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北カリフォルニアのお父さん

家族5人 - 北カリフォルニアに暮らす。

2024年 明けましておめでとうございます

2024年01月13日 | 一般
明けましておめでとうございます。

我が家のグリーティングカードが日本の家族や友人に届き、モザイク入り版が公開可能と
なりました。昨年は投函が遅れてしまいました。今年は気をつけます。

さて、大変な年明けとなった日本。犠牲者の数は増え続け、まだ寒い中、水、電気もなく
救援を待つ大勢の方々。被災された方々には心よりお見舞い申し上げます。断層が南北に
あちこち走るカリフォルニアも他人事ではありません。いろいろ考えてしまいます。

我が家ですが、元旦は長男不在でした。昨年11月末のサンクスギビング前日にアメリカを
発ち、今月の下旬まで日本にいます。休暇半分、日本からのリモート勤務が半分。よくも
勤め先が許可を出してくれたと思います。よって、元旦だけではなく、クリスマスも長男
抜きで家族4人で過ごしました。長男がいてもいなくても我が家の大晦日と元旦はいつも
変わらず。31日は家族で手分けをして家の中と外の掃除。紅白歌合戦鑑賞後、カウント
ダウンで元旦を迎え、神棚にご挨拶。5時間ほど眠り、今年もサンフランシスコのTwin
Peaksの山頂で初日の出。帰宅後はお節料理をつまみつつ、一日のんびり。例年の流れ
です。良い一年のスタートとなりました。

今年の抱負です。長男は転職を考えているようです。現在の勤め先は、約2ヶ月の日本
滞在を許してくれるような居心地の良い会社ですが、先を見てステップアップでしょうか。
次男は大学院進学の準備。三男は良い成績を保ち、その先はやはり大学院進学。家内は
ボランティア活動の体制強化。私は、立ち上げた会社が昨年9月にようやく日本の某企業
と正式に契約締結となりました。無事にスタート。今年の目標は成長です。

次の更新から、家族のメンバーそれぞれの昨年のハイライトとなります。こちらも例年の
通りです。

それではわずかですが、写真です。




2023/2024年の我が家のグリーティングカードです。サンフランシスコにお住まいの方は
この写真を見て、アッもしかして・・と思われるかもしれません。はい。背景はF Market
Line の動く車輌です。シャッタースピードをわざと遅くしボカして撮りました。場所は、
時計台のある Ferry Building 正面の駅です。

更に、本ブログを知る人は気がついたかと思います。三男が一段とゴッつくなってしまい
ました。昔、次男の行く所、どこでも後をちょこまかついて行った三男。今ではガタイは
長州力。後をついてこられると、ちょっとおっかないです。とは言え、息子達の2023年の
姿を記録に残すことが出来ました。




今年の元旦はラッキーでした。大晦日は雨模様で2日は雨。真ん中の元旦だけは快晴と
なりました。1週間前のクリスマスの頃の中間天気予報では元旦の天気は曇り。今年の
初日の出はあきらめていましたが数日前になって晴れに変わり、例年の通り Twin Peaks
となりました。サンフランシスコ・ベイアリア、息子達にとっては生まれ故郷。家内と
私にとっても30年以上を過ごす第二の故郷です。




東が明るくなっていきます。




準備 OK。昨年と比べますと、今年は周りからは日本語、中国語、韓国語に加え、英語が
よく聞こえてきました。




ご来光!




はいチーズ。




帰宅して食事。ささやかなお節料理です。スローで平和な元旦を過ごすことが出来ました。
少しシャンパンを飲み過ぎましたが。


さて、少し逆戻りしてクリスマスの写真を持ってきました。




サンクスギビングの翌日。クリスマスツリーの準備開始。
以前は三男の仕事でした。本人、まだ大学から帰省して
おらず、私の仕事となりました。




出来上がり!




クリスマス当日。サンタさんからいろいろいただきました。




クリスマス、元旦が過ぎますと、我が家では直ぐに家内と私の結婚記念日。33周年です。


以上となります。


次回の更新は、もう直ぐ日本から帰国する長男の2023年ハイライトとします。
それでは本年もよろしくお願いいたします!



リフォーム・プロジェクト 2022年 (2)

2023年03月21日 | 一般
さて、前回の続き。


キッチン、ガレージ、ファミリールームのリフォームの写真です。


まずキッチンから始めます。






当初、キッチンでは大それたリフォームは考えていませんでした。




20数年前の古いデザインですが、特に手を加える必要は感じませんでした。しかし、10年
ほど前に取り替えた電気コンロが怪しくなり、機器の買い替えを決定。




電気コンロと電子レンジを取り替えました。色はシルバー。このままでも良かったのです
が、キャビネット、テーブル、椅子の色を塗り替えることにしました。当初の予定には
なかった大掛かりなプロジェクトとなりました。




キャビネットは大工さんによる特注のようで扉のサイズはまちまちでした。取り外し前に
番号をふり、




作業開始。




ネジやドアノブも他と混ざらないように扉ごとにきれいに分けました。




この後、一枚一枚、サンダーをかけてからステインを塗ります。




ローラーを使い、何度も上塗りをしました。




乾かします。




その間に扉以外の部分のペイント。まずビニールシートや紙のロールでカバーします。




写真で見ると何てことないのですが、ムラが出ないよう気をつけながら何度も上塗りを
しました。




ここでもマスキングは難しく、失敗しながら学んでいきました。




取りあえず完了。乾くのを待ちます。




先にペイントを施した扉は、ぼちぼち乾きはじめ、ステインが触れない箇所から取り付け
ていきます。




ローラーは色々種類がありました。わざと目の粗いもの選びザラつき感を出してみました。




扉を付け終えました。ほぼ想像通りです。この時点で冷蔵庫は新しいものに取り替えられ
ていましたが、食洗機はまだです。さて、次はテーブルとベンチ椅子、そして Stokke。
その前にステインを保護する油性のコーティングを全ての部分に施しました。手間がかか
ります。




再びステイン。まずテーブルから。




ずい分イメージが変わります。カントリー調のデザインですが、悪くはありません。上塗り
を繰り返していきます。




息子達への注意書きですが、実は私自身、腰や肘、あちこちに乾いていないステインが
ついてしまいました。衣服は作業用で問題はなかったのですが、触れたためにステインの
塗り直しになったところは辛かったです。




作業はベンチ椅子に進みます。




こちらもガラリとイメージチェンジ。




根気よく上塗りを続けます。この頃に家内が帰国しました。




次は Stokke と取り替える2脚の椅子。こちら濃い茶色のペンキのスプレーで間に合わせ
ようとしたところ失敗でした。色があまりにも安っぽくなり、結局ステインで再ペイント
となりました。乾くまで48時間は変わりません。




ステインで完成。テーブル、ベンチ椅子と共に、油性コーティングでフィニッシュです。




Bathroom とキッチンのペイントリフォーム・プロジェクトの本部はガレージでした。
ペンキ関連が終わり、この後一旦全て片付けました。




息子達が10数年お世話になった Stokke はファミリールームに移動。「姿勢に良い」が
当時の購入した理由でした。彼ら3人の現在の姿勢を見ますと、効果はあったような気は
します。




テーブルの表面を守るため、テーブルのサイズに合わせたガラスのテーブルトップを
オーダーしました。コーティングが乾き、少し経ってから届きました。




全て終わりました!




前回の更新の通り、家内はキッチンを塗り替えるのであれば色は白が良かったそうです。
確かにアメリカのキッチンカラーの今のトレンドは白ではあります。追い討ちをかける
こんなコメントがありました。「このテーブルの色、真ん中にメニュー立てたらお蕎麦
屋さんだよねー。」と家内。おおっ!確かにっ。考えてもみませんでした。私としまして
は、ダイニングルームと色調を合わせて良かったと今でも考えています。が、いろいろな
見方があるものです。



キッチンのリフォームプロジェクト完了です!



次はガレージのリフォームに移ります。






アメリカのどこの家屋にでもありそうな我が家のガレージ。洗濯機と乾燥機があり、車は
2台収容出来ますが、半分はずっと物置、トレーニング・ジム、サーフボード置き場として
使ってきました。




手を加える前の姿です。何ら不足はありませんでしたが、少し窮屈であり、物が多過ぎる
とは感じていました。思いきってリフォームに踏み切りました。まず真ん中にあるエクサ
サイズバイクは殆ど使用しなくなっていたため、手放すことにしました。そして、後ろに
ある、サーフボードを上に積み重ねた大きな木箱と、奥の棚は取り除くことにしました。




このバイクのお陰でずい分カロリーを消費しました。お世話になりました。




さあ、開始。奥の壁の棚は既に取り外しています。




白にペイントします。




Bathroom でも活躍しました。届かないところはこれで。




まだ上塗りが必要ですが、取りあえず。




次に木箱です。大きい方は処分。左の小さい箱は残します。




木箱を取り除き




サーフボードラックが届きました。




息子達と私のボードを収納。出し入れが楽になりました。




ウェットスーツは息子達のもの、私のもの、折れないように管理してはしていましたが、
数も増え、何とかしようと考えていました。




こちらも専用ラックで解決。




小さな木箱3個は、やはり白にペイントして




小物の整理箱として使います。




安い庭用のホース・ホルダーを買ってきました。黒だったのですが、白にペイントすると




サーフボードのリーシュ掛けとなりました。




小物も整理していきます。




むき出しのパイプは白にペイントし、壁も上塗りをしました。




長男と次男の自転車。次男の自転車は Freshman (1年生) の時に大学で使用していました
が、現在は自分の車もあり、我が家で管理しています。後ろはボイラーとガスヒーターです。




2019年の夏、家族で日本に帰国した際に立ち寄った山口県の海水浴場。そこで撮った写真
の1枚が気に入りポスターにしました。ずっとこのガレージのトレッドミルの正面に貼っ
ていましたが、リフォームに伴い貼る場所を移動。これは絶対に捨てられません。




ウェイトトレーニングのベンチの前には鏡を取り付けました。




スッキリしました。




スペースをとって機能的にもなり、ガレージのリフォームはほぼ完了です。




次はファミリールームの写真へと移ります。






つい2年くらい前まで我が家のファミリールームはこんな感じでした。




長男が就職し、1週間の半分以上を自宅から仕事をするようになり事情が変わりました。
長男がぼやき、プライバシーがほしいとのこと。私自身も勤務中のプライバシーは尊重
すべきであると考え、まず小さなパーティションを作りました。




十分ではないことが分かり、Amazon で背の低いアクリルのパーティションをオーダー
して追加。しかし、これでもダメ。




本格的なパーティションを作ることにしました。デザインを決めて作業開始です。




使用する板をカットした後、コーティングして乾かします。




アクリル板が届きました。角をそのままにしておくと危ないので丸くカットします。形、
サイズは考えていた通りでしたが、重さが予定外でした。準備中の木枠ではアクリル板
の重みに耐えられないことが分かりました。




よく通いました。




全く同じサイズの板を用意し、接着剤で貼り合わせます。その後、更にネジで固定。




いよいよ組み立て。




キャスターは Amazon で調達しました。




出来上がりました! が、終わりではありませんでした。長男の机が高くなりました。




パーティションの背も高くする「つっかえ板」の製作に取り掛かります。




週末の1日を丸々使って完成。




「つっかえ板」の下にはアクリル板と同じ 1/4 インチの厚みのツメがあり、木枠の溝に
収まります。




また「つっかえ板」の上には 1/4 インチの溝があり、アクリル板がすっぽり収まります。




重いアクリル板の上げ下げは、「つっかえ板」の溝、ツメがダメージを受けることなく
アクリル板を支えて木枠に収まるようにガラス吸盤を使います。




長男の机が普通の高さ。




机が高くなります。




「つっかえ板」で対応。




長男のぼやき解決。完了です。




ばんざーい!



さて、ガレージの仕上げはと言いますと、ペイントの上塗りや小物の整理をコツコツと
続け、こちらもついに終わりました。最後は厚かましくはありますが、自分にご褒美。






届きました。




ネットでオーダーした「NORCAL (北カリフォルニア) 」私のオリジナル・ネオンサイン
です。




お父さんの秘密基地、完成です!




さて、これは、昨年購入した折りたたみの作業台です。電気ノコギリ、サンダー、グライ
ンダーを使った今回の下駄箱、すのこ、長男のパーティションの作製では大活躍でした。
「ん?」と気がつきました。




ウェイトトレーニングのベンチを椅子にすると、ちょうど良い高さのテーブルになりま
した。「Bar NorCal」です。全てのリフォーム完了。NorCal の地ビールで乾杯!



以上です。かなりの数の写真となりました。



最後まで見ていただいた方、お疲れ様でした。



これまで仕事以外では、子供達を中心に日々の生活が動いていました。一昨年の
Back Yard のリフォームの投稿でも述べていますが、家も人間同様、少しずつ年
老いていきます。ようやく息子達の手も離れ、家のあちこち手を付けられるよう
になり、屋根のやり替え、家の外回りのペンキ塗り替え、Back Yard そして今回
の複数のリフォームに至りました。この先もいろいろ出てくると思います。ずっと
私達家族5人を守ってきてくれた古い我が家、しっかりとお世話していきます。



もう3月も後半です。2022年のハイライトの残りは、私自身のものを残すのみと
なりました。今月中に仕上げる予定です。





リフォーム・プロジェクト 2022年

2023年03月19日 | 一般
更新です。

タイトルのように、今回は私自身のハイライトの前に、ずっと続いていた我が
家のリフォームについて。

本ブログで Front Yard リフォームについて書き綴ったのが1年半前。その後
はと言いますと、少し間をおいて Back Yard (中庭)、Bathroom (洗面所)、キッ
チン、ガレージ、ファミリールームに手を加えました。昨年の2022年から今年
の1月にかけてです。 ブログで記録に残しておかなくてはと思いつつ今回に
至り、まとめてカバーいたします。長くなりますのでご了承を。

Back Yard

Front Yard は、土を掘り出したり元に戻したりで苦労してリフォームしました
が、実は Front Yard から出た土の多くは Back Yard の片隅に山積みにして放置
してありました。そこは半年もすると雑草の生えた小山となり、何とかしなく
てはとずっと考えてはいたものの、月日だけが過ぎていきました。また Back
Yard 自体は Front Yard がそうだったように芝生が半分、残りの半分は雑草が
生い茂り情けない状態に。そこに「オラオラオラ」と我が物顔でモグラが加わ
ります。

そして時期は訪れました。三男のサッカーはまだ続いていましたが、少しずつ
手がかからなくなり、Go です。まず雨のシーズンが終わる直前、土がまだ柔ら
かい時期を選び Front Yard でも活躍した耕運機の出動。深めに土を掘り起こし、
雑草の根を徹底的に切り刻みました。そして、放置してあった土の山を崩して
均等に広げ、表面を平らにならして完了。土の移動は短い距離ではありました
が、Front Yard で大活躍した一輪車を使っても重労働でした。

次にモグラ対策です。モグラが穴を掘って荒らすのは、主に芝生を囲むコンク
リートやレンガに沿った縁でした。昔、使用していた芝生のスプリンクラーが
埋まっているところが掘り易く、スプリンクラーに沿ってトンネルを網の目の
ように広げていたようです。その対策として、土の中に金網を埋め込むことに
しました。但し、Back Yard 全体となりますとかなりの労力とコストを要する
ため、よく荒らされる縁だけに金網を埋めることにしました。作業開始です。
1センチの隙間でもモグラは容赦なく出てきますので、かなり時間をかけて
丁寧に金網を敷き詰めていきました。その後は土で埋め、芝の種と肥料を散布
し完了。1週間を要しました。プロに頼めば、綺麗な芝と金網のロールを持ち
込み、新しいスプリンクラーを取り付け、恐らく1日で済む作業だったと思い
ますが、コストを抑えたく、このようなリフォームとなりました。

作業が終わってからは、毎日夕方にホースで均等に水まきです。少しずつ芝の
芽が出始め、2ヶ月ほどかかって芝がほぼ戻りました。モグラはと言いますと
金網の無い芝の中央には出没しましたが、オーガニックのモグラ避けの土を
散布して対応しました。さて、芝生のやり替えと一緒に行った作業がありまし
た。息子達がお世話になったサッカーゴールです。少し低いコンクリートの面
にあるバスケットボールのゴールと共に取り除くことにしました。10年以上前
に購入し、息子達3人が120%使い込んだサッカーゴール。思い出が多過ぎて
抵抗はありましたが、もう殆ど使うこともなくなり、息子達に了解をもらい、
バスケットボールのゴールと共に解体しました。

気になっていた箇所がまだありました。本ブログの写真で過去何度か登場して
いる2種類の花、カラー、そしてあまりスポットライトを浴びることのなかっ
たアイリスです。ほっておいても毎年綺麗な花をつけますので、周りの雑草を
取り除く程度で 殆ど放置の状態でした。カラーは毎年元気過ぎるくらいですが、
アイリスは年々見窄らしくなっていき、思い切って二つ共、株を分けて配列し
直すことにしました。作業はそれほど大変なものではなく、週末に半日ほど
かけて完了。カラーは先月から花が咲き始め、アイリスは分けた株もしっかり
根付き、花が咲くのは来月あたりでしょうか。楽しみです。

もう一つあります。

昨年の夏、家族用に庭で使用する Crocs 5足を購入しました。Back Yard は
ファミリールームから出入りしますので、引き戸の前に並べましたが、部屋が
南向きでもろに強い日が当り、また雨ざらしでもあるため、直ぐに色があせて
劣化することは容易に想像が出来ました。今年に入ってから手を打ちました。
下駄箱です。家にあった古角材やらベニヤ板等、廃材を利用して作ることにし
ました。まずデザインを決定。開始した作業はやはり週末が中心となります。
角材とベニヤ板のカット、ペンキで下地、上塗り。ペイントの基本作業です。
そして揃ったパーツのサイズを再チェックし、必要に応じて再カット。ペンキ
がはみ出した箇所の再塗装。サイズの最終調整。組み立て。計画通りに進みま
したが、廃材を使用したため所々歪みが出てしまいました。まあ、良しとし
ます。完成です!

Back Yard 終わりました。

Bathroom

バスタブ + シャワーとトイレがある洗面所です。我が家は築60年以上の古い家。
Bathroom の壁は、日本の多くのお風呂場のような全面タイル張りではなく、
シャワーを含めたバスタブ周りは防水のアクリル合板を使っていますが、他は
Drywall (乾式壁) です。つまり表面はペンキです。この Bathroom、天井にある
換気扇が壊れて久しく、窓を開けて換気をしていましたが、どうしても湿気が
こもり、壁も天井もペンキはボロボロ。いつかは何とかしようと思いながら10
年が経ちました。ようやく重い腰を上げて Go です。

家内が夏に日本に帰国し、3週間滞在したことについては前回の更新で触れま
した。家族のメンバーが一人減り、使用頻度が低くなるこのチャンスを逃す手
はありません。家内の出発前から作業の準備に取り掛かりました。ペンキの色
を選び、下地と表面のペンキだけではなく、刷毛、ローラー等の備品のコスト
を調べて予算組み、古いペンキ剥しと下地、表面のペンキ塗りの手順を含む全
工程にかかるであろう時間を出して準備は整いました。家内の出発と同時にス
タートです。

一番ダメージの大きかった天井のペンキ剥しはずっと上を向いての作業でした。
電動サンダーを使いましたが、腕、首、肩に力が入り、こたえました。しかし
次の壁の作業が控えています。休んでいる暇はなく週末全てを使って作業に
専念。完了。直ちに電動サンダーに手作業を加えて壁の古ペンキ剥がしに移り
ました。上を向く必要はありませんでしたが、やはり重労働です。そしてよう
やくペンキの下地塗り。平日の夕方よりコツコツ作業を続け、下地が一旦乾い
た後、更に上塗り。まだ先は見えません。上塗りが乾くといよいよ選んだ色で
本塗りに移りました。これも勿論二度塗りです。ペイントの一番の難所は壁と
天井の境目でした。マスキングテープをすれば大丈夫と思いきや、乾いてから
テープを剥がす際にテープが強すぎてペンキがくっつき剥がれてしまった箇所
がいくつかありました。ガーン。直ぐに立ち直り、細い刷毛を使って修正作業。
ようやく新しい Bathroom が姿を現しました。良さそうです。そのまま細部の
作業を続け、完了したのは次の週末でした。

ペンキ塗りは一段落。ですが、まだ壊れた換気扇の取り替えが残っていました。
換気扇を替えないと、また湿気がこもってペンキが痛みます。この部分は昔から
我が家のあちこちの修理をお願いしてきた業者さんに任せました。数日後、音
の静かな日本製の換気扇を選んで取り寄せ、業者さんによって無事に設置完了。
残念ながら、これで終わりではなく、壊れた換気扇と取り替えた新しい換気扇
は形状が異なったため、換気扇の横に穴が露出した状態となりました。業者
さんから補修用のセメントを分けてもらい、自分で穴を塞ぎ仕上げのペイント。
最後は錆びた照明と古い鏡を新しいものに取り替え、やっと全工程完了です。
ペンキがボロボロだった Bathroom は見違えるようになりました。長年の計画
が叶いました。

キッチン

Bathroom のペイントは完了しましたが、家内の日本滞在はこの時点でもう半分
経過。急がねば。次はキッチンです。主だったパーツの入れ替えが当初の計画
でした。まず料理に欠かせないコンロ。我が家のキッチンは移り住んだ時から
ガスではなく電気コンロでした。アメリカではガスと電気コンロが共存し、統計
によりますと、一般の家庭では、7割弱が電気、3割強がガスコンロだそうです。
さて我が家の電気コンロ、10年ほど前に一度取り替えていますが、ここ2年ほど
火力と言いますか熱量が少しずつ弱くなり、家内の料理にも影響が出始めていま
した。他の電化製品はと言いますと、電気コンロの真上にある電子レンジは問題
無し。食洗機は数年前に壊れました。冷蔵庫は OKですがモーターの音は年々
大きくなってきていました。思案した結果、先のことも考慮に入れ全てを買い
替えることにしました。(大きな出費です。)

それまで白で統一されていたコンロ、冷蔵庫等パーツ機器の色は、思い切って
シルバーにすることにしました。そうなるとキャビネットやテーブルの色は
合うだろうか?疑問が湧いてきました。まずオーブン付きの電気コンロと電子
レンジが一足早く配達され、取り付けは1時間もかかりませんでした。さて、
問題の配色です。ウーン・・・。そのままでも悪くはありませんが、決断しま
した。食器キャビネットの色を変えます。いくつかあった候補色の中から木目
を活かす濃い茶色のオイルステインを選びました。濃い茶色を選んだもう一つ
の理由は、隣接したダイニングルームと色調を合わせるためでした。綺麗に
なりそうですが難点が一つ。ペンキとは異なり、ステインは木に浸透させる
ため、乾かす時間が長くなることでした。また、ステインの上に塗るコーティ
ングは油性と水性の選択肢があったのですが調べたところ、乾く時間は長い
が、相性は油性が良いとのこと。決定です。ただ上からベッタリ塗ればいいと
いったものではなく、Bathroom 同様、細かく手順を決めなくてはなりません
でした。工程とかかる時間を一つ一つ書き出し、準備を整えました。計画が
大きく変わりましたが時間も迫っています。Goです。

作業開始。まずキャビネットの扉を全て取り払い、電動サンダーで表面を綺麗
に仕上げました。そして一枚一枚、ステインでペイントです。天気も良く外で
日に当てましたが、特に乾きが早くなることはありませんでした。オイルステ
インは乾くまでに 48 時間。実際はもう少しかかりました。一回塗っただけ
では十分ではなく、こちらも二度塗りです。時間がかかります。乾くのを待つ
間に扉以外の部分のペイントに移ります。電動サンダーをかける前に大きなビ
ニールシートでキッチンの全てをカバー。サンダーがけを急ぎました。終わる
と直ちにペイント開始。ペンキ塗りは刷毛ではなく、ムラが残りにくいローラ
ーを選びましたが、勢い良く塗るとステインが周りに飛び散ることも分かりま
した。ムラが出ないように何度も上塗り。所詮は素人。ここでもマスキングテ
ープの問題が発生しました。が、めげずに根気良く修正作業。時間は限られて
います。キャビネット側面と枠が乾く前に、既に乾いていた扉の取り付けを
開始しました。ここに来てようやく塗り替え後の全体のイメージが浮かび上が
ってきました。思った通り悪くはありません。取り付け作業の後、全てが乾く
と次はコーティング。これも油性でしたが、丸1日で乾きました。

さて、次の大物はこの家に引っ越してきた時からある、前のオーナーが残して
くれたカントリー調のテーブルとベンチ椅子です。キャビネットの元の色と
同じです。塗り替えます。作業の繰り返しとなりました。電動サンダーで表面
を綺麗にしてからベースペイント。そして上塗り数回。扇風機で乾燥を早めま
すがやはり 48 時間。完成。そして椅子2脚。息子達3人が小さかった頃に
無理して Stokke 3脚を買い揃えました。息子達の体が大きくなっても、その
うちの2脚はずっとキッチンテーブル、ベンチとセットで大事に使ってきまし
たが、キッチンのリフォームに際し色が問題となりました。ペイントするには
勿体なく、将来、息子達の子供が使えそうであり、そのままの状態で保管して
おくことにしました。2脚の椅子を新たに購入し、同じ作業の繰り返しです。
こちらも 48時間。完成。残念ながら時間切れ。テーブルも椅子も乾ききって
いませんでしたが、家内が帰国しました。幸い、主だった作業は完了しており、
ほぼ計画通りではあります。キッチンや Bathroom を見た家内がぶったまげた
のは言うまでもありません。但し、キッチンについては、家内がポツリ。「色
は白が良かった。」私「・・・」

秘密基地 – ガレージ

アメリカ在住の方はご存知かと思いますが、アメリカはマメなお父さんが多く、
一戸建てに住んでいらっしゃる場合、日曜大工や車いじりの工具を綺麗に整理・
整頓し、ガレージを作業場としてピカピカにしていらっしゃる方をよく見かけ
ます。私は日曜大工も車いじりも出来ませんが、ピカピカのガレージは何とな
く憧れではありました。この20年近く、家庭と仕事が最プライオリティであり、
我が家のガレージに手を加えるといったことは考えつきませんでした。が、
Front Yard、Bathroom、キッチンを終えました。勢いが残っているこの機会を
逃すと、この先いつリフォームが出来るか分かりません。Go です。

手をつける前の我が家のガレージはと言いますと、車庫兼、物置兼、サーフボ
ード置き場兼、トレーニング・ジムでした。取りあえず機能的ではあるものの、
ざっと見渡すと必要のない物があまりにも多いことに気がつきました。その
多くを思い切って処分することにしました。その中の頑丈な木箱。10年以上
前に日本から家具や小物をいろいろ取り寄せたことがあり、その際に使われた
木のパレットです。大人一人が中に入れるような大きい箱が1個、小さい箱が
3個。それぞれ収納用の箱としてガレージの中で使っていましたが、中身を
整理し、スペースをとる一番大きな木箱は処分することにしました。

そしてサーフボードです。息子達と自分のサーフボードは、段ボール箱を潰し
てサーフボードの間に挟み、前述の大きな木箱の上に重ねて管理していました。
出し入れは大変で見栄えも良くありません。以前から考えていたサーフボード
ラックを購入しました。これにより、出し入れが簡単になっただけではなく、
見た目もかなりスッキリ。また、ラックを入れる前に、壁にずっと備え付け
てあった古い戸棚を取り払い、露出した薄汚れた壁は白でペイント。いい感じ
になりました。次に小さなパレット木箱3個。こちらも白にペイントし、その
まま収納箱として利用です。また、ずっと積み重ねて管理していたウェットス
ーツは、鉄パイプのラックを購入しハンガーで吊り下げました。工具やサーフ
ィン関係の小物は、木箱や収納ボックスに整理し直し、トレッドミルとウェイト
トレーニング用ベンチはスペースを有効に活用出来る位置に移動。徹底的に手
を加えました。週末を何回もつぶしコツコツ作業を継続。そして、完了前に
新たなプロジェクトが発生しました。

ファミリールーム

リフォームの内容に進む前に、まず「ファミリールーム」について述べておき
ます。日本では「家族だけでくつろぐ空間、第二のリビングルーム」とされて
います。まさにその通りだと思います。我が家のファミリールームは、私達の
前のオーナーが建て増した棟であり、移り住んだ当初「テレビの部屋」として
のみ使用していました。そして長男の誕生。お座り、はいはいが出来るように
なると、彼専用の遊ぶスペースとなり、その後、次男、三男が誕生してからは、
彼ら3人が遊び、勉強し、家族でテレビとビデオを観る団欒の場となりました。
現在は、息子達と机を並べ、私が仕事をする部屋にもなっています。

さて、長男が週2日 Remote で仕事をすることは、彼のハイライトの中で述べ
ています。夏の間、我が家はフルハウス。常に自分の周りに弟2人がいる長男
がぼやきました。「プライバシーが欲しい。」確かにテレビ会議や締切が近づ
いたグラフィックの作成中に、誰かが近くでウロウロしていては集中出来ない
かもしれません。(私はヘッドフォンで周りの音を遮断さえすれば OK です。
テレビ会議は必要に応じて家の中を移動します。)そのような訳で、ガレージ
の仕上げは少しだけ先に延ばし、長男の仕事場プライバシーをプロジェクトに
加えました。

ファミリールームにある4つの机は、奥から長男、次男、三男、私となります。
まずフォーム・ボードに木目シートを貼って自作のパーティション。小さ過ぎ
ました。次に Amazon で背の低いアクリルのパーティションを購入して4つの
机の間に取り付けました。隣同士はかなりの部分が隠れるようになりましたが、
長男はまだ「プライバシーない。」ウーン。彼からすれば、横以外はワイドオ
ープン。ぼやきも納得かもです。ネットで市販のオフィス用パーティションを
探してみましたが、どれもキャンバス地を使った安っぽいものばかりでした。
残されたオプションはやはり「自作」です。直ぐにデザインと使用する素材を
決めました。行動開始。アクリル板をネットでオーダーし、買い揃えた木の板
をデザインに沿って電気ノコギリでカット。コーティングを施し乾かします。

アクリル板が届きました。問題発生。想像以上に重く支える板の強度が十分で
無いことが分かりました。どうするか。今更、厚い木材を買い直して同じ作業
を繰り返すなど、コストと時間がかかり過ぎて出来ません。板を重ねて強度を
増すことにしました。そして、同じ木材をもう1セット購入。カット。コーテ
ィング。前のセットとは接着剤を使って貼り合わせ、更にネジで補強。パーツ
は出来上がりました。いよいよ組み立てです。パーツの計測は、かなり神経を
使いましたので、組み立て時のずれは「あまり」ありませんでした。相変わら
ず日曜大工のレベルですが、我が家のオリジナルパーティションの完成です。

やれやれと思ったところ、またまた問題発生。長男がずっと使っていた勉強机
を電動モーターで上下に動く机に買い替えました。通常の机と椅子での姿勢は
腰への負担が大きく、勤め先から支給されている予算で、立って仕事も出来る
高さを調整可能な机にアップグレード。長男、早速立って仕事を開始しました。
パーティションの上に現れた長男の頭とモニター。遮るものは無し。涙・・・。
思案した結果、つっかえ板を入れてアクリル板を上に上げることにしました。
残った板切れに同じ薄い角材とベニヤ板を買い足して作業開始。週末を丸々
使って完成です。座って仕事をする時は、パーティションはそのまま。立って
仕事をする時は「つっかえ板」でモニターが隠れる位置までパーティションを
高く出来るようにしました。長男の「プライバシー 」プロジェクト完了。

そしてその後間も無く、前述のガレージの作業も終わり、最後にオリジナルの
ネオンサインを取り付け「秘密基地」が完成しました!全て終わりです。

もう一つ、昨年から引きずっている、業者さん任せの電気配線盤のアップグレ
ードが残っていますが、取りあえず、私のリフォームプロジェクトは完了です!



写真に移ります。



5つのプロジェクトとなりますので、かなりの数の写真になってしまいました。今回は
Back Yard と Bathroom のみをカバーし、キッチン、Family Room、ガレージは次回と
いたします。





Back Yard 片隅。土の山と雑草。




モグラども。




サッカーのゴールには本当にお世話になりました。有り難うございました。




ガレージで眠っていた耕運機も取り出し、いよいよ取り掛かります。サッカーのゴールも
芝生の面から下ろしました。




作業開始です。まず芝生に混ざって生える雑草退治からです。




その後、盛ってあった土を崩していきます。Front Yard の重労働が思い出されます。




山は片付け終わり、その下の土に取り掛かりました。サッカーのゴールは作業の邪魔に
なりますので先に解体しました。




元の姿に戻りました。




土を広げる作業もほぼ完了。




次は金網です。




出来るだけ隙間を作らずに敷き、ペグで固定します。




金網は2ロールを使いました。




土を被せていきます。




ほぼ完了。




芝の種蒔き。




外から中へとぐるぐる蒔いていきました。完了。モグラが出没する端は粘土を多くし、
芝の種は蒔きません。




種蒔きが終わり、バスケットゴールも処分。




但し、バスケットの部分だけ取り外し、ウェットスーツ干し
として現在も活躍しています。




芝の種蒔きから1ヶ月後。




そのまた1ヶ月後です。大丈夫そうです。




Back Yard の新しいメンバー1です。




メンバー2。




まだ続きます。ひしめき合うように増えたカラーは、株分けして配置のし直しです。




年々小さくなるアイリスは増やすために株分け。




新しいメンバー1。Japanese Boxwood を植えました。




メンバー2。こちらも同じ。




今シーズン、北カリフォルニアの降水量はかなり多く、現在
カラーは花ざかりです。




もう一月もしますとアイリスが咲き始めます。




昨年夏。Crocs を購入。




今年です。「下駄箱プロジェクト」の開始。作業はいつも庭かガレージ。パーツをカット
します。




そしてペイント。何度も上塗りをして、はみ出したところは修正。2色を使う場合かなり
の時間を費やします。白のペイントはボートの塗装にも使う水に強いものを選びました。




こちらは単色で簡単な作業。




組み立て開始です。




蓋は、水がたまらないように傾斜をつけました。廃材のため少し曲がってます。




Crocs を取り出す際、はだしでおりなくてはならず、急遽すのこを作ることにしました。




簡単に考えていましたが、ペイントまでするとどうしても時間がかかります。




完成しました!下駄箱の蓋は留め具はありません。強い風が吹いた時に蓋が煽られて
開かないように、重さを増し、また装飾も兼ねて蓋に細い角材を取り付けました。




最後の仕上げ。「duck house(アヒル小屋)。」その謂れは・・・




です。


Backyard 全て完了!以上です。



次は Bathroom のリフォームの写真に移ります。






こんな感じでした。




ここまで荒れた原因は壊れた換気扇です。




作業開始。




準備も時間がかかりました。




私自身は完全防備で臨みました。




何とかペースを保ち、サンダーがけは予定通り終了。




いよいよ下地塗りです。




準備は周到にしたつもりでしたが、作業のなかばに気がつきました。頭をカバーするもの
がありませんでした。天井のペイントは梯子を使い、頭スレスレの高さの作業となります。
白髪混じりの頭に白ペンキはシャレになりません。三男の未使用の Nike のヘアーバンド
と、某大手スーパー野菜売り場のビニール袋で即席のキャップ。ブランドで固めました!
(分かっています・・・Who cares です。)




シャワー周りのアクリル合板とドアの枠にマスキング。




下地塗りがようやく終わりました。乾くと本塗りは天井から。色は淡いアイボリーです。
乾くと直ぐに上塗り。ムラが出ないよう根気よく塗っていきました。




天井の次は壁。ここは淡いライトグリーンです。マスキングは前述の通り、剥がす際に
しくじりました。根気よく修正作業でカバー。




こんな感じになりました。素人の限界です。




壁と天井はほぼ完成。




キャビネットに移ります。




こんなもんでしょうか。




照明、鏡、タオル掛けを新しいものにしました。




換気扇の取り替えです。顔馴染みの業者さんにお願いしました。横の隙間はざっと埋めて
もらい、残りは自分で完成させました。表面を綺麗にしてペイントで完了。




完成です!


以上 Bathroom リフォームプロジェクトでした。


ここまで目を通された方、お疲れ様でした。一旦ここで区切り、残りのキッチン、ガレー
ジ、ファミリールームのリフォームの写真は次回とします。

2023年 明けましておめでとうございます

2023年01月03日 | 一般
新年明けましておめでとうございます。

さて約一年ぶりの更新です。すっかりサボってしまいました。

この一年を振り返りますと、コロナ、ロシアのウクライナへの軍事侵攻に加え、
アメリカではインフレ、小学校での乱射事件、米最高裁による過去の人工妊娠
中絶判決の覆し、共和党が下院のコントロールを手にした中間選挙等、毎年の
ことではありますが、社会的なニュースでいっぱいの一年でした。一方、冬季
オリンピックでの日本人選手の躍進、MLBでスターの座を不動のものとした
大谷選手、サッカーワールドカップでの日本チームの予想を遥かに超える活躍
等、私にとりましては元気を沢山もらった一年でもあります。

我が家はと言いますと、いろいろありました。この一年の出来事を数行で表す
ことなどは出来ず、本ブログでこの後、数回に分けてハイライトとして追って
いきたいと思います。今回は取りあえず、年末年始について少し。

昨年9月、三男が大学生となって家を出ました。その後、我が家は、家内、
長男、私の3人暮らし。ずい分静かな毎日でした。そして三男が期末テストが
終わって直ぐの12月中旬、次男は大学の研究室を直ぐには離れられず、クリス
マスイブの午後になって帰省。フルハウスのホリデーシーズンの始まりです。

体格のガッチリした長男に続き、ウェイトトレーニングを日課に加えて胸板が
ぶ厚くなった次男と三男が戻り、我が家は一気に狭くなりました。帰省する
一ヶ月前「筋肉も結構ついてきたので、今は食事の量を減らして以前ほどは
食べていない。」と次男。いざ帰ってくるとどうでしょうか。ご飯は5合を
時には一日に二回炊き、夕食の後お釜は空っぽ。本人曰く「大学に帰ったら
元の食生活に戻す。」だそうです。

さて、クリスマス。息子達が大きくなり、そろそろクリスマスは卒業かなと
考えたこともありました。しかし、20年以上続く我が家のイベント、そう
簡単には取り止めることは出来ず、卒業はもう少し先にすることにしました。
クリスマスの朝の息子達の起床時間は年々遅くなってきていますが、今回も
いつもの通り家族全員がクリスマスツリー前に集合し、各々サンタさんからの
プレゼントを開けました。誰もがニコニコです。

クリスマスが終わった後は、お正月に向けて家族でコツコツと家の中の片付け
や掃除をしていましたので、この大晦日は例年ほどあたふたすることはありま
せんでした。大晦日の夕方までに小さな神棚や、家のあちこちをお正月用の
セッティングにして準備完了。夕食は家族で鍋物。その後、私を除いて紅白歌
合戦を鑑賞しゆっくり過ごしました。私はと言いますと、夕食後はコンピュー
ターの画面に向かって仕事です。息子達が気を利かし、注目度の高い歌手や
グループが登場すると声をかけてくれてブレークは取りました。今年の暮れは
ゆっくりしたいものです。紅白歌合戦の後は、全員で年越しそば。カウント
ダウンが続き、そして2023年です。

年が明けると家族全員、神棚でそれぞれ一年の安泰を祈願し、キッチンに戻り
乾杯。とは言ってもアルコールを口にするのは私一人。家内、24歳の長男、
21歳の次男もジュースです。皆、お酒は体が受け付けないそうです。健康的で
よろしいですが肩身の狭い私です。

元旦です。年末は強い風を伴う雨が数日続き、大晦日も雨でしたが、夜になり
雲が切れ朝は快晴。諦めていた初日の出を拝むことが出来ました。場所は例年
の通りサンフランシスコの Twin Peaks 頂上。昨年は別行動をとっていた長男が
一緒で家族5人のはずでしたが、三男は体調がすぐれず留守番となりました。
頂上の冷たい風は昨年と同じ。体にこたえましたが約10分ほど待って東の山の
上の雲にオレンジ色の点が灯り、今年も見事なご来光となりました。2023年は
どんな年になるのでしょうか。家内、長男、次男、それぞれいろいろな思いを
胸に秘めて今年最初の朝日を体いっぱいに受けました。

良い一年のスタートとなりました。私は2日から仕事。家内と長男は4日から。
次男と三男は6日に大学に戻ります。

2023年、家族で頑張ります。

以下写真です。





今シーズンのカードは息子達が全員揃っていた昨年の夏、サンフランシスコのオーシャン
ビーチで撮影しました。




クリスマスイブに次男が帰省しフルハウス。




長男が幼稚園の時から使用するクリスマスのカウントダウン・カレンダー。12月1日から
一日ずつポケットの飾りを取り出してかけていき、クリスマスイブにがツリーの飾り付け
が完成します。




クリスマスのレギュラー・メンバーのポインセチア。




こちらも我が家のレギュラーです。




この冬、20年以上使ってきた組み立て式の人工クリスマスツリーを買い替えました。
我が家のクリスマス、あと数年は続きます。




彼らが小さかった頃のように朝4時起きはなくなりました。それでも皆ワクワク。




息子達はそれぞれ Apple。家内は流行りのエアーフライヤーをもらいました。




私はカベルネ・ソーヴィニヨン。満足です。




さて、クリスマスの夜、庭に火が灯ります。




焼き鳥でした!(クリスマスに何でやねん?私が何となく食べたかったため料理に加え
ました。)




そして新年。シャンペンです。




新年を迎えた後、睡眠を5時間ほどとって家族で Twin Peaks へ。




2023年の初日の出です!




グラフィックデザイナーの長男。広角ではなくズームレンズを一眼レフに装着し、また
何か凝ったことをするようです。




家内と次男。とにかく寒かったです。




三人で、はいチーズ。(左端で写真を撮っている体格の立派な方は他人です。)今年も
周りは殆どがアジア系の方達でしたが、例年とは違って、耳にするのは全て中国語、
英語、韓国語でした。




元旦、私のホームオフィスの正面の壁に日本の友人からもらった2023年のカレンダーを
かけました。イラストは鈴木英人さん作です。20代の頃、大ファンで画集まで持って
いましたが、暫く記憶から遠ざかっていました。当時、山下達郎のアルバム・ジャケット
のデザインにも使われ、独特のタッチは広告、雑誌等あちこちで見かけました。




カレンダーを壁にかけた後、隣でぶら下がっているあひるぼーと目が合いました。「どう?」
と新しいカレンダーについて尋ねると「やばいでしょー。」とのこと。これから一年間楽し
ませていただきます。




卯年。どのような年になるのでしょうか。「うさぎ君たのむでー!」「まかしときーっ!」



以上です。



今年もどうぞよろしくお願いいたします。



2022年 明けましておめでとうございます

2022年01月02日 | 一般
新年明けましておめでとうございます。

終息の兆しのないコロナ感染はじめ、身の回りも世間も一年を通して落ち着かない
2021年でしたが、無事に新年を迎えることが出来ました。

我が家の大晦日は日中は大掃除、夜は紅白歌合戦鑑賞で少しブレークを入れ、その
前後で小さな神棚や、家のあちこちをお正月用セッティングにして元旦の準備を終え
ました。夕食は家族で済ませていましたが、年明け直前に再び全員が集合して年越し
そば。全員の胃に問題無く収まりました。ついつい食べ過ぎてしまう年末です。

さて元旦です。朝は暗いうちに起床し、家族でサンフランシスコの Twin Peaks の
頂上から例年の通り初日の出を拝みました。今年は長男に代わって家内が加わりま
した。昨年はコロナの影響でふもとのゲートが閉められ、車で頂上まで上がることは
出来ませんでしたが、今年は問題無し。但し、前日夜の天気予報では「Mostly Cloudy」
とあり、天候が少し心配ではありました。到着してみると、少し雲がかかっていた
だけで、東の空は既にうっすら綺麗なオレンジ色に。

朝の気温はここ数週間で一番低くかったように思います。家を出る時、車には霜が
おりており、Twin Peaks 頂上の冷たい風もこたえました。待つこと約30分。東の
先の山の稜線に小さなオレンジ色の点が灯り、その後小さな点は直ぐに見事なご来光
となりました。行って良かったです。帰宅後、簡単なおせち料理でお腹を満たして
体も温まり、心地よい一年のスタートとなりました。

例年、家族5人で迎える元旦ですが、長男は大晦日の前日より、北へ2時間ほどの
距離にあるリゾート地まで車をとばして友人グループと合流しました。仕事から
解放されてのんびりバケーションを楽しんでいます。元旦に長男と交換した新年の
挨拶のテキストでは、寅年生まれの本人、年男であることは自覚しており、目標を
立てて2022年に臨むそうで彼なりにいろいろ考えているようです。

12月上旬から冬休みで帰省していた次男の大学は、年末より全米でペースを上げ
て広がるオミクロン感染により、遠隔講義を決定しました。次男は自宅からの遠隔
受講を希望していましたが、前期より受講する生物学の研究クラスは遠隔での参加
は無理。また先月に取り付けた総合病院でのボランティアの仕事が新学期よりスタ
ートするため、どうしても戻らなくてはなりません。昨日の夜から大学に戻る準備
をしていたところで問題発生です。予定していた今朝一番のフライトは、昨夜遅く
にキャンセル。その後、エアーラインが取り直してくれた便も何度もスケジュール
変更が続き、正午の時点で今日中に戻ることは絶望的となりました。(全米のオミ
クロン感染拡大はフライトのクルーにも影響し、年末から空の移動に大きな混乱を
与えています。)選択肢はなく、結局、明日の朝、私が日帰り片道約7時間の弾丸
トリップで次男を車で送り届けることに計画変更しました。が、直ぐに次男の親しい
友人から「元々 LA に行く用事があったので、明日行くことにして俺が乗せていって
やる!」と有り難い救いの手。再び計画変更となりました。

三男は、先月の半ばよりジュースの大手チェーン店でのバイトが週三回で始まり、
大晦日、昨日の元旦も仕事でした。衣類への支出もさることながら、交友関係?で
お小遣いが必要なようです。高校の冬休みは1/04まで。我が家は全員、ワクチンは
三回接種済みですが、1/05までに高校への最新の PCR テストの結果提出が義務付け
られています。高校サッカーの練習も初日より再開です。

家内は1/04から幼稚園が始まりますので、元旦から早々と準備を開始しています。
年末は料理やら掃除やらでバタバタしていましたが、2週間の休みの間に少しは
くつろげたようです。私は年末にまとめてとる予定であった有給休暇は、仕事の
都合でお預け。結局12/30の終わりまで普通に仕事し、明日より再開です。あっけ
ないアメリカのお正月です。

さて、本ブログ、昨年のうちに三男の日本語補習校高等部卒業についてまとめる
予定でしたが、実現しませんでした。1/07 は三男の高校サッカーのプレシーズン
最終戦、翌週からリーグ戦が始まり、私はサイドラインから写真撮影です。その
前にブログの更新をしようと思います。一昨年、昨年のハイライトはまだ終わって
いません。今年は時間配分の改善を自分の課題としました。



それでは写真です。




今シーズンの我が家のクリスマスカード兼年賀状。ずっと白黒が続きましたが、久しぶり
にカラーにしました。




大晦日の前日、長男です。出発前に大掃除の手伝い。年男、来月に24歳となります。




Twin Peaks から見る初日の出。今年も拝むことが出来ました。

頂上に上がって直ぐに気が付いたことがありました。例年と比べると San Francisco Bay
で停泊している船が多いこと、また遠くでよく見えませんでしたが、どうも殆どがコンテ
ナを満載した貨物船のようでした。アメリカ国内のサプライチェーンの問題はここ数ヶ月
よく耳にしました。結構深刻かもしれません。




家内と息子達です。毛布も持参して凄い服装ですが、刺すような冷たい風の中、正解
でした。




Twin Peaks は文字通り二つの頂があり、私達が毎年初日の出を拝むのは駐車場に近い方
です。今年も周りに 20~30 名ほどの人が。あちこちから日本語が聞こえてきました。




カレンダーを取り替え




お正月のダイニングテーブル。




干支の飾りは、息子達が産まれた際、いろいろな方々からそれぞれお祝いとしていただ
いており、今年は十二支セットに加え、家内が長男の干支である寅の置物を飾りました。




ささやかなお正月です。




次男はわずか一ヶ月足らずの間にずい分衣類が増えました。かさばってキャリーバッグに
入りきらず、持って帰るのを諦めたジャケットやセーターがありましたが、友人の車で
帰ることになり、全て携えていきます。明朝、出発です。




短い冬休みは直ぐに終了。三男の高校から全生徒に配布された PCR テストキットです。
結果は問題無し。1/05より登校です。


以上です。


2022年はどのような年になるのでしょうか。


今年もどうぞよろしくお願いいたします。








ようやく Reboot

2021年11月01日 | 一般
前回の更新からずい分時間が経ってしまいました。言い訳は後にしてブランクを
カバーします。今年のはじめに予定していた「混沌2」の短縮版、そして我が家の
近況について書き綴ります。写真も含めるとかなり長くなってしまいましたので
ご了承を。


COVID-19

それでは COVID-19 から。アメリカのコロナ新型ウィルスの感染は一旦は落ち着いた
ように見えました。パンデミック宣言時にはアメリカ国内であれだけ抵抗をうけた
マスク着用も時間と共に「ある程度」定着し、国民のワクチン接種開始に伴い感染
者の数はピーク時から徐々に減少。カリフォルニア州をはじめ、各州政府や郡、市
等の自治体が出していた規制が春から少しずつ緩められ、6月になると、ビジネス、
観光、娯楽、人の流れ、交通量、かなりパンデミック前の状態に戻り、全米が夏に
向けて安堵モードへと。

残念ながら終息には至りませんでした。デルタ株による感染が始まりました。ここ
数週間のアメリカ国内の感染者数グラフは下降カーブが表示されていますが、過去
の増減を見ると約2か月の大きなサイクルがあり、このままカーブが下がり続ける
のかどうかはまだ分かりません。さて、少し気が緩んだ春でした。この2年間
ずっとアメリカの COVID-19 対策の舵を取ってきた CDC(疾病管理予防センター)
が、ワクチン接種を終えた人々のマスク着用義務をガイドラインから外すことを
発表。愚行でした。連邦、自治体が出す他のガイドラインと食い違いがあった上、
ワクチンを接種したにもかかわらず感染したケースが出てきました。そして2ヶ月
後にガイドライン修正。現在は、ワクチン接種で新しい変異株に対する感染リスク
は減少するが、屋内の人が集まるところではマスク着用が望ましいといった内容に
落ち着いています。3回目のワクチン接種は始まっています。我が家の順番は2回
目の6ヵ月後。もう直ぐです。

アメリカ国内のワクチン接種状況を見ますと、高齢者はどこの州も高い接種率とな
っていますが、18 – 64歳につきましては、まだそこまで至らず、50%に満たない州
もあります。先日読んだある記事では、Red State(共和党支持者の多い州)は Blue
State (民主党支持者の多い州)に比べてワクチン接種は遅れ、コロナウィルスの
感染率と感染による死亡率の差も明らかに高いそうです。マスク着用に加え、ワク
チン接種も政治がからむのでしょうか。先日、元国務長官のコリン・パウエル氏が
COVID-19 の合併症で亡くなりました。90年代に黒人初の大統領の有力候補にも
挙がったほどの共和党の元高官は、ワクチンも接種し COVID-19 への備えは万全
だったようです。党を隔てず人望の厚かった同氏は、警鐘を鳴らして逝去しました。
子供達はどうでしょうか。アメリカの教育機関は対面授業の新年度が始まっており、
わずかですが、既に子供の感染が確認されています。12歳未満のワクチン接種は
5歳以上を対象にようやく始まりそうな様子。教育機関内のウィルス拡散を封じ込
めることを祈ります。


大統領選

2020年の大統領選は、本ブログの前回の更新時には既にバイデン新大統領が誕生
していました。開票終了から確定するまでにはずい分時間がかかった問題ずくめの
選挙、もう直ぐ一年が経とうとしていますが、改めて触れておきます。

歴史に残る大接戦の大統領選、一般投票総数は、バイデンが 8100万票、トランプ
が 7400万票と、共に大統領選史上最多でした。国民の 2020年大統領選への関心が
いかに高かったかがうかがい知れます。開票終了後は、負けを認めないトランプ前
大統領による証拠もない開票ミスを訴える数々の法廷闘争(後に全て却下)やら前
大統領に煽られた支持者による1月6日の国会議事堂襲撃等、前代未聞のおまけが
続きました。もともと1月6日は形式的なプロセスとして上院、下院議員の合同
会議での選挙人団票開票があり、そこでバイデン新大統領の当選が公式なものと
なるはずでした。そして、予定になかった上述の国会議事堂襲撃、合同会議で共和
党議員数名から出た開票結果への異議、それぞれの異議に対する審議とその後に
続く投票。遅れに遅れ、結局、翌1月7日の早朝にようやく公式に当選が確定しま
した。

我が家でも、開票開始後の数日間、絶えず誰や彼やがニュースをチェックし、バイ
デンがウィスコンシン州だけではなくミシガン州を押さえただ、ネバダ州とペンシ
ルバニア州で追い上げている等、家族5人、開票速報にほぼ釘付けの状態でした。
選挙権を持つ長男と次男も投票。勿論バイデン票です。高校生の三男でさえ開票
状況は絶えず注意を払い、彼なりにいろいろ考えていたようです。家内と私は永住
権のみ。長年、高い税金は払っていますが、市民権、選挙権は持っていません。

就任後のバイデン大統領は、ガッチリとチームを組み、内政・外交の軌道修正に
取り組んでいます。勿論、既にいろいろ批判は出ています。内政の大物議題、法案
はプロセスの過程で徐々に縮小され、民主党内でも雑音が出始めています。外交に
ついては、アフガニスタンの米軍撤退が注目を集め、世間は賛否両論でした。軍の
駐屯による治安維持はアメリカの義務ではないものの、撤退後のアフガニスタン
国内の混沌は後々バイデン政権に影響を与えるかもしれません。トランプ前大統領
は、数多くの自分に対する訴訟を抱えながらもホワイトハウス復帰を本気で考えて
いる様子です。財力があるため、まだまだ共和党内での影響力は大きく不安ではあり
ます。


Black Lives Matter その後

Black Lives Matter は、世間が警察を叩き続けた結果なのか、昨年続いたような
大きな事件はなく、海外にも及んだ一年数ヶ月の運動の効果があったような気が
します。国民の関心からも少し遠のきましたが、国内に大きな変化をもたらした
ことは間違いありませんし、メディアから消え去ったわけでもありません。昨年
起こった事件の多くは裁判が続き、それぞれの判決はこの先も注目を集めていく
ことでしょう。以下、昨年のブログの補足となります。

*衝突

昨年春のミネアポリスから全米に広がった暴動は数日で治まりましたが、デモは
全米規模で続き Black Lives Matter のメッセージが拡散されていきました。複数の
都市では警官隊がデモ隊に向かって跪き、何か将来に明るい希望を持たせるような
光景でした。残念ながら一時的なものだったようです。直ぐに大都市を中心にデモ
隊を弾圧する警官隊が勢いを増し、西海岸のオレゴン州の州都ポートランドにいた
っては、荒れに荒れて混沌とした状態が何か月も続きました。(同市の抗議デモは、
年が明けてからも時折行われています。)

そしてトランプ前大統領の登場です。衝突が長引く自治体の対応を叱責し、昨年の
夏にかけて所属、階級を隠した国土安全保障省の荒っぽい警官隊を動員。混沌を
悪化させました。前大統領は、Black Lives Matter に対しては、昨年5月末より
「Law and Order(法と秩序)」を前面に出して、平和的な抗議デモに対しても
厳しい姿勢を貫きました。本人が Twitter やスピーチで頻繁に使用したこの言葉、
決して新しいものではなく、過去、公民権運動で荒れた時代にも使われ、人種
問題をオブラートに包んで暴動や市民による暴力だけにフォーカスする都合の良い
スローガンです。実はアメリカには Black Lives Matter を快く思わない人々が大勢
いました。後から考えますとトランプ前大統領にとっては、票集めに利用出来る
格好のイベントだったのかもしれません。

一部の都市でデモ隊と警官隊の衝突が長引く頃、武装した極右グループが「反」
BLM として登場。昨年の5月、コロナ禍による「Stay at Home」規制にしびれを
切らした人々がいくつかの州政府の庁舎前におしかけて抗議デモを繰り広げた際、
メディアの注目を集めたのも武装した極右グループでした。また、未遂に終わった
昨年のミシガン州知事の誘拐事件でも脚光を浴びました。全米で様々なグループが
存在するようですが、共通するのは保守的な白人。中には個人で活動する連中も
います。彼らの思想、目的は単なる反政府から、第二次南北戦争を起こすといった
物騒なものまでいろいろあり、上述の国会議事堂襲撃にも加わっていたようです。

*影響

昨年の春に再燃した Black Lives Matter はアメリカ国内に様々な変化をもたらしま
した。AP 通信社は、黒人を活字で表す際に単なる肌の色を表す形容詞の「black」
から、社会的ステータスを示す大文字を使用した「Black」への変更にふみきりま
した。その後、保守派を除くメディアが追従し、今では「ほぼ」スタンダードと
なっています。

人種差別に関連した歴史上の人物の銅像の撤去もその一つです。これはヨーロッパ
にも飛び火しました。そして、公共の場から姿を消した Confederate Flag(南北
戦争の「南部連合国旗」 )。南部の州では自分達の歴史的遺産・文化であると、
強い反対もありましたが、自治体や企業だけではなく、海兵隊、そしてその後、
国防省の取り決めにより他の軍でも同旗掲揚やデザイン流用取り止めとなって現在
に至ります。黒人市民からしますと差別の象徴そのものである Confederate Flag
は、その後、極右グループや一部のトランプ・サポーターには引き続き好まれて
使われているようです。

まだあります。私自身30年以上慣れ親しんだ某社のパンケーキシロップのパッケー
ジデザインが一新されました。旧デザインは、半世紀前あたりの白人家庭に仕える
典型的な黒人のお手伝いさん風の女性がニッコリ微笑むデザインでしたが、メーカー
側が自主的にデザインを変更しました。背景には、企業が消費者に人種差別に対す
る姿勢をタイミングよく見せるブランド・マネージメントがあったようです。また、
昨年から企業のコマーシャル、広告も不自然なほど黒人のモデルさんを多用する
ようになりました。これも企業の努力の表れでしょうか。

SNS について。Black Lives Matter が一番盛り上がっていた頃、アメリカの有名
人で過去の SNS の差別コメントが原因で、職を追われた人は少なくありません。
誰かが SNS で問題となりそうな有名人のコメントを見つけて公開、炎上すると、
本人達は直ぐにコメントを削除。世間はその後も暫く叩き続け、その結果、彼ら
は SNS で謝罪の言葉と共に「私は Racist ではありません。」と手遅れのダメージ
コントロール。お決まりのパターンでした。過去数年前にまでさかのぼってのあら
探しもあったようで、口は災いの元とは言いますが、社会的地位やステータスを
失った人達は、SNS のコメントも災いの元となることを痛感したと思います。

昨年、Black Lives Matter 運動はアメリカ、取り分け各州の警察に大きな教訓を
与えました。されどです。本質は変わるのでしょうか。白人が大多数の地区では
黒人住民は3割まで。それを越すと白人住人は引っ越すといった話を聞いたことが
あります。白人住民個人の人種に関する概念に関わらず、住民の人種比率は不動
産の価値に影響を及ぼすことも理由の一つのようです。人種が混ざった地域で
新しく引っ越してきた黒人の家族がお隣の白人住人に何年にもわたり嫌がらせを
受けた例は、Black Lives Matter が騒がれていた昨年いくつか報道されました。
一方、教育面においては、暗黙裡に人種で分けられた学区では、垣根を取り払う
動きがあると、白人の父兄から徹底的な反対にあうと聞きます。恐らく、教育
レベルへの影響に加えて犯罪を懸念してのことかと思います。昨年の Black Lives
Matter の抗議デモに参加した正義感に燃える10代後半、20代前半の非黒人の若い
世代。彼らが家庭を持ち、自分達の子供の教育、家のローンを考えながら生活を
送るようになる頃に社会は変わり始めるか?そうなってほしいと心から願います。


Stop Asian Hate

Black Lives Matter が落ち着き始める一方、新たな問題も出てきました。多くの人が
予期していたと思います。COVID-19 パンデミック宣言以来、アジア系市民への嫌が
らせや暴力、いわゆるヘイトクライムが激増しました。夏あたりになり勢いが少し
治まったような気もしますが、根は深いようです。パンデミック宣言以後のアジア
系市民に対する暴力事件は、白昼、無抵抗の老人、女性を殴る蹴るといったものが
報道されました。アメリカで長く蔓延る白人による黒人への人種差別とは少し異な
ります。

パンデミックは、大勢の人々に、自身や家族が病に倒れる、職を失う、生活が苦し
くなる等、耐え難い苦難を与えました。彼らの恨みつらみの矛先は、コロナ新型
ウィルスが出た中国ではなく、身近なアジア系市民にすり替えられてしまった感が
あります。もしコロナ新型ウィルスがヨーロッパ発であったらヘイト問題につなが
ったか?あり得ません。アメリカの移民史の中では新参グループになるアジア系です
が、過去には政府からも差別的な扱いを受けた時期があり、所詮は肌の色が違う少
数派の人種です。中国政府のしゃあしゃあとした態度とトランプ前大統領の在任中
の無責任な言動も火に油を注ぎ、コロナ新型ウィルスがいとも簡単に中国系をひっ
くるめたアジア系市民への攻撃の口実を与えてしまいました。20年前の同時多発
テロの直後、アラブ系市民がヘイトクライムの対象となったことが思い出されます。
その時々の情勢で自分達への風当たりが強くなるのは、少数派人種の悲しい宿命で
しょうか。

白人だけではなく、黒人によるアジア系市民に対する暴力が収められた動画も昨年
よりニュースで何度となく目にしています。Black Lives Matter 運動では、人種を
隔てず多くの人々が警察の黒人に対する暴力に抗議して立ち上がりました。「Black
Lives Matter」同様、アジア系市民へのヘイトクライムにも「Stop Asian Hate」と
いったスローガンが生まれ、事件の多かったカリフォルニア州では、非営利団体の
「Stop AAPI (Asian Americans and Pacific Islanders) Hate」 が設立されて州政府、
世間にも訴えかけました。連邦政府では、新しい COVID-19 関連のヘイトクライム
に対する法案も上院、下院で可決され、ブレーキの効果はあったと思いますが、
残念ながら事情は少し違います。医療へのアクセスが難しく失業率も高い低所得者
層は、主に東アジア系を除く非白人。この層へのパンデミックのダメージは取りわけ
大きく「あいつらが菌をバラまいておいて何故自分達だけがつらい思いをするのか」
と怒りが蓄積されるのも自然かもしれません。

アメリカで人種問題はこの先も尽きないと思われます。

固い話が長くなりました。それでは我が家の身の回りに移ります。


我が家

我が家はパンデミックに入ってから家族5人一つ屋根の下での生活が続きました。

長男は12月に半年遅れでサンフランシスコ市内の美大を無事卒業。このような時期
です。残念ながら採用のオファーはどこからもなく、フリーランスのグラフィック
デザイナーとして社会人デビューしました。幸い、大学の先輩から仕事をまわして
もらい、徐々にネットワークを広げ、現在では常時、複数のプロジェクトを抱えて
います。日々、クライエントと Zoom で打ち合わせをしながら、コンピューターに
向かって自宅でコツコツと仕事。グラフィックデザインだけではなく、プロモーシ
ョンビデオ作製、ドローンを使った空撮、記念写真撮影等、自分なりに考えながら
仕事の領域を広げています。締め切り日を中心にして回る時間的に不規則な毎日
ですが、本人は、昼寝、ゲーム、携帯電話での映画鑑賞、ジム等でストレス解消。
幸い、長男は家内の血を受け継ぎ完全な下戸です。アルコールは一切口にしません。
早く一人暮らしをしたいそうですが、今は三度の食事と昼寝つき。結構な生活です。

次男が大学キャンパスを離れたのが昨年の3月。長かった一年半のコロナ帰省の後、
9月に Junior(3年生)として大学に戻りました。ずっと遠隔で授業とテストが続き
ましたが、本人にブレは無く、この一年半、暇さえあれば勉強といった毎日でした。
大学に戻る一週間前、Medical School に進学する大学生に義務付けられている MCAT
( Medical College Admission Test ) を最寄りの試験会場で受けました。約7時間の
缶詰め状態のテストは、先日結果通知があり、取りあえず志望校数校は、受け入れ
平均点を上回って射程距離に入ったそうです。大学の GPA、MCAT のスコア、論文、
インターン、ボランティア等、大学院側の審査対象はいろいろあり、情報収集を
怠らず着々と準備を進めています。次男の大学でキャンパス内の寮に入れるのは
基本的に Freshman(1年生)のみ。夏に買い与えた中古車で現地入りし、馬の合う
仲間3人とキャンパスから近い大学生専用アパートで新しい生活を開始しました。

三男です。日本語補習校は3月に無事卒業。11年の学校生活にピリオドを打ちました。
現地校の高校は8月より対面授業で新年度スタート。現在最終学年の Senior(4年
生)です。日本の生徒会に近い「Leadership」のクラスでは、校内選挙に立候補して
イベントを仕切るポジションにつき積極的に校内の活動に参加しています。11月には
いよいよ University of California(UC)各校の願書受付開始。三男の志望校です。
遠隔授業の約一年半は、身近にいる次男から絶えずアドバイスを受けて GPA を落と
さない努力をしていました。Division 1 レベルの大学サッカーは次男同様、大学卒業
後の進路を考えて諦めました。されどサッカーです。一年半ほぼ毎日、自宅のガレー
ジのトレッドミルで走り込み、その後に続くウェイトトレーニングで体作りに努めま
した。足腰強化に加え肩と胸が目に見えてガッチリし、サッカーの試合中に相手選手
に吹っ飛ばされることは無いと思います。現在秋のクラブリーグ真っただ中です。

家内です。仕事に家事にずっと頑張っています。勤め先の幼稚園を中心に回る毎日は
変わりありません。昨年は遠隔授業でずい分苦労しました。元々が IT 音痴なところ
へ Zoom が標準となり、かなり手こずっていたようです。幸い、息子達3人がつきっ
きりでサポートし、対面授業が再開する頃には全てを使いこなすレベルに達しました。
家内の質問には次男、三男は忍耐強く丁寧に対応。長男のサポートの時はと言います
と、相変わらずです。聞こえてくる2人の会話は、いつも息の合ったボケとツッコミ
でした。幼稚園は小中高同様、夏休み明けから対面授業が始まりました。衛生面で
いろいろな制約があり、引き続き苦労の多い毎日のようです。この一年半のストレス
解消は、夜、仕事を一通り終えた後、ソファで足を伸ばし、次男にマッサージ機を
使って肩こりをほぐしてもらいながら鑑賞する日本のテレビ。極楽のひと時でした。
その次男も大学に戻り、最近は三男にお声がかかるようです。長男は対象外です。

私です。1月からブログの更新が出来なかったのは、息子達のサッカーの試合の写真
撮影復活が理由です。(後の写真の部分で詳しい言い訳をいたします。)さて、この
一年ほどで私の健康面で少し変化がありました。昨年末の造園プロジェクトをきっか
けに体重を落としました。連日の地獄の重労働が元々の原因ではありますが、同時期
から食事内容を変え、加えて運動でカロリーのコントロール。7キロ落としてジーン
ズのウエストサイズは29インチになりました。約40年前の大学生の頃のサイズです。
家内いわく、痩せて顔が貧相(じーさん)になったからもっと太れとのことですが、
体調は絶好調。このままでいようと思います。仕事はずっと遠隔で、夏まで平日の
日中は静かに息子達3人と机を並べてコンピューターに向かって仕事。変な感じでし
たが、問題なく機能しました。今年はブログ更新をサボっていながら、サーフィンに
行く頻度は増えました。体重維持のためとは、私の勝手な言い訳です。

昨年は、パンデミックにより三男のサッカーの試合は春、秋シーズン共に全くなく、
週末をかなり自分のために使うことが出来ました。ブログの更新も過去になかった
ペースだったかと思います。1月を最後に9ヵ月間ストップしていた本ブログの更新
ですが、予定していたものは沢山あり、造園プロジェクト、三男の補習校卒業式、
そして2020年のハイライトさえも手つかずのままでした。今年も残すところたった
2ヵ月。これから追い上げようと思います。2020年の私達家族の身の回りについては
昨年いろいろ既に書き綴っており、拾っていないものだけをサァーっとカバーする
予定です。三男の補習校の卒業式は我が家の17年に及ぶお付き合いの最後であり、
これも落とせません。毎週末、三男のサッカーの試合の写真撮影、整理、編集で既に
忙しくなっていますが、頑張ろうと思います。


それでは写真です。9ヶ月分を持って来ました。とんでもなく多くなり、一回の更新
の枚数としては記録かもしれません。インスタ状態です。





アメリカ国内の COVID-19 対策が始まりはや2年です。 (写真 © Reuters)



ワクチン接種状況を表す地図。色の濃い州は接種が進んでいる州、薄い州は遅れている
州です。後で触れる Blue State / Red State の地図とのだぶりが見受けられます。(写真
© Johns Hopkins University )




コロナ禍以前から「Anti Vaxxer」いわゆるワクチン接種を拒む人は大勢いました。ウィ
ルスが猛威を振るい始めた後も意志を貫く人は多いようです。 (写真 © Reuters)




私自身のワクチン接種証明カード。4月と5月に接種しており、3回目は11月の予定です。


大統領選関連に移ります。




選挙人団投票の最終結果。 (写真 © AP)




今回の大統領選ではパンデミックによる郵便投票が一部で取り入れられました。トラン
プ前大統領、ぬかりはありませんでした。不正が起こりやすくなると事前にいちゃもん
をつけて十分な仕込み。開票後に敗北と分かると案の定だだをこね、明確な証拠もない
訴えを複数の州で次々に起こしました。写真はトランプサポーターが手にする「Stop
the Steal」サイン。勘弁してほしいです。(写真 © Getty Images)




僅差の州ではそれぞれの選挙法により、トランプ前大統領が起こした訴訟に関係なく票の
再確認が行われ、公正な選挙が行われました。 (写真 © AP)




1月6日に国会議事堂を襲撃した暴徒と国会議事堂の警官隊のつば迫り合い。元々は
複数のトランプ前大統領支持グループによる国会議事堂近くでの集会のはずでしたが、
前大統領がグループを煽り、選挙団票開票が行われる国会議事堂への行進、そして暴徒
と化したグループの乱入となりました。勢いで乱入となったように聞こえますが、実は
周到な準備の元に実行されたとされています。暴動が治まった後は FBI による魔女狩り
が始まりました。男女問わず国会議事堂に押し入った輩が、写真や動画、または彼らの
知人、家族から寄せられた情報をもとに次々に身元が割り出されていきました。現職の
警官、病欠と称して仕事を休んで暴動に参加した社会人、下院議長のラップトップを
持ち出し、ロシアに売り飛ばすと豪語する女性、嬉しそうに議会の演壇を戦利品として
担いでいく男性、現役の大学生、オンパレードです。アメリカの民主主義のあり方が
問われる事件でした。 (写真 © Getty Images)




バイデン新大統領就任式です。トランプ前大統領は出席しませんでした。 (写真 © NBC)


次は Black Lives Matter 関連です。




ポートランドで何度となくあったデモ隊と警官隊の対峙。 (写真 © CNN)




武装極右グループの中では最も注目を集めた「Proud Boys」の怖そうなおじさんやお兄
さん達。 (写真 © Forbes)




昨年は全米で、南北戦争に関わった南軍の将軍、政治家だけではなく、クリストファー
コロンブスの像等、100体近くが州や自治体によって撤去されたり、 Black Lives Matter
の抗議デモの中で倒されて姿を消しました。バージニア州の州都 Richmond にある南部
軍司令官「リー将軍」の像は、もめにもめてようやくこの9月に撤去となりました。
ここは南北戦争の間、南部連合国の首都にもなった意味のある土地です。(写真 © AP)




Confederate Flag 。以前はモヤーっと南部の保守系白人の象徴のようなイメージでした
が、社会から差別の象徴のレッテルを貼られてしまいました。写真は「イヤダァーッ!」
と叫ぶ Confederate Flag が大好きなおじさん。とは、私の勝手な想像です。(写真 ©
Forbes)




右の旧デザインの黒人女性は実在した人だそうです。同女性の家族は、デザイン取り換え
に反対したと聞きます。


Stop Asian Hate の写真に移ります。




BLM の規模にはなりませんでしたが、各地で抗議デモが行われました。(写真 © Getty
Images)




今ではよく目にする「AAPI」のロゴです。




COVID-19 Hate Crime 法が上院と下院で可決されバイデン大統領の署名によって成立し
ました。その後、施行についての情報は公表されていません。 (写真 © Getty Images)


それでは、我が家の写真での近況報告です。長男から。




長男撮影の写真。さすがに彼の顧客のグラフィックの作品やビデオをここに掲載する訳
にはいかず、本人が趣味で撮影した写真のみ拝借しました。昨年より雨期になると雷が
よく鳴ります。長男がこの写真を撮影した真夜中、私も雷の音で目を覚まし、彼がカメラ
と三脚を持って庭に出ていることを知りました。落雷にあうのではとヒヤヒヤしました
が、本人、撮影には満足したそうです。グラフィックデザイン以外には、時々知り合いを
通して入ってくる高校、大学の卒業記念ポートレートの撮影も手掛けています。先日は、
誰かのペットのワンちゃんの写真撮影だったそうです。




高価な Nikon の広角レンズを使用しての写真です。




このドローン、私が少し資金援助してクリスマスに長男が商売道具として購入。付属部品
やら追加した保証を加えると千数百ドルだそうです。




価格を聞いてえーっと思いましたが、高画質のカメラは価値がありそうです。家の近所の
飛行は市の許可を取っているそうですが、ゴールデンゲートブリッジの近くで、この高さ
は違法だろうとのことでした。




サンフランシスコの Ocean Beach も上から見るとこの通りです。




今年8月の家内の誕生日は、長男が自分の稼ぎで刺身の盛り合わせをご馳走してくれま
した。器やアメリカ風の盛り付け、特に大量のワサビは「ありゃーっ」ですが、どれも
新鮮で美味しかったです。


次男です。




息子達3人共、日頃、仕事や勉強は自分の勉強机を使うことが多いですが、誰かが Zoom
に入りますと、必要に応じて家内の書斎、ダイニングやリビングルームに静かに移動して
いきます。写真は庭の木陰で勉強中の次男。いつも水のグラスをテーブルに。春から夏の
間の次男のお気に入りの場所でした。




MCAT の高い参考書です。本番と同じようにみたてた7時間
の模擬試験も何度か自宅より遠隔で受けていました。




最終ゴールは心臓外科医だそうです。大学に戻る準備で荷物をまとめているところです。
自分の机に飾っていた大事な心臓の模型も携えて行きました。




Freshman の頃は、大学寮を基点として移動はもっぱら自転車でしたが、アパート住まい
になることが決まり、夏に長男と同じ Toyota の中古の Prius を買い与えました。パンデ
ミックの影響で、アメリカ国内の中古車市場は品不足だそうです。購入前のリサーチでは
価格はどこのディーラーも明らかに上がっていました。




9月の中旬。いよいよ1年半のコロナ帰省を終えて大学に戻ります。渋滞を避け、朝暗い
うちに出発。2年前に大学寮の次男の部屋の前で分かれた時を思い出しました。兄弟、私
とは握手。家内とハグして車に乗り込み闇に消えていきました。初めての長距離運転で
少し心配しましたが、7時間後に無事到着したとの電話。が、声のトーンが少し暗く直ぐ
に何かあったと気が付きました。車の故障か?事故か?そして次男、「あのねー、途中で
スピード違反で捕まっちゃった・・・」 しまったー。 I-5は覆面パトカーが多いことを
伝え忘れました。きっといい気分で飛ばしていたのでしょう。いきなりやってくれました。
本人には良い勉強にはなりましたが、数週間後に罰金 $320の連絡。授業料は私払いです。


それでは三男。




パンデミックの影響でシーズンが短縮された春のクラブリーグです。




例年の サンディエゴ で行われるトーナメントも何とか開催され参加してきました。




パンデミックで誰もが諦めていた高校サッカーも例年のスケジュールから数ヶ月遅れて
春から始まりました。過去になかったクラブリーグとほぼ同時スタートは、支障をきた
すことを承知の上での協会側の Senior(4年生)選手達への心配りだったと思います。
三男の高校チームは、一昨年と昨年は粒ぞろいでしたが、有力選手は殆ど卒業。頼りに
なるほんの数名の上級生と共にマスク着用で頑張りました。




長男は、サーフィンに行くことは今では殆どなくなり、次男は時々程度、三男はサッカー
や学校がなかった夏の間だけは、よくついてきました。この日、私は腰の痛みでサーフィ
ンは控え、ビーチからの写真撮影でした。




三男、十分エンジョイしたようです。


次にサッカー関連の追加を少し。




我らが San Jose Earthquakes は、スタジアム名の権利を持っていた Avaya が数年前に破産
申告。その後、少し時間を隔てて今年の春に PayPal が権利を買い取りました。現在は写真
の通り 「PayPal Park」です。




昨シーズンはコロナのために一戦も観戦することはありませんでした。今シーズン、久々
の試合では、Krazy George おじさんも健在。相変わらずのしわがれ声、パワー炸裂応援で
ホッとしました。




私達のシーズンチケットは2席のみ。シーズンが一年ぶりに再開したこの夏、長男は仕事、
次男は勉強が忙しく、サッカーの観戦は三男と2人行くことが多かったですが、この日は、
追加で2席をとって、息子達3人と観戦しました。長男と私は少し離れた席です。




一昨年よく利用したスタジアム近くのピザレストランは残念ながら閉店。パンデミック
の影響は様々なところに及んでいました。久しぶりのスタジアム内の食事は美味しかっ
たです。相変わらず高くはありました。




2年前に次男、三男が数試合だけ参加したサンフランシスコの社会人リーグの日本人
チームに、この夏、声をかけていただきました。試合数を削った短いシーズンではあり
ましたが、ほぼ全試合兄弟一緒にプレー。週末もずっと自宅で勉強だった次男、この
リーグ戦だけは特別でした。このチーム、技術レベルはかなり高く、次男が長年慣れ
親しんだセンターミッドのポジションには既にバリバリの方達がおり、次男は右サイド
バックとなりました。直ぐに慣れて全く問題はなかったようです。




三男。クラブチームと同じ右ウィンガーです。次男とは同じ右同士で試合中は声が通り、
よくお互い指示を飛ばしあいながら兄弟で連携プレーをしていました。




3年前の高校サッカーは、Senior だった次男と Freshman で同じ上級生チームに飛び級
で入った三男が一緒にプレー。当時、これが最初で最後だろうなと思っていましたが、
再び同じピッチに立つ彼らを見ることが出来ました。




三男のショットが決まり、抱きついて喜ぶ次男。


家内の写真に移ります。




昔、私達夫婦がサンフランシスコに住んでいる頃に大変お世話になった日本人の女性が
いました。私の父よりも少し年上の高齢の方で、週末に一緒に食事をしたりと、親しく
お付き合いさせていただきました。長男が誕生したあたりからでしょうか、少しずつ
疎遠になり、その後はクリマスカードのみでつながっていたと思います。8年前、その
方のお友達から電話連絡があり、彼女は擁護施設にいるが、病気を患っており会いに
きてみないかとのお誘いでした。息子達3人も伴って家族5人でお見舞いに行き、10数
年振りの再会。ブランクを感じさせない楽しいおしゃべりをした後、またお伺いします
とご挨拶して施設を後にしました。そして数週間後、同じお友達からその方が他界した
との電話連絡。お子さんもいらっしゃらず、本人の遺言で海洋散骨となり、家内と共に、
船からゴールデンゲートブリッジの近くで海に散骨するセレモニーに出席しました。
その後、お参りするお墓がないからと、ずっとそのままでしたが、今年のお盆、サンフ
ランシスコ湾の遊覧船に家内と二人で乗り、散骨した辺りで船の乗員に見つからないよう、
船尾からそっと小さな花束を海に捧げてきました。10数年のブランクが悔やまれます。




今年5月の母の日です。昨年の5月は既にパンデミック宣言が出ていましたが、お店の
花の品揃えは例年と殆ど変わりませんでした。ところが、今年は昨年と打って変わって
ガラーン。仕方なく、小さなカーネーションの花束のみとなりました。




息子達が高校、中学生の頃、朝、家内が用意するお弁当は、息子達用の分厚い辞書のよう
なサイズの弁当箱が3つと家内の小さな弁当箱1つでした。今はと言いますと、写真の
家内用のみ。長男は私と自宅で昼食、そして三男の高校は、パンデミックによる家庭
支援のため、全生徒に無料の昼食を出してくれるようになりました。家内はずい分楽に
なったと思いますが、何かあの頃が懐かしく感じられます。




家内の幼稚園での商売道具の一つのタンバリン。年季が入ってきています。




帰宅すると、直ぐに書斎にこもり、幼稚園の他の先生や父兄へのメールやら、翌日の準備
でずっと忙しそうです。また、いつも、紙、ハサミ、テープ、ノリやらで工作。写真は
園児のためのゲームのようです。




幼稚園用のプリントも半端な枚数ではありません。昨年購入して家内の書斎に置くカラー
レーザープリンターは大活躍です。


次は、私関連の写真です。




何の写真か分からないと思います。これは息子達のサッカー遠征で、数年前から始まっ
た私の標準移動装備です。主に車で移動して現地で2泊以上滞在するサンディエゴの
トーナメントのみが対象。ラスベガスのトーナメントや飛行機で移動する場合は関係
ありません。今では三男だけですが、以前は、次男、三男、それぞれの遠征で同じ装備
でした。息子のサッカー用バックパック、息子と私の着替えや洗面用具が入ったダッフル
バッグ2個、私のカメラ器材用バッグ、買い出しで事前に揃えておいた食べ物や飲み物
用のトートバッグ、そしてモニター?たかが駐車場からホテルの部屋までの移動ですが、
この折り畳みカートがあると無いでは全然違います。




ホテルの部屋にセットしたラップトップ、キーボード、マウス、外付けハードディスク、
モニターです。私のサッカー1試合で撮る写真枚数は、今では平均1,500枚。数年前まで
は1,000枚から1,200枚程度でしたが、三男のチームはロースターサイズが大きく、選手
の総数は20名以上。試合でベンチに入るのは18名。1試合1時間半で18名分の写真と
なりますと、どうしても1,500枚あたりとなります。試合後、全写真を PC にロードして
大きな外付けモニターで細部のチェック、選手ごとに仕分けをして、そこからベストと
思われるものを一人6枚ずつ選び、編集と写真サイトへのアップロード、チームのポー
タルからチーム全員にリンクの案内。作業時間も数年前より長くなり、今は最低6時間
が必要です。リーグ戦、高校サッカーの試合は、通常週末をつぶせば何とか終えること
が出来ます。一方、トーナメントの場合は、3、4試合ありますので、帰宅してからの
作業は時間的にかなりの負担となり、1週間で終えるのは困難です。よって数年前から
ホテルで同じ作業が出来るように、遠征にはモニターを携えて行くようになりました。
上述のカートと共に、私にとっては「Must」アイテムです。この11月末のサンクスギビ
ング連休は大渋滞の中、また三男と車でサンディエゴのトーナメントに行ってきます。
その後はと言いますと、来年の5月のトーナメントが高校最後。それで「完了」です。

さて、ブログ「9ヶ月」無更新の言い訳に移ります。1月から3月までは「まだまだ
混沌2」の準備をしていましたが、大統領選開票後のゴタゴタやコロナなど、状況が
絶えず変わっていき更新しそびれました。そこで三男のサッカーです。クラブリーグ
と高校サッカーが4月に同時スタート。もう週末は無くなりました。5月にクラブ
チームのサンディエゴのトーナメントが予定に入ってはいましたが、そろそろ出口が
見えてきたところで、息子2人、社会人リーグに参加させていただくことになりました。
毎週末試合が入り、ここでも誰に断りもなく勝手にチームフォトグラファー。やや
少なくはありますが、1試合に約1,200枚。8月末まで続きました。そして秋のクラブ
リーグ開始が9月で現在に至ります。以上、言い訳でした。




私の現在の朝食です。オートミール、豆乳、蜂蜜、ピーナツバター、穀物パン、果物、
コーヒーとなります。白米と白い食パン、バターは避け、昼食と夕食もオートミールの
お粥が多くなりました。間食はなくし、糖分は極力取らないことにしています。




但し、晩酌は変わらず。昔に比べると赤ワイン(グラス1杯)が多くなりましたが、時々
ビールも。(糖分とってます。)過去、いろいろな銘柄を試してきました。やはり美味
しいのはオレゴン州産の IPA でした。写真もその一つ。




サーフィンは、頻度が増えました。日が長かった夏の間は週3回、その後は週1~2と
なっています。あちこちぶつけて、修理は自分で頻繁にしています。この日はレールの
修理数ヶ所でした。




高校生の頃に少しだけかじっていたスケートボード。還暦になってからサーフィンの練習
用として44インチの「ロンスケ」を始めました。写真は、三男のサッカーの練習で週3回
行く某大学のだだっ広い駐車場です。三男のサッカーの練習場横のこの駐車場は、適度な
スロープがあり、平日の夕方は、ほぼカラっぽの状態。三男のサッカーの練習中、一人で
10~15分程ロングボードの練習をし、その後は車の中で仕事をすることが多いです。先日、
派手にこけました。誰も見ていなかったらいいのですが。そのうち「変なオヤジが下手な
スケボーしてる」とカメラで監視する警備員の目に留まるかもしれません。残念ながら
アメリカの夏時間はもう直ぐ終わります。照明設備のない今のサッカーの練習場は他の
場所へと変更となるはずです。雨期も直ぐに始まり、スケートボードの練習もこの先は
分かりません。


大変長くなりました。最後は家族の写真となります。




今年の夏も庭のつるバラを家族と共に楽しみました。




お花見バーベキューです。




焦がしてしまいましたが、この日はスペアリブでした。美味しかったです。




食べている時は無言の3人。




家内も加わり「ハイ、チーズ。」次男の手には山盛りどんぶりご飯です。彼のコロナ帰省
中は、一日に炊くご飯は朝5合、夕方に5合で計10合。9月に大学に戻り、今は5合です。
(肉類のおかずがある時は特に)白いご飯がないと生きてはいけない次男です。現在は
アパートで自炊の生活。ご飯は毎日炊いているようです。




全く別の日です。知り合いの方からいただいたサンドイッチのセットに、料理好きの次男
がスライスして揚げたポテトを添えて週末、家族5人、庭で昼食。美味しくいただきまし
た。奥にチラッと見えるのは、私のお気に入りの IPA のひとつです。




夏の終わりのリンゴ。秋も足早に去っていきます。先日大雨がありました。冬の訪れも
近く、後一ヶ月もしないうちにホリデーシーズンが始まります。


以上でした。ここまで目を通していただいた方、お疲れ様でした。


次回は時系列で、造園プロジェクトについて更新しようと思います。その後、三男の日本
語補習校卒業についてか、短い2020年と2021年のハイライトにいたします。


60 + 30 = 5

2021年01月30日 | 一般
更新です。

まだまだ混沌 (2) でBLMについて書き綴る予定でしたが、ご存知の通り、大統領選絡みで
1月6日に首都ワシントンDCでトランプ支持者による国家議事堂占拠というあるまじき
事件が起こりました。コロナも収束の兆しは見られず、続く混沌を少しフォーカスし
直して後日改めてカバーいたします。

さて、今回の訳の分からないタイトルですが、今月上旬、結婚30周年を迎え、その2週
間後に還暦となりました。60歳です。本ブログを読んでいただいている見ず知らずの方は、
「えっ?そんなジーサンだったの。」と驚かれたかもしれません。今回は、5人家族の
親父である私自身について書き綴ります。

結婚は29歳の時。上述の通り誕生日は近く、直ぐに30歳になりました。新婚生活は大学
院に通いながらサンフランシスコで。家内も私も子供好きでしたが、暫く子を授かる
ことはありませんでした。これも運命かと諦め、家内は大学に通い始め、夫婦それぞれの
人生設計をたてつつありました。そこで長男を授かりました。結婚7周年の後です。その
3年後に次男、そのまた3年後に三男誕生。子供は諦めていたのに息子3人。有り難い
ことです。私達夫婦の人生の進路は大きくシフトしました。

私自身が姉と弟の一姫二太郎の家庭で育ったため、家内から三男の妊娠を知らされた時は、
何となく三人目は女の子かなと先入観を持っていたような気がします。家内の何回目かの
定期健診でした。担当医からNo.3の性別を教えてもらえるとのことで、長男、次男の時の
ように少しドキドキしながら家内と病院を訪れました。先生は、強いヨーロッパ系アク
セントのある若い白人男性。感じのいい人でした。検診が終わった後、「赤ちゃんの性別
知りたい?」と先生。「勿論!」と私達。もったいぶることもなく、「男の子!」と先生。
家内も私も健康な子であれば、性別はどちらでも構わなかったのですが、かすかに「えっ」
という表情を見せたかもしれません。若い先生は、そこを見て取ってかどうかは分かり
ません。一瞬間をおいて写真の一部を指さし、「ここ、どー見ても男の子でしょっ!」 
3人で大爆笑。家内と私の3人息子の親になる覚悟が出来ました。

家内が子供のころは活発で仲間のリーダーになるようなタイプだったそうですが、私自身
は少し内向的な子供だったような気がします。息子達がそれぞれ産まれた時、おとなし
過ぎる子だったらどうしようなどと余計な心配もしました。3人ともスポーツ好きな活発
な子に育ち現在に至ります。自身がスポーツ好きの私にとりましては出来過ぎでもあり
ました。

昔、父親が還暦を迎えた時、少なからずショックでした。そして、自分の順番がまわって
きました。長男の頃はあまり感じませんでしたが、三男の現地校、補習校の友人の父兄の
方々は、誰もが半世代からひと世代若い方々ばかりです。余計に自分の年齢を感じさせ
られます。留学生の頃も含めてアメリカでの30数年を振り返りますと、東洋人は良くも
悪くもどうしても若く見られ、「自分は実際の年齢より若いんだ」という錯覚がずい分
長い間、自分の中に居座っていました。40代の半ばあたりだったと思います。家族で
ショッピングモールに買い物に出かけ、待ち合わせ場所と時間を決め、二手に分かれま
した。自分の用事が終わって少し早く待ち合わせ場所に戻り、広場で腰をおろして家内と
子供達を待っていた時です。ふと視界の隅に、疲れた顔をしたさえないオッサンがいる
ことに気が付きました。何のことはない、ショーウィンドウに映った自分でした。少し
ショックでしたが、自身の年相応のナリを正しく知ることが出来ました。

40代、50代は、膝、肘、腰、肩など、若い時に無理をしたツケであちこちにガタが出始め
今もひきずっています。関節以外では、50代のある日、突然出てきた老眼、そして昨年の
ある朝、洗面所の鏡を見た時に気が付きました。ほうれい線の下に日本列島とカリフォル
ニア州のように左右対称に向き合う弓状の見慣れない線が・・・。「これが世間で言う
マリオネットラインかっ!」重たい一日のスタートでした。「北カリフォルニアのじー
さん」になる日も遠くはないようです。

外見と体のガタについては年相応でしょうか。内面はと言いますと、同年代の方々と少し
違うような気がします。日本では年を取ると丸くなると言いますが、私の場合、角が
どんどん研ぎ澄まされきています。全然丸くありません。アメリカで生活をしているせい
などと、そんな失礼なことは言いません。私の性格からくるものと思われます。この先、
無理に丸くなるようなことはせず自然体。暫く尖ったままでいようと思います。きっと
時期がくれば私でも丸くなれるのではと。将来、融通の利かない頑固じーさんになりそう
ではあります。

還暦と言いますと、そろそろ定年退職、子供の結婚等の話が出てくる年齢ですが、私は
無縁です。次男が本人の希望通り Medical School に進みますと卒業は、6年後。三男は
将来の進路は法律関係を考えており、Law School への進学が必要となります。もしそう
なりますと、大学院卒業まであと9年。当分、走り続けます。


わずかですが、写真です。





誰もが若かった頃。私達夫婦のスタートでした。




7年後に長男誕生。




その3年後。




そして3年後。息子達の寝顔にはずい分と助けられました。仕事が大変な時期もあり
ましたが、夜、彼らの寝顔を見て疲れも吹き飛んだものです。




結婚30周年記念日。




約2週間後の私の誕生日です。我が家では家内に誕生日の料理とデザートを事前に
リクエストします。息子達は、手巻き寿司、タラコパスタ、トンカツ等。そしてデザート
につきましては、3人とも間違いなくチーズケーキ。私は必ずティラミスです。家内の
誕生日は、昨年は既にパンデミックで無理でしたが、例年、外食でゆっくりしてもらう
ようにしています。




料理は、私は毎年毎年ステーキをリクエスト。今年は500g超の特大を用意してもらい
ました。ド満足です。




家内からのギフトは、前々から飲んでみたかった、ナパバレー
産の Duckhorn カベルネソーヴィニヨン。しっとり美味しかっ
たです。長男からは電動指圧機、次男、三男からはそれぞれ
Tシャツをもらいました。





赤いセーターを着てソファに座り、カメラに向かってニッコリとポーズ。還暦の記念
写真としては悪くありませんが、私の趣味ではありません。長男に頼んで、ファンキー
と言いますか、ヤンキーな写真を撮ってもらいました。場所は、私達夫婦が結婚生活を
始めたサンフランシスコ。息子達がそれぞれ、よちよち歩きの頃から何度となく連れて
行き、今でも時々サーフィンで利用するオーシャンビーチです。視線の先は水平線。
その先遥か彼方は日本です。

恥多き60年ではありましたが、家族を持ち、還暦にたどり着くことが出来ました。私を
支えてくださった皆様、私達夫婦を温かく見守ってくださった方々、人生の半分以上を
過ごしてきたアメリカ、そして大切な日本。ここまで有り難うございました。北カリ
フォルニアより心を込めて。10年後、どこでどのようなじーさんになって何をしている
か検討はつきません。まだまだ家族のために頑張ります。


以上です。


三男のサッカーは、高校、クラブリーグ、共にまだ見通しが立たないようです。造園
プロジェクトは先週末、ようやく終わりました。時間のあるうちに更新いたします。


2021年 明けましておめでとうございます

2021年01月02日 | 一般
明けましておめでとうございます。

世界を揺るがした2020年が過ぎ去り、新しい年を迎えました。

本ブログ、10月中旬を最後に更新はなく、そのまま年が明けてしまいました。Black
Lives Matter について書き綴っていましたが、大統領選が予想以上の接戦となり、私
自身いろいろ考えることがあり中断。そこに、我が家の小さな庭の造園プロジェクト
です。土が柔らかくなる雨期を待って12月より開始し、ブログ更新は完全にストップ
してしまいました。

この後、まだまだ混沌 (2)、2020年ハイライトと続けていく予定です。とは言いまし
ても、2020年はコロナ禍による三男のサッカー・リーグのキャンセルで出来た時間を
使い、我が家の様子はそこそこカバーしています。ハイライトは、サラーっと書き
綴ろうと思います。

元旦について少し触れておきます。コロナ禍です。何年も続いていた3家族合同の
集いは今年もなく、家族5人だけでささやかなお正月となりました。大晦日は、
ぎりぎりまでバタバタしながら、例年のごとく、神棚、両親達の写真の前をお餅、
みかんやらで、お正月用のセッティングに。そして年が明けた後、一年の無事を家族
で祈願し、シャンペン(私だけ)、お茶、ソーダで乾杯です。その後、年は明けて
いましたが、5人で年越しそば。そして録画の NHK 紅白歌合戦鑑賞に移りました。

昨年の元旦のお天気は、曇り空のため初日の出は見ることが出来ませんでしたが、
今年は天気予報では、 Mostly Sunny とのこと。短い睡眠時間にもかかわらず、早朝、
息子達3人を連れていつものサンフランシスコの Twin Peaks へ車を走らせ、見事な
初日の出を拝みました。

別の機会に触れますが、12月に開始した造園プロジェクトは、年内に終わる予定で
した。ド素人です。残念ながら計画通りには進みませんでした。元旦はゆっくり
したかったのですが、少しでも早く終える必要があり、朝、家族でおせち料理をいた
だいた後、私はスコップを持って直ぐに庭でフル稼働。凄い一年のスタートです。

2021年はどのような年になるのでしょうか。主要国でコロナ・ワクチンの供給が始まり
ました。但し、この先、短期間でコロナ禍が終息するとは思えず、まだ少し試練の日々
が続くかもしれません。健康、日々の生活、経済、そして人々の心に安らぎが一日も
早く戻ることを願っています。


わずかですが、写真です。




2020年のクリスマスカード兼2021年の年賀状です。長男、次男の母校、三男の高校で
撮影しました。オープンキャンパスのため、学校閉鎖、遠隔授業ではありますが、部分
的に学校の敷地内に入ることが出来、校舎前でパチリ。3人きれいに並んでいるように
見えるのは、立っている場所が少し傾斜しているためです。右端の次男の背が一番高く、
三男、長男と続きます。




Twin Peaks。ご来光を待ちます。ご覧のように場所は例年と少し違います。パンデミック
により頂上への道路は通行止めとなっていました。車を駐車し、見晴らしが良くなる
ところまで徒歩で移動してスタンバイ。次男、三男は、iPhone で初日の出を撮影。長男は
重たい一眼レフとズームレンズを携えて行きました。




お天気に恵まれました。良い一年となりますように。




3人とも一年の目標は立てたそうです。




来年は車で頂上まで上がれると信じています。


以上です。今月中に Black Lives Matter について更新いたします。


本年もどうぞよろしくお願いいたします。


まだまだ混沌 (1)

2020年10月16日 | 一般
更新です。

例年のように今年も暑さのぶり返しが続きます。それでも、庭から見えるご近所の
大きな木は、その先から葉の色を少しずつ変え始め、北カリフォルニアも秋への衣
替えが始まっています。

さて、大統領選が近づくアメリカは、相変わらず大きな問題をいくつか抱えて混沌と
しています。既に報道されているニュースをまとめても仕方ありませんが、自分の
視点から主だったものを記録に残しておきたく、我が家の Update と共に敢えて書き
留めておきます。

コロナ - その後

春から続くコロナ禍は、第二波と呼べるのか、感染者数はヨーロッパのような減少を
見ないまま、6月から7月に大きな増加がありました。グラフの棒線は一旦下がり
かけたものの、8月以来じわじわと右肩上がりで延びてきており、5月以前のレベル
に戻るのはずっと先になりそうです。アメリカ国内の感染者数はほぼ800万人。冬の
更なる感染拡大が心配されます。3月に他州に先がけ「Stay at Home」を実施した
優等生であるはずのカリフォルニア州は、何をどこでどう間違えたのか今や感染者数
は、不名誉な全米トップとなりました。誰もが関心のある新型コロナウィルスのワク
チンはと言いますと、アメリカでも春よりずっと官民一体で取り組んでいますが、
通常は一年半以上をかけて準備されますので、従来のステップを特別に短縮したと
しても時間はかかります。トランプ大統領は、国内の供給開始を11月の大統領選に
間に合わせたいため、絶えずプレッシャーをかけてきました。しかしながら、安全面、
ロジスティックスを考えるとそれは難しく、ワクチン生産における政府代表機関で
あるFDA(Food and Drug Administration - 食品医薬品局)は、ワクチン開発中の
どこの製薬会社にも安全面クリアの GO サインを出していません。供給は2021年の
春あたりからぼちぼちとの話があります。どうでしょうか。後ほど触れますが、10月
2日にトランプ大統領自身の新型コロナウィルス感染が発表されましました。

我が家は、次男のコロナ禍帰省の後、家族5人フルハウスの生活が続いています。
日々の生活は、家内以外は皆、家にこもって仕事や授業、外出時には、消毒スプレー
を携え、マスク着用。もう慣れました。コロナ禍によるテレワークや遠隔授業で、
今まで以上に人々の生活の生命線となったインターネット、私達家族にとっても同じ
です。幸い私の仕事が2年以上前にテレワークに切り替わった時点で、一般的な
サービスから光回線にアップグレードしていました。(日本では当たり前の仕様で
しょうか。)家族を余裕でカバー出来ると思っていましたが、4人、時には5人が
同時に会議や授業となりますと、さすがにアクセスに影響が出ることもしばしば。
お互い注意しながら使っています。

三男が所属するサッカーリーグは、当初8月下旬よりシーズンを開始する予定でした
が、コロナは収束の兆しを見せず、年内のリーグ戦は絶望的です。チームの練習は
週3回。練習が再開した8月、三男のチームは全員が久しぶりに顔を合わせました。
親はフィールドに入ることは許されず、駐車場から様子を伺っていると見慣れない
子が数名。コロナ禍で理容室は暫くの間、通常の営業は許されず、長髪になった
チームメートがいました。真面目なチームであることは変わらず、欠席も少なく皆
コツコツと練習に励んでいます。使用するフィールドは、所有・管理する市や郡の
衛生面のチェックも厳しく、クラブ内では細かく取り決めがあり、どのチームも
ルールに従い協力しています。春以前は、練習場へは、行きが夕方のラッシュアワー
のピーク時で1時間、練習終了後は夜になり、帰宅には40分程度をかけました。今
では世間は仕事も学校も遠隔が多く、道路もずい分すいています。行きも帰りも
かかる時間は片道わずか35分。これは本当に助かっています。

コロナ関連のニュースは春より絶えず注意してチェックする習慣も身に付きましたが、
家内の「お母さんネットワーク」もさることながら、長男からの情報にも気を付ける
ようになりました。郡が発令した「Shelter in Place」、その後直ぐに続いた州の「Stay
at Home」の前でした。「友達から連絡もらったけど、州兵に登録している身内の所属
部隊の配置が始まったって。直ぐに Lock Down になるから、生活必需品は今から確保
しておけって。」と長男。州兵の配置は、非常事態下の医療機関のサポートや治安維持
のための準備だったと思います。翌日に郡、その直ぐ後に州が、それぞれ上述の外出
規制を発表。我が家は若干出遅れましたが、最低必要なものは確保。瞬く間に消毒関連
商品、トイレットペーパーが商品棚から消えました。そして先日、再び長男より。週
一回利用する某食料品チェーンの最寄りのお店についてでした。「あそこの店、昔
バイトしていた友達が、全然公表されていないけど、従業員の中で感染者がもう何人
か出てるから気をつけろって。」家内は買い物リストの書き換えが必要でした。

学校

長男、次男の大学の新年度は、遠隔で開始することがずい分前に決定され、次男が南
カリフォルニアの大学キャンパスに戻るのは「早くても」年明けの一月となります。
三男の高校のクラス再開については、学区の教育委員会が、父兄へのアンケートも
含め、夏休み前からかなりの時間をかけて協議してきました。当初、時間と人数を
割り当てて生徒を登校させ、その一方で遠隔で授業を行う「ハイブリッド」が計画
されていましたが、新年度が近づき変更。遠隔授業一本です。家内が勤める幼稚園は、
短い夏休みの後、先生、子供達が戻ってきました。こちらは、園児が小人数のため
十分な体制をとり、対面、遠隔のハイブリッドで臨むこととなりました。先生達の
朝の園児の出迎えは体温チェックで始まります。そして日本語補習校。校舎を貸して
くれる学校が遠隔授業を決定していますので、安全面を考慮すると、とても第三者に
週末の校舎使用を許可するはずはなく、夏休みの後も遠隔授業です。

学校の再開については、全米で熱い議論が繰り広げられ、現在も続いています。感染
状況は、州は勿論、同じ州内の学区でも異なりますので全米で統一する必要はありま
せんが、トランプ大統領が全米あげての再開を迫りました。議論が続く7月上旬、
トランプ大統領は、いつもの Twitter で「ドイツ、デンマーク、ノルウェー、スゥエ
ーデンや他の多くの国では学校の再開に問題は見られない。」「再開は子供達や家庭
にとって重要なのである。教育予算を削るかもしれないよ!」とまずは脅しのジャブ。
8月上旬、全米の35にもおよぶ学区で教師達による学校再開反対の抗議がありました。
その直後、トランプ大統領の Twitter は少しトーンを変えて「学校を再開させろぉ!!!」
でした。トランプ大統領のこだわりは、勿論、経済面、そして働くお母さん方の票を
狙う、自身の大統領選再選を考えてのことです。7月の時点で学校再開に関し、知事と
学区の教育委員会の間での意見の食い違いはあちこちの州で見られ、肝心の子供達、
先生、父兄は落ち着かない状態が続きました。トランプ親分の意思を忖度する従順な
共和党知事たちは、現場の状況よりも経済再開に目が向いていたようです。

そして8月。アメリカの新年度です。州や学区、学校により、遠隔授業であったり
教室で対面授業・講義に戻すところもあったりとまちまちですが、多くは再開に躊躇
しました。新年度開始直後、案の定、再開させた複数の大学ではキャンパスでクラス
ターが発生し、直ぐに遠隔授業に切り替えました。新年度早々に大きなパーティーを
Social Distancing を無視して開いた学生達が退学処分になったり、ある大学では、既に
感染している学生をパーティーに招き、他の健康な学生の中で誰が最初に体調を崩すか
お金を賭けたりといったとんでもないニュースも報道されました。既に全米で40,000人
を超える大学生の感染が確認されているようです。小中高では、学区によりこれから
再開に切り替えるところも多いと聞きます。統計上、感染する確率が高いのは、子供達
より教師や職員の大人。学校再開は慎重に進めるべきです。

マスク

以前、本ブログで欧米と日本のマスク着用に対するとらえ方のギャップについて触れ
ました。元々マスク着用への抵抗が大きかったアメリカですが、まだ一部の人達の間
で引きずっています。私が住む地域では、食料品やちょっとした買い物をする際、
店の中や外は勿論、駐車場、そして通りで見かける歩行者、誰もがマスクを着用して
います。共和党の知事の州でも、以前と比べマスク着用を義務付けるところは増え
ました。一方、国内で行われた最近のあるアンケートでは、回答者の75%が外出時は
必ずマスク着用、25%は No とのことです。着用しない25%はと言いますと、やはり
トランプ大統領の影響が大きいのではないでしょうか。マスク着用を軽んじる発言や
行動を繰り返し、先月の両党大統領候補の第一回めの討論会では、バイデン候補の
マスク着用を馬鹿にしていました。トランプ大統領の振る舞いが国民に与える影響が
大きいことは言うまでもありません。大統領選が近づき活発になったあちこちの州での
共和党集会や資金集めのイベント。ニュースの映像に映る支援者の中では、マスク
着用は徹底されていません。また、世間一般では、店の規則に従って客にマスク着用
を促した店員に対して男女問わずいい大人が激怒し、相手を罵倒し、侮辱し、時には
暴力をふるう。よくあるニュースです。

未だにマスク着用を受け入れられない人が大勢いる。このことが世界一の感染国と
なった唯一の原因ではありません。介護スタッフや医療器具が不足していた高齢者の
養護施設、規定収容人数をはるかに超える刑務所内での集団感染、また医療保険も
持てず、体調を崩しても、生活のためにただ働き続けるしかない大勢の人達。コロナ
以前の問題でもあります。前述の大学のパーティーも感染者の数字を押し上げています。
一方、マスクは感染を防がない、着用を強制されるいわれなどないといった認識が一部
の人達の間でまかり通っていることも、日常の生活の中で影響を及ぼすことは間違い
ないと思います。マスクによって飛沫を防ぐ。最も重要な機能でありますが、上述
25% の回答者は信じていないのか、重要とは捉えていないようです。それでは彼らが
人一倍 Social Distancing に気を付けているかと言いますとどうでしょうか。疑わしい
ものです。メディアの映像では、 Social Distancing を無視したパーティーや大勢の
人達が賑わう場所でのマスク着用は稀です。(メディアが誇張している可能性がある
ことは注意が必要ではあります。)要は感染防止に関心のない人達にとっては、マスク
だろうと、飛沫を防ぐ距離だろうと関係がないようです。

マスク着用は、Social Distancing 、消毒、手洗い同様、外に現わす行動に過ぎません。
大事なのは新型コロナウィルス感染に対する危機感と捉え方であり、その度合いが
75% と25%に表れているのかもしれません。トランプ大統領のこれまでの発言や行動
は、一部の人達の危機感を低下させました。また、合衆国憲法修正で謳われる「自由」
が、外出する自由、マスクをしない自由への解釈の後押しもし、あちこちで州や市を
相手取った訴訟がありました。自由と権利か、公共の安全か。いろいろな解釈は出来
ますが、危機感を持って行動に移す。今、アメリカが必要なことのかなと思います。

9ヶ月を振り返り

1月にアメリカ国内で初の感染者が確認され、同月末に WHO が新型コロナウィルスに
ついての声明を出しました。ホワイトハウスの先を見越した積極的な対応がないまま、
3月には WHOが COVID-19 を「Global Health Pandemic」に格上げ。アメリカ国内は、
4月には爆発的な感染拡散に至りました。FOX News を除いたメディアに、事あるごと
にやり玉にあげられても動じることのなかったトランプ大統領。国民を必要以上に不安
に陥れない自信に満ちた姿勢は、リーダーに求められるものではあります。しかし、
実際のところ、ここまでのコロナ対応は、「・・・」といったものが多かったと思い
ます。気丈に構えることも大事ですが、一国のリーダーとして最悪のシナリオを考慮に
入れて、その対策も然りです。マスク着用、学校再開への姿勢は前述の通りです。また、
トランプ大統領が一時期メディアに向けてよく使った「China Virus」は、アジア系国民
へのバッシングを煽りました。(中国政府の悪びれたところがない態度と、自国の感染
拡大防止対応への自画自賛には、確かに世界中の誰もが腹を立てていたとは思います。)
そして Twitter で発信されるメッセージについては触れるまでもありません。

世間で良く言われていたのが、トランプ大統領は専門家の進言に耳を傾けない。裏を
とっていない情報を堂々と国民に発信する。大変危険であり、後々混乱を招きます。
新型コロナウィルスは奇跡のように消えてなくなる。感染テストを受けたい人はいつ
でも受けられる、ワクチンは間もなく準備が出来る等々。どれも事実ではありません
でした。トランプ大統領とコロナ関連の政府代表機関であるCDC (Centers for Disease
Control and Prevention - アメリカ疾病管理予防センター)、そしてホワイトハウスの
コロナウィルス特別委員会のトップであり、NIAI( National Institute of Allergy and
Infectious Diseases - 国立アレルギー感染病研究所)の所長でもある Dr. Fauci との
コミュニケーションはずっとギスギスしたものでした。

アメリカに限ったことではないかもしれませんが、コロナ対策では、とかく政治が事を
ややこしくしています。「Science vs Politics」は春以来あちこちで耳にする言葉です。
「Stay at Home」、マスク着用義務等の規則、取り決めは、合衆国憲法に沿って、連邦
ではなく、州、市のレベルで出されました。そこでは、様々な州で共和党と民主党の
つばぜり合いがあり、時にはトランプ大統領も参加して事を複雑にして現在に至ります。
共和党知事 vs 民主党市長、大統領 vs 民主党知事等々。以下はその例です。全米規模で
「Stay at Home」が続き、いくつかの州では、感染拡大が落ち着いてもいないのに、
武装極右グループを含めた大勢の人達が州庁舎に抗議に押しかけて騒然となりました。
トランプ大統領は直ぐにTwitter でそれぞれの州の抗議を煽る「ミシガンを解放せよ!」
「ミネソタを解放!」「ヴァージニアを解放!」のメッセージ。どの州も知事は民主党
でした。次に、感染者数が全米トップクラスに入るジョージア州のアトランタ市長
(民主党)が行政命令として市民のマスク着用義務を発令しました。州知事(共和党)
の遅い対応に業を煮やしての行動です。直ぐに知事が異議を唱えました。合衆国憲法
では州レベルの決定が市よりも優先されます。その後、州知事がアトランタ市長と市
議会を相手取り訴訟を起こし、すったもんだの末、何とか落ち着きました。

我らがヒーロー保安官

コロナ禍における二党間のズレ以外で興味深かったのが「Sheriff」達の対応です。アメリ
カで法執行機関、要するに「警察」の役目を担うのは、主に市や町を管轄とする「Police
Officer」、より広い郡をカバーする「Sheriff」、 そして州全体を管轄し、州内の道路で
スピード違反を取り締まる「Highway Patrol」としても知られる「State Trooper」となり
ます。それ以外では、役割も異なり連邦レベルとなりますが、「FBI」、「Marshal」等が
あります。さて、私の目を引いた「Sheriff」、和訳は「保安官」となります。トップは
基本的にそれぞれの郡の選挙で選ばれる役職となり、与えられる権限も大きくなります。
雇われ警察署長は市長により免職されることもありますが、Sheriffのトップは、市長でも
知事でも挿げ替えることは出来ません。

5月でした。アリゾナ州のある郡の Sheriff は、州知事から発令された「Stay at Home」
の指示に対し、遵守はするが違反して店の営業を続けている人々に対し、自分は罰金を
科さないと公に発言。「市民の生活が第一。俺は見逃すから皆さん今まで通りお仕事を!」
ということです。翌月、本人にCOVID-19 陽性反応が出ました。感染したと思われる
イベントのビデオでは、誰もマスクはしていなかったとのことです。6月にはミシガン
州知事が、州内の住民に、店舗や人が込み合う屋外の場所では、マスクを着用するよう
義務付けましたが、ある郡の Sheriff オフィスがマスクをしていない人を見かけても咎め
ないと発表。その後、テキサス州、ノースカロライナ州、ニューメキシコ州、ネバダ州、
カリフォルニア州、フロリダ州内のいくつかの郡の Sheriff も州知事のマスク着用義務の
取り決めに従わないことを公にしました。もし、市の雇われ警察署長が同じことをしたと
すると直ぐにクビですが、彼らの行動は、誰に咎められることもなくSheriff の裁量として
まかり通ってしまいました。自分達が合衆国憲法上で違憲と判断したならば、連邦、州の
指示であっても従わないぞといった動きが、全米の Sheriff の間で出てきているようです。
市民の安全か、それとも生活の維持と自由か。上述の Sheriff 達は後者を選びました。彼ら
の再選は堅いと思います。アメリカのコロナ対策における、もう一つの不協和音です。

トランプ大統領感染

10月1日。トランプ大統領の側近の一人のコロナウィルス陽性反応が確認され、翌日
にはトランプ大統領自身と夫人の陽性反応の発表がありました。その後、大統領と接触
のあった上院議員3名、ホワイトハウス付けのジャーナリストも含め30名以上の陽性
反応が確認され、まだ増える可能性はあります。専門家の声に耳を傾けることもなく、
軽く見ていた病に自身が伏し「己の失敗のシンボル」、「スーパー・スプレッダー」と
呼ばれ、 その後 Reed National Military Medical Center に入院し、精鋭医療チームに
より24時間の徹底した治療を受けました。ステロイド系抗炎症薬を含めた3種類の薬剤が
功を奏したのか、10月5日には退院してホワイトハウスへ。Twitter では「COVIDを恐れ
るな」と自分の健康回復をアピール。この時点で全米で21万人の犠牲者が出ていました。
亡くなった人達の親族の神経を逆なでする自分勝手なメッセージはひんしゅくをかいま
したが、本人はお構いなしです。「Black Lives Matter」で全米が抗議デモで荒れていた頃、
ホワイトハウス前の公園を隔てた教会で聖書片手にポーズの写真パフォーマンスがあり
ました。今回も大統領専用ヘリコプターでホワイトハウス前に降り立ち、バルコニーから
報道陣に向かってこれ見よがしにマスクを取り、その後に敬礼付きのサービスです。タフ
な大統領であることを国民に知らしめたかったのでしょうが、映像で見る姿は、呼吸は
安定せず顔色は不健康そのものでした。ここ数日の再テストの結果は全て陰性で自分には
免疫が出来ているとのこと。中断していた大統領選キャンペーンツアーを再開させました。
先日のトップバッターのフロリダ州は空港の特設会場。Social Distancing 無視の集会では
支援者を前にマスク無しで一席ぶって満員の会場を沸かせました。テスト結果からは、もう
他人を感染させることはないとの専門家の話ですが、どうなんでしょうか。本人に反省の
色は全く無く、既にフルスロットルです。困ったオッサンです。

定まらないベクトル

大統領選が近いこの時期、民主党と共和党が手をつないで共にパンデミックに立ち向かう
といったことはまず不可能です。まして現職の大統領がトランプとなれば猶更ではないで
しょうか。そして非常時は、現場に近い市長と、州全体を見渡さなくてはならない州知事
の間に壁が出来易くなり、それぞれが所属する党の組み合わせによっては、いがみ合いが
発生します。トランプ大統領はやはり特別ですが、ひょっとして大統領が誰であっても
似たような状況だったかもしれません。そして、一部で根強く残るマスク着用、「Stay at
Home」の義務付けを違憲とする解釈。それに加え、いざとなれば連邦、州の取り決めから
自らを脱線させる Sheriff も全米のあちこちの郡に存在し、元々国を挙げてコロナに立ち
向かう体制は取れなかったような気がします。ウィルス拡散を封じ込めようと努力する人達、
感染を他人事のように受け止めている連中、経済再開が最重要である政治家。ベクトルが
乖離している間は、とても国が一丸となって COVID-19 収束に向かうことは不可能です。
先は長そうですが、まずは大統領選が終わるのを待ちたいと思います。


写真です。

コロナとは直接関連はなく、数はありませんが、取りあえず我が家の身の回りの写真です。





家内の書斎の天井です。この部屋は、平日は朝から三男が遠隔授業で使用。以前、背景の
整理棚を隠す「ついたて」を用意しましたが、あまりにみすぼらしく、カーテンを取り
付ることにしました。天井は、アメリカの家屋によくある乾式壁であり、ネジ、クギは
簡単に抜けてしまいます。ネジ穴のソケットを電気ドリルを使って埋め込み、カーテン
レールの留め金をネジで固定。作業は2時間でした。




完成です。午後に三男の授業は終わり、夕方は、家内による幼稚園児の日本語補習授業が
遠隔で行われます。




家内が使用する教材です。受け持ちは何名かいて、一人一人のレベルに合わせた授業を
行います。準備はかなり大変なようです。




今や遠隔授業を行う学校の先生の間では必需品のカメラです。真上から教科書やら絵本を
とらえ、コンピューターのモニターに映しだします。




こちらは、遠隔授業、幼稚園、両方の小道具作製に必要なペン類です。




次男です。病院で医師、看護師が着用するScrubを身にまとって撮影。大学が夏休みの間、
看護師助手の資格取得のコースを週末の土、日を使って民間の医療学校でとりました。別
に家内や私からの指示ではなく、「この先、いろいろな場所でパンデミックの時に何を
していたか?という質問を必ず受けるから、医療に関連したことをしておきたい。」と
本人。もっともです。2年前にお世話になった大学研究室のインターンは、かなり早くに
問い合わせましたが、コロナ禍で一切受け付けないとのことでした。2ヶ月のコースは
既に修了。資格試験はコロナの影響で前の数クラスがずれこんでおり、この秋に受験だ
そうです。




平日のお昼に家内は幼稚園。昼食は、いつの間にか次男の当番となり、材料さえあれば、
シャカシャカと家族の分を作ってくれます。写真は、ある週末の夕食。新鮮なアサリが
手に入り、次男によるパスタとなりました。白ワインを使わず日本酒、そして外出もない
ためニンニクをふんだんに使って炒めました。家族5人「しあわせー。」美味しかった
です。




こちらは、三男の当番。日曜日の朝食です。手のひらサイズを20枚。そのうち10枚は
三男が平らげます。自身の大好物であり、何枚焼いても苦にはならないようです。私も
時々焼きますが、焼き加減は三男のようにはいかず、焦げだらけ。




三男の週3回のサッカーの練習です。少し見ない間にチーム内の身長の番付はかなり
変わりました。




サーフィン。三男、首をボードでぶつけて戻ってきました。パンデミックが始まった
春から本格的な体作りに目覚め、サッカーの練習がない日は、走りこんでウェイト・
トレーニングで約1時間半。過去にはありませんでしたがコツコツと続け、知らない
間に10キロ減量。その後、筋肉がつき始めました。次男は、大学に入ってから、肩幅
が広くなり胸板もずい分と分厚くなりました。今では三男の方が腕は太いようです。
写真で着ているウェットスーツは、背中にジッパーがあり、以前は、その先について
いるヒモを引っ張って一人でも着れましたが、今は上半身がごっつくなり過ぎ、手伝い
が必要になりました。まだまだ成長過程です。




三男、先日はフィンをぶっ壊しました。修理代は100ドル。高くつきます。




あっという間の夏でした。庭のプラムです。




その後はリンゴでした。来年の夏は平常に戻っていることを願います。



以上でした。次回は、アメリカが引きずる「Black Lives Matter」について書き綴ります。


2020年の思い

2020年06月07日 | 一般
更新です。

2020年も直ぐに半分にさしかかります。ようやく、2019年のハイライトと
なるはずでしたが、アメリカは荒れています。とても、ここをとばして
「昨年は・・・」と書き綴る気分にはなれず、ハイライトは「更に」先に
延ばします。

本ブログ、元々は日本の身内、友人への近況報告、自分のための記録を
目的として始めました、この先も同じスタイルを続けます。ひょっとして
アメリカ在住の方に読んでいただいているようでしたら、前回や今回の
内容は当たり前のことばかりかもしれず、ご了承ください。

現在全米に広がる抗議デモは、手錠をかけられて抵抗出来ない黒人男性が
ミネアポリスの警官に膝で首を押さえつけられ窒息死した事件から始まっ
たものですが、アメリカ全土の黒人の怒りが頂点に達するまでにはそれなり
の経緯がありました。白人警官により命を落とした黒人のニュースは決して
珍しくはなく、過去、何度となく大きな社会問題になっています。1992年
のロサンゼルス暴動は、少し前の更新で触れました。2012年には、黒人の
高校生を自警団員の白人男性が射殺するという事件が起きました。白人
男性は起訴されたものの、翌年、自己防衛が認められ判決は無罪。全米の
黒人の間での憤りは計り知れないものがありました。この後「#Black Lives
Matter」のスローガンが生まれ現在に至ります。

これまでも、黒人に非もなく白人警官の犠牲となった事件に対する抗議
デモはしばしば行われてきました。今回、ミネアポリスで抗議が暴動と
なり、その後直ぐに全米に広がったのは、過去の不平等な数々の事件に
加え、やはりコロナ禍によるところが大きいと言われています。人種別
統計を見ると、COVID-19で一番犠牲者が多かったのは、生活、医療環境が
悪く所得も低い黒人でした。更に政府の「Stay at Home」規制によって
でた失業者の数も白人を大きく上回りました。どうして自分達ばかり・・
といった不満がかなり鬱積されていたと思います。そこにまたまた世間の
注目を集める事件が続きました。

南部のジョージア州で黒人の男性ジョガーが白人の親子に窃盗の疑いを
持たれて車で後を追われ、もみ合いになったあげく、息子がショットガン
を発砲。計3発を受けて黒人男性が命を絶ったのが2月。検察局の取り
調べが始まったものの、白人親子の父親が元警官、検察局の捜査官であり、
事件の担当となった検察官と過去、仕事でつながりがあったことを理由に
検察官が二度も変わりました。その間、親子は何の罪も問われることなく
自由の身です。二人目の検察官は、交代に際し、黒人男性が先に仕掛け、
白人の息子からショットガンを奪い取ろうとした。発砲は身を守るために
正当なものであるといった内容の文書を残しています。

ところが、5月に入って一部始終を収めたビデオがネットで出回り、瞬く
間にアメリカ中に非難の嵐が沸き起こりました。もともとからあった地元
の黒人住民の抗議に世間の圧力が加わり、ようやく事件が地方検察局から
州の捜査局に引継がれ、白人親子の逮捕に至りました。ビデオが出てこな
ければ間違いなくそのままだったはずです。この時点で全米の黒人市民
だけではなく、人種差別に対する世間の怒りもかなりのところまできて
いました。

そして、ジョージア州の事件のビデオが出回る前の3月。ケンタッキー州
では、ノックもなく、身分も明かさず薬物の捜査でアパートに入ってきた
私服警官を強盗と思い、黒人男性が発砲。警官が応戦して発射した銃弾の
いくつかを住人であるガールフレンドの黒人女性が受けて死亡しました。
結局、薬物は見つからなかった上、ボディーカメラも付けていなかった
警官は罪に問われませんでした。(その後、暴動の影響もあり、FBIが捜査
に入ることになりました。また、つい先日、同じ市で別の事件があり、
黒人男性が警官の銃弾により命を落としました。現在詳細について捜査が
進んでいます。尚、発砲した警官はボディーカメラを着けていましたが
スイッチは入っておらず、警察署長が責任を問われて免職となりました。)
この頃、コロナは感染の拡散が始まり、カリフォルニア州、ニューヨーク
州をはじめ、間もなく各地で「Stay at Home」の規制の動きが出てきます。

次に5月下旬の祝日の「Memorial Day」。コロナ感染が爆発的に拡散した
後、複数の州で起こった規制解除を求める抗議デモがようやく落ち着きを
見せ始めた頃です。ニューヨーク市セントラルパーク内の「Ramble」で、
公園で掲示されている規則に従わずに飼い犬を放して散歩をさせていた
白人女性を、バードウォッチング愛好家の黒人男性が注意しました。飼い
主は応じる様子は全く無かったため黒人男性が携帯電話でビデオを撮影し
始めると、その女性はキレてその場で警察に電話。アフリカ系アメリカ人
により自分と自分の飼い犬が危険にさらされている。直ぐ警官をよこして
ほしいとヒステリックに訴えました。黒人男性は一部始終をビデオに収め
ており、その後、その男性の家族によりSNSで世間に公開されます。

後から黒人男性はハーバード大卒で過去にマーベルコミックスで編集にも
携わったインテリと分かり、メディアが好む恰好のニュースとなりました。
もう逃げ道はありません。白人女性は直ぐに時の人となり、勤め先は解雇、
世間からは「Racist」のレッテルを貼られ「Central Park Karen」の名前
までつけてもらいました。

この時点で、黒人市民だけではなく誰もが「またかよ」と呆れかえって
いたと思います。過去、この手のメディアを賑わせた白人女性は、それ
ぞれ世間からニックネームをもらい、「Permit Patty」「BBQ Becky」
「South Park Susan」と例に事欠きません。

さて同日、ミネアポリスです。あってはならない事件でした。黒人男性が
警官に膝で首を押さえつけられ、通行人が見守る中、息が出来ないと訴え
るも、その状態が9分近く続き、その後、意識を失い、病院で息を引き取り
ました。黒人男性の命を奪った警官逮捕に4日も要したのも良く無かったと
思います。手遅れでした。ダムの決壊です。抗議、デモから暴動、略奪に
発展するまでにそれほど時間はかかりませんでした。

現在、抗議デモは、人種に関係なく全米に広がり、略奪、夜間の外出禁止令
は治まったものの、一部の都市では警察との衝突が繰り替えされ、現場に
いた外国人メディアが警官から暴行を受けたり、警官の中では死者も出て
います。そしてヨーロッパはじめ、国外の主要都市でも抗議デモが行われる
までに至りました。荒れた5月28日から6月1日のニュースの映像を見ます
と、その中には複数のグループが存在したことが分かります。政府、警察に
抗議することだけが目的のグループ以外に、器物破損、落書き、放火と、
手当たり次第荒らしまくり、進んで警察隊と衝突していく連中、そして騒ぎ
に便乗して略奪を目的とする卑劣な輩。

小売業者の多くは、コロナ禍規制の間じっと耐えて、ようやく規制緩和で
店を開けようとしたところで暴動、略奪です。またコロナ禍の規制の間、
誰もがお世話になったはずのドラッグストアも略奪のターゲットとなりま
した。腹が立ってしかたがありません。

一方、デモを鎮圧する側の警官が抗議に耳を傾け、中にはデモに向かって
催涙銃、警棒を構えるのではなく、跪いて抗議に同調する姿勢を見せる
様子がここ数日でメディアで見られるようになりました。大きな変化だと
思います。

トランプ大統領はと言いますと、相変わらず責任をなすりつける相手探し
と、これはと決めた相手へのTwitterを介した叱責、非難が目立ち、時には
暴動を煽るような危険なメッセージさえ登場します。先日、大統領が
ホワイトハウスを出て、お供と護衛を大勢連れて正面の公園を隔てた教会
を訪れました。手には聖書。ポーズをとってカメラに向かいハイ、チーズ。
国民へのアピールです。この事態では考えられない行動ですが、もっと
信じられないことが起こっています。教会に向かう際、公園前で静かに
抗議するデモの集団に、警察隊や州兵がこともあろうに催涙弾をお見舞い
して強制的に追いやりました。無茶苦茶です。

全米に暴動が広がった直後、3月のケンタッキー州の事件と5月のミネ
アポリスの事件の被害者の家族がそれぞれ別々に、平和な抗議が必要で
あり、現在の暴動は、故人が望むものではないといったメッセージを
国民に訴えました。全てが治まるまでに、まだ時間はかかりそうですが、
今回アメリカが学んだものは大きいと思います。しかしながら、この先、
もう同じような事件が起こらないかといいますと、正直それはあり得ない
と思います。警官数名による黒人男性への過剰暴行が発端となった1992年
のロスアンゼルス暴動から28年。2020年の教訓も風化し、いずれどこかで
再び爆発。そのような気がします。

まだ夜間禁止令があちこちで出ていた3日前、昨年12月にニューヨーク市
で起こった殺人事件の被告3人のうち1人が罪状を認めました。被害者は
当時18歳の白人の女子大学生、加害者は、13歳、14歳、15歳の男子で、
一人がナイフで女子学生を数回刺して殺害、所持品を奪って立ち去り
ました。罪状を認めたのは最年少。未成年として裁かれます。他の2人は
成人扱いで裁かれることになり名前も公表されています。全米が荒れている
状況であり、ニュースの活字では、犯人の人種について何も触れられてい
ませんでしたが、映像、写真を見る限り、成人扱いとなる2人は黒人でした。

これからも犯罪発生率は人種間で異なり続け、偏見、人種差別は消えない
でしょう。警官の手により命を落とす善良な黒人市民もなくなりません。
1、2年もしないうちに、きっと次の「Karen」がメディアに登場します。
大統領の政策の影響も大きくはありますが、自治体と微妙な力関係が存在し、
組合の影響が強いといわれる警察内の文化は簡単には変えられないと聞き
ます。また、暴動が落ち着きますと、アメリカ国民の焦点は再びコロナ禍に
戻り、何もなかったかのように東洋系に対するバッシングが始まるかもしれ
ません。人種差別が根付く社会構造が簡単に変わるとは考え難いです。

今は、とても住みやすい国とは言えませんが、悲観的には考えたくはあり
ません。家族と共に社会の流れを見据えながら、北カリフォルニアの
お父さんを続けて行きます。


さすがに自分で撮った写真はありません。わずかですが。





「Black Lives Matter」 (写真 © CNN)




ミネアポリスから暴動が始まりました。 (写真 © AP)




ホワイトハウス。催涙弾が飛びます。 (写真 © Reuters)




ホワイトハウスを「テロ」から守る警官隊。 (写真 © WXXI News)




今回の抗議デモの象徴的な跪くポーズ。命を落とした黒人男性、抗議デモ参加者への
警官からのメッセージ。 (写真 © USA Today)




ワシントンDCでの平和に行われる抗議集会。 (写真 © AP)


以上でした。


次は、延び延びになっている2019年のハイライトを。

コロナ禍 いろいろ

2020年05月15日 | 一般
更新です。

延ばし延ばしとなっている 2019年ハイライトですが、日々状況が変化する
コロナ禍について今思うところを書き残しておきたく、更に先に。

先日、2011年につくられた映画「Contagion」を家族全員で観ました。噂の
通り、今の状況を予言していたかのような内容でした。(次男、三男は、
コロナ禍が始まるずっと前に、それぞれ高校で鑑賞させられたそうです。)
このコロナ禍が映画のように早く収束することを願っています。

アメリカ国内の死者の数が世界のトップとなったのが、4月11日。あれから
一ヶ月以上が経った今も出口が見えているわけではなく、連邦政府の目測を
誤った初期の対応のツケが出ています。感染者は世界の三分の一、死者は
四分の一を軽く超えるまでに至りました。

ホワイトハウスの毅然としたリーダーシップがなく、多くの州が3月から
「Stay at Home」を発令したのは周知の通り。地域によって感染状況は
異なり、初めから規制を課さなかった州もありましたが、深刻な地域では
人々に注意を喚起し効果はあったと思います。その後の状況は、州、郡、
市によってまちまちです。そして4月、失業率は過去最悪のレベルに。
しびれを切らした国民のプレッシャーもあり、4月末から5月の上旬に
かけて、多くの州が「Stay at Home」緩和へと動き始めました。カリフォ
ルニア州も5月8日付で、段階付けて規制を緩める「Phase 2」へ移行。
但し、州内 58 の郡は、州政府が提示する条件を満たさない場合「Phase 2」
は適用されず、それぞれ郡や市の規制が優先されます。その結果、私達が
住む「Bay Area」の6つの郡は、「Shelter in Place」を過去二度の延長を
経て 5月31日までとしています。

カリフォルニア州内の教育については、高校以下は学区ごとに、大学は、
University of California、California State University System、私立、それ
ぞれ、地方自治体、または連邦政府のガイドラインに沿って対応してい
ます。我が家の長男、次男の大学の再開のタイミングは、まだ正式な決定
はなく新年度の9月スタートは「?」です。一方、三男の高校は、8月末
の新年度に合わせて再開することが発表されました。アメリカの教育機関
の夏休みはもう直ぐですが、それまでは息子達3人とも、授業、テスト、
全てオンラインとなっています。

三男の高校の学区は、現状を踏まえ、来年度は従来の「ABC」 評価で成績を
出さないことを決定しました。来年の秋に大学進学を控える Junior にとって
は、GPA に影響するため痛手となります。また、University of California
全校を対象とし、SAT / ACT 統一テストの結果を来年度の入学審査では外す
ことを発表しています。これも多くの生徒にとって予定外であり、戦略の
立て直しが必要です。

こうしてブログを更新する私自身の身の回りは、カリフォルニア州で3月に
始まった「Stay at Home」によって三男のサッカーの練習、リーグ戦が無期
中断となり、突然、平日の夕方以降と週末に自分が自由に使える時間が出て
きました。

昔、長男がサッカーをしていた頃は、自宅から練習場所までの距離は短く、
拘束される時間も大したことはありませんでした。そして、次男、三男が
本格的にサッカーを開始。途中、チームや練習場所は変わりましたが、この
10年、平日の練習に車で片道1時間をかけることは珍しくなく、そして、
Bay Area の北、東、南とあちこちで行われる週末の試合、加えて土曜日の
日本語補習校の送り迎え、(頼まれてもいない)チーム・フォトグラファー
として、日曜の夜から平日にかけての試合写真の整理、編集作業。現在
16歳の三男が高校を卒業する2年後にはゆっくり出来ると考え、苦にはなり
ませんでしたが、そこに世界を揺るがす コロナ禍です。長年の慣れた生活
サイクルが変わりました。めったに更新しない本ブログも春のクラブシー
ズン後半のこの時期にこのようにして書き足しています。時間は大事に使っ
ていきます。続けます。

「Hero」

医療機関では、相変わらず大勢の人達が、日々、身を危険にさらして感染
患者と向き合っています。アメリカでは、最前線で働く医療従事者を「Hero」
と称え、また、路線バスの運転、スーパーマーケットのレジ、宅配便の倉庫
業務、配達、精肉加工等、一般の「Stay at Home」の人々に比べてウィルス
の感染確率が高い環境で働く「Essential Workers」にも感謝の意を示してい
ます。

もう数週間前のことですが、あるニュースサイトの記事が目に留まりました。
大手スーパー・チェーンのレジで働いている人が書き下ろしたものでした。
記事の内容は、今まで世間からあまり注意を払ってもらうことのなかった
我々を「Hero」として認めてくれるのは嬉しい。しかし、それはただ単に
我々を搾取することを正当化する自己満足ではないか。感謝してくれるので
あれば、店に足を運ぶ頻度、買い物は最小限にとどめてほしい。それにより、
我々従業員のウィルス感染の可能性をわずかでも抑えることが出来る、と
いったものでした。コロナ禍の中、懸命に働く人の声でした。

国内でウィルス感染が広がり、 Amazon で職場環境の改善を訴えた職員4名
が時間を隔てて(表向きは他の理由で)解雇になっています。Costco では、
CDC (Centers of Disease Control and Prevention) の提言にそって買い物客
への店内でのマスク義務付けを発表したところ、マスク着用を嫌う客により、
SNS上でボイコット運動が始まりました。また、全米あちこちで、店の規則
にそってマスク着用を促した従業員が、買い物客から暴行を受けたり、罵声
を浴びせられたりといった報道がされています。腹を立てている人達にとって
店の従業員は「Hero」でも何でもなく、気配りの対象にもならないようです。

「自由・権利」

4月の中旬よりいくつかの州で「Stay at Home」の規制解除を求めるデモが
起こりました。保守派ネットワーク Fox のニュース番組ホストは、デモを
誉めそやし、とどめは、抗議を煽るようなトランプ大統領の3つの州への
Twitter のコメント。4月末には、 ミシガン州の州庁舎へ規制に抗議する
グループが詰めかけ騒然とした様子がニュースで映し出されました。デモ
の参加者の中には、職を失い瀬戸際に立っている人達も大勢いたと思います。
しかしながら、映像で目立っていたのは、マスクを着用しない自動小銃を
持った白人極右グループでした。後からのインタビューでは、アメリカ
合衆国憲法、デモを守るために参加したそうです。その他、星条旗やら
トランプ大統領支持、「自由を返せ」といったプラカードを掲げた人々、
宗教団体、反ワクチン運動グループ、複数の右寄り団体、陰謀説を主張する
人達のごちゃ混ぜ集団だったと聞いています。デモの参加者の殆どが白人
であったのは「Stay at Home」対象外とされる「Essential Workers」は、
医療関係を除き、その多くが非白人だからとのことです。

他の州も含め、「自由を返せ」と主張する一見寄せ集めグループによる抗議
の背景には、トランプ大統領を支持する複数の大物が間接的に関わっていた
との話があります。またニュースの映像はデモの規模をより大きく見せ、
あたかも州をあげて規制に反対しているような印象を与えたとは、あるサイト
のコメントでした。(規制持続を支持する国民は、現在でも過半数を占め、
状況が芳しくない州の知事達は毅然とした対応を貫いています。)その後、
あちこちの州へ同様な抗議のデモが広がっていきました。4月末から多くの
州で規制が緩和されたことは前に述べました。伝染病学者や医療専門家達は、
緩和は少し早過ぎと見ていましたが、自由、権利が安全を押し切った形に
なりました。

「立ち位置」

冒頭の通り、コロナ禍の状況は日々変化してきています。当初、ニュースで
よく取り上げられていたのは、集中治療室で呼吸器をつけた重症の感染患者、
感染保護用備品や呼吸器が不足する中、献身的に治療にあたる医療従事者、
面会が許されず、病院が用意したタブレットを通して最期の別れを告げる
感染患者と家族等、緊迫した医療最前線でした。その後、安全面もさること
ながら、経済の影響が脅威となる段階に入り、ニュースを通して人々の立ち
位置や価値観が浮き彫りになってきました。

強いリーダーシップを誇示することに懸命なトランプ大統領、安全面を重視
する州知事、州内の経済を優先する知事、共和党視聴者に影響を与える右寄
りネットワーク、医療最前線で人命を守る人、家族を失った人、仕事を失い
ぎりぎりの生活で耐える人、規制解除をじっと待つ人、「Stay at Home」が
自由を奪ったと抗議する人、規制反対デモの前に立ちはだかり無言でメッセー
ジを伝える看護師、その看護師に面と向かって「偽者」「役者」と雑言を吐く
人、陰謀説にとりつかれて政府が公表する統計を一切信じない人、感染に戦々
恐々としながら働く Essential Worker、自治体が出す規制を無視して工場を
再稼働させる大企業、感染を軽んじるマスクを嫌う人等々。

規制が緩められた後、「Social Distancing」もマスクの着用も関心のなくなっ
た人達で賑わうビーチの画像を見ました。医療専門家は、警告を出し続けて
います。どうも先は長そうです。


写真です。上の文章とは関係ありません。自分達の身の回りです。





「Shelter in Place」になってからは、出来るだけ外出を控え、食料品の買い出しは2週
ごとにしています。一回の量はこの通り。長男は以前に比べて食が細くなりましたが、
次男、三男は、おやつ、夜食にトースト、ご飯は当たり前。1週間もすると、あれがない、
これがないで追加の買い物が必要となります。買い出しは、いつも家内にマスク、手袋
携帯消毒液のフル装備で行ってもらっています。そして、帰宅するやいなや、待機して
いた息子達が車のハッチバックを開けて食料品の入った袋を降ろし、バケツリレーで
キッチンへ運びます。そこで私が袋から食料品を出し、アルコールを染み込ませたウェ
ットティッシュでサッと拭き、家内が仕分をして冷蔵庫に収めて完了。以前に比べますと、
トイレットペーパー、消毒液も少しずつ手に入るようになりました。まだ見かけないのは、
小麦粉とスパゲッティーです。牛肉も品数が減り、値が上がりました。




先日の「母の日」は、私が早朝からスーパーへ。「Social Distancing」は徹底されて
います。花のコーナーは例年ほどではありませんが、沢山仕入れてありました。




今年の「母の日」の花は諦めていましたが、形になりました。男ども4人、家内に
感謝。庭でとった小さな花も添えて。




家内の Zoom 用ヘッドセット。オーダーから配達まで約2週間かかりました。




家内のバーチャル幼稚園です。当初、リビングルームを使っていましたが、近くでオン
ラインの授業を受ける息子達の邪魔にならないよう、場所を自分の書斎に移しました。
自分の後ろにある収納棚をカーテンで隠し、さっぱり。スタジオ完成です。週3回、
定時に他の先生2名、園児達が Zoom で集合。事前に録音した自分のピアノの伴奏に
合わせ、大きな声でノリノリの「お歌の時間」となります。他の先生との Zoom ミー
ティングに加え、毎日かなりの時間を準備にかけています。




通常、息子達と私は、ここでオンラインの授業、勉強、仕事です。マイクで発言しなく
てはならない授業、テレカン、Zoom ミーティングが重なる時は、誰や彼やがリビング
ルームや自分の寝室に移動します。小さな家ですが問題ありません。長男は、何十人
ものクラスで Zoom を使ってプレゼンテーションをしたりと、オンラインの環境を使い
こなしています。




家内の絵本朗読のビデオ撮影開始前。手前は、イントロの部分で登場する手製の「手袋」
人形の「トラ吉」と「トラ丸」。家内いわく、今や園児の間で絶大な人気を誇るスター
だそうです。画像は、YouTube にアップロードしますが、使用する絵本の著作権にひっか
からないよう、幼稚園児の家庭だけがアクセス出来る設定にしています。 家内のお世話は
YouTube の扱いに慣れた長男に任せています。ある日のこと、私が仕事中、リビング
ルームで家内が長男に画像のアップロードについての質問をしていました。ひょっとして、
わざと的をはずしているのかなと思うような家内の質問。イライラしながら答える長男。
思わず仕事の手を止めました。四コマ漫画になりそうな見事なボケとツッコミ。一生懸命
な二人には申し訳ありませんが、聞こえてくる会話を楽しませていただきました。




上司との週一回のテレカンです。家内の「お歌の時間」が重なりますと、家内のノリ次第
で、私は音を完全に遮断する車庫の車の中に移動します。支障はありません。




この写真を撮った週末は天気もよく、前回のブログ更新時つぼみだったつるバラは満開。




何年振りでしょうか、家族全員で庭で昼食をとりました。バラを見ながら、ささやかな
お花見です。次男がコロナ帰省してから、朝食、昼食は、5人それぞれのスケジュール
でばらばらにとることが多いですが、夕食は家族5人が揃います。有り難いことです。




2週間ほど楽しませていただきました。今ではずい分散ってしまいました。また来年。




ご近所に住む日本人のご婦人のお嬢さんが私達家族のために作ってくれたマスクです。
アメリカでは未だにマスク着用を嫌う人も大勢いますが、以前に比べますと少しは
定着したと思います。ファッションの一部として受け入れる人も増えました。


以上、写真でした。



まだまだ予断を許さないコロナ禍ですが、皆様、どうぞお気を付けて。

Shelter in Place

2020年04月03日 | 一般
更新です。

延び延びとなっていた次男の大学入学までの経緯といきたいのですが、
この数週間で悪化の一途をたどるコロナウィルスについて。

北カリフォルニアの状況は良くありません。サンフランシスコ、南に隣接
するサンマテオ郡、更に南のシリコンバレーを擁するサンタクララ郡に
おける感染者数は、前回の更新時と比べると何倍にもなり、市民の生活に
多大な影響を及ぼしています。(南カリフォルニアは、北以上です。)

本ブログの前回の更新翌日の17日、サンフランシスコからシリコンバレー
そしてサンフランシスコ湾の対岸を含めたいわゆる「Bay Area」内の
6つの郡とバークレー市がコロナウィルス拡散防止のため、3週間の
「Shelter in Place」を発令しました。「Lockdown」という表現はしていま
せんが、不要不急の外出を市民に自粛させ、日々の生活に不可欠な公共、
民間の機能に活動を限定させる全米で先陣を切っての施行でした。(サン
フランシスコ日本総領事館では「Shelter in Place」を「自宅退避命令」と
訳しています。)飲食業の(店内の)営業は、ここでストップがかけられ
ました。

そして、わずか2日後の19日、事態を重くみたカリフォルニア州政府は
州全体への「Stay at Home」を発令。Bay Area が出した「Shelter in
Place」との使い分けは明確でなく、内容はほぼ同じものとなっています。
この時点で多くの人が店を閉めたり、テレワークへの切り替えを強いられ
ることになりました。法的効力を持ちますので、違反は罰金、逮捕の対象
となります。除外されるのは、警察、消防署、医療機関は勿論、郵便、
電話、電気・ガス・水道管理、ゴミの回収等の公共インフラ、そして民間
では、食料品店、薬店(ドラッグストア)、ガソリンスタンド、銀行、
コンビニストア、車の修理業、ハードウェア店、新聞・テレビ・ラジオの
メディア、その他生活に欠かせない業種となっています。レストランは、
店内の飲食は出来ませんが、テークアウトのみ許可されています。

必要な外出は、「Social Distancing」で人と人の間隔が最低6フィートを
保っていれば OK。パーティー、集会は勿論、大勢の人が集まることは
禁止。制限される人数につきましては、10人であったり25人だったりと、
その自治体によって基準は異なるようです。メディアは規制対象外となる
のですが、私がお気に入りの FM 局は、DJ がそれぞれ自宅に器材を持ち
込みオンエアーを開始。率先してテレワークを実践しています。

集団感染の元となり得るプロスポーツ観戦は、Bay Area の「Shelter in
Place」よりも前に NBA、NHL、MLS がシーズン中断を発表しました。
地元のプロサッカーチーム San Jose Earthquakes のホームゲームは、
2試合を消化したのみです。三男のクラブサッカーもリーグ、クラブ共に
シーズンが始まって早々に全ての活動を停止し、公式試合は一度もありま
せんでした。夏休みを利用してシーズンを再開する話は出ているようです。

こうして危機感も高まり、消毒関連商品、マスク、トイレットペーパー、
日持ちする食料品は店の商品棚から姿を消したものの、市民の認識は
まだ甘かったようです。州政府が「Stay at Home」を発令した週末は
天気も良く、カリフォルニアの多くのビーチは大勢の人で賑わい「Social
Distancing」も真剣には受け取められていませんでした。

その後、ニューヨークで爆発的に感染者が増えたのは周知の通りです。
その後を追いかけるようにカリフォルニアの感染者数も増え続けて現在に
至っています。一般市民の危機感は本物になりました。

以前は、医療関係者か、東洋系アメリカ人のみが使用していたマスクも
食料品店、ドラッグストア、あちこちで着用する人を見かけるようになり
ました。店の中では、使い捨て手袋をつけた人も増え、レジを待つ列の
「6フィート」間隔も徹底されています。

ここで少し脱線します。マスクについて。

コロナウィルスが騒がれ始めた頃、ニューヨークでマスクをした中国系
アメリカ人が嫌がらせや暴行を受けたといったニュースが何度か報道され
ました。人種差別の問題なのですが、マスクが注意をひいて起きたことは
間違いないと思います。

当初、アメリカの CDC (Centers of Disease Control and Prevention) は、
医療機関の外では、マスクは病気にかかっている人や、そういった
人達の面倒をみなくてはならない人のみが(病人がマスクをしていない
場合に)着用すべきといったガイドラインを出しており、この二ヵ月
ほどアメリカのメディアでもしばしば話題に上がっていました。よって
街中のマスク着用は、どうしても人目をひいてしまう状況でした。

実は、CDC のガイドライン以前に、私は前々から、日米間のマスクに
ついての捉え方のギャップが気になっていました。改めてGoogle でコロナ
ウィルス対策としてのマスクについて検索してみると、英語圏の記事では
「マスク着用は必要か?」から始まるものが多く、そこでは「マスクは
着用しない」が前提となっていました。

その中で、捉え方の違いを適格に言い得た記事を見つけました。それに
よりますと、欧米の文化的基準として、人と接する時は自分のアイデン
ティティーをきちんと示し、アイコンタクトを重んじるため、表情を隠す
マスクは受け入れ難いといった内容でした。少なくとも日本にはない発想
です。

記事が伝える文化的基準に前述の CDC のガイドラインを加えますと、
東洋系アメリカ人のマスク着用は、当然ながら周りに良い印象は与えな
かったと思います。

しかしながら事情はこの数週間で大きく変わりました。マスクに対する
認識が高まったどころか、CDC は本日付けで、外出の際は、Non-Medical
マスク(布でできたバンダナ、Tシャツ等もOK)で顔と鼻を覆うことを
勧めるとしました。大きなシフトです。CDC の元々のガイドラインに
関係なく、マスクは、トイレットペーパー同様、一般のお店では、早く
から品切れの状態でした。一番必要とする医療機関でも他の保護用具と
共に不足しており、日々危険を冒してコロナウィルス患者に接する人達
にとっては深刻な問題となってきています。早く手を打ってくれることを
願っています。

話を「Stay at Home/Shelter in Place」に戻します。

30日に、前述の Bay Area 内の地方自治体では「Shelter in Place」を5月
3日まで延長することを発表しました。強気だったトランプ大統領の
トーンもずい分変わり、ホワイトハウスのコロナウィルス対策本部からは、
アメリカ国内の感染によるこの先の予想死亡者数は100,000から240,000人
とのショッキングな声明も出されています。希望を持って緩和していくと
強調はしていましたが、試練は続きます。

それでは我が家に移ります。

長男、次男が通う大学は前回の更新の時点でそれぞれ閉鎖を決定しており、
その後、三男が通う高校の学区も直ぐに続きました。サンフランシスコ日本
語補習校は、3月の卒業式が中止になっただけではなく、4月の入学式の
中止も決定済みです。11年間頑張った高校2年生、入学式を楽しみにして
いた新小学1年生とその父兄の方々には気の毒ですが、今の状況下では然る
べき措置です。

現在、我が家は、次男が戻って一年前と同じ、家族5人のフルハウスです。
平日、息子達は、時間はまちまちですが、3人ともオンラインで大学、高校
の授業を受けています。そして、家内が勤める幼稚園も休園が決まった後、
オンラインで課外クラスをカバーすることになりました。IT 音痴の家内、
今では Zoom でミーティングやら授業やらで毎日奮闘しています。私は、
勤め先がテレワークに切り替えて丸2年となりました。オンラインの会議も
昨日は2本消化。何ら変化はありません。

平日、家の中では、誰や彼やがコンピューターの画面に向き合って喋って
います。我が家で過去になかった光景です。昨年秋、次男は寮生活を開始、
自宅では、長男のみではなく三男も家の外で友人達と過ごす時間が長くなり、
一時期、家の中が広くなったように思いました。今は、図体のでかい息子
3人が一日中家にべったりです。再び狭くなりました。

我が家の食生活では、貴重なお米の消費量は、昔のように一日10合に戻り
ました。次男のどんぶり茶碗山盛りご飯のお代わりも復活です。食料品、
日常必需品は物によっては確保に苦労しますが、2週間ごとに買い込みを
して今のところ問題はありません。長期戦にならないことを願うのみです。


写真です。あちこち偵察してきました。





渋滞することが多い101号線のサンフランシスコのダウンタウンへの降り口近くです。
ガラガラといった訳ではありませんが、交通量は少なかったです。




こちらは、サンフランシスコの中心となる Market Street。明らかに車、人の数は減り
道路を走っていたのは殆どがバスでした。公共の交通機関もいろいろ制限が出ています。




モールの駐車場。営業を続けるドラッグストアの周り以外は、この通りです。




日頃、息子達とサーフィンで使用するビーチ。カリフォルニア州が管理するビーチは全て
閉鎖され、駐車場はブロックされています。近くに住む人達でしょうか、「家族で散歩」
風の人は、ぱらぱら見かけました。




公園も全て閉鎖となりました。子供達が遊ぶ姿も見られません。




給油です。ガソリンスタンドは平常通り営業。世間では、車での出勤、外出が減り、
この行きつけのガソリンスタンドも売り上げに影響が出ていると思います。昨日、
大統領選を見据えたトランプ大統領が、石油の減産に同意する姿勢を示しました。
原油価格は直ぐに反応したようですが、需要が減ったガソリンのこの先の価格は
不透明です。


我が家です。





息子3人それぞれ授業やら宿題やら。三男は高校から貸し出されたラップトップを
使用しています。




外出が出来ません。運動不足にならないように体を動かしています。




ここ数年、息子達があまり使用しなくなった庭のサッカーゴール。ネットの管理は私が
きちんとしてきました。次男が帰省し、三男のクラブは活動を中止。外で練習は出来ず、
ゴール復活。ネットはこの通りです。不便な生活を強いられていますが、庭があるだけ
でも有り難いです。




長男が通っていたジムは閉鎖。次男は、わずか半年ですが、大学のジムでかなり鍛えて
きました。現在、二人がまめに使うダンベルです。




我が家の車庫です。この「ジム」、三男も含め、息子3人全員が利用しています。私は
肩も肘もガタガタになり、もうウェイト器具を使うことはなくなりましたが、片付けずに
とっておいて良かったです。次男は半年前と比べますと胸板も厚くなり、かなりガッチリ
してきました。三男も知らないうちにごっつくなり、家の中が狭く感じられるわけです。




家内の幼稚園用の絵本読み聞かせビデオの録画作業風景です。長男が自分の器材を使い、
家内をフルサポート。




我が家に不可欠なお米。値が上がり、手に入りにくくなっています。カリフォルニア米は
かなりの数の銘柄がありますが、今となっては手に入れば何でもOKです。




問題となっているトイレットペーパー。買い占めた訳では決してなく、ドラッグストアの
ホームページを夜のうちにチェックし、在庫がある店に朝駆けしてコツコツと買い足す
ゲリラショッピングです。




いまだ買い足せていないのが、消毒液です。これは、あちこちで買い占めが始まった直後、
運よく見つけた携帯サイズです。我が家で一人一個、持たされています。




「Shelter in Place」により、テレワークに切り替えた人達はかなりの数になると思います。
ビデオ会議を利用し始めた家内のためにヘッドセットを購入しようとチェックしたところ、
これはというモデルは全て Sold Outでした。うっかりしていました。




庭のカラーです。しばしウィルスを忘れて。




つるバラもいつの間にかシーズンとなりました。



以上でした。次回こそ、次男の大学入学までをカバーします。


それでは、健康に気を付けてお過ごしください。

1992年の記憶

2020年03月16日 | 一般
更新です。

前回1月18日の更新の終わりに「数日のうちにアップの予定」としました。
あれから二ヵ月。いつもの通りです。

コロナウィルスが世界中で猛威を振るっています。アメリカは、州により
状況は異なりますが、トランプ大統領が13日に国家非常事態宣言をだし、
いよいよ深刻になってきました。今更本ブログで伝えることでもありま
せんが、アメリカ株式市場は記録的な急落、反発を繰り返し、この先の
景気が心配されます。店のトイレットペーパー、消毒関連商品は商品棚
より完全に姿を消しました。日持ちする食料品の棚も夕方にはがらーんと
しています。

私の勤め先の本社では、先週半ば、全社員の出張を禁止し、必要に応じて
テレワークに切り替えるようにとの指示が出ました。私が所属する北カリ
フォルニアの事業部は、オフィスを閉めてテレワークとなり、もう直ぐ
丸二年になります。業務に全く影響はありません。

家内が勤める幼稚園も月曜日より休園が決定。長男、次男の大学は、先週
半ばにそれぞれ休校となりました。但し、長男はプロジェクトをいくつか
手掛けており、休校に関係なく、毎日大学に出向いて作業を続けています。
大学内の施設・設備はアクセス可能とのことです。期末テスト期間中で
あった次男は、大学の寮を出て木曜日に帰省。金曜日にオンラインで期末を
終えました。三男の高校は、来週より全生徒、自宅からオンラインで授業を
受けることになり、学校からラップトップや、ルーターの貸し出しが行われ
ました。

三男のサッカークラブからも二週間全ての練習、試合を一時停止するとの
連絡。おそらく停止期間は延長されるものと思います。

さて、話は少し変わります。先週のはじめでした。三男を乗せてサッカー
練習場に向かう時だったと思います。たまたま赤信号で停まった交差点
近くに銃砲店がありました。店の外には男性客5、6名の列。ニュースの
通りでした。最悪の事態に備え、銃、弾薬を買い求める人がここ2週間で
急増しているそうです。仮にこのまま感染が広がり続け、コントロール
不可能な状況となれば、商品不足どころではない事態となる可能性も出て
きます。その先はと言いますと、人、ビジネスによっては「自己防衛」が
オプションとして出てくるのかもしれません。

ここで少し過去にさかのぼります。

1991年に黒人男性ロドニー・キング逮捕時に過剰な暴行を加えた白人警官
4人の裁判が翌年1992年にあり、4月の無罪評決によりロサンゼルスで
黒人住民による暴動が勃発しました。「ロサンゼルス暴動」です。当時は
インターネットはありませんでしたが、複数の警官が暴行を加えるシーンは
テレビのニュースで繰り返し流され、裁判には全米から注目が集まってい
ました。その中で出された評決でした。

当時、家内と私はサンフランシスコ市内に住み、ロサンゼルスで暴動が
始まる前の午後、たまたまダウンタウンに用事があり、その後、折角ここ
まで来たからと、目抜き通りにある大手スポーツ用品店に立ち寄りました。
(このチェーン店、10年以上前に倒産し、今は存在しません。) 裁判の
評決と直ぐに湧き上がってきた抗議については、出かける前にちらっと
ニュースで見ていましたが、400マイル離れた場所での出来事でした。歩く
サンフランシスコのダウンタウンの街並みは平和そのもので何も変わらず、
二人とも全くの平常モードでした。

そして店の中で商品を見ている時でした。突然10代の黒人の子供達10数人が
店になだれこんできました。「パンっ」と一瞬にして広い店内の空気が
変わりました。生まれて初めて肌で感じた「殺気」でした。数秒後、何が
起こっているかはっきり理解出来ました。略奪です。若い店員が入口の
ドアを閉じて逃げ口を塞ぎ、商品の野球バットを手にし威嚇しましたが、
直ぐにマネージャー風の店員が「Let them go!」と一喝。ドアを再び開け、
高価なスポーツジャケットを両手に一杯かかえた子供達はそのまま店を
出て走り去って行きました。マニュアルがあったのでしょう。買い物客や
従業員の安全を考えると当然の対応だったと思います。

その後、第二波が来ることは明らかでしたので、店員達は入り口を施錠し、
私達を含めた10数名の客は、野球バットを手にした数人の店員に護衛され
ながら裏口より店を出ました。家内と私はもう警戒モードを通り越し完全に
サバイバルモードです。幸い、表通りに出ると、周りの様子はまだ平常
でした。スポーツ用品店がまず狙われたようです。

そして無事に帰宅。その後、ロサンゼルスで暴動が本格化し、時間と共に
全米主要都市に波及しました。夜にはサンフランシスコのダウンタウンも
かなり荒れ、重装備の警官隊が出動。それから数日間、テレビのニュースは、
ロサンゼルスを中心に略奪の様子を流し続けました。

印象的だったのは、ロサンゼルスの韓国系住民が、自分達の店、オフィスや
倉庫を守るために、略奪者に向けてハンドガン、ライフルを派手に発砲して
いるシーンでした。アメリカの今の40代以上の世代には、この様子が記憶に
焼き付いていると思います。銃砲店の前に出来た列を見てテレビの映像を
思い出しました。

世界中が踏ん張りどころです。少しでも早くコロナウィルス感染が落ち着く
ことを願っています。

皆さま、健康にはどうぞお気を付けて。


今回は写真は有りません。次男の大学入学については、近々更新いたします。

2020年 明けましておめでとうございます

2020年01月06日 | 一般
新年明けましておめでとうございます。

朝晩はめっきり冷え込みますが、日中は比較的穏やかな北カリフォルニアです。
慌ただしかった昨年が終わり、家族5人無事に新年を迎えることが出来ました。

年内に2回ほど更新する予定でしたが、優先順位の高い雑用がいくつもあり、
2019年は、三男の補習校卒業に関するもので終わってしまいました。自分の
為の記録に残しておきたい昨年のイベントはまだ残っています。これより
カバーしていきます。

昨年と同じパターンですが、その前にお正月についてサーっと触れます。

今年は、ここ数年続いている3家族合同の元旦の集いはありませんでした。
いつもホスト役を買って出ていただいているお友達ご家族が忙しく、「来年
に」となりました。子供達はガッカリでしたが、お母さん方はずい分ゆっくり
出来たと思います。

大晦日は、少しゆっくりすることが出来た家内も含め、家族5人で「紅白歌
合戦」を日本番組専用ケーブル局で観賞。その前に、いつもの通り、我が家の
小さな神棚、両親達の写真の前をお正月用のセッティングとし、家の中や庭の
主だったところを掃除。気分がすっきりしたところで年越しそば、そして家族
5人、テレビ前に全員集合でした。紅白歌合戦は、毎年欠かさずといったわけ
ではありませんが、昨年は、気になる歌手が数名出場しており、期待通りの
パフォーマンスを楽しみ、年の節目を迎えました。

その後はカウントダウン。年が明けると、神棚と両親達の写真の前それぞれで
一年の健康と安全を祈願しました。そして、シャンペン、ジュース、お茶で
乾杯です。

数年続いている早朝の Twin Peaks への初日の出詣では、お天気は予報通りの
曇。残念ながら今年はあきらめました。朝はゆっくりと起床。おせち料理を
楽しみ、のんびりとした元旦。最高の贅沢でした。


写真です。





2019/2020 のクリスマスカード兼年賀状です。久々に海の写真に戻りました。




これは8年前のカード。同じ場所です。あっという間に年月が経ちました。




今年は、自宅でおせち。家内の料理に、プロの方からいただいた料理も加わりました。




ずい分前に日本に出張で行った際、帰りに成田空港で購入した干支の置物です。




昨年の夏に家族で日本に帰国し、甥からもらった秋田の純米吟醸の1本です。もう
1本は、早々と空けてしまいましたが、この1本は、お正月までとっておいて正解
でした。私、日本酒党ではありませんが、美味しかったです。




元旦の午後は、次男、三男のサッカーの自主トレにつきあいました。寒いうえにすごい
霧でした。




9月に大学生になった次男は、少しペースを落としてはいますが、今でもサッカーを
続けています。




サーフィンです。お正月の三が日は、Maverick's、Ocean Beachでは、サイズが10~20
フィートまで上がり、行きつけのビーチも、一般サーファー向けのコンディションでは
ありませんでした。週末まで待って、三男と二人で朝から初サーフィン。




三男と私のウェットスーツ。曇り空の下、庭で陰干しのつもりが、午後はポカポカ陽気と
なりました。




三が日の後、我が家は結婚記念日が続きます。




そして翌日は、三男の16歳の誕生日。バースデーボーイのリクエストで家内がチーズ
ケーキを焼きました。


以上、お正月三が日 + の写真でした。


この後、2019年の次男の現地校卒業、そして我が家のハイライトをカバーします。

それでは、今年もどうぞよろしくお願いいたします。

明けましておめでとうございます

2019年01月03日 | 一般
明けましておめでとうございます。

肌寒くなった北カリフォルニアではありますが、おかげ様で無事に新年を迎える
ことが出来ました。

昨年2月以来の投稿。やはりアニュアルレポートとなってしまいました。我が家
でも、いろいろな出来事のあった昨年です。今更ですが、記録を活字に残して
おきたく、これから一ヶ月ほどかけて、主だったものを追っていこうと思います。

その前に以下は元旦です。

例年の通り、大晦日はお昼まで仕事でした。その後は、家の掃除をして、我が家の
小さな神棚、両親達の写真の前をお正月用のセッティングに。一通り終わった後は、
家族で日本番組専用ケーブル局で紅白歌合戦(日本は17時間前に放送)の観賞。
そして年が明け、全員で神棚と両親達の写真に向かって一年の健康、無事を祈願
しました。2019年のスタートです。

それでは、わずかですが写真に移ります。




親類や友人の皆さんに送った2018 / 2019 のクリスマスカード兼年賀状です。例年
とは違う雰囲気にしました。(息子達の顔は、モザイクで失礼いたします。)




元旦は、今年も早朝に家を出て、Twin Peaks に初日の出を見に行きました。今回、
長男は友人宅で泊まりの New Year Party だったそうで、次男と三男だけを連れて
行きました。幸いお天気は快晴。日の出を待つ San Francisco Bay です。




次男と三男です。風を遮るものは何もない頂上は、とんでもなく寒かったです。




見事なご来光を拝むことが出来ました。




午後からは、例年の通り、三男が幼稚園の頃からお付き合いのある三家族が集り
楽しく元旦を過ごしました。持ち寄りのおせち料理です。




招待いただいた先のご主人自慢のステーキ。焼き加減、お味は最高。子供の数は、
育ち盛りばかりで計9名。かなりの量でしたが、全て平らげました。




お餅も沢山いただきました。




10月よりアルコールの量を減らしていますが、この日は特別。




お母さんたちが腕によりをかけてつくったデザート。その中のほんの一部です。



お腹を満たした後は、子供達は例によって近くのフィールドでサッカーでした。




帰宅後はゲーム。ここのお宅ではテレビは使用せず、プロジェクターと壁の
スペースいっぱいの大スクリーンです。息子達は120% エンジョイしていました。


久しぶりの投稿にしてはそっけないですが、以上、元旦でした。

数日のうちにかなり手をぬいた一年のハイライトを投稿します。その後は、
昨年同様、我が家5名、それぞれに分けて3月以降のイベントをを追って
いく予定です。

今年もどうぞよろしくお願いいたします。