うさとmother-pearl

目指せ道楽三昧高等遊民的日常

逆の時代 暗

2022年07月27日 | ことばを巡る色色
元総理(前回”前総理”としたが、元が正しいですね)が襲われ死亡した事件から、20日余りがたとうとしている。この事件について、「暗殺」「テロ」とする記事を目にすることがあるが、違和感が否めない。
暗殺やテロは政治的背景があり、対象者のイデオロギーに異を唱えるものである。今回の襲撃は果たして、そのような政治的なものであったかと言えば、否であるからだ。
暗殺やテロとする人は、たぶん、政治的対立による犠牲と考えたいのであろう。それ故に国葬も当然であると考えたいのであろう。しかし、明らかになっていたように、前総理が宗教団体の広告塔ともいえる行動をとってきたことへの抗議であり、「私憤」であった。それを、イデオロギーの犠牲になったということにしてしまってはいけない。前総理は個人としては愛すべきキャラクターであったのだろうが、それと美しくはない計算によりしてきたことをなかったことにはできないし、ましてや美しき犠牲者とするべきではないと思う。
前総理と拉致被害者家族の会、勝共、統一。私は今回の事件まで、何も気づかずにいたのだ。
報道を止める力が働いていたのかは知らないが、あの宗教について報道されなくなった日から何十年かたった。そして、私はずっとずっと気づかずにいたのだ。
初めてその団体名を聞いた日から7/8のあの日まで、勝共、統一という名のきちんと意味を考えずにいた。そして、この事件がなければ何も気づかず時は過ぎていったろう。
前総理に、勝共、統一に賛同するイデオロギーがあったのならば、「暗殺」と呼べるであろうが、そのような政治的背景もなく、あの宗教団体と懇ろにしていた。一国の総理経験者がである。だから、それを「暗殺」と呼んではいけない。
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