北カリフォルニアのお父さん

家族5人 - 北カリフォルニアに暮らす。

ようやく Reboot

2021年11月01日 | 一般
前回の更新からずい分時間が経ってしまいました。言い訳は後にしてブランクを
カバーします。今年のはじめに予定していた「混沌2」の短縮版、そして我が家の
近況について書き綴ります。写真も含めるとかなり長くなってしまいましたので
ご了承を。


COVID-19

それでは COVID-19 から。アメリカのコロナ新型ウィルスの感染は一旦は落ち着いた
ように見えました。パンデミック宣言時にはアメリカ国内であれだけ抵抗をうけた
マスク着用も時間と共に「ある程度」定着し、国民のワクチン接種開始に伴い感染
者の数はピーク時から徐々に減少。カリフォルニア州をはじめ、各州政府や郡、市
等の自治体が出していた規制が春から少しずつ緩められ、6月になると、ビジネス、
観光、娯楽、人の流れ、交通量、かなりパンデミック前の状態に戻り、全米が夏に
向けて安堵モードへと。

残念ながら終息には至りませんでした。デルタ株による感染が始まりました。ここ
数週間のアメリカ国内の感染者数グラフは下降カーブが表示されていますが、過去
の増減を見ると約2か月の大きなサイクルがあり、このままカーブが下がり続ける
のかどうかはまだ分かりません。さて、少し気が緩んだ春でした。この2年間
ずっとアメリカの COVID-19 対策の舵を取ってきた CDC(疾病管理予防センター)
が、ワクチン接種を終えた人々のマスク着用義務をガイドラインから外すことを
発表。愚行でした。連邦、自治体が出す他のガイドラインと食い違いがあった上、
ワクチンを接種したにもかかわらず感染したケースが出てきました。そして2ヶ月
後にガイドライン修正。現在は、ワクチン接種で新しい変異株に対する感染リスク
は減少するが、屋内の人が集まるところではマスク着用が望ましいといった内容に
落ち着いています。3回目のワクチン接種は始まっています。我が家の順番は2回
目の6ヵ月後。もう直ぐです。

アメリカ国内のワクチン接種状況を見ますと、高齢者はどこの州も高い接種率とな
っていますが、18 – 64歳につきましては、まだそこまで至らず、50%に満たない州
もあります。先日読んだある記事では、Red State(共和党支持者の多い州)は Blue
State (民主党支持者の多い州)に比べてワクチン接種は遅れ、コロナウィルスの
感染率と感染による死亡率の差も明らかに高いそうです。マスク着用に加え、ワク
チン接種も政治がからむのでしょうか。先日、元国務長官のコリン・パウエル氏が
COVID-19 の合併症で亡くなりました。90年代に黒人初の大統領の有力候補にも
挙がったほどの共和党の元高官は、ワクチンも接種し COVID-19 への備えは万全
だったようです。党を隔てず人望の厚かった同氏は、警鐘を鳴らして逝去しました。
子供達はどうでしょうか。アメリカの教育機関は対面授業の新年度が始まっており、
わずかですが、既に子供の感染が確認されています。12歳未満のワクチン接種は
5歳以上を対象にようやく始まりそうな様子。教育機関内のウィルス拡散を封じ込
めることを祈ります。


大統領選

2020年の大統領選は、本ブログの前回の更新時には既にバイデン新大統領が誕生
していました。開票終了から確定するまでにはずい分時間がかかった問題ずくめの
選挙、もう直ぐ一年が経とうとしていますが、改めて触れておきます。

歴史に残る大接戦の大統領選、一般投票総数は、バイデンが 8100万票、トランプ
が 7400万票と、共に大統領選史上最多でした。国民の 2020年大統領選への関心が
いかに高かったかがうかがい知れます。開票終了後は、負けを認めないトランプ前
大統領による証拠もない開票ミスを訴える数々の法廷闘争(後に全て却下)やら前
大統領に煽られた支持者による1月6日の国会議事堂襲撃等、前代未聞のおまけが
続きました。もともと1月6日は形式的なプロセスとして上院、下院議員の合同
会議での選挙人団票開票があり、そこでバイデン新大統領の当選が公式なものと
なるはずでした。そして、予定になかった上述の国会議事堂襲撃、合同会議で共和
党議員数名から出た開票結果への異議、それぞれの異議に対する審議とその後に
続く投票。遅れに遅れ、結局、翌1月7日の早朝にようやく公式に当選が確定しま
した。

我が家でも、開票開始後の数日間、絶えず誰や彼やがニュースをチェックし、バイ
デンがウィスコンシン州だけではなくミシガン州を押さえただ、ネバダ州とペンシ
ルバニア州で追い上げている等、家族5人、開票速報にほぼ釘付けの状態でした。
選挙権を持つ長男と次男も投票。勿論バイデン票です。高校生の三男でさえ開票
状況は絶えず注意を払い、彼なりにいろいろ考えていたようです。家内と私は永住
権のみ。長年、高い税金は払っていますが、市民権、選挙権は持っていません。

就任後のバイデン大統領は、ガッチリとチームを組み、内政・外交の軌道修正に
取り組んでいます。勿論、既にいろいろ批判は出ています。内政の大物議題、法案
はプロセスの過程で徐々に縮小され、民主党内でも雑音が出始めています。外交に
ついては、アフガニスタンの米軍撤退が注目を集め、世間は賛否両論でした。軍の
駐屯による治安維持はアメリカの義務ではないものの、撤退後のアフガニスタン
国内の混沌は後々バイデン政権に影響を与えるかもしれません。トランプ前大統領
は、数多くの自分に対する訴訟を抱えながらもホワイトハウス復帰を本気で考えて
いる様子です。財力があるため、まだまだ共和党内での影響力は大きく不安ではあり
ます。


Black Lives Matter その後

Black Lives Matter は、世間が警察を叩き続けた結果なのか、昨年続いたような
大きな事件はなく、海外にも及んだ一年数ヶ月の運動の効果があったような気が
します。国民の関心からも少し遠のきましたが、国内に大きな変化をもたらした
ことは間違いありませんし、メディアから消え去ったわけでもありません。昨年
起こった事件の多くは裁判が続き、それぞれの判決はこの先も注目を集めていく
ことでしょう。以下、昨年のブログの補足となります。

*衝突

昨年春のミネアポリスから全米に広がった暴動は数日で治まりましたが、デモは
全米規模で続き Black Lives Matter のメッセージが拡散されていきました。複数の
都市では警官隊がデモ隊に向かって跪き、何か将来に明るい希望を持たせるような
光景でした。残念ながら一時的なものだったようです。直ぐに大都市を中心にデモ
隊を弾圧する警官隊が勢いを増し、西海岸のオレゴン州の州都ポートランドにいた
っては、荒れに荒れて混沌とした状態が何か月も続きました。(同市の抗議デモは、
年が明けてからも時折行われています。)

そしてトランプ前大統領の登場です。衝突が長引く自治体の対応を叱責し、昨年の
夏にかけて所属、階級を隠した国土安全保障省の荒っぽい警官隊を動員。混沌を
悪化させました。前大統領は、Black Lives Matter に対しては、昨年5月末より
「Law and Order(法と秩序)」を前面に出して、平和的な抗議デモに対しても
厳しい姿勢を貫きました。本人が Twitter やスピーチで頻繁に使用したこの言葉、
決して新しいものではなく、過去、公民権運動で荒れた時代にも使われ、人種
問題をオブラートに包んで暴動や市民による暴力だけにフォーカスする都合の良い
スローガンです。実はアメリカには Black Lives Matter を快く思わない人々が大勢
いました。後から考えますとトランプ前大統領にとっては、票集めに利用出来る
格好のイベントだったのかもしれません。

一部の都市でデモ隊と警官隊の衝突が長引く頃、武装した極右グループが「反」
BLM として登場。昨年の5月、コロナ禍による「Stay at Home」規制にしびれを
切らした人々がいくつかの州政府の庁舎前におしかけて抗議デモを繰り広げた際、
メディアの注目を集めたのも武装した極右グループでした。また、未遂に終わった
昨年のミシガン州知事の誘拐事件でも脚光を浴びました。全米で様々なグループが
存在するようですが、共通するのは保守的な白人。中には個人で活動する連中も
います。彼らの思想、目的は単なる反政府から、第二次南北戦争を起こすといった
物騒なものまでいろいろあり、上述の国会議事堂襲撃にも加わっていたようです。

*影響

昨年の春に再燃した Black Lives Matter はアメリカ国内に様々な変化をもたらしま
した。AP 通信社は、黒人を活字で表す際に単なる肌の色を表す形容詞の「black」
から、社会的ステータスを示す大文字を使用した「Black」への変更にふみきりま
した。その後、保守派を除くメディアが追従し、今では「ほぼ」スタンダードと
なっています。

人種差別に関連した歴史上の人物の銅像の撤去もその一つです。これはヨーロッパ
にも飛び火しました。そして、公共の場から姿を消した Confederate Flag(南北
戦争の「南部連合国旗」 )。南部の州では自分達の歴史的遺産・文化であると、
強い反対もありましたが、自治体や企業だけではなく、海兵隊、そしてその後、
国防省の取り決めにより他の軍でも同旗掲揚やデザイン流用取り止めとなって現在
に至ります。黒人市民からしますと差別の象徴そのものである Confederate Flag
は、その後、極右グループや一部のトランプ・サポーターには引き続き好まれて
使われているようです。

まだあります。私自身30年以上慣れ親しんだ某社のパンケーキシロップのパッケー
ジデザインが一新されました。旧デザインは、半世紀前あたりの白人家庭に仕える
典型的な黒人のお手伝いさん風の女性がニッコリ微笑むデザインでしたが、メーカー
側が自主的にデザインを変更しました。背景には、企業が消費者に人種差別に対す
る姿勢をタイミングよく見せるブランド・マネージメントがあったようです。また、
昨年から企業のコマーシャル、広告も不自然なほど黒人のモデルさんを多用する
ようになりました。これも企業の努力の表れでしょうか。

SNS について。Black Lives Matter が一番盛り上がっていた頃、アメリカの有名
人で過去の SNS の差別コメントが原因で、職を追われた人は少なくありません。
誰かが SNS で問題となりそうな有名人のコメントを見つけて公開、炎上すると、
本人達は直ぐにコメントを削除。世間はその後も暫く叩き続け、その結果、彼ら
は SNS で謝罪の言葉と共に「私は Racist ではありません。」と手遅れのダメージ
コントロール。お決まりのパターンでした。過去数年前にまでさかのぼってのあら
探しもあったようで、口は災いの元とは言いますが、社会的地位やステータスを
失った人達は、SNS のコメントも災いの元となることを痛感したと思います。

昨年、Black Lives Matter 運動はアメリカ、取り分け各州の警察に大きな教訓を
与えました。されどです。本質は変わるのでしょうか。白人が大多数の地区では
黒人住民は3割まで。それを越すと白人住人は引っ越すといった話を聞いたことが
あります。白人住民個人の人種に関する概念に関わらず、住民の人種比率は不動
産の価値に影響を及ぼすことも理由の一つのようです。人種が混ざった地域で
新しく引っ越してきた黒人の家族がお隣の白人住人に何年にもわたり嫌がらせを
受けた例は、Black Lives Matter が騒がれていた昨年いくつか報道されました。
一方、教育面においては、暗黙裡に人種で分けられた学区では、垣根を取り払う
動きがあると、白人の父兄から徹底的な反対にあうと聞きます。恐らく、教育
レベルへの影響に加えて犯罪を懸念してのことかと思います。昨年の Black Lives
Matter の抗議デモに参加した正義感に燃える10代後半、20代前半の非黒人の若い
世代。彼らが家庭を持ち、自分達の子供の教育、家のローンを考えながら生活を
送るようになる頃に社会は変わり始めるか?そうなってほしいと心から願います。


Stop Asian Hate

Black Lives Matter が落ち着き始める一方、新たな問題も出てきました。多くの人が
予期していたと思います。COVID-19 パンデミック宣言以来、アジア系市民への嫌が
らせや暴力、いわゆるヘイトクライムが激増しました。夏あたりになり勢いが少し
治まったような気もしますが、根は深いようです。パンデミック宣言以後のアジア
系市民に対する暴力事件は、白昼、無抵抗の老人、女性を殴る蹴るといったものが
報道されました。アメリカで長く蔓延る白人による黒人への人種差別とは少し異な
ります。

パンデミックは、大勢の人々に、自身や家族が病に倒れる、職を失う、生活が苦し
くなる等、耐え難い苦難を与えました。彼らの恨みつらみの矛先は、コロナ新型
ウィルスが出た中国ではなく、身近なアジア系市民にすり替えられてしまった感が
あります。もしコロナ新型ウィルスがヨーロッパ発であったらヘイト問題につなが
ったか?あり得ません。アメリカの移民史の中では新参グループになるアジア系です
が、過去には政府からも差別的な扱いを受けた時期があり、所詮は肌の色が違う少
数派の人種です。中国政府のしゃあしゃあとした態度とトランプ前大統領の在任中
の無責任な言動も火に油を注ぎ、コロナ新型ウィルスがいとも簡単に中国系をひっ
くるめたアジア系市民への攻撃の口実を与えてしまいました。20年前の同時多発
テロの直後、アラブ系市民がヘイトクライムの対象となったことが思い出されます。
その時々の情勢で自分達への風当たりが強くなるのは、少数派人種の悲しい宿命で
しょうか。

白人だけではなく、黒人によるアジア系市民に対する暴力が収められた動画も昨年
よりニュースで何度となく目にしています。Black Lives Matter 運動では、人種を
隔てず多くの人々が警察の黒人に対する暴力に抗議して立ち上がりました。「Black
Lives Matter」同様、アジア系市民へのヘイトクライムにも「Stop Asian Hate」と
いったスローガンが生まれ、事件の多かったカリフォルニア州では、非営利団体の
「Stop AAPI (Asian Americans and Pacific Islanders) Hate」 が設立されて州政府、
世間にも訴えかけました。連邦政府では、新しい COVID-19 関連のヘイトクライム
に対する法案も上院、下院で可決され、ブレーキの効果はあったと思いますが、
残念ながら事情は少し違います。医療へのアクセスが難しく失業率も高い低所得者
層は、主に東アジア系を除く非白人。この層へのパンデミックのダメージは取りわけ
大きく「あいつらが菌をバラまいておいて何故自分達だけがつらい思いをするのか」
と怒りが蓄積されるのも自然かもしれません。

アメリカで人種問題はこの先も尽きないと思われます。

固い話が長くなりました。それでは我が家の身の回りに移ります。


我が家

我が家はパンデミックに入ってから家族5人一つ屋根の下での生活が続きました。

長男は12月に半年遅れでサンフランシスコ市内の美大を無事卒業。このような時期
です。残念ながら採用のオファーはどこからもなく、フリーランスのグラフィック
デザイナーとして社会人デビューしました。幸い、大学の先輩から仕事をまわして
もらい、徐々にネットワークを広げ、現在では常時、複数のプロジェクトを抱えて
います。日々、クライエントと Zoom で打ち合わせをしながら、コンピューターに
向かって自宅でコツコツと仕事。グラフィックデザインだけではなく、プロモーシ
ョンビデオ作製、ドローンを使った空撮、記念写真撮影等、自分なりに考えながら
仕事の領域を広げています。締め切り日を中心にして回る時間的に不規則な毎日
ですが、本人は、昼寝、ゲーム、携帯電話での映画鑑賞、ジム等でストレス解消。
幸い、長男は家内の血を受け継ぎ完全な下戸です。アルコールは一切口にしません。
早く一人暮らしをしたいそうですが、今は三度の食事と昼寝つき。結構な生活です。

次男が大学キャンパスを離れたのが昨年の3月。長かった一年半のコロナ帰省の後、
9月に Junior(3年生)として大学に戻りました。ずっと遠隔で授業とテストが続き
ましたが、本人にブレは無く、この一年半、暇さえあれば勉強といった毎日でした。
大学に戻る一週間前、Medical School に進学する大学生に義務付けられている MCAT
( Medical College Admission Test ) を最寄りの試験会場で受けました。約7時間の
缶詰め状態のテストは、先日結果通知があり、取りあえず志望校数校は、受け入れ
平均点を上回って射程距離に入ったそうです。大学の GPA、MCAT のスコア、論文、
インターン、ボランティア等、大学院側の審査対象はいろいろあり、情報収集を
怠らず着々と準備を進めています。次男の大学でキャンパス内の寮に入れるのは
基本的に Freshman(1年生)のみ。夏に買い与えた中古車で現地入りし、馬の合う
仲間3人とキャンパスから近い大学生専用アパートで新しい生活を開始しました。

三男です。日本語補習校は3月に無事卒業。11年の学校生活にピリオドを打ちました。
現地校の高校は8月より対面授業で新年度スタート。現在最終学年の Senior(4年
生)です。日本の生徒会に近い「Leadership」のクラスでは、校内選挙に立候補して
イベントを仕切るポジションにつき積極的に校内の活動に参加しています。11月には
いよいよ University of California(UC)各校の願書受付開始。三男の志望校です。
遠隔授業の約一年半は、身近にいる次男から絶えずアドバイスを受けて GPA を落と
さない努力をしていました。Division 1 レベルの大学サッカーは次男同様、大学卒業
後の進路を考えて諦めました。されどサッカーです。一年半ほぼ毎日、自宅のガレー
ジのトレッドミルで走り込み、その後に続くウェイトトレーニングで体作りに努めま
した。足腰強化に加え肩と胸が目に見えてガッチリし、サッカーの試合中に相手選手
に吹っ飛ばされることは無いと思います。現在秋のクラブリーグ真っただ中です。

家内です。仕事に家事にずっと頑張っています。勤め先の幼稚園を中心に回る毎日は
変わりありません。昨年は遠隔授業でずい分苦労しました。元々が IT 音痴なところ
へ Zoom が標準となり、かなり手こずっていたようです。幸い、息子達3人がつきっ
きりでサポートし、対面授業が再開する頃には全てを使いこなすレベルに達しました。
家内の質問には次男、三男は忍耐強く丁寧に対応。長男のサポートの時はと言います
と、相変わらずです。聞こえてくる2人の会話は、いつも息の合ったボケとツッコミ
でした。幼稚園は小中高同様、夏休み明けから対面授業が始まりました。衛生面で
いろいろな制約があり、引き続き苦労の多い毎日のようです。この一年半のストレス
解消は、夜、仕事を一通り終えた後、ソファで足を伸ばし、次男にマッサージ機を
使って肩こりをほぐしてもらいながら鑑賞する日本のテレビ。極楽のひと時でした。
その次男も大学に戻り、最近は三男にお声がかかるようです。長男は対象外です。

私です。1月からブログの更新が出来なかったのは、息子達のサッカーの試合の写真
撮影復活が理由です。(後の写真の部分で詳しい言い訳をいたします。)さて、この
一年ほどで私の健康面で少し変化がありました。昨年末の造園プロジェクトをきっか
けに体重を落としました。連日の地獄の重労働が元々の原因ではありますが、同時期
から食事内容を変え、加えて運動でカロリーのコントロール。7キロ落としてジーン
ズのウエストサイズは29インチになりました。約40年前の大学生の頃のサイズです。
家内いわく、痩せて顔が貧相(じーさん)になったからもっと太れとのことですが、
体調は絶好調。このままでいようと思います。仕事はずっと遠隔で、夏まで平日の
日中は静かに息子達3人と机を並べてコンピューターに向かって仕事。変な感じでし
たが、問題なく機能しました。今年はブログ更新をサボっていながら、サーフィンに
行く頻度は増えました。体重維持のためとは、私の勝手な言い訳です。

昨年は、パンデミックにより三男のサッカーの試合は春、秋シーズン共に全くなく、
週末をかなり自分のために使うことが出来ました。ブログの更新も過去になかった
ペースだったかと思います。1月を最後に9ヵ月間ストップしていた本ブログの更新
ですが、予定していたものは沢山あり、造園プロジェクト、三男の補習校卒業式、
そして2020年のハイライトさえも手つかずのままでした。今年も残すところたった
2ヵ月。これから追い上げようと思います。2020年の私達家族の身の回りについては
昨年いろいろ既に書き綴っており、拾っていないものだけをサァーっとカバーする
予定です。三男の補習校の卒業式は我が家の17年に及ぶお付き合いの最後であり、
これも落とせません。毎週末、三男のサッカーの試合の写真撮影、整理、編集で既に
忙しくなっていますが、頑張ろうと思います。


それでは写真です。9ヶ月分を持って来ました。とんでもなく多くなり、一回の更新
の枚数としては記録かもしれません。インスタ状態です。





アメリカ国内の COVID-19 対策が始まりはや2年です。 (写真 © Reuters)



ワクチン接種状況を表す地図。色の濃い州は接種が進んでいる州、薄い州は遅れている
州です。後で触れる Blue State / Red State の地図とのだぶりが見受けられます。(写真
© Johns Hopkins University )




コロナ禍以前から「Anti Vaxxer」いわゆるワクチン接種を拒む人は大勢いました。ウィ
ルスが猛威を振るい始めた後も意志を貫く人は多いようです。 (写真 © Reuters)




私自身のワクチン接種証明カード。4月と5月に接種しており、3回目は11月の予定です。


大統領選関連に移ります。




選挙人団投票の最終結果。 (写真 © AP)




今回の大統領選ではパンデミックによる郵便投票が一部で取り入れられました。トラン
プ前大統領、ぬかりはありませんでした。不正が起こりやすくなると事前にいちゃもん
をつけて十分な仕込み。開票後に敗北と分かると案の定だだをこね、明確な証拠もない
訴えを複数の州で次々に起こしました。写真はトランプサポーターが手にする「Stop
the Steal」サイン。勘弁してほしいです。(写真 © Getty Images)




僅差の州ではそれぞれの選挙法により、トランプ前大統領が起こした訴訟に関係なく票の
再確認が行われ、公正な選挙が行われました。 (写真 © AP)




1月6日に国会議事堂を襲撃した暴徒と国会議事堂の警官隊のつば迫り合い。元々は
複数のトランプ前大統領支持グループによる国会議事堂近くでの集会のはずでしたが、
前大統領がグループを煽り、選挙団票開票が行われる国会議事堂への行進、そして暴徒
と化したグループの乱入となりました。勢いで乱入となったように聞こえますが、実は
周到な準備の元に実行されたとされています。暴動が治まった後は FBI による魔女狩り
が始まりました。男女問わず国会議事堂に押し入った輩が、写真や動画、または彼らの
知人、家族から寄せられた情報をもとに次々に身元が割り出されていきました。現職の
警官、病欠と称して仕事を休んで暴動に参加した社会人、下院議長のラップトップを
持ち出し、ロシアに売り飛ばすと豪語する女性、嬉しそうに議会の演壇を戦利品として
担いでいく男性、現役の大学生、オンパレードです。アメリカの民主主義のあり方が
問われる事件でした。 (写真 © Getty Images)




バイデン新大統領就任式です。トランプ前大統領は出席しませんでした。 (写真 © NBC)


次は Black Lives Matter 関連です。




ポートランドで何度となくあったデモ隊と警官隊の対峙。 (写真 © CNN)




武装極右グループの中では最も注目を集めた「Proud Boys」の怖そうなおじさんやお兄
さん達。 (写真 © Forbes)




昨年は全米で、南北戦争に関わった南軍の将軍、政治家だけではなく、クリストファー
コロンブスの像等、100体近くが州や自治体によって撤去されたり、 Black Lives Matter
の抗議デモの中で倒されて姿を消しました。バージニア州の州都 Richmond にある南部
軍司令官「リー将軍」の像は、もめにもめてようやくこの9月に撤去となりました。
ここは南北戦争の間、南部連合国の首都にもなった意味のある土地です。(写真 © AP)




Confederate Flag 。以前はモヤーっと南部の保守系白人の象徴のようなイメージでした
が、社会から差別の象徴のレッテルを貼られてしまいました。写真は「イヤダァーッ!」
と叫ぶ Confederate Flag が大好きなおじさん。とは、私の勝手な想像です。(写真 ©
Forbes)




右の旧デザインの黒人女性は実在した人だそうです。同女性の家族は、デザイン取り換え
に反対したと聞きます。


Stop Asian Hate の写真に移ります。




BLM の規模にはなりませんでしたが、各地で抗議デモが行われました。(写真 © Getty
Images)




今ではよく目にする「AAPI」のロゴです。




COVID-19 Hate Crime 法が上院と下院で可決されバイデン大統領の署名によって成立し
ました。その後、施行についての情報は公表されていません。 (写真 © Getty Images)


それでは、我が家の写真での近況報告です。長男から。




長男撮影の写真。さすがに彼の顧客のグラフィックの作品やビデオをここに掲載する訳
にはいかず、本人が趣味で撮影した写真のみ拝借しました。昨年より雨期になると雷が
よく鳴ります。長男がこの写真を撮影した真夜中、私も雷の音で目を覚まし、彼がカメラ
と三脚を持って庭に出ていることを知りました。落雷にあうのではとヒヤヒヤしました
が、本人、撮影には満足したそうです。グラフィックデザイン以外には、時々知り合いを
通して入ってくる高校、大学の卒業記念ポートレートの撮影も手掛けています。先日は、
誰かのペットのワンちゃんの写真撮影だったそうです。




高価な Nikon の広角レンズを使用しての写真です。




このドローン、私が少し資金援助してクリスマスに長男が商売道具として購入。付属部品
やら追加した保証を加えると千数百ドルだそうです。




価格を聞いてえーっと思いましたが、高画質のカメラは価値がありそうです。家の近所の
飛行は市の許可を取っているそうですが、ゴールデンゲートブリッジの近くで、この高さ
は違法だろうとのことでした。




サンフランシスコの Ocean Beach も上から見るとこの通りです。




今年8月の家内の誕生日は、長男が自分の稼ぎで刺身の盛り合わせをご馳走してくれま
した。器やアメリカ風の盛り付け、特に大量のワサビは「ありゃーっ」ですが、どれも
新鮮で美味しかったです。


次男です。




息子達3人共、日頃、仕事や勉強は自分の勉強机を使うことが多いですが、誰かが Zoom
に入りますと、必要に応じて家内の書斎、ダイニングやリビングルームに静かに移動して
いきます。写真は庭の木陰で勉強中の次男。いつも水のグラスをテーブルに。春から夏の
間の次男のお気に入りの場所でした。




MCAT の高い参考書です。本番と同じようにみたてた7時間
の模擬試験も何度か自宅より遠隔で受けていました。




最終ゴールは心臓外科医だそうです。大学に戻る準備で荷物をまとめているところです。
自分の机に飾っていた大事な心臓の模型も携えて行きました。




Freshman の頃は、大学寮を基点として移動はもっぱら自転車でしたが、アパート住まい
になることが決まり、夏に長男と同じ Toyota の中古の Prius を買い与えました。パンデ
ミックの影響で、アメリカ国内の中古車市場は品不足だそうです。購入前のリサーチでは
価格はどこのディーラーも明らかに上がっていました。




9月の中旬。いよいよ1年半のコロナ帰省を終えて大学に戻ります。渋滞を避け、朝暗い
うちに出発。2年前に大学寮の次男の部屋の前で分かれた時を思い出しました。兄弟、私
とは握手。家内とハグして車に乗り込み闇に消えていきました。初めての長距離運転で
少し心配しましたが、7時間後に無事到着したとの電話。が、声のトーンが少し暗く直ぐ
に何かあったと気が付きました。車の故障か?事故か?そして次男、「あのねー、途中で
スピード違反で捕まっちゃった・・・」 しまったー。 I-5は覆面パトカーが多いことを
伝え忘れました。きっといい気分で飛ばしていたのでしょう。いきなりやってくれました。
本人には良い勉強にはなりましたが、数週間後に罰金 $320の連絡。授業料は私払いです。


それでは三男。




パンデミックの影響でシーズンが短縮された春のクラブリーグです。




例年の サンディエゴ で行われるトーナメントも何とか開催され参加してきました。




パンデミックで誰もが諦めていた高校サッカーも例年のスケジュールから数ヶ月遅れて
春から始まりました。過去になかったクラブリーグとほぼ同時スタートは、支障をきた
すことを承知の上での協会側の Senior(4年生)選手達への心配りだったと思います。
三男の高校チームは、一昨年と昨年は粒ぞろいでしたが、有力選手は殆ど卒業。頼りに
なるほんの数名の上級生と共にマスク着用で頑張りました。




長男は、サーフィンに行くことは今では殆どなくなり、次男は時々程度、三男はサッカー
や学校がなかった夏の間だけは、よくついてきました。この日、私は腰の痛みでサーフィ
ンは控え、ビーチからの写真撮影でした。




三男、十分エンジョイしたようです。


次にサッカー関連の追加を少し。




我らが San Jose Earthquakes は、スタジアム名の権利を持っていた Avaya が数年前に破産
申告。その後、少し時間を隔てて今年の春に PayPal が権利を買い取りました。現在は写真
の通り 「PayPal Park」です。




昨シーズンはコロナのために一戦も観戦することはありませんでした。今シーズン、久々
の試合では、Krazy George おじさんも健在。相変わらずのしわがれ声、パワー炸裂応援で
ホッとしました。




私達のシーズンチケットは2席のみ。シーズンが一年ぶりに再開したこの夏、長男は仕事、
次男は勉強が忙しく、サッカーの観戦は三男と2人行くことが多かったですが、この日は、
追加で2席をとって、息子達3人と観戦しました。長男と私は少し離れた席です。




一昨年よく利用したスタジアム近くのピザレストランは残念ながら閉店。パンデミック
の影響は様々なところに及んでいました。久しぶりのスタジアム内の食事は美味しかっ
たです。相変わらず高くはありました。




2年前に次男、三男が数試合だけ参加したサンフランシスコの社会人リーグの日本人
チームに、この夏、声をかけていただきました。試合数を削った短いシーズンではあり
ましたが、ほぼ全試合兄弟一緒にプレー。週末もずっと自宅で勉強だった次男、この
リーグ戦だけは特別でした。このチーム、技術レベルはかなり高く、次男が長年慣れ
親しんだセンターミッドのポジションには既にバリバリの方達がおり、次男は右サイド
バックとなりました。直ぐに慣れて全く問題はなかったようです。




三男。クラブチームと同じ右ウィンガーです。次男とは同じ右同士で試合中は声が通り、
よくお互い指示を飛ばしあいながら兄弟で連携プレーをしていました。




3年前の高校サッカーは、Senior だった次男と Freshman で同じ上級生チームに飛び級
で入った三男が一緒にプレー。当時、これが最初で最後だろうなと思っていましたが、
再び同じピッチに立つ彼らを見ることが出来ました。




三男のショットが決まり、抱きついて喜ぶ次男。


家内の写真に移ります。




昔、私達夫婦がサンフランシスコに住んでいる頃に大変お世話になった日本人の女性が
いました。私の父よりも少し年上の高齢の方で、週末に一緒に食事をしたりと、親しく
お付き合いさせていただきました。長男が誕生したあたりからでしょうか、少しずつ
疎遠になり、その後はクリマスカードのみでつながっていたと思います。8年前、その
方のお友達から電話連絡があり、彼女は擁護施設にいるが、病気を患っており会いに
きてみないかとのお誘いでした。息子達3人も伴って家族5人でお見舞いに行き、10数
年振りの再会。ブランクを感じさせない楽しいおしゃべりをした後、またお伺いします
とご挨拶して施設を後にしました。そして数週間後、同じお友達からその方が他界した
との電話連絡。お子さんもいらっしゃらず、本人の遺言で海洋散骨となり、家内と共に、
船からゴールデンゲートブリッジの近くで海に散骨するセレモニーに出席しました。
その後、お参りするお墓がないからと、ずっとそのままでしたが、今年のお盆、サンフ
ランシスコ湾の遊覧船に家内と二人で乗り、散骨した辺りで船の乗員に見つからないよう、
船尾からそっと小さな花束を海に捧げてきました。10数年のブランクが悔やまれます。




今年5月の母の日です。昨年の5月は既にパンデミック宣言が出ていましたが、お店の
花の品揃えは例年と殆ど変わりませんでした。ところが、今年は昨年と打って変わって
ガラーン。仕方なく、小さなカーネーションの花束のみとなりました。




息子達が高校、中学生の頃、朝、家内が用意するお弁当は、息子達用の分厚い辞書のよう
なサイズの弁当箱が3つと家内の小さな弁当箱1つでした。今はと言いますと、写真の
家内用のみ。長男は私と自宅で昼食、そして三男の高校は、パンデミックによる家庭
支援のため、全生徒に無料の昼食を出してくれるようになりました。家内はずい分楽に
なったと思いますが、何かあの頃が懐かしく感じられます。




家内の幼稚園での商売道具の一つのタンバリン。年季が入ってきています。




帰宅すると、直ぐに書斎にこもり、幼稚園の他の先生や父兄へのメールやら、翌日の準備
でずっと忙しそうです。また、いつも、紙、ハサミ、テープ、ノリやらで工作。写真は
園児のためのゲームのようです。




幼稚園用のプリントも半端な枚数ではありません。昨年購入して家内の書斎に置くカラー
レーザープリンターは大活躍です。


次は、私関連の写真です。




何の写真か分からないと思います。これは息子達のサッカー遠征で、数年前から始まっ
た私の標準移動装備です。主に車で移動して現地で2泊以上滞在するサンディエゴの
トーナメントのみが対象。ラスベガスのトーナメントや飛行機で移動する場合は関係
ありません。今では三男だけですが、以前は、次男、三男、それぞれの遠征で同じ装備
でした。息子のサッカー用バックパック、息子と私の着替えや洗面用具が入ったダッフル
バッグ2個、私のカメラ器材用バッグ、買い出しで事前に揃えておいた食べ物や飲み物
用のトートバッグ、そしてモニター?たかが駐車場からホテルの部屋までの移動ですが、
この折り畳みカートがあると無いでは全然違います。




ホテルの部屋にセットしたラップトップ、キーボード、マウス、外付けハードディスク、
モニターです。私のサッカー1試合で撮る写真枚数は、今では平均1,500枚。数年前まで
は1,000枚から1,200枚程度でしたが、三男のチームはロースターサイズが大きく、選手
の総数は20名以上。試合でベンチに入るのは18名。1試合1時間半で18名分の写真と
なりますと、どうしても1,500枚あたりとなります。試合後、全写真を PC にロードして
大きな外付けモニターで細部のチェック、選手ごとに仕分けをして、そこからベストと
思われるものを一人6枚ずつ選び、編集と写真サイトへのアップロード、チームのポー
タルからチーム全員にリンクの案内。作業時間も数年前より長くなり、今は最低6時間
が必要です。リーグ戦、高校サッカーの試合は、通常週末をつぶせば何とか終えること
が出来ます。一方、トーナメントの場合は、3、4試合ありますので、帰宅してからの
作業は時間的にかなりの負担となり、1週間で終えるのは困難です。よって数年前から
ホテルで同じ作業が出来るように、遠征にはモニターを携えて行くようになりました。
上述のカートと共に、私にとっては「Must」アイテムです。この11月末のサンクスギビ
ング連休は大渋滞の中、また三男と車でサンディエゴのトーナメントに行ってきます。
その後はと言いますと、来年の5月のトーナメントが高校最後。それで「完了」です。

さて、ブログ「9ヶ月」無更新の言い訳に移ります。1月から3月までは「まだまだ
混沌2」の準備をしていましたが、大統領選開票後のゴタゴタやコロナなど、状況が
絶えず変わっていき更新しそびれました。そこで三男のサッカーです。クラブリーグ
と高校サッカーが4月に同時スタート。もう週末は無くなりました。5月にクラブ
チームのサンディエゴのトーナメントが予定に入ってはいましたが、そろそろ出口が
見えてきたところで、息子2人、社会人リーグに参加させていただくことになりました。
毎週末試合が入り、ここでも誰に断りもなく勝手にチームフォトグラファー。やや
少なくはありますが、1試合に約1,200枚。8月末まで続きました。そして秋のクラブ
リーグ開始が9月で現在に至ります。以上、言い訳でした。




私の現在の朝食です。オートミール、豆乳、蜂蜜、ピーナツバター、穀物パン、果物、
コーヒーとなります。白米と白い食パン、バターは避け、昼食と夕食もオートミールの
お粥が多くなりました。間食はなくし、糖分は極力取らないことにしています。




但し、晩酌は変わらず。昔に比べると赤ワイン(グラス1杯)が多くなりましたが、時々
ビールも。(糖分とってます。)過去、いろいろな銘柄を試してきました。やはり美味
しいのはオレゴン州産の IPA でした。写真もその一つ。




サーフィンは、頻度が増えました。日が長かった夏の間は週3回、その後は週1~2と
なっています。あちこちぶつけて、修理は自分で頻繁にしています。この日はレールの
修理数ヶ所でした。




高校生の頃に少しだけかじっていたスケートボード。還暦になってからサーフィンの練習
用として44インチの「ロンスケ」を始めました。写真は、三男のサッカーの練習で週3回
行く某大学のだだっ広い駐車場です。三男のサッカーの練習場横のこの駐車場は、適度な
スロープがあり、平日の夕方は、ほぼカラっぽの状態。三男のサッカーの練習中、一人で
10~15分程ロングボードの練習をし、その後は車の中で仕事をすることが多いです。先日、
派手にこけました。誰も見ていなかったらいいのですが。そのうち「変なオヤジが下手な
スケボーしてる」とカメラで監視する警備員の目に留まるかもしれません。残念ながら
アメリカの夏時間はもう直ぐ終わります。照明設備のない今のサッカーの練習場は他の
場所へと変更となるはずです。雨期も直ぐに始まり、スケートボードの練習もこの先は
分かりません。


大変長くなりました。最後は家族の写真となります。




今年の夏も庭のつるバラを家族と共に楽しみました。




お花見バーベキューです。




焦がしてしまいましたが、この日はスペアリブでした。美味しかったです。




食べている時は無言の3人。




家内も加わり「ハイ、チーズ。」次男の手には山盛りどんぶりご飯です。彼のコロナ帰省
中は、一日に炊くご飯は朝5合、夕方に5合で計10合。9月に大学に戻り、今は5合です。
(肉類のおかずがある時は特に)白いご飯がないと生きてはいけない次男です。現在は
アパートで自炊の生活。ご飯は毎日炊いているようです。




全く別の日です。知り合いの方からいただいたサンドイッチのセットに、料理好きの次男
がスライスして揚げたポテトを添えて週末、家族5人、庭で昼食。美味しくいただきまし
た。奥にチラッと見えるのは、私のお気に入りの IPA のひとつです。




夏の終わりのリンゴ。秋も足早に去っていきます。先日大雨がありました。冬の訪れも
近く、後一ヶ月もしないうちにホリデーシーズンが始まります。


以上でした。ここまで目を通していただいた方、お疲れ様でした。


次回は時系列で、造園プロジェクトについて更新しようと思います。その後、三男の日本
語補習校卒業についてか、短い2020年と2021年のハイライトにいたします。