彦四郎の中国生活

中国滞在記

京都大学の「自由と自治」の象徴の一つだったタテカン文化➊―「京大はんのタテカンはおもろいどすわ」と市民からも親しまれたタテカンだったが‥

2024-02-23 07:17:26 | 滞在記

 京都大学から「自由と自治」を弱め、強権的に学生や教職員を管理する事象(2015年頃から全国の国立大学で強まる)は、吉田寮旧館居住寮生への立ち退き訴訟問題の他にもう一つ大きな事象がある。それは立て看板(タテカン)禁止だ。2018年5月に京都大学本部構内の周囲の石垣に立てかけられていた多くのタテカンの強制撤去に踏み切った。

 立て看板はタテカンの愛称で、京都大学の吉田キャンパスやその周辺に数多く設置されていた。1960年代にはすでに多くのタテカンが大学構内(キャンパス)の外構や構内に提示され、京都大学の文化として、大学の学生や教職員だけでなく、京都市民の多くからも親しまれてきた。タテカンは、学生による一種の表現活動であり、それを学内外の多くの人たちにアピールする表現手段であった。だからタテカンは京大名物とも言われてきていた。(※百万遍交差点付近を中心とした東大路通りや今出川通り、東一条通りの大学正門付近までが特にタテカンが多かった。京都の人たちも、このタテカンを眺めることにより、今、学生たちが何を考え、何に興味を持っているのかの一端を知った。このタテカンは一人の学生でも自由に置くこともできた。)

※上記写真右―1945年以降の戦後間もないころの京大正門付近に掲げられたタテカン。次のような文章が書かれている。

―願―神様だったあなたの手で 我々の先輩は戦場に殺されました。もう絶対に神様になるのはやめてください。「わだつみの声」を叫ばせないでください。 京都大学学生一同

 私は1970年代の初頭ころから京都で大学生活を送ることになったのだが、この京都大学のタテカンを日頃から眺めていると、多種多様なタテカンがあり、そのユニークさやユーモア、まじめさなどに関心もさせられてきた。それが2018年の5月まで続いた。京都大学付近を通る時の楽しみの一つでもあったのが、この京都大学の脈々と続いたタテカン文化でもあった。

※上記写真左から、➀京大はおもろい。②京都大学アニメーション同好会 ③11月祭に向けた各種発表のタテカン ④「あぶないから はいっては いけません! 入学禁止」と書かれたタテカン ⑤11月祭 本部講演:中坊・鳥越の大きなタテカン ⑥東一条通りの各種タテカン

※上記写真左から、➀➁京大入試の受験生向けタテカン ③東大寺の金剛力士像の巨大タテカン ④ノーベル賞の朝永振一郎やシン・ゴジラなどのタテカン ⑤山仕事サークル「杉良太郎」などのタテカン ⑥東一条通りから吉田神社にかけてのタテカン群

※上記写真左から、➀「折田彦一先生さま 京大に自由の学風を築きましたが 平成の終わりと同時に無くなってしまいました。どうか皆さんで京大に自由を取り戻してください。」と書かれたタテカンと折田先生像 ②「近頃 京大に流行るもの‥」との文章は、鴨長明の『方丈記』の文章っぽい ③東大路通りの各種タテカン ⑤「何をしましょう? 数学の替え玉?‥」と書かれた文字は意味不明だが、おそらく受験生向けのタテカンかな ⑥「マルクス生誕200年 今、なぜ『資本論』が読まれているのか‥」と書かれたタテカン

※上記写真左から、②正門付近の「コレがオレたちの景観 タテカン カエシテ」と書かれたタテカン ③「景観条例でタテカン撤去しろは すべて詐欺です―タテカン文化 死にたまふことなかれ 与謝野晶子―」と、サングラス姿の与謝野晶子が描かれたタテカン ⑤「非常勤講師 5年でクビにするな!」と正門前に掲げられたタテカン ⑥「85%がタテカン規制に反対」と書かれたタテカン 

※上記写真左から、⑥2020年の京都大学学長選挙を巡る国政選挙風の立候補者タテカン ➀②各種タテカン ③「祝!ノーベル医学生理学賞受賞! 本庶佑先生!京大の誇り!」と書かれたタテカン。このタテカンもすぐに撤去された。 ④「京都学生狂奏祭 熊野寮」と書かれたタテカン ⑤「時間は あんなにあったのに」と意味不明のことがれたタテカン 

※上記写真、①~⑥ 百万遍交差点(東大路通りと今出川通りが交差)付近のタテカン各種

※上記写真、③「ATM  A(あたしの)  T(立て看を)  M(見ろ!!)」と書かれたタテカン ④「祝 京都造形芸術大学、京都芸術大学に改名! 」「次は、京都芸術大学から京都大学へ改名を目指せ」「その間に、京都大学は東京大学に改名します」◆おそらく、東京大学の「自由・自治」のなさと、京大の「自治・自由」の喪失事象をもじったものかと思う。

 2018年の5月のタテカン強制撤去以降、学生たちはゲリラ的に数多くのタテカンを立ててもいたが、大学当局からすぐに撤去されるというイタチごっこもくりかえされ現在に至っている。2018年5月以降、京都大学という大学をみるたびに寂しい気持ちになるのは、私だけでなく多くの市民たちもそうだろうかと思う。あれから6年近くが経過した。

 昨日2月22日の午後、京都大学のある百万遍周辺を歩く。タテカンが一枚もない光景は、やはりかっての「自由と自治」の京都大学らしい魅力を感じない。とても残念なことだ。タテカンに関する裁判が現在、京都地裁で進行中だが、この裁判でも大学側を訴えた京都大学(教)職員組合が勝利してほしいと願う。