北カリフォルニアのお父さん

家族5人 - 北カリフォルニアに暮らす。

日本語補習校 小学部12年 - 卒業 (2016年)

2016年04月25日 | 日本語補習校
しばらく間をおきました。

熊本の地震で被災された方々には心よりお見舞い申し上げます。

日本の後を追うようにして発生した南米エクアドルの地震もかなり大きな被害と
なりました。1989年に大きな地震を経験している北カリフォルニアも他人事では
ありません。サンフランシスコ - シリコンバレー間でも南北に走る複数の断層を
持ち、直下型大地震が起きた際の被害は計り知れません。

先日、ずい分長いことさわっていなかった非常用リュックの中身を確認しました。

さて、ブログでカバーすべきであったイベントがいくつか過ぎ去りました。今更
ですが、日本語補習校で行われた卒業式について少し。3月中旬、15歳の次男が
中学部、そして12歳の三男が小学部を卒業しました。

海外の「日本語補習校」としては、生徒数で世界一の大きさを誇るサンフランシ
スコ日本語補習校。例年、卒業式は、幼児部、小学部、中高部それぞれ分けて
行われ、朝が中高部、お昼前が小学部、補習校の中では設立が比較的新しい幼児部
の式は、午後となります。

校長先生、理事長、そして来賓となる、(総)領事、保護者会会長は、三回に及ぶ
式典に参列するため、卒業式当日は朝から慌しい一日です。(幼小部と中高部の
式場はそれぞれ異なる学校の講堂を使用し、中高部、小学部、幼児部を同時に卒業
する複数のお子さんを持つ親御さんも然りです。今年は雨模様で傘を携えての移動
となりました。)

また、校長先生は、San Francisco 校とSan Jose 校の掛け持ちは物理的に不可能
なため、どちらかの学校に参列され、もう一方の学校は、教頭先生が代理となり
ます。理事長もやはり一校のみ。通常は自身の子供が通う学校、そしてもう一方の
学校は、副理事長か他の理事の参列。また、当日のスケジュールによるかとも思い
ますが、サンフランシスコ日本国総領事館からの来賓は、総領事と教育担当の領事
と2名の方で2校を手分けされているようです。保護者会会長につきましては、
もともと保護者会が2校に分かれて運営されているため、それぞれの会長が参列
します。

式の進行は、恐らく日本の小中高の卒業式と同じかと思います。(日本の卒業式に
関する知識は、何十年前の自分自身の卒業式からのものであり少し怪しいですが。)
卒業生入場、君が代と校歌の斉唱、卒業証書授与、校長、来賓、理事長の挨拶、
記念品贈呈、送辞、答辞、卒業生退場の流れです。送辞につきましては、小学部は
5年生合唱、そして答辞は、6年生の合唱と卒業生一人一人からの一言メッセージ。
中高部は、送辞、答辞は、中、高に分けられ、それぞれ2人ずつ、計4名です。
小学部の合唱もホロリときますが、高校生の答辞は、11年間を終えた生徒自身の
言葉でありジーンとくるものがあります。(現地の大学進学の準備もあり高等部は
2年で卒業となります。)

アメリカの世間一般では家族や友人達とゆっくりするか、スポーツ、趣味に興じる
土曜日。日本語補習校の子供達は朝9時から午後3時まで学校に缶詰状態で日本の
子供達が5日間かけて学ぶ内容を一日で消化します。中には片道に2時間以上を
かけて通う子供もあり、送り迎えをする親にとっても土曜日は大忙しとなります。
また、父兄には年間を通じて、当番、ボランティアが必ずまわってきますし、
クラス委員もくじ引きで数年に一度は「当たる」システムとなっています。よって、
節目となる卒業式は、子供達だけではなく、殆どの父兄の方々にとっても特別な
ものとなります。子供達が長い年月の勉学を終えての晴れ晴れとした式である反面、
中高部では生徒、保護者共に涙腺がゆるむことも珍しくありません。

現在、現地校 Senior で昨年補習校の高等部を卒業した18歳の長男が小学部に入学
したのが2004年。小学部は、丸12年のお付き合いでした。もう運動会でお昼に
家族でお弁当を広げることも、ボランティアのお父さん、お母さんが工夫を凝ら
した出し物で子供達が賑わう秋祭りに足を運ぶこともありません。少し寂しくは
ありますが、12年も楽しませていただきましたので十分かもしれません。

2週間の春休みがアットいう間に終わり、4月、次男は、日本語補習校の高校1年
生、三男は、中学1年生となりました。三男の高校2年の卒業まで後5年。通算
17年は、我が家の歴史の中に刻み込まれます。


以下、写真となります。



ベイエリア。断層と将来の地震発生の確率を示す地図。( * earthjay.com より )



小学部卒業式開始前に会場の壁に映し出されたスライド。この前に卒業生全員の学校
で撮りためた写真を一枚一枚写しだしました。ホロリとくる瞬間です。


次男、三男のダブル卒業式。これは、小学部での三男。練習の通り深くおじぎをして
卒業証書を受け取ります。教頭先生はきちんと燕尾服。


12年間。長かった小学部とのお付き合い。以下はアーカイブから集めてきた小学部の
思い出です。



5月に登場する鯉のぼり。父兄の協力で保護者会が準備。



5月末か6月の第一週に開かれる運動会は、人気のイベントです。どこの家庭もお弁当
には気合が入ります。



運動会は、赤白に分かれて競技を行います。閉会式の前の結果発表。この年、うなだれる
赤組と歓喜に沸く白組。



夏休み。現在18歳の長男が9歳の時の写真。夏休みの宿題の一つ、作品展に出展する
工作の追い込み作業です。ずい分と手伝わせていただきました。



こちら長男が11歳の時の夏休み研究。日本の都道府県についてまとめていました。



これは現在15歳の次男が6年生の時の夏休み作品展。6年生の展示テーブルです。



秋祭りは、運動会に次ぐ人気のイベント。確か5、6年前の写真です。会場はいつも
学校のカフェテリア。



アイデアを凝らした学年ごとの出し物。ボランティアの父兄の腕の見せ所です。



「魚つり」ゲーム。おもちゃの魚は、日本から仕入れたものだそうです。



売り上げは、保護者会の予算に組み込まれ、学校、子供達に還元されます。



秋祭りに続く大きなイベント古本市。



本は、図書委員の父兄の皆さんにより、きれいに仕分けされます。



全て補習校在校生の家庭からの寄付。



1月、短いお昼休みを使って開かれる高学年のクラス対抗ドッジボール大会。
6年生あたりになると、結構見ごたえがあります。



3週にわたって行われるドッジボール大会、1月は雨季でもあり雨模様になることも。
この日、雨が降り出し中止かと思われましたが、晴れ間が広がっただけではなく、
空には虹。



小学部の駐車場の東側から臨むオーシャンビーチ。見慣れた景色ではあります。


とてもこれだけの写真で語りつくせる12年間ではありませんが、主だったものを
ひろい集めました。12年間、親子でいい思い出を沢山つくらせていただきました。

お世話になりました。