有岡城 - 城の名に籠められた荒木村重の思い - <軍師官兵衛」ゆかりの城 ⑥ >

2014-05-25 19:30:50 | うんちく・小ネタ
久々に、NHK大河ドラマ「軍師官兵衛」ネタです。

さぁ大変、物語が急転回です!

官兵衛(ドラマでは岡田准一さん)の古くからの同志であった荒木村重(同じく田中哲司さん)が、織田信長(同じく江口洋介さん)への不信感を募らせて、ついに反旗を翻します。
村重を説得して帰参させようと、単身で有岡城に乗り込んだ官兵衛ですが、逆に身柄を拘束されてしまいました。
そして、洞窟のような「土牢」(つちろう)に閉じ込められてしまいます。
敵軍の城で、劣悪な環境での幽閉。解放される目途は全くありません。
官兵衛の身の上に、生涯最大の危機が迫ります。
さあ、官兵衛は、そして黒田家は、この先一体どうなるのでしょうか???

・・・それでは、村重の居城・有岡城の話をしてみたいと思います。
大河ドラマのネタバレ(?)をやって興を冷まさぬよう注意しつつ、小出しに連載といきましょう。




  *****



有岡城  ありおかじょう  (兵庫県伊丹市) 




B19
 <有岡城の本丸跡に残る石垣、転用石が組み込まれている>





(1) 前途洋々の荒木村重、城の名を「有岡城」と改名




有岡城は、元の名は伊丹城(いたみじょう)と言いました。

城は、兵庫県と大阪府の境界を南流する猪名川の西岸、伊丹台地に築かれています。
ちょうど台地が東に突き出した部分が本丸で、その直下には猪名川の低湿地が広がり、要害の地でした。

ここに初めて城が築かれた時期は定かではありません。
おそらく、鎌倉時代の末期、この一帯を支配していた伊丹氏の居館に始まるものと考えられています。
城の存在が、最初に文献上で確認できるのは、南北朝時代の文和2年(1353)です。
「北朝方の伊丹城に南朝方の軍勢が攻め寄せたが、撃退した」
ということが、戦況を報告した文書に記されているので、この頃には実戦に耐えられる城郭に改築されていたことが分かります。
その後、室町時代にかけて、「伊丹城」の名はたびたび合戦の舞台として、古文書に登場します。
城主の伊丹氏は、一時的に城を追われることもありましたが、城主の座を守り続けています。
伊丹城がとても守りの堅い城だったことがうかがえます。

天正元年(1573)、織田信長から摂津国を任された荒木村重は、翌・天正2年11月に伊丹城を攻撃。
降伏した伊丹氏を追放し、ここを自らの居城と定め、「有岡城」と改名しました。

この時期、信長やその配下の武将たちは、新たに居城を構えた際に、その地名を改めるということをよく行いました。
例えば、信長は美濃国の井ノ口を岐阜と改め、羽柴秀吉は近江国の今浜を長浜と改めています。
また、明智光秀も奥丹波支配の拠点として横山を福智山と改めています(※ 現在の福知山)。
荒木村重が実行した、「伊丹城」から「有岡城」への改称もその流れの中にあるものです。

ただし、注目したいのは「有岡」という新地名に籠められた村重の思いです。
村重が命名した「有岡」は、「有明の岡」という意味だと言われています。
ちなみに「有明」という言葉を広辞林(三省堂)で調べてみると
「月が空に残っていながら、夜が明けようとする頃」
と解説していました。

出自が定かでない身の上から、次第に頭角を現し、ついに信長から摂津国を任された村重。
自身の栄達とともに、信長の天下統一に向かってゆく新時代の到来を実感していたのでしょう。
この時、村重の前途はまさに洋々たるものでした。
「有岡城」という名称には、そんな村重の理想と意気込みが籠められているのではないでしょうか?


しかし、村重の運命は、わずか4年を経ずして暗転します。
天正6年(1578)10月、「村重が本願寺や毛利氏に通じ、有岡城に籠城している」
という噂が信長の耳に入ります。
信長は、明智光秀を使者として有岡城へ派遣し、実否を確認させました。
村重はこの時点では謀叛は考えておらず、弁明のため安土城に向かいます。
しかし、途中で配下の中川清秀(茨木城主)らに引き止められ、
「信長に一度疑われると必ず殺される。もはや、有岡城に籠城して戦うしかない!」
と考え直し、謀叛の決断を下しました。

荒木軍は敢闘しましたが、孤立無援の有岡城は、翌・天正7年(1579)11月に落城
この戦いの後、摂津国の荒木村重の旧領は、戦功のあった池田恒興(信長の乳兄弟)に与えられました。
そしてこの時、「有岡城」の名は、再び元の「伊丹城」に戻されたのです。

これには信長のすざまじい怒りが籠められているように思えてなりません。
信長にしてみれば、武将としての能力を評価し、大抜擢をした村重が謀叛を起したのです。
征伐してもなお飽き足らず、村重が命名した「有岡城」の名称すら抹消せずには居られなかったのでしょう。



B33
 <JR福知山線・伊丹駅西側にひっそりと残る有岡城の本丸土塁、手前は空堀跡>





 ≪ 以下次号 ≫


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