写真の続きです。
後半は、夏の日本帰国と Home Improvement について。
以下、日本での様子を書き綴っていますが、滞在中は、西日本をあちこち訪問しました。
先日の豪雨で被害の大きかった熊本も訪れています。豪雨で被災された方々には心より
お見舞い申し上げます。

7月中旬、家内、次男、三男は一足先に日本入りし、長男と私は約一週間遅れて出発。
写真はちょうど昨年の今頃、成田空港から中部国際空港への乗り換えです。私達の日本
到着と同時に梅雨が明けたと聞きました。

名古屋の弟宅での夕食。その前に、家族でお墓参りを終え、父方の叔母を訪ねました。
叔母が息子達に会うのは10数年ぶり。3人の成長ぶり、特に手をひいて歩いた三男
までもが見上げる背の高さになっていたのには叔母もびっくり。暫くお喋りをして叔母
宅を後にしました。その後、弟宅に。弟夫妻、姉、そしてすっかり社会人らしくなった
甥、初対面の柴犬君と一緒に賑やかなひと時を。繊細な数々の美味しい料理とデザート
でした。ご馳走様でした。

家内の母、叔父夫妻に連れられ、車2台に分かれて駒ケ岳へ。駐車場からバスに乗り
ロープウェイの発着場に向かいます。

目にしみるような緑、そして所々に見える渓流や残雪のコントラストが見事でした。

ロープウェイを降りて散策。奥は、写真撮影に没頭する長男。

「・・・・・」

昼食は、麓のレストランでソースカツ丼をご馳走になりました。「どうだっ!」と言わん
ばかりのサイズ、アメリカでもお目にかかれません。息子達は大喜び。

昼食をとった後は、旧中山道の馬籠宿を訪れました。観光地ではありますが、落ち着いた
雰囲気で大変良かったです。

叔父たちのお陰で大変充実した一日でした。

さて、小旅行への出発です。朝一番の便で中部国際空港より鹿児島空港に飛びました。

10年近くお付き合いが続いている、三男の日本語補習校の元クラスメートとご両親に再会。
空港から駆け足の市内観光に連れて行っていただきました。写真は桜島です。家内、次男、
三男は、日本のケーブル局の NHK「西郷どん」を毎週欠かさず観ていましたので、西郷
隆盛や明治維新に関連するスポットでは熱心に説明を聞いていました。観光の後、お宅を
お邪魔してお茶をしながら歓談。お父さんは心臓外科医です。次男は、医療に関する話を
熱心に聞いていました。楽しい会話の後、鹿児島中央駅まで送っていただきお別れとなり
ました。

いよいよ「Japan Rail Pass」を使用して新幹線。実は、元からタイトなスケジュールを
組んでいた上に、私のせいで改札でモタモタし、家族5人ホームめがけてエスカレーター
を全速力で駆け上がるはめとなりました。長男、次男は先に乗車。家内は三男に荷物を
持ってもらいエスカレーターの中間地点を通過中。ホームで二人を待つ私。30~40m先
に立つ駅員さんがじっと私を見ていました。「もう少しだけ待ってください。」「困り
ます。発車です。」と目で会話した後、間に合いました。3人は無事に乗車。家内は
ゼーゼー。すいません。別れ際、数々のお土産に加え、車中での昼食にと鹿児島名産の
黒豚の駅弁を持たせていただきました。大変美味しかったです。有り難うございました。
その後、熊本駅で下車。母方の祖父母からお付き合いがある、お世話になった方をタク
シーを使って病院へお見舞いに。10年ほどのブランクをおいての再会でした。言葉数
こそ少なくはありましたが、成長した息子達を含め、家族の一人一人としっかり会話も
出来ました。立ち寄ってよかったです。

再び新幹線。次の下車は小倉駅。今度は30数年来の友人達との再会でした。(やたら
10年、30年が多い今回の更新です。この先まだあります。)

北九州市在住の友人、大分市からは他の友人も駆けつけてくれ、小倉駅で合流。再会を
喜び合いました。その後、車2台に分かれて北九州市内を案内してもらいさっと観光。
そして友人宅では家族を挙げて歓待してもらいました。心のこもった大変贅沢な夕食を
ご馳走になり、年月のブランクを全く感じさせないお喋りで楽しいひと時。食事、記念
撮影の後、友人達からはお土産を持たせてもらい、名残惜しくお別れでした。またまた
車2台に分かれ家族5人ホテルまで送り届けてもらいました。大変お世話になりました。
ホテルは夜にチェックイン。朝、起きてみると。

関門海峡を臨むホテルでした。

右手、遥か彼方に関門橋。

プールがあるわけでも、プライベートビーチがあるわけでもありませんが、全室、関門
海峡に面した温泉展望浴室付きとのこと。図体の大きい息子3人を含めて家族5人分、
2部屋をアメリカから予約しました。海を見ながら湯舟につかるお風呂は極楽であった
ことは言うまでもありません。山口県下関市のホテルでした。

スタッフの方々のサービスは素晴らしく、食事も感激でした。

朝食の後、一人タクシーでJRの駅まで行き、アメリカから事前に予約しておいたレンタ
カーを駅前支店で Pickup。係の方の説明を注意深く聞き、いざ発進。かなり緊張しました。
そして、ホテルに戻り、家内、息子達を乗せて長年の計画を実行。

海水浴です。ホテルから山陰方面に車を1時間走らせ到着。天気にも恵まれ、真夏の海。
はしゃぐ次男と三男です。
北カリフォルニアは寒流が流れ、水温は一年を通して11~12℃ 。夏でも海水浴は無理
です。(サーフィンは年中、体が4mm、袖が 3mm のフルウェットスーツです。)この
ビーチ、私が初めて訪れたのは30うん年前。当時と変わらず白い砂と透明度の高いエメ
ラルドグリーンの海は昔のまま。家内、息子達以上に感激しました。久しぶりに来て
驚いたのは、中国人観光客の多いことです。そして、ビーチでは誰もが長袖のラッシュ
ガードを身に着けていました。息子達は、サーフィン用にそれぞれ一着ずつアメリカ
から携えて来ていましたが、海水浴での着用は全く考えていませんでした。ラッシュ
ガードは無く、英語でキャーキャーはしゃぐ息子達、海に入るや否や海水浴域を示す
沖の赤旗めがけて泳いでいきました。直ぐに海水浴場全体に聞こえる場内アナウンスで
警告。周りの海水浴客からは完全に浮いて日本人には見えなかったと思います。家内は
水につかることもなく、レンタルした大きなテントの中から静かに遠くの息子達を眺め
ていました。

この日が来るのを長年、夢見ていました。

私の中でのこのビーチの記憶は、ウィンドサーフィン、SONY ウォークマン(カセット
テープ!)がセットとなっています。沖の島をめがけてセーリングした時に生まれて
初めて見たトビウオ。海面スレスレに何十メートルもパタパタ飛んでいく姿は今でも
記憶に焼き付いています。別の日には海面下をエイが優雅に泳いでいました。水から
上がると、じっと海を見ながらウォークマン。思い出の地を家族に見てもらえました。
目的達成です。

© 鈴木英人
当時、音楽はいろいろなジャンルを聴いていましたが、このビーチ
では山下達郎を好んで聴いたように記憶しています。日本から帰国
後、YouTube で彼の曲を検索してみると、ヒット曲、アルバム、
沢山出ていました。意外だったのは、アルバムによっては、英語圏
からのコメントが多かったことです。日本オタクっぽい人もいます
が、多くは音楽を検索してたまたま辿り着きました風の人達でした。
否定的なコメントは無く、多くは「アリガトー。」「ウツクシー。」
「ヨロシーデー。」等々です。昔のファンとしては嬉しかったです。

ビーチで十分遊び、帰路につきます。写真は、長男が車の助手席から撮った何てこと
ない入道雲です。私達が住む北カリフォルニアの「Bay Area」では、夏の間、遥か彼方
の内陸部で空高く伸びていく入道雲を見ることはありますが、大きく視界に入ってくる
ような距離ではありません。寒流のせいかもしれません。日本の夏を堪能しながらの
運転でした。
ホテルに戻った後は、また関門海峡を行き来する船をぼんやり見ながら一風呂。私達に
とっては最高の贅沢でした。そして、家内と息子達はホテルで和食フルコースの夕食。
私は別行動でウインドサーフィンの仲間と再会。30数年ぶりに会い、未だに若々しい
おっさん、おばさん達と昔話に花を咲かせ楽しいひと時を過ごしました。翌朝、ホテル
をチェックアウト。思い出に残る2泊3日、お世話になりました。

新下関駅から東へ。次男と三男はスヤスヤ。この後、新大阪駅で下車し、下りに乗り換え
兵庫県方面に少し戻り、JR の芦屋駅に到着。姉も名古屋から合流し、母方の叔父夫妻と
10数年ぶりの再会でした。高齢の叔父は、もう執刀することはありませんが、大ベテラ
ンの外科医です。次男は、ここでも自分が目指す将来について、いろいろ貴重な話を聞か
せてもらえたようです。最寄りの老舗ホテルのラウンジで、私達家族のために遅い昼食を
特別に手配してもらい、楽しいお喋りのひと時でした。お世話になりました。そして
名古屋駅に戻りました。

帰国の日も近づき、弟にサーフィンに連れていってもらいました。残念ながら長男は体調
が悪く留守番。朝一番に次男、三男、私の3人を家内の実家でひろってもらい、ポイント
へは3時間半で到着しました。

アメリカから、GoPro を持参。ニコニコの次男です。

サイズは小さめでしたが、何本もホイホイ乗れて最高のコンディションでした。北カリ
フォルニアでサーフィンをする時は、前述の通りウェットスーツを着用します。冷たい
海水から体を守る厚い生地は、どうしても腕や肩に負荷がかかります。一方、日本の夏
のサーフィンでは薄いラッシュガードのみ。どれだけパドリングしても腕は軽く疲れ知ら
ずです。楽しく半日を過ごさせてもらいました。

さて、運動の後は昼食。弟にサーフィンのポイントからそれほど遠くない回転ずしのお店
に連れていってもらいご馳走になりました。至れり尽くせりです。繁盛していましたが、
待ち時間は無し、ネタは新鮮、お店の人の感じもとても良かったです。遠慮知らずの次男、
三男、食べました。終わってから平らげたお皿を数えたところ 約70枚。4人分の昼食でし
たが、殆どは息子達二人の胃に流し込まれました。写真は、食べ終えたけど出てくるお皿が
気になる次男と、デザートのラーメンでフィニッシュに入る三男です。ご馳走様でした。

あっという間に帰国の日がやってきました。嵐のように大勢で押しかけ、家内の母はさぞ
疲れたと思います。お世話になりました。写真は、伊豆沖の上空です。朝一番のフライト
でした。成田空港到着後、空港を出てタクシーに乗り、息子二人がお世話になった姉妹
都市交流プログラム関係者がいらっしゃる市の役所へ移動。家内は担当だった職員の方々
と再会し、その後は、三男が参加した時のメンバー3名と彼らのお母さん方にお会いしま
した。三男は一年ぶりの再会。子供達は皆、適当に大きく逞しくなっていました。その後、
私達家族のために予約いただいた日本料理レストランに移動して昼食。話題が尽きない
お喋りを楽しんだ後、成田空港まで見送っていただきました。有り難うございました。

懐かしい人達との10年、20年、30年ぶりの再会、あちこちで心のこもったおもてなし、
夏の色いっぱいの山と海。この先も、ずっと我が家の記憶に残る楽しい夏休みでした。
日本の皆さん大変お世話になりました。

帰国後、5人分の大型スーツケース、キャリーケースを片付けます。こちらもお世話に
なりました。
実は昨年、アメリカでも長いブランクをおいての再会がありました。8月末に10年前の
日本語補習校で保護者会役員として共に一年間の激務をこなした方のお子さんが日本
から、そして9月、古い友人(昔の職場の同僚とそのご主人です。)が訪ねてきてくれ
ました。日本からのお客さんは、次男の当時の友人でもあり、今では立派な日本の大学
生です。何年も前、私達の日本帰国時に次男が友人を訪ね、お世話になりました。一方
9月に再会した友人夫妻のご主人には、長男、次男が、それぞれ高校の時に英文エッセー
を添削していただきお世話になっています。奥さんと家内は10数年ぶり、三男は初対面
でした。勿論どちらのお客さんとも話は尽きませんでした。懐かしい多くの人達との再会、
そんな年回りだったようです。
それでは、Home Improvement に移ります。

庭のサッカーゴールと隙間だらけの塀です。

6月。業者さんにより、準備を含めて丸三日で作り替えてもらいました。お隣のおばあ
さんも一安心だったと思います。次は、庭の反対側の塀。10月です。

昔は気にならなかったツタでしたが、放置しておいたために塀を覆いつくし、見えない
ところで茎が太くなり塀をガタガタにしていきました。写真は全てを取り払った後です。
この時既に、お隣のおじさんは、ツタの影響を受けていない部分の作業を開始していま
した。雨期で作業は中断しましたが、約半年をかけて、

おじさん一人で完成させました。こんなお父さんがいる家庭は幸せだと思います。ちなみ
に塀の上に見える木はレモンです。年中実がなり続け、ここ数年、我が家も月に数回、
オーガニックの新鮮なビタミンC のおすそ分けをいただいています。

次は、11月。工事開始間際になって見積額変更でもめた屋根の張り替えです。作業員は、
全員がメキシコ系の人達で、英語を喋れない人もいました。皆、真面目で陽気でしたが、
やや手荒い作業でした。写真は、古いシートを剥がしているところです。部分的にシート
の継ぎ目が劣化し、雨漏りがいつ始まってもおかしくない状況でした。昨年のうちに工事
に踏み切っておいて正解だったようです。写真の左に、お向かいの家の屋根が見えます。
瓦屋根です。我が家の屋根は傾斜が緩やかで、瓦は使用していません。日本の家屋とは
異なり、建築様式により、屋根もいろいろな種類があるようです。私自身、今回の工事で
屋根に関する知識が増えました。

約1週間の工事で完成しました。三層にシートを重ね、継ぎ目と隅は全てタールで熱処理
が施されています。外観はパッとしませんが、家を雨と熱から守り、10年保証です。次は
ペンキ塗りにいきます。

通りに面した東側は、「そろそろペンキ塗りが必要でしょう」程度でしたが、

人の目に触れない庭側は西に面しており「おーまいがー。」のレベルでした。20年以上も
強い西日にさらされ、痛々しい姿になっていました。

作業開始。高圧噴射の水で古いペンキを剥がし、その後は全て人の手となります。

下地のペンキが施されます。

その上に二層にペンキが塗られ、約1週間で完成しました。屋根とダブルでかなり大きな
出費でしたが、少し気分がスッキリしました。暫く支払いが続きます。

ペンキ塗りの見積もりの際、玄関のドアについて尋ねたところ、「ドアの表面はまだ
綺麗だから、このままでもいいと思うよ。」とのこと。一旦ペンキ塗りのプロジェクト
から外しましたが、ずっと気になりました。全体のペンキ塗りが終わりに近づいた時に
業者さんに再び尋ねてみました。追加コストはうん百ドルとのことでした。

家のペンキ塗りが完了した後、自分でドアを塗り替えました。コストを抑えることは
出来ました。但し、ペンキ塗りをしたことのある人にはお分かりかと思います。たかが
ドア一枚ですが、マスキングをして、ベース塗りの後、上塗り数回、隅は刷毛のサイズ
を小さなものに替えて塗る等、かなりの時間がかかりました。何とか無事に完了。
次はブラインド。12月です。

既にクリスマスシーズンに入っていました。リビングルームの古いカーテンとカーテン
レールを取り外しました。

上下に開閉可能なブラインドを取り付けて完了。カーテンと比べるとずい分すっきりしま
した。ネットで購入したものですが、サイズが細かく分かれていたため、窓と枠のサイズ
の計測は神経を使いました。取りあえず正しいサイズのものをオーダー出来たようです。

私の仕事、息子達の勉強とビデオゲーム用スペースでもあるファミリールームも、古い
カーテンとレールを取り外し、パティオドアの部分は垂直のカーテン式ブラインドを取り
付けました。作業は、リビングルームも含め全て、折りたたみハシゴ、メジャー、鉛筆、
電動ドリル・ねじ回しを使って、それぞれ数時間ずつかけて終えました。
まだ続きます。

20年以上使用しているキッチンのテーブルの表面のやすりがけです。電動サンダーを
使用しましたが、かなり時間がかかりました。その後はワックスがけで完了。

次にいきます。先日の更新の通り、昨年末、三男は長年続いたバイオリンを止める決心
をしました。長男は、もうバイオリンに触ることもなくなり、三男も続くことでしょう。
取りあえず、お世話になった息子達3人のバイオリンは手の届くところに置いておくこと
にしました。今までのように壁に立てかけておくのではなく、きちんとスタンドで管理
しようと考えましたが、市販の家庭用サイズのバイオリン・スタンドなどは見つからず、
自分で作ることにしました。

見るからに素人の日曜大工ですが、息子達のバイオリンは、リビングルームの片隅で、
いつでも使える状態になっています。昨年、大学の寮にもバイオリンを携えて行った
次男は、コロナ帰省の後もちょくちょく弾いています。
Home Improvement は以上です。

さて、年の瀬になりました。クリスマスの朝、例年のようにリビングルームに集合。昔、
息子達が小さかった頃は、私と家内は朝の4時にたたき起こされたものです。当時の
彼らのクリスマスにかける気合は相当なものでした。長男に至っては、クリスマスイブ
にこっそりドアのノブに鈴をかけ、また、別のドアには糸を張ってセロテープで固定。
子供の扱いに慣れたサンタクロースもギョッとしたと思います。一昨年は午前4時とは
言いませんが、7時には全員が起床して集合していました。が、昨年は私が3人を起こし
に行きました。「起きろっ!クリスマスだぞっ!」「・・・」「んー?」「っ。そー。」
クリスマスが待ち遠しかったのは遠い昔となりました。その後、貰うものだけ貰うと3人
しゃっきとしました。
以上、2019年のハイライトでした。
ここまで読んでいただいた方、お疲れ様でした。
年が明けた1月、 WHO が中国で確認された新型ウィルスについての声明を出しました。
その後、世界を揺るがす脅威になるとは誰も想像すらしていなかったと思います。三男
のクラブサッカーの練習は、ひと月前から週二回のペースで始まりました。アメリカは
感染の第二波が始まっています。コロナ禍で競技場の使用許可を取ることは難しいそう
ですが、秋のシーズンは8月末より開始とのことです。もし予定通りにスタートすると、
週末はまた忙しくなるかもしれません。その前にもう一度ブログを更新いたします。
後半は、夏の日本帰国と Home Improvement について。
以下、日本での様子を書き綴っていますが、滞在中は、西日本をあちこち訪問しました。
先日の豪雨で被害の大きかった熊本も訪れています。豪雨で被災された方々には心より
お見舞い申し上げます。

7月中旬、家内、次男、三男は一足先に日本入りし、長男と私は約一週間遅れて出発。
写真はちょうど昨年の今頃、成田空港から中部国際空港への乗り換えです。私達の日本
到着と同時に梅雨が明けたと聞きました。

名古屋の弟宅での夕食。その前に、家族でお墓参りを終え、父方の叔母を訪ねました。
叔母が息子達に会うのは10数年ぶり。3人の成長ぶり、特に手をひいて歩いた三男
までもが見上げる背の高さになっていたのには叔母もびっくり。暫くお喋りをして叔母
宅を後にしました。その後、弟宅に。弟夫妻、姉、そしてすっかり社会人らしくなった
甥、初対面の柴犬君と一緒に賑やかなひと時を。繊細な数々の美味しい料理とデザート
でした。ご馳走様でした。

家内の母、叔父夫妻に連れられ、車2台に分かれて駒ケ岳へ。駐車場からバスに乗り
ロープウェイの発着場に向かいます。

目にしみるような緑、そして所々に見える渓流や残雪のコントラストが見事でした。

ロープウェイを降りて散策。奥は、写真撮影に没頭する長男。

「・・・・・」

昼食は、麓のレストランでソースカツ丼をご馳走になりました。「どうだっ!」と言わん
ばかりのサイズ、アメリカでもお目にかかれません。息子達は大喜び。

昼食をとった後は、旧中山道の馬籠宿を訪れました。観光地ではありますが、落ち着いた
雰囲気で大変良かったです。

叔父たちのお陰で大変充実した一日でした。

さて、小旅行への出発です。朝一番の便で中部国際空港より鹿児島空港に飛びました。

10年近くお付き合いが続いている、三男の日本語補習校の元クラスメートとご両親に再会。
空港から駆け足の市内観光に連れて行っていただきました。写真は桜島です。家内、次男、
三男は、日本のケーブル局の NHK「西郷どん」を毎週欠かさず観ていましたので、西郷
隆盛や明治維新に関連するスポットでは熱心に説明を聞いていました。観光の後、お宅を
お邪魔してお茶をしながら歓談。お父さんは心臓外科医です。次男は、医療に関する話を
熱心に聞いていました。楽しい会話の後、鹿児島中央駅まで送っていただきお別れとなり
ました。

いよいよ「Japan Rail Pass」を使用して新幹線。実は、元からタイトなスケジュールを
組んでいた上に、私のせいで改札でモタモタし、家族5人ホームめがけてエスカレーター
を全速力で駆け上がるはめとなりました。長男、次男は先に乗車。家内は三男に荷物を
持ってもらいエスカレーターの中間地点を通過中。ホームで二人を待つ私。30~40m先
に立つ駅員さんがじっと私を見ていました。「もう少しだけ待ってください。」「困り
ます。発車です。」と目で会話した後、間に合いました。3人は無事に乗車。家内は
ゼーゼー。すいません。別れ際、数々のお土産に加え、車中での昼食にと鹿児島名産の
黒豚の駅弁を持たせていただきました。大変美味しかったです。有り難うございました。
その後、熊本駅で下車。母方の祖父母からお付き合いがある、お世話になった方をタク
シーを使って病院へお見舞いに。10年ほどのブランクをおいての再会でした。言葉数
こそ少なくはありましたが、成長した息子達を含め、家族の一人一人としっかり会話も
出来ました。立ち寄ってよかったです。

再び新幹線。次の下車は小倉駅。今度は30数年来の友人達との再会でした。(やたら
10年、30年が多い今回の更新です。この先まだあります。)

北九州市在住の友人、大分市からは他の友人も駆けつけてくれ、小倉駅で合流。再会を
喜び合いました。その後、車2台に分かれて北九州市内を案内してもらいさっと観光。
そして友人宅では家族を挙げて歓待してもらいました。心のこもった大変贅沢な夕食を
ご馳走になり、年月のブランクを全く感じさせないお喋りで楽しいひと時。食事、記念
撮影の後、友人達からはお土産を持たせてもらい、名残惜しくお別れでした。またまた
車2台に分かれ家族5人ホテルまで送り届けてもらいました。大変お世話になりました。
ホテルは夜にチェックイン。朝、起きてみると。

関門海峡を臨むホテルでした。

右手、遥か彼方に関門橋。

プールがあるわけでも、プライベートビーチがあるわけでもありませんが、全室、関門
海峡に面した温泉展望浴室付きとのこと。図体の大きい息子3人を含めて家族5人分、
2部屋をアメリカから予約しました。海を見ながら湯舟につかるお風呂は極楽であった
ことは言うまでもありません。山口県下関市のホテルでした。

スタッフの方々のサービスは素晴らしく、食事も感激でした。

朝食の後、一人タクシーでJRの駅まで行き、アメリカから事前に予約しておいたレンタ
カーを駅前支店で Pickup。係の方の説明を注意深く聞き、いざ発進。かなり緊張しました。
そして、ホテルに戻り、家内、息子達を乗せて長年の計画を実行。

海水浴です。ホテルから山陰方面に車を1時間走らせ到着。天気にも恵まれ、真夏の海。
はしゃぐ次男と三男です。
北カリフォルニアは寒流が流れ、水温は一年を通して11~12℃ 。夏でも海水浴は無理
です。(サーフィンは年中、体が4mm、袖が 3mm のフルウェットスーツです。)この
ビーチ、私が初めて訪れたのは30うん年前。当時と変わらず白い砂と透明度の高いエメ
ラルドグリーンの海は昔のまま。家内、息子達以上に感激しました。久しぶりに来て
驚いたのは、中国人観光客の多いことです。そして、ビーチでは誰もが長袖のラッシュ
ガードを身に着けていました。息子達は、サーフィン用にそれぞれ一着ずつアメリカ
から携えて来ていましたが、海水浴での着用は全く考えていませんでした。ラッシュ
ガードは無く、英語でキャーキャーはしゃぐ息子達、海に入るや否や海水浴域を示す
沖の赤旗めがけて泳いでいきました。直ぐに海水浴場全体に聞こえる場内アナウンスで
警告。周りの海水浴客からは完全に浮いて日本人には見えなかったと思います。家内は
水につかることもなく、レンタルした大きなテントの中から静かに遠くの息子達を眺め
ていました。

この日が来るのを長年、夢見ていました。

私の中でのこのビーチの記憶は、ウィンドサーフィン、SONY ウォークマン(カセット
テープ!)がセットとなっています。沖の島をめがけてセーリングした時に生まれて
初めて見たトビウオ。海面スレスレに何十メートルもパタパタ飛んでいく姿は今でも
記憶に焼き付いています。別の日には海面下をエイが優雅に泳いでいました。水から
上がると、じっと海を見ながらウォークマン。思い出の地を家族に見てもらえました。
目的達成です。

© 鈴木英人
当時、音楽はいろいろなジャンルを聴いていましたが、このビーチ
では山下達郎を好んで聴いたように記憶しています。日本から帰国
後、YouTube で彼の曲を検索してみると、ヒット曲、アルバム、
沢山出ていました。意外だったのは、アルバムによっては、英語圏
からのコメントが多かったことです。日本オタクっぽい人もいます
が、多くは音楽を検索してたまたま辿り着きました風の人達でした。
否定的なコメントは無く、多くは「アリガトー。」「ウツクシー。」
「ヨロシーデー。」等々です。昔のファンとしては嬉しかったです。

ビーチで十分遊び、帰路につきます。写真は、長男が車の助手席から撮った何てこと
ない入道雲です。私達が住む北カリフォルニアの「Bay Area」では、夏の間、遥か彼方
の内陸部で空高く伸びていく入道雲を見ることはありますが、大きく視界に入ってくる
ような距離ではありません。寒流のせいかもしれません。日本の夏を堪能しながらの
運転でした。
ホテルに戻った後は、また関門海峡を行き来する船をぼんやり見ながら一風呂。私達に
とっては最高の贅沢でした。そして、家内と息子達はホテルで和食フルコースの夕食。
私は別行動でウインドサーフィンの仲間と再会。30数年ぶりに会い、未だに若々しい
おっさん、おばさん達と昔話に花を咲かせ楽しいひと時を過ごしました。翌朝、ホテル
をチェックアウト。思い出に残る2泊3日、お世話になりました。

新下関駅から東へ。次男と三男はスヤスヤ。この後、新大阪駅で下車し、下りに乗り換え
兵庫県方面に少し戻り、JR の芦屋駅に到着。姉も名古屋から合流し、母方の叔父夫妻と
10数年ぶりの再会でした。高齢の叔父は、もう執刀することはありませんが、大ベテラ
ンの外科医です。次男は、ここでも自分が目指す将来について、いろいろ貴重な話を聞か
せてもらえたようです。最寄りの老舗ホテルのラウンジで、私達家族のために遅い昼食を
特別に手配してもらい、楽しいお喋りのひと時でした。お世話になりました。そして
名古屋駅に戻りました。

帰国の日も近づき、弟にサーフィンに連れていってもらいました。残念ながら長男は体調
が悪く留守番。朝一番に次男、三男、私の3人を家内の実家でひろってもらい、ポイント
へは3時間半で到着しました。

アメリカから、GoPro を持参。ニコニコの次男です。

サイズは小さめでしたが、何本もホイホイ乗れて最高のコンディションでした。北カリ
フォルニアでサーフィンをする時は、前述の通りウェットスーツを着用します。冷たい
海水から体を守る厚い生地は、どうしても腕や肩に負荷がかかります。一方、日本の夏
のサーフィンでは薄いラッシュガードのみ。どれだけパドリングしても腕は軽く疲れ知ら
ずです。楽しく半日を過ごさせてもらいました。

さて、運動の後は昼食。弟にサーフィンのポイントからそれほど遠くない回転ずしのお店
に連れていってもらいご馳走になりました。至れり尽くせりです。繁盛していましたが、
待ち時間は無し、ネタは新鮮、お店の人の感じもとても良かったです。遠慮知らずの次男、
三男、食べました。終わってから平らげたお皿を数えたところ 約70枚。4人分の昼食でし
たが、殆どは息子達二人の胃に流し込まれました。写真は、食べ終えたけど出てくるお皿が
気になる次男と、デザートのラーメンでフィニッシュに入る三男です。ご馳走様でした。

あっという間に帰国の日がやってきました。嵐のように大勢で押しかけ、家内の母はさぞ
疲れたと思います。お世話になりました。写真は、伊豆沖の上空です。朝一番のフライト
でした。成田空港到着後、空港を出てタクシーに乗り、息子二人がお世話になった姉妹
都市交流プログラム関係者がいらっしゃる市の役所へ移動。家内は担当だった職員の方々
と再会し、その後は、三男が参加した時のメンバー3名と彼らのお母さん方にお会いしま
した。三男は一年ぶりの再会。子供達は皆、適当に大きく逞しくなっていました。その後、
私達家族のために予約いただいた日本料理レストランに移動して昼食。話題が尽きない
お喋りを楽しんだ後、成田空港まで見送っていただきました。有り難うございました。

懐かしい人達との10年、20年、30年ぶりの再会、あちこちで心のこもったおもてなし、
夏の色いっぱいの山と海。この先も、ずっと我が家の記憶に残る楽しい夏休みでした。
日本の皆さん大変お世話になりました。

帰国後、5人分の大型スーツケース、キャリーケースを片付けます。こちらもお世話に
なりました。
実は昨年、アメリカでも長いブランクをおいての再会がありました。8月末に10年前の
日本語補習校で保護者会役員として共に一年間の激務をこなした方のお子さんが日本
から、そして9月、古い友人(昔の職場の同僚とそのご主人です。)が訪ねてきてくれ
ました。日本からのお客さんは、次男の当時の友人でもあり、今では立派な日本の大学
生です。何年も前、私達の日本帰国時に次男が友人を訪ね、お世話になりました。一方
9月に再会した友人夫妻のご主人には、長男、次男が、それぞれ高校の時に英文エッセー
を添削していただきお世話になっています。奥さんと家内は10数年ぶり、三男は初対面
でした。勿論どちらのお客さんとも話は尽きませんでした。懐かしい多くの人達との再会、
そんな年回りだったようです。
それでは、Home Improvement に移ります。

庭のサッカーゴールと隙間だらけの塀です。

6月。業者さんにより、準備を含めて丸三日で作り替えてもらいました。お隣のおばあ
さんも一安心だったと思います。次は、庭の反対側の塀。10月です。

昔は気にならなかったツタでしたが、放置しておいたために塀を覆いつくし、見えない
ところで茎が太くなり塀をガタガタにしていきました。写真は全てを取り払った後です。
この時既に、お隣のおじさんは、ツタの影響を受けていない部分の作業を開始していま
した。雨期で作業は中断しましたが、約半年をかけて、

おじさん一人で完成させました。こんなお父さんがいる家庭は幸せだと思います。ちなみ
に塀の上に見える木はレモンです。年中実がなり続け、ここ数年、我が家も月に数回、
オーガニックの新鮮なビタミンC のおすそ分けをいただいています。

次は、11月。工事開始間際になって見積額変更でもめた屋根の張り替えです。作業員は、
全員がメキシコ系の人達で、英語を喋れない人もいました。皆、真面目で陽気でしたが、
やや手荒い作業でした。写真は、古いシートを剥がしているところです。部分的にシート
の継ぎ目が劣化し、雨漏りがいつ始まってもおかしくない状況でした。昨年のうちに工事
に踏み切っておいて正解だったようです。写真の左に、お向かいの家の屋根が見えます。
瓦屋根です。我が家の屋根は傾斜が緩やかで、瓦は使用していません。日本の家屋とは
異なり、建築様式により、屋根もいろいろな種類があるようです。私自身、今回の工事で
屋根に関する知識が増えました。

約1週間の工事で完成しました。三層にシートを重ね、継ぎ目と隅は全てタールで熱処理
が施されています。外観はパッとしませんが、家を雨と熱から守り、10年保証です。次は
ペンキ塗りにいきます。

通りに面した東側は、「そろそろペンキ塗りが必要でしょう」程度でしたが、

人の目に触れない庭側は西に面しており「おーまいがー。」のレベルでした。20年以上も
強い西日にさらされ、痛々しい姿になっていました。

作業開始。高圧噴射の水で古いペンキを剥がし、その後は全て人の手となります。

下地のペンキが施されます。

その上に二層にペンキが塗られ、約1週間で完成しました。屋根とダブルでかなり大きな
出費でしたが、少し気分がスッキリしました。暫く支払いが続きます。

ペンキ塗りの見積もりの際、玄関のドアについて尋ねたところ、「ドアの表面はまだ
綺麗だから、このままでもいいと思うよ。」とのこと。一旦ペンキ塗りのプロジェクト
から外しましたが、ずっと気になりました。全体のペンキ塗りが終わりに近づいた時に
業者さんに再び尋ねてみました。追加コストはうん百ドルとのことでした。

家のペンキ塗りが完了した後、自分でドアを塗り替えました。コストを抑えることは
出来ました。但し、ペンキ塗りをしたことのある人にはお分かりかと思います。たかが
ドア一枚ですが、マスキングをして、ベース塗りの後、上塗り数回、隅は刷毛のサイズ
を小さなものに替えて塗る等、かなりの時間がかかりました。何とか無事に完了。
次はブラインド。12月です。

既にクリスマスシーズンに入っていました。リビングルームの古いカーテンとカーテン
レールを取り外しました。

上下に開閉可能なブラインドを取り付けて完了。カーテンと比べるとずい分すっきりしま
した。ネットで購入したものですが、サイズが細かく分かれていたため、窓と枠のサイズ
の計測は神経を使いました。取りあえず正しいサイズのものをオーダー出来たようです。

私の仕事、息子達の勉強とビデオゲーム用スペースでもあるファミリールームも、古い
カーテンとレールを取り外し、パティオドアの部分は垂直のカーテン式ブラインドを取り
付けました。作業は、リビングルームも含め全て、折りたたみハシゴ、メジャー、鉛筆、
電動ドリル・ねじ回しを使って、それぞれ数時間ずつかけて終えました。
まだ続きます。

20年以上使用しているキッチンのテーブルの表面のやすりがけです。電動サンダーを
使用しましたが、かなり時間がかかりました。その後はワックスがけで完了。

次にいきます。先日の更新の通り、昨年末、三男は長年続いたバイオリンを止める決心
をしました。長男は、もうバイオリンに触ることもなくなり、三男も続くことでしょう。
取りあえず、お世話になった息子達3人のバイオリンは手の届くところに置いておくこと
にしました。今までのように壁に立てかけておくのではなく、きちんとスタンドで管理
しようと考えましたが、市販の家庭用サイズのバイオリン・スタンドなどは見つからず、
自分で作ることにしました。

見るからに素人の日曜大工ですが、息子達のバイオリンは、リビングルームの片隅で、
いつでも使える状態になっています。昨年、大学の寮にもバイオリンを携えて行った
次男は、コロナ帰省の後もちょくちょく弾いています。
Home Improvement は以上です。

さて、年の瀬になりました。クリスマスの朝、例年のようにリビングルームに集合。昔、
息子達が小さかった頃は、私と家内は朝の4時にたたき起こされたものです。当時の
彼らのクリスマスにかける気合は相当なものでした。長男に至っては、クリスマスイブ
にこっそりドアのノブに鈴をかけ、また、別のドアには糸を張ってセロテープで固定。
子供の扱いに慣れたサンタクロースもギョッとしたと思います。一昨年は午前4時とは
言いませんが、7時には全員が起床して集合していました。が、昨年は私が3人を起こし
に行きました。「起きろっ!クリスマスだぞっ!」「・・・」「んー?」「っ。そー。」
クリスマスが待ち遠しかったのは遠い昔となりました。その後、貰うものだけ貰うと3人
しゃっきとしました。
以上、2019年のハイライトでした。
ここまで読んでいただいた方、お疲れ様でした。
年が明けた1月、 WHO が中国で確認された新型ウィルスについての声明を出しました。
その後、世界を揺るがす脅威になるとは誰も想像すらしていなかったと思います。三男
のクラブサッカーの練習は、ひと月前から週二回のペースで始まりました。アメリカは
感染の第二波が始まっています。コロナ禍で競技場の使用許可を取ることは難しいそう
ですが、秋のシーズンは8月末より開始とのことです。もし予定通りにスタートすると、
週末はまた忙しくなるかもしれません。その前にもう一度ブログを更新いたします。















































