ごんつまのあかるく・たのしく♪

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兵庫県・朝来市「神子畑選鉱場跡」

2024-03-05 16:11:07 | お出かけ・兵庫県 その他

冷た~い雨の一日 気温も上がらず肌寒くて 夕食は「おでん」に・・・

 

それでは、生野町から2年ほど前に何かで知りずーーっと行ってみたい!と願っていた「神子畑選鉱場跡」へ・・・

北へ15分ほど走ると、見えてきた「播磨屋本店 生野総本店」播磨屋のおかき大好き~です

お土産を購入に

何十年ぶりでしょうか

売店は右のお店への案内が!

以前立ち寄った時は此方の茅葺きの店内で買い物をしたのですが・・・

3千円以上買うと、こちらの店内でぜんざいとコーヒーが無料!

売店へ・・・大阪市内にもお店はありますが・・・やはり・・・本店で買ってみたくて

紅白の梅もキレイです~

買い物を済ますと

 

しばらく走ると

「神子畑鋳鉄橋」

明治16年、神子畑から採掘された鉱石を生野にある精錬所に運ぶために総工費4万円をかけて約16kmの運搬道が造られた。その道の途中には5つの橋がかけられ、現在はこの「神子畑鋳鉄橋」と「羽淵鋳鉄橋」の2つの橋が残されている。

現在、羽淵鋳鉄橋は移築されているが、神子畑鋳鉄橋は当時と同じ場所で保存されている。神子畑鋳鉄橋は神子畑川に架けられており、フランス人技師の指導のもと造られたと言われている。

単径間アーチ橋で、鉄製の橋としては日本で三番目、全てが鋳鉄製の橋としては日本一の歴史を持つ

道路脇に駐車したので早々に移動します

「神子畑選鉱場跡」到着!

気持ちは焦りますが、まずはお勉強~と「神選」へ

休館日です!

「トロッコ軌道跡」

「一円電車」

「インクライン」

案内板があります

 

明延鉱山で採掘された鉱石を神子畑選鉱場に運ぶために造られた鉱山鉄道の電車で、正式名称は明神電車。人車も運行され乗客数を把握するため、運賃を一人一円にしていたことから「一円電車」と呼ばれるようになった。

神子畑選鉱場は兵庫県朝来市佐嚢に位置し、かつて隣町にあった明延鉱山の選鉱施設として建設された選鉱場跡。

明延鉱山は戦国時代頃から採掘が始められ、金・銀・銅・鉛・錫などを産出してきた多品種非鉄金属鉱山だ。

実はこの神子畑選鉱場跡も、かつては鉱山として繁栄した時期がある。
その歴史は古く、800年頃から鉱山として開拓されていたという。

銀と銅を産出する鉱山で一時は生野の支山として幕府の管理下に置かれたが、生野銀山よりも鉱石の出産量が不安定だった為、繁栄と衰退を繰り返すこととなった。

 

明治11年には神子畑周辺で有望な銀の鉱脈が発見されたことから近代鉱山開発が進んでいく。

「シックナー」

神子畑選鉱場の構造と仕組み下線

山の斜面を利用した神子畑選鉱場はひな壇状に22階層あり、幅110m、長さ170m、高低差75mの規模を誇った。昭和9年以降、幾度かの拡張工事が行われ、「東洋一」と呼ばれる規模の選鉱場となる。

明延鉱山から鉄道で運ばれた鉱石は主に錫だが、多品種鉱山であったため銅・亜鉛なども含まれていた。その為、鉱石の状態・種類に合わせた作業を行った。上層より破砕→比重選鉱→浮遊選鉱→脱水などを経て鉱石は製錬施設に運ばれる。

神子畑の選鉱技術は高い評価があり、比重選鉱技術は海外からも視察団が訪れるほどだった。

また、24時間稼働しており、夜中になると選鉱場が光る姿が印象的で不夜城のようだったという。

 

上に

エリアマップ

案内板

画像がバラバラで

「ムーセ旧居」

明治5年に生野鉱山で造られた外国人技師ムーセの住居宿舎。

コロニアルスタイルという様式で、外観だけでなく内部にも装飾がされている建物で、建物の四方がおしゃれなベランダに囲われている。

明治20年、神子畑鉱山が開発されたことにより、現在の場所に移築した。
移築後は事務舎や医療所として使用されていたという。

「新選」・「ムーセ旧居」が休館日で残念でしたが、やはり肉眼で目の前で見ると迫力があり、深く感じるものがありました

「明延鉱山」の見学は4月~11月 要予約!(三日前までに)ガイドさん無しでは入場できないと・・・

さて・・・お宿は養父市!温泉で足の疲れをとります~

つづきます  (黒太文字部分はHPよりお借りしました)