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北カリフォルニアのお父さん

家族5人 - 北カリフォルニアに暮らす。

ようやく2019年 ハイライト (3)

2020年07月24日 | 家族
写真の続きです。


後半は、夏の日本帰国と Home Improvement について。


以下、日本での様子を書き綴っていますが、滞在中は、西日本をあちこち訪問しました。
先日の豪雨で被害の大きかった熊本も訪れています。豪雨で被災された方々には心より
お見舞い申し上げます。






7月中旬、家内、次男、三男は一足先に日本入りし、長男と私は約一週間遅れて出発。
写真はちょうど昨年の今頃、成田空港から中部国際空港への乗り換えです。私達の日本
到着と同時に梅雨が明けたと聞きました。




名古屋の弟宅での夕食。その前に、家族でお墓参りを終え、父方の叔母を訪ねました。
叔母が息子達に会うのは10数年ぶり。3人の成長ぶり、特に手をひいて歩いた三男
までもが見上げる背の高さになっていたのには叔母もびっくり。暫くお喋りをして叔母
宅を後にしました。その後、弟宅に。弟夫妻、姉、そしてすっかり社会人らしくなった
甥、初対面の柴犬君と一緒に賑やかなひと時を。繊細な数々の美味しい料理とデザート
でした。ご馳走様でした。




家内の母、叔父夫妻に連れられ、車2台に分かれて駒ケ岳へ。駐車場からバスに乗り
ロープウェイの発着場に向かいます。




目にしみるような緑、そして所々に見える渓流や残雪のコントラストが見事でした。




ロープウェイを降りて散策。奥は、写真撮影に没頭する長男。




「・・・・・」





昼食は、麓のレストランでソースカツ丼をご馳走になりました。「どうだっ!」と言わん
ばかりのサイズ、アメリカでもお目にかかれません。息子達は大喜び。




昼食をとった後は、旧中山道の馬籠宿を訪れました。観光地ではありますが、落ち着いた
雰囲気で大変良かったです。




叔父たちのお陰で大変充実した一日でした。




さて、小旅行への出発です。朝一番の便で中部国際空港より鹿児島空港に飛びました。




10年近くお付き合いが続いている、三男の日本語補習校の元クラスメートとご両親に再会。
空港から駆け足の市内観光に連れて行っていただきました。写真は桜島です。家内、次男、
三男は、日本のケーブル局の NHK「西郷どん」を毎週欠かさず観ていましたので、西郷
隆盛や明治維新に関連するスポットでは熱心に説明を聞いていました。観光の後、お宅を
お邪魔してお茶をしながら歓談。お父さんは心臓外科医です。次男は、医療に関する話を
熱心に聞いていました。楽しい会話の後、鹿児島中央駅まで送っていただきお別れとなり
ました。




いよいよ「Japan Rail Pass」を使用して新幹線。実は、元からタイトなスケジュールを
組んでいた上に、私のせいで改札でモタモタし、家族5人ホームめがけてエスカレーター
を全速力で駆け上がるはめとなりました。長男、次男は先に乗車。家内は三男に荷物を
持ってもらいエスカレーターの中間地点を通過中。ホームで二人を待つ私。30~40m先
に立つ駅員さんがじっと私を見ていました。「もう少しだけ待ってください。」「困り
ます。発車です。」と目で会話した後、間に合いました。3人は無事に乗車。家内は
ゼーゼー。すいません。別れ際、数々のお土産に加え、車中での昼食にと鹿児島名産の
黒豚の駅弁を持たせていただきました。大変美味しかったです。有り難うございました。


その後、熊本駅で下車。母方の祖父母からお付き合いがある、お世話になった方をタク
シーを使って病院へお見舞いに。10年ほどのブランクをおいての再会でした。言葉数
こそ少なくはありましたが、成長した息子達を含め、家族の一人一人としっかり会話も
出来ました。立ち寄ってよかったです。




再び新幹線。次の下車は小倉駅。今度は30数年来の友人達との再会でした。(やたら
10年、30年が多い今回の更新です。この先まだあります。)




北九州市在住の友人、大分市からは他の友人も駆けつけてくれ、小倉駅で合流。再会を
喜び合いました。その後、車2台に分かれて北九州市内を案内してもらいさっと観光。
そして友人宅では家族を挙げて歓待してもらいました。心のこもった大変贅沢な夕食を
ご馳走になり、年月のブランクを全く感じさせないお喋りで楽しいひと時。食事、記念
撮影の後、友人達からはお土産を持たせてもらい、名残惜しくお別れでした。またまた
車2台に分かれ家族5人ホテルまで送り届けてもらいました。大変お世話になりました。


ホテルは夜にチェックイン。朝、起きてみると。





関門海峡を臨むホテルでした。




右手、遥か彼方に関門橋。




プールがあるわけでも、プライベートビーチがあるわけでもありませんが、全室、関門
海峡に面した温泉展望浴室付きとのこと。図体の大きい息子3人を含めて家族5人分、
2部屋をアメリカから予約しました。海を見ながら湯舟につかるお風呂は極楽であった
ことは言うまでもありません。山口県下関市のホテルでした。




スタッフの方々のサービスは素晴らしく、食事も感激でした。




朝食の後、一人タクシーでJRの駅まで行き、アメリカから事前に予約しておいたレンタ
カーを駅前支店で Pickup。係の方の説明を注意深く聞き、いざ発進。かなり緊張しました。
そして、ホテルに戻り、家内、息子達を乗せて長年の計画を実行。




海水浴です。ホテルから山陰方面に車を1時間走らせ到着。天気にも恵まれ、真夏の海。
はしゃぐ次男と三男です。


北カリフォルニアは寒流が流れ、水温は一年を通して11~12℃ 。夏でも海水浴は無理
です。(サーフィンは年中、体が4mm、袖が 3mm のフルウェットスーツです。)この
ビーチ、私が初めて訪れたのは30うん年前。当時と変わらず白い砂と透明度の高いエメ
ラルドグリーンの海は昔のまま。家内、息子達以上に感激しました。久しぶりに来て
驚いたのは、中国人観光客の多いことです。そして、ビーチでは誰もが長袖のラッシュ
ガードを身に着けていました。息子達は、サーフィン用にそれぞれ一着ずつアメリカ
から携えて来ていましたが、海水浴での着用は全く考えていませんでした。ラッシュ
ガードは無く、英語でキャーキャーはしゃぐ息子達、海に入るや否や海水浴域を示す
沖の赤旗めがけて泳いでいきました。直ぐに海水浴場全体に聞こえる場内アナウンスで
警告。周りの海水浴客からは完全に浮いて日本人には見えなかったと思います。家内は
水につかることもなく、レンタルした大きなテントの中から静かに遠くの息子達を眺め
ていました。




この日が来るのを長年、夢見ていました。




私の中でのこのビーチの記憶は、ウィンドサーフィン、SONY ウォークマン(カセット
テープ!)がセットとなっています。沖の島をめがけてセーリングした時に生まれて
初めて見たトビウオ。海面スレスレに何十メートルもパタパタ飛んでいく姿は今でも
記憶に焼き付いています。別の日には海面下をエイが優雅に泳いでいました。水から
上がると、じっと海を見ながらウォークマン。思い出の地を家族に見てもらえました。
目的達成です。




© 鈴木英人

当時、音楽はいろいろなジャンルを聴いていましたが、このビーチ
では山下達郎を好んで聴いたように記憶しています。日本から帰国
後、YouTube で彼の曲を検索してみると、ヒット曲、アルバム、
沢山出ていました。意外だったのは、アルバムによっては、英語圏
からのコメントが多かったことです。日本オタクっぽい人もいます
が、多くは音楽を検索してたまたま辿り着きました風の人達でした。
否定的なコメントは無く、多くは「アリガトー。」「ウツクシー。」
「ヨロシーデー。」等々です。昔のファンとしては嬉しかったです。




ビーチで十分遊び、帰路につきます。写真は、長男が車の助手席から撮った何てこと
ない入道雲です。私達が住む北カリフォルニアの「Bay Area」では、夏の間、遥か彼方
の内陸部で空高く伸びていく入道雲を見ることはありますが、大きく視界に入ってくる
ような距離ではありません。寒流のせいかもしれません。日本の夏を堪能しながらの
運転でした。

ホテルに戻った後は、また関門海峡を行き来する船をぼんやり見ながら一風呂。私達に
とっては最高の贅沢でした。そして、家内と息子達はホテルで和食フルコースの夕食。
私は別行動でウインドサーフィンの仲間と再会。30数年ぶりに会い、未だに若々しい
おっさん、おばさん達と昔話に花を咲かせ楽しいひと時を過ごしました。翌朝、ホテル
をチェックアウト。思い出に残る2泊3日、お世話になりました。




新下関駅から東へ。次男と三男はスヤスヤ。この後、新大阪駅で下車し、下りに乗り換え
兵庫県方面に少し戻り、JR の芦屋駅に到着。姉も名古屋から合流し、母方の叔父夫妻と
10数年ぶりの再会でした。高齢の叔父は、もう執刀することはありませんが、大ベテラ
ンの外科医です。次男は、ここでも自分が目指す将来について、いろいろ貴重な話を聞か
せてもらえたようです。最寄りの老舗ホテルのラウンジで、私達家族のために遅い昼食を
特別に手配してもらい、楽しいお喋りのひと時でした。お世話になりました。そして
名古屋駅に戻りました。




帰国の日も近づき、弟にサーフィンに連れていってもらいました。残念ながら長男は体調
が悪く留守番。朝一番に次男、三男、私の3人を家内の実家でひろってもらい、ポイント
へは3時間半で到着しました。




アメリカから、GoPro を持参。ニコニコの次男です。




サイズは小さめでしたが、何本もホイホイ乗れて最高のコンディションでした。北カリ
フォルニアでサーフィンをする時は、前述の通りウェットスーツを着用します。冷たい
海水から体を守る厚い生地は、どうしても腕や肩に負荷がかかります。一方、日本の夏
のサーフィンでは薄いラッシュガードのみ。どれだけパドリングしても腕は軽く疲れ知ら
ずです。楽しく半日を過ごさせてもらいました。




さて、運動の後は昼食。弟にサーフィンのポイントからそれほど遠くない回転ずしのお店
に連れていってもらいご馳走になりました。至れり尽くせりです。繁盛していましたが、
待ち時間は無し、ネタは新鮮、お店の人の感じもとても良かったです。遠慮知らずの次男、
三男、食べました。終わってから平らげたお皿を数えたところ 約70枚。4人分の昼食でし
たが、殆どは息子達二人の胃に流し込まれました。写真は、食べ終えたけど出てくるお皿が
気になる次男と、デザートのラーメンでフィニッシュに入る三男です。ご馳走様でした。




あっという間に帰国の日がやってきました。嵐のように大勢で押しかけ、家内の母はさぞ
疲れたと思います。お世話になりました。写真は、伊豆沖の上空です。朝一番のフライト
でした。成田空港到着後、空港を出てタクシーに乗り、息子二人がお世話になった姉妹
都市交流プログラム関係者がいらっしゃる市の役所へ移動。家内は担当だった職員の方々
と再会し、その後は、三男が参加した時のメンバー3名と彼らのお母さん方にお会いしま
した。三男は一年ぶりの再会。子供達は皆、適当に大きく逞しくなっていました。その後、
私達家族のために予約いただいた日本料理レストランに移動して昼食。話題が尽きない
お喋りを楽しんだ後、成田空港まで見送っていただきました。有り難うございました。




懐かしい人達との10年、20年、30年ぶりの再会、あちこちで心のこもったおもてなし、
夏の色いっぱいの山と海。この先も、ずっと我が家の記憶に残る楽しい夏休みでした。
日本の皆さん大変お世話になりました。




帰国後、5人分の大型スーツケース、キャリーケースを片付けます。こちらもお世話に
なりました。


実は昨年、アメリカでも長いブランクをおいての再会がありました。8月末に10年前の
日本語補習校で保護者会役員として共に一年間の激務をこなした方のお子さんが日本
から、そして9月、古い友人(昔の職場の同僚とそのご主人です。)が訪ねてきてくれ
ました。日本からのお客さんは、次男の当時の友人でもあり、今では立派な日本の大学
生です。何年も前、私達の日本帰国時に次男が友人を訪ね、お世話になりました。一方
9月に再会した友人夫妻のご主人には、長男、次男が、それぞれ高校の時に英文エッセー
を添削していただきお世話になっています。奥さんと家内は10数年ぶり、三男は初対面
でした。勿論どちらのお客さんとも話は尽きませんでした。懐かしい多くの人達との再会、
そんな年回りだったようです。


それでは、Home Improvement に移ります。





庭のサッカーゴールと隙間だらけの塀です。




6月。業者さんにより、準備を含めて丸三日で作り替えてもらいました。お隣のおばあ
さんも一安心だったと思います。次は、庭の反対側の塀。10月です。




昔は気にならなかったツタでしたが、放置しておいたために塀を覆いつくし、見えない
ところで茎が太くなり塀をガタガタにしていきました。写真は全てを取り払った後です。
この時既に、お隣のおじさんは、ツタの影響を受けていない部分の作業を開始していま
した。雨期で作業は中断しましたが、約半年をかけて、




おじさん一人で完成させました。こんなお父さんがいる家庭は幸せだと思います。ちなみ
に塀の上に見える木はレモンです。年中実がなり続け、ここ数年、我が家も月に数回、
オーガニックの新鮮なビタミンC のおすそ分けをいただいています。




次は、11月。工事開始間際になって見積額変更でもめた屋根の張り替えです。作業員は、
全員がメキシコ系の人達で、英語を喋れない人もいました。皆、真面目で陽気でしたが、
やや手荒い作業でした。写真は、古いシートを剥がしているところです。部分的にシート
の継ぎ目が劣化し、雨漏りがいつ始まってもおかしくない状況でした。昨年のうちに工事
に踏み切っておいて正解だったようです。写真の左に、お向かいの家の屋根が見えます。
瓦屋根です。我が家の屋根は傾斜が緩やかで、瓦は使用していません。日本の家屋とは
異なり、建築様式により、屋根もいろいろな種類があるようです。私自身、今回の工事で
屋根に関する知識が増えました。




約1週間の工事で完成しました。三層にシートを重ね、継ぎ目と隅は全てタールで熱処理
が施されています。外観はパッとしませんが、家を雨と熱から守り、10年保証です。次は
ペンキ塗りにいきます。




通りに面した東側は、「そろそろペンキ塗りが必要でしょう」程度でしたが、




人の目に触れない庭側は西に面しており「おーまいがー。」のレベルでした。20年以上も
強い西日にさらされ、痛々しい姿になっていました。




作業開始。高圧噴射の水で古いペンキを剥がし、その後は全て人の手となります。




下地のペンキが施されます。




その上に二層にペンキが塗られ、約1週間で完成しました。屋根とダブルでかなり大きな
出費でしたが、少し気分がスッキリしました。暫く支払いが続きます。




ペンキ塗りの見積もりの際、玄関のドアについて尋ねたところ、「ドアの表面はまだ
綺麗だから、このままでもいいと思うよ。」とのこと。一旦ペンキ塗りのプロジェクト
から外しましたが、ずっと気になりました。全体のペンキ塗りが終わりに近づいた時に
業者さんに再び尋ねてみました。追加コストはうん百ドルとのことでした。




家のペンキ塗りが完了した後、自分でドアを塗り替えました。コストを抑えることは
出来ました。但し、ペンキ塗りをしたことのある人にはお分かりかと思います。たかが
ドア一枚ですが、マスキングをして、ベース塗りの後、上塗り数回、隅は刷毛のサイズ
を小さなものに替えて塗る等、かなりの時間がかかりました。何とか無事に完了。


次はブラインド。12月です。





既にクリスマスシーズンに入っていました。リビングルームの古いカーテンとカーテン
レールを取り外しました。




上下に開閉可能なブラインドを取り付けて完了。カーテンと比べるとずい分すっきりしま
した。ネットで購入したものですが、サイズが細かく分かれていたため、窓と枠のサイズ
の計測は神経を使いました。取りあえず正しいサイズのものをオーダー出来たようです。




私の仕事、息子達の勉強とビデオゲーム用スペースでもあるファミリールームも、古い
カーテンとレールを取り外し、パティオドアの部分は垂直のカーテン式ブラインドを取り
付けました。作業は、リビングルームも含め全て、折りたたみハシゴ、メジャー、鉛筆、
電動ドリル・ねじ回しを使って、それぞれ数時間ずつかけて終えました。


まだ続きます。





20年以上使用しているキッチンのテーブルの表面のやすりがけです。電動サンダーを
使用しましたが、かなり時間がかかりました。その後はワックスがけで完了。




次にいきます。先日の更新の通り、昨年末、三男は長年続いたバイオリンを止める決心
をしました。長男は、もうバイオリンに触ることもなくなり、三男も続くことでしょう。
取りあえず、お世話になった息子達3人のバイオリンは手の届くところに置いておくこと
にしました。今までのように壁に立てかけておくのではなく、きちんとスタンドで管理
しようと考えましたが、市販の家庭用サイズのバイオリン・スタンドなどは見つからず、
自分で作ることにしました。




見るからに素人の日曜大工ですが、息子達のバイオリンは、リビングルームの片隅で、
いつでも使える状態になっています。昨年、大学の寮にもバイオリンを携えて行った
次男は、コロナ帰省の後もちょくちょく弾いています。


Home Improvement は以上です。





さて、年の瀬になりました。クリスマスの朝、例年のようにリビングルームに集合。昔、
息子達が小さかった頃は、私と家内は朝の4時にたたき起こされたものです。当時の
彼らのクリスマスにかける気合は相当なものでした。長男に至っては、クリスマスイブ
にこっそりドアのノブに鈴をかけ、また、別のドアには糸を張ってセロテープで固定。
子供の扱いに慣れたサンタクロースもギョッとしたと思います。一昨年は午前4時とは
言いませんが、7時には全員が起床して集合していました。が、昨年は私が3人を起こし
に行きました。「起きろっ!クリスマスだぞっ!」「・・・」「んー?」「っ。そー。」
クリスマスが待ち遠しかったのは遠い昔となりました。その後、貰うものだけ貰うと3人
しゃっきとしました。 


以上、2019年のハイライトでした。

ここまで読んでいただいた方、お疲れ様でした。



年が明けた1月、 WHO が中国で確認された新型ウィルスについての声明を出しました。
その後、世界を揺るがす脅威になるとは誰も想像すらしていなかったと思います。三男
のクラブサッカーの練習は、ひと月前から週二回のペースで始まりました。アメリカは
感染の第二波が始まっています。コロナ禍で競技場の使用許可を取ることは難しいそう
ですが、秋のシーズンは8月末より開始とのことです。もし予定通りにスタートすると、
週末はまた忙しくなるかもしれません。その前にもう一度ブログを更新いたします。










ようやく2019年 ハイライト (2)

2020年07月17日 | 家族
それでは写真です。


サッカーから始めます。





三男。春のプレシーズンのローカルのトーナメントで。チーム・コーチが若干レベルが
低めのブロックに登録しました。ご覧の通り優勝。選手に自信をつけさせるための効果
的なウォーミングアップでした。




そして春のシーズン開始。チームの戦績は悪くはありませんでした。




春のシーズンが終わり、リーグの短い夏休み。7月上旬、某大学の ID キャンプに参加
しました。初日のレジストレーション。将来大学サッカーを目指す子供達ばかりです。




トレーニング、練習試合、朝から夜まで、みっちりとメニューが組まれていました。




夏のブレークが終わり、秋のシーズンが開始。ポジションはウィンガーに定着。チーム
内で競争の激しいポジションでもあり、技術、持久力、まだまだ課題は残ります。




秋のシーズン後半のトーナメント。一昨年は、11月の感謝祭の連休を利用し、サンディ
エゴで開催された大きな大会への参加でしたが、昨年は、コーチが10月のラスベガスの
トーナメントを選びました。三男と二人で、飛行機とレンタカーを使ってラスベガス入り
し2泊3日。三男にとっては初めてのラスベガス。私は約20年ぶりでした。




試合内容はスタートから良く、セミファイナルまで勝ち進みました。三男は秋のシーズン
に入ってコーナーキックを任されることが多くなり、少しずつ精度を上げていきました。




シーソーゲームの後、同点のままタイムオーバー。PK 戦にもつれこみました。トップの
選手が失敗、二番手が決め、三番手は三男。




コースが甘く弾かれました。相手チームは全てを決め、ファイナル進出決定。いつもは
ジョークをとばして仲間を笑わせる三男も、ダメージは大きかったようです。




こちらは、春のシーズン終了に合わせて作成した長男と私の
合作ポスターです。次男のクラブチーム、次男と三男の高校
チームの時のように、私が自分のアーカイブから各プレーヤー
の写真を拾い集め、Photoshop で切り抜き、整理したファイル
をフラッシュドライブにコピーして長男に手渡しました。その
後、私が構図の注文をし、後は長男の好みでデザイン。同じ
パターンでした。プレーヤーよりも父兄からの受けが良かった
です。




夏に戻ります。たった一度でしたが、サンフランシスコの社会人リーグの日本人チーム
でプレーさせていただきました。夏休みで、人数がぎりぎりであったために使ってもら
えました。周りは皆、体も大きくスピードもある大人。容赦しません。三男は、引き気味
でしたが、本人にはいい勉強になりました。チームの皆さん、有り難うございました。




別の日、次男も一年ぶりに参加させていただきました。古巣のクラブのU-19チームから、
ちょくちょく助っ人依頼のお声がかかり、夏になっても本人の体は全然なまっていません
でした。しかし、社会人チームの技術、スピード、パワー、試合ペース、どれも相変わら
ずハイレベル。息子達がお世話になりました。




地元のプロチーム、San Jose Earthquakes の AVAYA スタジアムです。昨シーズンもホーム
ゲームは、息子達の試合が重ならない限り、スタジアムまで足を運んで観戦しました。シー
ズン開幕前にアルゼンチン人の監督がメキシコ・プロリーグのトップチームから招聘され、
鳴り物入りのデビュー。数年の間、低迷が続き、2018年シーズンの後半になり、アメリカ、
ヨーロッパ、中南米の選手を適度に混ぜたシステムは、ようやく形が整いつつありました。
そこで監督交代。システムは徹底的に手が加えられ、監督が新たに迎え入れた中南米の選手
を多用したロースターとなりました。結果はズタズタ。後半になって布陣に手を加え機能し
始めましたが、つらいシーズンでした。




シーズンを通して、殆どは三男と私の二人での観戦でした。都合がつくと、次男との
組み合わせになったり、息子達3人を連れてスタジアムを訪れました。




スタジアム内の食事は高く、いつもお決まりの場所でピザと IPA です。




これは7月の独立記念日の前の週末。毎年恒例のライバル LA Galaxy 戦。いつも試合開始
前に行われる米軍選抜パラシュート部隊によるパフォーマンスです。キックオフに向けて
雰囲気を盛り上げていきます。




ハーフタイムのショーです。スタジアムが独立記念日カラーで埋め尽くされます。毎年、
この試合だけは落とすことは出来ません。幸い 3-0 の勝利でした。




先シーズンの目玉は何と言いましても、MLS の歴代得点記録を更新した我らが San Jose
Earthquakes のスターFWD 、Chris Wondolowski です(通称「ウォンドー」)。過去、
全米代表にも何度となく選出され、ずっとチームの顔です。この写真は、2014年の古い
スタジアムで試合後に息子達がサインをもらった時に撮ったものです。当時31歳。老け
顔は許してあげてください。今も全然変わっていません。先シーズン前半は、記録更新
のために、チームの誰もが彼に気を遣ってパスを出しましたが、凡ミスが多く得点に
つながりませんでした。周りのプレーヤー、監督、ファン以上に、恐らく本人自身が
「オレ、モウダメカモ・・・」と思っていたはずです。ところが、シーズンもかなり後半
になってから不死鳥のように息を吹き返しました。さすがはエース・ストライカー。あっ
という間に記録を更新し、シーズン終了時には「オレニツイテコンカイッ!」とオーラ
を放つ元のスターに戻っていました。引退の噂はありましたが、契約を更新して現在に
至っています。


三男のバイオリンについて。





大変残念ですが、昨年末をもって三男はバイオリンを止めました。やる気のなさが一番の
理由でしたが、家内、三男と私の三人で協議して出した結論です。本人も音楽における
自分の限界はずっと感じ取っており、これ以上無理に続けさせてもと、区切りをつけま
した。写真は11月にあった最後のリサイタル。個人の演奏が一通り終わり、選抜による
フィナーレです。




リサイタル終了後の先生の Mr. S とのツーショット。




2013年のリサイタルです。長男と次男はバイオリン開始当初、別の先生からレッスンを
受けていましたが、10年前から Mr. S となりました。温和な素晴らしい人格の方でした。
三男は、12月末までレッスンを続けて、先生にバイオリンを止めることを報告。残念そう
でしたが、三男の決断を受け入れ、激励もしていただきました。大変お世話になりました。


三男が続きます。日本語補習校です。





球技大会です。




今年は、COVID-19 により借用校の教室の確保が出来ず、3月から夏期集中もずっとオン
ラインの授業。中高部の球技大会もありませんでした。昨年が最後だったようです。




中3の時以上に高校1年生の団結は強く、楽しそうでした。




次男もボランティアに駆けつけました。観戦する父兄にとっても楽しい一日だったと思い
ます。


家内です。





幼稚園内の写真を撮影することなど出来ず、こちらお話グループの夏にあった公演で撮影
したものです。自作の人形を使ってパフォーマンス。家内の前には3歳から5歳くらいの
子供達が大勢陣取って熱心に聴きいっていました。




家内の工作は終わることはなく、パンケーキミックスの空き箱は、幼稚園用に「ロボット」
に作り替えられ、




ケチャップ、マヨネーズの空容器は、水鉄砲となります。家内の書斎から物が減らない
はずです。


長男です。





カメラは、2017年のクリスマスから Nikon の DX モデルを使用してきました。大学での
数々のプロジェクトを通して写真の扱いにもずい分と慣れ、2019年の12月、とうとう、
Nikon の FX モデルにステップアップ。F2.8 仕様の 24-70 mm、70-200mm、テレコンバ
ーター。自分でアクセサリーもいろいろ買い足しました。Nikon の機種、レンズのブラ
ンドは異なりますが、基本的に私と同じスペックの器材が揃いました。休日、コンピュー
ターに向き合って自分が撮影した写真の画像編集に費やす時間がずい分長くなりました。




大学のプロジェクトの一つで、日本酒のラベルを課題として選びました。使用した和紙
は家内のストックから。盗作は厳しい罰則が科せられますので、十分なリサーチをして
デザインを固めていきました。大学には「和風」デザインを好むアメリカ人の生徒も
多く、作品にもしばしば取り入れるそうですが、日本文化と歴史の理解が不足し、表現
には限界があるようです。取りあえず、長男作のラベルは、教授からの評価はかなり良か
ったそうです。


サーフィンに移ります。





ここ数年は、親子4人揃ってサーフィンに行くことは少なくなりました。




この日、久しぶりに全員が揃いました。コンディションは良かったです。




別の日です。最近オイル漏れが気になりますが、ビーチへの足はずっと Mazda の MPV。
まだ乗り続けています。三男の誕生に合わせて購入しましたので、私達家族と共に16年
以上です。




この日は、日中の混雑を避けてか、サッカーの試合があったのか、夕方から海に入り
ました。日もとっぷり暮れ、帰路につきます。




12月。次男です。三男と私の3人で海に入りました。長男はといいますと、ビーチから
この写真を撮影しました。




三男。海に入ったのはお昼前でしたが、夏のような混雑はなく、のんびり乗ることが
出来ました。




私です。過去、GoPro で撮ったビデオから切り取った自分の写真は何枚もありましたが、
人に撮ってもらったサーフィンの写真はこれが初めてです。




この先も、次男は帰省の度に海に入ると思いますが、あと何年、4人全員揃ってのサー
フィンが続くのでしょうか。取りあえず、ここまで楽しい思い出をつくらせていただき
ました。


まだまだ続きます。次はお茶です。





昨年の夏の講習会です。講習中、写真撮影はご法度。この写真は閉会直後、片付けが
始まる前に撮影しました。この講習会は、確か2年ぶりだったと思います。北カリフォ
ルニアの支部は今年が創立50周年で6月に式典が予定されていました。残念ながら、
世界がコロナ禍です。




日本の姉が管理してくれていた母のコレクションを全て譲り受けました。眠らせること
なく使っていきたくはありますが、ずっと先になりそうです。

昨年の12月でした。先生にお願いをして、冬休みで帰省中の次男の見学を許可してもら
いました。本当はデザインに刺激を与えるために長男に見てほしかったのですが、スケ
ジュールがあいませんでした。取りあえず、次男は以前から茶道に興味を示しており、
見学が決まってから毎日正座の練習をして当日に臨みました。私の下手な御手前でした
が、茶道に一層興味がわいたそうです。いつか、長男の見学もお願いしてみようと思い
ます。


次に「タヌキ」にいきます。昨年の7月、日本帰国を控えて準備に忙しかった頃です。
タヌキと言っても実は「Raccoon」、アライグマのことです。全く別物ですが、我が家
では勝手にそう呼んでいます。





ある7月の朝、ふと庭に目をやると、ちょくちょく姿を現す「タヌキ」がスタコラ歩い
ていました。「おやっ?」とよく見ると何か大きなものを口にくわえています。死んだ
ネズミをどこからか拾ってきたのかと思いギョッとしました。そうすると、口にくわえ
ていた「何か」は、タヌキの後ろをスタコラ歩き始めました。何と、子ダヌキでした。

その日、三男の IDキャンプがあり、夜、車を走らせ大学のキャンパスで息子をひろい、
午後9時過ぎに二人で戻ってきました。車を降りたとたん、どこからともなく不気味な
「ギーギー」と鳴き声。子ダヌキでした。親とはぐれ、道の真ん中をピーピー「泣き」
ながらさまよい歩いていたようです。元々動物好きの息子達、私が困っていても気にも
かけませんが、困っている動物を見ると放って置けません。三男が直ぐに長男、次男を
呼び、子ダヌキが車にはねられないよう3人で歩道に追い込みました。そして、次男が
段ボール箱を用意し、三男は見張り、長男は携帯電話で郡の 「Animal Control」の連絡
先を調べ直ぐに電話。その間わずか数分。結局「Animal Control」からの指示は「近く
に親がいるはずだから、屋外の安全な場所に放しておくように。」とのことでした。
ふたを開けたままにした段ボール箱に子ダヌキ入れて、庭の隅に。近くの植え込みの
あたりでかすかですが、ガサガサっと音がしました。親ダヌキだったかもしれません。
朝起きて庭を見ると箱はカラ。めでたしめでたし。




ところが、翌日戻ってきました。長男の撮影です。数日の
間、親とはぐれる度にあちこちでピーピー。但し、肝は
座っていました。諦めると植え込みの陰で朝から夕方まで
スヤスヤ8時間。熟睡した後は、いなくなっていました。




長男撮影。何と、子ダヌキは2匹いました。あれから一年。
もう今頃、大人のタヌキになっているはずですが、今年は、
庭に現れなくなりました。縄張りを替えたか、車にはねられ
てしまったか、天敵に襲われたかは分かりません。少し寂し
くはあります。




おまけです。こちらは庭のモグラ。昨年、顔を出したところを写真に収めました。毎年、
雨期が終わる頃に庭に出没。芝生をあちこち掘り起こして荒らしまわる盛る厄介者です。
叩いてやろうとも思いましたが、止めておきました。




昨年に限ったわけではなく、今でも庭にほぼ毎日のように現れるブルージェイです。よく
「つがい」で見かけ、他の鳥は寄せ付けず縄張りがはっきりしています。正式名称は
「California Scrub-Jay」だそうです。



これで半分です。ここで一区切りとし、この後、日本帰国、Home Improvement に関する
写真をカバーいたします。

ようやく2019年 ハイライト

2020年07月17日 | 家族
更新です。

7月になりました。2020年も折り返しを過ぎてしまいましたが、ようやく
2019年のハイライトです。

これまで次男、三男については、現地校、日本語補習校、大学と昨年の様子
をいろいろ書き綴っていますので、例年のハイライトように5人別々に分け
ることはせず、家族全員を一回でひっくるめることにします。また、ここ
まで引っ張ってきてしまい、家族の日常生活については、2020年がかぶる
部分もありご了承ください。

「長男」

昨年はずっと大学漬け。好きで選んだグラフィックデザインは、自身の
レベルが上がるほど、行き詰るようにもなり、乾いた雑巾から水を絞り出す
ようにアイディアを引き出し、期末は徹夜が続きました。まだコロナなど
関係のない昨年は、前年以上に大学で過ごす時間が長く、家には睡眠をとる
ためだけに帰るといったことが多い一年でした。作品は、どれもプロらしく
なりましたが、本人いわく大学にはもっと凄い連中がいくらでもいるとの
こと。日本的なアクセントを取り入れたり、他の生徒と自分を差別化する
ような工夫、努力は作品の中でずっと続けているようです。

学校が落ち着くと足繁くジム通い。そして、忙しくなると運動はゼロ。外見
は相変わらず筋肉青年の長男、体重は少し増えたようです。しばらく続いた
メキシカン・レストランでのバイトからは完全に離れました。その後、忙しい
中、時間をやりくりしながら大学キャンパス内のバイトで小遣い稼ぎをして
います。

大学のプロジェクトで写真を扱うようになって久しいですが、自分の趣味と
して写真を楽しむようにもなりました。大学が忙しい間も、たまに息抜きに
カメラを持って車でフラッと出かけ、サンフランシスコのダウンタウン、
ベイブリッジ、ビーチやら、あちこちのスポットで雰囲気のあるいい写真を
撮っています。父から始まった趣味は、腕はさておき、私、長男へと引き
継がれています。

この6月に卒業の予定でしたが、大学の一年目を Community College で
過ごしてからの編入だったため、全てのクラスを Senior の5月までに取り
終えることは出来ませんでした。この12月に卒業だそうで、現在もオン
ラインで夏のセッションの最中です。現在22歳。大統領選、COVID-19、
Black Lives Matter 等、普通に大人同士の会話が出来るようになりました。

「次男」

現地校の卒業から大学入学、その間のサッカー、バイオリン関連のイベント
に関しては、これまでにまとめた通りです。

サッカーだけ、少し付け加えます。次男は、高校の Senior になって、それ
までの夢であった Division 1 リーグ大学でのサッカーを諦めました。これも
過去の更新の通りです。そして、ずっと一緒にプレーしてきた仲間にとって
も現実と向き合う節目でした。共に夢を追って頑張ってきたのですが、D1
には手が届かず、様々なレベルで州立、市立、私立、地元の Community
College、州外の大学に散らばってサッカーを続けていく仲間。その一方、
高校卒業と共にサッカーに区切りをつけた仲間も数名。皆、大人になって
いきます。

その中で、数年来のチームメートが、Junior の終わりに大きなクラブに移籍
し、見事 Development Academy リーグのトップチームに受け入れられま
した。そして春、全米の D1 の中でもランキングの高い某大学の ID キャンプ
に参加し、ヘッドコーチに認められ、キャンプ終了時には大学チームへの
招待を受けたそうです。推薦入学の確定です。まさにとんとん拍子。まだ
終わりではありません。昨年の秋、SNS を通して入学早々スタメンとなった
ことが伝えられました。アメリカで D1 大学のサッカーを夢見る高校生の誰も
が理想とするステップを実現させました。コロナ禍により大学チームの活動
も中断となっているはずですが、きっとコツコツと自主トレに励んでいる
ことと思います。

次男、今年の3月にコロナ禍で帰省。わずか半年の寮生活でしたが、ずい分
大人びて帰ってきました。現在、地元の Community College のオンラインの
夏期クラスで必須科目の単位を稼ぎ、将来にフォーカスしてコツコツと勉強
を続けています。毎日欠かさず Workout、自宅の食事が一番美味しいそうです。

「三男」

日本語補習校は、3月に中学部を卒業、そして4月に高等部に入学。カバー
済みです。サッカーです。次男同様、高校サッカー終了後、直ぐにクラブ
サッカーが始まり自分のチームに合流。高校でコンディションは既に出来
上がっており、問題なくペースをつかみました。三男のチームは、白人、
ヒスパニック、東洋人が適度に混ざり、仲が良いだけではなく、向上心の
強い真面目なグループです。三男いわく、「They are so pure.」だそうです。
いいチームに入ることが出来ました。前の年の移籍後初めてのシーズンは、
週3回の練習のうち2回は、Caltrain(Bay Area のサンフランシスコとシリ
コンバレーを結ぶ通勤列車)とスケートボードを使い、自分一人で通える
便利な場所で行われました。残念ながら、それもほんの1シーズン。その後
は、週3回、車で片道1時間の場所に変更となりました。送り迎えの負担は
大きいですが、我が家では今に始まったことではなく、過去何年も同じこと
をしていますので問題はありません。現在のコーチは3人目。指導力の質は
高く、プレーヤーからの信頼は厚いそうです。チームが粒ぞろいのため、
三男はスタメンだったり、ベンチスタートだったりと、まだまだ努力が必要
です。

サーフィンは、長男はずっと大学が忙しく、次男は家から離れましたので、
昨年からは、我が家の誰よりも乗れています。サッカーで身につけた基礎
体力に加え筋トレも始め、上半身はかなりパワーアップ。パドリングに表れ
ています。

学校はと言いますと、現地校は頑張っています。ずっと次男を見てきました
ので、Freshman の年より GPA を下げないように努力していました。高校
入学後、長男や次男のようにオーケストラには参加せず、最初の年度は
美術のクラスをとりました。過去からずっと絵を描いてきたわけではなく、
大学の願書ではあまりアピールするものはなさそうでした。次男のアドバ
イスもあり 翌年度は「Leadership」のクラスに変更。学校のイベントの
お世話係をしたり、日本の高校生徒会のような活動が中心で、大学の願書
ではポイントは高いそうです。自身が三男坊のせいでしょうか、現地校の
友人は年上が多く、同年の生徒よりも馬が合うようです。さて、日本語補習
校。勉強面では全然パッとしませんでした。それでも毎週、楽しそうに登校。
中学3年生の補習校嫌いの頃と比べるとずい分変わりました。COVID-19 に
より3月からずっとオンラインです。

「お母さん」

前年と変わらず、家事と幼稚園の先生業で忙しく一年が過ぎました。秋に
次男が大学の寮に入った後は、朝のお弁当作りがほんの少しだけ楽には
なりましたが、大学生の長男、三男、自宅で仕事の私、自分の分も含めて
お弁当を4つ作り、毎朝三男を連れてバタバタと車で家を出て行きます。
大食漢の次男がいなくなった後、朝に炊くお米の量はずい分と減りました。
(勿論、昨年の話であり、次男はコロナ禍で帰省。現在は元通りです。)
車には、絵本、小道具、資料等、毎朝けっこうな量の荷物を積み込んで出勤
です。

勤め先の幼稚園は評判がよく「是非うちの子を」と絶えず入園希望の連絡、
問い合わせがあるそうです。家内は、通常の幼稚園業務以外に、日本の小学
校を基準とした準備クラスのようなものも担当となり、守備範囲も広くなり
ました。息子3人がお世話になった日本語補習校小学部は、入学面接があり、
準備クラスの需要は年々大きくなってきているようです。これまで処分せず
とっておいた息子達3人の幼稚園、日本語補習校の教科書や資料は、今では
どれも大活躍。夜、家事が終わると自分の書斎にこもって翌日の準備や、
小物の工作やらで忙しそうです。いつも疲れ切ってクタクタですが、元々が
子供好きで楽しそうでもあります。

コロナ禍の規制が出てからは幼稚園もずっとオンラインになったことは以前
に述べました。準備が複雑となり、他の先生方と頻繁に Zoom ミーティング
を行い、かなりの時間を費やしています。

お話グループのボランティアは、始めてからずい分年月が経ちます。昨年は
コロナ関連の規制もなく、週1回のミーティングがあり、様々な場所での年
数回の公演のパターン。対象が幼稚園児以下のため、いい意味で幼稚園で
やっていることとオーバーラップし、知識を両方でじょうずに活用していま
した。

体重だけではなく、ストレスのコントロールにも役立っていたジムは幼稚園
が忙しくなるにつれて、徐々に遠ざかり、結局メンバーシップはキャンセル
しました。一応、本人は気にしています。

「お父さん」

テレワークは変わりません。自宅で平日の朝5時半頃からコンピューターを
起動し、プライベートのメール、各種支払い関係、アメリカと日本のニュー
スをさっとチェック。そして会社の Flex 制を利用し、午前6時からの仕事の
開始は、この2年間ずっと同じ。通勤はなく、有り難い環境です。昨年は、
仕事が終わると、家内のスケジュールにあわせて、家内か私のどちらかが、
次男と三男を高校で Pickup。自宅に戻って手分けをして二人のサッカーの
練習の送り迎えでした。次男が現地校を卒業した後も基本的にスケジュールは
変わらず、三男を中心に同じパターンです。そして土曜日は、家内が三男を
日本語補習校に送り届け、サッカーの試合が重なると担当は私となりました。
ひょっとすると平日以上に忙しい週末ですが、時々、時間が空くとコンディ
ションを見て長男か三男を連れてサーフィン。後はサッカーの試合の写真の
整理と編集。単調な生活でした。

ブログではしばらくの間、触れていませんでしたが、生活サイクルの中に、
お茶の稽古が入ります。表千家のお茶は入門してから13年となり、続いて
います。最初の5年ほどは、初釜、利休忌、夏の講習会、天然忌には必ず
出席し、一時期は着物と袴を身に着けて気合も入っていました。その後、
息子達のサッカーが徐々に本格的になり、週末の試合と重なることも多く
お茶会からは遠ざかっていきました。月三回の平日の夕方の稽古も、仕事や
息子達のサッカー関連で欠席が続くこともあり、もう止め時かなと考えも
しましたが、踏みとどまり現在に至っています。億劫になりかけていた頃、
ふと「出来る範囲で続ければ十分ではないか。」と考えると気が楽になり
ました。コロナ禍が落ち着くまでしばらく稽古もお預けです。この先どう
なるか分かりませんが、ここまで先生には忍耐強く面倒を見ていただき、
細く長く続けて行ければなと思います。

「夏休み - 日本帰国」

間違いなく昨年の我が家の一番のビッグイベントだったと思います。7月
中旬、家内、次男、三男の先発隊がアメリカを発ち、1週間遅れて長男と
私が出発。8月1日までの日程で日本を訪れました。2020年の東京オリン
ピックの混雑を避けたかったため、また、次男の大学入学を控え、2019年の
夏を選びました。いい判断でした。息子達が大きくなるにつれて、家族5人
揃っての帰国もいずれなくなると思い、少し無理をして組んだ長めの日程。
昨年の今頃は、先発隊は既に日本入り。私は仕事に追われていました。

いつものように家族5人、家内の実家でお世話になり、息子達は日頃出来
ないおばあちゃん孝行に努めました。長男と私が遅れて合流した後、まずは
家族全員で私の実家のお墓参り。日程の真ん中には、日本語補習校で三男を
通じて知り合い、日本帰国後も10年近くお付き合いの続いているご家族、
30数年来の友人、日本の家族ぐるみでお世話になっている方、10年以上も
会っていなかった親戚を訪ね、2泊3日で鹿児島、熊本、福岡、山口、兵庫
と西日本を家族で移動する小旅行を組み入れました。足は、飛行機、新幹線、
レンタカー。かなりの強行軍でしたが、長年思い描いていた計画を達成し、
大勢の懐かしい人達と再会しました。

日本滞在中は、あちこちで美味しいご馳走をいただき、小旅行の前後には、
家内の母、叔父夫妻に連れられて駒ケ岳に日帰りドライブ、弟にはいつもの
ように私達親子をサーフィンに連れて行ってもらい、大勢の人達から暖かい
おもてなしを受けました。

日本国内の移動は、いろいろな交通手段のコストを比較した結果、やや値は
はるが「Japan Rail Pass」で元は取れるとの結論に達し、アメリカで事前に
購入手続きをしました。高いグリーン車用パスでしたが、多めの荷物をかか
えての家族5人での移動は、どこもゆったり座ることが出来正解だったと
思います。(次男と三男は、新幹線に乗車するのは生まれて初めてでした。)
一番不安だったのがレンタカーです。日本の免許証の更新は20数年前にやめ、
日本では30年近く運転はしていませんでした。アメリカで取得した一年間
有効の国際免許証を携えて帰国。日本で運転してみると、直進は問題なし
ですが、当然、車は左側を走り、運転席は右側。大きな交差点では右折の度
に緊張し、ワイパーと方向指示器のレバーは、右と左、最後まで間違え続け
ました。

日本滞在の終わりには、次男、三男がお世話になった姉妹都市交流プログ
ラムの市の担当職員の皆さん、プログラム参加者とそのご家族とも会うこと
が出来、予定は 100% 消化。充実した日本帰国でした。

日本の皆さん、大変お世話になりました。

「Home Improvement」

いろいろありました。まず6月、息子達が何年も使用してきた庭のサッカー
ゴールの後ろにあるボロボロになった塀を業者さんに作り替えてもらいま
した。塀に拳サイズの穴があき、あちこち隙間だらけになっても、サッカー
ボールが庭に飛び込んできても何も文句も言わなかったお隣のおばあさんに
申し訳ないと思いながら年月だけが経っていきました。工事は、わずか数日
で完了し、穴のあいていないきれいな塀が戻りました。気分がすっきりした
のは、恐らくお隣のおばあさんも同じだと思います。息子達の庭でのサッカー
の練習も減り、塀はこの先しばらくきれいなまま。のはずです。

次に反対側のお隣さんとの境の塀です。こちらはサッカーボールによる
ダメージは一切なかったのですが、ツタが一面を覆いつくし、かなり老朽化。
いずれは何とかしようと思っていた10月、お隣のおじさん、いきなり自分
で作り替え工事を開始しました。(ESPの持ち主かもしれません。)日頃
から挨拶は勿論、外で世間話をするような間柄であり、作業の手伝い、費用
の折半を申し出ましたが、必要なしとのことでした。取りあえず、我が家の
庭側の木の枝やツタを取り払い、作業がし易いように掃除。7割が出来上が
った11月末に雨期が始まり、おじさんの作業も中断しました。そして数か月
前に作業が再開され、おじさん、つい先日、見事に一人で完成。お礼だけは
きちんとしました。

塀と併せて気になっていたのが、20年以上全く手つかずだった屋根と外の
ペンキです。夏あたりから見積をとり、雨の季節が始まる直前の11月に
屋根のやり替え、ペンキ塗りの順で実施しました。ぼちぼち雨漏りの心配
をしなくてはならないコンディションだった屋根は、見積の後、契約書に
サインをして予定通り進みそうでした。しかし、アメリカではそうはすん
なりいきません。雨期が近づいてきている上にペンキ塗りも控え、足元を
見られました。工事開始直前に計測ミスと称して値を吊り上げてきたり、
仕事が雑だったり、考えていた通りには進みませんでした。見積額の変更
については「はい、そうですか。」というわけにはいかず、かなりごねて
交渉し、何とか双方で落しどころを見つけ、新しい契約書を取り交わして
一件落着。ペンキ塗りも部分的に木が痛んでいる箇所が後から見つかり、
追加の作業とコストが発生。いろいろ苦労がありましたが、雨が始まる前
に全て完了しました。

この20年ほど、子育てと仕事が中心で家の改修など注意を向ける余裕は
ありませんでした。長男の手が離れ、次男が寮生活を始め、少しゆとりが
出てきたのでしょうか、思い切って実行しました。( 財布の中はゆとりなど
全くありませんでしたが。) そしてインテリア。12月、リビングルームと
ファミリールーム、それぞれの古いカーテンとレールを自分で取り外し、
ネットでオーダーした新しいブラインドを取り付け、キッチンのテーブル
表面のやすりがけ・艶出し、息子達のバイオリン用スタンドの製作等、日曜
大工でいろいろアップグレードしました。雨の季節が終わった春あたりから、
庭をいじるはずでした。COVID-19の到来で保留です。まだ作業開始の予定
はありません。

以上、おもだったものとなります。


写真です。




2019年は、元旦、サンフランシスコの Twin Peaks で息子達と拝んだ初日の出から始まり
ました。見事なご来光の御利益をもらい、我が家にとって実りのある一年となりました。

他の写真ですが、何と言いましても家族5人の一年分です。例年のように一人ずつに
分けていませんので、厳選したにもかかわらず、とんでもなく多くなってしまいました。
間違いなくこれまでの最多です。よって、この後、二回に分けてアップいたします。
暫くお待ちください。