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北カリフォルニアのお父さん

家族5人 - 北カリフォルニアに暮らす。

+ One

2025年03月01日 | 家族


こんにちわ。ぼくザクです。生後4ヶ月のウェルシュ・コーギーです。今日はお父さんに
代わって、ぼくが書かせてもらいます。





「犬のお前がなんでタイプ出来んねん。」と思われる方がいるかもしれません。やれば
出来るもんです。





ぼく、生まれはネバダ州。2ヶ月と少し前のクリスマスに、この家族の新しいメンバーと
なりました。





今は北カリフォルニア、バチバチの NorCal のローカルです。





ワクチンは獣医さんとこで3回に分けてやっと全部打ち終えました。注射はもうごめん
です。





まだ、お外のお散歩は行ったことはありません。ワクチン終わりましたので、もう直ぐ
お父さんが、連れて行ってくれるそうです。早くお散歩デビューしてブイブイご近所
まわりするのが楽しみです。





ぼくの名前、初めは「Zack」(ザック) でした。お父さんが自信もってつけてくれた名前
ですが、みんなからは不評でした。一番上の兄ちゃんが、お友達にぼくのことを話した
時、「ダッサー。なにその名前?」とばかにされました。ぼくの名前のせいで、兄ちゃん
がいじめられるといけませんので、家族会議を開きました。





「 Zaku」(ザク) となりました。そうです。ガンダムに出てくるザクと同じ名前です。途端
に兄ちゃん人気者になりました。よかったです。お父さんは少し傷ついたみたいですが、
大丈夫です。何事も事前に人に相談しないとダメですね。ぼく新しい名前気に入ってます。
ガンダムの中で、ザクは悪く描かれましたが、本当はみんないい子だったらしいです。人
もワンコもモビルスーツも世間のレッテルで判断してはダメです。


続けます。




ぼくのおうちです。ワンベッドルームですが、トイレ、360°のビュー、24時間のセキュリ
ティーカメラ付きです。





お父さんが取り付けてくれました。実は、みんなが目をはなした隙に、ぼくがXXXまみれ
にならないように監視するためだったそうです。





ぼくのお世話キットです。おトイレは練習中です。





こちらは、おもちゃのバスケットです。買ってもらったおもちゃに加えて、あちこちの
部屋からかっぱらってきたお気に入りばかりです。





掃除機は、ぼくとは遊んでくれません。





空気清浄機は、何のニオイを取るかといいますと。





ぼくらしいです。





さて、ぼく産まれてからまだ4ヶ月ですが、ぼくの目線でもの言わせてもらいます。





まず、アメリカの政治、経済について。アメリカではスランプさんとゆー人が大統領に
なりました。海外でも知れ渡ってますが、イケイケで突っ走ってます。その上、スラン
プさんの周りには、一癖も二癖もありそうな、ガラの悪いお友達や子分がシッポ振って
ついて行っているそうです。ワンコの群れみたいですね。





景気は、この先どうでしょうか。特定の国への関税を上げたはいいが、先でアメリカ
国内の物価に跳ね返ってくると聞きます。ぼくのお父さんのお仕事は、ドルに対する
日本円が強ければ OK だそうですが、ぼくの毎日のドッグフードに影響が出ないことを
願ってます。





話それますが、ぼくのおしり、セクシーとよく言われます。





ぼくスポーツ大好きです。49ers、Giants、Warriors、Sharks のファンです。やっぱり
スポーツは NorCal ですね。





ただし、サッカーの San Jose Earthquakes は気に入りません。昔から、せっかく育った
いい選手をどんどん放出して、あまりイケてない選手を他のチームや、中米、南米から
いっぱい連れてくるそうです。先シーズンは、最下位で終わりました。大概にしてもらい
たいです。スイマセン。お父さんの口癖がうつりました。今シーズンは、新しい監督に
なりました。調子は良さそうなので少し期待したいと思います。先に進みます。


ちょっと家族について書かせてもらいます。





ぼくをネバダ州から連れてきてくれたのはお父さんです。家族に無断でぼくを連れてきた
ので、責任感じてよくぼくの面倒を見てくれます。ぼくが来たばっかりの頃、夜にピーピー
鳴くのでよく添い寝をしてもらいました。




お父さんは若いつもりですが、周りはそうは思ってません。来年からいよいよ シニア
割引があちこち使えるそうです。家族には「いやだぁー。」と言いながら、内心は嬉し
いに違いありません。残念ながら Netflix のシニア割引はないそうです。ジーサンに足
突っ込んでますが、ぼくのドッグフード代も必要なので、この先まだまだ健康で働き
続けてもらいたいと思います。





お母さんはいつも優しく、ぼくのお世話もよくしてくれます。
小ちゃな子供が大好きで、毎週お友達と一緒にボランティア
の子供達相手のお話読み聞かせをあちこちの図書館でしてい
ます。ぼくも一緒について行きたいのですが、犬はダメだ
そうです。ひどい話です。





お母さんの部屋には、絵本や手作りの人形、紙芝居がいっぱいあります。おもしろそう
なものを選んで、こっそり口にくわえると、血相変えてぼくを追いかけてきます。お母
さんとの鬼ごっこはとても楽しいです。





一番上の兄ちゃんは、よくぼくのことを「バーカ」とか「くっせー」とかひどいことを
言います。でも、よく遊んでくれますので許してあげます。兄ちゃん、早くガールフレ
ンドを見つけたらいいのですが。余計なお世話ですね。本人は、気にしていないフリを
していますが、毎日、ジムに通い、走り込みも気合い入ってるので、ダイエットしてモテ
ようとたくらんでいるのかもしれません。





兄ちゃんは、家でお仕事をしています。夜型で、遅くまで
起きています。ぼくが寝ようとしていると頭をナデナデ
してきます。勘弁してほしいです。





二番目の兄ちゃんは大学院目指して、お仕事しながらお勉強もしています。料理好きで、
いつもフライパンでジャカジャカ美味しそうなものを作っています。なぜか、ぼくの分は
ありません。





一番上の兄ちゃん同様、毎日ジムに通って筋トレ、走り込みをする一方、大好きなサッ
カーは社会人チームにはいって毎週末練習に行ってます。もう直ぐシーズン開始ですが、
ぼくを連れて行くつもりは全くないようです。もっとサッカーボールのおもちゃで遊んで
アピールしてみます。





三番目の兄ちゃんについては、よーわかりません。年末年始に1週間いただけで、大学
に戻ってしまいました。お父さん達の話によりますと、去年の夏から4ヶ月の間、日本
に短期留学していたらしいです。ぼくもいつか行ってみたいです。





三番目の兄ちゃんも、サッカーとジムが大好きと聞いています。上腕二頭筋やお腹のシック
スパックはバチバチやそうです。この3月中旬に大学のスプリングブレイクで家に戻ってき
ます。遊んでもらおうと思います。



さて、ここまでにしておきます。らんぴつらんぶんにて失礼しました。



ご縁があって北カリフォルニアのこの家族の一員となりました。これからお父さん、お母
さん、兄ちゃん達の面倒をしっかりとみていきます。






それでは、みなさん、どーぞおみしりおきを。


ザク


























2025年 明けましておめでとうございます

2025年01月22日 | 家族
新年明けましておめでとうございます。

元旦より突然 goo blog へのアクセスが出来なくなり、14日にやうやくログイン。
やれやれと安堵したところ、翌日再びアクセス不可。VPN も使いましたが、それ
からはずっと自分のブログだけではなく、blog.goo.ne.jp すら開くことは出来ま
せんでした。サイバー攻撃が原因だったことは聞き及んでいましたが、海外から
のアクセスに関するgoo blog からの状況報告は無し。毎日チェックし、じっと
待ちました。つい先ほどやっとアクセス。今年最初の更新です。

始めます。

今年の元旦は、例年とは少し異なりました。理由は、我が家の新メンバーです。
朝、昼、晩と世話のかかるワンコです。大晦日は誰もが疲れ気味。取りあえず、
いつもの通り、年越しそば、紅白鑑賞、カウントダウン、乾杯で、無事に 2025年
を迎えることが出来ました。

我が家の元旦の朝のイベントは、例年、初日の出参りです。大晦日の天気予報に
よりますと、元旦は「Mostly Cloudy」でした。つまり殆ど曇り。初日の出を
拝むことは難しそうでした。但し、可能性は残っていましたので、GOです。
6時前に起床。ワンコに朝ごはんをあげ、ゆっくり休みたい家族とキャンキャン
ほえるワンコを残し、暗い中、一人で家を出ました。

行って良かったです。初日の出を拝むことが出来ました。ご来光の数分後に、雲
で日は隠れましたが、完璧な日の出でした。

良い一年のスタートとなりました。が、ご存知の通り、南カリフォルニアで、前代
未聞の山火事。複数の地域で甚大な被害を出し、凄い新年の幕開けとなりました。
被災された方々には、心よりお見舞い申し上げます。

新大統領の就任式も終わりました。いきなり、恩赦やら、脱退やら、閉鎖やら、
どのような年になるのでしょうか。平穏な一年となることを願います。

我が家につきましては、一年の計は元旦にあり。家族5人それぞれ今年のゴール
は設定いたしました。迷いはありません。突き進みます。


写真です。





今年の我が家のグリーティングカードです。昨年同様、サンフランシスコ在住の方は、
この写真を見て、直ぐにどこで撮影したかはお分かりだと思います。背景はベイブリ
ッジです。

実は、長男、次男、三男、20歳の誕生日には、特に成人を祝うことはしませんでした。
ずっと後悔はしていましたが、三男が20歳になったこともあり、今回、3人まとめて
スーツ姿で成人を祝う写真といたしました。




例年の通り、サンフランシスコの Twin Peaks です。初日の出を待つ人々。




ご来光。2025年が良い年でありますように。




年が明けますと、直ぐに私たちの結婚記念日です。34周年となりました。




日本から帰国した三男。我が家で年末年始を過ごし、わずか1週間でキャンパスに戻り
ました。次男と挨拶を交わし、この後、南に向かいました。6時間半のドライブです。




長男とワンコ。お疲れさん。




我が家のワンコは、まだワクチンを全て打ち終えていませんので、外の散歩は出来ません。
庭で十分な運動出来るようドッグパークを作りました。元気すぎて、走り出すとブレーキ
はきかず、柵がないと大変なことになります。手間がかかります。




取り合えず、喜んだようです。




私、先日64歳となりました。いつもの通り、ステーキ、ワイン、ティラミスで家族に
祝ってもらいました。


以上です。


2025年、チーム NorCal 頑張ります。


本年もどうぞよろしくお願いいたします。




2024 年 クリスマス とサプライズ

2024年12月30日 | 家族
2024 年も本当に秒読みとなりました。今年最後の更新です。

さて、前回の更新で、我が家のクリスマスの準備とクリスマスイブについて触れま
した。そして、いよいよクリスマス。昨年は長男が、今年は三男が日本にいて不在。
メンバーが欠けていても、我が家のクリスマスは例年同じです。家族の中でそれぞれ
が持ち寄ったプレゼントを交換します。(ふと気がつくと、ずい分前からサンタク
ロースからのプレゼントは無くなっていました。特に息子達に問いただされること
はありませんでした。)

今年の我が家のクリスマス。あるプレゼントのために例年とは異なりました。私
から家族へのプレゼントです。

ワンコでした。

息子達が小さかった頃、よく犬を飼いたいとせがまれました。私自身は、いつも
身近に犬がいる環境で育ちましたが、自身が親になると活発過ぎる息子3人。犬を
3匹飼っているようなものです。飼い犬など冗談じゃありません。三男が小学校の
低学年の頃と記憶しています。クリスマス前、サンタクロースへのお願いリストの
トップにあげたのはワンコ。それも犬の種類、ドッグフードのブランドまで細かく
書き綴っていました。見て見ぬふりをしました。

それから年月が経ち、犬を飼う、飼わないなど誰もが忘れました。長男、次男は
大学を卒業。三男は大学生となり家を離れ、「犬3匹といるような生活」は過ぎ去り
ました。昨年でしょうか。ふと息子達にせがまれていた頃を思い出しました。子
育てのピークも終わり、心にゆとりが出来たのでしょうか。ワンコを飼いたくなり
ました。日本を訪れた際に見る、姉や弟の飼い犬が可愛かったのも理由だったと
思います。昨年、姉に「犬を飼ってみたいんだよねー。」と話したところ、「年齢を
考えると早くしないと無理じゃない?」と一言。その時、私62歳。確かにそうです。
自分の人生が終わるタイミングも考慮する必要があります。それからいろいろ思案
し、頭の中でシュミレーションを組み、結論を出しました。

ワンコを飼います。

とは言うものの、日々の生活が大きく変わります。手間もお金もかかります。自分
に再度問いました。「覚悟は?」「・・・OK。」では決定です。時期は?直ぐに思い
浮かべたのは、「クリスマス。」家族全員へのプレゼントでもあり、やはりどこかの
イベントに持っていきたかったです。資金は?何とかなります。(何といい加減な。)
ワンコの種類は?当初、日本にいる弟の「まめシバ犬」がかわいくて、是非同じ
ものをと考えていました。シバ犬はアメリカでも人気がありますが、私が調べた
限り、カリフォルニア州内だけではなく、州外でもまめシバは一切見つかりません
でした。諦めていろいろリサーチ。結局、「Pembroke Welsh Corgi」コーギー犬で
決定です。

仕事が終わった後、複数のブリーダーのポータルで数あるコーギー犬のリスティン
グをチェック。子犬の受け取り予定日がクリスマス前、車で引き取りに行ける場所
を条件に絞り込んだところ、決まりました。選んだブリーダーさんのリストにあが
っていたのが、雄が2匹に雌が2匹。他の3匹はもう買い手が決まっていました。
この時点では掲載されている写真で決めるしかなく、雄の1匹を選び、ポータルを
通してブリーダーさんに連絡。押さえました。その後何度か連絡を取り合い、デポ
ジットを支払い、受け取り日はクリスマスイブの前日23日に決定。全て順調のよう
ですが、気が重かったのは受け取り場所までの距離です。サンフランシスコのベイ
エリアから280マイル (約450キロ) 離れたネバダ州にある小さな町が受け取り場所で
した。

私、次男と三男の大学の下見やサッカー観戦で片道430マイル (688キロ)の日帰り
弾丸ドライブを数回経験済みです。気を取り直しました。片道280マイルごとき、
Nooo Problem です。準備を開始しました。幸い、デポジットを支払って購入が
決定したのがサンクスギビングデーあたり。世間ではどこもクリスマスに向けて
大セールです。ワンコ周りのショッピングは大変助かりました。殆どは Amazonで
調達し、また、その中の殆どは、ディスカウント価格でした。2週間ほどかけて
ショッピング完了。いいものが揃いました。そしてブリーダーさんへの支払いも
終えていよいよです。

X デーが近づいてくると天気予報のチェック。目的地に行く途中はスキー場も多く
積雪は要注意です。中間天気予報では、受け取り日の天候は曇り、気温は摂氏で
5度以上。大丈夫そうです。もう一つ出てきた問題は車です。誰にも知られずに
引き取りに行くため、家内や息子達の車を借りることは出来ません。残された
ものは、日本に留学中で不在の三男の車か、三男と同い年の 2004年型 Mazda
のミニバンです。ブリーダーさんと連絡をとった際に言われたのが、子犬はワク
チン接種が完了するまでは、トイレストップでも外に出さないように、また、車
の中での休憩では、子犬が十分なスペースでトイレを出来るような車が望ましい
とのこと。過去の故障と修理を考えますと不安は残りますが、20歳のミニバンで
決定です。

いよいよ当日。朝5時半にこっそりと我が家を出発。天候、道路、年老いた愛車、
途中問題は一切なく4時間半で到着。約束の場所でブリーダーさんとご対面です。
ブリーダーさんの腕に抱えられた生後2ヶ月の子犬。親犬と離れ、不安そうでした。
当然です。一通り説明を受け、必要書類にサインをして、書類一式をまとめたフォ
ルダと共にワンコを受け取りました。ブリーダーさんからはいろいろ細かなアド
バイスをもらい記念撮影。そして帰路につきます。新品の専用クッションを敷いた
新品のクレートを後部座席へ。ワンコには狭いですが、仕方ありません。出発。

しかし、ものの10分で後部座席より悲痛な鳴き声が。鳴き止みません。根負けして
予定変更です。安全面が気になりましたが、助手席の足元をガードしてワンコを
隣に座らせ再出発です。スヤスヤ眠ったと思ったらピーピー鳴き出したりし、決し
て楽ではありませんでした。一番心配であったトイレは、途中、防水シートの上で
済ませてくれて助かりました。サンフランシスコが近くなると渋滞も始まり、5時
間半をかけて何とか無事に到着。事前に予約し、注意事項を全て伝えていたペット
シッターさんにクレートに入ったワンコを手渡し、その日の大仕事は完了です。
12月23日の午後5時でした。それから何度かペットシッターさんからビデオが送ら
れ、我が家のワンコは元気な様子。安心しました。

いよいよクリスマスの朝です。家族が寝静まっている間にペットシッターさん宅
を訪れ、クレートに入れられたワンコを受け取りました。元気そうです。ベテラン
のペットシッターさんからは、いろいろアドバイスをいただき、我が家へ。到着後、
クレートからワンコを出して、まず家内です。スヤスヤ眠る顔にワンコを近づけ、
ほっぺたをペロペロ。ギョッとして飛び起きました。次に長男。こちらは、「ギョッ」
程度ではなく、半ばパニック状態で飛び起きました。同じ部屋で目をさました次男
は少し間をおき、ようやく何が起こったのかを理解。計画通りの朝でした。

その後は例年と変わらないクリスマスの朝です。家族全員がリビングルームのクリ
スマスツリーの前に集まりました。が、今年はプレゼントを開け始める前に全員が
ワンコをかわるがわるダッコ。一瞬にして我が家のアイドルとなりました。

写真です。




ワンコのベッドは、私と長男のオフィス兼次男と三男の勉強部屋のファミリールームに
セットすることにしました。




Amazon から続々とワンコ関連のパッケージが届きます。家族が不在の時に、素早くガレ
ージで中身の仕分け。




取り寄せたケージは、木製で白木のまま。こちらも家族が外出中に、ステインで表面処理
しました。準備はほぼ整いました。次に「車」です。




愛車の Mazda MPV は今年で20歳。夏に排ガステストに落ち、センサーを2つほど交換。
その結果、コンピューターのデータが全てリセットされ排ガスの再テストさえ受けられ
なくなりました。




修理屋さんに「データを取り戻すために、数時間走らせなさい。」との指示を受け、あち
こち走っていたところ、こともあろうに、フリーウェイ上でトランスミッションがぶっ
壊れました。焦りました。何とか、だましだましフリーウェイを降りて牽引車のお世話に。
その翌週、トランスミッションのオーバーホールです。涙・・。修理の後は調子は良かっ
たのですが、やはり今回の久しぶりの長距離は緊張しました。




行きは早朝に出発し、ブリーダーさんとの待ち合わせ場所まで4時間半。帰りはサクラメ
ントを過ぎたあたりから交通量が増え、5時間半を要しました。もし雪が降っていたら
どうなっていたか分かりません。取りあえず、無事に行って帰ってこれました。良かった
です。




ようやくワンコと初対面。ブリーダーさんに抱かれたワンコは、視線を合わせませんで
した。




新品のクレートに乗ってもらい、帰路につきます。




出発後直ぐにピーヒー鳴き始め、予定変更です。助手席で取りあえず落ち着き、無事
にペットシッターさん宅に辿り着きました。疲れがドッと出たのは言うまでもありま
せん。

いよいよです。12月25日の朝。




家内、長男、三男へのサプライズが無事に終わり、全員リビングルームへ。プレゼント
を開ける間、ワンコには、臨時の小さい囲いに入ってもらいました。




ワンコはずっと緊張していたのか、少し慣れてスヤスヤ。彼の名前は、「ざっく」としま
した。犬好きだった父の名前から「さく」をもらい、濁点をつけました。




何の夢を見ているのでしょうか。




ざっくとの生活が始まりました。ケージに改善が必要であると分かり、少し手を加えま
した。




慣れると活発になってきました。ファミリールームと隣接するダイニングルームの間には
ロール式スクリーンゲートも設置。




全て整いました。




日が経つにつれ、ヤンチャになっていきます。ケージから出たくて仕方のないざっくです。




三男が帰国しました。今度は、長男、次男、家内がワクワクしながらサプライズ。次男と
私が三男を空港でひろい、車中、ざっくには一切触れずに帰宅。玄関の中では、家内が
ざっくをダッコ。長男はビデオでスタンバイ。ドアを開けて、三男ぶったまげました。


以上です。


バタバタとした一年も終わりです。


それでは皆様、どうぞ良いお年をお迎えください。











お父さん - 2023 後半 + 2024 前半 ハイライト

2024年08月11日 | 家族
更新です。私自身の2023年後半と2024年前半のハイライトです。

昨年のハイライトで詳しく書き綴り、この新年のご挨拶でも触れました。一昨年前に
起業、その後一歩一歩準備を進め、昨年の秋に某日本企業と年間契約の締結に至り
ました。まずは一安心。事業は滑り出しました。その数ヶ月後、顧客に結果を評価
いただき、契約サイズ拡張。当初の目標であった年間契約額に到達しました。良かっ
たです。今更ですが、人様からお金をいただくことの有り難さをしみじみと感じて
います。しかし、まだまだ続く円安、顧客は日本企業のため支払いは円建てとなり、
為替レートはまともに影響します。若干緩んだものの現在のレートは痛いです。暫く
耐えるしかありません。とは言え、じっと待っている訳にはいかず、サービスの質を
向上させつつ販路拡大に向けて準備中です。

事業体は、カリフォルニア州法で承認されたLimited Liability Company (通称 LLC ) と
仰々しいものですが、役員、社員は私ひとり。そこに優秀なフリーランサー3名を加え
業務を行っています。昨年のハイライトでも触れましたが、前に勤めていた会社の同じ
チームで働いていた一番信頼出来るフリーランサー1名をリーダーとして招きました。
現在の業務は以前の会社で行っていたことと殆ど変わりはないため、本人は即戦力。
他の2名のトレーニングも同リーダーが事業開始前から準備してくれ、全く問題なく
スムーズなスタートでした。

アメリカの企業に雇用されている訳ではありませんので、顧客にあわせ、日本の祝日
を休みとする予定でしたが、もうアメリカも日本も関係ありません。結局、私個人は
朝から晩まで週7日勤務。フリーランサー達には、勿論きちんと休みをとってもらい、
ベストな状態で日々の業務を進めてもらっています。3人とも真面目で働き者。いい
人たちに恵まれました。体制は整いました。前進あるのみです。自分の年齢を考えます
と、正直なところ、これがもう少し早かったらなと思うこともあります。しかし、つい
数年前までは息子たちに手がかかり、やはり今しかなかったのかもしれません。

このような状態ですので、胃に穴をあける訳にはいかず、健康管理とストレスのコント
ロールは気をつけています。肩、肘、膝がガタガタであることは昨年のハイライトで
触れています。また、かなり悩まされた還暦を過ぎてからの50肩ですが、1年半かけ
ようやく治りました。長かったです。その後、市販のトレーニング用ゴムバンドを使っ
てリハビリと言いますか、上半身の筋肉に負荷を与える運動を開始しました。関節に
無理のない動きであれば水泳同様、痛みを伴わないことが分かり、今では毎日、心拍
数を上げながら、水泳の擬似パドルのようなことを、インターバルを入れて数セット。
スクワット、読書をしながらの30分のトレッドミルに加え、ストレス解消方として役
立っています。

ストレスのコントロールでもう一つお世話になっているのが音楽です。昔からポップス、
ロック、レゲエ、クラッシック、トランス、ヒップホップと何でも聴いてきましたが、
ここ1年ほどは70年代から現代まで、時代は問わずヘビーメタルと、90年代のグランジ
ロックがお気に入りです。三男が運転する車に乗せてもらった際、大音量でかかる
ラップも、私の脳にしっくりきていい感じです。やはりストレスがたまってるのでしょ
うか。そのうち飽きてくるとは思いますが。

士気は高く、ストレスをコントロールし、ただひたすら突き進むのみ。のはずでした
が、人生いろいろあります。アクシデント発生。6月半ばの早朝でした。我が家の
たった五段の階段を降りる時に足を踏み外しました。新しくおろしたばかりのスリッ
パがひっかかったようです。両手に物を持っていたため、手で体を支えることが出来
ず、仰向けの状態で階段の角で全体重をかけて右腰を強打。激痛のために冷や汗を
かきながら声も出せない状態が30秒ほど続きました。ようやく最初の痛みが一段落し、
何が起こったか頭の中で整理しました。打ちつけた箇所と衝撃を考えると無事では
ないことは明らかでした。おそるおそる立ちあがろうとすると、案の定、右腰に再び
息も出来ないような激痛。このような時はいいことを考えません。救急車、手術、
入院、後遺症?腰をかばうようにして10分近くをかけてようやく立ち上がった時、
次男が出てきて家族全員を起こしてくれました。

家内が Urgent Care に電話で問い合わせて状況を説明。その後、彼女の運転で最寄り
のオフィスを訪れて診察してもらいました。車中、姿勢に気を遣いながらも痛みは
こたえました。到着後、直ぐに診ていただき、骨折はなく強い打撲。レントゲンの
必要はなく1週間ほど様子を見なさいとのこと。取りあえず一安心。痛み止めを処方
してもらい帰宅しました。それから1週間、つらい毎日が続きました。ベッドから
起き上がるのは、そろりそろりと数センチずつ体をずらし、痛みと戦いながら15分。
ソックスを履くのも辛かったです。不幸中の幸いはトイレです。腰の角度に気をつけ
れば、痛みを最小に抑えることが出来ました。過去のギックリ腰の経験も役に立ち
ました。仕事はと言いますと、腰を動かさなくても同じ姿勢を1時間も保つと痛みが
始まり、影響は大きかったです。

その後、10日間ほどは症状が変わらず、病院にと思ったあたりからようやく徐々に
痛みが引き始め、現在に至ります。打撲した箇所の痛みはなくなりましたが、時々
忘れた頃に熱く感じることがあります。転倒したのは「父の日」の2日前。もう
直ぐ丸2ヶ月です。一生忘れることはありません。歳はとりたくないものです。

仕事は、遅れを取り戻すためにフルスピードに入り、毎日のワークアウトも復活し
ました。有り難いことに、全く知らない企業からの問い合わせも入り、これから先、
更に努力していこうと決意した頃でした。次のアクシデント。次男が コロナ陽性
反応。家の中で隔離して数日で陰性となり、一安心。が、甘かったです。数日後に
家内、そして1日おいて私が陽性となりました。その翌日には、私の40年来の友人
が、日本から30数年ぶりのアメリカ旅行で尋ねてきてくれる予定でした。絵に書い
たような最悪のタイミングです。パニクっている暇はなく、直ぐに最寄りのホテル
をおさえ、息子達3人の予定を確認した後に担当を振り分けました。到着の当日は、
長男が空港の出迎えとホテルチェックインのアシスト、夕食は息子達3人と、翌日
の市内観光は三男の運転で、夕食は再び息子達3人。翌朝のホテルでの出迎えと
空港への見送り、航空会社チェックインのアシストは長男。チームワークで何とか
ピンチを切り抜けました。私は殆ど話をすることは出来ませんでしたが、友人には、
食事、市内観光を通し、アメリカ育ちの20代の息子達3人とのおしゃべりを楽しん
でもらえたようです。良かったです。

私の体調はほぼ戻りました。さあ、仕事、頑張ります。

昨年の自身のハイライトの締めくくりで、70歳になった自分のイメージは4K画像で
頭の中にくっきり描かれていると述べました。これ、仕事のことだけではありません。
実は私、叶えたい夢がありまして、1つではなく5つほど。現在63歳。「あのなー
オッサン。」と思われる方も多いでしょう。私自身も、世間がまともに扱ってくれる
くれるのは、おそらく後10年もないと考えています。あまり時間がない訳です。二兎
を追う者は一兎をも得ずという言葉がありますが、冗談じゃありません。二兎を追っ
ている限り二兎を得るチャンスがあります。私、五兎を追います。

うさぎ君達!行きまっせー。待ってなさい!

それでは写真です。

仕事に関連したものはありませんが、いろいろ拾ってきました。





ベンチとゴムバンド。うつ伏せになり、柱に引っ掛けたゴム
バンドで擬似パドル 100 x 5。結構負荷のかかる運動です。




こんな低い階段ですが、転びました。痛みもさる事ながら
自分の身におこったことにもショックでした。




昨年6月の次男の大学卒業式に移ります。卒業式会場の駐車場の木陰で荷物の整理です。




次男、三男の大学には、この数年、車で何度も訪れました。それ以前にも、更に南に位置
する San Diego で開催される大きなサッカートーナメントには、必ず年2回、息子達を
乗せて行ったものです。南カリフォルニアでの運転ですが、長男が産まれる前に、家内と
車で LA 観光に行った時、周りの車の運転の荒さに驚いた記憶があります。あれからもう
約30年。昔と比べると南カリフォルニアのドライバーの方々の運転もずい分おとなしく
なったなーと、ここ数年思っていました。が、にぶい私もようやく、ハッと気がつきまし
た。私の運転が荒くなっているだけであったと・・・。




昨年の6月、次男の卒業式に向けて 家内を横に乗せて I-5 を南下。目的地まで2時間も
ない Santa Clarita。そこで約20年ぶりにスピード違反で捕まりました。その数分前、
私達の車を勢いよく追い越した車が、後ろから目を光らせていた白バイに捕まりました。
「あーあ。」過去に何度も見たパターンで他人事です。ここで油断しました。その直ぐ後、
いやな運転をする車を加速して追い越したところ、今度は自分がパトカーに「御用」です。
涙・・。反省しています。




車関連を続けます。20歳を迎えた我が家の Mazda MPV。




相変わらず、私のサーフィンの相棒です。




今年の春です。10年近く悩まされてきたオイル漏れを、評判の良いリペアショップで見て
もらい、修理することにしました。タイミングチェーンとその周りのガスケットを徹底的
に交換し、見事に直りました!かなり高額な出費とはなりましたが、20年間ずっと、家族
がお世話になってきた愛車です。




気をよくしてアクセサリーもいくつか購入。

そして問題発生。(今年の春からいろいろあります。)カリフォルニア州では電気自動車を
除き、製造8年後より2年おきの排ガステストが、登録更新時に義務付けられています。
古い車なので、いつかはひっかかるかな?と思っていたところ、アウトでした。その後、
オイル漏れを直してもらったリペアショップにも持っていき相談。




スキャナーも購入し、




リペアショップのおじさんに勧められた Cat Converter の
クリーナーを購入し、ガスタンクに注入してから指示通り
70マイルほど走らせました。




結果は変わらず、Code PO106 が表示。別のリペアショップでは Cat Converter の交換の
提案がありましたが、古い年式のため純正部品は手に入らず、自分のところでは修理出来
ないとのこと。仮に OEM やら中古部品を調達出来ても、Toyota Prius と違って部品のサ
イズが大きいため、総費用は高額になりそうです。廃車のオプションが浮上してきました。
自分でもいろいろとリサーチした結果、 Cat Converter 交換の前に MAP Sensor という
部品を交換してみることにしました。コロナの陽性反応が出る前に、別のリペアショップ
で無事交換。車のコンピューターのデータは一旦リセットの状態になり、数日車を走らせ
る必要があるとのこと。ぼちぼち始めます。

9年前に20年間乗り続けた愛車の Subaru Legacy を廃車しました。Mazda MPVもちょうど
丸20年。今度は廃車にしたくありません。何とかしようと思います。

車関連は以上となります。




今シーズンの San Jose Earthquakes です。この日は帰省した
三男と観戦。




我らが San Jose Earthquakes、今シーズンはダントツ最下位です。高額な選手を南米から
引っ張ってきたりしていますが、何をやってもダメ。観客も毎試合減ってきているような
気がします。




取りあえず、宿敵 Los Angeles Galaxy との年一回の California Classico は、例年のごとく
盛り上がりました。試合開始前の恒例の式典、ミリタリーの3名チームによるパラシュー
ト。一人は女性でした。試合の方はと言いますと、日本から入った吉田選手、山根選手の
活躍もあり、LA の快勝。




こちらも毎年恒例。試合後の花火は見事でした。




さて、その翌日、元々計画していた MLB の SF Giants vs LA Dogers の試合を息子達と観戦
して来ました。もちろん大谷選手を見るためです。(この頃、家内は日本です。) ここの球場
は長男、次男が野球をやっている時は、ちょくちょくリーグ戦を観にきましたが、ずい分
長い事ご無沙汰していました。最後に来たのは10年以上前だと思います。




ライバルチーム連戦の前日は大当たりであった大谷選手も、この日は無安打。前日のサッ
カーと異なり、北カリフォルニアが南カリフォルニアに快勝でした。


以上です。


健康、車、いろいろあった夏ですが、頑張ります。


次回ですが、このまま冬眠に入らずに、もう一度更新します。実は昨年春からこの夏まで、
我が家の庭ではいろいろありました。それらを記録に残しておく必要があり、数週間の
うちにアップいたします。


それでは、皆様、天候、健康、地震には気をつけてお過ごしください。



お母さん - 2023 後半 + 2024 前半 ハイライト

2024年07月29日 | 家族
更新です。家内の2023年後半と2024年前半のハイライトです。

X 歳になりました。年齢は内緒です。

昨年のハイライトの後に大きな変化がありました。8年間お世話になった日系の
幼稚園を退職しました。平日の出勤はなくなりましたが、6歳以下の子供達の
日本語補習校入学試験に向けた個人レッスンは継続しており、相変わらず忙しい
毎日です。レッスンは、Zoom を介した遠隔であったり、図書館の一室を借りて
行う対面であったり、平日は家から出たり入ったりでバタバタしています。子供
一人一人の性格や習得度によって教材を選び、レッスンの内容を変えたり、注意
力を持続出来るような資料を手間暇かけて作るのは以前と変わりありません。
息子達3人の面倒を見終えた家内のノウハウと家内自身の性格によるものと思い
ます。愚痴もこぼしますが、楽しそうです。緊張から解き放たれたのでしょうか、
以前と比べますと本人の表情が柔らかくなりました。最近になり、生徒さんの
親御さんを通じてぱらぱらと受講の問い合わせも入ってきているようです。マイ
ペースで続けていくことでしょう。

幼稚園勤務がなくなり、当然、幼児、児童対象の「お話読み聞かせ」ボランティ
アには力が入ります。自分の書斎に引きこもり、小道具の作成にはずい分時間を
割いています。勿論、小道具は増える一方ですが、家内はお構いなし。勘弁して
ほしいです。何年も活動を続けるボランティアのグループは、ここ数年で Face
Book のフォロワーがずい分増えたと聞きました。同時にホームページや PR も
洗練されたものとなってきています。家内の力も入るはずです。グループの中に
IT に精通したメンバーがいらっしゃり、お一人で奮闘。縁の下の力持ちです。IT
音痴の家内の相手も大変だと思いますが、頑張ってください。

健康面は問題ありません。体重は少しずつ減らしているようです。但し、間食は
なくならず、心拍数を上げたり筋力を維持するようなワークアウトは一切行って
いません。この先も変わらないと思います。取りあえず健康を維持。何よりです。
さて、最近、家内にとって大きな出来事がありました。サンフランシスコのベイ
エリア内で、長年にわたり日本のテレビのコンテンツを提供してきた日系ケーブル
会社のサービスが無くなりました。よって家内が毎日楽しみにしていた「朝ドラ」
が観れなくなったわけです。家内は落胆する事しきり。お友達は別の手段を見つけ、
日本のテレビには変わらずついていっているようですが、家内にとっては面倒で
あり、諦めた模様です。ネットでの情報収集は怠っていません。

家庭の中の様子に移ります。長男とは相変わらずいいコンビです。IT 関係に限らず
家内が(わざとなのか)ずれた質問をすると、私の期待を裏切らず、長男は直ぐに
反応。鋭いつっこみをいれて楽しませてくれます。ちなみに二人とも関西人では
ありません。少し前ですが、長男が黙々と仕事をしているところに家内が無遠慮に
スタスタと近づき、何かを頼みました。恐らくボランティア関連の写真の編集に
ついてだったと思います。「X X ―、ちょっとこれおしえてぇー。」と。驚いたこと
に長男はコンマ1秒以下の即答。二人のやりとりは One sentence でした。つまり
家内の問いと長男の返答は 一文だったのです。再現しますと、「X X ―、ちょっと
これおしえてぇーイヤだ。」と・・。長男は、仕事に集中しながら、家内がパーティ
ションの向こうから近いづいてきたことを察知しただけではなく、聞かれる質問に
対する答まで準備が出来ていました。この一文の後に間を置いて長男の「忙しい!」
が続き、二文で対話の完結。長男の反応は、更に上のレベルに達していました。
これから先も大いに期待したいと思います。 

昨年の夏、家内は高齢の母親のお世話のために日本に帰国しました。実は先月の
中頃、今回も1ヵ月半の予定で日本に帰国し、現在、暑い日本で身の回りのお世話
をしています。私自身のハイライトでも触れますが、昨年、出張で日本に帰国した
際、家内の母親を訪ねました。至って元気で安心しましたが、少し背中が曲がり、
体がちっちゃくなっていました。今は、親子水入らずでゆっくりしながら短い夏を
過ごしています。


それではわずかですが、写真です。





年齢と共に時は速くなります。ちょっと前に誕生日だったと思いましたが、もう一年。




ロウソクの火を消す前、年齢のことは忘れニコニコの家内。何を Wish したのでしょうか。




次男からのプレゼントはスニーカーでした。




息子達が幼稚園の頃に読み聞かせをしていた本も多い家内の蔵書、絶対に処分しません。




この日の公演は、週末のあるイベントの中で行われました。長男、次男、私も裏方として
出動しました。(三男はまだ大学です。)観客からは見えない出し物の裏側で準備の手伝い
をする長男。




準備はほぼ整い、本番を待ちます。待機中の次男です。出し物は全て日本語なのですが、
観客の中には、日本とは全く縁のなさそうな中国系であったり、白人の親子がいつも数組
いらっしゃるそうです。




別の公演の写真です。普段は週日が多い読み聞かせの公演も、この日は週末だったため、
私も再び、運搬・搬入、舞台のセットアップ、写真係として参加しました。公演は、本を
読み聞かせるだけではなく小道具を使ったものは多く、




紙芝居やら、人形劇やら盛りだくさんです。




メンバー全員、日頃からかなりの練習を積んでいます。私の目には、誰もが子供目線で
真剣に丁寧にやってるなーと映ります。




毎年、春になりますと、庭のつるバラが花を咲かせ、目を楽しませてくれます。庭でバラ
を見ながらお花見バーベキューが我が家の恒例行事でした。




今年は、2年前に株分をし、昨年は全く花を咲かせなかったアイリスがようやく開花。




つるバラにアイリス、奥の真っ白なカラーも加わえてバーベキュー。と思いましたが、
残念ながらこの写真の週末は、風は冷たいだけではなくかなり強く、火を使うことは
控え、我が家の誰もが好きなメキシカンのブリトーの昼食としました。写真では見え
ませんが、次男の前には山盛りどんぶりでご飯です。(三男はまだ大学。写真は送り
ました。)




我が家の小さな和風スポット。子供の節句に合わせ、家内がアイリスを菖蒲の花に見立て
飾りつけました。




庭のお花見同様、家内のハイライトではないのですが、数年前から我が家の恒例となった
家内と私が昔、息子達が産まれる前にお世話になった方のお墓参りの写真です。(次男、
三男は大学、サッカー等で写真は多いのですが、長男と家内は例年、数が少なく反省して
ます。)お墓参りと言いながら、この方は San Francisco Bay で海洋葬を行ったために、
お墓がありません。親族の方も誰もいらっしゃらず、お骨を散布したゴールデンゲート
ブリッジ近くを走る観光クルーズに、お盆に合わせて年に一度乗船し、船上からご挨拶
することにしています。昨年は、次男と三男を連れて行きました。




昨年も寒かったです。頭上はゴールデンゲートブリッジ。もう直ぐお盆です。また家内と
ご挨拶に行ってきます。




さて、最後の写真です。長男のワーキングスペース。パーティションで遮られ、隣に座る
次男、その横の三男、そのまた横の私に邪魔されることなく仕事に集中します。しかし、
背後からアプローチしてくる家内には神経をとがらせているものと思われます。


以上、写真でした。


次回は私のハイライトとなります。






三男 - 2023 後半 + 2024 前半 ハイライト

2024年07月06日 | 家族
更新です。三男の2023年後半と2024年前半のハイライトです。

20歳になりました。大学2年生です。

次男と同じ大学に入学したことは昨年、本ブログで述べました。

1年生の間は次男が身近にいたため、週末は次男の車であちこち連れて行ってもらい、
何かと次男を頼りにすることが多かったのですが、次男が卒業してからは、いよいよ
1人です。キャンパス内の大学寮は1年生専用。年度が終わると三男も寮を引き払い、
アパート暮らしとなりました。次男が卒業まで入っていた大学近くのアパートが
家賃が手頃な上に、専用バス・トイレ付きの個室が4部屋 + 共同キッチンにリビング
ルームと理想的な間取り。迷わず同じアパートに決定です。必要な手続き (親による
支払いを含む) を済ませ、4人用のアパートには気の合う友人と共に入りました。
自炊を含め新しい環境には直ぐに馴染んだようです。昨年の夏休みで帰省した際、
車の免許を取らせました。上の兄2人と同様、中古車を買い与え、通学、食料品の
買い出し全て準備完了です。

専攻は異なりますが、学業外では次男と同じステップを歩んで大学のクラブリーグの
サッカーチームに入部し、2022 – 2023 シーズンは兄弟同じチームでプレー。次男が
卒業した後の2023 – 2024 シーズンはマネージャーの一人として裏方の仕事にも携わ
りました。シーズン中はサッカーをプレーするだけではなく、次男が在学中にそうで
あったように、チーム運営の大変さを学び良い経験になったと思います。

さて肝心の勉強です。大学では Political Science を専攻し、卒業後は Law School
(大学院)へ進学し、弁護士になることを希望しています。GPA は次男ほどではあり
ませんが、そこそこの成績を保っています。本人の気合いは進学に向けて十分入り、
卒業までに数字を伸ばしていくとのこと。進学準備に関しましては、次男の場合、
高校の時点でサンフラシスコ市内の某大学の研究室でインターンをさせてもらい、
最寄りの病院ではボランティア活動をし、大学1年生を終えた後の夏休みに看護師
のアシスタントの資格を取ったり、早くから自分のゴール目指して動いていました。
三男はどうかと言いますと、スローなスタートです。大学1年生から「New York
Times」の定期購読を開始しました。文章力を高め、政治経済に強くなるためです。
主だった記事に毎朝目を通す習慣は身につきましたが、別に進学の準備でも何でも
ありません。2年生の後半になってからです。やっと大学内の弁護士を目指す学生
のサークルに入りました。Medical School に進学する学生には統一試験の MCAT
受験が課されているように、Law Schoolには LSAT (Law School Admission Test) が
あります。サークルでは上級生からアドバイスをもらい、いよいよテストの準備も
開始します。

話はいきなり現在に飛びます。3週間前に夏休みで帰省し、その翌週より週2回の
インターンがサンフランシスコ市内の法律事務所で始まりました。実務に携わらせ
ていただく上にバイト代も支給され、三男にとっては願ってもいないチャンスです。
実は、春からあちこち法律関連のインターンの募集に応募しましたが、全て空振り
でした。その後、遅れをとりましたが、特にインターンの募集もしていない複数の
法律事務所にアプローチ。暫くすると、運良くひとつの法律事務所から連絡があり、
三男は直ぐレジュメを添えてメールで返答。間もなくビデオ面接を設けてもらい、
事務所での対面の面接が続きました。そして数日を経て採用が決定。貴重な夏休み、
ブラブラ無駄にせずに済みました。三男を拾っていただいた法律事務所の方々には
心より感謝です。

夏休みが終わりますと9月から新年度です。大学に戻るはずだったのですが、今年の
初めに突如、日本留学の話が出てきました。UC (University of California) 各校の生徒
を対象に海外の大学で単位を取得させる短期留学プログラムのことを知り、「日本の
大学、申請してもいいかな?」と私に相談してきました。概要を調べた後、私からは
GO サインです。三男は直ぐに必要な書類に記入、資料を提出し、数ヶ月前に受け入れ
が正式に決まりました。横浜の某大学に9月の中旬から12月末までの1学期の短期
留学です。よって夏休みが終わると南カリフォルニアには戻らず、日本行きとなります。
留学にかかる費用は戦々恐々としていましたが、学費、寮費は何とかなるレベルでした。
片道のフライトは既に予約しています。良い経験が出来るといいのですが。全て本人
次第です。


それでは写真です。長男、次男に比べかなり多くなってしまいましたが、写真は三男
のものだけではなく、長男と次男、我が家に関連したものも含みます。





昨年の次男のハイライトでも少し触れています。もう1年以上が経ちますが、昨年の3月
の週末を使い、車を飛ばして次男と三男のリーグ戦を観に行ってきました。いつもは赤っ
ちゃけて殺風景な I-5 は、まだ雨季が終わったばかりで草木が青々とし、退屈すること
なく運転出来ました。




三男がまだ大学寮にいる頃です。三男の部屋の前で。




三男の部屋です。3人の息子達の中では一番、日本にこだわる三男です。ここのルーム
メイトは一緒にアパートに移り住みました。




息子達を訪れた週末は、ちょうど大学のスプリングブレーク (学期の真ん中にある春休み)
でした。キャンパスに残る学生はわずか。寮の直ぐ近くのガランとしたキャンパス内の
カフェテリアで夕食をご馳走になりました。




たった二泊三日でしたが、私にとっても学生以来の楽しい
スプリングブレークとなりました。最後の夕食は彼らに
連れて行ってもらった地中海料理のレストラン。美味し
かったです。



その直ぐ後です。リーグ戦終了後、急遽息子達のチームがトーナメントに出ることになり
ました。次男最後の大学サッカー。家内も連れて観戦することにしました。早朝、暗い
うちに家を出発。日の出前に I-5 に辿り着きました。車を飛ばして南へ。




三男はベンチスタートでしたが、全試合プレー。




前回の更新でも述べています。次男を含めた4年生は有終の美を飾りました。




兄弟でツーショット。




さて、アパート暮らしが始まる前に三男の車を用意しました。写真は、長男がずっと乗っ
ていた2005年型 Toyota Prius です。もともと三男に譲るはずでしたが、さすがの Toyota
もトラブル続出となりました。家から遠く離れたところで動かなくなってしまうことは避け
なくてはならず、買い換えを決定。やはりハイブリッド車が燃費がよくて理想なのですが、
Prius の中古は二度と買わない理由がありました。




理由その1




理由その2。

この2枚の写真を見てピンとくるのは、被害にあった方だけかもしれません。理由その1
から。2020年の年末に家の前で路上駐車していた、当時の長男の2005年型 Toyota Prius
の Catalytic Converter (三元触媒) を真夜中に盗まれました。朝、長男がエンジンを始動
するとレーシングカーのような爆音がして初めて気がつきました。直ぐ警察にレポートし、
写真はその2日後に戻ってきた Catalytic Converter です。警察の説明では、夜中に不審車
を見つけ、時速160 mile (256 km) のカーチェイスの末に捕まえ、その車の中にいくつも
あった盗難 Converter の一つだったそうです。

話は長くなってしまいますが、アメリカではコロナ禍の影響もあり、2020年あたりから
Catalytic Converter の盗難は非常に多く、中身が比較的きれいなハイブリッドの特定の
年式の車が主なターゲットとなっています。何故 Catalytic Converter が盗難にあうかと
言いますと、中身のパラジウム、ロジウムが高く転売出来るからだそうです。転売出来
ないような条例が直ぐに作られたようですが、闇マーケットはなくなりません。

理由その2に移ります。盗難にあった後、盗難防止のアルミ板シールドを購入し、取り
付けてもらいました。もう盗られることはないと、すっかり安心しきっていたところ、
2023年1月でした。やられました。2回めは、こともあろうに堂々と、我が家のドラ
イブウェイに駐車していた車からです。夜中にシールドの隙間から電気ノコギリを使っ
て切り取ったようです。シールドもプロにかかれば意味がないことを知りました。

年式の新しいものは、構造上切り取ることが困難なため、被害の対象にはならず、古い
年式の型が狙われるとはよく聞く話です。また、プロは、車をジャッキであげて車の
下に潜り込み、電気ノコギリで Converter を根本から切断。全てを数分で行うそうです。
ちなみに次男が乗る2008 年式 の Toyota Prius は十分ターゲットになるモデルですが、
前のオーナーが被害にあったようです。後から気がつきましたが、 Catalytic Converter
は溶接して固定されていました。これなら問題なし。長男にゆずった2015年式 Toyota
Prius にきつきましては、上述の通り対象外のようですが、シールドだけは装着しました。

以上、年式の古い Toyota Prius は二度と買わない理由でした。さて、その後、いろいろ
リサーチをして選んだのが、




2012年型の Mazda 3 です。燃費もよく小さい割には馬力もあり、リサーチした末にいくつ
かあった候補の中から選びました。ネットでかなり多くの中古車ディーラーをチェックし、
写真の車を探し出して現地に赴き、テスト・ドライブの後、決定です。購入したことは、
三男には内緒でした。昨年の夏に帰省した時にサプライズ。まだ自動車免許を取っていな
かった三男も一目で気に入ってくれました。実は、この一年の間に既に修理を何回かして
おり、安い買い物ではありませんでした。

続けます。




夏の間は、次男と共にサンフランシスコの社会人サッカーリーグに参加しました。大学
で体を慣らし、コンディションは出来上がっていました。




そして我らが San Jose Earthquakes の試合観戦。これは宿敵 Los Angeles Galaxy との試合
の後半開始直前。選手達がロッカールームからピッチに戻ります。相手チームに元日本代表
の吉田選手が入団し、地元チームをさしおいて声援を送る息子たちです。吉田選手、チラッ
と見て手を振ってくれました。




次男が大学生になってからは、夏休みが終わってキャンパスに戻る直前、兄弟3人で行く
サーフィンが恒例化しました。次男が卒業しましたので、三男が1人で大学に戻って行き
ます。兄弟で波待ち。波の小さい南側のビーチは混んでいましたが、彼らが入った北側は
殆ど貸切でした。




帰省してからちょくちょく海に入っていました。この日はサイズが少し上がり、ノリノリ
の三男。




次男です。




そして長男。




楽しみました。この写真では分かりませんが、三男は、ニコニコ。




長男は翌日は仕事、次男は仕事探し、三男は数日後にアパートに入り、新しい環境での
生活がスタートします。




持っていく荷物。衣類が殆どです。




さあ、大学に戻ります。早朝5時に出発。頑張れよーっ。




その後、冬休みの帰省をはさんで大学のクラブリーグでプレー。シーズン後半の3月、
次男と一緒に7時間車を飛ばし、三男のチームのリーグ戦を観戦してきました。次男は
顔馴染みの仲間達と再会を喜び合いました。




昨年とは違い、スタメンの90分フル出場でした。




この週末、ホームとアウェーの2試合があったために観戦に行くことを決めました。三男
の車でアウェー戦に向かいます。日頃、私は後部座席に乗ることはなく、それも運転する
のは三男。変な感じです。写真では分かりませんが、車内では大音量のヒップホップ音楽
が。三男は、以前から北カリフォルニア出身のやばそうなアーティストを好んで聴いてい
ます。私はゆっくり聴いたことなどなかったのですが、この時は、私の耳にも優しく入っ
てきました。

少し話がそれます。三男のヘアースタイルについて。体はサッカープレーヤーというより
フットボール選手のようになり、髪型は長州力。この写真では髪は少し短くなっていま
すので、もう少し前のもっと長かった頃と記憶しています。家内から聞き、私自身も目の
当たりにしたことです。たまたま三男とショッピングモールに一緒に行った時、三男は
肩で風を切り、首からは派手なチェーン。ふと熱い視線を感じました。残念ながら若い
女性からではなく、ヒスパニック系、アジア系のギャング風お兄さん達が、三男の頭の
先から足の先までチェックを入れて、バチバチとガン飛ばしてきたわけです。三男の長い
髪、家内も私も切れとずっと言い続けていましたが、聞き入れない三男。が、あぶない
お兄さん達にはこの髪型、どうも体形とマッチしておしゃれに写るようです。

話を戻します。2試合を観戦した後、次男と2人、深夜に車を飛ばし帰路につきました。
帰宅すると写真を整理し、いつものように




派手になりました。ホームとアウェー両方の写真を撮影
出来ましたので、ユニフォームの色を、白と青で配置し
ました。




夏休みで帰省する少し前です。三男が友人と週末に LA に
遊びに行った時に、見覚えのある人が歩いていたそうです。
何とあの吉田選手でした。声をかけて写真を撮らせてもら
いニッコリ。数日前に「長州力」ヘアーを切っておいて
よかったです。吉田選手、有り難うございました!長州
選手、無礼をお許しください!




帰省しました。ここ数ヶ月で体重を落とし、筋トレに力をいれているそうです。現在も
ジムで、自宅でコツコツと。




次男に続いて、社会人リーグに参加。シーズンは既に折り返していますので後半のみと
なります。



©️ CNN

この写真は見覚えのある方は多いと思います。先日のバイデン大統領とトランプ元大統領
の大統領候補討論会の写真です。私は仕事をしながら肩越しにチラチラ観る程度。次男と
長男は、「後からニュースをチェックします」組。三男はテレビの前にどっかり座って最初
から最後まで食い入るように観ていました。息子たち3人、アメリカの政治に対するそれ
ぞれの考えを持っています。その中でも三男が最も客観的かつ理論的に考えを整理している
ような気がします。共和党ファンではないものの、民主党のズルさはよく指摘しています。


長くなってしまいましたが、三男の写真は以上となります。ここまでご覧になっていた
だいた方々、お疲れ様でした。以下おまけです。


次の家内のハイライトでも触れますが、昨年の夏に続き、今年の夏も家内は高齢の母の
お世話をするために、日本に一ヶ月帰国。現在男ども4人の生活です。





全員、料理は出来ますので、夕食は交代で作っています。長男と三男は何やら話こんで
いる間、この日の担当だった次男は黙々と。


別の日の朝です。次男は週5日出勤。長男と三男は週2日。この日は、たまたま全員が
出勤でした。3人それぞれ、出勤先が服装に表れています。





長男はクラウド・データストーレッジの会社へ。




次男はクリニックへ。




三男は法律事務所へ出勤して行きました。(髪を切っていな
かったら、恐らくビデオ面接で落ちていたはずです。)


ついこの間まで、バタバタと3人を学校に送り出していたような気がしますが、あの頃は
遠い昔になりつつあります。次男と三男はまだサポートが必要であり、北カリフォルニア
のお父さん、これからも頑張ります。


以上、長男、次男、三男のハイライトでした。次回は、現在日本に帰国中の家内のハイ
ライトとなります。



次男 - 2023 大学卒業 + 2024 前半 ハイライト

2024年06月27日 | 家族
更新です。次男の2023年と2024年前半のハイライトです。

23歳になりました。

まず大物イベントについて。大学卒業です。もう丸1年が経ちました。(よくも
しゃあしゃあと。)

あっという間の大学の4年間でした。次男が1年生の後半に始まったコロナ禍
では、キャンパスの大学寮を出て自宅から Zoom を介した受講を余儀なくされ
ました。そのあたりも4年間が早く感じられた理由の一つかもしれません。次男
の入学前については、本ブログで書き綴っています。複数の選択肢の中から迷い
に迷って選んだ大学でしたが、正しい判断であったとキッパリ。一生の友と巡り
会い、大学のクラブリーグで好きなサッカーを続け、学業に励み、所属した研究
室は論文発表で完了、Medical School(大学院)へ進学する大学生に義務付けら
れている統一テストの MCAT も自身が満足する得点を取り卒業に至りました。
密度の濃い4年間でした。

さて、長男の場合は、地元のコミュニティーカレッジで1年生を終え、その後に
美術大学の2年生として編入しました。卒業は1学期遅れたせいもあり、卒業式
には出席せず、勿論、家内も私も出席していません。よって次男の卒業式が家族
として招かれた最初の大学卒業式でした。大学からそれほど遠くはない大きな
アリーナを使い、それでも卒業生の数が多いため、学部ごとに分けての式典で
した。式が終わった後は、次男は他の卒業生同様、アリーナの外で、誰や彼や
つかまえての記念撮影が続きました。天気も良く、良い雰囲気の中執り行われた
卒業式。私たち親にとっても思い出に残るイベントとなりました。

卒業後はと言いますと、卒業した時点で Medical School (大学院) への6月の願書
提出は、さらに一年先送りにすることを決めていました。医療機関でインターンと
して経験をつけるためだそうです。よって大学、大学院に属さないいわゆる「Gap
Year」は2年となり、進学は早くても来年の9月となります。経験をつけるための
インターンとは言え、働き口はそう簡単に見つかるものではなく、打診した医療
機関のどこからも何の連絡もなく数ヶ月経過。本人も焦り出した頃です。面接の
お声がかかりました。自宅から車で30分ほどの場所にある個人クリニックです。
そのすぐ後に別の個人クリニックからも面接の案内。結局、最初に連絡をもらった
クリニックの先生が人間的に魅力があり、そちらを選びました。素人である家内や
私からしますと、個人クリニックよりも総合病院での働き口を見つけて経験を
つける方が Medical School 側の評価は良いのではと思いましたが、次男によると
ちがうそうです。私たちが口出しをするものではありませんので、黙って見守る
ことにしました。

MCAT については、更に高得点を目指すものかと思いましたが、大学生で取った
得点に留めるそうです。GPA、MCAT、研究、医療機関でのインターン、これで
全てかと思いきや、まだ一つありました。シャドーイングといって現役の医師に
張り付き、治療の現場を自分の目で見ることが願書で大きなポイントとなるそう
です。次男は心臓外科医をめざしていますが、そちら方面の医療機関にコネもなく
無理だろうと思っていたところ、救いの手が。たまたまサッカーを通じて知り合っ
た方が某大学病院の外科の医師であることが分かりました。それも肝臓移植専門
だったそうです。ダメ元で恐る恐るシャドーイングについて尋ねたところ、その
方は「イイよ。」と二つ返事。その後、その先生と連絡を取りあいましたが、中々
話が先に進まず諦めかけていた時でした。突然、書類記入やら予防接種証明書の
提出やらの指示があり一気に動き始めました。数週間後には夜の自宅待機の後、
いきなり召集がかかり真夜中の肝臓移植手術。立ち合った次男が刺激を受けたのは
言うまでもありません。また、その先生の下には、複数の大学病院から派遣された
優秀な若い医師の方達数名がついていました。手術室だけが勉強の場ではなく、
一緒に食事をしながらアメリカの医療事情について話を聞いたり、休憩時間に
一緒にサッカーの練習をしたりと、これ以上何を望むかといった環境で短く中身の
濃い2週間を終えました。感謝のみです。

現在はクリニックに週5日出勤。朝の7時半までに家を出て帰宅は6時半くらいで
しょうか。朝早くからフライパンで野菜やら肉をジャカジャカ炒め、ご飯をつめ
こんだお弁当箱を携えて出勤。週に数回、近所のジムか自宅でワークアウト、週末
は社会人サッカーのリーグ戦でボールを追いかけ、その後はガールフレンドに会う
ためそそくさと外出。充実した日々を送っています。大学院への願書提出は終わっ
たようです。面接に進めるかどうかの結果がわかるのは年明け。面接に漕ぎ着ける
だけでも御の字であり、そこから更にふるいにかけられます。さて、どうなるので
しょうか。



写真です。まず大学サッカーから。




次男最後のシーズン。7時間飛ばして観戦してきました。これは、リーグ戦のハーフ
タイムです。キャプテンとしてチームマネージメントにも携わりました。




三男も同じピッチに立ちました。




リーグ戦が終わり、トーナメント出場。いよいよ大学最後のサッカーです。7時間の
運転は慣れました。




小さなトーナメントの B グループ枠でしたが、見事に優勝!




チームの努力を形に残すことが出来ました。




チームポスターです。シーズンを戦い抜いた彼らのために作りました。4年生には卒業
してもサッカーを続けてもらいたいです。




こちらは、今シーズンの社会人リーグです。三男はこの試合の翌週より合流しました。


卒業式の写真に移ります。




次男の卒業式の前日。家内と共に南へ。 I-5 です。ただひたすらまっすぐ。




大学キャンパスに到着。早々に次男と仲間の写真セッション
に入ります。この写真の4年前、次男を乗せて初めてこの
キャンパスを訪れた片道7時間の日帰り弾丸ドライブは昨日
のように思われます。




アパートのルームメイトと仲の良い友人達。卒業後はそれぞれの道を歩んでいきます。
この中で2名は既に就職。1名は大学院生。1名は次男と同様、インターンの最中で
Medical School 進学の準備中です。




いよいよです。大学のオーディトリアムでは、卒業生と家族、友人達を収容しきれない
ため、最寄りのアリーナを卒業式会場として使いました。それでも人数制限が。




始まりました。卒業生が入場します。次男がカメラを構える私に気がつきました。いつも
サッカーの試合の撮影で使う500mmのズームレンズを持参。




この大学はスコットランドと繋がりがあり、公式の式典ではバグパイプが登場します。




そして教授陣の入場です。




巣立っていく卒業生達。




式は無事終了。さあ会場の外で写真セッションです。まずは次男の親友と大学の在校生
でもある三男と。この親友は、三男とも仲が良く、卒業して南カリフォルニアの家族の
もとに戻った後も、ちょくちょく三男に会いに来てくれるそうです。




そして家内。白髪が増えて髪を染めましたが、少し茶色が強すぎてヤンキーママになって
しまいました。




お世話になった教授です。短い間でしたが、バイオリンを
一緒に練習し、大学院の願書に添える推薦状も用意して
いただきました。




帰路につきます。三男を連れて帰るため、車の中は大学寮を引き払った彼の荷物で
いっぱいです。次男はもう数日残り、アパートを引き払ってひとりで帰省。




戻ってきました。久しぶりの地元プロチーム San Jose Earthquakes の試合観戦。




インターンが決まり、スクラブに身を包み出勤です。




こちらはたった2週間でしたが、シャドーイングで大学病院から支給されたスクラブです。
ネームカードも用意していただきました。非常に中身の濃い2週間でした。




今年の誕生日です。家族からのメッセージに目を通します。さあ、全てはこれからです。

頑張れよーっ!



以上です。次回は三男のハイライトとなります。



長男 - 2023 後半 + 2024 前半 ハイライト

2024年06月24日 | 家族
間が空きました。更新です。(今年の1月以来ですが、サラリと言ってのけます。)

2023年のハイライトのはずですが、2024年もあっという間にもう半分。予定を変更し、
2023年と現在までのイベントをカバーすることにします。

まず長男から。

26歳。特に大きな変化はありません。就職から丸2年半。グラフィックデザイナー
として日々腕を磨き、マーケティング・チームの中でも存在感を増して居場所を確保
しました。先輩社員のデザインに対して愚痴ることも。就職が決まり勤務が始まった
当初は経済的に豊かになり、家を出て一人で生活したいようなことをよく口にして
いました。今では全く聞きません。アメリカにお住まいの方であればご存知だと思い
ます。サンフランシスコ / シリコンバレー間の住宅事情は全米でも悪名高く、近隣の
州に移住する人は珍しくありません。長男も現実を知ったのでしょう。算盤を弾いて
「家を出ずにお金を貯める。」に落ち着いたようです。上げ膳据え膳の3食付で家賃は
タダ。結構なご身分です。

会社の出勤は水、木曜日のみ。後は Remote で自宅から仕事です。長男によりますと、
役職で異なりますが、彼の会社の殆どの社員がオフィスへの出勤は週数日のみのよう
です。Remote の場合、長男は朝の10時前にのこのこ起きて仕事を開始し、週何回か
あるビデオ会議に出席、後はコンピューターに向かって黙々と仕事。少し疲れてくる
と遠慮なく休憩し、夕方は早々と仕事を一旦切り上げ、夜に残りを片付けるといった
パターンが定着しています。先日、上司を介して昇給の話があり、人事部のマネー
ジャーとの面接があったようです。その後、何の進展もなく憤慨する長男。最近は
自身のポートフォリオのアップデートに時間を注いでいます。転職の準備でしょうか。

前回の長男に関する更新は昨年の2月。上述の通りあまり大きな変化はないのですが、
以前になかったものの一つは、旅行が多くなったことです。昨年は日本には3月と11月
の2回。国内はワシントンDCにニューオリンズ。どれも高校時代の同じ友人グループ
との旅行です。訪日については、円安もあり、日本国内を随分あちこち訪れたようです。
2回目の日本訪問は、約2ヶ月の長期滞在でした。帰ったら勤め先の自分の机がなくな
っていそうですが、事前に上司に了解をもらい、休暇の半分は、日本からの Remote
勤務でした。寛大な会社です。滞在中の前半はグループと行動を共にし、年末から一人
旅。お正月は私の弟の家でお世話になり、現役のグラフィックデザイナーの方とのミー
ティングも設けてもらい、仕事の面でも収穫のあった日本旅行でした。秋には同じグル
ープと南アジアを訪れるようなことを聞きました。今時のアメリカの20代独身貴族です。

もう一つ。外観が変わりました。昨年までは、顔の輪郭がぽっちゃりしていた上にショ
ートカットでした。増えた体重は自覚していた様子。頑張って体重を落とし、髪も伸ばし、
友人や同僚、周りからの評価は良いそうです。次男、三男、それぞれのハイライトで触れ
ますが、弟たちにはガールフレンドがいます。長男はと言いますと・・・いません。
我が家では、誕生日を迎えるメンバーの希望メニューの夕食、ギフト、ケーキでお祝いを
することが恒例となっており、ギフトには家族全員からのメッセージが入ったバースデー
カードが添えられます。今年の長男のバースデーカードの弟二人からのメッセージには
それぞれ「早く彼女を見つけなさい。」とひどい一言が。長男は「ケッ」と気にもとめない
様子。そのうち見つかることでしょう。「頑張れよーっ。」

長男が独身でいるうちは、家を出ていくことは、まずないと思います。家内の料理には
日頃からブーブー言う一方、家が居心地の良い環境であることは本人も理解しています。
まだ5、6年は一緒に暮らしていそうな気がします。

それではあまり枚数はありませんが写真に移ります。




三男が大学に入学した後は、長男とサーフィンに行くことが多くなりました。この日、
私は一足早く上がり、出てきた長男をパチリ。手前にあるのは「サメが出た!」の
サインです。後から気づきびっくりでした。




おそらく2、3ヶ月、毎日1時間以上走り込んだと思います。かなり体重を落としました。




筋トレも日課でした。




体重を落としていざ日本へ。




ただいまー。オタクの長男でした。かなり買い込みました。円安もあり買わないと損だ
そうです。




自分の世界で仕事に集中します。




高校時代はメキシカンのレストランでバイトもしていました。次男、三男ほどではありま
せんがキッチンに立つことも。




26歳の誕生日。1年などあっという間です。来年はガールフレンドができていればいい
のですが。


以上でした。次回は次男のハイライトです。

Season's Greetings

2023年12月25日 | 家族
更新です。

前回の更新が5月。あれから半年以上が経ちました。その間、我が家ではいろいろな
イベントがありましたが、一番大きなものは、やはり次男の大学卒業だったと思います。
実は夏の終わりに次男の卒業について文章をしたためていましたが、仕事で延び延びと
なり今回に至りました。以前から読んでいただいている方はご存知の通り。言い訳は
珍しくない本ブログです。

もう今年も残すところ後わずか。次男の大学卒業とその後の様子は、2023年ハイライト
で年が明けてから書き綴ろうと思います。今回はと言いますと、我が家で20数年続く、
クリスマスカード兼年賀状のグリーティングカードについて。

長男が生まれる数年前まで、日本の家族、親類、友人、その他お世話になった方々には
ごくありきたりの年賀状を用意し、元旦あたりに届くよう12月半ばに発送していました。
長男が誕生したのは私たちの結婚7年後。その頃にはアメリカ国内でも年に一度のご挨拶
が必要な方々が増え、知らない間に国内外への「グリーティングカード」にとって代わり
発送も11月末の感謝祭後となりました。

子供が生まれますと、どうしても写真を遠く離れた日本の家族に見せたくなります。
私たちも、迷わず写真組み込みの市販のグリーティングカードを使用するようになり
ました。写真撮影は、次男の誕生あたりから私の仕事となり、写真組み込みカードは
10年ほど続きました。しかし、そのうち市販テンプレートのデザインに対し「うーん」
とだんだん不満がつのり、自分で Photoshop を使って 写真にテキストを加えただけの
シンプルなオリジナルカードの登場となりました。それ以来ずっと続き現在に至ります。

写真自体は、息子達が小さかった頃はクリスマスツリー前で撮ったものが多かったの
ですが、こちらも飽きが出てきました。毎年いろいろ思いつきで背景や構成を取っ替え
引っ替えで写真を撮るようになり、今後も変わりません。但し、長男は現在25歳。
いずれ結婚して家を出ていきます。我が家の息子3人の写真を使ったグリーティング
カードもそろそろ終わりが近づいてきているのかもしれません。少し寂しいですが、
その日がくるまで頑張ります。

それでは写真に移ります。時系列で1999年からとなります。我が家の歴史です。


1999 - 2003 年



保管してあったカードです。スキャンすると画質はかなり悪く、
4年分を小さくまとめました。我が家でデジタルカメラを使い
始めたのは次男誕生後。よって2001年より前の写真は全て
フィルムカメラで撮ったものとなります。2001年と2003年の
間にあるはずの2002年のカードは、残念ながらどこかにしまい
込んで見つかりませんでした。


2004 - 2007 年



次の4年分。3人となりました。今回の更新にあたり古いカードと
使用した写真を徹底的にチェックしましたが、上述2002年の
カードに加え、2004年以前の写真はフィルム、デジタル版共に
紛失。以下はデジタルカメラで撮影し、記録が残っていた2005年
以降のカード、またはカードに使用した写真となります。


2005 年



小熊が6匹。


2006 年



カメラを構える私の後で、家内がおもしろい顔をして息子達を笑わせています。私も
見たかったです。


2007 年



この年の写真からクリスマスにこだわるのはやめましたが、息子達の身につけさせるのは
やはり赤。サンフランシスコのオーシャンビーチで。


2008 年



父が他界し、グリーティングカードの発送を控えた年。


2009 年



サンフランシスコ日本語補習校で保護者会役員をさせていただいた年です。Fund raising
のために制作したTシャツを息子3人に着せて撮影。もちろんお金を払って購入しました。
胸には現在の名称とは異なる「SFJLC」が。この翌年に理事会で定款を修正し名称変更
となりました。三男はまだ入学していません。初めてモノクロ写真に挑戦。


2010 年



長男は中学1年生。髪を伸ばし始め、この頃から上級生のお姉さん達にモテるようになり
ました。まだ市販のテンプレート使用です。


2011 年



市販テンプレートに別れを告げました。Photoshop を使ったオリジナルカード。やはり
白黒です。サッカーの試合と重ならない限り、親子で毎週末サーフィンに行っていました。
お気に入りの一枚。


2012 年



サーフィンの次はサッカーです。


2013 年



そしてバイオリン。


2014 年



サーフィンに戻りました。この年から息子達のサーフボードに GoPro を装着するように
なり、動画から切り抜いたショット。これもお気に入りの一枚です。


2015 年



ずっと過去に遡ります。実家のある名古屋の写真館で撮った息子達3人それぞれの
七五三の写真を組み合わせました。4年前の帰国時には家族で写真館を訪れる計画
でしたが、スケジュールがタイト過ぎて実現しませんでした。


2016 年



ネタ切れの感がありますが、前年のカードでは見せられなかったため、当時の3人の
それぞれの成長ぶりをパチリ。


2017 年



次男がサンフランシスコ日本語補習校中学部卒業した2016年、卒業生のために記念
冊子を作成し、写真は Photoshop と Illustrator を使ってイラストレート風に加工。
この年のグリーティングカードでも使ってみました。


2018 年



この年のカードからブログでも紹介するようになりました。サンフランシスコの金融
街のど真ん中を選んでスーツ姿で撮影。人が少ない週末の朝を選びました。


2019 年



再びサーフィン。この翌日、次男は家を出て大学寮に入りました。


2020 年



やはりブログで紹介済みです。息子達3人の母校の高校キャンパスで撮影しました。


2021 年



久しぶりに自宅の中での撮影です。


2022 年



次男が大学から帰省した夏休み。サンフランシスコのオーシャンビーチ。


2023 年

まだ公開出来ません。今年の12月中旬に日本への出張が入り、それまで準備でずっと忙しく、
早めに用意していた今年のグリーティングカードの発送は帰国後となりました。その結果、
日本にカードが届くのは、クリスマスは間に合わず、年明けとなります。それまでカードの
公開は出来ず、本ブログの新年のご挨拶は1月中旬とさせていただきます。


フォトギャラリー



過去、本ブログでちょくちょく登場する我が家のダイニングルームの壁には、三男が生ま
れた年の2004年からのグリーティングカードに使用した写真を飾っています。時々写真に
目をやることがありますが、長男が誕生してもう直ぐ26年。ここまでくるのは早かったなと
思います。幸い愚息3人、大きな怪我や病気もなく現在に至ります。感謝です。


写真は以上となります。


年々、発送するグリーティングカードの数は減ってきています。メールに切り替えたり、少し
ずつ音信不通になったりと、この先も少なくなるものと思います。年一回の息子達3人の写真
撮影はもう少し続けます。


それでは皆様、良いお年をお迎えください。



お父さん - お仕事 (2022年)

2023年05月13日 | 家族
更新です。

もう5月も中旬。遅くなりました。(いつものことですが。)
ようやく私の2022年のハイライトです。

今更ですが、いろいろあった1年でした。
家のリフォームは既にカバーしました。健康面について始めます。

昨年1月早々、還暦も過ぎているというのに五十肩になりました。右肩です。世間
でよく言われるように痛みで腕が上がらず、ピークの1ヶ月ほどは、寝返りすら打て
ない状態でした。2、3ヶ月経っていつの間にか痛みがなくなっていたという話も
聞きましたが、私の場合は長引きました。息子達がサッカーで膝や足首を痛めた時
にお世話になったカイロプラクターの先生に診ていただき痛みは少し和らぎました
が、一時的なもの。その後も続きました。6月、ようやく右腕を上に伸ばせるよう
になり、あと数ヶ月で完治と思いきや、肩の付け根の痛みは1年以上経った今も
残っています。

但し、現在の痛みは、五十肩のピーク時のそれとは異なり、40代の頃、当時、日課
としていた朝のラップ水泳で始まり、それからちょくちょく悩まされたものに似て
います。水泳肩と呼ばれるものだったようです。水泳を控えて少し経つと痛みは無く
なりましたが、その後、腕立て伏せ、懸垂、ベンチプレスで痛みが再発。全ての
筋トレを止め、カイロプラクター、鍼灸、いろいろ試しましたが効果はあまり無く、
かなりしてからやっと痛みは消えました。それから10数年。残念ながら今回の五十
肩がきっかけで復活です。ストレッチを行い、生活の中で右肩への負担をコントロー
ルすれば痛みを抑えられることは分かりました。食事は以前から注意していましたが
カルシウムやビタミンD のサプリも摂るようになりました。無理をせず治していきま
す。幸い、コロナ、血圧、体のその他の部分は問題なさそうです。昨年11月のサンク
スギビングからお正月と続くホリデーシーズンは、カロリー摂取が増えました。ジー
ンズのウエストは窮屈ながらも何とか29インチを保っています。62歳。肘、膝、腰
も併せて体のポンコツ化が進みます。

健康面は以上となります。

それでは仕事について。

大きな変化がありました。昨年の5月末に起業しました。現在、社員1名の会社
の CEO 兼 COO 兼 CMO 兼 CSOです。「アンタ、その歳で無茶な」と思われる方も
いらっしゃるかもしれません。以下はその背景となります。長くなります。

一昨年、2021年の春、勤め先の会社を20年にわたって牽引してきた CEO が何の前
触れもなく突然「引退」しました。会社は上場企業。健全な経営を貫き、政府関係
の安定した事業もあり当時の会社の株価は悪くはありませんでした。その一方、同
CEO が長年計画していた事業拡張は停滞しており、ベストな状態ではなかったと
思います。本人の意思による引退か?そうではなかったはずです。新 CEO に就いた
のは、その前年に外部から取締役会に招かれたヘッジファンド畑のベテランでした。
CEO 交代後の組織改編と重役の入れ替えはよくあるパターンす。新 CEO は頻繁に
全社テレビ会議を設け、新しい経営体制の「透明性」を強調しました。不安しか
ない社内では然るべきステップだったと思います。就任後、暫くしてヨーロッパの
パートナー企業の買収について社内で発表がありました。行動開始です。主力事業
に手を加え、それに伴う人の出入りが続いたのは言うまでもありません。

本社は他州にあり、ハイテクの部類にはいる事業を主としていますが、私が所属
するのは、北カリフォルニアにオフィスを構えていたリサーチとコンサルティング
の要素が大きい事業部でした。(元々は独立した会社でしたが、12年前に買収され
一事業部となりました。また、パンデミックの2年前にカリフォルニアの事業部は
完全に Remote となりオフィスはなくなりました。)主力事業のテコ入れは私たち
にも影響を及ぼし、本社の技術支援は体制を組み直した事業優先に。私の上司で
ある Sr. Director はトップに対して不満を示しましたが何ら変わらず。そしてまだ
コロナが世間を騒がせていた2021年の夏でした。長年にわたりチームを引っ張っ
てきた同 Sr. Director が社を去りました。その後、ポジションを埋める人材は見つ
からず、チームの間に不安が広がっていた矢先、同じ事業部の技術のリーダーも
続いて転職。とどめを刺されました。後はフリーフォールです。会社の経営陣は、
2本柱を失った事業部に見切りを付け、翌年2022年1月以降は既存顧客との年間
契約更新は一切しないことを内部に発表しました。2021年末でした。

これにより1年後の2022年末をもって事業部が閉鎖されることが決定。決して赤字
事業ではなく、欧米、日本の殆どの顧客企業とのお付き合いが10年以上に及ぶこと
を考えても安定した事業であったことが分かります。会社のトップは事業部を丸ごと
売却するものと考えていましたが、それもなく、単に全てを閉鎖することになりま
した。競合は大喜びだったと想像します。アメリカのある顧客企業から事業部を
買取したいとの申し出もあったそうですが、実現しませんでした。新 CEO の判断。
もったいない話です。私が入社以来、ずっとお付き合いのあった日本の顧客企業に
は、本社からの指示を待ち、翌年2022年のはじめに正式に事業部閉鎖の計画を伝え
ました。どこの企業も少なからずショックだったようです。

同じ頃、長年同じチームで働いてきた欧米担当のベテランの同僚1名も沈みゆく船
から脱出。社を去りました。私はと言いますと、年齢も年齢です。当然先のことを
あらゆる角度から考え、日本帰国も含めた転職のリサーチ、自身のレジュメのアッ
プデートは開始していました。そして自分の持つオプションを少しずつ絞り込んで
出した結論は、「動かない」でした。直ぐに社内営業を開始し、日本の顧客企業
との契約満了後の他の事業部への異動が確定。良かったです。5年と少し前、短い
間でしたが、本業と掛け持ちで本社の主力事業の日本市場開拓に携わったことは
過去に本ブログで触れています。そこに戻って日本支社と顧客を支援するポジショ
ンに就くことになり、まずは一段落。全く新しい未知の世界ではなく、面識のある
当時の顧客やパートナー企業との接点も復活することになり、やる気も湧いてきま
した。

但し、引っかかることがいくつかありました。10年以上を過ごした事業部で培った
知識、経験を全て捨て、信頼してくれていた日本の顧客、長年一緒に働いてきた
優秀なフリーランサー達との縁を切ることでした。勿論、競合会社は世界中にあり
ましたので、事業部閉鎖後は日本を含め、顧客各企業は単に他社に乗り換えるだけ。
それほど大きな問題ではなかったと思います。これまでに得た知識、経験につきま
しては、新しい仕事で応用すればいいことであり、過去に経験済みです。優秀な
フリーランサー達はもっと良い仕事に就ける可能性もあります。敢えて引っかから
ないよう前向きに考えることにしました。

しかし、もう一つ。新体制の社内のムードは気になりました。私は過去3度転職
を経験しています。半年ほどの短い期間、サンフランシスコのスタートアップに
いたこともありました。上場を目指す若い企業に日本市場の担当として採用され
ましたが、それまでに経験したことのない雰囲気に驚いたことをよく覚えています。
自分の上司である Sr. Business Development Director の小さなガラス張りの個室。
キャビネットの上にウィスキー等、高級ハードリカーのボトルを並べ、大口商談が
決まると曜日に関係なく祝杯でした。金曜日のお昼は社内でよくビザが振る舞われ、
時にはビール付き。また、仕事中でも突然アメリカンフットボールのキャッチボー
ルが始まるオフィスでした。但し、普段は営業、マーケティング、技術、誰もが
仕事に集中し、社内全体に士気がみなぎる当時の典型的なスタートアップではあり
ました。残念ながら、暫くすると豊富だった資金は逼迫し事業縮小。よくある話で
す。直ぐに私も社を去ることになり、その後、日本市場から撤退したと聞きました。
私にとっては良い経験となりました。

余談ですが、同スタートアップにいた頃、日本に出張する機会がありました。日本
支社のチームと合流して一緒に仕事をする1週間のプロジェクトだったと記憶して
います。そのチームの中にアメリカ人の Regional Engineer でクリスさんという方
がいました。フットワーク良く仕事をテキパキとこなし、きれいな日本語で敬語も
使う好青年。それだけではなく、打ち上げのカラオケではあまりの歌の上手さに
びっくりしました。数年後、日本のテレビの歌番組にクリスさんそっくりな人が
出ていました。「クリス・ハート」さんだそうです。ははー、納得。ご本人、然る
べき場所に辿り着かれたようです。

前置きが長くなりましたが、ヘッジファンド畑出身の新 CEO 体制でヨーロッパの
企業を買収し、事業方針を変えてからの社内の雰囲気は、過去に見たスタート
アップと酷似していました。勿論、尾を引くパンデミックにより在宅勤務の社員が
多い中、大口契約締結後の真っ昼間のオフィスでの祝杯、仕事中のキャッチボール、
ピザとビールの大判振る舞いはなかったはずです。しかし、CEO と重役を中心に
誰もが舞い上り、まるで新体制の成功が約束されているかのような盛り上がり方
でした。新しい事業計画の内容は知らされていましたが、それほど画期的なもの
ではなく、私は心の中で「大丈夫?」とつぶやいたものです。

異動先を確保し、既存顧客との契約満了まで日々の業務に専念しようと決意しま
したが、モヤモヤがより一層引っかかってきました。10年かけて培ったものを
捨て、オーバーヒート気味の社に身を置くのか?自身を納得させるため全てを
見直した後、それまで思いもよらなかった考えが出てきました。会社が事業を
放棄するのであれば、自分でフリーランサーをまとめ、日本の事業だけでも継続
が可能なのでは?自分の目はもう別のものを見ていました。GO です。

コンプライアンスもありますので慎重に顧客数社に間接的に打診したところ、結果
は悪くありませんでした。但し、個人との業務締結は難しいだろうとのこと。で
あれば、選択肢はひとつ。法人設立となります。自分の担当企業の契約満了は半年
先。引き継ぐのであれば時間は迫っており、いろいろなシナリオを作ってオペレー
ション、技術面の条件、コスト、資金、法的制約等、実行可能かどうか、多方面
から何度もチェックしました。データベースは安易に考えていましたが、日本で
事業を行う実家に相談したところ、しっかりしたプラットフォームで構築すべき
とのことでした。顧客ポータルと併せて日本のシステム開発会社にお願いすること
になり直ぐに打ち合わせを開始。勤め先の企業秘密を拝借するようなものではなく、
業務に必要な基本機能だけを備えたシンプルなシステムです。同時期、アメリカと
日本の弁護士にも法人設立、決済方法や法的条件等を相談して計画の詳細を固める
一方、勤め先との雇用契約の内容もチェック。

そして5月末でした。社名を決めてカリフォルニア州の Limited Liability Company
として正式登録しました。その後、銀行口座を開設し自治体のビジネス・ライセンス
を取得。日本語の事業計画書は何度も手を加え、顧客企業数社へのテレビ会議を介し
たプレゼンテーションが続きました。価格を含めたサービスの詳細は納得してもらい、
後日システム完成後、実際に機能とサンプルデータを見て無償トライアルに進むこと
で話がまとまりました。勤め先はと言いますと、新しい事業の稼働開始までは収入を
維持するために必要です。まだ退職出来ません。(厳密にはコンプライアンス引っか
かります。)

その頃、新 CEOの「透明性」はもうどこにも見当たらなく、事業の最新のロード
マップも社内で共有されることは無くなっていました。同時期に重役1名が社を
去り、水面下といいますかトップでいろいろ動きがあるのは明らかでした。そして
日本の顧客企業との年間契約が終わり、異動先でトレーニング開始。新しい上司や
日本支社との定期会議も軌道に乗った8月のある日。衝撃が走りました。組織替え
による大きい人員削減です。日本支社は閉鎖。それに伴い日本の Director と私は
お払い箱です。後から私の新しい上司を含め、複数の事業部の様々なランクの社員
も対象となったと聞きました。私の中にあった引っかかりが現実のものとなった
わけです。

その数日前の金曜日の午後。新しい上司の上司である海外営業 VP との一対一の
テレビ会議が組まれました。ひょっとして?と思いつつ月曜日の朝一番の会議に
臨んだところ、そこには VP だけではなく人事部の担当者が同席。決定です。覚悟
は出来ていました。会議は事務的な説明を中心にわずか10分。最後は、お決まりの
「I wish you good luck.」で終了です。メールも含め、私の業務の全てのアカウント
は会議中に無効にされました。勤め先を失ったわけですが、予定が少し早くなった
だけです。問題ありません。その後、直ぐに失業保険と健康保険の手続きを済ませ、
会社のラップトップのデータを全て消去し本社への返送準備。お昼には自分自身と
新事業の計画の見直しを開始していました。

同じ頃にデータベース、顧客ポータルを含む新事業のシステムが完成。高額な開発料
をカバー出来たのは実家のサポートのお陰です。年末にホームページを開設し、予定
通り顧客企業1社への無償トライアルを1ヶ月の期間で実施しました。長年一緒に
働いたフリーランサーの中で一番信頼出来るメンバーを雇い入れ、万全の体制で臨ん
だトライアル。私にとっても重要な試運転の結果は満足のいくものでした。現在、
サービス内容の詳細を固め、正式契約締結の準備を進めています。動き出したのが
もう1年以上前。昨年の契約満了と同時の引き継ぎは無理がありました。必要なステ
ップを一歩一歩踏んで現在に至ります。今のところ全て良しと見ます。プレゼンテー
ションを行なった別の1社はこちらの様子を伺っているようです。また、5年前に
本社の主要事業の日本市場開拓の際にお世話になった日本のパートナー企業さんも
日本支社閉鎖の後に心配して私の個人アドレスに連絡がありました。状況を説明し、
私の新しい事業についても報告した後、直ぐにいくつか案件をいただきました。そち
らも現在ゆっくり進行中です。

家族はと言いますと、家内には事業部の閉鎖と異動に関しては早くから伝えてありま
した。勤め先のレイオフについては、保険を確保し計画を整理し直した後、新事業と
併せて報告。直ぐに納得してくれました。そして、その数日後に家族会議を開き、夏
休みで帰省していた次男を含めた息子達にも勤務先で起こったこと、立ち上げた事業
についてきちんと伝えました。彼らはもう子供ではなく状況を理解し、意外でしたが
喜んでもくれました。少し心の負担が減りました。

先日、元の勤め先のホームページをチェックしてみると、買収したヨーロッパ企業の
情報はオフィスの住所も含めてどこにも見当たらず、重役紹介ページでは、以前に名
を連ねていた2名がいなくなっていました。買収した企業の創設者もそのうちの一人
です。ホームページ内には、つい先日あった投資家への収支報告の議事録もアップさ
れていましたので読んでみると、この2月にまた大幅な人員削減があったとのこと。
買収後の重複する機能を統合するためだったそうです。株価が低迷する中、投資家
からのプレッシャーもあり、人件費を大きく削ってQ1 の収支をよく見せるための措置
だったと想像します。修正した事業計画の進捗状況には詳しく触れていませんでした。
この会社に未練はありませんが、株を保有していますので業績は大変気になります。
畑違いの CEO、是非とも頑張ってもらいたいものです。

前回の更新の通り、昨年は我が家のリフォームに時間とお金を費やしました。もし
もっと早く会社を去ることになっていれば、庭のモグラ対策、Bathroom とキッチン
のペンキ塗り替え、電化製品の買い替え、ガレージのリノベーションはなかったかも
しれません。結果的にタイミングは良かったと考えます。(モグラは我が家の庭から
撤退しました。私のせいだと思いたくありませんが、今、おとなりの芝生が凄いこと
になっています。)

さて、本ブログの2年前の還暦に関する記事を覚えていらっしゃる方もいるかもしれ
ません。記事の最後に「10年後、どこでどのようなじーさんになって何をしているか
検討はつきません。」と書きました。今はと言いますと、70歳になった自分のイメー
ジは 4K 画像で頭の中にくっきり描かれています。果たして実現するか?実現させます。
数年前には想像出来なかった展開ですが、北カリフォルニアのお父さん、コツコツと
自身をイメージに当てはめていきます。


以下は写真となります。





「何これっ?」ですが、2022年の写真ではありません。もう何十年も前の私の留学時代の
写真を引っ張り出してきました。たった1シーズンだけですが、この年、かなり真剣に
トライアスロンに取り組みました。日本で中学、高校と部活はずっと水泳であったため、
大学の友人に誘われ、何の抵抗もなく始めました。当時は酷使とは思っていませんでした
が、今、振り返るとこの頃から自分の体を痛めつけていました。これはシーズン2回目の
参加者数百人程度のレース。場所は、当時住んでいたワシントン DC のお隣のメリーラン
ド州。オリンピック・ディスタンスの1.5 km の水泳のスタートです。応援に来てくれた
当時のルームメイトに撮ってもらいました。




肌の出し過ぎ。失礼いたします。この頃、私は現在の次男、
三男のように大食漢で食事は1日4回摂っていましたが、
日々の練習によるカロリー消化がそれを上回り、お腹は
ぺったんこ。練習は自分でメニューを組んで週7日。食事
は意識して炭水化物を多く摂っていました。




中学、高校では屋外プールしかなかったため、シーズンオフはとにかく走らさられました。
よって、水泳同様、ランニングは全く問題ありませんでしたが、自転車はど素人。ずい分
練習しました。当時のフィルムカメラでの撮影。ピントは大ボケですが、撮ってくれた
ルームメイトには感謝です。40km の自転車です。




最後の 10km のランニングです。アルバムで数十年眠ってい
た写真を引っ張り出してきたため、下地のマットのあとが
残っています。過去、どこに住んでも必ず使用出来る温水
プールを見つけて定期的に泳ぎ、日課にジョギングを取り
入れていました。残念ながら、ずっと酷使してきた膝は、
30代になって痛め、夢であったトライアスロンへの再挑戦
は断念。水泳は肩の痛みで中断もしましたが、今でも自分
には一番相性のいい運動だと思っています。




シーズンの締めくくり。最初の2レースのタイムがそこそこ
良かったため、単純な私は気をよくし、当時 ビール会社の
最大手 「Budweiser」 がメインスポンサーの規模の大きい
シリーズ戦のボストンでのレースに参加しました。写真は
フィニッシュの後。水をカップで数杯飲み干し、クッキー
数枚を平らげ、ようやくカメラに向かってニッコリ。参加
者は2000人を超えたと思います。自転車を梱包し飛行機で
移動。ルームメイト達も観光がてら一緒に来てくれました。
まだまだ続けたかったのですが、これが最後。当時、英語
で苦労し授業についていくのも大変だったため、トライア
スロンは比較的時間のとれた春夏の1シーズンのみ。その
後は卒業までずっとひたすら勉強に集中しました。暫くの
間、運動量は激減、体は激太り。




現在に戻ります。我が家のガレージのウェイトトレーニングのセットです。三男が生まれ
る頃までは毎日のように使用していましたが、肩の後、暫くして肘にも痛みが出始め、
それから殆ど使わなくなりました。昨年は三男が頻繁に使用。今では長男がジムに行か
ない日に使っています。6月末には大学を卒業する次男と夏休みで帰省する三男が復活
します。




現在の健康維持の手段の一つはサーフィンです。三男のクラブサッカーが終わった後は
コンスタントに行けるものと思っていましたが、五十肩で半年中断。そして起業です。
結局、頻度はあまり変わりませんが、末長く付き合っていきます。




車の中にはボード1本。昨年の夏まではもっぱら三男が一緒でした。三男が大学に進学
してから暫くは長男と。秋以降は私一人で行くことがほとんどでした。




愛車の2004年型 Mazda MPV 。本ブログに何度か登場しています。三男が産まれて直ぐ
購入し、丸19年使用しています。この車をずっと運転していた家内が新車に乗り換えた
のが2017年。それ以降は私のサーフィン専用車となっています。




走行距離 185,505マイル。約30万kmです。オイル漏れもあり、私の体同様かなりガタが
きています。夏も冷房は一切入れず、カーレーサーでもないのにタコメーターを見ながら
エンジンの回転数に注意して運転しています。この先もずっと乗り続けたいのですが、
スバルも30万kmを超えてから調子が悪くなり最終的に廃車となりました。難しいかも
しれません。




こちらも大事な相棒です。確か次男が産まれた頃に購入したため、二十歳は間違いなく
超えています。クラッシュする度に自分でリペア。パンデミックの前に新しいボードを
買いましたが、この古いボードが慣れているせいもありずっと使い続けています。




そして五十肩の間も欠かさず続けていたのがトレッドミルのウォーキングです。膝を痛め
てから何度もジョギングの復活を試みましたがダメでした。1ヶ月ほどは問題ないのです
が、それ以降は痛みが復活。結局、ウォーキングで落ち着きました。時間はわずか30分。
カロリーの消費は大したことありません。もっぱら腰の矯正、ギックリ腰防止のために
毎日続けています。誕生日に長男に買ってもらった高価な Adidas を履いて歩いています。




トレッドミルは、もうかなり長いこと続いています。パンデミックの前半まではずっと
音楽を聴きながら歩いていましたが、昨年から Kindle の読書となりました。ノンフィク
ションから始まった読書は、今ではどっぷりスパイスリラー。私の毎日のささやかな
楽しみです。ストーリーは、CIA、MI6、SVR、核兵器保有国のスパイ、利益のためには
手段を選ばない国際コングロマリットや腐敗した政治家等がキャストとなり、極悪連中
を撃退するやたらめったら強いヒーローは、大抵は訳ありで引退した元 Special Force か
架空の国際諜報機関の Field Officer あたりです。ありきたりの内容のものが殆どですが、
ストレス解消に役立ってます。


事業に移ります。




カリフォルニア州政府から届いた基本定款です。




事業のホームページは、プロのグラフィックデザイナーとなった長男に頼みましたが、
「忙しい。」と一蹴。契約したWeb Hosting 会社から紹介してもらったフリランサー
にお願いしました。自分の要望を伝え、満足のいくデザインで仕上がってきましたが、
念のため、長男に見てもらったところ「これ作ったの学生?」と一言。結局1時間以上
かけて手を加えてくれました。長男に感謝です。




Adobe の Illustrator と Photoshop は、私もある程度使えますので、名刺は自分でデザイン
しました。しかし、最後の仕上げはやはり長男でした。頼りになります。何故、名刺が
必要だったかと言いますと、今年 2023年の話になってしまいますが、実は2月末に1週間
の日程で3年半ぶりに日本を訪れました。弟が経営する会社のある式典に招待してもらい
日本帰国となりました。私が日本で新事業の営業活動が出来るようにとの配慮だったよう
です。いろいろな人たちに支えられています。有り難いことです。長男に手伝ってもらって
用意した名刺は勿論日本で大活躍しました。




実家のある名古屋から東京に行き1泊。ホテルの部屋からの
景色です。ここを拠点として2日間で数社を回ることが出来
ました。昨年始まった事業準備のプロセスとして、ここでの
日本訪問は最高のタイミングだったと思います。感謝です。




日本滞在は雛祭りと重なりました。ホテルのロビーの見事な雛壇。名古屋でお世話になった
ホテルです。ここでは、全く違うスケジュールで日本を訪れていた長男も1泊し、ホテル
ロビーで待ち合わせの後、親子で墓参り。そして、姉、弟一家に招かれ、久しぶりに食事を
共にしました。日本の滞在中、実家をはじめ、いろいろな場所でご馳走になりました。有り
難うございました。いつものことながら日本の繊細な食事はどこでも例外なく美味しかった
です。雛祭りの数日後にアメリカに帰国。大変収穫の多い日本帰国でした。




アメリカ帰国後は、日本から持ち帰った宿題に取り組みました。これまで過去に就いた
仕事は全て日本が関連していました。新しい私自身の事業も然り。小さいながらもイン
ターナショナルです。




州、自治体で登録されている私の事業の所在地です。いわゆるシェアオフィスと契約して
書類上の住所としました。Limite Liability Company として登録されますと、住所は州の
データベースで公開されます。自宅にしてしまいますと厄介なことになり、車でのアクセ
スも問題ない写真の建物の中にあるシェアオフィスを書類上の所在地として選びました。
実際に使用することも出来るオフィスは、綺麗なゆったりしたスペースに机と椅子。WiFi
は勿論、ミーティングルーム、キッチンと全てを揃えています。


事業関連の写真は以上となります。庭について少し。




写真は Front yard。昨年もちょくちょく庭仕事をしました。2年前に植えた奥の Mexican
Feather Grass は当初は枯れ草のようでしたが、トリミングが必要になるくらい大きくなり
ました。手前の Boxwood と Blue Fescue も年に2回ほどでしょうか。短く刈り込んでい
ます。




リフォームの後に植えたサルビアは、虫がついて葉がレース
のようになり1シーズンで終わりにしました。植え替えた花
はゼラニウム。すくすくと育ち、虫も寄せ付けず正解でした。




Backyard 。これは最近の写真です。本ブログで何度も登場するカラーは、今シーズンも
綺麗な花を咲かせてくれました。




そしてツルバラ。こちらは何もしていません。ただ鑑賞するだけ。昔は園芸など全く興味
はありませんでした。今もそれほど熱を入れている訳ではないのですが、取りあえず、身
の回りにあるものはきれいに管理していこうと思います。


最後にもう1枚。




コロナが世界中に及ぼした影響について今更述べるつもりはありません。私の身の回り
ではパンデミックの初期、コロナが猛威を振るっていたピーク時に同僚が命を落としま
した。Remote になった後であり、職場での感染ではありません。最近はマスクを着用
する人はずい分減りましたが、高齢者の方々はまだまだ油断は禁物です。私のお茶の
先生も然り。稽古だけではなく、人が集まる場所を全て避けるようになってもう3年で
しょうか。私自身は立ち上げた仕事のこともあり、果たしてお茶の稽古をいつ再開出来る
のか検討がつきません。しかし、いつかきっと。


以上、写真でした。


いつものことですが、ずい分長くなってしまいました。最後まで目を通していただいた方、
お疲れ様でした。

今回、起業についてどこまで書くべきか迷いました。ブログでそれほど事細かに書き綴る
必要はあるのかなと、準備を開始してからも一旦ストップ。元々、本ブログは、自分自身
のための記録、日本の家族やごく一握りの友人達への近況報告を目的として始めました。
更新の頻度はひどいものですが、読み返すと「ハイライト」で自分や家族の過去のイベント
はほぼカバーしています。起業の経緯をとばすのは不自然。記録に残すべきとの結論に至り、
今回の内容となりました。(少し長過ぎましたが。)

実は家内も息子達もこのブログを読んだことがありません。決して隠している訳ではなく、
始めた時には家族全員にアナウンスをしています。全然興味がないようです。ブログ内で
使う写真は、家族も自分も含め、全て後ろから撮ってあるものだったり、モザイクを入れ
たりで顔は分からないようにしていますが、家族のメンバーそれぞれについて何年もの間
いろいろ書き綴ってきています。もし彼らが今読むと「Whaaaat!」「何これーっ!」は
間違いありません。削除を求められる可能性も大です。

この先、今の状態で続けば削除することもなく私の回顧録ともなります。いつかは家族
に読んでもらうつもりですが、もう少し続けられたらなと思います。(一部の方々の間で
私の身元が割れました。やばいです。)

次の我が家の大きなイベントは次男の6月末の大学卒業です。次回の更新はどうでしょう
か。夏あたりに出来たらいいのですが。年末のハイライトとなってしまうかもしれず、
ご了承ください。

日本は地震が続いているようですが、カリフォルニアも人ごとではありません。皆様
どうぞ気をつけてお過ごしください。

お母さん - 変わらず奮闘 (2022年)

2023年02月23日 | 家族
更新です。

家内です。

三男のアップデートはかなり長くなりましたが、次男、長男と少しずつ短くなり、
今回は更に短いアップデートとなります。息子達と違い、家内の身の回りでここ
数年大きな変化はありません。良いことであるとも思います。基本的に週5日、
日系の幼稚園で働きながら家事をこなし、週末も翌週の仕事の準備です。自分の
書斎にこもる時間が長いのは、この数年変わりありません。

一昨年からの変化と言えば、三男の手が離れましたので、生活ペースは若干スロー
になりました。しかしその分、仕事への時間配分が増え、あまり楽になったよう
には見えません。幼稚園の仕事は先生業務が減り、園児の日系小学校への進学準備
の個人レッスンを多く任されるようになりました。責任者の方から出されている
ガイドラインはあるようですが、ついつい時間がかかってしまいます。それぞれ
性格がてんでバラバラな我が家の息子達3人を育て上げましたので、一人一人に
合わせた工夫が必要なのは誰よりも理解しています。昔から子供と一緒にいること
自体が趣味のような家内も、レッスンが終わるとぐったり。しかし、翌日が待って
いますので、直ぐに準備にとりかかります。

ストレスの解消方法は、何年も続いている「お話読み聞かせ」ボランティア、そして
全ての仕事が終わった後の夜の日本のテレビ番組の鑑賞です。このあたりも変わって
いません。ボランティアにつきましては、「お話」関連の日本の方の YouTube を
観たり、ブログを読んだりして真剣に取り組んでいます。グループ内のメンバーの
頭数は限られ、活動規模を大きくする予定はなさそうですが、コロナ禍もほぼ終わり、
公演の問い合わせは増えているそうです。私もメンバーになってみたくはありますが、
暫くは難しいでしょう。日本のテレビの番組を毎日視聴する家内は、日本の芸能事情
には完全についていっています。芸能音痴の私が時々家内の後ろからチラッとテレビ
を見ると、見知らぬ番組で、見知らぬ俳優さん、歌手、お笑い芸人さんばかりな訳
ですが、家内に質問すると全て明快に答えてくれます。

健康面は、以前、血圧が高めだったこともありましたが、食事に気をつけ、今では
正常な数値で体重も少し落としました。健康です。一方、昨年の夏、日本にいる家内
の母の健康状態が少し悪くなり、3週間の日程で帰国。身の回りのお世話をし、わず
かながら親孝行をしてきました。親子でゆっくりと話も出来、有意義な時間を過ごし
たようです。その後母の健康状態は良くなりましたが、高齢です。心配ではあります。

家内の昔の友人の間では孫が話題になることが多くなってきました。我が家はどう
でしょうか。この先、数年で長男が結婚する可能性はありますが、まだ想像出来ま
せん。家内はと言いますと「孫の面倒は私に任せろ。今度は絶対に失敗しない」と
息子達に対し失礼なことを言い放ち、やる気は満々です。能天気な性格の家内とは
時々老後の話もしますが、いつも「先にボケたもん勝ち」で二人で笑ってそれで終わ
りです。(私が負けそうな気がします。)


それでは写真に移ります。わずかですが。





家内の机の前の壁には。




10年以上前ですが、息子達にも同じようなことをしていました。




IT音痴は相変わらずですが、息子達から教わり、ずい分といろいろ使いこなすようになり
ました。仕事の半分は遠隔であり、書斎からとなります。




お話の公演の開始前です。通常このような図書館の隅っこを使って行います。お天気が
いいと大人と子供合わせてで20〜30名くらいが集まります。時には日本語の分からない
親子も興味深そうに立ち止まって参加。




誕生日。年齢の数だけローソクを立てますと、ケーキ全面が炎で大変なことになります
ので1本のみ。何を Wish したのでしょうか。




年に数回しかありませんが、庭でのバーベキュー。前日よりマリネードしてマメに準備し
てくれました。お疲れさん。




次男、三男と共に San Jose Earthquakes の試合観戦。この日の試合前の食事はピザでし
た。家内が着るユニフォームには、お気に入り選手の背番号と名前入り。勿論イケメン
の選手。こだわりのある家内です。




夏に一人で日本に帰国。次男はまだ大学にいましたので、長男、三男と一緒に空港まで
送っていきました。




「パスポートは直ぐに出る?」「出る。」「ボーディングパスは持った?」「持った。」
「携帯電話はどう?」「ある。」まるで初めて修学旅行に行く子供と、その子供を送り
出す親の会話のようでした。




昨年ではなく今年の写真です。結婚32周年を迎えました。




そして、間もなくしてバレンタインデー。幼稚園からもお花をいただき一層華やかになり
ました。



以上です。家内は、この一年も忙しくなりそうです。



次回は私のハイライトの予定でしたが、その前に我が家のリフォームの続きを少し。
写真の整理に時間がかかりそうですが。




長男 - 就職 (2022年)

2023年02月19日 | 家族
更新です。

今回は長男です。

25歳になりました。2020年の12月に地元の美大をグラフィックデザイン専攻で半年
遅れて卒業。あまり潰しが効かない分野であり就職戦線は決して生やさしいものでは
ありませんでした。以前に本ブログで触れていますが、卒業して就職先が決まらない
中、大学の先輩から仕事を分けてもらい取りあえずフリーランサーとして社会人デビ
ュー。その間、趣味の写真も利用し、知り合いの方の記念写真やらペットのワンちゃ
んの写真撮影やらでコツコツと活動。また高価なドローンを購入し、仕事の幅を広げ
る努力も怠りませんでした。勿論、自分のホームページの作品ポートフォリオは絶えず
アップデートし、様々な企業にも応募して就職活動も積極的に行っていたようです。
本人はあまり表面には出しませんでしたが、家族やら既に仕事に就いている友人達の
前では肩身が狭かったようでした。

その状態が1年間続き、昨年の一月でした。やはり大学の先輩の紹介で、地元のクラ
ウド系 I T 上場企業のグラフィックデザイナーのポジションに応募。レジュメやポー
トフォリオのチェックがあった後、インタビューに辿り着くことが出来ました。その
後間も無くして採用が決定。良かったです。同企業は当時上場したばかりで、余裕
ある資金で様々な部署の増員を進めていたようです。そして、長男にも白羽の矢が
当たりました。過去にフルタイムの雇用経験のない長男がオファーを受けた年棒は
私と殆ど変わりませんでした。( 私は嬉しくはありましたが、内心は「涙・・・」
です。即戦力になる専門能力で市場価値が決まるアメリカ社会です。)

自宅からオフィスまでは渋滞がなければ車で15分程度。朝夕でも30分あれば十分な
距離です。加えて1週間のうち出勤は3日のみ、残り2日は自宅からの遠隔勤務と
なりますのでガソリン代など高が知れています。また、会社での昼食は、社員の
出勤後にオーダーを受け付け一括手配。全て会社持ちです。良い報酬、良い福利
厚生、良い労働環境で良い人材を離さない。これもアメリカのシステムでしょうか。
就職して間もない頃、長男は三男に「昼飯は朝、会社に行ったら好きなメニューを
オーダーしてキッチンに行けばジュース、ソーダは飲み放題、ヨーグルトやお菓子
も好きなだけ取っていいんだぜ!」と自慢。高校生だった三男の目はキラキラ。
それは10数年前、長男の新しい任天堂の DS を羨ましそうに見ていた時と同じ目
でした。少し脱線します。我が家の息子達3人、食べ物には弱いです。もし街中を
歩いている時に10メートル先でパンフレットを配る容姿の整った若いお姉さんと、
試食品を配るおばちゃんがいれば、3人共間違いなくおばちゃんに歩み寄って行き
ます。

就職してからはマーケティング部で先輩グラフィックデザイナー達と仕事を分担し、
新しいプロジェクトをどんどん任されているようです。11月の Thanksgiving Day
連休前でした。ニューヨークのタイムズスクエアにある有名な電光掲示板の一つ、
Nasdaq MarketSite に、たった一日だけですが勤め先の広告を載せることが決まり
ました。時期が時期だけに先輩達は誰も仕事を受けたがらず、自動的に長男の担当
です。上司にデザインを確認してもらいながら休日返上でビデオ広告を作り上げて
公開。幸い、社内、社外、共に良い評価を得ました。勿論、この仕事は先で長男の
ポートフォリオに加えられることは言うまでもありません。また夏には、本人と
さほど年齢の変わらない大学生のインターンの面倒を見たりと、責任が大きくなる
一方、信用と経験を積み重ねていっています。但し、この先ずっと雇用が安泰で
ある保証は全くなく、自分のセールスポイントに磨きをかけて自身の市場価値を上
げていく必要があることは本人も良く理解しています。

気が大きくなっている長男には贅沢を控え、まずお金を貯めろと言い聞かせました。
非課税の年金、コンドミニアム購入の頭金の積み立ては既に始めています。本人は
新しい車が欲しかったのですが、我慢させました。とは言え、学生時代から乗る
2005年式 Toyota Prius は少し可哀想でしたので、私の2015年式 Toyota Prius (これ
も十分古いですが。) と交換しました。三男の5月の高校卒業により、私の担当で
あった週3回、片道50キロのクラブサッカーの練習と週末の試合の送り迎えがなく
なりました。もう私はどんな車でもOKです。長男のソーシャルライフはと言います
と、ガールフレンドはいるようないないような。分かりません。家内はズケズケと
いろいろ聞きますが、本人は答えたくないそうです。(そらそーでしょ。)

長男は、もう直ぐ友人グループと日本を観光で訪れます。ただ一人の日本人として
頼りにされているようです。これまで家族で何度となく日本には帰国していますが、
家族での移動は制限があり、今回は観光客として東から西にいろいろなスポットを
訪れるとのこと。嬉しそうです。旅の最後はグループと別行動を取り、家内と私の
それぞれの実家にも立ち寄って墓参り。我が家では Must です。日本行きもあり、
増えた体重を気にしてジム通いが完全に復活しました。ほぼ毎日汗を流しています
が、まだ大きな効果は見られません。

勉強嫌いでしたが、小さい頃から絵を描くことが大好きだった長男。自分の進む道
を見つけました。本当に良かったです。長い人生、この先いろいろあると思います
が、スタートです。


それでは写真です。


三男や次男のような数はなく、ほんのわずかです。





勤め先からのウェルカムキットが届きました。会社のロゴ入りTシャツ、マグカップ、スケ
ジュール帳、ボールペン、お菓子、そして上司からのメッセージ。新入社員への一般的な
キットです。




昨年の誕生日です。24歳。仕事に就きました。ローソクを前にいろいろ考えることもある
のでしょう。




New York の名所 Times Square。その一角、Nasdaq MarketSite です。




車を交換しました。




自宅の仕事場。昔の勉強部屋です。ずっと使っていた勉強机も仕事用に買い替えました。
机は自前でしたが、ハイスペックのコンピューター、椅子、モニター2つは会社からの
支給です。右側の縦長モニターはビデオの編集に便利とのこと。




まずセッティング (1)




スイッチを押すと。




セッティング (2) に。

私の職場はパンデミックの2年前に在宅勤務となりましたが、オフィスで勤務していた頃、
同僚の半分は椅子に座らず立って仕事をしていました。腰の負担を考えた設定であり、ア
メリカでは珍しくありません。長男も長時間の仕事がよくあるため、電動モーターで高さ
を調整出来る仕様にしました。




セッティング (2) で立って仕事をしています。仕事のペースが出来上がってきたある日、
「もっとプライバシーがほしい。」と長男。それから暫くし、ボカシが入ったアクリル板
のパティションを私が作りました。製作の詳細につきましては後日、他のリフォームと共
に本ブログでカバーいたします。




私の誕生日。長男がオシャレなレストランに招待してくれました。




日本への旅行はずい分時間をかけて計画しました。いよいよ出発です。


以上です。


次回は家内の番となります。


次男 - 前進 (2022 年)

2023年02月13日 | 家族
更新です。

今回は次男について。

現在、大学の Senior (4年生)。先日22歳の誕生日を迎えました。筋肉質になり、
かなりガッチリしています。内面はと言いますと、帰省した時に気が付きましたが、
彼の会話の中で使う語彙、そして思考も日本語、英語かかわらず大人になりました。
また、以前は長男や三男とは一線を引き、汚い言葉は意識して使わなかった次男、
今では友人や兄弟との(英語の)会話では遠慮は全くありません。(長男と三男は
小学校の高学年あたりからバリバリ使いこなしていました。)

次男は大学で生物学を専攻し、卒業後は大学院 (Medical School) 進学を計画してい
ます。準備は着々と進んでいますが、今年の秋に進学するのではなく、1年の間を
置く謂わゆる Gap year をとり、1年先へずらすことにしました。よって大学院へ
の願書はまだ提出しておらず、今年6月の大学卒業の頃となります。大学院には
凄い数の願書が届き、まず応募してきた学生を GPA 、MCAT のスコアでふるいに
かけます。次に基準を満たした学生は Essay (作文) の提出が求められ、大学院では
受け取った Essay から応募者のアピールするポイントを徹底的にチェックし、更に
人数を絞り込みます。その後、選び出した学生にインタビューの通知を送付。ここ
まで辿り着くだけでも大変なのですが、そこから更に学生を選りすぐる狭き門です。
進学先が決まるのは12月から翌年1月頃、実際に大学院への入学はその半年以上先
の来年の秋。まだまだ長い道のりです。ここまでなすべきことをなし、更にもう
一押しといったところでしょうか。

それではこの1年を振り返って。

試練の1年でした。まず Freshman (1年生) から受講している研究室のクラスでは、
昨年、英語力の低い中国系アメリカ人の方が教授の補佐に付いたそうです。その結果、
補佐の指示を理解することすら困難であったにもかかわらず、研究室の教授から次男
の担当分野に悪い評価が出ました。また、日本から語学留学で来ていた日本人生徒グ
ループと仲良くなったのですが、そのうちの1名が重い病気にかかりました。学業
だけではなく、大学の講師のバイト、病院でのボランティア、サッカーの練習と試合
で忙しさを極めている中、専門医を探し出して診察と治療の手配、日本の保険会社
とのやり取り、病院の送り迎え等でかなりの時間が拘束されたそうです。ようやく
健康状態を取り戻した後、全てを次男に丸投げした本人は何事もなかったかのように
ケロッとしてさっさと日本に帰国しました。加えて大学のサッカーでは、実力はある
がプライドが高すぎるプレーヤーも多く、キャプテンとしてチームをまとめることに
苦労しています。ダメ押しは、この2年ほど下級生のために行っている大学内での
補習クラス講師のバイトです。昨年担当した有機化学のクラスでは、受講生達は皆、
同じところでつまずいていることが分かり、要点を分かり易く説明するビデオを作り
ました。(試験が近づいてくると受講生から深夜まで質問攻とのこと。)そのビデオ
を 補習クラスで使用したところ、彼らには大変喜ばれました。が、ある講師仲間が
「彼、ビデオを使ってますよ。」と補習クラスコーディネーターにこっそりと報告。
その後、教授会議にまで持っていかれる問題となり、もう少しでバイトの職を失う
ところだったそうです。(告げ口した講師仲間に対しては、次男よりも、後で事情
を知った三男が激怒していました。)幸いお咎めなしで済み、現在もバイトを続けて
います。

気が重たくなるようなことが続き、一時期、次男はかなり落ち込んでいましたが、
勿論、本人にとっては全てが良い経験となったことは言うまでもありません。留学
生の病気については、症状、診断、治療だけではなく、日本の保険のシステムに関し
ても、全て日本語で理解することを強いられ、ずい分勉強になったようです。サッ
カーでは今までに経験することのなかったチームマネージメントの難しさを学んで
います。講師のバイトは、大学が準備した Zoom の画像設定は一方通行であり、次男
には下級生達の顔は見えません。最近、キャンパスを歩くと、必ず誰や彼や見知らぬ
生徒から声をかけられるそうです。皆、補習クラスの受講生でした。信頼はされて
いるようです。そして数週間前でした。研究室の次男が所属するグループの論文が
正式に学術誌に受け入れられ、複数の学術サイトで一般公開されました。教授、補佐、
博士課程の学生、大学院生、そして次男を含めた大学生数名の名が研究チームとして
論文に記載されています。苦労が報われました。

また、大学が四半期ごとに発行する大学新聞の生徒紹介コラムで次男が他の学生数名
と共に取り上げられインタビューを受けました。医師を目指していること、そのきっ
かけ、小さい頃からのサッカーとバイオリンとの関わりについて答えた記事は多くの
教授の目に留まったようです。(「きっかけ」は私も忘れることは出来ません。次男
が小学校の1年生だったと記憶しています。庭で親子でキャッチボールをしている時、
ボールを追う次男がレンガの角に額をぶつけてドバッと流血。最寄りの病院の救急医
療室に担ぎ込み、そこで担当医から受けた十数針の完璧な縫合でした。後日談ですが、
気が動転していた私が次男の傷口を押さえるために使っていたのは、どこからか引っ
つかんできた雑巾でした。)大学新聞が発行された後、複数の教授から「君の記事を
読んだよ。」と声をかけられました。そのうちの一人とは「バイオリンの練習仲間を
探してるけど一緒に練習しない?」といった会話があったそうです。暫くご無沙汰し
ていたバイオリンの復活。今では週1回のペースで練習をしているとのことです。

自分のゴール、日々のプライオリティーは理解していますが、サッカーは今も次男の
生活から省くことの出来ない存在です。昨年のサッカーシーズン中に同じ大学の NCAA
Division 1 チームのコーチが次男達のチームの練習を視察しに来ました。そして数日
後、次男を含めた6人のプレーヤーに Division 1 チームのトライアウトを受けるよう
にとの連絡。入学して間もない Freshman (1年生) の頃、それまで何年も過ごした
クラブチームのコーチの計らいで Division 1 チームの練習に招かれたことがありました。
諦めていた夢が叶うかもしれないチャンスでしたが、練習と講義が重なり辞退せざるを
えませんでした。そして再びチャンス到来。トライアウトの2週間後、次男を含めた
3名が正式にチームに受け入れられました。嬉しかったそうですが、全てのシナリオを
よく考えた結果やはり辞退しました。所属するリーグの Senior(4年生)としての最後
のシーズンは、既に折り返し地点を過ぎました。ひょっとすると、シーズン後半で三男
と一緒にピッチに立つ可能性もあり、最後まで楽しく熱くプレーし続けることと思い
ます。

冬休みに次男が帰省した際、大学のこと、大学院への進学準備、将来の夢について
親子でゆっくり話をしました。本人のフォーカスは全くブレていないことが分かり
安心しました。但し、本人曰く、どこの大学院に行けるか全く分からず、どこかが
自分を拾ってくれたらそれで十分だそうです。とは言いながら、次男が目指している
のは心臓外科であり、心の中ではその分野に強いいくつかの大学を密かに狙ってい
ます。統一テストの MCAT は既にそこそこのスコアを取っていますが、更に高得点を
目指してこの春に再受験します。

もう直ぐ4年が経とうとしています。高校 Senior(4年生)の春、複数の大学から
受け入れの通知が届き、即決出来ずにずい分悩みました。現在の大学を選んだ理由
は、授業料全額免除のスカラーシップも大きかったですが、やはり高 GPA の維持と
MCAT の準備を考えた大学院進学のための戦略でした。レベルが上の B 校、L 校を
辞退して選んだ R 校。選択が正しかったかどうか結果を知るのは4年後。その時期
が近づいてきました。本人は自分の判断は間違っていなかったと断言しています。
ひょっとするとネームバリューの高い B、L 校で頑張っていれば大学院進学はもっと
有利になっていたかもしれません。取りあえず、ここまでは次男の戦略通りに進み、
良い環境で良い経験を積んでこれたことを本人は感謝しています。勿論、この先の
結果が最も重要なのですが、私自身も良かったかなと思います。

6月の卒業後は、アパートを引き払って自宅に戻ります。進学のための勉強は6月
には一通り終わっていますので、取り敢えず翌年秋の進学まで自宅から通える医療
機関で仕事を探すとのこと。長男もそうでしたが、大学の4年などアッという間です。
最近、次男は卒業のことをよく考えるようになり、意図してキャンパスにいる時間を
長くしているそうです。パンデミックの間は、大学を離れて自宅から遠隔で講義を
受けました。丸々4年間ではありませんが、キャンパスは充実した思い出が詰まった
場所になることは間違いありません。


それでは写真です。





日帰り弾丸トリップで息子達の試合を観に行きました。次男のアパートです。大学まで
歩いて通える便利なロケーション。写真は建物のごく一部でかなりの部屋数があります。
大学生用のこのアパート、間取りは何パターンかあるようですが、次男が住むのは4人
用。中央がキッチンとリビングルームのスペース。その周りにトイレ、シャワー付きの
4つの個室があり、洗濯機と乾燥機はルームメイト3人と共有。かなり恵まれた環境です。




エアコン、暖房、ケーブルTV、WiFi は勿論完備。




次男の部屋です。




試合前に夕食の準備です。メニューは私のためにカレーライス。友人、三男も加わって
手分けして仕込みを終えて試合会場に向かいました。試合後は、アパートに戻って賑やか
に夕食を取り、私が持参したデザートを全員で楽しみ帰路につきました。日曜日の深夜は
渋滞は一切なく、6時間半のドライブは悪くはありませんでした。




息子達のチームのホームゲーム。南カリフォルニアしてます。




次男と三男。




試合前のウォームアップ。大学でもサッカーを続けられる息子達は幸せです。




ウォームアップ。突然ですが、次男が小学校5年生の時のチームです。彼らもどこかでサッ
カーを続けていることでしょう。




ロースター30名のチームキャプテン。練習場と試合会場の予約、試合相手チームとのスケ
ジュール調整、大学との予算交渉等、ピッチの外の仕事も多いです。




試合開始です。




この頃、今の姿は親子共々想像出来ませんでした。




相手チームの1点リードでハーフタイム。残念ながら後半、更に相手チームに点を許して
試合は終了しました。

さて少し脱線します。本ブログの過去の記事を読まれた方は覚えていらっしゃるかもしれ
ません。次男は高校 Senior (4年生) のサッカーチームでは副キャプテン。キャプテンだっ
たのは、高校オーケストラではヴィオラを弾き、小さい頃からクラシックバレエを習い、
Senior (4年生) の高校ミュージカルでは「美女と野獣」で主役の野獣を演じた、あの歌っ
て踊ってお芝居も出来るセンターバックでした。本人は UC の L 校に進学し、次男とは
時々連絡は取り合っていたようです。年が明けてリーグ戦の後半が始まり、L 校戦のピッ
チで再会しました。サッカーへの情熱は次男同様、高校生の頃そのまま。ポジションは
勿論センターバック。もう歌ったり、踊ったり、お芝居はしていないそうですが、お互い
良き思い出と共に、大学の最後のシーズンを終えることと思います。




社会人リーグです。ネズミ君達のお世話で大学の研究室を離れることが出来ず、次男が夏
休みで帰省したのは8月に入ってからでした。シーズン最終戦にギリギリ間に合いました。




新しい若いプレーヤーも何人かいましたが、顔馴染みのベテランの皆さんと再会しました。
結果は 4-4 の好ゲームで引き分け。次男、三男、口を揃えて言いますのは、日本人の社会
人の方達と一緒のサッカーは本当に楽しいそうです。二人とも学業が終了した後は、社会
人になって北カリフォルニアに戻り、このチームでプレーしたいとのこと。




三男とピッチに立てるのも楽しい理由のようです。




三男はクラブサッカーの試合が重ならない限り、シーズンの開始から参加させていただ
きました。




帰省中、家族で San Jose Earthquakes の試合観戦もしました。お気に入りだったピザ屋
さんは、コロナ禍により閉店。ガッカリしましたが、少し離れたところでいいお店を見つ
けました。




夏のある週末の昼下がり。次男の友人を招いてバーベキューです。次男のアパートのルーム
メイト2名とその一人のガールフレンドが南カリフォルニアからサンフランシスコに遊びに
来ました。高校時代の友人も招待し話がつきません。




息子達3人がお世話になったバイオリンの先生宅を次男と三男の帰省中に訪問しました。
パンデミック宣言の後、遠隔レッスンをされていましたが、少ししてから引退されました。
でかくなった息子達との再会を喜んでもらいました。




さて、またサッカーに戻ります。昨年のワールドカップが始まる少し前に息子
達3人に日本代表のホームゲーム用ユニフォームを買い与えました。長男は
自宅で手渡し、次男と三男には郵送して我が家は準備完了。グループ予選の間、
次男、三男はユニフォームを着用して大学に行き、長男も勤め先のテレビ会議
に出席する際に身につけていました。アメリカ西海岸の日本の試合開始時刻は
どれも早朝でしたが、690キロを隔てて親子でそれぞれテレビ前で釘付けです。
試合の間、終始テキストと FaceTime で連絡を取り合って大いに盛り上がりま
した。三男は次男のアパートに転がり込み観戦。二人共試合開始前の「君が代」
では感極まって涙し、ドイツ、スペイン戦は絶唱。クロアチア戦の惜敗では
二人共暫くの間泣いていたそうです。




12月のアルゼンチン対フランスのワールドカップ決勝戦。三男は冬休みで既に帰省してい
ましたが、次男はやはり研究室のネズミ君達のご飯係で大学に残っていました。が、歴史
に残る好カードを一人でコンピューターの画面で観るのは嫌だ。と、夜通し車を走らせて
朝の7時のキックオフにギリギリで家に到着。高校時代の友人も合流して賑やかな観戦と
なりました。お隣さんには申し訳なかったですが、日曜日の早朝から絶唱です。試合の翌
朝、次男は南に向けて出発。ワールドカップテレビ観戦弾丸帰省でした。




クリスマスイブに戻ってきました。これはクリスマスのディナー。一緒に写っているのは
次男の親友達です。左は実は高校オーケストラの1年後輩でしたが、今では何でも話し合
える良き友です。UC の地元の B 校に通う秀才で、身長は185cmを超え、性格も豪快なナイ
スガイです。運動神経も良く、次男に誘われサッカーの練習だけではなく、サーフィンも
始めました。右側は、南カリフォルニアから訪ねてきてくれた次男のルームメイトです。
次男曰く、R 校を選んで一番良かったと思うのは、このルームメイトと巡り会えたことだ
そうです。次男から話はよく聞いてはいましたが、夏に初めて我が家を訪れた時に次男の
言っていたことが良く分かりました。性格温厚。礼儀正しく気配りが出来ていつも静かに
ニコニコ。話をする時は相手の目をじっと見て聞き上手。この歳で恐るべし。やはり生物
学専攻で Medical School 目指して勉強しています。その辺りも次男と意気投合する理由
かもしれません。




小学校1年生。この頃はまだ野球とサッカーに力を入れていました。額を十数針縫う怪我
をしたのもこの頃です。




短い冬休みが終わり次男、三男、二人共大学に戻ります。その前に一足早く二人の合同
バースデーディナー。食事を終えてデザートは、例年の通り家内の手作りチーズケーキです。




大学の新聞で使われた写真です。


以上です。


ここまでご覧になっていただいた方、お疲れ様でした。


忙しくなってきていますが、得意の冬眠に入る前に家族全員のハイライトだけは終える予定です。
次回は長男のハイライトとなります。



















三男 - 高校卒業・クラブ・サッカー完了・大学入学 (2022年) - (3)

2023年01月29日 | 家族
三男の写真の続きです。最後は高校卒業と大学入学について

サッカー関連の写真は多かったのですが、三男の高校のイベント関連の写真は
ありません。長男は、陸上競技と高校オーケストラ、次男はオーケストラの
コンサートがあり、私も彼らのイベントを自分の目で見て写真に残すことが
出来ました。三男のサッカー以外の唯一の学内活動である Leadership で担当
した Rally はと言いますと公開しないイベントです。三男のスマートフォンには
楽しい思い出や記録がいっぱい詰まっており、私にはそれで十分です。

さて、卒業関連の写真の前に少し。





これは三男のバイト先を家内、長男、私の3人で訪れた時の写真です。三男の働いている
様子を見がてら、ジュースを飲みに行きました。




半年近く勤めていたこともあり、仕事はテキパキとこなしていました。安心しました。
長男も高校の後半はメキシカンフードのチェーンレストランでバイトをしていましたが、
長男、三男共にお金を稼ぐことの大変さだけではなく、レジを扱い、嫌な客、変な客、
気さくに声をかけてくれる常連客と接し、また、おしゃべりばかりで働かない同僚の
高校生と一緒にする仕事を通して、マニュアルには書かれていない自分なりの工夫が
必要なことを学び、全てが良い経験になりました。

初めて給料が出た直ぐ後だったと思います。三男と家内の2人でショッピングモールに
買い物に行きました。お昼になってフードコートに行き、家内に「何でも好きなもの食べ
ていいよ。」と。ファーストフードが殆どだったのですが、家内は有り難くご馳走になっ
たそうです。先日、大学キャンパスのカフェテリアのバイトに応募したと聞きました。

いよいよ卒業です。




最後の登校前に自宅で記念撮影。手にはメッセージを加えた
キャップ。首からは Leadership - Rally Commissioner の Stole
です。次男が卒業式で首にかけた Honor Stole は三男の成績
ではもらえませんでした。




例年の通り、高校のスタジアムのフィールドで卒業式です。まずは校長先生と先生方、
そしてその後に卒業生が続き入場。お天気も良く卒業式日和となりました。




ベイエリアの高校の規模としては小さい部類に入る学校ですが、それでも卒業生は数百人。
アジア系の生徒が目立ちます。




全員着席しました。後の父兄の席から見る光景。長男、次男、そして三男。最後の高校
卒業式となりました。校長先生、来賓、生徒代表数名、一通りスピーチが終わりますと
卒業生が一人一人名前を呼ばれて壇上に上がり校長先生から卒業証書を受け取ります。




壇上で校長先生と共に学校が手配したフォトグラファーのカメラに向かってニッコリ。
笑顔に4年間の全てが込められています。

さて、家族写真です。




兄弟勢揃い。3人それぞれ思い出の深いサッカーゴールの前で。実は次男は三男の卒業式
のために、前日の深夜にアパートを出て夜通し車を走らせ、卒業式の朝サプライズで帰宅
しました。そして、翌日また大学に戻っていきました。お疲れさん。




三男の隣の怪しいおばさんはうっかりマスクの家内です。




三男の隣の怪しいおじさんは私です。周りの卒業生のお父さん達の殆どはカジュアルな
服装。ノータイでも目立つくらいでした。


さて、大学です。次男が既に在籍している大学への入学であり、キャンパスツアーには
参加する必要はありませんでしたが、入学手続きを済ませた後、7月にオリエンテー
ションがありました。




三男を連れて車で。日曜日であり渋滞は
問題ありませんでした。いつものI-5 を
走り片道約7時間。会社は有給休暇を
2日とりました。




涼しい北カリフォルニアを離れます。南に向かうと直ぐに気温は上がり華氏 104°(摂氏
40°)




次男のアパートに到着。ステーキとパスタサラダでもてなしてくれました。




翌朝のオムレツ。三男はキャンパスに向かいましたが、次男によると父兄のプログラムは
3年前と全く同じで私が出席する必要はないだろうとのことでした。予定を変更し、平日
でもあり、持参したラップトップに向かって次男のアパートで終日仕事です。




次男も勉強で忙しかったのですが、いろいろ気を遣ってもらいました。私のために事前に
仕入れてくれていたミル貝でパスタ。ガーリックブレッドを添えて。三男はオリエンテー
ションで大学寮で一泊。全て無事消化し、翌日の午後に帰路につきました。


さて卒業式が終わってから大学の入寮まで3ヶ月。バイトで懐も潤っており、高校の仲間
とのソーシャルライフが中心となりました。その一方、三男が家にいられるのは限られた
日数でもあり、家族で一緒に過ごす時間も作りました。




次男が8月に帰省。久しぶりに家族でバーベキューです。




大食漢の息子達です。




残り物は翌日までに完全にクリア。全て胃に収まります。




楽しかったです。


さて、9月。三男の入寮の日が近づいてきました。3年前は私が日帰りドライブで次男を
大学まで送り届けましたが、三男は次男の車に便乗して行くことになりました。心強い
です。出発の3日前に親子でサーフィン。次男、三男はこの先、暫くお預けです。




準備を整えて。彼らを初めてサーフィンに連れて行ったのが2011年の夏。まだ親子で一緒
に行けるのは有り難いです。




三男はよく海に入っていたため、この日もかなりの本数を乗っていました。




一方、暫くご無沙汰だった長男は、少し手こずっていたようです。




次男はどれだけブランクがあってもホイホイ波をつかまえていたものですが、この日は
長男同様、少し苦戦していました。私は最初に息子達と一緒に海に入り、彼らの写真を
撮るために一足先に上がりました。




一通り楽しみました。それぞれ仕事の新しいプロジェクト、大学の最終学年、新しい大学
での生活が待っています。




暫くこのメンバーでは来れないこともあり、昔よく息子達にせがまれて行ったファースト
フードのお店に立ち寄りました。いつもこの一番奥の席がお気に入りでした。




早朝。いよいよ出発です。衣類、寝具、その他生活用品、特大プロテイン。ここに次男の
荷物と彼のアパートでの自炊用食糧が加わります。たった2人ですが、車の中はいっぱい
になりました。




彼らが車に乗り込む前にそれぞれとハグして別れを告げました。二人ともいつの間にか
米俵かサンドバッグのようなガタイになっていました。




出発。二人とも頑張れよー!


以上です。思いのほか長くなってしまいましたが、この1年と少し、サッカーもありました
し、三男とは一緒にいる時間も長かったため写真も多く、書き留めておきたかったことも
然りです。ここまでご覧になっていただいた方、お疲れ様でした。

次は次男、長男、家内と続く予定ですが、三男と比べますと、文章、写真共にかなり少な
くなります。次男については1週間ほどでアップいたします。







三男 - 高校卒業・クラブ・サッカー完了・大学入学 (2022年) - (2)

2023年01月26日 | 家族
前回の続きの写真です。クラブサッカーについて。

我が家のクラブサッカー完了に伴い、この1年のハイライトだけではなく、過去に
遡ってみます。前回を超えるかなりの枚数になってしまいましたのでご了承を。




我が家のサッカーとの関わりは長男の秋のリクリエーションリーグから始まりました。
長男に向いているかなと思い、その後クラブサッカーに参加させましたが、残念ながら
夢中になることはなく1シーズンで終了。




次男はと言いますと、長男がクラブサッカーでプレーしていた時、練習、試合にいつも
一緒について行き、3歳年下にもかかわらずコーチの好意で練習に加えてもらいました。
心身共に準備を整えていき、リクリエーションリーグを1シーズンだけ経験し、クラブ
リーグのスタートとなりました。




三男も次男の試合には、いつもついて行き、準備は出来ていましたが、次男同様、まず
リクリエーションリーグを経験。その後、次男と同じクラブに入り、B チームでのデビ
ューとなりました。




どんどん上達し、サッカーは楽しくはありましたが、上のチームに上げてもらうことは
なく、それどころか、クラブが B と C チームと無理矢理くっつけ、デコボコのチームと
なりました。




楽しくなさそうでした。




そして、とうとうクラブ移籍を決意。新しいクラブを選び、トライアウトは無事にパス。
三男自身も直ぐにクラブを気に入り決定です。写真は移籍後の初めてのシーズン。この
コーチは三男のトライアウトを担当し、その後、1シーズンだけでしたが、三男のチーム
コーチにもなりました。指導者として優れ、今でも三男にとっては12年間のベストコーチ
です。




やはり B チームではありましたが、技術レベルは上がり、再び楽しくなりました。練習
や試合にも力が入ります。さて、移籍から1年が経った頃、アメリカ・サッカー協会が、
当時のクラブサッカーのトップリーグである Development Academy League の年齢枠を
翌シーズンから下げることを発表。その結果、三男の年齢から同リーグに加えられること
になりました。




三男は、コーチ、チームメイト、技術レベル、どれも不満はありませんでしたが、上を
目指し、所属するクラブで新設される Academy チームのトライアウトを受けることに
しました。その頃、次男が所属するクラブからも声をかけてもらい、2つのクラブの
トライアウト挑戦となりました。結果は両方で合格をもらい、いろいろ考えた末、最終
的に次男のクラブへの移籍を決めました。新しいクラブでの新しいリーグ戦のスタート
です。




三男の年齢のトップリーグでの練習と試合に満足し、日々が過ぎていきました。




残念なことに、翌年、クラブが Development Academy League から外されることが決定
となりました。主力プレーヤーはトップクラブへと移籍し、三男のチームは一つ下の
NorCal Premium League に格下げとなり、そこで数シーズンを過ごしました。レベルは
低くありませんでしたが、次男からの影響で NCAA の Division 1 大学でのサッカーを考え
始めていた三男は少し焦りました。




思案した結果、 Development Academy League のクラブを狙うことにしました。トライ
アウトを受けたところ、やはりお誘いを受けたのは B チーム。それでも同じクラブで上に
上がるチャンスも先であり移籍を決めました。高校卒業まで4年間を過ごすことになった
このチームの技術レベルは高く、コーチとチームメイトとの相性もピッタリ。いいチーム
に巡りあいました。




三男はチームメイトと共に Development Academy チーム目指します。本人にとっては充実
した日々でしたが、私は週3回の車での練習の送り迎え。そしてシーズン中は週末の試合も
加わります。パンデミックの前は練習は片道約1時間、試合は場所によっては片道2時間。
加えて写真の撮影、編集でがんじがらめでした。もっとも、このチームで始まったことでは
なく、ピーク時は、次男の週4回の練習と週末の試合、そして三男の面倒でした。当時は
当たり前と思い苦にはなりませんでしたが、今では絶対に同じことは出来ません。




パンデミックの自粛期間を経てリーグ再開。もう Junior (高校3年生)。




まだ Division 1 大学でのサッカーは、三男と多くのチームメイトのゴールでした。




次男の頃から息子達を何度となく連れていった San Diego でのトーナメント。全米から
大学サッカーのコーチが集まり有望選手をチェックする場として知られています。年2回
開催されるうちの1つは11月の Thanksgiving Day の連休に行われ、San Diego 間の車での
往復はあちこち渋滞で片道8時間から10時間。息子達はいつも後部座席でスヤスヤですが、
私にとっては辛い辛い長距離ドライブでもありました。




Senior (4年生) になり、これが最後の遠征。チーム内では進学先はそろそろ決まり始め、
三男も含めて Division 大学のサッカーを諦めたプレーヤーも半数以上いました。それでも
誰もが残された時間を精一杯プレーしました。(三男はこの頃、既に将来のゴールとして
弁護士を考えていました。また Division 3の大学であればサッカーで進学も可能でしたが、
大学院への進学準備との両立は難しいとの結論に至っていました。)




シーズンの後半です。リーグ戦とは別に、毎年、秋と春の2シーズンをまたいで State
Cup トーナメントが 行われます。三男のチームは、Group Stage を勝ち抜き Knockout
Stage に残りました。この試合に勝てば準々決勝に進みますが、試合開始早々、相手
チームに2点の先制を許しました。ハーフタイムの後、息を吹き返し反撃開始です。




追いついたものの、相手チームも追加点を入れ、シーソーゲームが始まりました。




最後まで息の抜けない試合展開でしたが、残り数分で決勝点。




準々決勝に進むことになりました。




準々決勝も接戦でした。オーバータイムで決着はつかず、PK にもつれこみます。




全員決めて勝ちました!次は準決勝です。




誰もが決勝進出を考え




チーム全員で頑張りました。




食らいつきましたが、点差を縮めることは出来ませんでした。三男、そして我が家の
長かったクラブ・サッカーは全て終わりました。私自身楽しかったです。少し寂しくは
ありますが。

さて次の写真は勿論・・・




チームポスターです!

結局4年の間で上のチームに上がった仲間はいませんでした。途中メンバーの入れ替わり
が多少はありましたが、殆どずっと一緒の仲間です。チームは解散。誰もがそれぞれの
将来に向かってキックオフです。

みんな頑張れよーっ!


かなり長くなってしまいました。もう少しお付き合いください。




社会人リーグの試合に参加させていただいた時の写真です。




チームの社会人の皆さんは、サッカーの技術だけではなく人としても尊敬出来る方達
ばかりで三男は毎試合、とても楽しみにしていました。




数年前とは違い、三男の背丈と体重は周りの大人と変わりありません。




「おらおらっ!」「チョット!ボクノボールデショッ!」世代を超えた削りあい・・・
微笑ましい光景です。




このリーグは3部構成。息子達が参加させていただいたチームは真ん中の2部ですが、
息子達曰く、主力メンバーの方達の技術、サッカー IQ はかなり高いそうです。これ
からも息子達がお世話になります。写真は、3つある試合会場の一つ。




もう一つの会場から見えるサンフランシスコらしい景色です。

最後となりました。




10月に息子達の大学の試合観戦に行ってきました。行きは早朝、帰りは夜中に車を走らせ、
片道6時間半の日帰り弾丸トリップです。試合開始数分前。32番が次男、22番が三男です。
チームのロースターは30人。トライアウトには100人以上が集まり、Freshman は三男を
含めて10人が合格したそうです。この試合、次男はフル出場。三男はずっとベンチでした。
大学の試合については、次男のところでカバーしようと思います。


以上です。ここまでご覧になっていただいた方、お疲れ様でした。当初の予定ではサラッ
と流すつもりでしたが、この先、本ブログでクラブサッカーを取り上げることはなく、
ついつい沢山の写真を持ってきてしまいました。名残惜しくはありますが、私自身、
息子達のクラブ、高校サッカーは十分楽しませていただきました。次はいよいよ高校の
卒業式と大学入学関連の写真です。三男のハイライトは、それで終わりとなります。