うさとmother-pearl

目指せ道楽三昧高等遊民的日常

逆の時代 誘

2022年07月29日 | ことばを巡る色色
昔のことを否応なく思い出した。

学校から駅に向かう長い下り坂で、ほこりっぽい学校掲示板の前で、バスターミナルで、あの頃は大きな駅にあった待合室で、私は宗教の勧誘にあった。学校を出てからは、訪問勧誘だったり、仕事の用で行ったのに結局宗教の話しかしてもらえなかったこともあったし、深夜のスーパーで話しかけられたこともあった。
たいてい「悩み事はないですか」と声をかけられるのだけど、生きていて、悩みごとのない人などいるはずもない。「神様の大切な言葉を伝えます」というものもあった。「拝ませてください」だの、「早起きして、気持ちのよい人生を送りませんか」だのというのもあった。「家庭円満は女が男を大切にすること」なんて余計なお世話だと思うようなものもあった。「家がうまくいかないのはあなたのせい」と言われても私の何を知っているのか。「終末には私だけが助かる。私は終末に助かる仲間を増やしたいのです」という人もいた。

皆、何を信じていたのだろうか。どんな世の中を望んでいたのだろうか。
日本は裕福になり、革命なんて起こるわけがないと知り、学生は醜く力尽き、どの思想も「私」のものではなく、その思想も手段になり果て。

勝共、原理研、統一教会。誘われても乗ってはいけない、と学年が上の人から言われていた。「ご飯を食べながら、みんなで話しませんか」たいていはカレーであったらしいが私は行ったことはない。学校帰りには駅までずっと横に付かれて教団の本を買ってくれと言われた。他の勧誘よりは擦れた感じの人が多かったように思う。なぜ、キリスト教が共産党に勝たねばならぬことにつながるのかさっぱりわからなかったが、彼らはだんだんと威勢がよくなり、学内を闊歩し、勧誘するようになった。それを見かねた社会系の教員と言い争いになり、彼らが講堂を一時占拠することもあった。
であるのに、そのころの私は、そしてこれまでの私は、勝共が北の共産主義に勝つことであり、統一が南北の統一であることに全く気付かなかった。新興宗教のようなもの、いわばカルト群雄割拠の時代。宗教も思想も政治も経済も一緒くたになり、何も信じられる確かなものはないと気付いているのに、信じられる何かを渇望した時代であった。その中で、私はあまりに無知であったのだ。

若い世代はいざ知らず、防衛大臣(63)議員(63)初代デジタル大臣(64)はこのような時代と、かの教団や団体が学内を勧誘に回っていたこと、それらが無理矢理な勧誘の中で多くの犠牲を出していたことを知っているはずではないのか。「正直言います 何が問題なのか 僕はよく分かんないです」(55)も、どうであろう。「危うきに近寄らず」の最も「危うき」カルトであることを知っているはずなのに、選挙のためならそんなことはお構いなしなのか。
どうぞ、あの時代を知るあなた達よ、思い出してほしい。そして、あの時代を知るにも関わらず、躊躇なく与して憚らぬ理由を教えてほしい。
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