その日暮らし

田舎に暮らすこの虫は「カネ、カネ、カネ」と鳴くという。

雲と自由が棲むという里で百姓に成りきれるかな?

たとえ総てが失われようとも…

2024-03-27 09:09:07 | 巡礼

おっ!『おやじぃ』の記憶に近づいた^^;

昨日は雨から雪の予報…案の定、今朝はまた雪景色であります。(一昨日、天気の変化を予想して、畑の残渣を焼いておいて良かったよかった^^; 1年半サボったおかげで、畑を元の状態に戻すには、まだまだ、やらなければいけないことが沢山あるのだよ…自業自得)本日のお題「たとえ総てが失われようとも…」の後には「まだ未来が残っている」と続く。どうやら、クリスチャン・ボビーという方の格言のようである。そうだねぇ…明るいか、暗いかの別はあるにしても、確かに「未来」は、それぞれに約束されている。ただし、「生きていればこそ」という前提ではあるけれど、たとえ「死んだ」としても、ともに生きた人々には何らかの影響(記憶)を与え、その方たちには「未来」が引き継がれるのかも知れない…そう願いたい(在りたい)ものではあるけれど。
はて、今朝は始まりが『重い』なぁ…そうなのよ、大相撲大阪場所で平幕「尊富士関」優勝!おめでたい…「出なかったら一生悔いが残ると思った。」そうなのよ、若い頃からケガに悩まされて来ただろうに…不戦敗でも優勝の可能性はあっただろうに…そうなのよ、協会や親方として止めるべきではなかったのかい?そうなのよ、今回を逃せば「優勝」という機会は二度と訪れないかも知れない。本人の決断を優先すべきではあろうけれど、周囲が「奇跡」とか「気力」などと書きたてる。とある横綱経験者は「心技体」という言葉を持ち出して賞賛する…日本人の『悪い部分』が出ているような気がしてならないのでありますけれどねぇ…。


「白ウド」に味噌…いける^^;

さて、大相撲は好きでテレビ観戦するけれど、協会さんには物申したいことが沢山ある。(届かないだろうけれど^^;)まずは、土俵の高さ…観客席がフラットな時代ならともかく、『すり鉢形』の観客席が常備されている所で、高さを確保する必要はないはずである。(大ケガの原因にもなっている。)未だに「土俵のケガは土俵で治す。」といった考え方…表立って口にはしないけれど、そうした精神論がはびこっているとしか思えない。土俵を『神聖な場所』として、神格化し『伝統』を大切にする気持ちも分からなくはないけれど、守るべきものと伝えていくべきものをはき違えているのではないかと思えるフシもある…相撲の素人が語ると怒られるだろうなぁ…けれど、従業員(力士)の安全対策も、企業としての基本的なコンプライアンスのひとつではないかと思うのですがねぇ(笑)
はてさて、「心技体」を賛美する方は、それぞれが『その道』で実績を上げられた方々ではある。前に進もうとする気持ちがなければ…確かにその通り。技術的にはマダマダ…確かに言いたいことは分るわかる。まずは、困難にも立ち向かえる体力をつけて…ひと晩、ふた晩寝なくたって死にはしない^^; 「俺たちは、そうしてやってきた!」…そうです!『昭和の戦士たち』の口から出そうな発想である。『一流』と呼ばれる人たちはそれで良い。しかし、大半の戦士たちは『二流』『三流』なのよ…『二流』『三流』を『1.5流』の域まで引き上げることが出来れば、それを『指導力』というものかも知れないなぁ。『昭和的な考え方』と『平成・令和の考え方』…相対するものでもないと思える『おやじぃ』ではあるけれど、頑なに守るだけでは、『未来』はないとも思っている。それこそ『三流』の生き方しかできない『おやじぃ』が何を言う! 自分では『一流の生き方(楽しみ方)』を探しているつもりではあるが(笑)

コメント
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