goo blog サービス終了のお知らせ 

北カリフォルニアのお父さん

家族5人 - 北カリフォルニアに暮らす。

我が家のスポーツの軌跡 - 続き (3)

2018年02月20日 | サーフィン

我が家のスポーツの軌跡、最後はサーフィンです。

私は、遠い昔、ウィンド・サーフィンに没頭していた時期がありました。
高校生の時にサーフィンに興味を持ったこともありましたが、海との
かかわりは、その後のウィンドサーフィンからです。毎日、天気図で
気圧配置を確認し、窓から外の木の枝の揺れをチェック。風を気にする
毎日でした。サーフィンは、どのように始めたかと言いますと、風が
無いと仕方なく(中古の)サーフボードを持って海に。夢中になるほど
のものではありませんでした。結婚後、アメリカで職に就き、自然に
恵まれたカリフォルニアでウィンドサーフィン復帰は、当然考えました。
但し、考えるほど簡単ではなく、コスト、保管場所等いろいろ思案した
結果、手軽なサーフィンにスイッチすることとしました。全く海から
遠ざかった時期もありましたが、その後ずっと続き今に至っています。

息子達3人が産まれ、親子でサーフィンが出来たらいいな程度に考えて
いたところ、暫くして時期がやって来ました。(このあたりのいきさつは、
3年前に本ブログで触れています。)長男が中学生となり、扱いに苦労し
始めていた7年前です。それまで毎年夏に家族で日本に休暇で帰国して
いましたが、何かの理由でその年は日本には戻りませんでした。息子達の
落胆ぶりは大きく、今がいいタイミングかなと思い尋ねてみました。
「この夏、サーフィンしてみる?」そして3人とも即答。「やるっ!」
でした。

直ぐにビギナー用ボード1本、ウェットスーツ3人分を揃え、それから
暫く天候に関係なく毎週末4人でビーチ通い。(幸い最寄のビーチは、車で
15分の距離です。)息子3人、全くのビギナーであったわけですが、当然
ながら体の大きい長男が先に上達していきました。息子達にサーフィンを
始めさせて一番良かったのは、いつも優等生の次男と比較されていた長男に
自信を持たせることが出来たことと思います。中学、高校では、校内ただ
一人のサーファーとして仲間達からも一目おかれ、本人ご満悦でした。また、
少なくなっていた私と長男との会話も、サーフィンの間とその前後だけは
普通でした。当時の長男と私との間の貴重な接点だったと思います。今では、
息子3人がそれぞれ忙しすぎ、全員で揃ってサーフィンに行くことは少なく
なりましたが、4人で行く時は、GoProを携え、帰りは、Taco Bellで海を
見ながらお腹を満たす。親子で過ごすささやかなひと時です。(留守番の
家内には申し訳ありませんが、一人静かにゆっくりと時間を過ごせることと
思います。)

「お宅の子供たちスポーツは何をしてるの?」と人から聞かれると、ここ
4~5年は、「サッカーとサーフィンです。」が家内と私の答です。


それでは写真に移ります。




2011年7月。最初は、表面がやわらかいビギナー用フォーム・ボードを3人で交代で使用
させました。一ヶ月ほどは、私が腰まで水につかって手取り足取り教え、その後、私も
自分のボードに乗って、息子達のコーチを続けました。




この写真は、私のお気に入りの一枚です。当時の使い捨て防水フィルムカメラで撮影し
ました。始めた当初、当然、波がくずれた後でないとテイクオフは出来ませんでしたが、
長男、次男、真面目に練習していました。ボードの上に立つ回数が増えると共に、夢中に
なっていきました。(三男は、一人ブギーボードで盛り上がっていました。)




次男も長男にならい、くずれた波で練習。




三男もブギーボードから自分のサイズにあったビギナー用ボードに変更。但し、まだ泳ぎに
自信はなく、浅いところでのみ練習し、必ずスイムゴーグルを着用。これにつきましては、
この後に触れます。




2011年のクリスマスカードに使用した写真。長男13歳。次男10歳。三男7歳。秋には、
少しずつ乗れるようになり、ビギナー用のエポキシ・ボードを加えました。




少し脱線します。サーフィンとは全く関係ない写真です。長男が赤ちゃんの時から、毎年
夏に必ず家族で日本に帰国していました。私の両親が他界してからは、帰国の際は、家内
の実家でお世話になることが多く、そこでは、息子達は、朝から日が暮れるまでセミとり、
ザリガニとりでした。2007年。次男6歳です。




とったザリガニを家内の実家に持って帰る訳にはいかず、「バイバーイ。」別れを告げ
ます。これが一日の終わりでした。




生き物が大好きな息子達ですが、三男、サーフィンを始めて間もない頃、海で過ごす時間
の半分は、スイムゴーグルを着けて貝がらとり、魚探しでした。彼の関心は直ぐにビーチ
の横にある淡水のクリークに移りました。そして・・・




ヤッホー!  これぞ本当のアメリカ・ザリガニ。 ピース!




翌年2012年。カニが異常繁殖し、ビーチのあちこちで見かけました。息子達がだまって
見ているはずはありません。




おっす。




「・・・・・。」 お互い観察しあっています。




それから、季節に関係なく毎週のように海に通い、息子達、波をつかまえては、適当に
乗れるようになっていきました。2012年11月。長男14歳。ボードは、日本でサーフィンを
する弟からもらいうけたものです。




次男11歳。彼もフォームボードは卒業し、この時既にエポキシのボードでサーフィンを
していました。




三男は、まだ遠くまでパドルは出来ませんでしたが、翌年、プールでの特訓が実り、
ようやく泳ぎに自信をつけました。その後は、親子4人でラインアップで波待ちする
ようになります。




2013年のクリスマス。サンタクロース(ずい分無理をしたと思います)が、息子達の
実力に合わせ、長男と次男に7フィート6インチ、7フィート8インチ、三男に
6フィートのボードを夜のうちに持ってきてくれました。3人とも大喜びでしたが、
三男だけは、煙突に入るはずはないと、ずっと納得がいかない様子でした。




短いボードに慣れるまで少し時間はかかりましたが、数ヶ月で扱えるようになり、泳ぎに
問題のなくなった三男もアウトに出て波をつかまえることが出来るようになりました。




2014年のクリスマスカードに使用した写真です。この頃は既にGoProを使用していました。
長男16歳。次男13歳。三男10歳です。




また少し脱線します。以前に触れていますが、生まれた時からアメリカに住みながら、
息子達は、首都のワシントン DC、ニューヨークのマンハッタン、ナイアガラは勿論、
グランドキャニオンにさえ行ったことはありません。日本には毎年のように帰り、恵ま
れてはいましたが、彼らが小さい頃のアメリカの旅行は、2006年のディズニーランド
だけでした。その数年後にフロリダのディズニーワールドに行こうと決めていましたが
誰もが忘れ去りました。




そして2015年の冬に家族旅行が実現。テーマパークでも東海岸でもなくハワイのワイキキ
となりました。息子達、思う存分サーフィンを楽しみました。




三男。いよいよ海に入ります。




次男。ポイントまで少し距離はありました。Canoes ポイントであったと記憶しています。




長男。残念ながら、出発前に購入した新しい GoPro が不良品であり、使用後に映像が
写っていないことが分かりました。長男のサーフィンの写真は、ビーチで撮ったもの
のみでした。家内は少し退屈だったそうですが、家族全員、いい思い出が出来ました。
サーフィンは、ハワイから帰っても冷たい北カリフォルニアの海でずっと続いています。
以下、年末から年始にかけて、息子3人です。




長男、波待ち。




テイクオフ。




次男。




ボトムターン。




そして三男。




朝日を浴びて。




これは、日本にいる彼らのおばあちゃん、家内の母に見せるために撮った年末のショット。




Taco Bell から。親子4人でこの景色を見ることもどんどん少なくなっていきます。


以上サーフィンの写真でした。最後まで見ていただいた方、お疲れ様でした。





物心ついた時から、虫を追いかけ、海に行けばジーンズがずぶ濡れになるまで波打ち際で
遊んでいた息子達。その後、ボールを追いかけ、波間に浮かび、それぞれ、スポーツに
打ち込んできました。怪我はいろいろありましたが、有り難い環境であったと思います。
(次男、野球で額損傷。10数針。長男、サッカーでコンパートメント症候群。手術4回。
三男、サッカーで左手首骨折。) 

我が家の子育ては終盤に入りました。スポーツはもう少し続きそうです。


長くなりました。以上、我が家のスポーツの軌跡でした。


次の更新は少し先になります。

我が家のスポーツの軌跡 - 続き (2)

2018年02月12日 | サッカー
スポーツの軌跡が続きます。

いよいよサッカーです。過去、本ブログで長男がサッカーを始めた
経緯についてはカバーしましたが、改めて息子3人について触れて
おこうと思います。

3人ともスタートは、リクリエーション・リーグのAYSO (American
Youth Soccer Organization) でした。息子達が参加したのは、8月
末から11月末までの秋のリーグ。前述のJr. Giants、フラッグフット
ボール同様、チームは毎年組み替えられ、コーチは全てボランティア
の父兄でまかなわれています。参加費用は、クラブサッカーと比較
しますと微々たるもので、子供の年齢、性別に関係なく、誰でも
サッカーを楽しめるように作られた全米規模の優れたプログラムです。
希望があれば、登録時に特定のコーチやプレーヤーがいるチームへの
参加をリクエストすることも可能であり、小学校の高学年や中学に
なりますと、多くのチームは、顔見知りばかりでガッチリと組まれ、
レベルもそこそこのものとなります。

長男は、一シーズンだけクラブチームに属したこともありましたが、
後は2年のブランクを除きずっとAYSO、そして高校サッカーに進み
ました。一方、次男、三男はよくあるパターンですが、AYSOは、最初
の一シーズンのみで、その後クラブチームにステップアップしました。
3人がスポーツをサッカー一本に絞り込むことになったきっかけは、
長男の場合は、仲が良かった友人がサッカー少年であったこと、それ
だけです。Jr. Giants での野球は、年齢枠ぎりぎりの中学2年の夏
まで毎年続けましたが、その後、レベルの高いリトルリーグには
加わることなく、前述の友人についてサッカーを選びました。次男の
場合は、夏の野球は、小学校5年生まで続きましたが、その後は
「野球はもういい」となり、それ以降はどんどんサッカーにのめり
込み現在に至っています。三男は、上の兄2人を見て育っています
ので、野球は、2シーズンのみ楽しみ、その後は自分の意思でずっと
サッカーです。

結果的に、息子三人が同じスポーツに熱中することになり良かったと
思います。兄弟三人が共通の話題を持ち、親としても、練習、試合の
送り迎えを含めた時間の管理、経済的にも何かと便利でした。

長男は、既にサッカーを卒業し、日常の生活でのかかわりは無くなり
ましたが、次男は、自身のサッカー以外にイギリスのプロサッカー
Premier League のチェックがシーズン中の日課となっています。
一方、三男は、スペイン La Liga の Real Madridと同チームのスター
プレヤー Ronaldo「命」です。言うまでもなく、宿敵ライバルチーム
Barcelonaと看板選手の Messi は大嫌い。私は、昭和の人間です。
子供の頃は、野球をしていないと近所、小学校で仲間と話が出来ない
時代に育ちました。Jリーグ誕生の際も既にアメリカにいたため、
サッカーにはずっと興味がないままでしたが、ここ数年は息子達から
強く影響を受け、今では自称サッカーファンです。ドイツのBundesliga、
アメリカの MLS、日本のJリーグの情報を日々チェックしています。
MLS の地元チーム San Jose Earthquakes の試合には息子達と6年前
から通い始めました。家内はと言いますと、サッカーには興味無し。
プレーヤーは、チーム、国籍、技術は一切関係なく、イケメンで
あればそれでいいみたいです。家内の場合、息子3人との共通言語は、
やはりバイオリンでしょうか。3人のバイオリンは、ピアノをたし
なむ家内のお陰であり、音楽センス・ゼロの私では何も出来ません
でした。


それでは、以下、写真で更に詳しく。かなり多くの写真をかき集め
ました。長くなります。


長男からです。




2005年の秋。長男7歳。AYSO デビューです。




翌年。8歳。サッカーは秋だけのスポーツでしたが、毎週末、家族で応援に行き、私達も
十分楽しみました。




2007年。AYSO 3シーズン目です。長男9歳。




2008年。10歳。この年は、AYSO で知り合ったコーチと仲間から誘われ、近くのクラブ
チームの新設チームに参加しました。ここでの一シーズン、実は、コーチの好意で、
次男も練習に特別参加させてもらいました。後から考えますと、この期間の影響が次男
にとっては大きかったと思います。一方、長男はあまりやる気もなく、一旦サッカーから
離れることにしました。




2011年の秋。13歳。2年のブランクがありましたが、本人からサッカーに戻ることを
希望し、知り合いの人がコーチをするAYSO のチームに参加。




技術的な遅れは、練習で序々に取り戻していきました。




2012年。翌年は、仲の良い友人のチームに参加。長男14歳です。友人からの影響も受け
かなり練習をしました。




足だけは小さい時から速く、ポジションはフォワード。




2013年。高校サッカー開始。残念ながらシーズンも後半の2月、15歳の誕生日の試合中
に大怪我。退院後、車椅子、松葉杖、リハビリの生活が続きましたが、幸い、3ヶ月
ほどで走る事も出来るようになりました。中年のおじさんではこの回復の早さは不可能
であったと思います。記念という訳ではありませんが、松葉杖は大事にとってあります。




2013年秋。怪我は完治。前年と同じチームメンバーでAYSOに臨みました。




スコア。

この試合だったと記憶しています。以前も少し触れましたが、スコアした後、相手
チームのディフェンダーから面と向かって「Yellow Blind」と東洋人に対する差別的な
言葉を浴びせられました。息子達いわく、しばしばあることであり、全く気にはしない
そうです。アメリカ育ちの息子達、貴重な経験をさせてもらっています。




2014年の年が明けた冬。長男16歳。高校サッカーです。




この時期、運動は高校でのサッカーの練習と週一回程度のサーフィンですが、体は結構
ガッチリしていました。




高校サッカーは、長男のようなAYSOだけを経験しているプレーヤーだけではなく、小さい
時からずっとクラブレベルでプレーしている選手もいます。長男、クラブチームでずっと
サッカーを続けることも出来ましたが、一旦離れたことを悔やんでいました。




2014年秋のAYSOです。




自分なりに努力もし、チームでは十分な戦力になっていました。




サッカーとは時期が重ならない陸上競技も高校で始め、走るスピードには磨きをかけていた
頃です。残念ながら、長年お世話になった AYSOは、高校 Junior のこのシーズンが最後と
なりました。




そして高校の Senior。サッカーは、これで本当に最後となりました。




2016年の最終戦。長男18歳。長年のライバル校相手のホームゲームでした。




以前、触れましたが、試合中に怪我をして途中でベンチ入り。残念な形で終わりましたが、
怪我は、2013年のものと比べると全然大したことはなく、長男はケロッとして7歳から
始まった長いサッカーにピリオドを打ちました。


まだまだ続きます。次は次男です。




2006年の秋にAYSO デビュー。次男5歳です。




翌年2007年は、AYSO には登録せず、近くのクラブの教室で暫く練習することとしました。
また、2008年は、長男のクラブでの練習参加を認めてもらい、年上の子供に混ざってコツ
コツと練習に励みました。




そして2009年にクラブチームでのデビューです。これは、初ゴールの写真だったと思い
ます。次男8歳です。




2010年秋、9歳。この頃、春、秋がサッカー、夏は野球でした。




2011年秋、10歳。なでしこジャパンがワールドカップで優勝した年です。決勝は家族で
テレビ観戦しました。次男は、終始コメントを入れながらの観戦で、後に日本語補習校
の作文コンテストでも取り上げ、入選したと記憶しています。




この写真は、私が忘れることの出来ない1枚です。2012年の春。11歳。この試合の前日、
4月のある土曜日に家族で初めて、MLS の San Jose Earthquakes の試合を観に行きました。
勿論、息子3人にプロのプレーを間近で見せるためでした。初めて観るプロの試合、それも
勝ち試合で家族全員満足しての帰宅。そして翌日の試合です。次男の初のハットトリック。
音は聞こえませんでしたが、前日の試合で明らかに「パチッ」とスイッチが入りました。
この頃を境に、絶えずオープンスペースを探し、作り、利用し、プレーにキレが出るよう
になりました。それ以来、Earthquakes の試合には、息子達をちょくちょく連れていき
現在に至っています。




2012年秋、11歳。この年の夏で野球は終わりとし、サッカーに専念することとしました。




2013年春、12歳。ポジションはセンターミッドで定着です。




同年の秋、クラブの運営体制が変わり、他の2クラブと合併。ユニフォームも変わり
ました。




2014年、13歳です。スポーツは、既にサッカーとサーフィンに絞られています。同年の
秋は、Player Development Program というトレセンのようなプログラムに召集され
ました。




2015年春。14歳。技術、スピード、コツコツ磨きをかけていきました。




そして、シーズン半ば、同じクラブの USDA(アカデミー・リーグ)チームからGuest Player
として召集されました。出場試合数は限定され4試合のみでした。




同じ年の秋、USDAの新しいシーズン、新しいチームで正選手となりましたが、シーズン
開始直前に主要選手がこぞって他のクラブに移籍し、試練のシーズンとなりました。




2016年。15歳。USDA のシーズン終了の1ヶ月前にようやく初勝利。次男を含め、選手の
一人一人が大きく成長したシーズンでもありました。




2017年。16歳。クラブの体制が再び変わり、2つに分割。次男のチームは新しいクラブ
へ移籍。ユニフォームもガラリと変わりました。クラブが USDA の認可を取得出来ず、
1ランク下りたNPLリーグとなりましたが、トップでシーズン終了。




秋。NPLのトップリーグに上がったものの怪我人続出でした。2018年春はNPLリーグの
一つ下に逆戻りです。




こちらは、2017年の高校サッカーです。前年のUSDAでは、高校サッカーも含め、他の
リーグへの参加が一切認められず、初めての参加でした。




2017年は、社会人リーグにも参加させてもらいました。日本人だけのチーム。試合中に
ピッチで聞こえる指示は全て日本語であり、少し不思議な感じでしたが、相手チームには
指示内容は分からず都合が良かったと思います。




昨年12月の某大学でのサッカーキャンプ。60人前後の選手が集まりました。プログラム
開始前、静かにコーチからの指示を待ちます。学業との両立は難しいですが、次男は、
大学でのサッカーも考え始めています。高校生活、後残り2年もありませんが、引き続き
応援していこうと思います。


さて、三男です。




一見、サッカーとは関係無さそうな写真。2010年。三男、6歳です。幼稚園で英語環境の
生活が始まったばかりで、まだ英語でのコミュニケーションには苦労していた頃です。
次男のサッカーの試合には、いつも一緒について行き、必ず、当時流行っていたベイブ
レードを2~3個携えて行きました。言葉は殆ど通じなかったようですが、試合中はいつも
次男のチームの誰かの弟グループに囲まれ、ベイブレードで盛り上がっていました。
とりあえずサッカーとかかわり始めた年です。




翌年、2011年にAYSOデビューです。三男7歳。




この男、昔はよく泣きました。試合中に足を蹴られたようです。




2012年は次男の後をついてまわるだけで、クラブサッカーのデビューは翌年の2013年。
三男、9歳でした。




2014年。10歳です。この頃は次男と同じセンターミッドがポジションでした。




当時のチーム。三男自身が後にクラブを移籍しますが、この時のメンバーもサッカーを
止めたり、引っ越したり、クラブを替えたり。この頃は、バランスがとれたいいチーム
でした。




2015年春。11歳。新しいユニフォームです。次男は、この年、既に合併した新クラブに
所属していましたが、三男のチームも含め年齢の低いチームは、男女共に元のクラブの
ままでした。この当時、あちこちのクラブで合併があり、ややこしい時期でした。




以前に書き綴りましたが、このシーズンは、クラブが次男のBチームと下のCチームを無理
やりくっつけ、技術的にデコボコのチームとなりました。戦績ガタガタの中、チームの
一部のメンバーは頑張っていましたが、練習態度の悪いメンバーが多く、ついに頭にきて
他のクラブへの移籍を決めました。




2015年の秋。新しいクラブです。いいコーチ、真面目なメンバーとめぐり合い、充実した
日々が続きました。




2016年の春。12歳。このシーズンの後に転機が訪れました。USDA(アカデミーリーグ)の
トライアウトへのお誘いとシーズン最後のトーナメントでの手首骨折です。サッカーは
約2ヶ月の休みとなってしまいました。




2クラブのトライアウトに合格し、怪我が完治した後は、結局、次男のクラブで USDAに
参加することとなりました。2ヶ月のブランクがあり、体力を元の状態に戻すのに少し
時間がかかりましたが、シーズンが始まるまでに序々に調子を戻し、エンジン全開で9月
のシーズン開始となりました。後から分かったことですが、この写真の試合には、USDAの
トレセン・コーチが訪れ、三男がたまたま狙った難しい角度からのシュートの後、サラサラ
とノートをとっていたそうです。(トレセンコーチを観察していたチームコーチからの話
です。)その数週間後にトレセン召集の連絡が届きました。ラッキーでした。




2017年秋。13歳。USDAの1年におよぶシーズンは終わり、次男同様、NPLで新シーズンの
開始です。三男も彼のチームメートもいつもクリーンなプレーですが、いったん球際に
なりますと負けていません。次男は激しいコンタクトを避け、パスとドリブルでかわして
いきますが、長男と三男は、押し切られることなく、とことんとり合っていくタイプです。




納豆と牛乳、そして睡眠で日に日にでかくなっていきます。次男同様、サッカーが楽しく
て仕方が無い時期です。


野球以上に長くなりましたが、「おまけ」に移ります。





我が家の息子達のサッカーは、庭のゴール抜きでは語ることは出来ません。7年くらい
前にネットショップで$100ちょっとで購入したと記憶しています。兄弟交代でキーパーを
しながら毎日のようにシュートの練習をしていました。私もよくお声がかかり、ゴールを
設置した芝生の面より一段下のコンクリートの部分からクロスを上げ、息子達がボールを
トラップしてシュート。これも我が家のおきまりの練習でした。




お隣にボールを蹴りこまないよう、お手製のネットを設置しましたが。




塀を守ることは出来ませんでした。ボールがネットを越えて庭に入っても、塀が壊れても
文句を言う事もなくボールを投げ返してくれる隣のおばあさんには、本当に感謝しています。




ゴールネットを固定するテープは数ヶ月のうちに全て擦り切れてなくなり、その後は、
日系の100円ショップで購入したビニール紐での補強が私の仕事となりました。プラス
チックのクリップも考えましたが、ゴールネットが切れる可能性があり、ビニール紐で
ずっと対応しています。ここ1年ほど息子達の庭での練習も減り、同様に紐の付け替え
頻度も減りました。




以前にも本ブログで触れている折りたたみ簡易ゴールです。シーズンオフの自主トレ用に
ラダー、コーン、ハードルを揃えましたが、広い場所が必要となり、近くのサッカー
フィールドでの練習用として追加しました。その結果、庭での練習が減り、その後は塀に
開いた穴は大きくはなっていません。




私の車です。シーズンオフの間だけ積んでいます。




サッカーとは直接関連はありませんが、我が家の車庫の半分をジム兼、サーフボード
格納庫として使っています。ベンチプレスは、次男が誕生するあたりまでずい分長いこと
私自身が使用していました。その後、若い時に体を酷使したツケで、関節のあちこちに
ガタが出始め、筋トレはストップ。一時期、長男と次男がウェイトを軽くして使っていた
ようですが、長男はジムのメンバーとなり、今では見向きもしません。最近、三男が一番
軽いウェイトを使ってトレーニングを始めたようです。(この写真はずっと前に撮影した
ものです。)自転車は私用。トレードミル(ウォーキングマシン)は、今では三男の持久力
強化用、そして家内のダイエット用として使われています。




これも元々は私が使用していたダンベルですが、今では、息子達が誰や彼やで使っている
ようです。写真撮影のためにそろえましたが、普段は家のあちこちで放置され、誰かが
足をぶつけては、お互いブーブー文句を言っています。




ここ数年、我が家のお米、牛乳、納豆の消費量は増え続けています。お米は一日に5合を
二回炊き、日系スーパーでまとめ買いする納豆は、息子達がそれぞれ1パックをご飯と
一緒におやつがわり。牛乳は、朝のシリアルで朝食としての消費が中心でしたが、最近は、
三男が水がわりにガブ飲みするようになりました。写真は1ガロン容器の牛乳2つ。この
量も今では1週間もちません。




次男の部分で述べました 2012年の初めての San Jose Earthquakes の試合観戦です。当時は
自前のスタジアムを持たず、Santa Clara University の小さなスタジアムを借りてホームと
していました。今となっては懐かしい記念の場所です。




2015年。Earthquakes 待望のホーム、AVAYA スタジアム完成。




我が家の家計では大きな出費ですが、同年、初めてシーズンチケットを購入しました。
初年は、立派な紙のチケットでしたが、現在は、ダウンロード、又はスマートフォンの
Appとなっています。長男も忙しくなり、先シーズンより3枚に減らしました。




2016年までは、全員で観戦。家族で一緒に過ごす貴重な時間でもありました。




スタジアムに隣接する駐車場は、入るのは容易ですが、出る時は大変な大渋滞となり、
いつも15分ほど歩く距離に路上駐車です。




三男です。体と態度は大きくなりましたが、まだガキです。



これが最後となります。長男について少し付け加えます。





高校ではサッカーに加え、陸上にもエネルギーを注ぎました。現在、現役高校生の次男は
陸上競技には無縁であり、恐らく三男も将来、携わることはないと思います。




本人にとっては、サッカーと同じくらい大切な時間であったようです。




今でも陸上シーズンの間は、後輩達をコーチするために時々母校に立ち寄っています。


長くなりました。ここまで読んでいただいた方、お疲れ様でした。我が家のスポーツの
軌跡は、次回、サーフィンで締めくくらせていただきます。一週間のうちに更新いたし
ます。





2012年のクリスマスカードに使用した写真。サッカー。我が家の歴史の1ページです。




























我が家のスポーツの軌跡 - 続き (1)

2018年02月09日 | スポーツ
スポーツの軌跡の続きです。

今回は、フラッグフットボール、水泳、バスケットボールについて。

まずはフラッグフットボールから。

これは、タックルの替わりに腰からぶら下げたフラッグを抜き取って
ボールを持った相手チームの選手を止めるフットボールです。ヘルメット、
防具は着けず、怪我も少ないため、手軽な準フットボールとして小学生の
間でも広く親しまれています。

小学生を低学年、高学年で分けたリーグがたまたま近くで毎年春にあり、
知り合いの方に誘われ、長男を3年続けて参加させました。そこでは、
コーチにすばしこさを見込まれ、攻撃のポジションは、ランニング
バック。タッチダウンも何度となく決めました。(当時から逃げること
だけは得意でした。)2年目は、次男も参加。週末は、よく親子で
キャッチボールの練習をし、シーズン中はテレビでNFLの観戦。息子達と
フットボールで大いに盛り上がったものです。三男はリーグに参加しま
せんでしたが、キャッチボールだけは兄達に混ざって練習し、それなりに
慣れ親しみました。フラッグフッボールを離れて久しい息子達ですが、
今でも楕円形のボールを手にすると、きれいにスピンさせて普通に
スローイングをします。将来、大人になってからも公園、ピクニック等で
彼らの友人、同僚、子供達と楽しめる下地となりました。

水泳です。

私自身、もともと競泳の出身であり、日本の中学、高校の部活は水泳
一筋でした。また、アメリカでの学生時代、たった一シーズンだけ
でしたが、競泳の延長でトライアスロンにかなり本気で取り組み、数
レースに参加しています。自身の水泳へのつながりもあり、また、息子
達の将来のスポーツの選択肢を広げるため、3人全員、小さいうちに
水泳教室に通わせました。彼ら、プール自体は大好きでしたが、競泳に
進むほど熱中することもなく、一通り泳げるようになってピリオド。
但し、これは、長男と次男です。三男はと言いますと、水泳を始めて
間もない頃、突然、続けることを拒否。レッスン中にピーピー泣き、
シーズン半ばにして脱落です。長男、次男の水泳は、その後サーフィン
に活かされ、海に通い始めた当初よりパドルは問題無し。その一方、
三男は、泳ぎに自信がなかったため、足のとどく範囲に止まって波や
カニと戯れる時期が長かったです。

そしてバスケットボール。

こちらも長男と次男のみでした。それも期間の短いリクリエーション
リーグで1~2シーズンのみ。それ以上、興味は持ちませんでした。
三男はバスケットボール自体に関心を示さず、リーグには一切参加
させていません。但し、それで全く縁がなかった訳ではなく、小・中
学校では、休み時間に校庭で友人達と楽しみ、日本語補習校の中高部
球技大会でもクラブ・レベルのクラスメートと普通にプレーしていま
した。アメリカは、どこの都市でも同じですが、小学校、中学校、高校、
公園、あちこちにバスケットボールのコートがあり、子供から大人まで、
草ゲームはどこでも見かける光景です。長男が中学生の頃、我が家の
庭にもゴールが登場し、今でも時々ですが、兄弟で1 on 1を楽しんで
います。また、ここ数年、NBAの地元プロチーム「Golden State
Warriors」は、2度の優勝を経験し絶好調。当然、San Francisco と
周辺の Bay Area では、今まで以上に人気のスポーツであることは言う
までもありません。

それでは、前回同様、写真で3人それぞれを追っていきます。


フラッグフットボール/長男です。




2007年。長男9歳。初めてのフラッグフットボールです。試合は毎週日曜日。覚えた
ばかりのルール。コーチから細かく作戦の指示を受けます。




エンジン全開。逃げろと言われれば、どこまでも逃げます。相手チームの選手を振り切る
楽しさを覚えました。




突破コースを定めて。




2008年。10歳。リーグに戻りました。前年のチームのコーチがメンバーに加えてくれ
ました。ルール、自分の攻守での役目は十分理解しています。




攻撃のポジションは、やはりランニングバックが多かったです。




フォーメーション、作戦は攻撃ごとに良く考えられており、サイドラインから観戦する
親達も十分に楽しみました。




2009年。11歳。同じコーチで3シーズン目です。十分に楽しみ、このシーズンを最後と
しました。実は、当時、ひょっとして長男は、フットボールに向いているかなと思い
ましたが、防具を付けても怪我の多い競技です。親としましては、どちらかと言うと
他のスポーツ希望でした。後に高校サッカーで大きな怪我をするとは、この頃は思いも
よらず、どのスポーツが危険と断言することは難しいかもしれません。




さすがに司令塔のクォーターバックを任されることはありませんでしたが、このシーズン、
ワイドレシーバーでプレーすることもあり、手袋を用意しました。但し、この写真は
ランニングバック。




逃げます。




リーグの運営はしっかりしており、NFL同様、シーズンの終わりには、プレーオフと Super
Bowl までありました。最後のシーズン、長男のチームは、プレーオフを勝ち続け、Super
Bowl でも勝利。チャンピオンで有終の美を飾りました。


フラッグフットボール/次男に移ります。




2008年。7歳。長男と同じコーチですが、2つのチームの掛け持ちで、次男は年少の
チームとなりました。注意して作戦を聞きます。




指示を受けたポジションに向けてダッシュ。




こちら、アシスタントコーチ。次男、頭の中で作戦を噛み砕いています。




練習は、毎週、試合前の30分のみ。スローイング、キャッチ、ランニングだけではなく、
センターの練習もこなしています。本番です。




当時、自宅での練習用として使いこなしたボール。




先週末は、奇しくもフットボール最大のイベント、Super Bowl でした。東海岸のチーム
同士によるカードでもあり、テレビの視聴率は昨年より若干落ち込んだようですが、例年、
桁違いの視聴率を誇る超大型イベントです。30秒のコマーシャル枠の価格は、日本円にして
5億円。日用品、飲料水、食品、サービス等の様々なブランド、そして夏の大型予算映画が
最新のCMをぶつけてきます。(試合はどうでも良く、CMとハーフタイムのショーだけを
楽しみに観る女性も多いようです。)今年の Super Bowlのカードは、常連の New England
Patriots 対 過去、優勝とは縁のなかった Philadelphia Eagles。最後の最後まで勝敗が
分からない非常に中身の濃いゲームでした。結果は、Philadelphia の Super Bowl 初勝利
でした。(写真:Getty Imagesより)


水泳に移ります。




アーカイブを探しましたが、水泳教室の写真は、長男、次男のものが見つからず、三男
のみでした。中央の青いラッシュガードを着てプールサイドに座っているのが三男です。
長男と次男はクラスのレベルも確実に上がってゆき、最後は、クロールで短いラップを
こなす競泳チームのすぐ下にあるグループに入れられました。但し、そこまででした。




これは、水泳教室とは全然関係ありません。息子達が小さかった頃、毎年夏に行った
San Joseにあるプール・テーマパークです。San Francisco は、夏でも気温が低く、屋外で
プールなど有り得ませんが、ほんの1時間、車で南や東に移動するとご覧の通りです。
息子達、とにかく水が大好きでした。


バスケットボールに移ります。




リーグの写真もこれ1枚しかありませんでした。長男と次男です。家内が付き添いで
行った際に撮影したものです。




我が家の庭にあるバスケットボールのゴールです。6年ほど前に購入したと記憶して
います。




アメリカでは、小学校も含め、校庭にバスケットボールのゴールがない学校を見つける
ことは難しいと思います。




日本語補習校の球技大会でのバスケットボール。2012年、中3の長男です。お昼休みは、
学校が生徒達にボールを貸し出し、校庭は、男子生徒を中心にバスケットボールで
賑わいます。




次男。昨年の日本語補習校の球技大会です。クラスメートの中には、現地校やクラブ
チームでバスケットボールに携わる子も数名おり、試合は、かなり白熱したものとなり
ました。来月、11年間の学校生活にピリオドを打ち、いよいよ日本語補習校を卒業です。
これが最後の球技大会でした。




三男です。




Bay Area が誇る常勝軍団、NBA のGolden State Warriors。 (写真:Getty Imagesより)


以上バスケットボールでした。


我が家のスポーツと言うほどではありませんが、以下、おまけのスキー、スノーボード
です。昔は、毎年2月頃、家族で日帰りスキーに行っていました。




2005年。1歳の三男。初めて見る雪です。




2006年のスキー。長男8歳、次男5歳。




2009年。長男11歳。次男8歳。スノーボードに切り替えました。




同年。スピードを恐れない長男の上達は早かったです。




2012年。次男11歳。




同じく2012年。三男もスノーボードに加わりました。3人で記念撮影。この年の夏に
サーフィンを始め、スノーボードはこのシーズンが最後となりました。毎年お世話に
なったこのスキー場は、車で4時間の距離。北カリフォルニアは、日本同様、海も
山も近く、スポーツをするには、恵まれた環境です。いよいよ冬季オリンピック。
スノーボードは、息子達と観戦しようと思います。


次回は、サッカーについて。

我が家のスポーツの軌跡

2018年02月03日 | スポーツ
早や二月。我が家では全員が元のペースに戻りました。長男、次男、
三男、それぞれの学校、そして、バイオリン、オーケストラの練習も
既に通常のスケジュール。サッカーは、次男が高校サッカーの真っ只中、
三男は、クラブの専用施設で冬のフットサルの練習が続きます。家内も
平日は幼稚園に毎朝出勤。私は、週末はまだ冬のブレークを楽しんで
いますが、3月に次男、三男のクラブ・サッカーの春のリーグが開始
しますと、彼らの専属ドライバー兼チームの写真係となり、6月まで
毎週末べったりは必至です。このタイミングを逃すわけにはいかず、
ブログを更新いたします。

今回は、前々から考えていた我が家のスポーツについて。

2014年に本ブログを開始した時点で、息子達3人は、既にサッカーに
どっぶり浸っていました。それ以前はどうかと言いますと、実は、
過去に他のスポーツも経験し、たまたま最後に選んだのがサッカー
(+サーフィン)でした。その辺りを後々の自分用の記録も兼ね、
改めて過去にさかのぼって書き綴ろうと思います。

アメリカでの人気プロスポーツは、やはりフットボール、野球、バス
ケットボールが抜きん出ています。一方、子供のスポーツは、低学年、
高学年で比率は異なりますが、小学生男子の場合、野球とバスケット
ボールの人口が多く、その後をフットボール、サッカーが追いかけて
います。但し、一般的な家庭では、早い時期から一つのスポーツに限定
といったことはあまりなく、子供にはいろいろなスポーツを経験させ、
ある程度時間が経ってから、本人に好きなものを選ばせるパターンが
多いようです。小学生までは、複数のスポーツに同時に携わり、
シーズンが重なる期間は、それぞれの試合に時間差で移動して参加する
子供達は珍しくありません。

我が家も世間にならい、息子達には、野球とサッカーをほぼ同時に始め
させ、加えてフラッグフットボール、水泳、バスケットボールが入り、
ずっと後半でサーフィンの登場となりました。それぞれどのよう携わっ
たかを数回に分けて追っていきます。本日は、まず野球です。

息子達3人共に野球は夏のスポーツでした。始めた年齢は全員7歳。
参加したのは、リトル・リーグではなく、ピッチャーの代わりに
ピッチングマシンを使用するリクリエーション色の濃い「Jr. Giants」
と呼ばれるローカルのリーグでした。スポンサーは、文字通り、
大リーグの地元チーム San Francisco Giants です。北カリフォル
ニアを中心に地区が細かく分けられ、夏の約2ヶ月間、各地区ごとで
リーグが組まれます。リーグ内のチームは、一シーズン限りの即席
チーム。参加費用は無料。練習はチームによって異なるようですが、
平日の夕方、週1~2回。試合は必ず土曜日です。シーズンの終わりには、
リーグ戦の成績ではなく「読書コンテスト」で選ばれたチームが、
SF Giants のホーム、AT&T Park に招待されるといった子供の教育、
地域貢献を目的としたプログラムでした。息子達、毎年、同じコーチに
お世話になり、シーズンの間は、家庭でもキャッチボール、素振り、
ノックの練習と結構まじめに取り組みました。

それでは、写真で息子3人それぞれについてもう少し詳しく。

「過去のスポーツの写真をサーっとアーカイブから取り出して」と
簡単に考えていましたが、大変な作業になってしまいました。長男の
サッカーと野球デビューが7歳。2005年の夏のアーカイブからチェック
開始でした。アニュアルレポートどころではなく、12年分のレポート
です。但し、3人が過去に携わったスポーツに関する記憶が年々怪しく
なっていく中、この作業のお陰で時系列がはっきりと整理出来ました。

これまで息子達の写真は、わざと顔が写っていないものを選んできま
した。今回は何千枚もの中から揃えることが難しく、正面から撮影した
写真も選び、顔にはモザイクを入れています。ご了承下さい。

それではトップバッターは長男。




2005年、長男7歳。Jr. Giants の初めてのシーズンです。がに股。バットの持ち方も
覚えたばかりです。




長男のチーム。




2006年は、夏休みを丸々日本で過ごし、野球は一切参加しませんでした。これは、2007年、
9歳です。ピッチングマシンの横で「ピッチャー」。投球はなく、キャッチャーからの
返球を捕球して横にいるコーチに渡す役で、小さな子、女の子が多いポジションです。




何とかボールもバットに当たるようになりました。




シーズンの終わりにチームで訪れた AT&T Park。模擬試合をさせてもらいました。普通では、
不可能です。




2008年、10歳の夏です。日頃の練習もあり、守備もさまになってきました。




バッティング、走塁も然りです。




2009年、11歳。守備はローテーションですが、内野も任せてもらえるようになりました。




当てました。




2010年、12歳。試合前のバッティング練習の写真です。




そして守備。




2011年、13歳。年齢枠最後の年です。同い年のチームメイトと談笑。この年齢になると
打撃はホームランダービーとなります。この試合で使用したグランドは、かなり高い
フェンスとその前には同じ高さの木が植え込まれていましたが、場外ホームランが出ま
した。その先は交通量の多いフリーウェーで、大人は皆ギョッとしました。




打順がまわってきました。




視線からすると外野安打だったようです。




2012年。長年のお付き合いで、この年は審判のボランティアとして弟達の試合のお手伝い
でした。




ボランティアと言いつつ、同じコーチが面倒を見る2チームの試合では、飛び入り参加
させてもらいました。




エンジョイしました。



二番手、次男です。




2008年。長男と一緒に早い時期から練習を始めていましたので、初めてのシーズンも難なく
溶け込めました。この時7歳です。




打撃。悪くありません。




AT&T Park。読書はチェックカードがシーズン半ばに配られ、父兄、コーチ、子供達の
努力によりスタジアム訪問が実現しました。




長男とは違うチームでしたが、コーチは同じ人でした。両チーム揃って招待です。兄弟で
記念撮影。




記録を見て思い出しました。次男は2009年は野球には参加していません。これは、2010年に
再開した時のものです。次男9歳。




ヒット。




2011年のシーズン。次男10歳。




Jr. Giants は、リトル・リーグのオフ期に実施されるため、チーム・メートには、リトル
リーガーも数名いましたが、彼らと同等にプレーしていました。




出塁です。




2012年。11歳。守備も安心して見れるレベルになりました。




打率も良く、この頃は親子で少しリトル・リーグのことも考えていました。




ピッチングはこのように。「ピッチャー」が横につき、機械の操作はコーチとなります。




ジャーン。

やばそうなおじさん達。(失礼) 選手のお父さん達でボランティアのコーチ陣です。中央
2人がヘッドコーチ。毎シーズン、子供達のためにエネルギーを注ぎ、我が家の息子達も
本当にお世話になりました。


三番。三男となります。




2011年。7歳でデビュー。何とか当ててます。




チーム所有のヘルメット。大き過ぎますが、手で押さえて。




無事、出塁。




攻撃が終わり、いざ守備へ。




構えてはいますが。




スポーツの施設に関しては、アメリカは恵まれた国です。




試合終了後、コーチより一言。選手一人一人をたたえ、交代制のおやつ係の父兄が
スナックを子供達に手渡し解散です。メンバーは、数日後に練習で顔を会わせ、
翌週はまた試合です。




2012年。8歳。肌寒い夏の日でした。




別の試合です。打席に入ります。




内野安打。




ボランティアの長男も入り、兄弟3人揃っての初めての試合でした。残念ながら、これが
我が家の最後の野球シーズンとなりました。Jr. Giants には、いい思い出を沢山つくって
もらいました。


数日のうちにフラッグ・フットボールについて更新いたします。こちらアメリカ、明日は
フットボールのチャンピオン戦 Super Bowl です。