彦四郎の中国生活

中国滞在記

現代にも受け継がれる縁切り神社、「安井金毘羅宮」に行ってきた❶―閲覧注意だな

2017-07-25 07:55:04 | 滞在記

◆―日本三大縁切り神社―とは、東京の「渋谷榎稲荷」・栃木の「門田神社」・京都の「安井金毘羅宮」の三社。

◆―日本三大怨霊(おんりょう)―日本に数多く伝わる怨霊の中でも、「菅原道真(すがわらみちざね)」・「平将門(たいらのまさかど)」・「崇徳上皇(すとくじょうこう)」の三人を指す。この3人が三大怨霊として伝わるのは、江戸時代における読本や歌舞伎などの演目が大きく影響しているとも言われている。3人とも、怨念・無念の死を受けた人物とされる。

 冤罪で九州に左遷され不遇・無念の死をとげたとされる菅原道真を祀る「天神(天満)宮」は、のちに怨霊性が薄れ「学問の神様」としての性格が強くなった。全国に1万あまりの「天神(天満)社」があるとされる。俵屋宗達が描いた「風神天神図屏風」(京都・建仁寺)で描かれている「天神(雷)」をも祀る。「冤罪」を受けた人もよく祈願に訪れるという。

 平安時代に関東に独立王国を造ろうとしたが、戦いに敗れ、京の都にその首を晒されたともいう「平将門」。1976年、NHK大河ドラマ「風と雲と虹」(出演:加藤剛・吉永小百合・山口崇・草刈正雄など)でその一生が描かれていた。

 そして、「崇徳上皇」。1156年に起きた「保元の乱」の権力闘争に敗れ、天皇・上皇の身分の人としては約400年ぶりに地方に流されて、讃岐(香川県)の地で死ぬときに自分の舌を噛み切り、その血で「天下滅亡」と、皇室を呪う言葉を書いたとされる。三大怨霊の中でも最強の怨霊性があるとも言われる。

 この「崇徳上皇」を祀って、霊を鎮めてもいる神社が京都市東山にある「安井金毘羅宮(やすい・こんぴらぐう)」。八坂神社の石段下から南に歩いて7〜8分のところにある。この神社は、3人の人を祀っている。最初は、崇徳上皇を祀り、次いで源頼政(平氏政権打倒のため、以仁王[もちひとおう]を担いで全国に散らばる源氏勢力に呼びかけ決起したが、戦いに敗れて死す。)をも祀る。その後、讃岐の国から「金毘羅神・大物主神(おおものぬしのかみ)」を分祀して、「安井金毘羅宮」となったようだ。

   毎年、1月中旬には、「恵比寿さんの祭礼―鯛や小判のついた笹のかざり―笹もってこい」で有名な祭礼があり、大勢の人が参拝する。七福神の恵比寿さんと金毘羅さんは関係が深いようだ。(商売繁盛笹もってこい)

 この「安井金毘羅宮」へは、大鳥居の前までは 何度が来たことがあるが、それ以上境内に入ったことが今までなかった。7月17日に初めて境内の中まで行ってみた。鳥居には「悪縁を切り良縁を結ぶ祈願所」と大きく記されていた。時刻は午後4時半頃となっていた。日中は36度ちかくの気温となっていたが、黒い雲が出始めていた。夕立がそろそろ降って来そうな雲行きとなる。

 境内に入る。紙が沢山貼られでいて、人が一人通り抜けられる丸い穴のようなものがある何かがあった。横の立札の説明を読む。「悪縁を切る―縁切り縁結び―碑(いし)」とある。「江戸時代より断ちもの祈願のならわしが続けられ、縁切り祈願が生まれました」と記されている。小さなお札のような大きさの紙に、祈願を書いて、穴に入り出る。再びそこから穴に入り、この碑(いし)に 祈願の紙を糊で張り付けるのだという。祈願の紙は100円以上のお金をはらったらいいようだ。

 ついに激しい夕立が あっという間に降り出してきた。神社の建物の軒下で雨宿りをする。中国から来ている人たちが5〜6人、一緒に雨宿り。なかなか雨がやまないが、中国の子どもたち3人は、何かしらの遊びをしていて元気に過ごしていた。30分ほどして雨が小降りとなる。若い男性が、祈願の紙をもって まだ小雨の中、穴をくぐっていた。遠方から来ている人だろうか、新幹線かなにかの時間が迫っていてるのかもしれないと思った。

 ようやく雨が上がった。碑(いし)に貼られた祈願の紙を見る。「大好きな人とずっと幸せにくらせますように♡」「悪いネガティブな考え方から縁がきれますように」「彼よりマシな人と今年中にむすばれたい」「〇〇さんが、彼女と別れて、私と付き合ってくれますように」「お義母が ガンと縁がきれますように」「勉強するとき、集中力のない自分とはおさらばだ」「大島〇〇さんと、私〇〇〇〇と、無事縁が切れることができてありがとうございます」「〇〇寛子とキッパリ縁が切れますように。〇〇美紀」「〇〇明夫と二度と会わないくらい縁がきれますように」などと記された祈願の紙。

◆続く

 

 

 

 

 

 


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