飲食居抜きソムリエ  山田 茂  飲食を辞める始めるときのブログ                 

飲食店を希望を持って始めたり順調に多店舗化したり、内装設備に費用がかなり掛かります。その投資を回収できます。

3.宅建取引主任士 24

2017-06-12 10:04:59 | 宅建取引主任士

   不動産独立開業は
     定年後の今が チャンス 

        

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「店舗物語」連載開始
  てんぽたんの
「不動産開業顛末記」
   
      

   7.2011.3.11.14:46.18以後

   14.共同炊事場の思い出    new

   高円寺の4畳と共同トイレ・炊事
   場のアパートの生活体験で、学校
   の専門課程の課題作品で大きなパ
   ネル(B1)に香りのイメージを
   出すために全体を明るいオレンジ
   色で塗って、墨流しを全体に着け
   るアイデアが浮かび、共同炊事場
   を測ったら丁度、パネルが収まる
   サイズだったので許可を得て、水
   を溜その上に墨をながし、パネル
   を重ねた。素早くパネルを持ち上
   げてみると、オレンジ色に墨流し
   が生えて思った以上の出来栄えで
   感動した。その上に予定のキャッ
   チコピーを描き学校に持参した。
   クラスの仲間も教官も褒めてくれ
   た。中には、そんな大きな共同炊
   事場があったからできたんだよと、
   皮肉をいう人もいたが、とにかく
   うれしかった。
   (次回に続く)

   13.4千円のアパート     

   高円寺の賃貸アパートは、中庭があ
   りそれを4畳一間が囲って2階に12室
   一階が6室とトイレ・共同炊事場で元
   旅館だったみたいでおもむきがあった
   。家賃が4000円だが結構高く感じて
   いた。なんせ、夕方5時前には学校に
   に行くので残業もできず、ぎりぎり
   の生活だった。隣の部屋の様子もお
   互いに隠せず、家族のような付き合
   いになった。休日に窓から中庭を見
   ながらぼーっとするのが結構安らぎ
   になった。複数の部屋を借りて住ん
   でいる家族の息子さんが、帰宅する
   といつも蒸しサツマイモやおやつを
   持ってきてくれて、ありがたかった
   。新宿のバイトの話とか大学の話を
   喜んで聞いてくれていた。中野より
   住宅街で駅から10分程、高円寺駅は
   結構商店街が複数あり、物価も安く
   学生も沢山住んでいた。東京での初
   めての生活は結構、人情味にあふれ
   た青春だった。賃貸契約した時、当
   時、保証人を付けた記憶がない。そ
   れだけのんびりしていたのかもしれ
   ない時代だったのだ。
   (次回に続く)
   

   12.色々なバイトする   

   さすがに東京は、バイト探しには困
   らなかった。弁当配達をした時、新
   宿の京王プラザの建築現場に配達し
   たことを鮮明に思えている。でかい
   建物を仰ぎ見て感動したものである。
   夜、学校に行きながらいろいろなバ
   イトをしているうちに新宿のプリン
   ト会社に勤めた時、とにかく営業を
   して仕事を取ってこいと言われ、近
   くの大きい会社に飛び込み営業して
   回った。通学に40分程かかるので夕
   方の5時には電車に乗らないと間に
   合わないのでそれに合わせて、毎日
   飛び込み営業を繰り返した。1カ月
   ぐらいすると20社ほど回るルートが
   出来上がり、それを一日1回、挨拶
   がてら訪問を繰り返した。仕事は、
   中々もらえなかったが、いつの間に
   か、担当者と親しくなり、道で行き
   会ったときも、挨拶するようになっ
   た。これが、結構うれしかった。慣
   れない東京で心が和んだ。それと、
   毎日、歩きなので運動にもなり、お
   腹が減って少ない予算の食事も何で
   も美味しかった。そんなある日、い
   つも通り出社すると、電話が名指し
   でかかってきた。飛び込み営業を始
   めて3か月後の事だった。
        (次回に続く)

 

   11.上京する       

   地元の寮ある会社を見つけ希望ある
   学生生活が始まった。授業の必須科
   目の算数で担当の教官から呼び出し
   受け、面会に行くと過去のことを聞
   かれた。あまりに数学のレベルが低
   いので、その確認だった。経過を話
   すと納得してくれ試験の度に追試を
   受けた時、協力してくれた。本来は
   入学出来なかったのだと、悟った。
   神のいたずらなのか、奇跡的に入学
   出来た。でも、専門課程の工業意匠
   の作品では、みんなの前で作品を褒
   められて、少し自信がついた。その
   作品は今でも覚えている、傑作だと
   思っている。そんな経験からエリー
   ト街道の道はあきらめ自分で起業す
   る方向で進むことを決めたものだ。
   そう決めると考え方がすごく広がり、
   何でもチャレンジしてみようと、シ
   バリが取れ楽になった。バイトもい
   ろいろ変えて、とうとう東京の高円
   寺に住まいを移した。初めての東京
   生活は、新鮮で夢があった。当時、
   働きながら学校に行くのは楽でなか
   った。クラスの仲間はほとんどが働
   いてない、仕方なく夜間に来ている
   人が多かった。当時は、仕事がどこ
   にでもあり、経済的にはどうにかつ
   ながった。人生のスタート地点に立
   った気分だった。
   (次回に続く)

 

   10.母、死亡する      
   
   受験勉強も終わりずーっと仕事と勉
   強で無理した体をリラックスさせな
   ら母とのんびりと過ごしている処へ
   群馬大から合格の通知が届き、とり
   あえず、ほっとした。千葉大の結果
   は、変則入試に付、全く予想できな
   いので群馬大に入学する手続きと、
   昼の仕事を探した。繊維関係で寮付
   きの会社が4月からの入社で2カ所あ
   った。早速連絡を取り面接等の段取
   ろをした。面接の前日、遅刻しない
   ように電車の時刻を調べたりしてい   
   とき、郵便が届いた、千葉大からだ
   った。緊張しながら開封してみると
   、合格だった。このときは本当に嬉
   しかった、母に千葉大に行くよと早
   速、声をかけた。嬉しいそうな母の
   顔が今でも蘇り、ジーンとくる。定
   時制高校の担任の先生に電話して合
   格の報告し、その足で学校に向かっ
   た。すると、職員室の大きな黒板に
   合格おめでとうの文字があった。先
   生も一緒になって喜んでくれた。希
   望に燃えて進めることは、うれしか
   ったが、また、母を一人にして高校
   入学した時と同じことを今度は、何
   か本当の別れのような気がした。案
   の定、2年後に母が、胃がんで死ん
   だ。受験勉強の10か月間の母との
   生活が、母に夢を与えることができ
   たのが、せめての救いである。こう
   して新しい生活が始まった。
   (次回に続く)

   

   9.入学試験受ける     

   入学試験は群馬大夜間部が先にあり
   ふんわりした感触だがどうにか合格
   点に届いたような気持ちで帰宅し、
   その後の千葉大夜間部の試験当日、
   試験会場に向かうと安保闘争の学生
   等で混乱していた。特に夜間部は、
   自衛官の通学反対等の看板が大きな
   独特の書体でかかれ、記憶に残って
   いる。会場の前に着くと張り紙がし
   てあり試験会場の変更が提示されて
   あった。急いで別の会場に行くと優
   秀に見える受験者が集まっていた。
   指定席に着き、時間になると担当の
   人が事情を説明して試験用紙が配ら
   れた。どうも様子がおかしい、試験
   用紙がガリ版刷りなのだ。学生の妨
   害でこうなったらしい。とにかく問
   題集を追っていくと、基本的な問題、
   誰でも出来そうな問題がほとんどで
   おそらく全員が満点に近い点数だろ
   うと思った。終了後、内申書重視の
   噂が流れた。その時、ドキンと心臓
   が鳴った。千葉大は無理だと思って
   いたところ、内申書重視の方向と聞
   いて少し希望が出てきたのだ。定時
   制の内申書なので抜群によかったの
   だ。この年東大は安保闘争で入学試
   験が中止だった。1969年の事であ
   る。
   (次回に続く)

 

         8.受験勉強に集中     

   午前中は定時制の午前の部に出席し
   午後は夕方まで図書館で受験勉強、
   夜は母のいる家で受験勉強の日課が
   始まった。年内にBの教科書3回、
   過去の問題集も3回終了させ、年末
   に予想問題3回挑戦して新年に弱点
   を補い目標を達成する。本当に集中
   して、毎日毎日を過ごし、信じられ
   ない位勉強した。時々、何のために
   勉強しているんだろう、逢いたい人
   もいる、そんな疑問や気持ちも抑え
   て悶々とし寝つきの悪い日もあった
   。そんな時、母がさ湯をもってきて
   慰めてくれる。そのさ湯が心を沈め
   くれるのだ、ただの冷めたお湯なの
   にとても安らぐのだ、母は愚痴をこ
   ぼしたことがない、父が死んで依頼
   子供4人を義務教育卒業まで楽でな
   かったはずだ。その母が入れてくれ
   たさ湯を飲むと心が救われるのだ。
   そんなこんなでとうとう新年を迎え
   受験の日が近づいた。担任の先生に
   挨拶に行った時、がっかりしないで
   と、励まされた。不合格が当たり前
   のように聞こえた。不安はあったが
   一生懸命自分なりに計画を立て実行
   出来たので満足はしている。結果は
   誰にもわからない。
   (次回に続く)

 

         7.母に頼る        

   定時制高校の4年生になる時、大学
   は当然夜間だが行くことに決めてい
   た。先生に相談したり調べてみると
   学費の安い国立大学で千葉大と群馬
   大に夜間部があった。千葉大は工業
   意匠科、群馬大は繊維意匠科があり
   願書を取り寄せた。過去の問題集も
   取り寄せ試験勉強の予定を立てた。
   その過程で驚いたことを発見した。
   高校の教科書にAとBがあって普通
   はBを使っているのだ。勉強の範囲
   全然違うのだ。まったく知らない数
   学の問題もあった。定時制ではAを
   使っている。愕然とした。先生に相
   談してBの教科書をより寄せ予定を
   立て直した。Bの教科書と過去の
   問題集に集中して実行に移した。仕
   事しながらの勉強は、進まない、眠
   い、学友の誘惑等で中々予定を消化
   出来なかった。ここで初めて母に頼
   ることを決め、3年間でためたお金
   を全額解約して母に渡して10か月間
   生活費として渡した。厳しい経済状
   体だっと思うが母は一つ返事で受け
   てくれた。一人住まいで寂しい生活
   をしている母のもとに兄弟誰も寄り
   付かなかった。母は嬉しそうに近所
   に触れ回った。恥ずかしかったが自
   慢そうに話している姿を見ると何も
   言えなかった。
   (次回に続く)

 

         6. 楽しかった定時制時代 

         羽生へ出発の当日、同級生6人が
   久喜駅まで送ってくれた。住む世
   界が違うのでもう会えないかもし
   れないと、思うと、切なかった。
   工場の入社式で歓迎会が行われ、
   初めて口にした日本酒で酔いが
   回り周りにいきなり迷惑をかけた
   。三食つきで午前中は学校に行き
   仕事は遅番なので、14時から17
   時食事休憩語18時か22時までと
   記憶している。入学式の時、うれ
   しいことがあった。式が終わると
   担任の先生に声を掛けられて、中
   学の先生の中に同級生がいて、優
   秀(?)な生徒なのでよろしくと、
   連絡があったと、聞いた。その時
   懐かしさと思いやりで目頭が潤ん
   だ。定時制生活4年のうち3年が、
   学校・仕事・恋愛・会社の慰安旅
   行であっという間に過ぎた。そし
   て4年になると卒業後をどうするか
   が問われる時期になった。
   (次回に続く)
   

         5.3部制定時制高校   

   いろいろあったが、結果的には定
   時制高校への進学が決まった。寂
   しかったが案外素直に受け入れら
   れた。どうしてと、周りから聞か
   れるが一番嫌だった。不動ヶ岡高
   校の羽生分校に寮付きの撚糸工場
   に勤勤務しながらの高校生活だ。
   今朝ドラで放映している「ひよっ
   こ」の世界だ。団塊世代と言われ
   戦後の第一次ベビーブームの生ま
   れで、山形・福島・茨木各県から
   入社している。 近くの、ブレー
   キ工場、染め物工場等などから沢
   山の男女が定時制に通ってくる。
   この定時制は単独で独立していて
   午前部・午後部・夜間部と珍しい
   3部制をとっている。午前部は二
   部制の生産工場、撚糸・ブレーキ
   工場から、午後部は早朝出勤の組
   が夜間部では朝がきついので午後
   部に夜間部は近くの一部制の会社
   や商店から通っている。午前・午
   後部は一学年で50人中男性が4人
   程度になる。女性天国なのだ。こ
   の話をすると、羨ましいと、よく
   言われたが、結構たいへんな面も
   あるものだ。一年目は午前部、二
   年目は午後部、三年目は待望の夜
   間部へそして四年目は午前部へと
   一巡した。
   (次回に続く)

         4.人生を辿る      

   空がスク―リーンになって、そこ
   に思い出の映像が次々映写される
   。小3の時に死んだ親父との思い
   出は、祭りの時、肩車してもらい
   5円の団子を買ってもらったこと
   しかない、それとクラスの担任の
   先生が全員を連れて参拝してくれ
   たこと、今思うと担任の先生の思
         いやりが胸を打つ。先生はその後
         いろいろな能力を指摘してくれ、
   親代わりになってくれたのかもし
   れない。その先生の訃報を昨年の
   暮れの同窓会で知った。小6の時
   遠足費用が用意できない母に泣き
   ついて困らせたことがった。経済
   的には貧しかったが中学へと健康
   な体で進めた。学業は平均位で、
   ただ、中1の三学期ころから数学
   が面白くなりクラスで一番になっ
   たのがうれしかった。それにつれ
   て他の教科も成績が上がり、卒業
   する頃は学年全体でベスト⒑に入
   っていた。
   (次回に続く)

 

         3.一茶と歩く       

   南千住駅で降りると大勢の人が北
   に向かって、つまり北千住の方向
   にほとんどの人が歩いている。そ
   の流れに載ってついていった。空
   は晴れているがどことなくどんよ
   りしている。今のところ暑くはな
   かった。周りの景色を見ながら黙
   々と歩いている。結局、隅田川と
   荒川の大橋を渡るしかないのだ。
   そのころになると歩く速度に差が
   あり少しずつマラソンみたいに小
   集団ができその間隔も大きくなっ
   ていった。電車が動いた情報はと
   れない。歩くしかないのだ。頑張
   ってと、水を補給してくれる場所
   も設置されであり本当にうれしか
   った、これもマラソンと一緒だっ
   た。だんだん人が少なくなり小林
   一茶が江戸時代東北に向かって俳
   句の旅をしていたのをふと、思い
   出した。そこで一句読んでみた。
  「震災が 人の営み よく見てる」
   空を仰ぎながら歩いているうちに、
   いつの間にかスーと意識が人生を
   たどっていた。
   (次回に続く)

 

         2.会社で雑魚寝     

   その日、散らかった書類等をどう
   にか整理し家族全員の無事が確認
   出来ると、急にお腹かがすいてき
   て近くのコンビニ行くと人でいっ
   ぱだった。ほとんどの食品がない
   ので、煎餅とかどうにか確保し、
   事務所に戻り食べながら、交通機
   関の状況を確認するとどうも帰宅
   は難しいので会社で雑魚寝した。
   椅子を3つ並べて座布団を枕に上
   着を掛け冷えないように暖房を弱
   めに設定し目を閉じると、疲れた
   のか間もなく寝てしまった。案外
   図々しいのである。翌朝、目が覚
   めたのが6時過ぎだった。やはり
   体のあちこちが痛い、寝返りでき
   ない分どこかにしわ寄せが生じ痛
   くなったのかもしれない。昨夜の
   残りの缶珈琲を飲みながら交通機
   関を調べてみると南千住迄地下鉄
   でいけそうなので早速準備にかか
   り事務所を出た。大勢の人が方向
   は違うけど黙々と歩いていた。
   (次回に続く)

 

   1.東日本大震災発生     

   昨日の電気街の一棟賃貸の契約の
   余韻が覚めない午後、JR御茶ノ
   水聖橋口から線路沿いに秋葉原の
   昌平橋に向かう坂道、通称淡路坂
   を下りかけた時である。キャーと
   いう悲鳴とともに地面が揺れ始め
   周りのビルが音を立てて揺れてい
   る、一瞬何が起きたか理解できな
   かった。間もなく音が聞こえなく
   なり、丘の上からビル群の揺れが
   、ゆらりゆらりと見えて幻想の世
   界に入った。はっと、気が付くと
   昌平橋に近くにいた。事務所近く
   着くと人が大勢あわただしく会話
   していた。事務所に戻ると電子レ
   ンジが落ちて、幅広の厚みのある
   書棚がずれていた。何よりも事務
   員が無事だったのでほっとした。
   すぐに家族と連絡を取ってもらい
   帰宅の段取りを取ってもらった。
   どうにか連絡が取れたらしく直に
   帰ってもらった。事務所内は地震
   の大きさが想像できる、散らかり
   状態だった。
   (次回に続く)   

 

 

 6. 通信革命起こる

   46.第二・第三のHPは  
   
   最近の契約物件の内容を確認して
   みるとほとんどが専任物権で業者
   紹介の物件とか指定流通機構(レ
   インズ)の物件は皆無に近い。そ
   れは各社がHP(消費者媒体)を
   持ち、集客方法に差がなくなり何
   処が物件の依頼を受けるかが生命
   線になっていて非常に明確になっ
   てきた。だから専任物件だけの営
   業になるとそんなにバタバタと営
   業しなくとも時間たてば契約にな
   るので今までのように忙しいとい
   う雰囲気はない。それでいて売上
   だけは予定以上になる。よく言え
   ば、一軒一軒の内容が濃くなてい
   るのだ。今のところ毎月物件を計
   算したように依頼を受ける。結構
   安定した年月が続いている。この
   まま変化がないことを祈るばかり
   だが、内心は不安がいっぱいであ
   る。なぜか、第二・第三のHPの
   成果がほとんど出てないのだ。半
   年がたっても変化がないのである
   。同業からどうですかと、よく電
   話がはいるし、飛び込みで様子を
   見に来る社長さんも多い。あれは
   遊び感覚でやってますのでと、は
   ぐらかすが、真剣にまじめにやっ
   て、期待しているのだが、そんな
   に簡単にはいかない。
   (次回に続く)
   

        45.信頼         

   数日後、家主さんが内装業者と一
   諸に来社した。少し足が悪いらし
   く階段がきつかったと笑いながら
   入ってきた。先日よりも若く素敵
   に見えた。隣の内装業者はづっと
   不機嫌な顔をしていた。当たり前
   である、今までテナントが変わる
   たびの原状回復工事がなくなる話
   なので面白いわけがない。家主も
   いろいろ調べてきたらしく、造作
   売買は禁止と確約できれば、お世
   話になったテナントに負担をかけ
   させないのはいいことだと思いま
   すと、柔軟になってきた。内装業
   者の顔をのぞきながらさらに、但
   し次のテナントがいない場合は3
   か月前の解約通告と原状回復は、
   従来通りですよと、念を押してき
   た。内装業者にも、これからはそ
   うしますのお願いしますと、言葉
   で確認した。内装業者は仕事が減
   る交渉なのに黙って耐えていた。
   その後、 この内装業者の評判が
   良かったのと、協力してくれた縁
   から、複数の内装業務を紹介し、
   上手に請け負ってもらいお互いに
   良い関係が続いた。それと地下の
   メイドカフェの仲介も家主から依
   頼を受け一般媒介だが早いもの勝
   ちの仲介業務に狂奔して地元の有
   利さもあって、色々あったが、契
   約に至り、その後もテナント募集
   では相談が入り専任状態になった。
   (次回に続く)
   
   

   44.メイドカフェの原状回復  

   近くの地下一階で老舗に近いメイ
   ドカフェ経営している社長からの
   依頼で訪問した。閉店したいが、
   契約が現状回復(事務所)になる
   のでどうにかならないか、費用が
   掛かりすぎるので困っているのだ。
   先日も家主紹介の内装業者が内見
   にきて見積もりを持ってきたが、
   あまりにも高いので、途方に暮れ
   ているのだ。ここの家主とは面識
   はなかったが、仲介は神田の同業
   が受けていた。家主に連絡入れて
   みると、物件の近くの不動産業者
   ということに興味をもったらしく、
   意外と早く面会できた。中年の真
   面目そうな女性が代表だった。今
   までは必ず業種に関係なく事務所
   に原状回復して時間と費用を借主
   に負担をかけてきた。そこの処を
   省略して原状回復を継承しつつ次
   のテナントに居抜きのまま引き渡
   しを承諾すれば、お互いに時間と
   費用が省略でき感謝され、ビルも
   余分な負担が掛からずメリットが
   あると思いますと、説明したが、
   ピンと来なかったみたいで、再度
   近いうちに合うことになった。
   (次回に続く)

 

   43.ネット時代の課題  

   インターネット不動産の研修会が
   東京の丸の内で開催され参加した。
   テーマ別に5会場に分散し各会場
   とも100社前後の参加があり盛況
   の内に始まった。さすが全国から
   集まり熱気があった。インターネ
   ット不動産の成功例のテーマ室に
   参加した。午前中は主催者の現状
   報告があり、午後から成功例の会
   社の報告があった。結論から言う
   うと成功例の報告は地域では、東
   京が荒川区、後の3社は千地方の知
   られていな地名だった。インター
   ネットは遅れている地域程、効果
   が抜群で一時独占状態になる、結
   局その確認であった。初めてHP
   で集客したころが懐かしく思い出
   した。都心の業者から反響がない
   と、いう声が休憩中の雑談のなか
   ら漏れて聞こえてくる。都心部で
   はもう集客の方法は差がなくなり
   後は商品(物件)とデータの活用
   方法のが問題なのだ、がその点に
   ついての報告は皆無だった。不満
   の残る研修会った。結局、商売の
   本質は、いつの地代も変わらない
   、人よりも少しでも先に出て、い
   い商品を提供する、これしかない
   のであるが、ネット時代の商売は
   データの活用が次の課題なのであ
   る。
   (次回に続く)


   

   42.断トツの同業者現る 

   朝一番で同業の営業マンの訪問を
   受けた。物件の収集である。営業
   マンによると、月の契約数が30件
   前後、東京都全域を営業地域とし、
   各区に担当を置いて物件を収集し、
   毎月同程度の契約数を達成してい
   るという。社員も30名以上になり
   それでも不安定な経営だという。
   そこで、サブリースを始め100件
   程になると、かなり安定しだし、
   これからはサブリースをメインに
   営業を進めるという、だから物件
   が欲しいと、正直なのだ。ライバ
   ルと思っていた同業が遥か彼方に
   見えるところにいる、かなりショ
   ッキングな訪問だった。大雑把に
   いって、活動地域・人数・契約数
   等で約10倍の規模で、サブリース
   で安定的に伸びているのだ。サブ
   リース専門の同業と違って、仲介
   から始まってサブリースで安定さ
   せる。客付けに強いだけあって、
   理想的な展開に思えた。会社案内
   を見たが、資本金も十倍以上であ
   る。やはり、家主の信用を得るた
   めには必須条件なのだ。営業マン
   帰ってから、少しぼんやり比較し
   てみた。内容では負けていない自
   信はあるが、将来の意味で水を大
   きく開けられた衝撃があった。
   (次回に続く)

 

         41.更に第三のHPを  

   第二のHPの入力作業中にふと、
   秋葉原の中古マンション専門のH
   Pも作ったらと、脳裏をよぎった
   。ついでに調べてみると秋葉原だ
   け中古マンション情報ははなかっ
   た。これもいけると、思い、前、
   飛び込み営業で来た簡易HPの格
   安の製作費でできる資料を思い出
   し電話して、早速、来社してもら
   い、もう一人の事務員に一緒に参
   加してもらい打ち合わせして、取
   り組む事に決定した。今まで考え
   てみなかった事を矢継ぎ早に2つ
   同時に進めることに自分でも驚い
   た。今までは、HPのあるなしの
   戦いだったが、いよいよネット上
   での淘汰の時代を迎えたことが感
   覚で分かった。その思いがそうさ
   せたのだと自分なりに解釈したが
   、当たっていると思う。店舗専門
   のHPは、今のところ従来の業績
   下回ることなく予定通りの売り上
   げを確保できている。今、チャレ
   ンジしておかないと余裕がなくな
   ってからで間に合わないし、おそ
   らくできなくなるだろうと、思っ
   た。
   (次回に続く)

 

         40.第二のHPに挑戦  

   サブリースをやらない方針を決め
   てから新しいことを模索している
   中でHPをもう一つ作るという発
   想が強くなってきた。賃貸全般を
   扱い店舗も含めて事務所・住居も
   扱う、それで、静かに改めて秋葉
   原で賃貸で一番を目指す。調べて
   見ると秋葉原専門の賃貸全般HP
   は存在しない、あるのは他の地域
   と絡めて秋葉の物件を掲載してい
   るHPがほとんどで、というより
   すべてだった。これはいけると、
   思い事務員に相談の結果、早速ス
   タートさせた。コピー機メーカー
   推薦の全国を対象のHP専門の会
   に依頼、事務員も含め打ち合わせ
   数回もって、HPの内容を決め、
   製作を依頼した。1カ月ほどで完
   成、待望のHPが届いた。期待を
   膨らませての入力作業がスタ-ト、
   初心に帰った気分になった。
   (次回に続く)

 

         39.売上は順調だが・・ 

   インターネットのお陰で2000年
   代に入ってから必要経費が一定に
   なり、女子事務員2名体制が確立
   して売り上げも順調に上がり、時
   には必要経費の5倍の月も出てき
   た。利益率が抜群なのだ。物権確
   保は困難であったがやはり少し先
   行した強みがあり、なんだかんだ
   物件情報を確保できた。しかし、
   サブリースは方針に逆らうので取
   り組まないと、決定してから物件
   確保の方法とか、多角化の問題と
   か将来の映像が描けないでいる。
   順調なだけに時の過ぎるのも早く
   どんどん進む。常に誰かに追われ
   いるような気分なのだ。今までは
   先のことが見えてその通りに実行
   してうまく回転してきた。が、サ
   ブリースを拒否してから何も見え
   なくなり、不安が募る一方なのだ
   。判断が間違っていたのかもしれ
   ないと、思うようになってきた。
   サブリース会社の情報が入るたび
   に胸が高鳴った。
   (次回に続く)

 

         38.サブリースが本命か 

   不安低な経営を安定させるために
   、それぞれがしのぎを削ってまで
   物件確保の課題に取り組んでいる
   。最近の傾向として店舗専門業の
   欠点を補う物件確保の手段として
   サブリースが主流になり、かなり
   店舗数が確保されている。ある会
   社では700室確保し、今後も増や
   方針だという。経営も安定してき
   ていると言っている。おそらく人
   材も育ち組織もしっかりしてきて
   いると想像できる。サブリースを
   扱っていない同業は、当社を含め
   て、当面は実績でカバーできても
   これから先は物権確保で追われる
   毎日になると思える。すでにそう
   なりつつある。ネットの発展で集
   客で差別化が難しい時代になり物
   件勝負になりつつある。秋葉原で
   地域密着不動産として、物販・メ
   イドカフェ・飲食と取り扱える当
   社は恵まれていると、よく言われ
   が大きなスパンで見れば早いか遅
   いかの違いと思う。今のところ数
   字だけ見れば順調である。しかし
   物権確保の課題を見ると、相当の
   プレッシャーがかかっている状態
   である。
        (次回に続く)

 

   37.不安定な店舗専門会社

   店舗(飲食)専門不動は、どうし
   ても物件の確保のきっかけは、現
   に飲食を経営している方とのつな
   から始まるケースが多い。そこに
   家主さんはもちろん、別途管理不
   産会社が存在するケースがほとん
   である。事前に相談するのが一番
   だが、情報が洩れるとどうしても
   営業が難しくなるケースが多い。
   そこで内密で引き継ぎ客を探す事
   が優先される。たとえ管理会社が
   いないケースでも上階の事務所や
   住居の募集に他業者が動くケース
   がほとんどである。それと、たと
   え無事に引き継ぎ客を見つけて契
   約にこぎつけても次の募集の時の
   約束は保証されてないケースが多
   い。かなり不安定な物件確保の連
   続なのが現実である。やはり家主
   さんから依頼を受けないと継続が
   困難になる。結構努力しても状況
   は改善しない。店舗だけで一棟を
   管理する仕事はそんなにない。つ
   まり不安定なのだ。
         (次回にに続く)

 

         36.至福の10年間    

   ネットで店舗専門不動産を検索す
   ると当時は、いつも最初のアクセ
   ス欄に社名が出て結構それなりの
   知名度があり、秋葉原では断トツ
   だったが、それだから、経営が楽
   かというと、そんな甘くはない。
   本音でいううと、もし秋葉原でな
   く違う地域で開店したらもっと違
   う展開というより、経営が行き詰
   っていた可能性が高いと思ってい
   る。少し早めのネット対応が秋葉
   原では本当に力を発揮して活躍し
   てくれ、その恩恵を独占できた時
   代が10年ぐらい続いた。とても楽
   しい時間だった。その時の過ごし
   方が近い将来の命運を握っていた。
   組織化・後継者育成等、それと、
   物件の確保のためにサブリース契
   約の可否の問題。サブリースに関
   しては仲介に始まり仲介で終わる
   の原則から外れていると、思いが
   あり踏み込めないまま時が過ぎ、
   結果的には、取り組まなかった。
   (次回に続く)

   35.手数料無、業者の出現  

   リーマンショックが世間をにぎわ
   せていた。規模の小さい店舗業界
   では話題になるがどこか違う世界
   の出来事のような感覚があった。
   目の前の仕事に影響はなかったの
   だが、都心の事務所仲介業者の業
   績には影響があったらしく店舗の
   仕事に参入する機会が多く見られ
   た。増々、物件確保の競争が厳し
   くなり仲介手数量の値引きも始ま
   った。造作譲渡契約の仲介料には
   規定がなく売買とみなして価格の
   3%をもらうのが一般的だった。
   ここに店舗専門の妙味があったが
   競走が激化したことで無料の業者
   も現れ、造作売却委任契約に訪問
   空振りというケースが増えてきた。
   仲介料の件でも物件確保が大変に
   なってきて、さらなる対策が必要
   になってきた。長くやっている店
   舗不動産として実績があったのが
   幸いに契約はどうにか確保できて
   資金的には割合余裕があった。
   (次回に続く)

 

         34.電気街からオタク文化へ 

   秋葉原が電気街からオタク街に変
   貌する中でメイドカフェが誕生す
   る1998年ごろで、その老舗は今
   でも外神田3丁目で営業している。
   そして今はときめくAKB48の
   劇場が2005年に誕生し努力の甲
   斐あって今日の栄光をつかんで
   いる。一度、劇場に行ってみたが
   お客もぱらぱらで今日の隆盛は、
   想像できなかった。メイドカフェ
   に参入する企業・個人も増えてき
   居抜き物件を扱う不動産会社が少
   ない、いや、なかったので当社の
   出番が増え、かなりの件数を紹介
   できた。メイドカフェ業界でも居
   抜き売却に貢献できたと思う。今
   でも相談を受けている。オタク文
   化の発展と共にパソコン・メイド
   系飲食、それと伴ってラーメンも
   注目されてきた。オタク文化にそ
   れぞれが相性がいいらしく今でも
   繁盛している。
        (次回に続く)

 

 

   33.市場の開発     

   秋葉原で不動産を開業した時にい
   ち早く電気街の市場性に目を付け
   中央通りの中心の喫茶店の居抜き
   を買い取り電気街1号店としたCD
   販売の社長は、その後も順調に店
   舗を広げ地元のCD販売店を追い
   越し、撤退させるほどの活躍を見
   せている。中古の買取と新製品の
   販売でダブルの売上を戦略として
   出店戦略も駅前・中央通り・その
   他と集中させ市場の独占化をほぼ
   果たした。おかげで店舗紹介で仕
   事も沢山出来、電気街の上客とし
   て長年お世話になった。感心する
   のは、人よりも少し先に行動する
   のがうまい、優れていると思う。
   だから簡単に大きくなってしまう
   。偶然にも電気街に店舗専門不動
   さんを開業したことをラッキーと
   、同業者はよく言うがその通りだ
   と思う。人より少し前にに先行で
   きることの凄さを目の前で体験で
   きた希少な経験だった。CD販売
   の社長は中野のブロードウェイに
   も注目していた。
   (次回に続く)

 

   32.営業力の低下は必然 

   ネット営業で一番向いている物は
   、同じ商品がないものである。そ
   んな商品があればネット発信すれ
   ば必ず売れると思うが、それはも
   ちろんニーズと合致が前提である。
   その意味で言えば、不動産は、同
   じ物件はない、隣、上下はあって
   まったく別物である(同業者の同
   じ物件のバッテングの問題は本質
   的に意味が違います)。 ネット
   不動産専門になって久しいが、本
   当に発信するだけで不動産契約者
   が確定してしまう場面を沢山経験
   します、物件次第なのです。物件
   を取得することは別にして、客付
   けという意味では営業力の差がな
   くなり、そして思うことは、営業
   力の低下が著しくなり、入力する
   ことで営業が終了と、勘違いして
   しまいます。誰でもそんな経験を
   していると思います。時々、不動
   産業は男性がいなくなり女性だけ
   で成立する業種にと、そのほうが
   お客さんも安心するかもしれませ
   ん。ネット契約も着々と実験が進
   行しています。数年先IT化が一
   番進んでる業界かもしれません。
   (次回に続く)

 

 

   31.バッテング     

   比較的古い同業で親しくしている
   社長から朝一番で電話が入った。
   話を聞いていると、お客さんから
   どこどこのHPにある事務所物件
   契約したいので確認してください
   と、結構こうゆう話があるらしい
   。同じ物件があちこちのHPに登
   録されているの折角契約するなら
   知っている業者さんに頼もうと、
   なるのだそうだ。言われてみれば
   店舗でもそういう依頼があったの
   思い出したが、店舗の場合は競争
   が厳しいのでなかなか目的は達成
   されない。その業者さんはHPは
   やらないと、断言し地域密着でほ
   とんどの物件が店から5分以内で、
   交通費は使ったことがないと、い
   つも自慢げに話していた。確かに
   事務所をネットで探すと3桁の物
   件が目の前に現れ、しかも同じ物
   件が複数の業者から発信っされて
   いる。中には気に入った物件があ
   ったら無料で仲介しますと、発信
   している業者さんもあると、言っ
   ていた。夕刻早めに仕事を切り上
   げ、いつもの相方と開業時、紹介
   開店して夫婦でかんばっている近
   くの居酒屋に寄った。相変わらず
   接客上手のママが笑顔で迎えてく
   た。早くいったのでカウンターに
   座って相方と愚痴を言いながら飲
   んでほろ酔い加減で帰路に就いた。
   (次回に続く)

 

 

        30.電気街の一番の顧客  

   仲介か購入かで悩んだ売買物件の
   契約はスムーズに進み、引渡の当
   日、物件で待っていると社長と息
   子さんが内装業者と伴って現れた
   、準備が良いのだ。そばで見てい
   ると、どうも焼き鳥屋を息子さん
   任せるようで外側のスペースにカ
   ウンターを作って、6席ほど座席
   が増えるようだ。事前に内装業者
   が調査済みで法的に問題無いと、
   いうことで1時間ぐらいで終了、
   最後まで参考に見学していた。
   このカウンターが近い将来、焼き
   鳥経営につまずき賃貸するときに
   ラーメン店としてすごい力を発揮
   し、それ以来今日まで同じ店主が
   営業を続けていて、結構有名にな
   っている。開業時、知りあった、
   このDVD販売の社長とは縁があ
   り、売買物権で4件、一棟貸し店
   舗5件と長い間にわたり仲介でお
   世話になった。普段は、威張らず
   地味で、社員教育が大好きだと、
   いうのが口癖だった。
   (次回に続く)

 

   29.情報管理と活用   

   インターネットの普及で通信が早
   く安くでき従来の紙媒体の広告と
   比べならない。しかし、インター
   ネットの本質は、一方通行でなく
   双方向性が最大の特徴だ。集まっ
   顧客情報も5桁の数に上りこれを
   どう管理しどう活用するかで近い
   将来の各企業の立場が、激変する
   可能性が大である。どうしてもイ
   ンターネットを広告媒体として見
   がちであり、当方もどちらかとい
   うとその通りなのだ。新物件情報
   など瞬時に全員に送付できる。他
   社物権の場合は、すべてスピード
   の勝負である。これは取り組むと
   毎日追われてかなり疲労する。突
   き詰めて行くと、必然的に物件の
   確保の問題にたどり着く。最近、
   サブリースを取り組み会社が相当
   増えてきて把握しているだけで十
   数社程あり、合計の室数もかなり
   の数字になる。果たしてサブリー
   スは、仲介で始まり仲介で終わる
   という、原則から逸脱しているの
   か、現時点でそう思うが、最近の
   情勢はそれを否定している現実が
   進んでいる。
   (次回に続く)

 

   28.激変する業界地図  
 
   物件確保の課題に答えが発見でき
   ないでいたが、契約数に今のとこ
   ろ影響が来ていないながら、近い
   将来の不安が大きくなるばかりだ
   。専任の委任を受けている店舗物
   件の主にもいろいろな印刷物が、
   どこかで情報を得て送られてきて
   いる、依頼主の動揺も感じられ、
   それがさらに不安を増長させる。
   そんな場面が多くなってきた。同
   業からもリース物件がかなり増え
   ていると良く聞くようになった。
   ある企業では3桁のリース物件を
   確保していると聞いている。仲介
   で始まり仲介で終わるの教訓から
   判断すると、リース物件確保は、
   原則を逸脱していると思うので
   今のところ取り組むつもりもない
   資金的にも人材的にも無理である
   が、かなりその方向が進化してい
   る。そこがすごく怖い。又、ネッ
   トを取り組まない業者の苦境もよ
   く聞くようになった。凄いスピー
   で淘汰が進んで気がする。判断を
   間違えると大変な時期が来ている。
        (次回に続く)

 

   27.購入する      

   銀行融資で賄えたので、結局購入
   した。この物件は仲介の原則に対
   して、地元・安価・4階を事務所
   として使用・1~3階の賃貸募集
   も難題でないと、いう観点から例
   外としてみることができる。早速
   4階を事務所に改装し、1~3階の
   募集を開始したが、意外と1~3階
   の賃貸が決まらない、いざ家主に
   なると焦るもので、その焦りが、
   周囲に伝わるのか悪循環になって
   中々申し込みが出なかった。同業
   に頭を下げて回ったが、内見の連
   絡もなかった。そうなると、月日
   の流れるのも早く、仲介の仕事も
   おろそかになり、悪いことばかり
   考えるようになり、食事ものどを
   とうらなくなり、げっそりして、
   困憊した。どうしようと悩んでい
   いる時、はっと、目が覚め安堵し
   た、今朝の事を思い出しながら、
   買い付け証明書を確認した。昨夜
   悩んだことで根付が悪く、浅い眠
   りだったので、余分なことを考え
   たから、悪い夢を見たのだ。
   買い付け証明書は、金額も満額、
   ローン条項無し、決済も売り主に
   合わせるわると、完璧だった。こ
   れで、腹が決まり、本当の意味で
   目が覚め、珈琲が久しぶりに、の
   どに心地よかった。
   (次回に続く)

 

   26.仲介か購入か    
   
   購入か仲介か決めないで内件に立
   ち会うのは失礼とは思いながら現
   地に着くと、すでに社長と息子さ
   んらしい二人が凛として待ってい
   た。気持ちがやけに伝わってくる。
   開業時に知り合ったDVD販売の
   社長である、1階を細かく採寸し
   て渡した平面図をテェックしてい
   る。どうも飲食店をやるようなの
   だ、そういえば、子供が飲食店を
   やりたがっているが、どう想いま
   すかと、出会ったころ質問を受け
   記憶がある。後から内装業者も参
   加して1時間ほどかかって、終了
   した。帰り際に、買い付け書、f
   ax送っておいて下さいと、買う
   気満々の様子である。事務所に戻
   り仕方なく、買い付け証明書を送
   った。夕食をすませ、入浴中もそ
   のことから逃げられなかった。や
   はり、仲介に徹するべきかと、悩
   んでる居るうちにいつも間にか眠
   ってしまい、朝を迎えていつもの
   のように会社に向かったつもりだ
   が、何処かぎこちなかった。社に
   着くと、思った通り昨日の内見物
   件の買い付け証明書がfaxされ
   ていた。
   (次回に続く)

 

   25.不動産経営の原則  
     「仲介で始まり
      仲介で終わる」 

         翌朝、寝不足の頭を熱い濃いめの
   珈琲を飲んで刺激してから出社し
   て、午後からの売買内見の準備を
   した。開業時に学んだ不動産経営
   の原則「不動産業は、仲介で始ま
   り、仲介で終わる」と、いう先輩
   たちの教えを何回も頭の中で読ん
   で、今日の売買物件を購入するの
   か、仲介ですすめるのか、考えた。
   不動産業は最初仲介しているうち
   に購入して賃貸に回したり、タイ
   ミングによっては売却で利益を出
   そうと、いろいろ挑戦して、痛い
   目にあったりして、結局は仲介業
   に専念するという教訓だ。だった
   ら最初から仲介業に徹して決して
   購入しないと、決めて開業を決意
   したはずだ。結論が出ないまま、
   午後の内見に向かった。
   (次回に続く)

 

 

   24.顧客がライバル   

   土地面積8坪、使用面積6坪の4フ
   ロア、セットバック0.5mの売買
   物件チラシを作成中に顧客一人に
   絞って紹介しょうと思案している
   と、購入して4階を事務所に1~3
   階を賃貸してみたらと、ふと、よ
   ぎった。考え出すと心が躍った、
   ドキドキ感だ。そのことで脳がグ
   ルグル回転し始めると止まらなか
   った。そう、とりあえず顧客の一
   人に紹介だけしておいて、ゆっく
   り考えようと、少し冷静になれた。
   その日の夕刻、早速、紹介した顧
   客から内見の依頼が入った。折角
   冷静になった脳がまた、高鳴りだ
   した。顧客がライバルに見えてき
   た、不思議な感覚だ。その夜、寝
   つきが悪く、かなり遅い時間まで
   脳が働き、どうするか結論がでな
   い中、ようやく眠りについた。
   (次回に続く)

 

   23.運命の物件     

   ありがたいことに近くの同業社が
   売買物件を持ち込んでくれのだ。
   近所なので社名や代表者の名前は
   知っていたが、面と向かって会う
   お互いに初めてである。今では一
   等地になっているが当時、電気街
   の裏通りになるのと、角地だが、
   一方が3mなので将来の建て替え
   50㎝のセットバックが必須なの
   で、弱点のある昭和40年代の4階
   建のエレなしの古い建物なんであ
   る。内密で処分したいと専任を受
   けたらしい。そこで最近頭角を現
   した(笑い)当社に客付けを依頼
   に来社した訳なのである。
   お客いらっしゃいますかと、小声
   で聞いてきたので、思わずやはり
   小声で、おりますと、返事したの
   大笑いになって打ち解けた次第で
   ある。1カ月間任せますのでと、
   少し余裕のある時間をもらえたの
   で、笑顔の挨拶で見送りすること
   できた。
   (次回に続く)

 

 

   22.走馬灯の如く    

   集客方法で少しほど先にいってい
   るせいが、契約数は予定をクリア
   して毎日が走馬灯の如く過ぎてい
   く。ネット社会は、データだけが
   どんどん残って凄いスピードで物
   事が処理され、虚しさを感じたり
   する場面も結構増えている。人間
   関係が形だけとなり、面識のない
   顧客と何回かメールのやり取りを
   していると、いつの間にか知人に
   脳の中で昇格してしまう。メール
   は結構個性が出やすいらしい。出
   会い系のサイトが問題になるがハ
   マル気持ちは、最近よくわかる。
   その日の午後一番で近くの同業者
   が飛び込みで入ってきた.  やせぎ
   すの背の低い70歳ぐらいの面識の
   ない人だった。
   (次回に続く)

 

   21、サブリースは物権確保の
     本命          
  
   気が付くと秋葉原駅周辺にもネッ
   ト不動産専門の業者がタケノコの
   ように増えていた。一階でなく上
   階に社名だけの看板なので業種が
   わからないので気が付きにくい。
   宅建取引主任者証を持っていれば
   法人をつくのに費用は掛からない、
   問題は開店後の推移である。ネッ
   ト営業はツボにはまると早いが、
   専任の物件がないと中々問い合わ
   せすらない。その物件確保の課題
   永遠のテーマである。今でもその
   答えはないと、いうのが正直なと
   ころだ。最近時々話題になるサブ
   リース、いつの間にかその専門の
   企業も増えてきた。HPをみて、
   当社が借主になりますので、紹介
   くださいと、いう営業が増えてき
   ている。老舗の同業で、サブリー
   ス業者を嫌っているものも多い。
   物件を取られた気分になるらしい。
   でも、物件確保という意味では、
   本命に近いと思うようになってき
   た。資金はかかるしリスクも多い
   、いざ自分が転貸者になった場合
   冷静な判断ができるのか。サブリ
   ースを物件確保の手段として取り
   組むか否かによって、近い将来、
   大きな差になる予感がするが、決
   断は直ぐにできない、月日がど
   んどん過ぎていくばかりだ。
         (次回に続く)

 

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