何気無く大切な一日が、かけがえ無く今日も過ぎてゆく 高橋忠史・多系統萎縮症と生きる・唄い屋。

難病の多系統萎縮症に侵されても音楽を諦めない男のライヴ報告や日々の思い・命のメッセージ

酔っぱらい

2015年06月22日 16時24分06秒 | Weblog
早く起きたので5時に散歩に出かけ、帰って草つみも終え、いったん部屋に戻り朝の親父会議に出た。
今月中にアパートないの遊歩道の植木の刈り込みを終えるそうで美観部は8時半集合。

自治会役員と美観部、軽い気持ちで引き受けたが、毎月やることが沢山あって大変だ。都留市のライヴの疲れもとれていないのに8時半から2時間刈り込みのお手伝い。
落ちた枝と葉っぱを袋詰めするだけの仕事なのだが、とにかく何をするにも転びそうで、両足で力一杯バランスをとって踏ん張って踏ん張って、枝を拾って、袋に入れやすい大きさに折って袋詰めし、散らばった葉っぱを竹ぼうきで掃き集め、又袋詰めして、袋を閉じて、ふらふらしながら集積所まで運ぶ。天気がいいので今日は汗だらだらだ。写真は二階から撮った、刈り込みの終わったスッキリした木だ。たった2時間だが、仕事したー!って感じだ。

みんなで作業中、このアパートで一番どうしようもない男がやって来て、手伝うわけでもなく遊歩道のベンチにふんぞり返って座り、どうでもいい話をしている。80歳になるというその男は、何もせず、生活保護を受けながら、このアパートに住んでいる。生活保護を受けているから医療費はもちろんアパート代もただのはずだ、僕がもらいはじめた倍近いお金を補助してもらっているはずだ。
一生懸命年金を払って来たのに、僕がもらえる年金より、医療費や住宅手当てを含めるとはるかに高額なお金をもらっている。うまく申請して生活保護を受け余裕の暮らしをしている人が沢山いる。
我がアパートの彼がどうかはわからないが80歳という高齢者なので生活保護を受けていることを良しとしよう。だが、生活保護の金をもらったら直ぐにパチンコに出掛けて無くしてしまう。電気代がないガス代が無い、そしてまともな物を食えてないから死んでしまうと言っては人から金を借りる。なんで遊歩道にやって来たのかと思ったら、今日が自治会費と共益費の集金の日で、その金が無いことを訴えてあわよくば誰かに出して貰おうとして出てきたようだ。僕の二倍ものお金をもらっているというのに、世の中いろんな人間がいる。

その、天下のなまけものに、「朝から酒を飲んでるのかー、ワシはもうそんな体力は無いわ。」と言われた。

空いた口が塞がらない。
なんで、お前に言われなあかんねん!。

それにしても、僕の歩く姿は、酔っぱらい。普段からそんな風に見られているんだと言うことを、このどうしようもない男から教えてもらった。

知らない人から見たら、僕は、朝から飲んでるただの酔っぱらいにしか見えないんだ。

6・21 ぐったり

2015年06月22日 10時32分45秒 | Weblog
遅くに眠ったので、今朝は6時半に起床。薬が飲めないので、起き上がるのも大変、歩き出すのも大変。
よっこらしょ、声には出さないが勢いをつけて起き上がり今にも降りだしそうな重い雲で隠された空の下、早朝とは言えぬ朝の散歩にでた。渡辺さん家のそばでは無いが寶鏡寺ライヴのまえに街頭スピーカーから流れる防災情報で、熊出没の情報が報じられていた。

ふっとそんな事を思い出しながら見知らぬ集落を一時間ほど散歩、始めて出会う人とも挨拶出来てしまうのが朝の散歩の爽やかさだ。今朝も出会った人3人と挨拶できた。東京では見られない田んぼに張られた水に逆立つ家、最後は雨に降られたが気持ちいい散歩コースだった。

渡辺さん家に戻ったら雨が降りだした。歩き終わるのをまつように。
そのあと小平のアパートまで送ってもらった。3週間後の再開を約束して。

心身ともに、猛烈に疲れて何も出来ないまま眠った。

アンケートの感想は又。

6・20 都留市・寳鏡寺ライヴ

2015年06月22日 02時34分31秒 | Weblog
天気が心配だったが、カラットさわやかな朝散歩。
10時半に栃木県からアパートまで迎えに来てくれた渡辺久ちゃんとゆかりさんと都留市の渡辺家へ。家で昼寝を2時間ほどさせてもらってライヴ会場の寶鏡寺へ。前回の華の湯ライヴの大失態で反省した、薬忘れ事件。久ちゃんの迎えが来る前に同じ失敗を繰り返してはいけないと、病気の進行を遅らせる薬を夜と明日の朝のぶんを机の目につく場所に置いたのに、又、置き忘れてしまった。
しっかり眠ったが、ふらつきが激しく、ろれつのまわりもかなり悪い。唄えるんだろうか不安がつのる。
普段、適当にしかしないリハーサルを入念にやった。声はよく出ているが、ろれつのまわりは相変わらずだ、でも本番の気合いで、ある程度回復するだろう。ぎたーを弾く指ももどかしい。とにかく今日の状態は確認できた。後は、この状態の今日の最高のライヴを目差すのみ。ものすごく不安だがファイトだ。

リハーサルから本番まで久ちゃんの仲間達が集まって段取りしてくれていた。幾つになっても、何かを始めようとすると集まってくれる仲間作りを若い時から続けて来たからこそ出来る事だろう。

寶鏡寺さんのほうでも声掛けしてくれて、寶鏡寺の道場でおしえている空手の子供たちも練習を終えて40にほど参加してくれた。久ちゃん達の声掛けもあり会場は人でいっぱいになった。子供40人大人が50人。客席は90人のお客さんでいっぱいになった。
子供達の帰る時間を考慮して7時に始まったライヴは8時15分に終了。久ちゃん達が作っていたアンケート用紙は大人の参加者の3分の2以上が書かれてかえって来ていた。それぞれに素敵な感想が書かれていた。それは明日でも紹介しようと思います。
ただひとつ、「ワッハッハ」が良かったと書かれたアンケートがほとんどだった。病気(脊髄小脳変性症)が進行していく僕がこれから周りの人に出来る事は、どんな時でも一緒に笑い合える事、そんな事を唄った「ワッハッハ」がみなさんの心に届いた事はうれしい。

感動のライブが終わり、久ちゃんとゆかりさんの仲間達と打ち上げ。富士吉田市にある「フォーク酒場ジュゲム」というお店に集まった。店の店主の伊藤さんは20年以上前、東京の江古田にある「マーキー」というライブハウスで僕の前座をやった事がある人で、僕のCDも持っているという事は久ちゃんから聴いていた。みんなで懐かしのフォークソングを唄ったりしながら最後に僕もスタッフの仲間達に数曲唄った。普段熟睡している時間なのでろれつもまわらず申し訳なかったが、それでも喜んでもらえてよかった。
久ちゃんが伊藤さんに掛け合ってくれて、7月11日に都留市の障害者施設のお祭りで唄う事になっているのでと、「フォーク酒場ジュゲム」で12日の日曜、午後3時からのライブが決まった。

渡辺家に戻ったのは深夜1時を回っていた。僕はすぐに布団にもぐって眠った。