さざんかのゆるゆる散歩

自宅の花、家の近くをゆるゆる歩いて見た花、植物園で見た花などを
載せて行きます。日常の出来事や思い出、経験なども。

近況報告と石川数正

2023-09-05 23:18:22 | 私事とテレビを観て

一ヶ月以上もお休みしてしまいました。ようやく体調も上向いて来たので少し書いてみます。

7月の終わりに夕飯に宅配のピザを食べたら、消化が悪かったのでしょう、ひどく胸やけがして、それから日毎に胃腸の調子が悪くなり、胃が痛くなりました。普段から胸焼けの薬は飲んでいるので、薬と消化の良いものを食べてじっと我慢して待ちましたが治らず、かかりつけの医者に強い薬に変えて貰いました。それでも2週間経っても痛みが治らず、脱力感と倦怠感が半端ではなく、何もやる気が起きませんでした。それで以前かかったことがある胃腸科に電話したら、予約をとるのに1週間かかり、診察後痛み止めだけ処方してもらいました。その1週間後の9月1日、やっと胃カメラをして貰えました。胃炎を起こしていると思いきや、食道も胃も何ともないという結果に驚きました。(元々胃にポリープはありますが、胃のポリープは心配無いのです。)それで痛みと胸やけに効く漢方薬と、胃を保護する液状の薬を処方して貰いました。その漢方薬の不味いこと!「良薬口に苦し」です。それに液状の薬を飲んでびっくり!濃い糊のようで、口の中にべったりくっ付く感じなんです。なるほど、これで胃壁を保護するわけですね。この2種類はよく効きました。今では空腹のときに少し胸焼けがする程度で、気分も楽になりました。……というわけで、やっと辛かった状態から抜け出しつつあります。ご心配をおかけ致しました。暑さのせいもあったかもしれませんが、もう2度とピザは食べません!

 

さて、つまらない私事はこれ位にして、一昨日の「どうする家康」を観て書きたくなってしまいました。初代の松本藩主、石川数正に興味をもって観ていましたが、家康のもとから出奔してしまいましたね。これで家康は秀吉に手の内を知られることになり、戦えなくなってしまいました。私は高校で日本史を選択しなかったので全然知識は無いのですが、ネットを読むと家康の家来達は戦いを望む者が多くて、数正は浮いていたそうです。和平を望んで秀吉に付いたのでしょうか。それとも、秀吉に付いた方が特だと思ったのでしょうか。

数正は1590年に、秀吉から与えられた最初の知行地和泉国から8万石で松本に入封し、松本城の建築に取り掛かりますが2年後に死去。息子康長が2代目藩主となりますが、1613年に大久保長安事件(公金の横領)に連座し改易、九州佐伯へ配流となり、松本城藩主は小笠原氏になります。

大河ドラマの終わりに、数正ゆかりの地が出て来ましたね。松本城は勿論ですが、数正夫妻のお墓がある兎川寺(とせんじ)には〇十年前に行ったことがあります。お墓にもお参りして来ました。

       

  (画像はすべてネットからお借りしました。)

              

天白神社

                         

この天白神社は私の実家から北へ5分ほどの場所にあり、懐かしいです。今はかなり傷んでおり、修復して欲しいものです。

テレビで久しぶりに見て、嬉しくなって書きました。

花の写真は殆ど撮ってないのでネタも無く、もう暫く静養したいと思います。ご訪問有難うございました。