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LOHASな感じ!

日頃、仕事やプライベートで感じた事をLOHASな感覚で書いています。

美しさの法則

2006-12-23 | 美の壺的解釈
ご祝儀のお札はなぜ3つに折るのか?という帯封が目に留まり、その本を手にした。

著者は、木全 賢(きまたけん)
シャープ㈱に入社以来、プロダクトデザイン分野に関わってきたとの事だ。
お札にまつわる黄金比やシンプルデザイン、ミッフィーとアンパンマン、デザインのディテール、そしてユニバーサルデザインまで幅広く捉えていた。
~デザインにひそむ〈美しさの法則〉 ソフトバンク新書

その中で、著者は次のような記述をしていた。
もし人がものの美しさに関心がなく、美に快感を覚えないのであれば、
デザイン行為は不要です。
しかし、人にはモノを見て「美しい」と感じる力があり、
美しいものを見ることに快感を覚え、
身近に置いて使うことに喜びを感じます。

そして、デザインの美しいもののほうが、あまり美しくないものよりも使いやすいと感じます。
性能が良かろうが悪かろうが、美しければ使いやすそうだと感じてしまう。
デザインという行為にはそういう暗黙の前提があります。

うーん、確かに言われてみればそうだなぁと感じてしまう。
デザインは、物質そのものに対するその後の関係に大きく影響を与えてしまうのだ。
我々建築業界においても、デザインは重要なのは言うまでもない。
勿論、デザインが良いだけでは通用はしないが。
まずは足元から...。

くじらが潮を吹いていた

2006-11-15 | 美の壺的解釈
くじらが潮を吹いていた。
いったい何の事だろうと、思わずその題名の本を手に取った。
著者は、グラフィックデザイナーの佐藤 卓氏

「デザインの追及においては、単に販売するためだけのデザインだけではない。」
「人と人を繋ぐデザイン、コミュニケーションとは何なのか?」
佐藤氏はそんな観点からデザインしていくのだ。

うーん、なるほど....。
ページをめくるたびに、佐藤卓の思考がヒシヒシと伝わってくるようだ。

ロッテのクールミントガム、今と昔ではパッケージデザインが違うのご存知でした?
佐藤卓は、日常品等のデザインを手がけている超有名グラフィックデザイナーで、クールミントガムのリニューアルデザインも手がけたそうです。
ちなみに私は初めて知りましたが...。
他にも、「明治のおいしい牛乳」「キシリトールガム」「大正製薬ゼナ」「カネボウ ルージュ’90」など数多くの作品を送り出しているとの事です。
この方だったのか、という感じです。

クールミントガム、真っ先に浮かんでくるのはペンギンでしょうね。
そういえば、昔のガムのデザインは違っていた。
ペンギンが氷の上にたたずんでいるようなデザインだった。
佐藤卓は、デザインのリニューアルにおいて、当時のパッケージを見つめ直した。

ペンギンの後ろで、くじらが潮を吹いているのに気づく。
「この事を知っている人は、日本のどこかにいるのではないか」、という発想から、リニューアルした後に、そういった方々にも何かメッセージ残したいと考えていった。

クールミントガムのペンギン、良く見てください。
5匹並んでいますが、一匹だけ違うのわかりますか?
その動作にも実は意味が込められています。
(知りたい方は、コメント送付してください。)

デザインがコミュニケーションを生むのってやっぱり在るんだなぁ。
...などと感じながら本を読んでいた。

あれっ?
著書の帯封を何気なく見たら、水戸芸術館で「佐藤卓展」開催の案内が記載されているではないか。
水戸で暮らしていて、全く気が付かなかった。

灯台下暗しとはこの事か...。


へうげもの

2006-09-16 | 美の壺的解釈
織部焼かぁ。斬新的なスタイルと独特の緑。
実にインパクトがある器だ。

NHK「美の壷」では、ナレーターの安らぐような語りと共に織部焼を紹介していった。

緑に”けしき”を見る。
桃山時代、釉薬の生み出す色の変化を”けしき”といって陶芸の美を味わったそうだ。
織部焼は、釉薬に様々な木の灰を使い分け、変化に富んだ緑を生み出している。
うーん。確かに青磁などと違って、自然の変化が感じられ、なんとも味わい深いものがある。

織部焼の斬新なスタイル。そう、歪んだ器だ。
千利休の弟子、古田織部は、従来の茶器のもつイメージから新たな美意識を創造していった。
シンメトリーでないアンバランスの美をギリギリの線で品格を保ち表現していったのだ。
そういった意味で、”へうげもの”(ひょうげもの)なのだそうだ。

そう言えば、事務所の近くの陶器店にも織部焼が置いてあったなぁ。
展示テーブルには、確か魯山人織部複写と記載していたが、贋作でもそれなりに値が張っていたのを鮮明に覚えている。
その時も、こんなのが欲しいなぁ。と感じていたが、
ここに来て織部焼を紹介するなんて。
ちょっと危険だなぁ...。



雨・蒸気・スピード - グレートウェスタン鉄道

2006-07-09 | 美の壺的解釈
この季節、突然の土砂降りに見舞われることがある。
この間も、高速道路を走っていたら、土砂降りの轟音と共にワイパーが必死に動いている姿があった。
そう言えば、こんな感じの絵があったなぁと思いながらも家路を急いでいた。

ターナーの「雨・蒸気・スピード - グレートウェスタン鉄道」は、ひたすら激しい天候の中、猛スピードで走る蒸気機関車を描いたものだ。
風景画としては、あまりにも斬新的だ。
通常、風景画は、静的な描写が多い。
モネ等の印象派の作品も好きだが、こんなにスピード感を絵画の中で感じられるものはおそらくないだろう。
また、一瞬では見ただけでは分からない、野ウサギや川岸の人物描写も興味をそそる。

ターナーは、秘密のベールに包まれた画家だ。
偽名や住所不定で生活していたりと謎めいているらしい。
イギリスでは、ターナーを風景画の巨匠として位置付けられており、現在残されている多くの作品も風景画だそうだ。
しかし、ターナーは生涯に渡り、女性をかなり描いていたそうだ。
残念ながら、誰かの手によってそのほとんどを焼却されてしまったらしいのだ。

うーん。当時の社会では、ターナーの描く女性像は受け入れ難いものだったのだろう。
価値観・考え方は、当然人それぞれ異なるものだ。
しかし、その価値観を受け入れる時代背景や政治的背景によっては、周囲と同調してしまうことがあるようだ。
個性を貫くということは以外に難しいかもしれない。



魯山人

2006-05-14 | 美の壺的解釈
料理家でありながら優れた陶芸家として知られていた北大路魯山人。
私の憧れる人の一人だ。
NHK「美の壷」では、今回魯山人を取り上げていた。

その中で、魯山人の弟子が話していたことがある。
「目養い」が絶対必要だと言っていた。

とにかく良いものを良いと思う力をつけることが、作品を創造する上で肝要だそうだ。
確かに、良いものを良いと感じる力さえなかったら、良いものは絶対に作れない。
魯山人も料理の世界から陶芸の世界へと独学で入っていったが、卓越した他作家の作品をかなり研究したようだ。
魯山人は古の美術品を2000点以上集め、日々鑑賞していたそうだ。
なるほど...。

笠間に春風万里荘がある。
魯山人の生活していた家を横浜から移築したものだ。
私も数回訪れた事がある。
少しでも魯山人の感性を捉えられればとは思うのだが、感覚的に良いなあと思うだけで、真の良さは実感できていないような気がする。

うーん。まだまだだなぁ。


陶器と磁器

2006-04-15 | 美の壺的解釈
そう言えば、磁器と陶器、何が違うのだろう?
初期伊万里や古伊万里など多少知識は得たものの、基本的な事を理解していなかった。

陶器と磁器なんとなく違いは判るが、言葉にして表現しようとすると自信がもてない。
さっそく調べてみた。ウンチクを語る事にしよう。

基本は、原料にあった。
陶器は、陶土(粘土)で全体に土の色があり、見た目がやわらかい。
磁器は、陶石(石の一種)を使い、白く硬い感じがするのが特徴だ。

陶器と磁器の見分け方は、裏を見ることだ。
器を裏返すと、高台といって器を支える丸く少し盛り上がった部分が、陶器の場合はそこに釉薬が塗っていないので、土の色がそのまま見えている。
磁器の高台は白色だ。

また、器を指で軽く弾くと陶器は鈍い音がするのに対し、磁器は金属質の音がするのだ。

それ以外にも、製造過程では磁器のほうが2工程ほど多い。
磁器は、伊万里焼・久谷焼・京焼が代表される。

個人的には、初期伊万里は別格として、やはり陶器派だろう。
特に釉薬を使用しない備前焼がいい。
釜の中で土と炎と灰が生み出すなんとも言えない表情が好きだなぁ。




吹墨のうさぎ

2006-04-14 | 美の壺的解釈
「吹墨のうさぎ」から、すぐに古伊万里を連想できる人は、かなりの陶芸通だろう。

先週NHKで、「美の壷」たる番組を放映していた。ナレーターの説明が非常にわかりやすかった。
有田の磁器は、伊万里港から出荷されていたので伊万里焼とされているそうだ。
その伊万里の中で一番古い歴史をもつのが初期伊万里だ。

初期伊万里は1610年代から始まる。
初期伊万里は、釉薬を塗るときに器を支えた職人の指跡のぬくもりや、おぼろげな青が奏でる枯淡が特徴だ。
もっとも、今回初めてわかったのだが...。
そんな中で「吹墨のうさぎ」は、うさぎがひょんと振り返る様を見事に捉えている。

古伊万里は、磁器の白にもこだわりがあるそうだ。
理想の白を求めて、陶工がこだわったらしい。
その理想の白とは、米のとぎ汁の色だったそうだ。

確かに一般の磁器とは違い、なんとなく温かみのある白だ。
そこに、おぼろげな青がさらに味わい深くしている。

うーん。この感覚、深みに嵌りそうだ...。

ラ・グルヌイエール

2005-12-06 | 美の壺的解釈
ラ・グルヌイエールは、セーヌ川湖畔にある水浴場だ。
そう、印象派画家のモネとルノワールが互いにイーゼルを並べて描いた絵として有名だ。

ルノワールの全体的なやわらかいタッチに対して、
モネの絵は水辺のキラメキと人物も風景として一体となっている感じが印象的だ。

モネは一見荒いタッチのようだが、なぜかその場の雰囲気が伝わってくる。
荒いタッチで描く水面はインパクトがあり、その絵の中でもかなりのウェイトを占めている。
さすがモネという感じだ。

ラ・グルヌイエール・・・・・「カエルの多い沼地」と訳されるそうだ。
水浴客とカエル?まあ、ここでは想像するのをやめよう....。

そういえば、水戸の近代美術館にもモネの絵が常設されていたなぁ...。
久しぶりに美術館にでもいってみるか。