質問があります。
なぜ、アメリカは、宗教的なのに、近視眼的なのですか。
アメリカが宗教的な国なのは知られている。大統領の宣誓の際には聖書に手を置いて、とか。
統計的にも、6割の人が「キリスト教」だと自認して、4−5割の人が教会に通っている。
私の仮説なんですが、宗教的である人は、死後の世界を考える。肉体的に死んでも、精神・霊魂は生きると思っている。特に一神教のキリスト教って、そういう教え。
だから、近視眼的にならない。「生きているうちになんとかしよう」って思わない。長期的に、100年1000年単位で考える。
しかし。
アメリカ人は日本人より遥かに近視眼的。こういうデータが出ている。冒頭画像の、ホフステッド指数。
これは、私の上記仮説からは外れる。
この「アメリカは宗教的だけど近視眼的」な理由を、上記仮説との関係で、ご説明できる方がいらっしゃったら、コメントDMその他で、ご意見をいただけると嬉しいです。
あり得る答えとしては:
1 「アメリカは宗教的」とは言うけれども、特に若い世代はそんなに敬虔ではない
…こうは言える。でも、「若者たちがそんなに敬虔ではない」ってだけで、「日本より近視眼的」であることが全部説明できるわけではない。
2 アメリカでは、たしかに宗教が「死後を含み長期的に思考しよう」ってドライバーになるけど、それよりも現世の資本主義が「今の人生を楽しもう」って近視眼的に駆り立てる力の方が大きい
…まあこういうことなんだろう。
宗教よりも世間・経済の要請の方が強いという。
3 アメリカのキリスト教は、現世的。ビジネス的。経済的成功をとても重視する。だからそもそも宗教が近視眼的。
…これもあたっていよう。
例えば、メガチャーチの、昔のビリー・グラハムとかジョエル・オスティーンとかサドルバック教会のリック・ウォレンとか、、 彼らの考えは知りませんが、、、
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上記3つ以外の説明ができる方がいらっしゃったら、教えて下さい!
アメリカのキリスト教は、そもそも死後の世界を信じておらず、終末の復活を信じているために、伝統的に(遺体に防腐処理を施して)土葬が行われてきました。ただ近年は、経済的理由や墓地事情、宗教離れなどの理由で、火葬の割合の方が高くなっているようです。
>だから、近視眼的にならない。「生きているうちになんとかしよう」って思わない。長期的に、100年1000年単位で考える。
クリスチャンはイエスを信じれば救われ、新しく生まれ変わる(ボーンアゲイン)という信仰観を持っています。つまり宗教観といっても長期的なものではなく、イエスの救いを受け入れれば今すぐに救われるので、とても現実的であり、近視眼的であり、個人志向だと言えます。教会の入口で酒を飲み、タバコや麻薬らしきものを吸う人を見かけたことがあります。
それを見てアメリカのクリスチャンに質問したことがあります。キリスト教家庭に生まれた子どもも罪人であり、イエスの救いが必要なのか?もし子どもが親の信仰を拒否し、イエスの救いを受け入れなかったら、我が子は罪人のままなのか?答えはYesであり、イエス以外に道はないとのことでした。私はそれを聞いて非常に残念に思いました。
>アメリカのキリスト教は、現世的。ビジネス的。経済的成功をとても重視する。
ルターやカルヴァンの宗教改革により、中世ヨーロッパのカトリック教会からの自由を求めて、アメリカのプロテスタントが広まった経緯を見れば、アメリカのキリスト教が勤労と蓄財を肯定する理由がよく分かります。それが短期間でアメリカを世界大国にした原動力であり、トランプを支持する保守層の価値観だということです。
diamond.jp/articles/-/48198