っていると、いいです。
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死ぬときは前のめり

2024年09月07日 | 人生
斃れて後已む。たおれてのちやむ。

死して後已むとも言います。意味は同じ。

死ぬまで続ける。死ぬまで頑張る。終わりはない。そんな意味。

戦中は、特攻精神みたいな文脈で使われました。死して…は論語の言葉。

要するに、死ぬときは前のめりってこと。

満足して死なない。

挑戦して死ぬ。

途中で死ぬ。

大きな円の一部 こちら のままで、大きな円を描こうとして、志半ばで、息絶える。

それが士たる者の理想であった。

令和になって、FIREとか、小さい自分の幸せだけで満足、みたいな風潮になっている。

私は前のめりで死にます。世界を、日本を明るくする、ってどデカい円の、一部になって、前のめりで死にます。

冒頭画像は私が今朝書きました。
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仕事には3つある

2024年09月07日 | リーダーシップ・コミュニケーション
仕事には3つある。

  1. 私の仕事
  2. 他人の仕事
  3. 誰の仕事でもない仕事

この3つ目の、「誰の仕事でもない仕事」を、言われずとも進んでやる組織が、強い。

例えば、Amazon。

リーダーシップ16原則の2つ目に、「『それは自分の仕事ではありません』とは決して口にしません」とある。 


見事な当事者意識=OWNERSHIP。
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田中一弘『先義後利の経営』

2024年09月07日 | 
3000円。参考文献が10頁にも及ぶ。

良かった。

「義」とは何か、など。

些細は追って!




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スウェデンボルグと丹波哲郎

2024年09月07日 | 宗教
ある方とスウェデンボルグの話をしていたら、丹波哲郎もスウェデンボルグにハマっていたと聞いた。

1980年代、スウェデンボルグがブーム的になった、とも聞いた。

マンガありますよ、とも。



このマンガ、Amazonの星いっぱいついてる、、、

私は霊界とかには全然興味ないんですが、ポチりました。

ーーーーーー

ちなみに私がスウェデンボルグに興味を持ったのは、田中正造(その弁護士中村秋三郎)→新井奥邃→スウェデンボルグって順番です。

なお、中村秋三郎弁護士(足尾鉱山鉱毒事件を赤貧で弁護)については、「弁護士の鑑」として本でも書きたいと思っていたんですが、資料集めは頓挫・スタックしています、、、

新井奥邃の「有神無我」と夏目漱石の「則天去私」との関係に、今、興味を持っています。

ほぼ同時代、いや、奥邃がやや先輩ですかね。この2つをさらにキリスト教的に積極的に広めた/進めたのが「敬天愛人」ですかね。
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「英雄色を好む」を歴史が証明⁉️

2024年09月07日 | 男と女
河合敦さんの本を興味深く読んでいたら、一つ、引っかかる箇所に遭遇。

「英雄色を好む」は歴史が証明している

的な。

え。

その論理性の甘さに、違和感しかない。語尾の「歴史が証明」の下品さに、言葉を選ばず言えば、虫唾が走る。

何を「歴史が証明」したのですか。

ちなみに、渋沢栄一の女性関係が派手だったという文脈で。

そのお行儀の悪さを弁護したいようだ。

性的衝動(リビドー)と活動力・行動意欲の関係をフロイト的な心理学から説明するなら、まだ分かる。

しかし。

「歴史が証明」?

何を「歴史が証明」したのだろう。

「英雄色を好む」というように、性欲旺盛な人が活動的で、英雄的に社会の発展に寄与してきた、と言いたいんだろう。

確かに、そういう側面もあろう。人生はバイタリティだから、立派な、活躍している人間に、性欲が強い人間が多い、と。

私も、私の経験から、かつて、このブログでも「英雄色を好む」的な考えを擁護したことがあった。

「英雄が色を好む」のではなく、「色を好むと英雄的に行動的になれる」って文脈で。

その仔細はあえて繰り返さない。

しかし。

性欲旺盛な人間が、どれだけ、世間に迷惑をかけてきたか。

終戦時の露助。引き揚げのどさくさに紛れて日本女性を犯しまくったロシア兵。

人肉の佐川さんなんかはちょっと例外ですが、皆さんの周りにも、異性関係がだらしなくって、周りから総スカンの人がいませんか。

この河合「英雄色を好むを歴史が証明」に対抗する形で、仮説を立ててみる。

「英雄が色を好む」ように見えるのは、「英雄」がワガママでワンマンで権力を振りかざしているから、その「色を好む」行為に誰も異を唱えることができないだけ。

「英雄」のお行儀の悪さを、周りが指摘することが憚られる。怖くて指摘できない。

だから英雄の下半身が野放しになる。英雄のスケベさが公になる。

毛沢東が天下の美女を連れ込んで毎夜ハーレムの悦楽に浸っていたように。




つまり、「英雄」になっちゃうと、その「色を好む」行為に歯止めが効かなくなる。カネもあるし、権力もあるから。

本当は、英雄じゃない下っ端も、同じようにスケベなんだけど、金と権力がないから、「色を好む」行為ができないだけ、なのかもしれない。

要するに cannot afford 。金銭的に余裕がない。

金銭その他、「色を好む」ことができて許される環境にあれば、英雄じゃなくても色を好むのでは。

実際、安価に女性とコトを致すことができる大阪の飛田新地に行く人の中で、「英雄」的に社会で活躍している人は多くあるまい。

値段は張るが、吉原のソープ街に通う人の中に「英雄」はどれくらいいるんだろうか。

ーーーーーー

まとめます。

「英雄色を好む」は、「英雄は性欲が旺盛だ」という意味ではない。

「英雄は、性欲発散して傍若無人・酒池肉林的に振る舞えるカネ・権力がある」ってだけの話ではないのか。

河合敦さん。

「歴史が証明」って書いてますが、何を歴史が証明したんですか。

しっかり論じていただきたい。

 ※ 「〜は歴史が証明」みたいな、手垢のついた、ませた中学生が書くような、陳腐な表現を使うのがいけない。本当に、自分の頭で考えて、自分の肚で咀嚼して、自分の言葉で書いていない。

 自分の頭で考え、自分の肚で咀嚼し、自分の言葉を誠実に紡ぐ人は、軽々に「〜は歴史が証明している」なんて大きなテーゼを、大上段から偉そうに書かない。

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