彦四郎の中国生活

中国滞在記

京都大学など、国立大学の「自由と自治」をなくす国の方針に抗して❷―その経過と吉田寮・タテカン問題―立命館民主主義とは

2024-02-24 12:17:42 | 滞在記

 京都大学の伝統的な学風「自由と自治」の一つの象徴ともなってきた大学構内とその周囲の立て看板(タテカン)での学生たちの表現や主張。岩波新書風の『立て看板の歴史』(立て看板研究会著)と書かれたタテカンもユニーク。「合格祈願は吉田神社へ」と書かれたさりげないタテカン。2018年5月の大学当局によるタテカン強制撤去に対して抗議した学生たちに対し、2019年には12名の学生に対する処分を行った(内3名は無期停学)。

 「京大の"タテカン規制"一部学生が洗濯風ー"京大ヲ 洗濯致シ 候―で対抗」とテレビ報道。かって坂本龍馬が姉に送った手紙に書かれていた一文「日本ヲ 今一度 洗濯致シ候」をもじつたタテカン。「何が景観条例だ 俺が景観だ」と書かれた三高い学生風の絵が描かれたタテカンなどなど‥。

■『ルポ 大学崩壊』(ちくま新書)などの著書を著しているジャーナリストの田中圭太郎氏による「キャンパス内の名物も撤去され‥京都大学で起こる"ガバナンス改革"の残念すぎる結果」と題されたネット記事(2024年2月14日閲覧)。「なぜ、いま、この京都大学の伝統的な学風である自由・自治が踏みにじられてきたのか」ということについて、次の①~⑥ように書かれている。

 ①京都大学の変質はいつから始まったのか。ひとつの起点になったと考えられるのは、2013年の総長(学長)選考だ。それは、国による国立大学の「ガバナンス改革」と呼ばれるものが進められた時期と重なる。

 ②国立大学はかって、総長や学長などのトップは教職員による投票結果に基づいて、最高意思決定機関だった評議会が指名していた。評議会は、教授会で選ばれた教員や学部長などで構成された。それが小泉政権下で実施された国立大学法人化によって、この仕組みは変更される。教職員による投票は意向投票に格下げされて、選考会議がトップを決める機関となった。これがガバナンス改革の第一段階と言っていいだろう。

 ③第二段階は、第二次安倍政権下の2014年に実行に移された。国立大学法人法が改正され、トップの選考方法自体も選考会議が決められるようになる。さらに、同じくこの年に改正された学校教育法では、教授会の権限が、総長や学長の諮問機関に格下げされた。トップの権限が強化されたうえ、選考会議のメンバーの多くは、トップ自身が指名する。その気になれば、トップが教職員の意見を聞かずに、大学を運営できるようになったのだ。

 ④2013年当時、京都大学総長だった松本紘氏の任期は、翌2014年9月末までだった。次期総長の選考について話し合っていた総長選考会議で問題が起きる。教職員による意向投票を廃止して、総長選考会議の議決のみで新たな総長を選出することや、松本氏の任期延長を可能にする議案が提出されたことが明らかになったのだ。これに対して教員や学生は強く抗議した。強い反発を受けて任期の延長は議決されなかったものの、教職員による「意向投票」は、「意向調査」というより軽い位置づけに改められた。あくまで、総長選考会議が主体となって総長を決める体制ができあがってしまった。松本氏の後任として、2014年10月から総長を務めたのが山極氏だった。吉田寮の訴訟が起きたのは、山極氏が総長を務めた時期だ。

 ⑤さらに、山極氏の次の総長選挙を巡ってまた問題が起きる。総長選考には6人の候補者が立ち、任意の投票である意向調査が実施された。一位は2014年から副学長に就任して、山極氏とともに学内運営に携わっていた湊長博氏だった。しかし、得票率は37%に留まった。過去の総長選考では、意向投票で誰も過半数を獲得していない場合は、獲得票の多い上位二名で決選投票が行われてきた。にもかかわらず、総長選考会議は決選投票を行わずに、湊氏を総長に選出した。この決定に対し、教職員や学生から異議を唱える声があがった。

 ⑥総長選考が行われていた時期に、教員有志や大学院生らは「自由の学風にふさわしい京大総長を求める会」を結成していた。会では6人の候補者に吉田寮の学生に対する提訴などについての質問状を送ったが、回答があったのは三人だけで、湊氏は無回答だった。総長がこうした問題に無関心だと、学生担当理事の「暴走」を許すことになってしまうおそれがあると、教職員らは感じていた。‥‥。

■前前前号(2月21日付)のブログの中で、「山極壽一氏が総長に選出される過程で、教職員や学生たちにも責任がある」と書きました。この年の総長選考を巡って、教職員への「意向調査」が行われた際、その意向調査の結果、第一位を獲得したのが山極氏だったのかと思います。その「意向調査」において、学生や教職員は山極氏の人物像を見誤たのかと思います。そして、最終的に「総長選考会議」で山極氏が次期総長(6年間)に決まった経過がありました。

 2018年5月、大学当局(山極壽一学長)によって強制撤去された。それに抗議する京都大学の学生たちや教職員たち。京都市内での「タテカン強制撤去反対」のデモも行われた。「自由はどこへ!? 今、京大で何が起きているのか!?」と題されたビラ。

 そして、2021年4月に入り、京都大学(教)職員組合は「撤去されたのは憲法が保障する表現の自由の侵害にあたる」などとして、大学側と京都市に対し、京都地裁に提訴した。訴状には、「京都大学吉田キャンパス周辺の歩道は遅くとも、学生運動が盛んになつた1960年代からタテカンが掲げられてきた。芸術・文化関連の催しや講演会の告知、サークル紹介など多様さで知られ、"自由の学風を象徴する京大の名物とされてきた」と述べられている。この裁判(京都大学タテカン訴訟)は、2024年1月に第8回口頭弁論が行われ継続中だ。「京大出身の弁護士約140人 撤去の見直しを求めて声明文を提出」のテレビ報道もされた。(京都大学当局は、大学周囲のタテカンだけでなく、大学構内のタテカンまで規制し始めた。教職員組合が長年掲示していた場所の看板なども撤去されてしまうという経過があった。)

―2018年タテカン撤去、2019年吉田寮旧館在住立ち退き提訴の京都大学学長(総長):山極壽一氏(現在72歳)―

 現在の肩書は、「ゴリラ研究の第一人者・日本学術会議前会長・京都大学前総長(学長)・総合地球環境学研究所所長」と書かれている。京都大学総長を2020年に6年間の任期を終えたあと(70歳)、天下りで就任したのが京都にある国立総合地球環境学研究所の所長職。(この研究所は広大な敷地で、森に囲まれたとても立派な研究所だ。)国家の文部科学省行政の意向にそった京都大学の伝統的な「自治・自由」学風に対する抑制や日本学術会議会長としての「6人の任命拒否」問題への貢献、これまでのゴリラ研究学などが評価もされ、現職に就任したのかとも推測される。京都大学のタテカンの一つに、「"サル化"する京都大学―自治の学風から順位の学風へ/個人の利益と効率を優先するサル(社会)的序列学風でいいのか!」と書かれ、京都大学100周年時計台記念館の上で吠えるゴリラの絵が描かれていた。

 2020年10月から京都大学総長に就任した湊長博氏。タテカン訴訟が京都地裁で継続審議されている中だが、朝日新聞デジタルのネット記事に、永井啓子氏がタテカンへの考えを湊氏に聞いた記事が掲載されていた。

 ―「京大の自由な校風を表す一つにタテカン文化があったとの声がありますが」との永井氏の問いかけに湊氏は、「この時代、SNSもあるし、‥‥ああいうタテカンに自由のシンボルとしての価値があると言われても、のめません」「タテカン訴訟の論点そのものがわかりません」との返答だった。まあ、残念な、この人も山極氏と同様な感覚の中で生きている人物なのだろう。このような人物が、日本を代表する国立大学の学長でもある。2026年の学長退職後の天下り先も彼の念頭には強くあるのだろうか‥。

 京都市には30余りの大学があり学生の街と言われるが、「京都大学(国立)・同志社大学(私立)・立命館大学(私立)」は、京都三大大学とも呼ばれる。京都大学が2014年以降、急速に「自治・自由」の学風が壊されていく中、立命館大学は「自治」の伝統を今も大切にしている大学だ。特に学長(総長)選考にあたっては、日本で最も「民主的な学長選考」規定をもっている大学かと思われる。

 その大学学長選考規定は1949年に作られ、そしてその規定に基づく選挙で初代の学長(総長)に選出されたのが末川博氏だった。(※末川博氏は1933年の京大瀧川事件(思想弾圧事件)に抗議して京都帝国大学法学部教員を辞職していた。) この「総長公選制度」(学長選考)は、一般に「立命館民主主義」と呼ばれる大学運営の一つとなっている。4年に一度実施され、2024年現在の総長である仲谷善雄氏は、末川氏から数えて10人目の学長。「総長公選制度」の規定は2005年、2014年に改訂され現在に至っているが、その公選制度とは、「①まず、411人の学長選挙での選挙人を、学生・教職員・卒業生OB代表・学生の父母代表などが選び(各学部や学科などで学生全員の投票で選挙人などが選ばれる)、②411人の選挙人による投票で学長(総長)が選出される」という仕組みだ。

 「立命館民主主義」と呼ばれるもう一つが「全学協議会制度」。これも4年に一度開催される。立命館大学の将来の姿や運営方針を考えるときに、提案された原案を元に、大学を構成する学生や教員・職員が参加して精査していく制度である。

 日本全国の国立大学の非民主的運営が、2004年の大学法人化(準民営化)以降から横行するようになり、久しいが、京都大学の学生や教職員たちはそれでもなお、そのことに根強く抗議活動を続けている稀有な大学とも言えるだろう。また、日本の私立大学の多くは、日本大学の前・田中理事長の支配体制を巡る問題などにみられるように、理事会と理事長の権限が強大で、学長は単なる理事会(理事長)が推薦する人にすぎず、その権限は少ない。もちろん立命館大学にも理事会と理事長は存在するが、上記のような「立命館民主主義」制度で選ばれた学長の権限の方が強い。

■長々と、四回にわたって、「京都大学の吉田寮訴訟問題やタテカン訴訟問題」「大学の民主的運営の崩壊」などについてこの間書いてきた。それは、この4年間余りの世界情勢の変化の中で「ロシアによるウクライナ侵略」などが起き、ロシアやウクライナを巡る双方の支持国が、「独裁非民主主義国家VS民主主義国家」の対立という一面をもち、民主主義の世界的な退潮も指摘されてもいる中だからだ。また、2020年のアメリカ大統領選挙を巡っては、トランプ氏の支持者たちによる連邦議会襲撃・占拠という事件もおきた。

  日本は「民主主義国家」の一員として世界からは思われている。それは私もそう思うが、しかし、この大学の学問の府での、民主主義の崩壊は、「民主主義国家」としての日本の中で憂うべきことだ。京都大学の吉田寮訴訟やタテカン訴訟などは、世界の流れからして、とてもとても小さな事象なのだが、でも、小さな出来事でも一つ一つの積み重ねが真の「民主主義国家」になることができる道でもある。

 10年間余り中国という国に暮らし、改めて、「自由・民主」「報道の自由・表現の自由」「民主主義という制度の大切さ」を痛感する10年間ともなった。だから「日本共産党の党内非民主的運営、党首公選制の必要性、民主集中制の廃止」などに関するブログ記事も最近、改めて掲載している。