北カリフォルニアのお父さん

家族5人 - 北カリフォルニアに暮らす。

2016年前半 サッカー・フォローアップ (2)

2016年09月07日 | サッカー
三男です。

一昨年の春のシーズン開始直前、人数の調整のためか、三男が属する2nd
チームと、ひとランク下の3rdチームが無理やりくっつけられ、レベル面で
デコボコのチーム誕生となりました。チーム内では技術だけではなく
メンバーの練習態度も大きく異なり、一部の不真面目な連中に頭にきて
シーズン終了と共に他のクラブに移籍したのが一年前。そこでは素晴らしい
コーチにめぐり合い、練習と試合が楽しくて仕方がない昨年の秋のシーズン
でした。

今年の春、アメリカの殆どのサッカークラブで、学年別によるチーム
編成を廃止し、1月1日を基準にした「Calendar Year」による年齢別
チーム再編成が実施されました。三男が所属するクラブもそれにならって
チーム替えが行われ、春のリーグより、それまでの仲間の半分が2003年
生まれのチームに、そして残りが2004年生まれのチームに振り分けられ
ました。1月生まれの三男は、2004年チームに入り、それまで一つ年下の
チームにいた2004年生まれの選手達も合流しました。新しいチームは、
1stチームではない2ndチームではありましたが、担当コーチは「当たり」
でした。技術、人柄、申し分なく、チーム内の技術レベルもバランスが
取れ、引き続き充実した春のリーグでした。

そしてリーグ半ば。突如出てきたのがUSA Development Academy U12の
2016年度秋の新開設です。アメリカのサッカーのレベル向上のため、
USDAがチームの年齢を引き下げたようです。それまでになかった女子の
リーグも新たにUSDAに加えられました。ベイアリアのいくつかのトップ
クラブからトライアウトの情報が入って来ました。

三男が所属するクラブのトライアウト申し込みを済ませた頃と記憶して
います。次男が所属するクラブの練習場と三男のクラブの練習場は
比較的近く、練習時間も適当にずれていたこともあり、三男の練習が
終わった後、次男の練習場に迎えに行ったものです。三男は、次男の
練習が終わるまでじっとしていることはなく、いつもトリックの練習か、
空いているゴールを見つけては見ず知らずの「誰かの弟」連中とフリー
キックの練習です。年齢からすると弾道と成功率は悪くはなく、それを
次男のクラブで新たに雇われたテクニカル・ディレクターが目にとめた
ようです。「あのボーズ誰?」ということになり、次男のコーチが
「あのボーズ?うちのチームの○○の弟でXXクラブにいるらしーよ。」
といった会話があったようです。そしてディレクターから次男のコーチに
指示が飛び「あのさー。おたくの下の息子、確か12歳だったと思うけど、
うちのUSDA U12のトライアウト受けさせてみない?」となった次第です。
2ndチームだった三男がそれほど際立つはずはなく、次男の弟ということ
で「まー、取りあえずキープしとこうか。」といったノリだったと思い
ます。それでもテクニカル・ディレクター、コーチング・ディレクターを
紹介され、その後もプッシュが入り、同クラブのトライアウトも受ける
こととなりました。

次男の所属クラブからはトライアウト終了後、直ぐに合格との連絡。
そして三男のクラブの2週にわたるトライアウトを1回残すのみとなった
6月のある週末、シーズン最後のトーナメントでした。決勝戦まで進み、
後半開始直後、ボールを全速力で追いかけ、相手チーム選手と共に
派手に転倒。三男、起き上がりませんでした。病院の救急治療室に車を
走らせ、診断。怪我の直後、痛そうに手をかばう様子で分かってはいま
したが、左手首骨折。全治2ヶ月。ガッツーンです。幸い三男は右利き。
現地校、日本語補習校、サッカー、全てが夏休みに入ろうとするところ
でした。(楽しみにしていた日本語補習校中高部の初めての球技大会は
サイドラインで見学。悔しがることしきりでした。)また、所属クラブの
トライアウト最終日は欠席でしたが、直ぐに補欠合格とするとの連絡が
クラブからありました。本人少し気を取り直しました。左手ギブスの
生活は不便ではありましたが、それを口実にしてゴミ出し、金魚鉢の
掃除当番、家内のちょっとした手伝い、全てパス。要領のいい奴です。

さて、秋からのサッカー、どちらのクラブを選ぶべきか親子で散々思案
した結果、次男のクラブに入ることとなりました。保険でカバーした後
の残りの治療費請求書が容赦なく届く中、三男、ようやくギブスが取れ
ました。今では少し増えた体重、細くなった足を元に戻すべく、フルで
練習参加です。USDA U12の一年におよぶ長いリーグ戦、来週よりいよいよ
スタートです。


雨の試合。春のシーズン開始時は、まだ雨季にさしかかっています。


多少足元がすべりはしますが、試合のペースは天候に関係ありません。


試合終了。


教科書のような連係プレーが成功し得点です。


別の試合。前半ガンガン押しましたが、後半で痛い逆転負け。


こちらアゥエイの試合で1勝です。実は対戦相手は昨年までいたクラブ。


このシーズンのポジションは、試合によりフォワードになることも。


チャンスには打っていきます。


再び昨年までいたクラブ相手の試合。これはホームとなります。この少し前に
自分のミスでチームに迷惑をかけ、気合の入った1点でした。


こちらも得点。


トーナメントでの怪我。手首が盛り上がっています。レントゲンでは折れて
いる様子がはっきりと写し出されていました。



2016年前半 サッカー・フォローアップ

2016年09月05日 | サッカー
次男、三男のサッカーは、いよいよリーグ戦開始です。それぞれ新しい
年度となりました。この半年もいろいろありました。新しいリーグの
前に自分の記録としても2016年前半について書き綴っておこうと思い
ます。

まず次男。

USA Development Academy の U13/14リーグに新しいチーム、新しい
コーチで臨んだのが1年前。春、秋と1年を2つのシーズンに分ける
通常のリーグと異なり、USDAのシーズンは丸1年。昨年の今頃、ベスト
メンバーに近いロースターで臨むはずであったリーグ戦でしたが、
シーズン開始直前に主要選手が大挙して他のクラブに移籍し、事情は
ガラリと変わりました。連鎖反応で全てのポジションから頼りになる
選手達が去っていきました。コーチは抜けた穴をうめる為、2ndチーム、
また一年下のトップチームより選手を補充し何とかシーズンを迎え
ました。予想通り、シーズンの前半、半年は散々な結果。ヘッド
コーチは元プロ選手。彼の忍耐強いコーチングの下、誰もが努力をして
いましたが、それはリーグ内の他のチームも同様です。とにかく勝て
ませんでした。

転機が訪れたのはシーズンもぼちぼち終わりに近づいた5月でした。
まず初勝利。次に惜しい内容で1戦おとし、その後の2試合を続いて
白星。その次は、1年前のシーズン開幕戦でボロボロに叩き潰された
チームに敗れはしたものの善戦して公式戦終了。努力がようやく報わ
れました。勝ち星をあげ、誰もが自信をつけたのは明らかでした。
最後の締めくくりは、テキサス州のFriscoで行われた「Show Case」
です。昨年11月にLAで行われたのは、アメリカ西部のクラブが対象
でしたが、6月は全米のクラブが集まります。11月同様、トーナメント
ではありますが、趣旨は、全米代表チーム、および全米の大学の
スカウトが一堂に集まり、有望選手のチェックを行う、品評会のような
イベントです。次男達はまだ中学生。スカウトは意識していましたが
仲間と寝食を共にし、修学旅行気分で楽しんで来たようです。

6月末、無事U13/14の1年におよぶシーズンを終えました。次はといい
ますと、残念ながら所属するクラブはU15/16の認可を受けておらず、
この9月からは、一ランク下がり、National Premier Leagueで秋の
シーズンを向かえました。次男は現在、身長175cm。一日4食。おやつは、
どんぶり茶碗の山盛りご飯で納豆1パック。太ることはなく、上に上に
伸びていきます。頻度は数年前に比べると減りましたが、親子で行く
週末のサーフィンのおかげで上半身は適度に鍛えられています。

サッカー「命」の次男、ぼちぼち将来のことも考え始め、どこかの大学
にサッカーの特待生で迎えられても勉強に専念出来ないことは本人も
理解しています。バイオリンはずっと在籍しているオーケストラの6月
に受けたオーディションでようやくトップグループに入ることが出来ま
した。こちらも出欠は今まで以上に厳しくなります。本人いろいろ考え
てはいるようです。取りあえず応援していこうと思います。


冬のブレークの後シーズン再開。3月の寒い雨の試合でした。


善戦しましたが、勝てませんでした。


この試合も、もう一歩のところでした。


誰もが実力をつけてきたと信じていましたが、叩き潰されました。


コーナーキック。三男が所属するクラブが対戦相手でした。力及ばず。


5月の上旬、転機が訪れました。


先制2点。全員が必死に守りました。


初勝利。長い道のりでした。


十分勝てる試合でしたが、ここで黒星に逆戻り。


その次はペースを戻し白星!