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北カリフォルニアのお父さん

家族5人 - 北カリフォルニアに暮らす。

お父さん - 2018 ハイライト

2019年02月27日 | 家族
私の番です。

仕事で変化のあった一年でした。3年前、本社が専門とする事業の日本進出
計画が立てられました。その準備に携わり、ちょくちょく日本への出張があった
ことについては、過去に本ブログで触れました。そして一昨年の夏、業界に
精通した経験豊富な日本人スタッフを採用し、小さな日本支社を東京で開設。
引継ぎの後、掛け持ちはなくなり、昨年のうちに自分の仕事の遅れは、全て
取り戻しました。

そしてオフィスです。カリフォルニアの事業部のオフィスは、元々の事業計画に
合わせてリースした広々としたスペースでした。その後、本社が軌道を修正し、
オフィスは面積、コスト共に大き過ぎるスペースとなってしまいました。本社で
検討中であることは、上司からしばしば聞いていましたが、昨年の春、本社より
正式にアナウンス。カリフォルニアの10名に満たない小さなチームは、全員テレ
ワーク。 「在宅勤務」となりました。

会社のコンピューターは勿論、オフィスの必需品は会社で支給され、社員が
各々インターネット・プロバイダーに支払う費用は、通信経費として会社に
計上することになりました。オフィスの電話は、勤務場所に関係なく、コンピュー
ターを介した通信アプリで影響は無し。一番気になっていた上司、同僚との
コミュニケーションは、メールと通信アプリで対応し、隔週で全員が集まる
ミーティングだけは設けられました。在宅勤務、問題なく機能しています。

私は、昔々、カリフォルニアで大学院を卒業し、San Francisco にある某日系
企業に就職しました。いわゆる現地採用です。当時は、(一部のハイテク企業を
除き) 一般のアメリカ企業でもスーツとネクタイが標準でした。朝、ネクタイを
しめると気が引き締まり、平日のスーツ着用は全く苦になりませんでした。

そして、苦労して永住権を取得し、シリコンバレーにある半導体関係の某日系
企業に転職。勤務環境がガラリと変わり、ドレスコードは「カジュアル」に。
前の勤め先は、たまたまオフィスがアメリカにあるというだけで、社内の体質は、
お堅く古い日本の企業でした。移った先の会社はと言いますと、やはり日本企業
のアメリカ法人ですが、社員の殆どがアメリカ人。日系カラーは弱まりました。
服装だけではなく、自分の勤務スペースも変わり、机は2倍以上の大きさ。背の
高いキュービクルに囲まれ、椅子に座っている限り、隣にいる同僚の顔も見え
ませんでした。

その8年後、更に転職。次に移った先は現在勤めているハイテク系米企業です。
周りの従業員の服装は、前の会社以上にカジュアルになりました。技術部の
マネージャーにいたってはショーツで出勤。(今やアメリカのハイテク業界では
珍しくありませんが。) 事業が成長するにつれ、オフィスは2回移転し、少しずつ
広くなっていきました。最後のオフィスは窓からの眺めも良く、通勤は、時間帯
にもよりますが、車で15~20分程度でしょうか。San Francisco とシリコンバレー
近辺の交通事情を考えますと、恵まれていたと思います。

そして在宅勤務。自宅での仕事が始まって、後一ヶ月で丸一年になります。朝、
家族が学校やら勤め先に出てしまいますと、静かで勤務環境は全く問題あり
ません。また、午後、彼らが帰宅した後も、テレカンが入っている時は静かに
してもらい、取りあえず働き易い「オフィス」です。スーツは、今では特別な機会
しか着ないため、何かぎこちなく、日曜日の夜、翌日から始まる一週間にむけて
スーツのスラックスにアイロンをかけたり、靴を磨いていたあの頃は遠い昔と
なりました。

仕事の部分だけで長くなってしまいました。

私生活では、相変わらず、サッカーパパ、写真、以前に比べると回数の減った
サーフィン、そして細々と茶道を続けています。写真撮影は、次男、三男のサッカー
クラブチーム、高校チーム、後はバイオリン関係やら日本語補習校のイベント等で
年間、かなりの時間を費やしています。これも三男が高校を卒業するまでであり、
残すところ後わずか3年半です。いずれ今のこの忙しさが懐かしくなる日がくると
思います。

健康面は、あまり家内のことをとやかく言える筋合いはありません。三男の
日本語補習校の卒業式が近づいてきました。油断していたウェスト、ぎこちない
スーツは、以前よりややきつめです。アルコールの量は昨年より減らし、先日
受けた健康診断では、血圧、コレストロールは問題無しでした。引き続き努力
していきます。


それでは写真です。




昨年、オフィスから見た朝日です。(会社はフレックス制で、朝はかなり早く出社して
いました。)6階で、眺めは良かったです。




オフィス最後の日。ここは、約3年お世話になりました。書類やら事務用品やらを、息子の
サッカーの遠征の時に使う折り畳み式ワゴンを持参して駐車場の車まで運びました。




現在の「オフィス」です。モニターは、自前です。以前から使用していたものにもう一つ
買い足し、スタンドだけ会社から支給してもらいました。仕事中は、複数のシステムを
メールやら Excel 等と同時に使いますので、この設定が便利です。




こちら、会社から支給してもらった Bluetooth のヘッドセットです。音質も良く、テレカン
には重宝しています。




机の正面と横には、カレンダーとホワイトボード。




カレンダーの横は、仕事とは関係ないデコレーションです。息子達が幼かった頃、3人で
引き継がれたリュックサック。 人からいただいたものですが、3人全員がお世話になり
ました。三男が幼稚園に入りお役目が終わり、他の廃品とかためて処分する準備をしておくと、
きまって次男がそっと元の場所に戻していました。結局、ずっと大事にとっておくことに
しました。何故か気に入っており、在宅勤務になってから壁に飾っています。




私の「オフィス」は、いわゆるファミリールームです。息子3人の勉強部屋でもあり、彼ら
と机を並べています。奥より、長男、次男、三男です。昼間は静かですが、夕方以降はガラリ
と変わります。




騒音対策は万全です。太っ腹の三男が日本に行った際、空港の免税店で私へのお土産として
買ってきてくれた Bose のワイヤレスヘッドフォンです。日本では、どうなのか分かりません
が、アメリカでは品質の高い人気ブランドとして地位を確立しています。




騒音対策が必要なのは、私だけではありません。騒音の元である息子達も然りです。写真は、
長男の Beats です。 息子達の世代には Bose はダサいそうで、プロのスポーツ選手や街中で
見かける10代、20代は、たいていが Beats か AirPods です。




次男の Beats。




そして三男。 息子達のヘッドフォンは、全て Dr. Dre - Studio 3 。 ノイズキャンセリング仕様
です。(残念ながら、私の Bose は違います。) 家の中で親子全員ヘッドフォンは、いい光景
ではありませんが、四六時中という訳ではなく、それぞれ、必要に応じて使用しています。




家にいる時間が長くなり、あちこちマメに整理するようになりました。20年以上、定期購読
していた「National Geographic」と「Architectural Digest」は、長年、家の中でかなりの場所
を占領していました。少し未練はありましたが、思い切って処分することにしました。中の
広告を見ると時の流れを感じます。大事に保管していたため程度は良く、どこかで引き取って
くれないかなと思い、いろいろあたってみましたが、どこも、「雑誌は結構」でした。




一人でサーフィンに行った時の写真です。愛車の Mazda MPV は、三男の誕生にあわせて
購入しました。現在、15歳。息子達と行くサーフィンでは活躍してきましたが、いずれは
手放すと思います。



以上写真、そして我が家5人の2018年ハイライトでした。



三男の日本語補習校の卒業にあわせて、現在、記念冊子の制作に取り組んでいます。次の
更新は少し先になります。アニュアルレポートにはいたしません。



















お母さん - 2018 ハイライト

2019年02月21日 | 家族
家内です。

相変わらず家事と仕事で忙しい一年でした。

一昨年と比較して大きな変化はありませんでしたが、三男のハイライトで触れた
姉妹都市交流プログラムが目立ったイベントだったと思います。過去数年、ずっと
参加者(中学生)の日本語指導、コーディネーター、通訳の仕事にボランティア
として携わってきましたが、昨年は、三男がプログラム参加メンバーであったことも
あり、父兄、ホストファミリーとしての忙しさが加わりました。準備は、年が明けた
あたりから本格的にスタート。日本語指導は、とりあえずメンバーが日本語で
スピーチが出来るようにし、習得スピードに個人差はありましたが、大きな問題は
なかったようです。一方、コーディネーターの仕事は、本人が市の職員でもなく、
中学校の教員でもなかったため、使節団が日本を出発するぎりぎりまで日本側の
最新情報が入ってこず、参加者の父兄との間で、絶えずやきもきした状態だったよう
です。加えて、日本、アメリカの間で、姉妹都市交流プログラムの捉え方について、
多少ですが温度差があり、そのあたりの調整も骨の折れるお役目でした。

日本の使節団が到着した後は、複数のレセプション、また市役所をはじめ、いくつ
かの表敬訪問で、団長さんのスピーチやら、日本の市長さんからのメッセージの
通訳のお役目もあり、緊張の続く慌ただしい5日間でした。ホストファミリーとして
の仕事はと言いますと、我が家でお世話した男子生徒2名は、素直でお行儀がよく
扱いは大変楽でした。また、二人はサッカー少年であったため、三男も話があい、
楽しく時を過ごせたようです。アメリカそして日本で、大人達のフルサポートにより
プログラムは無事終了。その後、アメリカ側では、引率の先生も含め、参加者全員、
市議会で報告する場を設けてもらい、子供達は背筋をピンと伸ばし、りっぱに最後の
お役目を終えました。家内の準備中のやきもき、緊張の中、時間に追われる仕事も
報われたことと思います。

続けます。昨年から現在にかけての様子をざっと触れていきます。まず健康面。
「もう少し体重を落とした方がいいかな?」体型で、昨年、近くのジムにメンバー
登録しました。ジム通いは、毎日というわけにはいかず、行ったり行かなかったりで
しょうか。取りあえず、食事はコントロールしているようで、少し前の写真と比べ
ますと多少の効果は表れているようです。息子の卒業式用に予定していた服が、
間近になって窮屈で着れないと分かり「ガーン」は過去に何度かありました。次男の
現地校の高校、三男の日本語補習校の中学卒業も近づいてきており、今回は問題が
ないことを願っています。

平日の一日は、家族のお弁当作りでスタートすることは昔から変わっていません。
高校生の次男と三男は勿論、大学生の長男も未だにお弁当を持たせてもらってい
ます。長男は、昼食ごときにバイトで貯めた大事なお金を使いたくないようです。
ちゃっかりしています。翌日のお弁当用に夕食のおかずを多めに作ることは、よく
ありますが、毎度毎度とはいかず、平日の朝、家内はいつもキッチンで大忙しです。
その間、息子達は、それぞれバタバタと朝食を取り、洗面所の取り合いの後、家内、
次男、三男の三人で嵐のように家を出て行きます。息子二人を高校で降ろした後、
渋滞のフリーウェイを運転して幼稚園に到着。

幼稚園は、日本のような大きな敷地の専用の建物ではなく、住宅街の中の園長
先生のお宅を使っています。出勤後、他の先生方とその日の準備と打ち合わせをし、
その後、親に連れられてパラパラと姿を現す園児たちを出迎えます。先生は、園長
先生、家内を含め計4名。それぞれ担当が決まっており、工作係やら、音楽担当やら
いろいろ仕事があるようです。先生間の信頼関係はしっかりしており、働き易い
環境だそうです。園児の中には、なかなか指示を聞けない子、一つのことに集中
できない子、いろいろな子供がいるようで、平日の午後、家内は毎日ぐったりして
帰宅です。そして少し一服した後、息子達を迎えに再び出発。

家内は、もともと子供好きで、幼稚園に勤め始める前からずっと、幼児、小学生の
低学年を対象としたボランティアのお話グループで活動を続けていました。その
せいか、先生業はすんなりと身に付きました。お話グループは、日本の童話を子供達に
語り聞かせるだけではなく、紙芝居あり、人形芝居あり、様々なレパートリーがあり、
多くの小道具を使います。知名度が上がるにつれ、いろいろなところから公演依頼が
あるようです。営利目的ではないため、公演料はとりません。週一度集まって練習。
公演は、メンバーそれぞれの時間を調整し、車を出して当日のパフォーマンスとなり
ます。恐らく、家内は、この先もまだまだ続けるものと思います。

金曜日の夜。家内は、もう一仕事。三男の日本語補習校の宿題と本読みのチェック
です。この仕事、申し訳ないですが、いまや完全に家内の担当となりました。手が
かかった長男が中学生の時は、私も漢字コンクールや、中間、期末テストに向けて
顔を突き合わせての詰め込み準備もしましたが、その後は全て家内にまかせっきり
です。宿題のワークブック、教科書の授業範囲の音読等を三男の横につきっきりで
チェックします。次男は、全てを自分でこなしましたが、日本語補習校を辞める気
満々の三男はどうしてもつきっきりで見ないといけません。そして土曜日。三男の
補習校用のお弁当作りに送り迎えがあります。次男が卒業後は、行きが家内、帰りは
私がお迎えのパターンで定着です。

バイオリン関係も家内にまかせっきりです。次男、三男の週一回の個人レッスン、
および次男の毎週日曜日の青少年オーケストラの練習の送り迎え、また、高校
オーケストラのボランティアも家内の担当となっています。サッカー関連は基本的に
私の担当ですが、出張が入ったり、週末に次男、三男が同じ時間帯に試合が重なって
スケジュールが合わない場合は、家内も出動です。

スポーツとは縁遠い家内の趣味は、前述のお話グループの活動と読書でしょうか。
お酒は一滴も飲めないため、飲んで気晴らしといったことは一切なく、クラッシック
やらジブリ系音楽をBGMに読書、または日本専用ケーブル・チャンネルのいくつかの
お気に入り番組、大好きなコーヒーでストレスを発散しています。そして年に数回
ある「Girls Night」。これは、息子の幼稚園を通して知り合い、ずっと親交が続く
お母さんグループが集まって外で一緒に食事をするささやかなイベントです。

次男は来年の今頃には恐らく家にはおらず、三男は、後3年と少しでやはり大学生。
家内の長かったお弁当作り、送り迎えも残すところ、数年となりました。


それでは写真に移ります。




姉妹都市交流プログラムの初日のレセプション。アメリカ側の参加者が家内の説明に耳を
傾けます。




中学校側の担当教師の一人、Mr. S です。家内との打ち合わせ。




家内が利用するジム。冬休みの間だけ、次男がジムのメンバーとなりました。家内に
連れられてトレーニング機器のチェックです。




青と赤のお弁当箱は、息子3人用です。こちらのアマゾンで買ったもので、サイズは
アメリカ仕様。一番奥の私の日本標準サイズのお弁当箱と比較しますと、容積は1.5倍以上
でしょうか。三男は、お昼を待たずにその前の休み時間に平らげてしまうそうです。大学生
の長男も含め、3人とも学校では、お箸で普通に食べます。小学生の頃は、友人から日本式
のお弁当をからかわれたりしたそうですが、今では、揚げ物、肉類のおかずには、次男、
三男の友人達がたかってくると聞いています。ご飯は、朝5合、夕方5合で一日10合を炊き
ます。




家内の書斎。家族の中で自分の部屋を持つのは家内だけです。




その部屋の壁に備え付けた棚には、お話グループ、幼稚園関連の、小物、工作用具が
いっぱいです。




ケースの一つ。




幼稚園は、全て日本語ですが、小物は現地調達のものもあります。




古典です。




日本語でわいわい楽しむだけではなく、ひらがなの読み書きや数字に慣れ親しむような
プログラムも設けているそうです。これは、昔、我が家で息子達のために活躍し、今でも
家内が小物の一つとして使っています。




作業や家事の間の BGM はいつも iPhone を使っていますが、クリスマスにサンタクロース
から自分専用のBose のスピーカーをプレゼントしてもらい、音質アップです。



以上、家内のハイライトでした。


次は私のハイライトとなります。2月も下旬になってしまいました。急ぎます。

三男 - 2018ハイライト

2019年02月09日 | 家族
三男です。

デカくなりました。身長は、私を少し越したくらいでしょうか。とにかくよく食べて
寝ます。外食では、一人前では足らず、いつも「おとーさーん、もうひとつオーダー
していいー?」で、二人分をペロリ。自宅での食事は、次男のようなどんぶり山盛り
ご飯のお代わりはありませんが、それ以外は、次男といい勝負です。

眠くて仕方がないのは一昨年より変わりません。家の中で静かだなと思うと昼寝
です。但し、勉強は短期集中型で、現地校の宿題は短い時間でさっとこなし、
ずっといい成績を保っています。一方、日本語補習校の勉強の方はと言いますと、
先生方には本当に申し訳ありません。

さて、昨年2月以降を振り返りますと、家族の中では、三男が一番イベントが多かっ
たように思います。それでは時系列でおっていくことにします。

まず、姉妹都市交流プログラムです。私達が住む市と、日本の某市、そして息子達
三人が通った中学校が主体となり、もう20年以上も続く文化交流プログラムです。
残念ながら長男は、中学生当時、興味すら示しませんでしたが、2015年に次男が
参加し、昨年、三男の番が回ってきました。2017年の秋に中学校内で3年生のみを
対象として参加者を募集。応募者は、学校の成績と面接でふるいにかけられ、最終
的に女子生徒が4名、三男を含む男子生徒6名が選ばれました。それから、しばらく
研修があり、その後、日本の中学3年生で構成された使節団が3月下旬に学校の春
休みを利用し、アメリカを訪問、そして7月上旬に既に中学を卒業し夏休みに入って
いるアメリカの使節団が日本を訪問しました。こちらでは、日本の使節団のお世話を
させていただき、また日本では三男達がお世話になり、参加した子供達とその家族
共々素晴らしい文化交流となりました。

次に移ります。3月と7月の姉妹都市プログラムの間に、中学校(現地校)の卒業式
がありました。同じ中学を2012年に長男、2015年に次男が卒業しています。式典の
会場となったのは、長男、次男の時と同じ、学校の広い芝生の中庭。お天気は快晴。
少し肌寒くはありましたが、最高の卒業式日和となりました。三男、中学では友人も
多く、オーケストラにも積極的に参加し、楽しい3年間を過ごしたようです。長男から
始まった我が家と中学校の長いお付き合いは幕を閉じました。

そして高校入学です。アメリカの公立高校は基本的に入学試験がありません。住む
場所で進学する高校は決まります。但し、ちょっとした例外が私達が住む学区には
あり、我が家の息子達はその例外になります。2011年、長男が中学3年の秋、翌年の
夏に向けて公立高校の入学手続きが始まりました。オンラインの手続きでは、沢山の
項目をうめ、最後の方に「隣の市の〇〇高校への越境入学を希望するか?」という
欄がありました。その高校の学力レベルが高いことは以前から聞いており、あまり深く
考えず「Yes」で記入。1、2ヶ月後でしょうか「OK」の返事が届きました。完全に
予定外です。くじ運の強い長男、これもご縁と思い手続きを済ませました。入学して
3年、次男の番が回ってきました。高校は4年制であり、長男がまだ在籍中という
ことで次男は自動的に同じ高校への入学が認められ、その3年後の三男の進学も同じ。
昨年の8月より三男は、お隣の市の高校に通っています。

次にサッカーです。クラブ・サッカーでも三男には変化のあった年でした。春の
シーズンは、一昨年と同じクラブでプレーし、チーム内ではリーダー的存在になって
いました。チームの戦績はそこそこで、コーチも人格、技術、指導、全て申し分は
ありませんでした。但し、周りから刺激を受けて成長していくような環境ではなく、
本人もこのままでいいのかなと考えていたようです。先のことも考え、取りあえず、
春のシーズン終了後に、よりレベルの高い他のクラブのトライアウトを受けてみる
ことにしました。南に車で1時間ほどの、いわゆるシリコンバレーと呼ばれるエリアに
ある大きなクラブです。トライアウトでは、実際のトップチームの中に入り、1時間半
ほど一緒に練習をしました。コーチの指導、練習の密度、選手の士気、どれも非常に
魅力があり、三男は直ぐに気にいりました。コーチも三男に興味を持ってくれ、数日
して二回目、翌週に三回目のトライアウトがあり、その後、同クラブから正式に受け
入れの連絡がありました。

短い夏のシーズンオフは、次男のハイライトでも触れた大学のサッカーキャンプに
参加しました。三男、大いに刺激になったようです。キャンプ開始時に、90名の
参加者を6つのチームに分け、次男、三男、そして次男の昔からのチームメートの
3名は、同じチームに振り分けてもらいました。午前は6種類に分けられた練習を
6つのチームがローテーションを組んで消化。午後は、キャンパスツアーや推薦
入学に関するセミナー、夜のセッションは、練習試合となりました。参加者の殆どは
高校のSenior(4年生)、Junior(3年生)で、三男の体格は見劣りはしませんが、
練習試合では、三男はさすがにひいていました。但し、息子達のチームは、三男や
他の年下のプレーヤーを無視することなく、パスを回し、いいプレーに対しては声を
かけたりと、雰囲気はとても良く、総当たり戦の練習試合はキャンプを通して全勝
だったようです。練習試合で活躍した訳ではありませんが、三男、少し自信をつけて
帰ってきました。

後、カバーしておかなくてはならないのは、日本語補習校とバイオリンでしょうか。
日本語補習校では、三男の学年の男子生徒が一人去り二人去りでどんどん人数が
減っていき、女子生徒が大多数となりました。そして3月に次男が卒業。三男は、
日本語補習校をやめたくて仕方がないようでした。一方、人数が少ない分だけ男子
生徒の結束は強くなり、誰もが仲間にささえられて続いているようです。そろそろ
日本語補習校の中学卒業も近づいてきました。三男の高校進学は怪しいですが、
様子をみようと思います。

最後はバイオリンです。中学のオーケストラでは一昨年よりコンサートマスターを
仰せつかり、実力は認められていたようですが、次男の同じ時期と比べますともう少し
努力が必要だったかなと思います。取りあえず、最後まで取り組み、無事に3年間を
終えました。個人レッスンはずっと続いており、家内も私も、高校では、長男、次男に
続き、三男もオーケストラにと信じ込んでいました。残念ながら、本人にその気は
ありませんでした。選択科目は音楽ではなく美術を選びました。


それでは写真です。





姉妹都市交流プログラム。日本の使節団が中学校に到着しました。顔写真を含め、参加者
の情報は双方、事前に書類で受け取っていました。これは、両グループ、初めてのご対面
となるレセプションの写真です。メンバー達は、皆直ぐにうちとけ、楽しそうにコミュニ
ケーションをとっていました。(三男、日本語を話すただ一人のメンバーとして、重宝
がられていました。)




中学校、市役所、警察署、消防署への表敬訪問は、当然スケジュールの中に組まれていま
したが、丸一日をテーマパークで過ごす日が設けられていました。




キャーキャー。




キャーキャー。




キャーキャー。




キャーキャー。

これは別の日の夜で、テーマパークではありません。息子達が昔から大好きなジャンピング
です。汗だくになって遊びました。




日本の使節団の滞在も後半です。皆でボーリングに行きました。一投ごとにあちこちから
歓声とため息。




その後は、ビーチに繰り出しました。実は、ここは、私達親子がいつもサーフィンで行く
ビーチです。水を見た途端、ここでも全員、キャーキャー。




あっという間の5日間でした。メンバーに1枚ずつ支給された白いTシャツに寄せ書きです。
いい想い出を沢山つくることが出来ました。




いよいよ空港へ出発。4ヶ月後に日本で再会出来ますが、日本の女の子組は、涙のお別れ
でした。




中学オーケストラ。選抜カルテットです。




これが、中学最後のオーケストラ・コンサートとなりました。息子達3人がお世話になりました。




そして、7月。再び姉妹都市交流プログラムです。今度は、アメリカの使節団が日本を
訪れました。充実した1週間を過ごし、San Francisco 空港に無事到着。誰もが一生の
思い出となる体験をしてきたようです。この後、あるメンバーは日本が忘れられず、
San Francisco の日本街を散策したそうですが、本人曰く「なんか違うんだよなー。」
だったそうです。




中学校の卒業式。




アメリカの卒業式ではお馴染みの「Honor Cord」です。それぞれの科目で成績優秀者に
のみ事前に手渡され、卒業式当日、首にひっかけて卒業ガウンの前にたらします。軍隊で
言えば勲章のようなもので、卒業生のステータスシンボルとなります。三男、なんとか
もらう事が出来ました。




校長先生、来賓、卒業生代表のスピーチが終わると、クラスごとに担任の先生が一人ずつ
生徒の名前を読み上げ、卒業生はステージ横のスロープより壇上に進み、校長先生と握手を
して証書を受け取ります。おきまりの流れです。三男の首には、Honor Cord に加え、
ファンドレイジングで予約販売された生花のレイ。売り上げは全て学校にいきます。




「ウッシャー!」 

サッカーです。 春のリーグ戦が始まりました。 




この頃からヘアバンドを着用するようになりました。




「俺のボールやっちゅーねん。」といった会話は一切なかったそうです。日本語補習校の
仲の良い友人です。リーグ戦で、彼が所属するチームとの試合がありました。三男のこの
頃のポジションは、センターフォワードかウインガー。友人はセンターバックで、試合の間、
何度となくマッチアップがありました。




日本語補習校では、毎年6月に2週間の夏期集中があり、中高部ではその間に数少ない
イベントの一つ、球技大会が開かれます。三男、バスケットボールの試合です。次男も
卒業生のボランティアとして参加しました。




大学のサッカーキャンプです。3泊4日の日程は、夏期集中と重なってしまいました。3日
ほど補習校を欠席してキャンプに参加しました。受け付けで手続きが終わり、参加者は、
ミーティング会場に向かいます。




さすがに大学の施設は大きいです。サッカー専用フィールドは、芝のコンディションも良く、
お金をかけて管理されています。




キャンプのスケジュール。




夏にクラブを移籍しました。ポジションは右のウインガーで定着です。本人は気に入ってます。




新しいチームの練習は週3回。そのうち2回は、Caltrain で、片道1時間をかけて通います。
練習場は、駅を降りて徒歩5分。歩いていては、練習開始時間ぎりぎりとなってしまうため、
駅と練習場の間は、写真のスケートボードで移動します。かかる時間はたった1分。本人、
楽しんでいます。




8月より高校生になりました。中学の仲の良かった仲間達とは離れて高校生活のスタート
です。周りは知らない生徒ばかり。入学してから数ヶ月は、高校を直ぐにでも転校したいと、
ブーブー毎日、不平不満ばかりでした。小言が減ってきたのは、冬の高校サッカーの
シーズンが始まる前の11月あたりです。丸一週間あるトライアウト(入部テスト)を受けた
結果、「Jr. Varsity」(下級生チーム)ではなく、次男がいる 「Varsity」(上級生チーム)
に受け入れられました。チームでたった一人の Freshman(1年生)プレーヤーであった
ことが嬉しかったようです。高校に対する不満はなくなりました。




バイオリンのリサイタルです。中学のオーケストラは卒業、高校では音楽から離れ、長男、
次男のように青少年オーケストラに入ることもありませんでした。個人レッスンだけは、
この先も続けるそうです。




次男は、日本語補習校を卒業し、土曜日はフリーになりましたが、青少年オーケストラの
練習で日曜日の午後は完全につぶれます。長男は、プロジェクトが入りますと、週末でも
大学に行くことが多くなりました。週末に息子3人が揃っていることは少なくなり、
サーフィンは、もっぱら長男か三男のどちらかと二人で行くことが殆どとなりました。
この写真は、三男が新しく長めのボード(7フィート6インチ)をおろした時のものです。




三男の机。高校と言えども宿題は殆どコンピューターを使わなくてはなりません。


以上写真でした。

長男、次男よりもイベントが多く、三男だけかなり長くなってしまいました。


次は家内のハイライトとなります。