明日につなぎたい

老いのときめき

一つのパソコン、スマホがあれば

2020-08-08 15:48:22 | 日記

 1945年8月は、15年間(1931年~1945年)も続いたアジア・太平洋戦争が終った月である。今から75年前の8月15日に、日本は交戦国であった米英ソ中など連合国に無条件降伏。8月は終戦(敗戦)の月なのである。もっと踏み込んで言えば、日本が反戦・平和への道に踏み出す転機に立ったときだったのである。当時、私は18歳、大阪市郊外の親戚の家で、この報に接した。何故か、悔しくも悲しくもなく、涙も出なかった。終戦を喜んだわけでもない。反戦とか平和とかの意識もゼロだった。いま思えば、呆然とこの日を迎えただけの、空きっ腹を抱えた、ぼんやりした少年でしかなかった。こんな私を目覚めさせたのは、戦犯の追及、政治犯の釈放という超大ニュ―スであり、先輩や文献から社会主義を学ぶ機会を得たからであった。真理は人を変える。

 

 そのごの私の人生は、社会主義の未来に向かう道であった。私の性癖は他人に真似たり、お世辞が嫌いだった。それも幸いしたのだろう、社会主義を標榜しながら、ジグザグする旧ソ連や中国などの横暴に屈しない自主独立が好きだった。1950年代は朝鮮戦争勃発、米国と吉田内閣の手による民主運動、共産党への弾圧、レッドパ―ジなど、言い尽くせぬほどの苦難に直面したが屈しなかった。1960年代の日米安保条約反対の闘いは史上空前の高揚であった。私もその中の一人、もう数少ない生き残りかもしれない。70年代、全国に政治革新の流れが広がる。大阪にも革新府政が誕生した。私のは母など「アカに染まった息子」の私に怒っていたが、このときは私を自慢の息子にして隣近所に言い廻っていたそうだ。

 

 母が好きだった美空ひばりの歌を思い出した。「・・一本の鉛筆があれば 戦争は嫌だと私は書く・・・一枚のザラ紙があれば  あなたを返してと 私は書く・・・一本の鉛筆があれば八月六日の朝と書く・・・人間のいのちと 私は書く」(昭49・8・9 第1回広島平和音楽祭、昭63第15回広島平和音楽祭)。歌謡曲の女王、国民的歌手と言われた美空ひばりが、一本の鉛筆で、一枚のザラ紙で、平和を歌いあげている。私は改めて感動した。そして広く訴えたいとの衝動にかられた。パソコンを、スマホをお持ちの皆さん、思う存分に使ってください。平和への想いを、高らかに歌い上げてください・・・。何もなくても声をあげてください。