*この前のSundayにBirthdayPartyをささやかに祝った、11/11がLindaとボクの誕生日で、例年のように遅ればせながらであるが、Betzyの出産祝いも重なって、lovelyでcalmな集まりになった、とてもしずかな、嬰児で、ハジメテボクが抱いたときにちょっとcryしたが、ママが抱くとすぐに泣き止んだ、middlenameをMariaにしたい、と思うくらいに、聡明感がある、無事出産を、出産の翌日に聞いていた、幸せな、クレオパトラに育ってほしい、と,BETZYにはmaleしたが、彼女の母親がボクのmaleを喜んでくれた、と聞いて、ボクはホッとした、人の生涯をカンタンに願えるものじゃないでしょー、と、自問自答していたところ、そう言えば,MARIAは十字架上のキリストを生んだ、それは幸せなのかと、考える、このfotを眺めながら、今も、これからの、嬰児が生きてゆくであろう世界への想念がつぎつぎに湧いてくる、
*こどものfotをfacebookにだしちゃダメと、言いながら、この2枚のfotがあまりにもsplendidなので、おすそ分けしたくなった、いくぶんかは平和へのおもいを共有してほしい、と願う、学芸大の、オステリアカンティーナのふみさんがとってくれた、スマホはEXPERIAである、シェフのトクさんはそれぞれのplateにHappy Birthday、焼きこんでくれた、
*きみはいくつ、35才になった、と、LINDAに言う、違う、34才、と返された、初めて出会ってから9年?彼女はまだ25才だったのだ、彼女の年齢をボクは聞いたことがなかった、時間をさかのぼっていると一夜が過ぎる、彼女から第二外国語にポルトガル語を選んだと聞いた時に、彼女はInteligentなんだ、と、感じたのを記憶する、ボクはスペイン語を5,6年自学したが、歯が立たなかった、
*あれはセルリアンタワーのJazzbarであった、弥助の夕食の帰路、たまたま2次会にそこへいった、ポルトルガルのサルサをsingerは歌っていた、やのさん、わかってたの、と、彼女はボクに尋ねた、そのコトバには仕組んだの、というようなニューアンスをボクは感じた、そのコンサートで、ボクは彼女から、ポルトガル語が二国であると知ったわけで、マッタク偶然の選択であった、どうして、そういう偶然があるのか、ボクにはわからない、BETZYとLINDAは親友であって、LINDAとの2度目?のデートに、友達連れて行ってイイ、と言って連れてきたのがBETZYである、