日和山(ひよりやま)は標高3.0m、平成26年(2014年)4月に国土地理院の
調査により、「日本一低い山」として広く知られるようになりました。
かつては、標高6.05m、南北に40m、東西に20mあり、海側の眺めが良く、
初日の出の名所として知られ、隣接する「蒲生干潟(がもうひがた)」とともに野鳥観察や
遠足などに多くの方々が訪れました。毎年7月1日には日本一高い富士山の山開きに合わせて
「日和山の山開き」が行われるなど、地域に親しまれ、守られてきました。
その始まりは、明治42年に地元民を中心に築山された人工の山と言われており、海を
観察(日和見)することと、海側からの目印にすることを目的に築かれたとされていますが、
他にも寛文年間(江戸時代)に御舟入堀(おふないりぼり、今の貞山運河)を開削した際に
土砂が盛られたとか、大正時代に養魚場を開設する際に土砂が盛られたなど諸説あります。
平成3年(1991年)に国土地理院の調査において「日本一低い山」となりましたが、
その後、平成9年(1997年)に天保山(大阪市)に一位の座を譲りました。
しかし、平成23年(2011年)3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)
による地盤沈下や津波による浸食などの影響を受けて、再び「日本一低い山」になりました。
震災から10年が過ぎ、多くの方々が再び訪れるようになってきましたが、これからは
「震災の爪痕を後世に伝える」という大切な役割も果たす山でもあります。
令和3年3月
なかの伝承の丘保存会一同
日和山登山口
堤防から見た「日和山遠景」
堤防から見た「日和山」
登山口
日和山・山頂(標高3.0m)
下山口
2023年1月3日 (もっと教えて!ドラえもん)
「日和見」って元は何を見ていた?
成り行き次第で態度を変えていると「日和見主義」と言われてしまうけれど、
「日和見」は元々、天気模様を見る意味だった。気象観測の技術が発達する前は
重宝された能力で、日和見していた山も各地に残っているよ。