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月の満ち欠けに時の流れを感じながら、皆でそれぞれの持ち時間を楽しく意味あるものにしていきたい。

能と狂言を見て考えたこと

2013-03-03 16:11:12 | 日記

  2月28日に水道橋の宝生能楽堂で、能「藤戸」と狂言「鞍馬参り」を見た。
  「日本の古典芸能に暫くぶりに触れてみよう。もしかしたら、年もとり違う味わいがあるかもしれない」と…。

  
  驚いたのは、能や狂言の反骨心。「鞍馬参り」は主人と太郎冠者が福を受けるために鞍馬に参拝するが、主人の言いつけで夜通しの祈りに付き合わされる。それが嫌で茶々を入れて太郎冠者は寝る自由を得て~という話。主人とはいえ、神の前では平等と主張したり、いたって自由な心持なのがびっくり。
  能の「藤戸」にしても、源平の戦で巻き添えにあい死んだ漁師の母が戦の功績で来た新領主に恨みを述べるなど、庶民の怒りを表現するなど、民の立場に立っているので驚いた。

  能楽師大蔵流狂言方・茂山千三郎氏のサイトに「能・狂言は、当初は庶民の楽しむ芸能であったものの、室町・桃山時代頃から武士のたしなみごととして庶民から隔離されました。最終的には江戸幕府によって武士のたしなむ芸能として、城の中でしか行われないものとなりました。つまり、城外で興行する際は幕府の許可が必要となり、庶民の人たちには絶対に観られない芸能となったために、その代わりに「歌舞伎」「文楽」「落語」が生まれました。350~400年の間、能・狂言は武家によって保存され、そのままの形で保つことが出来たので、崩れることなく伝えられ、続けられてきました。世界で類を見ない伝承形態があったために、能・狂言が世界文化遺産になったのだと思います。ただ、笑ってはいけない武士に保護されたことで、喜劇の部分が去勢され、歌や舞いに重きをおいたものとなった点は、ある意味、狂言にとっては良くない面であったことは否めません」

  なるほど。なるほど。歴史なのですね~。
  昔のままを能や狂言では味わえるが、それゆえ面白くない。歌舞伎の方は庶民と密接な関係を保ち、昔から改革を受け入れる文化があったから、派手な演出などで人気を保ってこれた。
  能や狂言は伝統が生きているが華やかさがない(華やかさのある演目もあるのかもしれないが・・・)。そのまま受け継いでいくには限界がきていると思えた。一緒にいった主人は結局ずっと寝ていた。前に座っていたご婦人も、途中からぐっすり寝ていた(笑)。私は寝ずにしっかり見たが、ゆったり進行するその構成を楽しむことはできなかった。
  
  客席には若い人の姿はないが、舞台の上には8人の地謡の中に若い人が混じっていた。伝統を世襲で受けついて舞台にいるのだろうか。大変だなあと思った。歌舞伎役者もいまだに世襲。天皇家も世襲。

  今、週刊誌の見出しに「皇太子が退位?」のような記事が踊っているが、生まれた時から決められた役割を背負って生きることを運命づけられたら、自分だったらどうだったろう?とその大変さを思った。

  狂言の野村萬斎がドラマや子供番組に出て狂言を人々に楽しんでもらおうと、火付け役として頑張っているし、能楽堂にあったチラシにも子供たちや若い世代に能や狂言の文化に親しんでもらう試みが数々あったが、今のやり方では将来へ存続は厳しそうだ。

  皇太子が妻や娘の将来を考えてどんな選択をするのか、現代の世襲を考えるうえで注目に値する。
  文化においては、庶民に寄り添ってこそ栄えるのだと思う。能や狂言も、中身をもっと今の庶民に沿わせて変えていかないとだめだろう。
  

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