うさとmother-pearl

目指せ道楽三昧高等遊民的日常

逆の時代

2022年07月15日 | ことばを巡る色色
これまで、「逆」はどちらかというとポジティブイメージで使われることが多かった気がする。「逆転」「逆襲」「逆玉」。耐えていたものが巻き返し挽回する、のような明るいもの。いくら逆境に有っても、その生き方次第では報われることがあると信じられていたのだろう。
さて、今はというと「逆切れ」「逆恨み」が横行する世になってしまった。本人にとっては正当な理由であろうが、なかなか理解しがたい思考の展開がみられる。

というのが、前総理が襲撃された事件を知り考えたことであり、ネガティブな「逆」の時代について考えてみようとしていた。
しかし、事件の顛末が明らかになるにつれ、彼の行動が「逆切れ」「逆恨み」でなく、理解しがたい思考の展開でなく、他人事でなく、誰もが陥っていたかもしれぬ問題や苦悩を含んでいるのではないかと思われてきた。

もう、過去のものだと思っていた、あの団体が絡んでいたのだ。ずいぶん前に世の中を騒がせていたあの団体を私はずっと忘れていた。私にとっては過去の亡霊のような団体が、見える形でまだ存在していたのだ。正直なところ、驚きで考えが整理できない。あの団体に対する恨みであると報道されたとき、学生時代の記憶が次々と湧き上がってきた。私は教義を聞きに行ったりということはなかったが、何度も何度も勧誘された。それは、あの団体に限ったことでなく、他の新旧の団体から勧誘を受けた。そんな時代だったのだ。私にとってそれは遠い過去であるが、それが現在である人がいるということに、衝撃を受けている。
多くの人が葬列に、涙し、「熱狂」していたが、事件は多くの顔を持つ。前総理にも、あの団体にも、そのほかの団体にも、政治家のふるまいにも、いろいろと考えることはあるが、それらも多くの顔を持つ。しかし、団体に入れあげる人、葬列に涙する人がいるというのも今日のこの国の顔であるのだ。そのどれもが、整理されず、今日の姿として迫ってくる。

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