計画行動をする人は、いかにも理知的に見えて印象が強い。特に成功した場合、鮮やかな印象を残す。自分が成功した場合、特にそうです。それで、他人の場合も自分の場合も、そういう理詰めの行動が目立ち、印象深く記憶する。すると私たちはこればかりをしているように思える。しかし実際、計画行動は人間のいろいろな活動の中のほんの一部です。
行動を計画する場合、人間は、脳内で予測シミュレーションを運転してそれを評価して目的を作る場合が多い。しかしいったん目的を立ててしまうと、そのさきははっきりした仮想運動が作られずに、目の前の出来事に影響されながら過去の学習などで習熟した習慣的な行動が実行されて事態が進んでいくことがふつうです。
たとえば、計画行動をしている途中で、目の前の出来事に影響されてすこしずつ気が変わっていく。カレーライスを食べにレストランに入っても、メニューを見てスペシャルチキンライスにしてしまう。そのうえ、店員に「大盛りにしますか?」と聞かれると、どうしても大盛りを食べたくなってしまう。店に入る前に、本当に、大盛りスペシャルチキンライスを食べたいという欲望があったのか? とてもあやしい。それなのに、人間は、自分は大盛りスペシャルチキンライスを食べたいという欲望をはっきり持って、レストランに行ってそれを食べたのだ、と記憶するのですね。現代哲学でも、このような言語化により欲望、信念が形成される、という理論があります(一九八七年 ダニエル・デネット『ブレーンストーム』)。
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