北カリフォルニアのお父さん

家族5人 - 北カリフォルニアに暮らす。

次男 - 前進 (2022 年)

2023年02月13日 | 家族
更新です。

今回は次男について。

現在、大学の Senior (4年生)。先日22歳の誕生日を迎えました。筋肉質になり、
かなりガッチリしています。内面はと言いますと、帰省した時に気が付きましたが、
彼の会話の中で使う語彙、そして思考も日本語、英語かかわらず大人になりました。
また、以前は長男や三男とは一線を引き、汚い言葉は意識して使わなかった次男、
今では友人や兄弟との(英語の)会話では遠慮は全くありません。(長男と三男は
小学校の高学年あたりからバリバリ使いこなしていました。)

次男は大学で生物学を専攻し、卒業後は大学院 (Medical School) 進学を計画してい
ます。準備は着々と進んでいますが、今年の秋に進学するのではなく、1年の間を
置く謂わゆる Gap year をとり、1年先へずらすことにしました。よって大学院へ
の願書はまだ提出しておらず、今年6月の大学卒業の頃となります。大学院には
凄い数の願書が届き、まず応募してきた学生を GPA 、MCAT のスコアでふるいに
かけます。次に基準を満たした学生は Essay (作文) の提出が求められ、大学院では
受け取った Essay から応募者のアピールするポイントを徹底的にチェックし、更に
人数を絞り込みます。その後、選び出した学生にインタビューの通知を送付。ここ
まで辿り着くだけでも大変なのですが、そこから更に学生を選りすぐる狭き門です。
進学先が決まるのは12月から翌年1月頃、実際に大学院への入学はその半年以上先
の来年の秋。まだまだ長い道のりです。ここまでなすべきことをなし、更にもう
一押しといったところでしょうか。

それではこの1年を振り返って。

試練の1年でした。まず Freshman (1年生) から受講している研究室のクラスでは、
昨年、英語力の低い中国系アメリカ人の方が教授の補佐に付いたそうです。その結果、
補佐の指示を理解することすら困難であったにもかかわらず、研究室の教授から次男
の担当分野に悪い評価が出ました。また、日本から語学留学で来ていた日本人生徒グ
ループと仲良くなったのですが、そのうちの1名が重い病気にかかりました。学業
だけではなく、大学の講師のバイト、病院でのボランティア、サッカーの練習と試合
で忙しさを極めている中、専門医を探し出して診察と治療の手配、日本の保険会社
とのやり取り、病院の送り迎え等でかなりの時間が拘束されたそうです。ようやく
健康状態を取り戻した後、全てを次男に丸投げした本人は何事もなかったかのように
ケロッとしてさっさと日本に帰国しました。加えて大学のサッカーでは、実力はある
がプライドが高すぎるプレーヤーも多く、キャプテンとしてチームをまとめることに
苦労しています。ダメ押しは、この2年ほど下級生のために行っている大学内での
補習クラス講師のバイトです。昨年担当した有機化学のクラスでは、受講生達は皆、
同じところでつまずいていることが分かり、要点を分かり易く説明するビデオを作り
ました。(試験が近づいてくると受講生から深夜まで質問攻とのこと。)そのビデオ
を 補習クラスで使用したところ、彼らには大変喜ばれました。が、ある講師仲間が
「彼、ビデオを使ってますよ。」と補習クラスコーディネーターにこっそりと報告。
その後、教授会議にまで持っていかれる問題となり、もう少しでバイトの職を失う
ところだったそうです。(告げ口した講師仲間に対しては、次男よりも、後で事情
を知った三男が激怒していました。)幸いお咎めなしで済み、現在もバイトを続けて
います。

気が重たくなるようなことが続き、一時期、次男はかなり落ち込んでいましたが、
勿論、本人にとっては全てが良い経験となったことは言うまでもありません。留学
生の病気については、症状、診断、治療だけではなく、日本の保険のシステムに関し
ても、全て日本語で理解することを強いられ、ずい分勉強になったようです。サッ
カーでは今までに経験することのなかったチームマネージメントの難しさを学んで
います。講師のバイトは、大学が準備した Zoom の画像設定は一方通行であり、次男
には下級生達の顔は見えません。最近、キャンパスを歩くと、必ず誰や彼や見知らぬ
生徒から声をかけられるそうです。皆、補習クラスの受講生でした。信頼はされて
いるようです。そして数週間前でした。研究室の次男が所属するグループの論文が
正式に学術誌に受け入れられ、複数の学術サイトで一般公開されました。教授、補佐、
博士課程の学生、大学院生、そして次男を含めた大学生数名の名が研究チームとして
論文に記載されています。苦労が報われました。

また、大学が四半期ごとに発行する大学新聞の生徒紹介コラムで次男が他の学生数名
と共に取り上げられインタビューを受けました。医師を目指していること、そのきっ
かけ、小さい頃からのサッカーとバイオリンとの関わりについて答えた記事は多くの
教授の目に留まったようです。(「きっかけ」は私も忘れることは出来ません。次男
が小学校の1年生だったと記憶しています。庭で親子でキャッチボールをしている時、
ボールを追う次男がレンガの角に額をぶつけてドバッと流血。最寄りの病院の救急医
療室に担ぎ込み、そこで担当医から受けた十数針の完璧な縫合でした。後日談ですが、
気が動転していた私が次男の傷口を押さえるために使っていたのは、どこからか引っ
つかんできた雑巾でした。)大学新聞が発行された後、複数の教授から「君の記事を
読んだよ。」と声をかけられました。そのうちの一人とは「バイオリンの練習仲間を
探してるけど一緒に練習しない?」といった会話があったそうです。暫くご無沙汰し
ていたバイオリンの復活。今では週1回のペースで練習をしているとのことです。

自分のゴール、日々のプライオリティーは理解していますが、サッカーは今も次男の
生活から省くことの出来ない存在です。昨年のサッカーシーズン中に同じ大学の NCAA
Division 1 チームのコーチが次男達のチームの練習を視察しに来ました。そして数日
後、次男を含めた6人のプレーヤーに Division 1 チームのトライアウトを受けるよう
にとの連絡。入学して間もない Freshman (1年生) の頃、それまで何年も過ごした
クラブチームのコーチの計らいで Division 1 チームの練習に招かれたことがありました。
諦めていた夢が叶うかもしれないチャンスでしたが、練習と講義が重なり辞退せざるを
えませんでした。そして再びチャンス到来。トライアウトの2週間後、次男を含めた
3名が正式にチームに受け入れられました。嬉しかったそうですが、全てのシナリオを
よく考えた結果やはり辞退しました。所属するリーグの Senior(4年生)としての最後
のシーズンは、既に折り返し地点を過ぎました。ひょっとすると、シーズン後半で三男
と一緒にピッチに立つ可能性もあり、最後まで楽しく熱くプレーし続けることと思い
ます。

冬休みに次男が帰省した際、大学のこと、大学院への進学準備、将来の夢について
親子でゆっくり話をしました。本人のフォーカスは全くブレていないことが分かり
安心しました。但し、本人曰く、どこの大学院に行けるか全く分からず、どこかが
自分を拾ってくれたらそれで十分だそうです。とは言いながら、次男が目指している
のは心臓外科であり、心の中ではその分野に強いいくつかの大学を密かに狙ってい
ます。統一テストの MCAT は既にそこそこのスコアを取っていますが、更に高得点を
目指してこの春に再受験します。

もう直ぐ4年が経とうとしています。高校 Senior(4年生)の春、複数の大学から
受け入れの通知が届き、即決出来ずにずい分悩みました。現在の大学を選んだ理由
は、授業料全額免除のスカラーシップも大きかったですが、やはり高 GPA の維持と
MCAT の準備を考えた大学院進学のための戦略でした。レベルが上の B 校、L 校を
辞退して選んだ R 校。選択が正しかったかどうか結果を知るのは4年後。その時期
が近づいてきました。本人は自分の判断は間違っていなかったと断言しています。
ひょっとするとネームバリューの高い B、L 校で頑張っていれば大学院進学はもっと
有利になっていたかもしれません。取りあえず、ここまでは次男の戦略通りに進み、
良い環境で良い経験を積んでこれたことを本人は感謝しています。勿論、この先の
結果が最も重要なのですが、私自身も良かったかなと思います。

6月の卒業後は、アパートを引き払って自宅に戻ります。進学のための勉強は6月
には一通り終わっていますので、取り敢えず翌年秋の進学まで自宅から通える医療
機関で仕事を探すとのこと。長男もそうでしたが、大学の4年などアッという間です。
最近、次男は卒業のことをよく考えるようになり、意図してキャンパスにいる時間を
長くしているそうです。パンデミックの間は、大学を離れて自宅から遠隔で講義を
受けました。丸々4年間ではありませんが、キャンパスは充実した思い出が詰まった
場所になることは間違いありません。


それでは写真です。





日帰り弾丸トリップで息子達の試合を観に行きました。次男のアパートです。大学まで
歩いて通える便利なロケーション。写真は建物のごく一部でかなりの部屋数があります。
大学生用のこのアパート、間取りは何パターンかあるようですが、次男が住むのは4人
用。中央がキッチンとリビングルームのスペース。その周りにトイレ、シャワー付きの
4つの個室があり、洗濯機と乾燥機はルームメイト3人と共有。かなり恵まれた環境です。




エアコン、暖房、ケーブルTV、WiFi は勿論完備。




次男の部屋です。




試合前に夕食の準備です。メニューは私のためにカレーライス。友人、三男も加わって
手分けして仕込みを終えて試合会場に向かいました。試合後は、アパートに戻って賑やか
に夕食を取り、私が持参したデザートを全員で楽しみ帰路につきました。日曜日の深夜は
渋滞は一切なく、6時間半のドライブは悪くはありませんでした。




息子達のチームのホームゲーム。南カリフォルニアしてます。




次男と三男。




試合前のウォームアップ。大学でもサッカーを続けられる息子達は幸せです。




ウォームアップ。突然ですが、次男が小学校5年生の時のチームです。彼らもどこかでサッ
カーを続けていることでしょう。




ロースター30名のチームキャプテン。練習場と試合会場の予約、試合相手チームとのスケ
ジュール調整、大学との予算交渉等、ピッチの外の仕事も多いです。




試合開始です。




この頃、今の姿は親子共々想像出来ませんでした。




相手チームの1点リードでハーフタイム。残念ながら後半、更に相手チームに点を許して
試合は終了しました。

さて少し脱線します。本ブログの過去の記事を読まれた方は覚えていらっしゃるかもしれ
ません。次男は高校 Senior (4年生) のサッカーチームでは副キャプテン。キャプテンだっ
たのは、高校オーケストラではヴィオラを弾き、小さい頃からクラシックバレエを習い、
Senior (4年生) の高校ミュージカルでは「美女と野獣」で主役の野獣を演じた、あの歌っ
て踊ってお芝居も出来るセンターバックでした。本人は UC の L 校に進学し、次男とは
時々連絡は取り合っていたようです。年が明けてリーグ戦の後半が始まり、L 校戦のピッ
チで再会しました。サッカーへの情熱は次男同様、高校生の頃そのまま。ポジションは
勿論センターバック。もう歌ったり、踊ったり、お芝居はしていないそうですが、お互い
良き思い出と共に、大学の最後のシーズンを終えることと思います。




社会人リーグです。ネズミ君達のお世話で大学の研究室を離れることが出来ず、次男が夏
休みで帰省したのは8月に入ってからでした。シーズン最終戦にギリギリ間に合いました。




新しい若いプレーヤーも何人かいましたが、顔馴染みのベテランの皆さんと再会しました。
結果は 4-4 の好ゲームで引き分け。次男、三男、口を揃えて言いますのは、日本人の社会
人の方達と一緒のサッカーは本当に楽しいそうです。二人とも学業が終了した後は、社会
人になって北カリフォルニアに戻り、このチームでプレーしたいとのこと。




三男とピッチに立てるのも楽しい理由のようです。




三男はクラブサッカーの試合が重ならない限り、シーズンの開始から参加させていただ
きました。




帰省中、家族で San Jose Earthquakes の試合観戦もしました。お気に入りだったピザ屋
さんは、コロナ禍により閉店。ガッカリしましたが、少し離れたところでいいお店を見つ
けました。




夏のある週末の昼下がり。次男の友人を招いてバーベキューです。次男のアパートのルーム
メイト2名とその一人のガールフレンドが南カリフォルニアからサンフランシスコに遊びに
来ました。高校時代の友人も招待し話がつきません。




息子達3人がお世話になったバイオリンの先生宅を次男と三男の帰省中に訪問しました。
パンデミック宣言の後、遠隔レッスンをされていましたが、少ししてから引退されました。
でかくなった息子達との再会を喜んでもらいました。




さて、またサッカーに戻ります。昨年のワールドカップが始まる少し前に息子
達3人に日本代表のホームゲーム用ユニフォームを買い与えました。長男は
自宅で手渡し、次男と三男には郵送して我が家は準備完了。グループ予選の間、
次男、三男はユニフォームを着用して大学に行き、長男も勤め先のテレビ会議
に出席する際に身につけていました。アメリカ西海岸の日本の試合開始時刻は
どれも早朝でしたが、690キロを隔てて親子でそれぞれテレビ前で釘付けです。
試合の間、終始テキストと FaceTime で連絡を取り合って大いに盛り上がりま
した。三男は次男のアパートに転がり込み観戦。二人共試合開始前の「君が代」
では感極まって涙し、ドイツ、スペイン戦は絶唱。クロアチア戦の惜敗では
二人共暫くの間泣いていたそうです。




12月のアルゼンチン対フランスのワールドカップ決勝戦。三男は冬休みで既に帰省してい
ましたが、次男はやはり研究室のネズミ君達のご飯係で大学に残っていました。が、歴史
に残る好カードを一人でコンピューターの画面で観るのは嫌だ。と、夜通し車を走らせて
朝の7時のキックオフにギリギリで家に到着。高校時代の友人も合流して賑やかな観戦と
なりました。お隣さんには申し訳なかったですが、日曜日の早朝から絶唱です。試合の翌
朝、次男は南に向けて出発。ワールドカップテレビ観戦弾丸帰省でした。




クリスマスイブに戻ってきました。これはクリスマスのディナー。一緒に写っているのは
次男の親友達です。左は実は高校オーケストラの1年後輩でしたが、今では何でも話し合
える良き友です。UC の地元の B 校に通う秀才で、身長は185cmを超え、性格も豪快なナイ
スガイです。運動神経も良く、次男に誘われサッカーの練習だけではなく、サーフィンも
始めました。右側は、南カリフォルニアから訪ねてきてくれた次男のルームメイトです。
次男曰く、R 校を選んで一番良かったと思うのは、このルームメイトと巡り会えたことだ
そうです。次男から話はよく聞いてはいましたが、夏に初めて我が家を訪れた時に次男の
言っていたことが良く分かりました。性格温厚。礼儀正しく気配りが出来ていつも静かに
ニコニコ。話をする時は相手の目をじっと見て聞き上手。この歳で恐るべし。やはり生物
学専攻で Medical School 目指して勉強しています。その辺りも次男と意気投合する理由
かもしれません。




小学校1年生。この頃はまだ野球とサッカーに力を入れていました。額を十数針縫う怪我
をしたのもこの頃です。




短い冬休みが終わり次男、三男、二人共大学に戻ります。その前に一足早く二人の合同
バースデーディナー。食事を終えてデザートは、例年の通り家内の手作りチーズケーキです。




大学の新聞で使われた写真です。


以上です。


ここまでご覧になっていただいた方、お疲れ様でした。


忙しくなってきていますが、得意の冬眠に入る前に家族全員のハイライトだけは終える予定です。
次回は長男のハイライトとなります。