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北カリフォルニアのお父さん

家族5人 - 北カリフォルニアに暮らす。

三男 - 高校卒業・クラブ・サッカー完了・大学入学 (2022年) - (3)

2023年01月29日 | 家族
三男の写真の続きです。最後は高校卒業と大学入学について

サッカー関連の写真は多かったのですが、三男の高校のイベント関連の写真は
ありません。長男は、陸上競技と高校オーケストラ、次男はオーケストラの
コンサートがあり、私も彼らのイベントを自分の目で見て写真に残すことが
出来ました。三男のサッカー以外の唯一の学内活動である Leadership で担当
した Rally はと言いますと公開しないイベントです。三男のスマートフォンには
楽しい思い出や記録がいっぱい詰まっており、私にはそれで十分です。

さて、卒業関連の写真の前に少し。





これは三男のバイト先を家内、長男、私の3人で訪れた時の写真です。三男の働いている
様子を見がてら、ジュースを飲みに行きました。




半年近く勤めていたこともあり、仕事はテキパキとこなしていました。安心しました。
長男も高校の後半はメキシカンフードのチェーンレストランでバイトをしていましたが、
長男、三男共にお金を稼ぐことの大変さだけではなく、レジを扱い、嫌な客、変な客、
気さくに声をかけてくれる常連客と接し、また、おしゃべりばかりで働かない同僚の
高校生と一緒にする仕事を通して、マニュアルには書かれていない自分なりの工夫が
必要なことを学び、全てが良い経験になりました。

初めて給料が出た直ぐ後だったと思います。三男と家内の2人でショッピングモールに
買い物に行きました。お昼になってフードコートに行き、家内に「何でも好きなもの食べ
ていいよ。」と。ファーストフードが殆どだったのですが、家内は有り難くご馳走になっ
たそうです。先日、大学キャンパスのカフェテリアのバイトに応募したと聞きました。

いよいよ卒業です。




最後の登校前に自宅で記念撮影。手にはメッセージを加えた
キャップ。首からは Leadership - Rally Commissioner の Stole
です。次男が卒業式で首にかけた Honor Stole は三男の成績
ではもらえませんでした。




例年の通り、高校のスタジアムのフィールドで卒業式です。まずは校長先生と先生方、
そしてその後に卒業生が続き入場。お天気も良く卒業式日和となりました。




ベイエリアの高校の規模としては小さい部類に入る学校ですが、それでも卒業生は数百人。
アジア系の生徒が目立ちます。




全員着席しました。後の父兄の席から見る光景。長男、次男、そして三男。最後の高校
卒業式となりました。校長先生、来賓、生徒代表数名、一通りスピーチが終わりますと
卒業生が一人一人名前を呼ばれて壇上に上がり校長先生から卒業証書を受け取ります。




壇上で校長先生と共に学校が手配したフォトグラファーのカメラに向かってニッコリ。
笑顔に4年間の全てが込められています。

さて、家族写真です。




兄弟勢揃い。3人それぞれ思い出の深いサッカーゴールの前で。実は次男は三男の卒業式
のために、前日の深夜にアパートを出て夜通し車を走らせ、卒業式の朝サプライズで帰宅
しました。そして、翌日また大学に戻っていきました。お疲れさん。




三男の隣の怪しいおばさんはうっかりマスクの家内です。




三男の隣の怪しいおじさんは私です。周りの卒業生のお父さん達の殆どはカジュアルな
服装。ノータイでも目立つくらいでした。


さて、大学です。次男が既に在籍している大学への入学であり、キャンパスツアーには
参加する必要はありませんでしたが、入学手続きを済ませた後、7月にオリエンテー
ションがありました。




三男を連れて車で。日曜日であり渋滞は
問題ありませんでした。いつものI-5 を
走り片道約7時間。会社は有給休暇を
2日とりました。




涼しい北カリフォルニアを離れます。南に向かうと直ぐに気温は上がり華氏 104°(摂氏
40°)




次男のアパートに到着。ステーキとパスタサラダでもてなしてくれました。




翌朝のオムレツ。三男はキャンパスに向かいましたが、次男によると父兄のプログラムは
3年前と全く同じで私が出席する必要はないだろうとのことでした。予定を変更し、平日
でもあり、持参したラップトップに向かって次男のアパートで終日仕事です。




次男も勉強で忙しかったのですが、いろいろ気を遣ってもらいました。私のために事前に
仕入れてくれていたミル貝でパスタ。ガーリックブレッドを添えて。三男はオリエンテー
ションで大学寮で一泊。全て無事消化し、翌日の午後に帰路につきました。


さて卒業式が終わってから大学の入寮まで3ヶ月。バイトで懐も潤っており、高校の仲間
とのソーシャルライフが中心となりました。その一方、三男が家にいられるのは限られた
日数でもあり、家族で一緒に過ごす時間も作りました。




次男が8月に帰省。久しぶりに家族でバーベキューです。




大食漢の息子達です。




残り物は翌日までに完全にクリア。全て胃に収まります。




楽しかったです。


さて、9月。三男の入寮の日が近づいてきました。3年前は私が日帰りドライブで次男を
大学まで送り届けましたが、三男は次男の車に便乗して行くことになりました。心強い
です。出発の3日前に親子でサーフィン。次男、三男はこの先、暫くお預けです。




準備を整えて。彼らを初めてサーフィンに連れて行ったのが2011年の夏。まだ親子で一緒
に行けるのは有り難いです。




三男はよく海に入っていたため、この日もかなりの本数を乗っていました。




一方、暫くご無沙汰だった長男は、少し手こずっていたようです。




次男はどれだけブランクがあってもホイホイ波をつかまえていたものですが、この日は
長男同様、少し苦戦していました。私は最初に息子達と一緒に海に入り、彼らの写真を
撮るために一足先に上がりました。




一通り楽しみました。それぞれ仕事の新しいプロジェクト、大学の最終学年、新しい大学
での生活が待っています。




暫くこのメンバーでは来れないこともあり、昔よく息子達にせがまれて行ったファースト
フードのお店に立ち寄りました。いつもこの一番奥の席がお気に入りでした。




早朝。いよいよ出発です。衣類、寝具、その他生活用品、特大プロテイン。ここに次男の
荷物と彼のアパートでの自炊用食糧が加わります。たった2人ですが、車の中はいっぱい
になりました。




彼らが車に乗り込む前にそれぞれとハグして別れを告げました。二人ともいつの間にか
米俵かサンドバッグのようなガタイになっていました。




出発。二人とも頑張れよー!


以上です。思いのほか長くなってしまいましたが、この1年と少し、サッカーもありました
し、三男とは一緒にいる時間も長かったため写真も多く、書き留めておきたかったことも
然りです。ここまでご覧になっていただいた方、お疲れ様でした。

次は次男、長男、家内と続く予定ですが、三男と比べますと、文章、写真共にかなり少な
くなります。次男については1週間ほどでアップいたします。







三男 - 高校卒業・クラブ・サッカー完了・大学入学 (2022年) - (2)

2023年01月26日 | 家族
前回の続きの写真です。クラブサッカーについて。

我が家のクラブサッカー完了に伴い、この1年のハイライトだけではなく、過去に
遡ってみます。前回を超えるかなりの枚数になってしまいましたのでご了承を。




我が家のサッカーとの関わりは長男の秋のリクリエーションリーグから始まりました。
長男に向いているかなと思い、その後クラブサッカーに参加させましたが、残念ながら
夢中になることはなく1シーズンで終了。




次男はと言いますと、長男がクラブサッカーでプレーしていた時、練習、試合にいつも
一緒について行き、3歳年下にもかかわらずコーチの好意で練習に加えてもらいました。
心身共に準備を整えていき、リクリエーションリーグを1シーズンだけ経験し、クラブ
リーグのスタートとなりました。




三男も次男の試合には、いつもついて行き、準備は出来ていましたが、次男同様、まず
リクリエーションリーグを経験。その後、次男と同じクラブに入り、B チームでのデビ
ューとなりました。




どんどん上達し、サッカーは楽しくはありましたが、上のチームに上げてもらうことは
なく、それどころか、クラブが B と C チームと無理矢理くっつけ、デコボコのチームと
なりました。




楽しくなさそうでした。




そして、とうとうクラブ移籍を決意。新しいクラブを選び、トライアウトは無事にパス。
三男自身も直ぐにクラブを気に入り決定です。写真は移籍後の初めてのシーズン。この
コーチは三男のトライアウトを担当し、その後、1シーズンだけでしたが、三男のチーム
コーチにもなりました。指導者として優れ、今でも三男にとっては12年間のベストコーチ
です。




やはり B チームではありましたが、技術レベルは上がり、再び楽しくなりました。練習
や試合にも力が入ります。さて、移籍から1年が経った頃、アメリカ・サッカー協会が、
当時のクラブサッカーのトップリーグである Development Academy League の年齢枠を
翌シーズンから下げることを発表。その結果、三男の年齢から同リーグに加えられること
になりました。




三男は、コーチ、チームメイト、技術レベル、どれも不満はありませんでしたが、上を
目指し、所属するクラブで新設される Academy チームのトライアウトを受けることに
しました。その頃、次男が所属するクラブからも声をかけてもらい、2つのクラブの
トライアウト挑戦となりました。結果は両方で合格をもらい、いろいろ考えた末、最終
的に次男のクラブへの移籍を決めました。新しいクラブでの新しいリーグ戦のスタート
です。




三男の年齢のトップリーグでの練習と試合に満足し、日々が過ぎていきました。




残念なことに、翌年、クラブが Development Academy League から外されることが決定
となりました。主力プレーヤーはトップクラブへと移籍し、三男のチームは一つ下の
NorCal Premium League に格下げとなり、そこで数シーズンを過ごしました。レベルは
低くありませんでしたが、次男からの影響で NCAA の Division 1 大学でのサッカーを考え
始めていた三男は少し焦りました。




思案した結果、 Development Academy League のクラブを狙うことにしました。トライ
アウトを受けたところ、やはりお誘いを受けたのは B チーム。それでも同じクラブで上に
上がるチャンスも先であり移籍を決めました。高校卒業まで4年間を過ごすことになった
このチームの技術レベルは高く、コーチとチームメイトとの相性もピッタリ。いいチーム
に巡りあいました。




三男はチームメイトと共に Development Academy チーム目指します。本人にとっては充実
した日々でしたが、私は週3回の車での練習の送り迎え。そしてシーズン中は週末の試合も
加わります。パンデミックの前は練習は片道約1時間、試合は場所によっては片道2時間。
加えて写真の撮影、編集でがんじがらめでした。もっとも、このチームで始まったことでは
なく、ピーク時は、次男の週4回の練習と週末の試合、そして三男の面倒でした。当時は
当たり前と思い苦にはなりませんでしたが、今では絶対に同じことは出来ません。




パンデミックの自粛期間を経てリーグ再開。もう Junior (高校3年生)。




まだ Division 1 大学でのサッカーは、三男と多くのチームメイトのゴールでした。




次男の頃から息子達を何度となく連れていった San Diego でのトーナメント。全米から
大学サッカーのコーチが集まり有望選手をチェックする場として知られています。年2回
開催されるうちの1つは11月の Thanksgiving Day の連休に行われ、San Diego 間の車での
往復はあちこち渋滞で片道8時間から10時間。息子達はいつも後部座席でスヤスヤですが、
私にとっては辛い辛い長距離ドライブでもありました。




Senior (4年生) になり、これが最後の遠征。チーム内では進学先はそろそろ決まり始め、
三男も含めて Division 大学のサッカーを諦めたプレーヤーも半数以上いました。それでも
誰もが残された時間を精一杯プレーしました。(三男はこの頃、既に将来のゴールとして
弁護士を考えていました。また Division 3の大学であればサッカーで進学も可能でしたが、
大学院への進学準備との両立は難しいとの結論に至っていました。)




シーズンの後半です。リーグ戦とは別に、毎年、秋と春の2シーズンをまたいで State
Cup トーナメントが 行われます。三男のチームは、Group Stage を勝ち抜き Knockout
Stage に残りました。この試合に勝てば準々決勝に進みますが、試合開始早々、相手
チームに2点の先制を許しました。ハーフタイムの後、息を吹き返し反撃開始です。




追いついたものの、相手チームも追加点を入れ、シーソーゲームが始まりました。




最後まで息の抜けない試合展開でしたが、残り数分で決勝点。




準々決勝に進むことになりました。




準々決勝も接戦でした。オーバータイムで決着はつかず、PK にもつれこみます。




全員決めて勝ちました!次は準決勝です。




誰もが決勝進出を考え




チーム全員で頑張りました。




食らいつきましたが、点差を縮めることは出来ませんでした。三男、そして我が家の
長かったクラブ・サッカーは全て終わりました。私自身楽しかったです。少し寂しくは
ありますが。

さて次の写真は勿論・・・




チームポスターです!

結局4年の間で上のチームに上がった仲間はいませんでした。途中メンバーの入れ替わり
が多少はありましたが、殆どずっと一緒の仲間です。チームは解散。誰もがそれぞれの
将来に向かってキックオフです。

みんな頑張れよーっ!


かなり長くなってしまいました。もう少しお付き合いください。




社会人リーグの試合に参加させていただいた時の写真です。




チームの社会人の皆さんは、サッカーの技術だけではなく人としても尊敬出来る方達
ばかりで三男は毎試合、とても楽しみにしていました。




数年前とは違い、三男の背丈と体重は周りの大人と変わりありません。




「おらおらっ!」「チョット!ボクノボールデショッ!」世代を超えた削りあい・・・
微笑ましい光景です。




このリーグは3部構成。息子達が参加させていただいたチームは真ん中の2部ですが、
息子達曰く、主力メンバーの方達の技術、サッカー IQ はかなり高いそうです。これ
からも息子達がお世話になります。写真は、3つある試合会場の一つ。




もう一つの会場から見えるサンフランシスコらしい景色です。

最後となりました。




10月に息子達の大学の試合観戦に行ってきました。行きは早朝、帰りは夜中に車を走らせ、
片道6時間半の日帰り弾丸トリップです。試合開始数分前。32番が次男、22番が三男です。
チームのロースターは30人。トライアウトには100人以上が集まり、Freshman は三男を
含めて10人が合格したそうです。この試合、次男はフル出場。三男はずっとベンチでした。
大学の試合については、次男のところでカバーしようと思います。


以上です。ここまでご覧になっていただいた方、お疲れ様でした。当初の予定ではサラッ
と流すつもりでしたが、この先、本ブログでクラブサッカーを取り上げることはなく、
ついつい沢山の写真を持ってきてしまいました。名残惜しくはありますが、私自身、
息子達のクラブ、高校サッカーは十分楽しませていただきました。次はいよいよ高校の
卒業式と大学入学関連の写真です。三男のハイライトは、それで終わりとなります。










三男 - 高校卒業・クラブ・サッカー完了・大学入学 (2022年)

2023年01月23日 | 家族
更新です。

また「1年のご無沙汰」とならないように今のうちに。

「ハイライト」です。しかし何から手をつけていいやら。時系列で追っていく
のは勿論ですが、後々の記録としてメンバーごとにまとめていくことにします。

まずはタイトルの通り、高校卒業、クラブサッカー終了、大学入学と、この1年
大きな節目が続いた三男からといたします。

高校卒業から始めます。

三男の高校卒業は6月でした。過去、本ブログで何度か触れていますが、我が家
の息子達は越境入学で中学の仲間とは離れて隣の市の高校に入学しました。学力
レベルは少し高く、越境入学の許可がおりて良かったと思います。但し、新しい
環境である上、周りに仲の良い友人もおらず、息子達は入学して数ヶ月の間は
元気がなかったと記憶しています。まず長男がトップバッターで飛び込み、高校
オーケストラやサッカーで自身の地盤を作り上げていきました。その3年後は
次男。右も左も分からない次男の面倒を長男が手を引いて見るはずはなく、次男
もまず高校オーケストラから始め、苦労してコツコツと環境づくりをしました。
長男は反抗期も重なり、高校での出来事を家内や私に話すといったことは殆ど
ありませんでした。次男はと言いますと、クラスやオーケストラの練習の様子を
話してくれたりと、私たち親も高校に対する知識をずい分増やすことが出来たと
思います。

さて、三男です。このあたりの話も過去に触れていますが改めて。中学の仲間と
別れて入学した高校は長男と次男の時以上につまらなかったようです。入学して
から数ヶ月は顔を合わす度に「転校したい。」とブツブツ。但し、次男が高校の
内外で三男の面倒をいろいろ見てくれ大きな助けとなりました。そして夏休みが
明けて間も無く始まった高校サッカーのトライアウト。Freshman (1年生) で
ただ1人、飛び級で次男と同じ Varsity (上級生チーム) に入ることが決まった後、
ようやく高校生活が明るくなりました。入学から直ぐに始まったボヤキもここで
ストップです。学校の様子については、次男同様、家内と私によく話してくれま
した。ある日、家内と三男の間でこんな会話があったそうです。「あのね、これ
X X には絶対言ったらダメだよ。今日ねー、X X ねー、学校でねー・・・。」と。
自分のことだけではなく、次男のこともそっと教えてくれる母親想い、兄想いの
優しい三男でした。

長男と次男の時と同様、三男の4年間はあっという間でした。学校内での活動は
迷うことなく長男、次男に続いて高校サッカー。但し、高校オーケストラに関し
ては兄2人の後を追うことはなく、長年続けてきたバイオリンさえも自らピリオ
ドを打ちました。その代わり、大学の入学書類審査で評価が良くなると聞いた
「Leadership」のクラスを Sophomore (2年生) から取り始めたところハマりま
した。肌に合っていたようです。裏方の仕事が多かったのですが、学校行事を
仕切る立場となり企画・運営に積極的に取り組みました。勉強はと言いますと、
ツボを押さえて集中し、成績は4年間を通して悪くありませんでした。学校の外
ではクラブサッカーと日本語補習校で週日、週末問わず忙しい毎日を駆け抜け、
Senior (4年生) になってからは、クラブサッカーの練習・試合が当たらない
日に限定し、高校の近くにあるジュースのチェーン店でバイトも始めました。
そして、月日が経ち高校卒業です。息子達3人がお世話になったこの高校は、
彼らの日々の車での送り迎え、長男と次男の高校オーケストラのコンサート、
3人の高校サッカーの試合、PTA 関連のミーティングやボランティア等を通し
家内と私にとっても生活の中で大きなウェイトを占めていました。2012年の
長男の入学から始まった10年は長かったような短かったような。無事に幕を閉じ
ました。

次に6歳から始まったサッカーです。

昨年の5月に高校卒業と同時期にクラブリーグも終了し、長い12年が終わりま
した。リクリエーションリーグの後、最寄りのサッカークラブからスタートし、
数年ごとに更に強いクラブへと移籍。最後のクラブでは全てが満たされ、4年間
のお付き合いとなりました。同クラブの中で2004年生まれで構成されたチームは
移籍時には5つあり、三男のチームは上から二番目。誰もが上を目指して頑張る
雰囲気の良いチームでした。ロースターの半分が白人のお坊ちゃんのチームは、
人種的偏見を持ったり、チームの和を乱すプレーヤーはいなく、練習や試合の
合間のおしゃべりは、女の子が話題にもなりますが、もっぱらサッカーの戦術、
時には NASDAQ の「おすすめ株」の話で盛り上がることもあったそうです。
(末恐ろしい連中です。)高校も後半になりますと、学校がある地区、生徒の
学力レベルや家庭の所得に関係なく、お酒、タバコ、ドラッグに走る高校生は
少なくありません。三男のチームで道を踏み外した子は一切なく、仲の良い純粋
な仲間に囲まれ恵まれた環境でした。チームメイトが進学していった大学は、
NCAA (National Collegiate Athletic Association) の Division 大学のサッカー推薦
は3人のみ。後はそれぞれの目標や学力で UC (University of California) や私立に
散らばっていきました。高校とは違った、練習、試合、遠征で培った仲間との
絆は、この先もずっと貴重な財産であり続けると思います。

さて、ここでクラブサッカーとオーバーラップしていた社会人リーグについても
触れておかなくてはなりません。ここ数年、春から夏の終わりにかけて次男と
共にサンフランシスコの社会人リーグでもお世話になり、昨年も社会人やら大学
生の方達と楽しくプレーさせていただきました。三男が初めて参加した数年前は、
大人のプレーヤーの体格、スピード、技術にひいていましたが、今では多少は
戦力になっているようです。私達家族がサンフランシスコ・ベイエリアにいる
限り、息子達は恐らくこの先も携わっていくものと思います。

いよいよ大学入学について。

高校での成績は悪くなかったことは上述の通りです。残念ながら志望校への入学
は叶いませんでした。問題は本人の性格です。何でも舐めてかかるところがあり、
その結果だったと思います。本人の元々の志望校は UC の殆ど地元とも言える
B 校でした。次男が高校の Senior (4年生) の時に合格通知を受け取り、その後
キャンパスツアーまで行って、悩みに悩み抜いた末に入学を辞退した大学です。
三男は受け入れられるものと思っていました。が、結果はと言いますと「残念
でした!」ガックリ。そして、ここもいいかなと考えていた L 校もだめ。更に
S 校にも嫌われ、合格通知が来たのはカリフォルニア州立大学数校と次男が通う
R 校でした。高校後半の詰めが甘かったと思います。結局、三男は次男が籍を
おく南カリフォルニアの R 校を選びました。兄弟で同じ大学というのも珍しい
とは思いますが、選択肢はあまりなく決定です。

高校の時と同様、未知の世界に飛び込む訳ではなく、次男が既に開拓したところ
へ足を踏み入れますので恵まれた環境であったと思います。直ぐに同じ高校から
友人数名が入学することも分かり、徐々に大学への期待も高まっていきました。
Freshman (1年生) に義務付けられている1年間の寮生活は次男の時もそうでした
が、高校の友人をルームメイトとして選び、初めての寮生活は全く問題ありません。
ルームメイトで失敗し、1年間嫌な思いをしたといった話は良く耳にしますので、
次男、三男共に恵まれていました。一旦勉強を離れると三男は普通の大学生と何ら
変わらず、ソーシャルライフを楽しんでいます。入学してまだ半年も経っていま
せんが、親元を離れ、パーティー、お酒で舞い上がっている新1年生も多いと聞き
ました。幸い、三男は近くに次男もいるため、楽しくも健全な大学生活を送って
いるようです。入学して間も無く、次男が所属するサッカー・クラブのトライア
ウトに合格。サッカーを続け、その一方、大学の日本交流会に入って友人のネット
ワークを広げています。

ここで大学サッカーについて少し。次男、三男共に高校時代は、NCAA Division 1
大学のサッカーを夢見ていましたが、高校の学年が上がるにつれ現実がわかり始め、
それぞれの理由で諦めました。但し NCAA が大学サッカーの全てではなく、格下
ではありますが、WCSA (West Coast Soccer Association) といった団体が存在し、
秋から春にかけてリーグ戦やシーズン後にはトーナメントも組まれています。次男
は同リーグの大学チームでずっとプレーし、三男もトライアウトを経て同じチーム
のロースターに入りました。息子達を含めて NCAA が叶わなかったプレーヤーにも
大学でサッカーに情熱を注ぐことが出来る場が提供されています。

これから先について。

三男は将来、弁護士を目指しています。もし最後まで本人の志がブレなければ、
Law School(法学部・大学院)への進学、それ以前に進学希望者に課せられる
共通テストの LSAT (Law School Admission Test) 受験 、Law School での3年間
の猛勉強、そしてBar Exam をクリアしていかなくてはなりません。険しい道のり
です。大学4年間で高い GPA を保ちながら LSAT の準備をすること自体が容易では
ないことは本人も承知。幸い自身が大学院への進学準備中の次男も身近にいます。
三男も自分が進んでいく道を頭の中に描きキックオフしました。将来は全て本人
次第です。



以下は写真となります。

長いことサボったためかなり多くの写真となりましたので、3回に分けようと思います。
それでは、2年間手付かずだった高校サッカーの写真から。




Sophomore (2年生) のシーズンは既にパンデミックの影響を受け、遅いスタート、それも
短縮されたスケジュールでマスクを着けてのプレーが義務付けられていました。 写真は
前年、シーズン最終戦で涙を呑んだライバル校との試合です。




クラブリーグと同時進行でもあり、忙しいシーズンではありました。シーズンは全米で
コロナの感染が広がり、終了あとわずかのところで突然中断となりました。




翌年、Junior (3年生) のシーズンです。Freshman (1年生) から慣れ親しんでいる「18」
を着けて。




ポジションはクラブチームと同じ左ウィンガーでした。




ハートマークの上に陣取って三男に視線を投げかけている女性陣は、別に三男のファン
ではなく、アウェイの試合での対戦チーム校の生徒達です。これはライバル校相手の
シーズン最終戦。Senior (4年生)を讃える 「Senior Night」でもありました。対戦
チームは、家族やクラスメートが駆けつけ、垂れ幕、ポスター、風船の飾り付けがあち
こちに。




いよいよ最終学年の Senior (4年生) のシーズンです。キャプテンを拝命しました。写真は
試合前のコイントス。




そして3年前の次男と同じように「10」も背負わせていただきました。




体格はずい分ガッチリし、




積極的に攻撃に参加。




本人の得点も4シーズンを通して一番多かったようです。




どこの高校もプレイオフを目指していました。




残念ながら三男の高校は、最終戦を待たず、プレイオフに手が届かないことが分かり
ました。ライバル校との伝統のリーグ最終戦です。3年前に次男と三男が一緒にプレー
した最終試合は雨天。誰もがドロだらけになっての試合でした。パンデミックの間に
三男の高校もこのライバル校も人工芝に入れ替え、ご覧の通りです。




いい試合でした。1-1 のタイで高校サッカー完了です。




さて、ライバル校は、最終戦で例年 Senior (4年生)を讃える 「Senior Night」を執り
行いますが、この年は対戦相手の三男の高校の Senior も式典に招いてくれました。相手
校のボランティアの父兄には感謝です。試合前、コーチと下級生が花道を作り、一人ずつ
名前を呼ばれ、家族と記念撮影の後、拍手を受けて花道を通り抜けます。




三男と家内です。何故私が一緒ではないかと言いますと、我が家の最後の高校サッカーの
試合にもかかわらずチーム・フォトグラファーでした。チームの Senior 全員の家族写真を
撮り、この写真も私が撮影。我が家は2人だけの写真となりました。家内は後になって
マスクを外していなかったことに気が付き、後悔しきり。




試合後にコーチからチームのプレーヤー全員に最後のメッセージ。同コーチには我が家の
息子3人全員がお世話になりました。有り難うございました。




数日後、ホーム、アウェイのユニフォームを高校に返却しました。こちらもお世話になり
ました。




卒業が近づくと三男の高校では例年、学業とスポーツのアワードセレモニーを執り行い
ます。まだコロナの心配がありますので、高校キャンパスの中庭を使いました。




有り難く、スポーツのアワードで三男を男子サッカーの MVP に選んでいただきました。
但し、残念なことに三男は体調を崩して欠席。代わりに私が出席し記念品を受け取って
きました。


さて、本ブログを知る方はお分かりと思います。息子のサッカー完了となると・・・。
やはり作らなくてはなりません。





チームポスターです。

我が家の高校サッカー、これで本当に完了です。有り難うございました!

ここまで読んでいただいた方、お疲れ様でした。次はクラブサッカーの写真といたします。







2023年 明けましておめでとうございます

2023年01月03日 | 一般
新年明けましておめでとうございます。

さて約一年ぶりの更新です。すっかりサボってしまいました。

この一年を振り返りますと、コロナ、ロシアのウクライナへの軍事侵攻に加え、
アメリカではインフレ、小学校での乱射事件、米最高裁による過去の人工妊娠
中絶判決の覆し、共和党が下院のコントロールを手にした中間選挙等、毎年の
ことではありますが、社会的なニュースでいっぱいの一年でした。一方、冬季
オリンピックでの日本人選手の躍進、MLBでスターの座を不動のものとした
大谷選手、サッカーワールドカップでの日本チームの予想を遥かに超える活躍
等、私にとりましては元気を沢山もらった一年でもあります。

我が家はと言いますと、いろいろありました。この一年の出来事を数行で表す
ことなどは出来ず、本ブログでこの後、数回に分けてハイライトとして追って
いきたいと思います。今回は取りあえず、年末年始について少し。

昨年9月、三男が大学生となって家を出ました。その後、我が家は、家内、
長男、私の3人暮らし。ずい分静かな毎日でした。そして三男が期末テストが
終わって直ぐの12月中旬、次男は大学の研究室を直ぐには離れられず、クリス
マスイブの午後になって帰省。フルハウスのホリデーシーズンの始まりです。

体格のガッチリした長男に続き、ウェイトトレーニングを日課に加えて胸板が
ぶ厚くなった次男と三男が戻り、我が家は一気に狭くなりました。帰省する
一ヶ月前「筋肉も結構ついてきたので、今は食事の量を減らして以前ほどは
食べていない。」と次男。いざ帰ってくるとどうでしょうか。ご飯は5合を
時には一日に二回炊き、夕食の後お釜は空っぽ。本人曰く「大学に帰ったら
元の食生活に戻す。」だそうです。

さて、クリスマス。息子達が大きくなり、そろそろクリスマスは卒業かなと
考えたこともありました。しかし、20年以上続く我が家のイベント、そう
簡単には取り止めることは出来ず、卒業はもう少し先にすることにしました。
クリスマスの朝の息子達の起床時間は年々遅くなってきていますが、今回も
いつもの通り家族全員がクリスマスツリー前に集合し、各々サンタさんからの
プレゼントを開けました。誰もがニコニコです。

クリスマスが終わった後は、お正月に向けて家族でコツコツと家の中の片付け
や掃除をしていましたので、この大晦日は例年ほどあたふたすることはありま
せんでした。大晦日の夕方までに小さな神棚や、家のあちこちをお正月用の
セッティングにして準備完了。夕食は家族で鍋物。その後、私を除いて紅白歌
合戦を鑑賞しゆっくり過ごしました。私はと言いますと、夕食後はコンピュー
ターの画面に向かって仕事です。息子達が気を利かし、注目度の高い歌手や
グループが登場すると声をかけてくれてブレークは取りました。今年の暮れは
ゆっくりしたいものです。紅白歌合戦の後は、全員で年越しそば。カウント
ダウンが続き、そして2023年です。

年が明けると家族全員、神棚でそれぞれ一年の安泰を祈願し、キッチンに戻り
乾杯。とは言ってもアルコールを口にするのは私一人。家内、24歳の長男、
21歳の次男もジュースです。皆、お酒は体が受け付けないそうです。健康的で
よろしいですが肩身の狭い私です。

元旦です。年末は強い風を伴う雨が数日続き、大晦日も雨でしたが、夜になり
雲が切れ朝は快晴。諦めていた初日の出を拝むことが出来ました。場所は例年
の通りサンフランシスコの Twin Peaks 頂上。昨年は別行動をとっていた長男が
一緒で家族5人のはずでしたが、三男は体調がすぐれず留守番となりました。
頂上の冷たい風は昨年と同じ。体にこたえましたが約10分ほど待って東の山の
上の雲にオレンジ色の点が灯り、今年も見事なご来光となりました。2023年は
どんな年になるのでしょうか。家内、長男、次男、それぞれいろいろな思いを
胸に秘めて今年最初の朝日を体いっぱいに受けました。

良い一年のスタートとなりました。私は2日から仕事。家内と長男は4日から。
次男と三男は6日に大学に戻ります。

2023年、家族で頑張ります。

以下写真です。





今シーズンのカードは息子達が全員揃っていた昨年の夏、サンフランシスコのオーシャン
ビーチで撮影しました。




クリスマスイブに次男が帰省しフルハウス。




長男が幼稚園の時から使用するクリスマスのカウントダウン・カレンダー。12月1日から
一日ずつポケットの飾りを取り出してかけていき、クリスマスイブにがツリーの飾り付け
が完成します。




クリスマスのレギュラー・メンバーのポインセチア。




こちらも我が家のレギュラーです。




この冬、20年以上使ってきた組み立て式の人工クリスマスツリーを買い替えました。
我が家のクリスマス、あと数年は続きます。




彼らが小さかった頃のように朝4時起きはなくなりました。それでも皆ワクワク。




息子達はそれぞれ Apple。家内は流行りのエアーフライヤーをもらいました。




私はカベルネ・ソーヴィニヨン。満足です。




さて、クリスマスの夜、庭に火が灯ります。




焼き鳥でした!(クリスマスに何でやねん?私が何となく食べたかったため料理に加え
ました。)




そして新年。シャンペンです。




新年を迎えた後、睡眠を5時間ほどとって家族で Twin Peaks へ。




2023年の初日の出です!




グラフィックデザイナーの長男。広角ではなくズームレンズを一眼レフに装着し、また
何か凝ったことをするようです。




家内と次男。とにかく寒かったです。




三人で、はいチーズ。(左端で写真を撮っている体格の立派な方は他人です。)今年も
周りは殆どがアジア系の方達でしたが、例年とは違って、耳にするのは全て中国語、
英語、韓国語でした。




元旦、私のホームオフィスの正面の壁に日本の友人からもらった2023年のカレンダーを
かけました。イラストは鈴木英人さん作です。20代の頃、大ファンで画集まで持って
いましたが、暫く記憶から遠ざかっていました。当時、山下達郎のアルバム・ジャケット
のデザインにも使われ、独特のタッチは広告、雑誌等あちこちで見かけました。




カレンダーを壁にかけた後、隣でぶら下がっているあひるぼーと目が合いました。「どう?」
と新しいカレンダーについて尋ねると「やばいでしょー。」とのこと。これから一年間楽し
ませていただきます。




卯年。どのような年になるのでしょうか。「うさぎ君たのむでー!」「まかしときーっ!」



以上です。



今年もどうぞよろしくお願いいたします。